夏の雁: 仕舞屋侍

揉め事の内済を生業とする九十九九十郎を地酒問屋“三雲屋”の女将が訪ね、七雁新三という博徒の素性を調べてほしいと大金を預ける。新三は岩槻城下の貸元に草鞋を脱いでいるらしい。三雲屋も女将も岩槻の出身だった。九十郎は貸元を訪ねる。二十一年前、藩勘定方が酒造の運上冥加を巡る不正を疑われ、藩を追われた。三雲屋が藩御用達になったのはそれからという…書下し長篇時代剣戟。(「BOOK」データベースより)

 

仕舞屋九十九九十郎の活躍を人情味豊かに描く『仕舞屋侍シリーズ』第四巻目の長編痛快時代小説です。

 

上州銅街道の桐原宿はずれの渡良瀬川の渡し船で、博徒の新三の一言を聞いた原助と名乗る旅人は驚愕の表情で暴れだし、川へと転落してしまう(序 渡良瀬川)。

一季雇いの中間森助の件で五百石の旗本墨倉家用人の小堀与一之助と会った翌日、九十九九十郎は東両国本所元町の地酒問屋「三雲屋」の店主、三雲屋貫左衛門の女房のお曾良と名乗る女から、五十両という大金で七雁新三という名の博徒の素性を調べる仕事を請けた(其の一 江戸の女)。

その翌日、九十郎と藤兵衛は、七雁新三が世話になっていた日光街道岩槻宿貸元の金五のもとを訪ねるが会えず、ただ、九十郎は岩槻の筆頭番頭だった男から、勘定方だった日比野信兵衛が絡んだ三雲屋が今の大店になった真の事情、そして、その日比野は酔って渡し船から落ちて亡くなったことを聞きだす(其の二 岩槻の男)。

北町奉行所与力橘左近からは、日比野の転落死の調査の依頼と同時に、太一郎と紗衣という双子がいたことを聞いた。また、地回りの桂太から三雲屋の女将の生まれが岩槻であり、双子の妹は吉原へ売られ、新三は母親の死後奉公に出されたという話を聞いた九十郎は、お曾良からすべてを聞くのだった(其の三 別離)。

その後、曾良は九十郎に、自分らの父親を殺した男らのもとへ真実を明らかにしに行った三度笠の男と、そして自分の旦那を助けてくれと頼むのだった(其の四 愛宕下の戦い)。

三国屋主人貫左衛門の申し立てにより、すべては終わり、九十郎は藤ゆ二階の休憩部屋で旗本墨倉家の当主・墨倉柳之進とその供侍と会うのだった(終 夏の雁)。

 

本書の本筋は、かつて卑劣な罠にはまり、家名没落の憂き目にあったとある家族の復讐譚です。それとともに、高慢な旗本に虐げられた奴の代人として交渉事に臨む九十郎の姿が描かれています。

この、物語の本筋とは異なる、しかし仕舞屋稼業としては本筋のもみ消し業、本書で言えば旗本墨倉家と一季雇いの中間森助との間の揉め事の始末が結構面白いのです。

本来であれば、旗本が一季雇いの中間との間で話し合いを持つなど考えられない事柄の筈です。

しかし、仕舞屋である九十郎は御小人目付であった経験を活かし、話し合いに持っていくどころか、相手の弱みを調べ上げ、表沙汰にしないで内々で事をすませる内済として処理するように運びます。

その交渉の過程が小気味よく、もう少しその様子を読んでいたいと思うほどです。その話が、本筋の話の合間に少しずつ語られます。

 

そして本書のメインの物語がありますが、これがよく練られています。

ストリーだけ追っても、本書のような文庫書下ろしの痛快時代小説としてはかなり作りこんであり、普通であれば文庫本一冊では収拾がつかいないほどの流れがあるのですが、そこはうまく処理してあります。

物語の筋が話の流れとして丁寧に整理されていて混乱することはありません。そうした、物語の流れの丁寧な構築が辻堂魁という作家の作品の持つ特徴でもあり、面白さの源なのでしょう。

 

本シリーズで語られる話は哀しみに満ちている話が多いようです。

サブストーリーで仕舞屋としての仕事を痛快さを込めて語られ、メインストーリーで悲哀に満ちた過去を持つ人物の物語に九十郎が迫っていく様子が語られますが、彼らの哀しみは哀しみとして九十郎でもどうしようもないことが殆どです。

この形が一つのパターンとしてあると思われますが、マンネリに陥ることなく哀愁と痛快さとを兼ね備えた物語として、これからも続いてほしいと思うシリーズです。

恨み残さじ 空也十番勝負(二)決定版

恨み残さじ 空也十番勝負(二)決定版』とは

 

本書『恨み残さじ 空也十番勝負(二)決定版』は『空也十番勝負シリーズ』の第二弾で、2021年9月に決定版として文庫本で刊行された336頁の長編の痛快時代小説です。

本稿は、『恨み残さじ 空也十番勝負(二)決定版』ではなく、その前の『恨み残さじ 空也十番勝負 青春篇』を読んだ時のものです。決定版も内容はそれほど変わっていないものとしてそのままに掲載しています。

 

恨み残さじ-空也十番勝負 青春篇』の簡単なあらすじ

 

薩摩を発った空也は肥後国人吉城下へ戻り、タイ捨流丸目道場の門弟として同世代の若者と稽古に励んでいた。しかし、空也に斃された薩摩東郷示現流の酒匂兵衛入道の仇討ちを企てる一派がその身を密かに狙い続ける。ある日、空也は山修行を思い立ち、平家の落人伝説が残る秘境・五箇荘を目指すが、その道中、出会ったのは…。(「BOOK」データベースより)

 


 

