小籐次は久慈屋の大旦那・昌右衛門に同道を請われ、手代の国三を供に伊勢神宮へと旅立った。昌右衛門はなにか心に秘すことがあるようだが、なかなか小籐次にも心の内を語らない。
小籐次一行は大井川で川止めにあい、島田宿に留まることを余儀なくされるが、たまたま地元の悪に絡まれていた旅籠・紋屋鈴十の隠居を助けたことから、紋屋の舟型屋敷に逗留させてもらうことになった。その間、島田宿の本陣で賭場を開き、旅人や地元の人間を餌食にしていた自称・京都所司代勘定方と、地元の悪党勢力を一掃する。
ようやく川止めが明け旅を再開することになったが、紋屋に勧められ、旅程を急ぐために船を使って海路伊勢に向かう「船参宮」をすることとなった。
その道中、そして伊勢に入ってからも、島田宿で小籐次から逃げおおせた神路院すさめと名乗る妖しい黒巫女が一行をつけ狙うが……。
昌右衛門の出生の秘密が明かされ、小籐次が留守の江戸では駿太郎が研ぎを請け負う。それぞれが人生の新たな一歩を踏み出すことを予感させる、書き下ろし第9弾。(「BOOK」データベースより)
新・酔いどれ小籐次シリーズの第九巻の長編の痛快時代小説です。
第一章 川止め
手代の国三とともに久慈屋昌右衛門の供で伊勢に向かう小籐次は、島田宿の問屋場で川止めを知らされた。立ち往生する小籐次たちは渡世人らにからまれている老爺紋屋鈴十とその孫娘らを助け、紋屋鈴十の舟形屋敷に泊めてもらうことになった。しかし、この島田宿では京都所司代勘定方の猿橋飛騨が胴元の博場が皆に迷惑をかけているのだった。
第二章 島田宿の騒ぎ
白髪の熊五郎と宮小路の猪助を倒した小籐次と鈴十は、島田宿の人が中本陣と呼ぶ久保田家に忍び込み、猿橋飛騨らも倒してしまう。ただ神路院すさめだけはいち早く逃げ出していた。鈴十の口利き状を手に遠江国の舞坂宿まで来た小籐次らは、白犬を連れた三吉らの七~八人の抜け参りの子供らに出会うのだった。
第三章 抜け参り
鈴十から船参宮という知恵を授けられた昌右衛門らは、廻船問屋の遠江屋助左衛門を訪ねた。渡し船に乗れないでいた抜け参りの子供らもともに連れて乗り込んだ龍吉主船頭の松坂丸は、途中神路院すさめに操られた二見丸に追い越されたものの、小籐次らを五十鈴川河口まで送るのだった。
第四章 内宮参拝
古市宿の御師彦田伊右衛門が代々経営する旅籠彦田屋に泊まった小籐次らは、先代の御師彦田伊右衛門大夫に会う。この旅の目的だったお円という女性のことを尋ねた昌右衛門は、お円が幸せに暮らし、十七、八年も前に亡くなったことを知る。
第五章 高麗広の女
神宮の鎮護の霊場金剛證寺に参った小籐次らを待っていたのは、弟の勉次が女にさらわれたと泣きじゃくる三吉がいた。小籐次らはシロを先導として神路院すさめから勉次を助けるべく出立するのだった。
今回の小籐次はかねてから昌右衛門との約束だったお伊勢参りへの旅の物語です。
昌右衛門の出自にまつわる秘密が明らかになる旅でもありますが、そのこと自体は小籐次の物語としてはあまり重要ではありません。
それよりも、お伊勢参りという江戸の庶民の一大イベントの紹介文という趣が大きい印象の物語でした。
そもそも本書のタイトルである「船参宮」という言葉が初めて聞いたものでしたし、他に「抜け参り」などの仕組みも紹介してあります。
「御師」とは「特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のこと」であり、特に伊勢神宮のものは「おんし」と読んだとありました( ウィキペディア : 参照 )
こうした「御師」や「抜け参り」などのお伊勢参りの仕組みも物語の中に組み込まれていて、つまりはトリビア的な知識も散りばめられながらも、もちろん小籐次の活躍する場面も準備された一編になっています。
お伊勢参りをテーマにした物語といえば、朝井まかての『ぬけまいる』などの三人の女の道中記を描いたコミカルな物語もありました。この作品はNHKの「土曜時代ドラマ」でもテレビドラマ化されました。
新しくなった小籐次の物語も若干落ち着いてきたように感じます。つまりはこれまでの物語がそうであったように、あまり意外性や爽快感を感じにくくなってきています。
ここまで長いシリーズですからある程度は仕方がないところでしょうが、それでもなお痛快時代小説としての面白さを取り戻してほしい切に願う次第です。