警官の酒場

警官の酒場』とは

 

本書『警官の酒場』は『北海道警察シリーズ』の第十一弾作品で、2024年2月に416頁のハードカバーで角川春樹事務所から刊行された長編の警察小説です。

本書をもってこのシリーズも終わると聞いていて残念に思っていたのですが、実際は第一シーズンが終わるということで一安心しているところです。

 

警官の酒場』の簡単なあらすじ

 

捜査の第一線から外され続けた佐伯宏一。重大事案の検挙実績で道警一だった。その佐伯は、度重なる警部昇進試験受験の説得に心が揺れていた。その頃、競走馬の育成牧場に強盗に入った四人は計画とは異なり、家人を撲殺してしまう。“強盗殺人犯”となった男たちは札幌方面に逃走を図る…。それぞれの願いや思惑がひとつに収束し、警官の酒場にある想いが満ちていくー。大ベストセラー道警シリーズ、第1シーズン完!それぞれの季節、それぞれの決断ー。(「BOOK」データベースより)

大通警察署生活安全課の小島百合は、スマホを奪われたという女子高校生についての報告書を読んでいるときに、女性の緊急避難所を開設しているボランティアグループの山崎美知から暴力団風の男たちから嫌がらせを受けていると連絡があった。

佐伯宏一は、近頃認知症の兆候を見せてきている父親の身を案じながらも上司と共に刑事部長から警部昇任試験についての話を聞いていたが、直ぐに設備業者のワゴン車の盗難事件発生を告げられた。

津久井卓巡査部長と滝本浩樹巡査長は人質立てこもり事件を解決した後、競走馬の育成牧場での強盗殺人事件についての連絡を受けていた。

 

警官の酒場』の感想

 

本書『警官の酒場』は『北海道警察シリーズ』の第十一巻となる作品で、本作品をもって第一シーズンが終わるそうです。

まずはシリーズ自体は継続するということで安心しましたが、本書の終わり方が終わり方なので、今後の展開がどうなるものか期待が膨らむばかりです。

 

本書でも例によって佐伯宏一警部補、津久井卓巡査部長、小島百合巡査部長という三人の警察官のそれぞれが別事件を追いかけています。

でも、佐伯の部下であり相方でもある新宮昌樹巡査も第一話からの佐伯のコンビとして登場していますので、新宮巡査も加えて四人の物語といった方がいいのでしょう。

本書では、佐伯宏一と新宮昌樹のコンビは古いワゴン車の盗難事件を、津久井卓は闇バイト問題が絡んだ競走馬育成牧場での強盗殺人事件を、そして小島百合は女子高生のスマホ盗難事件を担当しています。

 

これらの事件を捜査するなかで得られた細かな情報が、互いに認識しないままに関連してくる様子が、読者にはよく分かるように物語が進行していくのはこのシリーズのいつものパターンです。

いつものパターンではあってもマンネリ化に陥ることはなく、それぞれの捜査の丁寧な描写は物語の展開にリアリティを与えています。

またそれと共に、サスペンス感に満ちているのはやはり作者の筆力の為すところだと思われます。

 

このように、本書『警官の酒場』のストーリーも本シリーズのパターンに則った運びですが、もう一つの本シリーズの特徴である、時事的な事柄を物語に織り込んでいるという点もまたあてはまります。

それは「闇バイト」の問題であり、一面識もない連中が高額報酬に惹かれて当該強盗事案のためにだけ集まり、犯行を遂げるというものです。

しかし、公にできない金があるはずの競走馬育成牧場に押し入るだけの犯行の筈が、気の短い仲間の一人が予想外の行動に出て被害者を殺してしまい、機動捜査隊の隊員である津久井卓巡査部長がこの強盗殺人事件を追いかけることになります。

この闇バイトに集まった個々人の描写もその心の動きまで丁寧に押さえてあるところなど、このシリーズがリアリティに満ちている理由がよく分かります。

 

また、本書『警官の酒場』はシリーズの第一シーズンの終わりということで、中心となる四人それぞれの今後が示唆されています。

そのことは作者の佐々木譲自身がこの北海道警察シリーズの生みの親でもある角川春樹との対談の中で、「それぞれの個人史としても区切りがつけられたのではないか」と語っていることでもあり、意外といってもいい展開になっています( Book Bang : 参照 )。

そのことは、遠くない未来に始まるはずの第二シーズンに大きな期待を抱かせることにもなっているのです。

 

津久井卓は今後の捜査にはどうかかわるのか、小島と佐伯の二人の行く末はどうなるのか、そして佐伯の今後の身分は、そして何よりもこのシリーズの傾向はどうなるのか大いに期待させられます。

いまはただ続巻の刊行が待たれるばかりです。

恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)

恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』とは

 

本書『恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第26弾で、2024年1月に文庫書き下ろしで出版された長編の痛快時代小説です。

一旦は終了したはずの『新・酔いどれ小籐次シリーズ』が、赤目駿太郎の剣術家としての成長と淡い恋を書きたいとの思いから再開した、と作者自身のあとがきにありましたが、ハードルが上がっただけに若干期待とは違った印象でした。