薬丸新蔵が江戸で暴れているころ、人吉城下のタイ捨流丸目道場に世話になっていた空也は五箇荘の山中で修行をしていた。

ある山小屋で一夜を明かした空也は“くれ”と名乗る女たちと出会うが、下山途中“くれ”は空也もろともに同行の三人の男が渡る吊り橋を落として逃げ出してしまうのだった。

なんとか川辺川流域の樅木へとたどり着いた空也から話を聞いた地頭の佐々儀右衛門は、くれは山賊の一味であり隠し金を狙ってくるといい、空也の指揮で襲ってきた山賊一味を迎え撃つのだった。

宮原村の浄心寺家へ帰ってきた空也は、空也が東郷示現流の酒匂兵衛入道を倒したことで刺客が放たれたという眉月からの手紙を受け取った。

丸目種三郎は毎夜タイ捨流の神髄を空也に教えるが、襲い来る薩摩からの刺客を倒した空也は八代へと向かう。

そのころ江戸では薬丸新蔵が磐根と立ち合い、武芸者としてその高みを知り、小梅村の道場を紹介されるのだった。

 

恨み残さじ-空也十番勝負 青春篇』の感想

 

鹿児島の国境を守る外城衆徒という強敵を倒した空也ですが、本書『恨み残さじ-空也十番勝負 青春篇』では東郷示現流という新たな敵を迎えることになり、彼らが放った刺客との闘いに明け暮れることになります。

人吉の丸目道場に世話になっていた空也ですが、結局はこの刺客のために人吉を離れ、新たな土地へと旅立つのです。

 

この人吉の丸目道場というのは、時代小説、それも剣豪を描いた時代小説では有名な存在で、その源流を上泉伊勢守信綱の弟子である四天王の一人、タイ捨流の開祖である丸目長恵に見ることができます。丸目長恵は丸目蔵人といった方が通りがいいかもしれません。

このタイ捨流は、現在も熊本県人吉市の小田家に伝わっているそうです( ウィキペディア : 参照 )

 

本書のエピソードで、五箇荘の山の中で出会った“くれ”という女にまつわる出来事があります。でも、この出来事自体は物語の流れの中では単なる挿話であり、本筋はやはり東郷示現流との闘いということになるのでしょう。

本来は、空也の武者修行の様子が描かれると思っていたのですが、結局は物語を通しての敵役ができたようです。

その方が作者としても書きやすいのでしょうか。それとも、読者にとっても読みやすいからとそうされたのでしょうか。

『密命シリーズ』でも、当初は市井に暮らす金杉惣三郎の姿が描かれていたのですが、のちには尾張徳川家との闘いへと移っていったのも同じことなのでしょう。

 

個人的には市井の暮らしの中での主人公を見たいし、その中でシリーズを通した魅力的な敵役を設けてもらいたいのですが、それは個人的な“好み”での意見なのでしょう。

でも、その私の好みに一番近い痛快時代小説作品を挙げると、今のところは佐伯泰英作品の中では『酔いどれ小籐次シリーズ』であり、時代小説全体を見ると、辻堂魁の『風の市兵衛シリーズ』や野口卓の『軍鶏侍シリーズ』ということになります。

 

 

ともあれ、本シリーズは舞台を肥後から対馬へと移すことになります。そこではどのような展開になるものか、期待して待ちたいと思います。

げんげ 新・酔いどれ小籐次(十)

本書『げんげ 新・酔いどれ小籐次(十)』は、『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第十弾の長編の痛快時代小説です。

今回は小籐次が死んだという噂が流れるとともに、そうした噂が流れる理由が関心事となります。

 

北町奉行所の年番与力が、小籐次に面会を求めてきた。極秘の依頼があるらしい。その晩遅く、酔った小籐次が嵐のなか望外川荘に帰ろうとするのが目撃される。だが翌朝、小籐次は帰宅しておらず、小舟や蓑などだけが発見された。奉行所の依頼とは何だったのか、そして小籐次は死んでしまったのか!?緊迫の書き下ろし第10弾!(「BOOK」データベースより)

 

第一章 殿様の愛妾
お伊勢参りから帰った小籐次は、近習頭の池端恭之介から、旧主森藩の久留島通嘉がわりない仲になった娘の采女のことが奥方に知られたため、何とかしてほしいと泣きつかれた。小籐次は阿蘭陀宿の長崎屋へ、お納戸役の国兼鶴之丞をつけて送り込むのだった。

第二章 げんげ見物
帰りそびれた小籐次を心配して久慈屋へと様子を見に来た俊太郎は小籐次とともに久慈屋の店先で研ぎに精出すが、明日は押上村にげんげの花を見に行こうと仕事も早々に帰り支度を始めるのだった。「げんげ」とは蓮華草のことであり、翌日、おりょうらとともに押上村へとげんげの花を見に行く小籐次らだった。

第三章 妙な頼み
小籐次が北町奉行所年番方与力の米郷主水から頼まれごとをした翌日、小籐次の小船が転覆しているのが見つかり、小籐次の死去が確実となった。そこに公儀の呉服御用達後藤縫殿助の店について空蔵が、呉服師後藤家三代の奇禍について老中青山忠裕の密偵おしんが、それぞれ小籐次を訪ねてきた。

第四章 小籐次の死
俊太郎は新兵衛長屋に隠しておいた次直も金子もなくなっていることに気づき、小籐次の死について中田新八とおしんに尋ねるのだった。俊太郎はその夜から新兵衛長屋で過ごすこととしたが、案の定「今晩九つ半、芝口橋」との文が届いた。

第五章 死に損ない
九つ半近く、陣笠に羽織袴の捕物出役姿の与力が、同心二人と御用提灯を手にした小物数人を従えて久慈屋に戸を開けるように言ってきた。

 

