佐伯警部の推理

佐伯警部の推理』とは

本書『佐伯警部の推理』は『北海道警察シリーズ』の第十二弾で、2025年9月に角川春樹事務所から432頁のハードカバーで刊行された、長編の警察小説です。

本書から『北海道警察シリーズ』の新しいシーズンに入り、警部となった佐伯宏一の函館での活躍が描かれています。

本筋とはかかわりのないところなどで若干のネタバレ気味なことも書いていますので、気になる方は本稿を読むのはここまでにしてください。

佐伯警部の推理』の簡単なあらすじ

厚真で強盗殺人事件を起こした犯人の一人が札幌のジャズバー「ブラックバード」に立てこもり、機動捜査隊の津久井に発砲した事件後ー。重大事案の検挙実績で道警一だった大通署の佐伯宏一は、それまで受験すらしなかった警部昇任試験を受け合格、警察大学校の研修を経て、函館方面本部捜査課に警部として着任した。佐伯が着任した二週間後、青函フェリー・ターミナルの北側、工業団地の岸壁から変死体が上がった。佐伯は早速現場へ、そして検視解剖が行われている病院に向かう…。(「BOOK」データベースより)

佐伯警部の推理』の感想

本書『佐伯警部の推理』は『北海道警察シリーズ』の第十二弾で、佐伯警部の推理をもととして、佐伯を中心にした捜査の様子がに緻密に描きだされていきます。

正確に言えば、主役の佐伯が警部となって『北海道警察シリーズ』の新しいシーズンに入っての最初の活躍を描いた第一弾作品です。

 

本書での佐伯の活動の描写は、実際の警察の捜査の様子をシミュレートしているかのように緻密に描いてあります。

文字通り『佐伯警部の推理』の過程が警察の行動としてそのままに文章として起こされているかのようです。

つまり、部長試験に通り函館方面本部の捜査課課長補佐として転任した佐伯宏一警部の捜査の様子が緻密に描かれていく、警察小説の基本のような作品です。

本書では、本筋の事件とは別の畑山刑事の担当だったバイク窃盗事案が脇筋として語られていますが、被害者救済と同時に担当の刑事である畑山の仕事の杜撰さの指導も兼ねた佐伯の働きは面白いものでした。

 

これまでのシリーズでは、それぞれに担当していた津久井小島、そして佐伯といった刑事たちの捜査が、いつの間にか一つの大きな事件に収斂していくというパターンが一つの形となっていましたが、本書ではそのパターンがなくなっています。

ただ、警部となって新しく赴任した函館での佐伯の捜査活動のみが描写され、これまでの津久井や小島たちの捜査の様子は全く出てきません。

単純に一つの事件を追いかけているという、逆に本シリーズでは珍しい構成になっています。

 

本書『佐伯警部の推理』では、警察にかかってきた、工業団地の岸壁の端から人が投げ込まれたようだ、という公衆電話からの電話から始まります。

西署の管内の岸壁から変死体が上り、すぐに身元も湯浅俊治、七十二歳だと判明します。

すぐに西署に捜査本部が置かれ、出町方面本部長が捜査本部長で、現場の捜査指揮は統括官の山浦弘希警視、佐伯の直属の上司である小野寺克己警視正が広報を担当することになります。

ほかに、庄司大輔巡査長が函館に慣れない佐伯の案内係的な立場にいて、なにかと佐伯の手助けをして、捜査の基本を学んでいます。

また、強行犯二係の強面の加藤警部補や一係員の水戸静香巡査部長などもたびたびその名前が出てくるメンバーになっています。

 

本書では上記の警察関係者のほかに新しい登場人物が加わっています。

それが、キッチンカーのホットドッグ屋の「ロンリー・ジャック」の店主である及川順太という男であり、函館の情報原の一人として登場してきています。

また、彼からジャズバーについての情報は仕入れていますがまだ実際に行くところまでは至っていません。

 

ほかの津久井や小島といったこれまでのシリーズのメンバーの動向についての描写は、本書内で私が気付いた限りでは一箇所だけでした。

新宮昌樹巡査部長から佐伯の携帯電話に入った、津久井が撃たれた事件の主犯が逮捕されたという連絡に対し、佐伯の、津久井にも伝えてくれ、との言葉があるだけです。

私の見落としの可能性もかなりありますが、小島に関しての情報はありませんでした。

 