 

恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』の簡単なあらすじ

 

江戸・三十間堀の小さな町道場が、怪しい証文を盾にした男たちから狙われている。道場主と孫娘の愛を救うため、十八歳の駿太郎は名を秘して入門する。親分や読売屋と協力して活躍する息子を見守るおりょう、隠居を考える小籐次。しかし親子への挑戦状がー伊勢まいりが大流行する中、あの鼠小僧も登場!?恋と勝負と涙の感動作。(「BOOK」データベースより)

序章

第一章 細やかな町道場
湯屋にいる小籐次駿太郎のもとに、難波橋の秀次親分がある道場の難題を相談に来た。その道場の加古李兵衛正高とその孫娘ののもとに、愛が幼い頃に出奔した父親の署名がある借用書を持って夢想谷三兄弟が道場の沽券を渡せとやってきたというのだった。

第二章 もうひとりの娘
加古道場で稽古をするようになった駿太郎が、加古正行と愛の二人を望外山荘へと連れてきた。すると、愛は駿太郎の新しい姉となり、またおりょうの娘となり、新しく望外山荘に住むこととなった薫子を姉と呼ぶようになるのだった。

第三章 お手当一両二分
師走のある日、小籐次親子が研ぎの仕事を終え帰る途中、竹屋の渡しの近くで浪人者からある姫君と奉公の女中の娘を助けた。また大晦日の大雪のため二人が川向うを見廻りに行くと、ある奇妙な一団が久慈屋に押し入ろうとするところに出会った。

第四章 新春初仕事
年の瀬から降り始めた雪のため稽古ができなくなった駿太郎は、望外山荘に近にある越後長岡藩の抱屋敷にある道場で稽古を願うことを思いつく。その後正月六日になり、望外山荘きた桃井春蔵が、十一日の桃井道場での具足開きに来てくれと言ってきた。

第五章 愛の活躍
小籐次親子が久慈屋店先での研ぎ仕事をしていると、夢想谷三兄弟が加古道場に訪れるとの空蔵からの伝言があった。日時は明記してなかったらしく、正月半ばを過ぎても、空蔵がいろいろと仕掛けでも一向に姿を見せないのだった。

あとがき

 

恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』の感想

 

本書『恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』は、一旦は終わりを迎えた『酔いどれ小籐次留書シリーズ』でしたが、作者の希望により再開されることになったシリーズ二十六巻目の作品です。

かなりの期待をもってさっそく読んでみたのですが、期待が高すぎてハードルが上がったためか、今一つという印象に終わってしまいました。

 

駿太郎の淡い恋を描きたいとの作者の意向があっての再会だそうですが、本書では新しく二人の娘が登場します。

一人は加古李兵衛道場の孫娘の愛であり、もう一人は望外山荘近くに住む片桐家の十四歳の娘の麗衣子です。

一人目の愛については、駿太郎がすぐに姉と呼び始めたので不思議に思っていると、今度は麗衣子という娘が突然に登場します。

それも前後の脈絡もなく何の背景の説明もない浪人者に攫われそうになっている娘を助けたことが知り合うきっかけです。

 

この出会いは物語のストーリーとは何の脈絡もなく突然の登場であるため、どうにもあまりに突然すぎて単なるご都合主義としか思えず、違和感しかありません。

とはいえ、この頃の佐伯泰英 作品はそうしたストーリーの進行とは無関係な登場人物がしばしば登場することがあり、そういう意味ではあまり驚きはないとも言えそうです。

ただストーリー展開とは関係のない人物の登場が多いとは言っても、それは単なる賑やかし的な浪人者やチンピラなどが主であり、今回のようなストーリー上重要な位置を占める人物については無かったことと思います。

 

また、愛の実家である加古李兵衛道場に押しかけてきた夢想谷三兄弟にしても、愛の父親である加古卜全正行の直筆と思われる二百九十両の借用証を持参しての押しかけですから、そのままに道場の土地と敷地の沽券状を取得できたと思われるのです。

それをわざわざ自分たちと加古道場の沽券状をかけて尋常の勝負を願ってくるのですから妙な話です。

このような展開は物語のリアリティを欠く展開としか言えず、読者の作品に対する感情移入を妨げるだけだと思います。というよりも私にとってはそうなのです。

せっかく一旦はシリーズ終了宣言したものを撤回するのですから、もう少しこうした点の物語の運びを考えて欲しいと思ってしまいました。

予幻

予幻』とは

 

本書『予幻』は『ボディガードキリシリーズ』の第三弾作品で、2023年12月に525頁のハードカバーで徳間書店から刊行された長編のハードボイルド小説です。

物語の展開はテンポがよく、また本書で初登場の弥生というキャラクターたちも個性豊かであり、とても面白く読んだ作品です。

 

予幻』の簡単なあらすじ

 