本書『げんげ 新・酔いどれ小籐次(十)』では、小籐次の旧主である森藩の久留島通嘉の女遊びの後始末に奔走する小籐次の姿から始まります。

ただ、この藩主の尻ぬぐいの話は本筋ではなく、小籐次死亡の疑いこそが本筋の物語です。こちらの話だけで一編の物語ができそうと素人ながらに思うのですが、作者はわざわざ細かなエピソードとして挿入しています。

作者は、小籐次と旧主久留島通嘉との繋がり、それも久留島通嘉の女遊びの尻ぬぐいという下世話な世話焼きまでやるという親密さを描いておくことに意味があると思われたのでしょう。

 

ともあれ、小籐次の死亡という一大事件が巻き起こる本書『げんげ』ですが、そこにはこの事件の裏をも見通すまでに成長した息子俊太郎の姿がありました。

この作者には今では完結している人気シリーズの『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』があり、その続編『空也十番勝負シリーズ』でも磐音の息子の空也の活躍が描かれています。この続編は剣豪小説と言え、また剣の道に邁進する少年の姿を描いた青春小説とも言えそうです。

しかし、本『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の場合はあくまでも小籐次がメインであり、俊太郎はシリーズの彩りでしかありません。

とはいえ、大きな彩りであり、今後このシリーズの大きな柱となっていくことに間違いはないと思われます。

 

 

この『酔いどれ小籐次留書シリーズ』も、市井に暮らす浪人小籐次の普通の生活、という流れから、おりょうを娶り、優雅な生活を得た『新・酔いどれ小籐次シリーズ』へと変化していて、とてものことに貧乏浪人の物語からは遠ざかっています。

磐音の物語が途中から高尚な剣豪小説の趣をまとい始めたようにはならずにいてほしいと思います。本来は貧乏浪人小籐次の活躍をこそ見たいのですが、せめて現在の小籐次のままでいてほしいのです。

船参宮 新・酔いどれ小籐次(九)

小籐次は久慈屋の大旦那・昌右衛門に同道を請われ、手代の国三を供に伊勢神宮へと旅立った。昌右衛門はなにか心に秘すことがあるようだが、なかなか小籐次にも心の内を語らない。
小籐次一行は大井川で川止めにあい、島田宿に留まることを余儀なくされるが、たまたま地元の悪に絡まれていた旅籠・紋屋鈴十の隠居を助けたことから、紋屋の舟型屋敷に逗留させてもらうことになった。その間、島田宿の本陣で賭場を開き、旅人や地元の人間を餌食にしていた自称・京都所司代勘定方と、地元の悪党勢力を一掃する。
ようやく川止めが明け旅を再開することになったが、紋屋に勧められ、旅程を急ぐために船を使って海路伊勢に向かう「船参宮」をすることとなった。
その道中、そして伊勢に入ってからも、島田宿で小籐次から逃げおおせた神路院すさめと名乗る妖しい黒巫女が一行をつけ狙うが……。
昌右衛門の出生の秘密が明かされ、小籐次が留守の江戸では駿太郎が研ぎを請け負う。それぞれが人生の新たな一歩を踏み出すことを予感させる、書き下ろし第9弾。(「BOOK」データベースより)

 

新・酔いどれ小籐次シリーズの第九巻の長編の痛快時代小説です。

 

第一章 川止め
手代の国三とともに久慈屋昌右衛門の供で伊勢に向かう小籐次は、島田宿の問屋場で川止めを知らされた。立ち往生する小籐次たちは渡世人らにからまれている老爺紋屋鈴十とその孫娘らを助け、紋屋鈴十の舟形屋敷に泊めてもらうことになった。しかし、この島田宿では京都所司代勘定方の猿橋飛騨が胴元の博場が皆に迷惑をかけているのだった。

第二章 島田宿の騒ぎ
白髪の熊五郎と宮小路の猪助を倒した小籐次と鈴十は、島田宿の人が中本陣と呼ぶ久保田家に忍び込み、猿橋飛騨らも倒してしまう。ただ神路院すさめだけはいち早く逃げ出していた。鈴十の口利き状を手に遠江国の舞坂宿まで来た小籐次らは、白犬を連れた三吉らの七~八人の抜け参りの子供らに出会うのだった。

第三章 抜け参り
鈴十から船参宮という知恵を授けられた昌右衛門らは、廻船問屋の遠江屋助左衛門を訪ねた。渡し船に乗れないでいた抜け参りの子供らもともに連れて乗り込んだ龍吉主船頭の松坂丸は、途中神路院すさめに操られた二見丸に追い越されたものの、小籐次らを五十鈴川河口まで送るのだった。

第四章 内宮参拝
古市宿の御師彦田伊右衛門が代々経営する旅籠彦田屋に泊まった小籐次らは、先代の御師彦田伊右衛門大夫に会う。この旅の目的だったお円という女性のことを尋ねた昌右衛門は、お円が幸せに暮らし、十七、八年も前に亡くなったことを知る。

第五章 高麗広の女
神宮の鎮護の霊場金剛證寺に参った小籐次らを待っていたのは、弟の勉次が女にさらわれたと泣きじゃくる三吉がいた。小籐次らはシロを先導として神路院すさめから勉次を助けるべく出立するのだった。

 

今回の小籐次はかねてから昌右衛門との約束だったお伊勢参りへの旅の物語です。

昌右衛門の出自にまつわる秘密が明らかになる旅でもありますが、そのこと自体は小籐次の物語としてはあまり重要ではありません。

それよりも、お伊勢参りという江戸の庶民の一大イベントの紹介文という趣が大きい印象の物語でした。

 

そもそも本書のタイトルである「船参宮」という言葉が初めて聞いたものでしたし、他に「抜け参り」などの仕組みも紹介してあります。

「御師」とは「特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のこと」であり、特に伊勢神宮のものは「おんし」と読んだとありました( ウィキペディア : 参照 )