今後、第二シーズンが続いていく中で第一シーズンでの仲間たちとの連携はどうなっていくのでしょう。

少なくともその時々での消息は明らかにされだろうことを願うばかりです。

ちなみに、上記の新宮の電話での「津久井が撃たれた事件」というのは、上記内容紹介にある「機動捜査隊の津久井に発砲した事件」のことであり、つまりは前作の『警官の酒場』での事件のことだと思われます。

ともあれ、このシリーズがリニューアルされて続行するというのはとても楽しみです。

続巻を楽しみに待ちたいと思います。

spring another season

spring another season』とは

本書『spring another season』は前作の『spring』のスピンオフ作品で、2025年12月に筑摩書房から256頁のハードカバーで刊行されたバレエ小説集です。

2025年本屋大賞の候補作にもなった前作『spring』の天才的ダンサーで振付師でもある主役の萬春(よろずはる)の姿を中心に、『spring』でのそのほかの登場人物たちの姿が描かれています。

spring another season』の簡単なあらすじ

恩田陸の新たな代表作・バレエ小説『spring』への熱いアンコールに応えた待望のスピンオフ刊行!

“けれど今、こうして僕らは一緒に踊っている。戦っている。
互いを理解するために、対話するために。
二人の神に近づくために。”

シリーズ累計11万部!
2025年本屋大賞にノミネートされた傑作バレエ小説『spring』。

本編『spring』では描ききれなかった秘められし舞台裏に加えて、深津、ヴァネッサ、ハッサン、フランツ、そして萬春自身はもちろん、永遠の師匠ジャン・ジャメやエリック・リシャールの教師コンビ、ロシア留学を果たした滝澤美潮など様々なキャラクターたちの気になる過去と未来を描く全12章の小説集。中編「石の花」ほかたっぷりの書き下ろし&『spring』刊行時に期間限定で公開された幻の一編「反省と改善」をはじめ、これまでに明かされた『spring』のストーリーを余すところなく完全収録。
ページをめくるとダンサーが踊りだす「パラパラ漫画」付き(電子版には収録なし)。内容紹介(JPROより 抜粋)

spring another season』の感想

本書『spring another season』は、前作『spring』の主役である萬春(よろずはる)の生活を真ん中において、彼を取り巻く人たちの描かれなかった姿について記されています。

全部で十二章からなる作品集ですが、視点の主はチャリティー・パーティ開催しようとする萬春(HAL)であったり、自分の過去を語るヴァネッサであったりと、章ごとに変化しています。ですが、一番多いのはやはりHALのようです。

 

本書の感想は、前作の『spring』でのそれと同じだといえます。

前作で、バレエという踊りについて、単純にバレエという踊りを見ての印象を詳しく語る以上に、バレエを踊るダンサー自身の目線での物語を読者に示してくれた著者は、本書でも同様の感動をもたらしてくれているのです。

本書で付け加えるとすれば、それはスピンオフという形式の通りに、前作での登場人物たちの描かれなかった側面を描き出している、という当たり前のことしか言えません。

ただ、本書では「hal yorozu special gala」という本書の主役萬春のガラという特別なプログラムが組まれ、その紹介を兼ねた内容の話も組み込まれている点は特別ということができるかもしれません。

加えて本書には「hal yorozu special gala program」というパンフレットが添付されていたのですが、そこに記載されている「HAL YOROZUによる自作解説コメント」の内容が、まるで一冊の本を読んでいるようで見事だったことは紹介しないわけにはいきません。

でも、このことは『蜜蜂と遠雷』での音楽に関しての文章表現の見事さと、前作『spring』でのバレエについての描写の感動の表現を挙げるまでもなくわかっていることではありました。

 

それでも改めて本書を振り返ってみると、上記「内容紹介」でも書かれている通り、本書では中編「石の花」というHALの恋人であるフランツを主人公にした物語も収められています。

この話は、HALとフランツとの二人の関係を描いた六十頁程の話で、その中心に「石の花」という踊りを据えて描かれた作品です。

また、「内容紹介」で挙げられている「反省と改善」もまたHALとフランツの物語で、二人の関係性がよくわかる短編です。

その他の物語は、HALを取り巻く登場人物たちが入れ代わり立ち代わり主役となっている話であって、まさに前作のスピンオフ作品として、前作を補う物語集となっているのです。