ハードボイルド界のトップランナー・大沢在昌の人気シリーズ
〈ボディガード・キリ〉最新刊

対象:岡崎紅火(べにか)、女子大学院生。
世界の未来を握る娘を護れ!
本名、年齢不詳のボディガード・キリの熾烈な闘い

本名・年齢不詳の凄腕ボディガード・キリは、以前の案件で知り合った
大物フィクサー・睦月から警護の依頼を受けた。

対象は岡崎紅火、女子大学院生。

先日病死した香港シンクタンク『白果』の主宰者・白中峰の娘だ。
白は生前『ホワイトペーパー』と呼ばれる会員向けの文書を発行しており、
近未来の国際情勢や世界経済を驚くほどの的中率で予測していた。
『白果』には『ホワイトペーパー』の資料となった多くの機密書類と
未発表の『ホワイトペーパー』が保管されており、中国公安部に渡るのを
危惧した紅火の母・静代は、それを娘に託し、公安部の家宅捜索前に
間一髪、香港から日本に持ち出したという。
母親の静代とは連絡が取れず、何者かに拉致された可能性が高い。
さらには『ホワイトペーパー』を入手しようと、中国のみならず、
欧米の情報機関も動いているという。
睦月の依頼は紅火の護衛と機密書類の保護。
新宿の民泊施設に紅火を移動させ、部下の女性・弥生を警護につけるという。
だがその施設から紅火が拉致された! キリは弥生とともに紅火を追う。
彼女は無事なのか? 『ホワイトペーパー』の行方は?

人気ハードボイルドシリーズ第三弾!(内容紹介(出版社より))

 

予幻』の感想

 

本書『予幻』は、『ボディガードキリシリーズ』の第三弾作品です。

岡崎紅火という女子大学院生の警護を依頼されたキリが、彼女が持っていると思われる「ホワイトペーパー」と呼ばれる情報をめぐる争いへと巻き込まれる姿が描かれている冒険小説です。

そして、大沢在昌作品らしい緻密に練り上げられた濃密な世界観を持ったハードボイルド小説として仕上がっているのです。

 

本書『予幻』の魅力はまず挙げるべきは主人公のキリというボディガードのキャラクター設定にあり、それはこのシリーズの魅力も繋がるものでしょう。

そのことは、その魅力的な主人公が活躍する物語世界が堅牢に構築されていることにも繋がっていて、この物語世界で活躍する主人公が動き回るストーリーもまた面白くできているのです。

 

キリはある事件の犯人探しをする羽目に陥りますが、その作業はボディガードという仕事の範疇を越えているようです。

しかし、そこはボディガードの仕事ではないが実質仕事の範囲内と考える必要があると独白させているように、キリ自身に物語の中でちゃんと辻褄を合わせてあります。

仮に物語が荒唐無稽な作品であったとしても、こうした辻褄、つまりはその作品としての筋が通されている作品でなければなかなか感情移入しにくいのです。

こうした丁寧な物語世界が構築されているという点がシリーズの次の魅力でしょう。

大沢在昌という作家の作品は代表作ともいえる『新宿鮫シリーズ』のようなシリーズ物はもちろん、『ライアー』のような単発の物語であってもその物語の世界が丁寧に作り上げられているので、本書の特徴というよりは大沢在昌作品の特徴というべきかもしれませんが、この点はやはりはずせないのです。

 

 

繰り返しますが、そうしたきちんと丁寧に作られた物語世界を有する本書ですから、キリの魅力は十分に発揮されているのです。

それに加えて本書では本名を横内美月といい、普段は弥生と呼ばれている元巡査部長の相方も配置されていて、彼女との軽いユーモアも含めたやり取りも本書に色を添えています。

色を添えているといえば、トモカ興産社長の小林朋華という女も登場してきますが、この女の立ち位置が今一つはっきりとしませんでした。

 

本書『予幻』の前半は保護対象でありながらも何者かに拉致されてしまった女子大学院生の岡崎紅火の捜索の様子が描かれ、後半は「ホワイトペーパー」という機密書類の所在の探索の様子が描かれることになります。

その過程で予測が予言にまで昇華したといわれる書類の「ホワイトペーパー」の持つ意義と、その文書をめぐる各グループの思惑が交錯する様子が表現されています。

こうして大沢作品ではよくありがちですが、登場人物が多岐にわたり途中で筋を見失いがちになります。

しかし、複雑になりがちなストーリーも結局は機密書類の探索というシンプルなテーマに集約されていき、結局はストーリーから外れることはないと思われるのです。

 

本書は全部で525頁という長さを持つ長編小説ですが、大沢在昌という作家の筆力はその長さを感じさせないほどに読者を取り込んでしまうようです。

ハードボイルド小説と言い切るには若干疑問もありますが、アクションを含めた一人のヒーローの物語として一級の面白さを持つ冒険小説だと思います。

このシリーズはこれまでの作品を見ると、『獣眼』が2012年10月、『爆身』が2018年5月、そして本書『予幻』が2023年12月と約六年ごとに出版されています。

出来ればもう少し間隔を狭めて次巻の出版を待ちたいところです。

蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)

蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』とは

 

本書『蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』は『吉原裏同心シリーズ』の第40弾で、2023年10月に光文社から320頁で文庫化された、長編の痛快時代小説です。

巻を重ねるにつれて特に会話文に対する違和感が増していくだけで、どうにも拒否感が強くなっていくように思えます。

 

蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』の簡単なあらすじ

 

寛政五年十月、江戸を見舞った大火事のあと、吉原に大勢の客が押し寄せる。その正体を巡り、会所八代目頭取四郎兵衛と一人二役の裏同心神守幹次郎は苦悩する。さらに困窮する切見世女郎らを救うため、幹次郎の密命を帯びた澄乃を、これまでにない危機が襲う!新たな敵が触手を伸ばす中、吉原を苦境から救い出そうとする廓の人々、それぞれの祈りが交差するー。(「BOOK」データベースより)

 

蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』の感想

 

本書『蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』は、江戸の町を襲った大火の影響で遊びに来る客の数も減った吉原の現状に立ち向かおうとする神守幹次郎らの姿が描かれています。

しかしながら、物語としては台詞回しが一段と芝居調に感じられ、さらに違和感を感じるようになってきました。

この頃の佐伯泰英作品の殆どがそうであるように、登場人物の会話が芝居の台詞のようで大時代的であり、感情移入しにくい文章になってきているのです。

本『吉原裏同心シリーズ』の場合それが顕著であって、特に神守幹次郎と会所八代目頭取四郎兵衛の一人二役が始まってから如実に感じるようになり、会話の中で幹次郎が四郎兵衛に伝えておくと言い切るなど、違和感ばかりです。

さらにいえば、女裏同心の澄乃が幹次郎の命で行った先で、澄乃に教える立場の娘や老人が歳を経た師匠と呼ばれる人が教え諭すような口調で話すなど、違和感しかありませんでした。

 

本書では、吉原は江戸の町を襲った大火災の直接の被害こそありませんでしたが、客である町人、商人が被災したため客が減り、大籬の女郎たちを除けば、三度の食事も苦労するようになりそうな苦境に陥ります。

そこに、大勢の客が押し寄せることになり、吉原は一息をつくことができますが、また吉原にとって新たな敵を産むことにもつながることになります。

また、その客たちはあくまで一時しのぎであり、下層の女郎たちが困窮に陥るであろうことは明白であり、そこで、幹次郎は女裏同心の澄乃をある場所へと送り出すのでした。

 

本書『蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』のストーリー自体が十全の面白さを持っているかと言えば、全面的に賛成とは言えません。マンネリ感がないとは言えないのです。

それに加えて、台詞回しの違和感までもあると、もういいかと思ってしまいそうになります。

でも、ここまで読んできたということ、また全面的に否定してしまうほどに拒否感を持っているわけでもないので続巻が出れば読むでしょう。

しかし、以前のように続巻が出るのを待ちかねるということはありません。それが非常に残念です。

なんとか、持ち直してくれることを期待したいと思います。

奔れ、空也 空也十番勝負(十)

奔れ、空也 空也十番勝負(十) 』とは

 

本書『奔れ、空也 空也十番勝負(十) 』は『空也十番勝負シリーズ』の第十弾で、文春文庫から2023年5月に文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

このシリーズ最終巻となる本書ですが、この作者の近時の他の作品と同様に、何となくの物足りなさを感じた作品でした。

 

奔れ、空也 空也十番勝負(十) 』の簡単なあらすじ

 

京の袋物問屋の隠居・又兵衛と知り合った空也は、大和国室生寺に向かう一行と同道することになった。途中、柳生新陰流正木坂道場で稽古に加わるのだが、次第にその有り様に違和感を抱く。一方、空也との真剣勝負を望む佐伯彦次郎が密かに動向を探っていた。空也の帰還を待ちわびる人々の想いは通じるか、そして勝負の行方は!?(「BOOK」データベースより)

 

奔れ、空也 空也十番勝負(十) 』の感想

 

本書『奔れ、空也 空也十番勝負(十) 』は『空也十番勝負シリーズ』の第十弾で、いよいよこの物語も終わりを迎えることになります。

つまり、『居眠り磐音シリーズ』全五十一巻に続いて、本『空也十番勝負シリーズ』も完結することになるのです。

ところが、本書の著者自身の「あとがき」で、八十一歳を超えた佐伯泰英氏自身が『磐根残日録』を書きたいとの思いがあると書いておられます。

本シリーズのファンとしては大いに喜ばしいことで、『居眠り磐音シリーズ』も未だ終わることなく続行すると思ってよさそうです。

 

ただ、著者佐伯泰英の近年の著作に関しては全般的に芝居がかってきた印象が強く、往年のキレが亡くなってきたように感じてなりません。

そんな印象を抱えたまま、本書『奔れ、空也 空也十番勝負(十) 』を読むことになったのです。

 

いよいよ大和へと赴くことになる坂崎空也ですが、途中で知り合った京の袋物問屋の隠居の又兵衛に連れられて柳生道場へと向かうことになります。

そこで、旧態依然とした柳生剣法に違和感を抱き、ついに皆が待つ姥捨の山へと向かいますが、やはり途中で修行のために山にこもります。

その後、襲い来る薩摩の刺客を退け、最後の対決相手として用意されていた佐伯彦次郎との勝負に臨む空也でした。

 