こうした「御師」や「抜け参り」などのお伊勢参りの仕組みも物語の中に組み込まれていて、つまりはトリビア的な知識も散りばめられながらも、もちろん小籐次の活躍する場面も準備された一編になっています。

 

お伊勢参りをテーマにした物語といえば、朝井まかての『ぬけまいる』などの三人の女の道中記を描いたコミカルな物語もありました。この作品はNHKの「土曜時代ドラマ」でもテレビドラマ化されました。

 

 

新しくなった小籐次の物語も若干落ち着いてきたように感じます。つまりはこれまでの物語がそうであったように、あまり意外性や爽快感を感じにくくなってきています。

ここまで長いシリーズですからある程度は仕方がないところでしょうが、それでもなお痛快時代小説としての面白さを取り戻してほしい切に願う次第です。

銀翼のイカロス

本書『銀翼のイカロス』は、『半沢直樹シリーズ』の第四弾の長編の痛快経済小説です。

そして、大ヒットテレビドラマ2020年版「半沢直樹」の「第二部」の原作となった物語でもあります。

 

出向先から銀行に復帰した半沢直樹は、破綻寸前の巨大航空会社を担当することに。ところが政府主導の再建機関がつきつけてきたのは、何と500億円もの借金の棒引き!?とても飲めない無茶な話だが、なぜか銀行上層部も敵に回る。銀行内部の大きな闇に直面した半沢の運命やいかに?無敵の痛快エンタメ第4作。(「BOOK」データベースより)

 

今回の作品では航空会社の再建に手を染める半沢直樹が描かれます。

と言っても、実際の問題は、政権交代した新政府の新しい国土交通大臣が立ち上げたタスクフォースが要求する債権放棄の要求をいかに処理するかという問題です。

 

本作品で描かれる新しく政権に就いた政党のモデルは民主党であり、現実に行われた前原誠司国土交通大臣のタスクフォースを前提に、民主党の蓮舫議員を思わせる白井亜希子国土交通大臣という架空のキャラクターが登場します。

そして再建の対象となる航空会社のモデルは日本航空でしょう。

しかし、民主党政権の是非については人それぞれにあるところでしょうが、それはここでの問題ではありません。

 

「タスクフォース」とは、「緊急性の高い、特定の課題に取り組むために設置される特別チームのこと。」だとありました(コトバンク : 参照 )。

このタスクフォースのとりまとめをしているのが及原正太弁護士であり、この及原弁護士が今回の敵役となります。それに加え東京中央銀行内部での反半沢派の代表として紀本平八常務が立ちふさがります。

 

これらの登場人物が、民間航空会社の再建騒動を題材に、いつもながらの私的な怨念や権力欲、金銭欲などを抱えつつ、自身が有する権力をもって企業の将来を左右する振る舞いに出ます。

具体的には新しいタスクフォースが銀行団に対し提示した債権放棄要求であり、半沢にとっては東京中央銀行に対する五百億円の債権放棄要請でした。

この理不尽な要求に対し、半沢は、半沢の良き理解者である営業部長の内藤寛や検査部の富岡、半沢の尊敬する中野渡頭取などの後ろ盾を得ながら、種々の方策をもって対抗するのです。

 

半沢は「オレは、基本は性善説だ。だが、悪意のある奴は徹底的にぶっ潰す。」という人間であり、この言葉の延長上に「倍返しだ!」の名台詞があります。

そして、結局はこの言葉の通りに相手をぶっ潰していく半沢の行動にカタルシスを感じることになります。

勿論、そうした痛快さは半沢の言葉行動だけではなく、信念をもって行動する半沢の仲間らの言動などにも表れています。

そうした場面の中の一つとして、本書のクライマックスで中野渡頭取が述べる頭取としての経営者の責任に言及する言葉などがあります。こうした言葉が読み手に迫り、心に残るのでしょう。

 

蛇足ですが、民間航空会社の再建に口を出してきた新国土交通大臣白井亜希子のパフォーマンスについて、政権が変わったからといって、それまでの政権が築き上げてきた再建計画を新大臣の一言で全くの白紙にすることができることに驚きでした。

大臣の権力というものは、そこまで大きいものなのですね。

 

2020年7月からは前巻『ロスジェネの逆襲』と本書『銀翼のイカロス』とを原作として、前回同様にTBS日曜劇場でテレビドラマ『半沢直樹』が放映されました。

演技派の役者さんらが演じたドラマは当然のことながら非常に面白いものでした。

歌舞伎の向こうを張ったような大げさともいえる演技が、それに見合う台詞と共にドラマの雰囲気と見事にマッチして楽しみなドラマとなっていました。

原作ではいない筈の大和田常務の大活躍が非常に楽しみであり、また片岡愛之助氏の黒崎駿一の活躍もまた同様でした。

ドラマとしての『半沢直樹』はもうつくられないということは残念ですが、小説版は続編が出るということなので楽しみにしたいと思います。

魔女の封印


魔女の封印』とは

 

本書『魔女の封印』は『魔女シリーズ』の第三弾で、2017年12月に文藝春秋からハードカバーで刊行され、2018年12月に文春文庫から307+334頁の文庫として出版された、長編のハードボイルド小説です。

 

魔女の封印』の簡単なあらすじ

 

特殊能力を活かし、裏のコンサルタントとして生きる女・水原は、旧知の湯浅に堂上という男の調査を依頼される。実は堂上の正体は新種の頂点捕食者―人のエネルギーを摂取して生きる―であることが判明し、さらに中国で要人暗殺に係わった頂捕が日本に潜入しているという。そんな折、水原と接触した堂上が行方を絶つ。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