 

恩田陸という作家の文章力や表現力のすばらしさを再認識させられた驚きの一冊です。

前作『spring』の感動を再び味わえる作品集でした。

白露 警視庁強行犯係・樋口顕

白露 警視庁強行犯係・樋口顕』とは

本書『白露 警視庁強行犯係・樋口顕』は『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の第九弾で、2025年11月に幻冬舎から360頁のハードカバーで刊行された、長編の警察小説です。

本書でも外国人差別や無責任なSNSへの書き込みなどが取り上げられていて、作者なりの対応が為されている、変わらずに読みやすく面白い作品でした。

白露 警視庁強行犯係・樋口顕』の簡単なあらすじ

東京の世田谷区の工事現場で刺殺体が見つかった。第一発見者は、そこで働く南アジア国籍の男性。警視庁捜査一課の樋口班が捜査を進めるなか、SNSでは彼の実名が書き込まれ、外国人であることを理由に犯人ではないかと疑う声が上がる。サイバー犯罪対策課と連携して投稿者の特定を急ぐ樋口。だが、それを嘲笑うかのごとく、発見者の顔写真と現住所まで晒されてしまい、さらには逮捕や強制送還を望む意見まで出てくる…。かつてなく外国人排斥の風潮が強まり、フェイクニュースがあふれるなか、等身大の刑事・樋口は真実を掴むことができるのか。同僚とも家族とも絆が深い名刑事を描く傑作警察小説。(「BOOK」データベースより)

白露 警視庁強行犯係・樋口顕』の感想

本書『白露 警視庁強行犯係・樋口顕』は『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の第九弾となる作品です。

近年、なにかと話題になることが多い外国人への差別SNSへの無責任な書き込みの問題などが取り上げられていて、変わらずに読みやすく面白い作品でした。

 

本シリーズでは特に警察組織の活動が全体として描かれていることが多いようです。

もともと、今野作品は警察小説の第一人者として、個人の活躍ではなく、チームとしての警察の活躍が描かれていますが、本シリーズは特にその傾向が強いように思えるのです。

人気シリーズの一つである『安積班シリーズ』などもチームとしての安積班の活躍が描かれており、従来の探偵小説とは異なる主人公の性格設定も含め警察官個人ではない組織体としての警察の姿がそこにはあります。

本書が属する『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』と『安積班シリーズ』とはかなり似たところがあるシリーズだとは『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の項でもほんの少しですが書いたところです。

 

本書では、ある殺人事件で遺体の第一発見者が外国人であったというだけでネット上で不当な扱いを受けたり、現場近くに住むまた違う国のアジア人が疑いの目を向けられたりと、日本人の心に潜む差別意識を暴き出しています。

同時に、第一発見者の実名、勤務先をネット上で晒したりする若者や、現場近くに住む外国人に接触を図ろうとするフリーのジャーナリストと称する男などが登場し、その問題点を指摘しているのです。

本書の作者である今野敏の作品では、こうした社会的な問題点を取り上げることがい多いようです。だからと言って、いわゆる社会派の作品ということではなく、作品はあくまでエンターテイメントであり、気楽に読むことができます。

もっとも、遺体の第一発見者が外国人だから事件現場の近くに住む違う国の外国人に聞きこみに行った方がいい、などという登場人物の一人の意見は、いくら何でもそこまではないだろうという気はしました。

 

面白いのは、ネット上に他人の実名や住所などを晒す行為をなんとも思っていない若者の行為を明確に分析しているところです。

本書では、荻窪署生活安全課の氏家譲巡査部長という、樋口顕の友人でもあるシリーズの常連が登場し、少年事件の専門家らしい意見を述べています。

とくに、若者によるSNSへの書き込みに関しては、彼らの間で通用している「ノリ」という彼らなりの正義があるというのです。

こうしたネット上での匿名性についての問題点への指摘はよく聞かれるところではありますが、若者の書き込みに関して、ここまではっきりと指摘したものは私の知る限りではなかったように思います。

私たち大人の通常の感覚とは全く異なる彼らの感覚についての氏家の説明は、思わず納得の解説でした。

 