こうして、前述したように痛快時代小説である『居眠り磐音シリーズ』の続編的な立場のシリーズ作品として始まった本『空也十番勝負シリーズ』も最終巻を迎えることになりました。

でありながら、先に述べたように物足りなさを感じてしまいました。

それは多分、空也の強さが予想以上のものになってしまったことにもあるのではないかと考えています。

その生活態度も含めて常人の域を超えたところで生きている空也は、もう普通の人間ではなく超人と化しているのです。

そしてその超人はいかなる問題が起こっても単身で剣一振りを抱えただけで敵役を倒して問題解決してしまい、他の人達の問題解決の努力も意味がないものとしてしまいます。

一般的な痛快時代小説ではスーパーマンすぎる人物はいらず、頭をそして肉体を使い共に苦労して涙しながら問題解決の方途を探ることこそが求められていると思います。

つまり、皆で力を合わせて努力し、そのひと隅に主人公の剣の力がある、という設定がいるのではないでしょうか。

 

他の剣豪小説でも、主人公は常人以上の努力をして名人と言われる域に達しているはずなのですが、本シリーズでの空也の場合、そうした名人たちの努力をも楽に超えているような印象を持ってしまったように思えます。

加えて、芝居がかった印象まで持っているのですから物語をそのままに楽しめないのも当然なのでしょう。

そうした印象を持ったのは私だけかもしれませんが、非常に残念です。

とはいえ、全く面白くなくなったのかといえばそうではなく、痛快時代小説としての面白さをそれなりに持っているので悩ましいのです。

今はただ、続巻を楽しみに待ちたいと思います。

獣の奏者 外伝 刹那

獣の奏者 外伝 刹那』とは

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は『獣の奏者シリーズ』の第五弾で、2013年10月に講談社文庫から刊行された、長編のファンタジー小説です。

生命の尊さを、夫婦、親子、恋人などそれぞれの姿を通して描き出した、本編では描くことのできなかった感動に満ちた作品集でした。

 

獣の奏者 外伝 刹那』の簡単なあらすじ

 

エリンとイアルの同棲時代、師エサルの若き日の苦い恋、息子ジェシのあどけない一瞬……。 本編では明かされなかった空白の11年間にはこんな時が流れていた!
文庫版には、エリンの母、ソヨンの素顔が垣間見える書き下ろし短編「綿毛」を収録。
大きな物語を支えてきた登場人物たちの、それぞれの生と性。

王国の行く末を左右しかねない、政治的な運命を背負っていたエリンは、苛酷な日々を、ひとりの女性として、また、ひとりの母親として、いかに生きていたのか。高潔な獣ノ医術師エサルの女としての顔。エリンの母、ソヨンの素顔、そしてまだあどけないジェシの輝かしい一瞬。時の過ぎ行く速さ、人生の儚さを知る大人たちの恋情、そして、一日一日を惜しむように暮らしていた彼女らの日々の体温が伝わってくる物語集。

【本書の構成】
1 文庫版描き下ろし エリンの母、ソヨンが赤子のエリンを抱える「綿毛」
2 エリンとイアルの同棲・結婚時代を書いた「刹那」
3 エサルが若かりし頃の苦い恋を思い返す「秘め事」
4 エリンの息子ジェシの成長を垣間見る「はじめての…」

「ずっと心の中にあった
エリンとイアル、エサルの人生ーー
彼女らが人として生きてきた日々を
書き残したいという思いに突き動かされて書いた物語集です。
「刹那」はイアルの語り、「秘め事」はエサルの語りという、
私にとっては珍しい書き方を試みました。
楽しんでいただければ幸いです。

上橋菜穂子」 (「内容紹介」より)

 

獣の奏者 外伝 刹那』の感想

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は、全四巻で完結した『獣の奏者シリーズ』の外伝であり、これまで作者がシリーズ本編では描き出す必要性を感じなかった物語を紡ぎ出した作品集です。

獣の奏者シリーズ』の外伝ではあるのですが、本書に収められた作品はそれぞれが物語として独立しており、はっきりとした主張を持っています。

とはいえ、それぞれの作品の前提となる情報はやはり『獣の奏者シリーズ』で提供された情報を前提としているのであり、スピンオフ的な作品と言われるだけの立場ではあります。

しかしながら、本書の各作品は『獣の奏者シリーズ』が抱えているテーマとは異なるテーマを与えられているという点で、外伝という他ないのでしょう。

 

また、通常ならばファンタジー小説は、彼ら登場人物が私たちが暮らすこの世界とは異なる理(ことわり)の中で、与えられた世界の中で生きる姿を描きだすそのストーリーの面白さを楽しむものだと思います。

しかしながら、本書『獣の奏者 外伝 刹那』の場合はそうしたストーリー展開の面白さではなく、母娘や夫婦、恋人同士といった身近な大切な人との在りようを描き出した作品集です。

母親が我が子に抱く愛情を暖かなタッチで描き出す「綿毛」は、『獣の奏者シリーズ』の主人公であるエリンの母親ソヨンが、エリンをその胸に抱いた時の気持ちを、優しくそして情感豊かに描き出してあります。