水原は、自分の存在意義や能力を知らされた中国人の頂点捕食者が、ある目的をもって日本にやってきたと推測する。彼らの参謀は誰か、そして目的とは―。堂上は殺され、水原は中国人頂捕たちの行方を追うが、逆に中国安全部に拉致される。その裏では、国家的な陰謀が蠢いていた。「魔女」シリーズ第3弾。( 下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

魔女の封印』の感想

 

本書『魔女の封印』は、『魔女シリーズ』も第三巻目となる長編のハードボイルドエンターテイメント小説です。

登場人物
水原 裏社会のコンサルタント。男の人間性を一瞬で見抜く能力を持つ。
星川 元警官で性転換した私立探偵。水原の相棒。
湯浅 元警視庁公安部の刑事。現在は国家安全保障局(NSS)に所属
堂上保 東京・虎の門の古美術店「堂上堂」のオーナー。
須藤謙作 大阪の探偵。関西の広域暴力団・星稜会の依頼で堂上を調査中。
西岡タカシ ウエストコースト興産の事実上の経営者。
酒井 健康開発総合研究センターで頂点捕食者理論を専門にする女性研究員。
森まなみ ウエストコースト興産北京支店社員。
希家貴 ウエストコースト興産北京支店社員。
江峰 中国人グループのリーダー。日本に潜伏中。

前巻『魔女の盟約』で韓国とさらには中国の国家機関まで巻き込んで一大スケールアップした展開を見せたこのシリーズでしたが、今回は“頂点捕食者”なる存在を引っ張り出し、また中国安全部を巻き込んだ、人間という存在そのものへの考察を不可避とする物語を繰り広げています。

 

これまでもシリーズのサブメンバー的に登場してきていた湯浅から頼まれ、水原は堂上という男の調査を依頼されます。しかし、彼は水原の能力をもってしてもその人間性を全く感知できない男でした。

じつは堂上という男は、生態系の中で最上位に位置する、他人の生命力を吸い取る能力を持った「頂点捕食者」と名付けられた一億人に一人の割合で発言するらしい、“新人類”ともいうべき存在だったのです。

そこに中国の国家主席に対する「頂点捕食者」による暗殺計画の話が絡んできます。

湯浅は、十四億人弱という人口を有する中国には十人以上の頂点捕食者がいるはずであり、そのうちの何人かが日本に来ていて、中国安全部の人間も彼らを捕らえるために来日しているというのです。

そこに、これまでも水原と因縁の深い西岡タカシが経営するがウエストコースト興産が絡んできたのでした。

 

本シリーズは、男の人間性を見抜く能力を持つ女という、そもそもの設定自体がかなり突飛なものでしたが、巻を重ねるごとに一段とその度合いを増しています。

多分シリーズ最終巻となる本書では、動物の生態系の頂点にいる存在まで出てきました。それが「頂点捕食者」と名付けられた存在で、他者の生命エネルギーを吸い取り、それを自らのものとするのです。

地球上の動物の頂点にいると考えられている人類は、自分が食物にされることのない最上位の捕食者であるにはその数が多すぎ、自然の摂理は新たな頂点捕食者を創り出すというのです。

ただ、食物連鎖緒の頂点にいるにしてはその数が少なすぎ、また攻撃能力も有していないというのは自らの存在を確保し難く、自然の摂理が生み出すにしてはあまりに弱い存在である気もしますが、それはまあいいでしょう。

ここらの問題を突き詰めていくと、増えすぎた人間存在への考察へと進み、戦争や飢餓などの集団殺戮へと行きそうになり、収拾がつかなくなりそうです。

 

ともあれ、そうした存在として堂上という男が登場します。この男が存在感があります。この堂上と水原との会話は大人の会話としてかなり読みごたえがありました。

特に堂上が水原を評価する場面は、常に自分の存在を否定しがちに思える水原の内面をも見抜いているようです。水原に「問題は、すべきでないことをあの人にしていると、思っているあたし」と言わせるほどですから。

こうした会話の場面を書けること自体が、大沢在昌という作家の力量を示しているといえるのでしょう。

 

一億人に一人という存在を設定したことで、日本には一人、もしかしたら二人の「頂点捕食者」がいることになります。

それに対し、中国には十人以上の「頂点捕食者」がいる筈であり、当然中国政府が知らない筈はありません。そして中国安全部が絡んでくる話になってきます。

更には、西岡タカシや星稜会も加わり、いつものサスペンスアクション小説としての展開となるのですが、どうしても水原やその相棒的存在の星川との会話や水原の独白なりが増えています。

それは、この作者らしく、荒唐無稽な舞台設定なりのリアリティを追及してあるため、どうしても物語の流れを整理していく必要があるのでしょう。

しかし、前巻でも感じたように、人間関係が入り組みすぎて、若干筋を見失いがちになりました。その点がもう少し単純であれば読みやすいかとは思った次第です。

 

最終的に思いもかけない形でこの物語は終わりますが、その結論には異論もあるところかもしれません。とはいえ、それ以外にはない気もします。

 

読み終えて、大沢在昌という作家に対しての私の好みとしては、『新宿鮫シリーズ』や『狩人シリーズ』をはじめとする地に足の着いたハードボイルドをこそ読みたいのだ、と改めて思いました。

 


ハング

警視庁捜査一課の堀田班は、宝飾店オーナー殺人事件の容疑者を自供により逮捕。だが公判では自白強要があったと証言され、翌日、班の刑事の一人が首を吊った姿で見つかる。そしてさらなる死の連鎖が…。刑事たちは巨大な闇から仲間を、愛する人を守ることができるのか。誉田作品史上もっともハードな警察小説。(「BOOK」データベースより)

 

本書はジウサーガの冒頭を飾る「ジウ三部作」および『国境事変』に続く第五巻目となる長編の警察小説です。

そして本書『ハング』に続いて『歌舞伎町セブンシリーズ』へと入っていくことになりますが、『国境事変』と本書『ハング』はジウサーガの中でもスピンオフ的な位置を占めるといえるでしょう。

