『君が手にするはずだった黄金について』とは
本書『君が手にするはずだった黄金について』は、2023年10月に256頁のソフトカバーで新潮社から刊行された連作の短編小説集です。
この作者の作品らしくとても論理性をもって進行する作品ですが、実に哲学的というか芥川賞の対象になるような純文学的な作品だとしか思えない作品でした。
『君が手にするはずだった黄金について』の簡単なあらすじ
才能に焦がれる作家が、自身を主人公に描くのは「承認欲求のなれの果て」。認められたくて、必死だったあいつを、お前は笑えるの? 青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家……。著者自身を彷彿とさせる「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する連作短篇集。彼らはどこまで嘘をついているのか? いま注目を集める直木賞作家が、成功と承認を渇望する人々の虚実を描く話題作!(内容紹介(出版社より))
『君が手にするはずだった黄金について』の感想
本書『君が手にするはずだった黄金について』は、著者自身を思わせる主人公の人生の断片を語っていく連作短編集です。
主人公が小説を書くようになった経緯(「プロローグ」)や、東日本大震災の時の記憶を通して人間の記憶の曖昧さなどを語る(「三月十日」)、占い師と小説家の関係(「小説家の鏡」)、主人公の高校時代の友人である片桐の話(「君が手にするはずだった黄金について」)、ある漫画家の嘘についての物語(「偽物」)、山本周五郎賞の候補になった主人公小川の話(「受賞エッセイ」)の六編から構成されています。
この作者の作品はどれもそうではあるのですが、本書もまた奥の深い作品集であり、結局作者は何を言いたいのか、常に考えさせられる作品集でした。
どれも人間の思考を追求し、特に自身の思考のその奥を突き詰め、虚構を積み重ねていく友人や占い師、真実の心を見せない漫画家の本当の考えを追求し、自身がそうである小説家との違いは何かを考察します。
そこに差異はないのではないかという作者小川哲を思わせる主人公の小川がいて、その問いは読者に投げかけられているようです。
この作者の『嘘と正典』や『君のクイズ』、そして第13回山田風太郎賞、また第168回直木賞を受賞した『地図と拳』もそのストーリーが厳密に論理的に組み立てられているのが非常に特徴的な作品だったのですが、本書もまたその例に漏れません。
とはいえ、正直に言うと、この作者の作風にはついて行けないところも感じています。その文章がきちんと組み立てられているのはいいのですが、時にその意図を汲み取れない場面が少なからずあるからです。
その箇所で言われていることは納得できるのだけれども、その文章が指し示す本意を正確に汲み取れていないのではないか、という思いをぬぐえないのです。
例えば、冒頭の「プロローグ」で書かれている「人生の円グラフ」についての考察がありますが、「カテゴリーミステイク」だから書けないというその言葉からしてその意味がつかめず、個人的にはその議論に置いていかれている印象しかありませんでした。
そして、そうした議論について行けない、という印象は随所にあるのです。
とはいえ、この作者の作品が独特な個性を持っているのを否定するものではありません。それどころか、無二の才能の持ち主であるであろうことは否定しようもありません。
ただ、私の頭が追い付いていけないだけなのです。
本書にしても主人公の小川が友人と交わす会話の場面など、論理的に詰めて話すその話に私はついていけないのです。
結局は自分が選んでいる小説家という仕事への考察が本書で述べられているのでしょうが、その言葉にもついていけないのです。
これまで、書物への接し方をどちらかと言うと感覚で捉えてきていた読み方のツケが来ているのでしょう。
丁寧なロジックを経て組み立てられている文章でさえ、感覚的に読んでいたのですからそうなるのは当然でしょう。
とはいえ、今更読み方を変えるつもりもなく、本書のような高度な読解力が要求される作品はそんなものだとあきらめるしかなさそうです。