シリーズの本編では母親のソヨンは物語の開始早々に亡くなってしまい、殆どその情報がありません。しかし、ここでエリンにお乳をあげるソヨンの母親の姿があります。

 

次の「刹那」では、エリンとその夫イアルの夫婦生活、それも二人の子のジェシ誕生にまつわる出来事がイアルの視点で描かれています。

ジェシの誕生に至るこの話のクライマックスは生命の誕生の美しさと怖さが描かれていて、女性の出産という命がけの作業の尊さが表現されています。

この話の終盤に示される、タイトルの「刹那」という言葉に込められた意味が強く胸に迫ってくるのです。

 

秘め事」は、エリンの師でもあるエサルの若かりし時代を描いた物語です。そこにはエリンの命の恩人でもあり育ての親でもあるジョウンの若かりし頃の姿もあります。

何より人を愛すること、そして愛することの尊さが描かれているのです。

 

はじめての…」では、エリンの子育ての姿が描かれます。ジェシの成長を見守る本編での男勝りのエリンとは異なる、母としてのエリンがここにはいるのです。

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は上橋菜穂子が描く親子の物語であり、恋愛小説です。

母親の自分の子へそそぐ愛情の深さの描き方が実に自然に、暖かく微笑ましく描かれています。

そして上橋菜穂子が描く恋愛小説である本書の「刹那」や「秘め事」には人間の普通の生活の中にふと訪れる異性への小さな想いが見事に言語化されて表現してあります。

自分の感覚として、人を想うという気持ちの描写として、上橋菜穂子の文章は素直に心に染み入ってくるし、納得しています。

人に対する思いやりの視線、論理的に組み立てられ、そのくせ優しさを持った上橋菜穂子の文章の美しさを堪能するしかありません。

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』とは

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第三弾で、2023年10月に講談社から352頁のソフトカバーで刊行された長編のファンタジー小説です。

これまでの二巻とはまた異なるタッチで展開される革命の物語であり、特に後半の展開はかなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』の簡単なあらすじ

 

ルミニエル座の俳優アーロウには双子の兄がいた。天才として名高い兄・リーアンに、特権階級の演出家から戯曲執筆依頼が届く。選んだ題材は、隠されたレーエンデの英雄。彼の真実を知るため、二人は旅に出る。果てまで延びる鉄道、焼きはらわれた森林、差別に慣れた人々。母に捨てられた双子が愛を見つけるとき、世界は動く。(「BOOK」データベースより)

 

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』の感想

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第三弾となる物語ですが、これまでの二巻とは異なり「演劇」を通した革命の物語でした。

これまでの二作品の持つ恋愛の要素や戦いの場面もほとんどないという全く異なる作風でもあり、あまり期待せずに読み始めたものです。

 

本書中盤までは、当初の印象のとおり前二作品との関連性もあまり感じられないままに、これといった見せ場もないため、今一つという印象さえ持っていました。

ところが、中盤以降、主役の二人がテッサの物語に触れるあたりからは俄然面白くなって来ました。

アクションはありません。古代樹の森などのファンタジックな要素さえもありません。

それどころか、本書の時代においては蒸気機関車さえ走っていて、イジョルニ人とレーエンデ人との間にはこれまで以上の落差がある時代です。

そうした時代を背景に、この物語は語られます。

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は、役者のアーロウと劇作家のリーアンという双子の兄弟の物語です。

というよりも、アーロウの視点で語られる兄弟の物語というべきでしょう。

アーロウとリーアンとはは幼いころからいつも一緒にいて互いに互いを必要とし、かばい合って生きてきていました。

しかし、二人が成長してルミニエル座に受け入れられ、そこでリーアンの劇作家としての才能が開花すると、アーロウは役者として生きていながら、リーアンに対しては嫉妬、妬みの気持ちを押さえられなくなっていくのです。

そのうちにリーアンはレーエンデの英雄テッサの物語を戯曲として書く機会を得るのでした。

 

つまり、テッサの物語から120年以上を経て、テッサたちの話は闇に葬られ歴史から消し去られていたのです。

しかし、テッサたちの物語を知ったリーアンが彼らを主人公にした戯曲を書くことを思いついたあたりから物語は大きく動き始め、私も大いにこの物語に惹き込まれていきます。

先に述べたように、心惹かれる恋愛要素も、また派手なアクションはないのですが、二人の兄弟の運命の展開に読者もまた巻き込まれ感情移入せざる得ない面白さを意識せざるを得なくなるのでした。

これまでの二巻とは全く異なる観点からレーエンデの独立を語る本書は、よくぞこうした物語を書けるものだと感心するばかりです。

次はどんな物語を提供してくれるのかと期待は膨らみます。

 

ちなみに、「多崎礼 公式blog 霧笛と灯台」によれば、本『レーエンデ国物語シリーズ』は全五巻であり、第四巻『レーエンデ国物語 夜明け前』、第五巻『レーエンデ国物語 海へ』は2024年刊行予定だということです。

期待して待ちたいと思います。

マリスアングル

マリスアングル』とは

 

本書『マリスアングル』は、2023年10月に408頁のハードカバーで光文社から刊行された長編の警察小説で、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