 

特捜一係の「堀田班」がやっととることができた休暇の一日、薄曇りの中海で過ごす仲間の姿が描かれる「序章」からこの物語は始まります。

警察小説の書き出しにしては非常に珍しい幕開けですが、そこは本書の展開が暗く切ない展開になることの暗示というべき明るさです。青春小説を書かせても第一人者である作者の腕の見せ所でもあります。

その後、第一章の始まりでは、総理すらもその手の中で転がすことが可能な政界の大物の会話の場面へと移り、彼らの手の中で翻弄されるであろう現場の刑事たちの行く末が示されます。

警視庁刑事部捜査第一課の遊軍である第五強行犯捜査特別捜査第一係「堀田班」は、堀田次郎警部補を主任とし、植草利巳、津原英太、小沢駿介、大河内守という四人の巡査部長から構成されています。

この堀田班に迷宮入りした殺人事件の再捜査が命じられます。犯人と目される男の自供を得たものの、突然、堀田班のメンバーに異動の辞令が出、仲間はバラバラになるのでした。

 

本書の主人公といえば津原英太ということになると思います。

じつは、この人物は本書『ハング』に続く『歌舞伎町セブン』に正体不明の殺し屋ジロウとして再び登場してきます。このジロウの得意技として本書の殺し屋馳卓が使う吊るしの技を引き継いでいるのです。

最初に本書を読み終えた時点ではこの津原英太がジロウになったのだとは全くわかりませんでした。この津原英太、そして伊崎基子がそれぞれにジロウとミサキとして「歌舞伎町セブン」のメンバーとして復活することは『歌舞伎町セブン』の当初から決めていたという作者の言葉がありました(ダ・ヴィンチニュース : 参照)。

この事実が明確になったのは、『歌舞伎町セブン』に続く『歌舞伎町ダムド』においてです。ジウにあこがれる殺し屋の「ダムド」に絡む物語ですが、その中でジロウとミサキの背景が明らかにされています。

 

本書『ハング』に戻りますが、命じられた再捜査の過程において、堀田班のメンバー個々人の警察官としての未来は絶たれ、命すらも奪われてしまうに至ります。

生き残った者には怒りしか残されてはおらず、その矛先はこの事件を仕掛けた真の人間に対し向けられます。

 

直接的には顔を焼かれた男、すなわち殺し屋の馳を直接の犯人として追い、その上で馳の背後にいる真の敵に対して戦いを挑む一人の男の姿が描かれていくことになるのですが、そこにあるのは切なさです。

本書冒頭の底抜けの明るさからの落差が、いま生き残った男の悲痛な状況を際立たせ、そこに班長だった堀田のあたたかさが迫ります。

「ジウ三部作」から「歌舞伎町セブン」の物語への橋渡し的なこの物語ですが、その暗さにもかかわらず、『歌舞伎町セブン』から始まる新たな物語の序章として実に読み応えのある作品として仕上がっています。

 

今回、あらためて「ジウ三部作」からジウサーガを読み直してみて、当初は感じなかった大きな物語の流れの中に位置づけられるそれぞれの話、という印象を抱きました。

まだ再読の途中ではありますが、個々の小説が持つ意味が少し変化し、物語の世界が大きく広がっていることに気が付き、物語の舞台背景などが大きく意味を持ってきたりと変化しているのです。

読み手の意識次第で物語から受ける印象もかくも変わるものだと、印象付けられる体験でもありました。やはり誉田哲也の小説は面白い。

ロスジェネの逆襲

本書『ロスジェネの逆襲』は、『半沢直樹シリーズ』の第三弾の長編の痛快経済小説です。

そして、大ヒットテレビドラマ2020年版「半沢直樹」の「第一部」の原作となった物語でもあります。

 

子会社・東京セントラル証券に出向した半沢直樹に、IT企業買収の案件が転がり込んだ。巨額の収益が見込まれたが、親会社・東京中央銀行が卑劣な手段で横取り。社内での立場を失った半沢は、バブル世代に反発する若い部下・森山とともに「倍返し」を狙う。一発逆転はあるのか?大人気シリーズ第3弾!(「BOOK」データベースより)

 

前巻『オレたち花のバブル組』で老舗ホテルの再建という難題を何とかクリアした半沢直樹でした。

しかし、結局は上層部の反感を買い、現在は東京中央銀行の証券子会社である東京セントラル証券へ出向させられ、現在は営業企画部長という地位にあります。

 

 

その半沢のもとに急成長のIT企業の電脳雑伎集団から同業の東京スパイラルを買収するためのアドバイザー業務依頼の仕事が舞い込んできます。

早速、営業企画部次長の諸田祥一を中心にアドバイザーチームを立ち上げますが、企業買収の経験が浅い諸田は電脳雑伎集団からは敬遠されてしまい、結局は東京セントラル証券の親会社である東京中央銀行に業務を横取りされてしまいます。

しかし、この横取り劇には隠された裏の事情があったのです。

 

以上のように、今回の『ロスジェネの逆襲』での半沢直樹の物語は「企業買収」がテーマになっています。

「企業買収」など、普通の人には関係のない話であり、その実態は全く分からないと言ってと思います。

企業買収」とは、誤解を恐れずに言えば、企業が成長するためには新しい知識や人材、組織などを育てていく必要がありますが、その過程を省略し、既存の会社を傘下に収めることによって成し遂げようとする仕組みです。

既存の会社を傘下に収めるということは、株式会社であれば原則は「株式」の過半数を手に入れることでその会社の意思決定過程を支配することができます。

また、「買収」には買収される側の同意の有無によって「友好的買収」と「敵対的買収」とがあり、買収対象の会社の経営陣が買収を拒否した場合などは「敵対的買収」として株式を買ったり、TOBを実施することで株式を取得することになります。