こうした指摘も含め、エンターテイメント小説としての面白さは十分に満足させてくれるものでした。

本書は、今野作品として、変わらずに読みがいのある作品だったと言えます。

マスカレード・ライフ

マスカレード・ライフ』とは

本書『マスカレード・ライフ』は『マスカレードシリーズ』の第五弾で、2025年7月に集英社から392頁のソフトカバーで刊行された長編の推理小説です。

ホテル・コルテシア東京の保安課長へと立場を変えた元警視庁刑事の新田浩介が、フロントクラークの山岸尚美と共に、ホテル内で起きる事件を解決する、人気シリーズです。

マスカレード・ライフ』の簡単なあらすじ

溶接加工会社勤務の入江悠斗が、何者かに刃物で胸を刺されて死んだ。悠斗は17歳のときに傷害事件を起こしていた。事件を担当する捜査一課の新田はかつての先輩警官・本宮、女性エリート警部・梓、その部下として働く能勢の捜査報告から、別の二件の殺人事件との関連性を疑う。そしてそれぞれの事件の容疑者が「あのホテル」に宿泊することが判明。新田は三度、潜入捜査を開始するー。(「BOOK」データベースより)

マスカレード・ライフ』の感想

本書『マスカレード・ライフ』は『マスカレードシリーズ』の第五弾で、これまでは元警視庁捜査一課の警部であった新田浩介ホテル・コルテシア東京の保安課長として再出発する長編の推理小説です。

前作『マスカレード・ゲーム』でホテル・コルテシア東京へと戻ってきた山岸尚美も、本作でもこれまで通りの優秀なフロントクラークとして登場しています。

そして、前作から登場してきた警視庁捜査一課係長の梓真尋も登場し、かつては新田の下で働いていた元捜査一課の刑事の能勢も定年退職後に勤務している探偵事務所の職員として新田を助けています。

 

今回は「ホテル・コルテシア東京」で開催されることになった灸英社主催の『日本推理小説新人賞』の選考会を舞台に展開されます。

というのも、警察は、ある死体遺棄事件の行方不明の重要参考人が書いたと思われる作品がこの新人賞の最終選考に残っているため、作者が現れるのを張り込みたいというのです。

そして、新田にとってはもう一つ、新田の父親がこのホテルに現れるという事件も待っていたのです。

 

結局、本書は死体遺棄事件の重要参考人で『日本推理小説新人賞』の最終選考に残った正体不明の容疑者をめぐる物語を主軸に、新田浩介の父親の克久が絡んだ物語との二本立てで展開されます。

しかし、物語としては父親が絡んだ物語がかなり重い話であることもあって、結果的にかもしれませんが、もう一つの死体遺棄事件の結論はかすんでしまった印象があります。

端的に言うと、本書全体の印象として、前作で感じた「東野圭吾本来の面白さ」は感じられませんでした。

つまり、本書はほかの東野圭吾作品に比べ感情移入できなかった作品だったのです。

『日本推理小説新人賞』の審査員の描写は知らない世界のことでもありとても関心を持って読むことができたのですが、それ以外の箇所についてはあまり惹かれるものはありませんでした。

先に書いたように、本書の主たる話は『新人賞』の最終候補者の一人である死体遺棄事件の重要参考人が特定できないというものです。

具体的には、ホテルに現れた常盤健太朗という最終候補者が重要参考人の青木晴真なのかどうかという点が関心事由です。

でも、最終候補者の特定に至る過程も、そもそも死体遺棄事件に隠された謎についても心に残るものではなかったのです。

 

一方、父親の新田克久が絡んだ出来事はかなり悲惨な出来事が根本に横たわっており、簡単に通り過ぎるような出来事とは思えません。

新人賞の最終選考会よりも、父親の出来事の方に関心が持っていかれた気もします。

 

そもそも、本シリーズのテーマとしては、山岸尚美の「心に仮面を持っていない人などいない。時に被り、時には外す。そうやって生きている。」という言葉として表してあると思われます。

ホテルの暮らしは非日常であり、「仮面」を付けた暮らしだ、との言葉が本書の中にありましたが、死体遺棄事件の結末はその視点からは逸脱してるように感じられたのです。

死体遺棄事件の重要参考人の話をホテル内での出来事にするために『日本推理小説新人賞』選考会という手段を設けてある、という点が先に立ち、感情移入できなかったのではないでしょうか。