この人の作品にはずれはありませんが、中でもこの『姫川玲子シリーズ』はその一番手であり、本書もまたその例に違わない作品でした。

 

マリスアングル』の簡単なあらすじ

 

塞がれた窓、防音壁、追加錠…監禁目的の改築が施された民家で男性死体が発見された。警視庁捜査一課殺人班十一係主任、姫川玲子が特捜に入るも、現場は証拠が隠滅されていて糸口はない。犯人はなんの目的で死体を放置したのか?玲子の天性の勘と閃き、そして久江の心に寄り添う聞き込みで捜査が進展すると、思いもよらない人物が浮かび上がってきてー誉田ワールド、もう一人の重要人物・魚住久江が合流し、姫川班が鮮烈な進化を遂げるシリーズ第10作!(「BOOK」データベースより)

 

マリスアングル』の感想

 

本書『マリスアングル』は、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

姫川玲子シリーズ』の出版冊数からすると十一番目になると思われるのですが、第五弾の『感染遊戯』をシリーズ関連作としてシリーズない作品としては計算してないことにあるようです。( 姫川玲子シリーズ 公式サイト : 参照 )

この点に関しては、著者の誉田哲也自身がはっきりと自身の筆で、『感染遊戯』は「姫川玲子シリーズにはカウントしないこととする。」と書かれておられます。( Book Bang : 参照 )

出版社の「内容紹介」にも『姫川玲子シリーズ』の第十弾作品と書いてあります。

 

そうした形式的なことはさておいて本書の内容ですが、『姫川玲子シリーズ』の中でも事件の解決に向けた捜査の様子がストレートに記述されている、わりとオーソドックスなタッチの物語だと言えるのではないでしょうか。

ただ、物語の展開はオーソドックスだと言えても、その語られている内容は誉田哲也の作品らしい作品です。

というのも、著者の誉田哲也の作品では、現実の政治情勢を取り込んで作品内で起きる事件の背景に据えていることが少なからずありますが、本書で犯される犯罪の根底には、現実に起きた朝日新聞の慰安婦報道に関する問題が横たわっているからです。

ただ、本書では慰安婦の記事が全くの捏造であることを前提として取り上げてあり点には注意が必要だと思われます。実際の朝日新聞の問題はネット上に多くのサイトがあふれていますが、下記サイトに詳しく書いてありますので、関心がある方は参照して見て下さい。

 

 

本書『マリスアングル』の物語は、読者がそうした社会的な出来事について知見が無かったとしても楽しめる構造になっているので問題はありません。

 

ただ、誉田哲也の作品内で取り上げられている現実の出来事についてエンターテイメントとしての取り上げ方をしてあるので、作品に書かれていることが真実であるかのように思われる危険性はあると思われます。

そのことの是非をここで取り上げるつもりもありませんが、読者自身があくまで虚構であることを認識したうえで読み進めるべきかと思います。

そうした姿勢がある以上は、誉田哲也の作品で現実の政治的な状況への関心が生まれ、正確な情報に接する気持ちが生まれればそれは作者としても一つの狙いであるのかもしれません。

 

何と言っても本書の見どころと言えば、本シリーズと誉田哲也の別の人気シリーズである『魚住久江シリーズ』が合体し、姫川玲子の班に魚住久江が加わり、新たなチームとしての魅力が加わっているところです。

魚住久江という強烈な個性を持った女性の視点が新たに加わることで、姫川玲子という人間像が一段と明確になっていくというべきかもしれません。

その上で、どちらかというと、姫川玲子個人の危うさを取り上げ、姫川の保護者的立場の存在として魚住を異動させていると思われるのです。

ということで、本書『マリスアングル』は朝日新聞の慰安婦報道問題をテーマとして取り上げながらも、シリーズとしては姫川玲子個人のキャラクターをより深く描き出してあるのです。

といっても、魚住久江が異動してきたまだ日が浅く、姫川との絡みは今後さらに深くなっていくものと思われます。

その時の姫川玲子の描写を楽しみにしつつ、続巻を期待したいと思います。

母子草 風の市兵衛 弐

母子草 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『母子草』は『風の市兵衛 弐シリーズ』の第十二弾で、2023年8月に祥伝社から336頁で文庫化された、長編の痛快時代小説です。

 

母子草 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

還暦を前に大店下り酒屋の主・里右衛門が病に倒れた。店の前途もさることながら、里右衛門の脳裡を掠めたのは、若き日に真心を通わせた三人の女性だった。唐木市兵衛は、里右衛門から数十年も前の想い人を捜し出し、現在の気持ちを伝えてほしいと頼まれる。一方、店では跡とりとなる養子が、隠居しない義父への鬱憤を、遠島帰りの破落戸にうっかり漏らしてしまい…。(「BOOK」データベースより)

 

序章 新酒番船 | 第一章 根岸 | 第二章 お高 | 第三章 女掏摸 | 第四章 うしろ髪 | 終章 彼岸すぎ

 