ここでTOBとは株式公開買付のことと言います。ここらの話については山田コンサルティンググループ株式会社の「会社の買収とは」に詳しく説明してありますので、そちらを参照してください。

 

私にも「企業買収」の詳細は全くの未知の世界です。実際は複雑な手続きや手法、実体などがあるそうですが、そこまで追求することはここでの本題からはなれてしまいます。

本書『ロスジェネの逆襲』ではまさにここの敵対的買収に入ることになり、株式の獲得を巡る攻防が繰り広げられるのです。

 

既述のように「企業買収」の実態がどのようなものであるのかは私にはわかりません。ただ、ニュースや経済記事などで知る企業買収の実態は確かにきれいごとだけでは済まないことがありそうです。

本書『ロスジェネの逆襲』で描かれている状況もまさにそれで、法的に問題のある手法や、嘘、欺瞞など、とても銀行マンの為すこととは思えない事柄が山のように出てきます。

そうした権謀術数の中で、友人の持つ情報網などを駆使して相手の姑息な手段の裏をかき、半沢たちの陣営の勝利を勝ち取るのです。

その過程は読者にとって企業買収についての新たな知識を得ることができる場であり、既存の知識の確認の場でもあります。

 

殆どの場合、専門的な事柄も単純化され、一般素人にもわかりやすく、かみ砕いて描写してあるため、もしかしたら専門的知識を有する読者にとっては当たり前の事柄を描いてるだけなのかもしれません。

しかしながら、単に未知の知識の獲得というだけでなく、痛快小説としての面白さがそれに加わります。この点こそが池井戸潤の小説が読者にカタルシスをもたらしてくれるのです。

それは、半沢が声高に主張する「ひたむきで誠実に働いた者がきちんと評価され」なければならないし、また「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする」ものだという言葉に対する共感でもあります。

 

2020年7月からは本書『ロスジェネの逆襲』と『銀翼のイカロス』とを原作としてTBS日曜劇場で放映されました。

コロナ下で放映延期や収録が間に合わず途中出演者の生放送での対談を挟むなどのエピソードもありながら、1017年版と同様に大ヒットしました。

今回は、2017年版に登場し大人気となった大和田常務が原作では登場しないにもかかわらず、重要な役柄で全編にわたり登場します。

これはやはり大和田常務を演じた香川照之氏の演技に視聴者が喝采を送ったことによるものであることは異論はないでしょう。

このことはまた国税庁大阪国税局査察部統括官であった黒崎駿一を演じた片岡愛之助氏にも当てはまります。

 

『ロスジェネの逆襲』以降、半沢直樹の物語はまだ続きます。期待するばかりです。

声なき蝉-空也十番勝負 青春篇

直心影流の達人坂崎磐音の嫡子空也は十六歳で武者修行の旅に出た。向かったのは他国者を受け入れない“異国”薩摩。そこに待ち受けるのは精霊棲まう山嶺と、国境を支配する無法集団の外城衆徒。空也は名を捨て、己に無言の行を課して薩摩国境を目指す。出会い、試練、宿敵との戦い…若武者の成長を描いた著者渾身の青春時代小説が登場( 上巻 :「BOOK」データベースより)

瀕死の状態で薩摩入りを果たした坂崎空也は前薩摩藩主島津重豪の御側御用を務めた渋谷重兼と孫娘の眉月に命を救われる。再起した空也は、野太刀流の薬丸新蔵と切磋琢磨して薩摩剣法を極めていく。そんな中、空也を付け狙う外城衆徒が再びその姿を現した。試練に立ち向かう若者の成長を描いた著者渾身の書き下ろし青春時代小説。( 下巻 :「BOOK」データベースより)

 

居眠り磐音江戸双紙シリーズ』が終了し、多分その続編として位置づけられる『空也十番勝負』の第一巻となる長編の痛快時代小説です。

 

 

朝稽古を終えた磐根のもとに薩摩藩島津家江戸藩邸用人膳所五郎左衛門からの、薩摩藩国境見廻り衆の「外城衆徒」により、若い武芸者が闘争し身罷ったとの知らせが届いた。

その少し前、浄心寺新左衛門らは、薩摩に入るために口を利かぬ行を己に課した若者に宿を貸したため、薩摩藩国境見廻り衆の「外城衆徒」らに殺されてしまう。

晩秋にいたり、若者は肥後国球磨郡宮原村の名主である新左衛門の息子の浄心寺帯刀らとともに新左衛門らの亡骸の回収をしに牛の峠へと入り、襲い来る外城衆徒らを退け、遺体を火葬に付し、旅立つのだった。

その後、若者を案じで調べに出かけた霧子が峡谷で見たものは、石卒塔婆の頂で襲い来る外城衆徒の一団を撃退しつつ、力尽きて滝壺に落下する若者の姿だった。

寛政七年の師走、渋谷重兼と十四歳の孫娘眉月は枯れ葭にに引っかかった一人の若者を見つけ看病をする。若者は記憶を断片的には失いながらも生き延びたのだった。

白木軍兵衛の名を借りた若者は、重兼らとともに薬丸新蔵の野太刀流の薬丸道場へと行き、加治木島津家の当代領主島津久微の見守る中、薬丸新蔵と本気の稽古をし、記憶を取り戻すのだった。

 

居眠り磐音江戸双紙シリーズ』は、市井に暮らす浪人を主人公とした痛快時代小説として始まったのですが、巻を重ねるにつれ物語はスケールアップをし、田沼意次や更には将軍家をも巻き込む一大大河小説へと成長してきました。

主人公の磐根も、悲惨な過去を背負いながらも明るく爽やかに過ごす素浪人として、まさに痛快小説の主人公であったのですが、襲い来る敵を倒し続ける間に、いつの間にか天下無双の剣豪へとなってしまった印象があります。

空也十番勝負シリーズ』の項でも書いたように、佐伯泰英のすでに終了していたもう一つの人気シリーズ『密命シリーズ』の主人公金杉惣三郎の影をも重ね合わせて見える気がしたものです。

 

 

ところで、本『空也十番勝負シリーズ』は、その剣豪磐根の姿を継いだ磐根の息子空也を主人公とする長編の痛快青春時代小説です。

つまりは『密命シリーズ』において金杉惣三郎の息子清之助の物語へと変貌していったように、本シリーズも磐根から空也へと主人公がバトンタッチしたとも言えそうです。

 

空也は剣の道を極めようと武者修行に出立し、まずは薩摩で示現流を学ぼうとします。そこでわが郷土熊本の南に位置する人吉から薩摩に入ろうとする空也からこの物語は始まります。

薩摩藩の国境を守る「外城衆徒」という一団との闘いは、薩摩藩内部における権力闘争とも絡み、空也をめぐり熾烈な戦いが繰り広げられることになります。

そして、そのことは薩摩示現流との闘争をも生むことになり、今後の空也の敵役として戦い続けることになるのでしょう。

 

また、青春小説としての恋模様も描かれ、空也を助け介抱した渋谷重兼の孫娘眉月との今後の展開もまた気になるところではあります。

勿論、江戸にいる磐根一家の姿も描写されていて、一度は空也の死を覚悟した磐根やおこんの悲痛な日々さえをも見ることができるのです。

とにかく、居眠り磐音の新たな物語として期待が高まるシリーズであることは間違いなく、その期待に十分に応えることができているのが本『声なき蝉-空也十番勝負 青春篇』だといえると思います。

花だより みをつくし料理帖 特別巻

澪が大坂に戻ったのち、文政五年(一八二二年)春から翌年初午にかけての物語。店主・種市とつる家の面々を廻る、表題作「花だより」。澪のかつての想いびと、御膳奉行の小野寺数馬と一風変わった妻・乙緒との暮らしを綴った「涼風あり」。あさひ太夫の名を捨て、生家の再建を果たしてのちの野江を描いた「秋燕」。澪と源斉夫婦が危機を乗り越えて絆を深めていく「月の船を漕ぐ」。シリーズ完結から四年、登場人物たちのその後の奮闘と幸せとを料理がつなぐ特別巻、満を持して登場です!(「BOOK」データベースより)

 

 

みをつくし料理帖シリーズの番外編です。

澪が去ったあとの「つる屋」店主の種市や戯作者の清右衛門の様子を描く「花だより」。
かつての澪の想い人である小野寺数馬の妻乙緒の姿を描く「涼風あり」。
澪の幼馴染みで吉原に売られた野江のその後を描く「秋燕」。
そして源斉と一緒になり大阪で暮らす澪の様子を描く「月の船を漕ぐ」の四編が収められています。

 

花だより ―愛し浅蜊佃煮
自分が助けた水原東西と名乗る行き倒れの易者から寿命を告げられた「つる屋」店主の種市は元気をなくし、戯作者の清右衛門とともに、大坂にいるお澪坊に会いに出立した。ところが、小田原宿で本物の水原東西と会い元気を取り戻したものの、箱根宿で腰を痛め、江戸へと引き返さざるを得なくなる種市だった。

涼風あり ―その名は岡太夫
御前奉行の小野寺数馬の妻乙緒(いつを)は義妹の早帆(さほ)から、数馬のかつての想い人の澪という娘のことを聞き、「出来うるならば、己よりも相手の人生を重んじるほどに、想われたかった。」という思いに囚われてしまう。そこに、今は亡き義母の言葉を思い出す。

秋燕 ―明日の唐汁
二十年前の享和の大水で淡路屋はなくなったが、野江が事実上の主人となって「高麗橋淡路屋」として再興されていた。「女名前禁止」という大阪の掟のために新しい主人を決める必要があった野江は、自分が信頼している番頭の辰蔵を相手に、自分の吉原での生活、さらには又次とのかかわりについて話し始める。

月の船を漕ぐ ―病知らず
澪の夫源斉は、ころりが去った今も体調がすぐれず、ある日倒れてしまい、澪の心尽くしの料理にも手を付けることができないでした。医者としての無力感に心が折れかけていたものだろう。「奈落の底」を味わった野江から教えられた澪は、源斉の母親から教えられた源斉の子供のころの好物を食べさせるのだった。

 

一旦は終了したはずの「みおつくしシリーズ」の番外編が登場しました。

全部で四編の物語からなる短編集です。

 

どの物語も「みおつくしシリーズ」そのままの話であり、人情話しとして心温まる話ばかりです。

私の好みからすると若干物足りない話でもありましたが、全体的に好ましく読み終えました。

 

物足りないという点を挙げるとすれば、一つには第一話の「花だより」では“偶然”の出来事が話の要になっているところです。

またもう一つは、「秋燕」での野江の物語での、摂津屋ら江戸のお大尽たちの遊び相手として野江が選ばれ、野江の年季明けまでを買い上げてくれていたことであり、かなり野江に都合がよく、いくら短編の人情噺とはいえできすぎです。

 

とはいえ、高田郁らしい人情ものとして好ましい作品集であったことは間違いありません。物語の全体が完璧に好みに合致する話などそうはあるはずもなく、特に本書などは人気シリーズの思いもかけない番外編として気楽に楽しむことができました。

本作品をもって「みをつくしシリーズ」も終わるとの言葉が、本書巻末の「瓦版」にありました。

まだまだ、澪の物語を読みたい気もしますが、それでは作者としてもけじめもつかないということでしょう。残念ですが、高田郁の新しい物語を楽しみにしたいものだと思います。