母子草 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『母子草 風の市兵衛 弐』は、本風の市兵衛シリーズの主人公の唐木市兵衛が、請人宿「宰領屋」主人で市兵衛の長年の友人でもある矢藤太と共に、霊岸島町の下り酒問屋《摂津屋》主人里右衛門に依頼されて三人の女を探しだし頼まれたものを渡す物語です。

とは言っても、市兵衛と矢藤太との探索の過程が主軸の物語ではなく、探し当てた女が依頼人のもとから消えた理由を聞き出すこと、つまり消えた女たちのその後の人生の在りようが語られます。

つまりは、粋人であリ、<里九>と呼ばれていた依頼人と、依頼人が惚れ抜いた女たちが依頼人の前から消えざるを得なかった理由こそが本書の主題です。

 

そこにあるのは悲しい女の立場であり、粋人の里九と呼ばれ悦に入っていた依頼人の若さの物語ともいえるかもしれません。

そして、その物語は、作者辻堂魁の作風でもある、人情物語の中でも一歩間違えれば安っぽい人情噺に堕しかねない浪花節調の物語となっているのです。

一方、市兵衛たちの三人の女の行方探しと並行して、北町奉行所定町廻り方の渋井鬼三次の探索の話が語られ、この二つの話が終盤ひとつにまとまる、という点もこれまでのシリーズの話と同様です。

 

これまで、本風の市兵衛シリーズの、また辻堂魁という作家のファンとして、本シリーズの作品も一冊も欠かさずに読み続けてきましたが、どうも風向きが変わってきました。

ここ数巻の本シリーズを読んできて、あまりにも作品の内容が似通ってきていて、読んでいて心が騒がなくなって来たのです。

そうしたことは作者も分かっていたからこそ、このシリーズも第二シーズンへと物語の環境を変えてのだと思うのですが、『風の市兵衛 弐』になっても結局は第一シリーズとほとんど変わっていないと言えます。

本来は第二シーズへと変わり、市兵衛の出自が明らかにされたり、舞台を大坂へと移したりと変化をつけてきたと思うのですが、北町奉行所同心の渋井鬼三次もやはり常連として登場してくるようになったし変化が見られなくなっています。

何とかこのマンネリとも言ってよさそうなシリーズの流れを断ち切り、当初の面白さを取り戻してほしいものです。

夢よ、夢 柳橋の桜(四)

夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』とは

 

本書『夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』は『柳橋の桜シリーズ』の第四弾で、2023年9月に春秋から文庫本書き下ろしで刊行され、長編の痛快時代小説です。

本巻をもってこのシリーズは完結することになりますが、どうにも焦点の定まらない物語という印象に終わってしまいました。

 

夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』の簡単なあらすじ

 

波乱万丈の旅を経て新しい生き方を探す桜子と小龍太。魚河岸の老舗が仕掛ける異国交易の仕事に惹かれる小龍太との祝言を前に、船頭にもどるべきか悩む桜子。そんな中、オランダ人画家の「二枚の絵」が辿った運命の感動は、人々を変えてゆく。早朝の神木三本桜に願うのは、大きな儲けか、夢の実現か。事件の謎の解明と、未来への希望が詰まった最終巻。4ヶ月連続刊行、これにて完結!「BOOK」データベースより)

 

夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』の感想

 

本書『夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』は『柳橋の桜シリーズ』の第四弾となる作品で、このシリーズの最終巻となる物語です。

何とも感情の入れどころがよく分からない、どうにも中途半端な印象しかない作品でした。

 

本書が、幕閣のどこか上の方の問題のため桜子小龍太が江戸を抜け出し逃亡しなければならなかった事情などは些末なことであり、結局は長崎で手に入れることになった二枚の絵のその後が描かれるだけの話です。

物語の展開が二枚の絵を中心とした話になっていること自体がおかしいというのではなく、物語の主題を二枚の絵に集約させるだけの説得力がこのシリーズにあったか、ということです。

 

また、桜子という娘の成長譚というには桜子の描写は簡単に過ぎ、小龍太との二人と物語というには二人の描き方もそれほどのものではありません。

さらに、二人が困難を乗り越える話というには、二人に襲いかかった難題が何なのか、結局は物語の終わりに少しだけ語られるだけで、つまりは物語のストーリーにとっては些細なことでしかありません。

 

作者としては、オランダ(?)で見た絵に触発されてこの物語を書いたということなので、本書『夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』で語られた二枚の絵の消息こそが書きたかったことなのでしょう( 文芸春秋特設サイト「『柳橋の桜』によせて」:参照 )。

しかし、読者としては結局二枚の絵のモデルが、現実に二枚の絵に出会うその奇跡を語られても感情移入するほどのものではありませんでした。

前巻で書いたように、結局は焦点が暈けたままだったという結論になると言うしかないのです。

 

佐伯泰英という作者の作品で女性を主人公としている作品に『照降町四季シリーズ』という話があります。

しかし、この作品は新鮮味を欠いた作品であり、本書『夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』同様に焦点が暈けた印象の物語でした。

とすれば佐伯泰英という作家は、女性を主人公とする物語は決してうまいとは言えない、と言うしかないのかもしれません。

とにかく、私にとって本シリーズは期待外れに終わったというしかありませんでした。