シリーズは続くのでしょうから、次作に期待したちと思います。

イクサガミ 神

イクサガミ 神』とは

本書『イクサガミ 神』は『イクサガミシリーズ』の第四弾で、2025年8月に480頁の講談社文庫として出版された、長編の痛快アクション時代小説です。

いよいよ東京へと入った蟲毒への参加者たちの最終的な戦いが描かれた、エンタメに徹した、面白さ満載の痛快アクション作品です。

イクサガミ 神』の簡単なあらすじ

最終決戦、開幕。
東京は瞬く間に地獄絵図に染まった。
血と慟哭にまみれる都心の一角で双葉は京八流の仇敵、幻刀斎に出くわしてしまった。
一方の愁二郎は当代最強の剣士と相まみえることにーー。
戦う者の矜持を懸けた「蠱毒」がとうとう終わる。
八人の化物と、少女一人。生き残るのは誰だ。【文庫書下ろし】(「BOOK」データベースより)

イクサガミ 神』の感想

本書『イクサガミ 神』は『イクサガミシリーズ』の第四弾で、最終目的地の東京へ入った九人が戦う面白さ満載のエンターテイメント作品です。

前作では嵯峨愁二郎たちの横浜での貫地谷無骨との戦いがとても印象的でした。

本作で東京に無事辿り着いたのは嵯峨愁二郎衣笠彩羽ギルバート・カペル・コールマン化野四蔵岡部幻刀斎柘植響陣カムイコチャ天明刀弥、そして香月双葉の九人です。

 

東京に入った九人は早々に監視者から六つの決まりを言い渡されます。

その一つは東京に辿り着いた九名は銘々に上野寛永寺黒門を目指す、というもので、嵯峨愁二郎は麹町の阪川牛乳搾取所の前、また双葉は銀座近くの南鍋町の風月堂前で降ろされるなど、皆ばらばらの地で開放されるのでした。

ところが愁二郎をはじめ皆、通りがかりの者たちから捕まえられそうになります。

彼ら九人は、その首に高額の賞金を懸けられたお尋ね者とされていたのでした。

 

本書でこのシリーズも終わりを告げることになりますが、最終巻らしく、シリーズの持つ様々な謎もきちんと明らかにされています。

また、謎と言っていいかはわかりませんが、香月双葉という少女がこの殺し合いの中で生き抜いていけた理由や、そもそも双葉がこの物語に登場した理由なども明らかにされていたのはうれしいことでした。

 

当然のことながらシリーズの魅力であるアクションも見どころ満載で展開されます。

そして、これまでシリーズの第二巻でその父親の仏生寺弥助との出来事が描かれ、シリーズ中でその剣の天秤を見せていた天明刀弥という化物も嵯峨愁二郎のまえにやっと現れ、戦いを見せてくれます。

この天明刀弥こそが最終巻の最終的な敵役と言ってもいいかもしれません。

 

化物と言えば、本シリーズの冒頭から京八流をつけ狙う化物として岡部幻刀斎がいました。

この岡部幻刀斎についてもその過去が明らかにされ、幻刀斎が京八流を狙う理由や、幻刀斎の人間離れした動きなどの秘密も解き明かされます。

そして、嵯峨愁二郎らの敵として残されているのはこの二人のはずですが、何故か仲間でいた柘植響陣と嵯峨愁二郎との戦いも重要な場面として描かれているのです。

ここらのことはぜひ原作を読んでもらうしかないでしょう。

 

そして何と言っても、このシリーズ最大の謎である蟲毒という殺し合いのゲームが仕掛けられた理由も詳細に語られています。

それも、当時の歴史的な事実を背景に、伊藤博文前島密といった実在の高名な人物たちが登場し、殺し合いの謎が明かされるのです。

 

本書のような伝奇小説の分野には、『柳生武芸町』などで知られる山田風太郎という独特な世界を構築された大作家がいます。

本書は、エンターテイメント小説としてその山田風太郎の作品の後継と言っても過言ではない物語設定と面白さに満ちた物語だと言えます。

 

ちなみに、俳優の岡田准一がプロデューサーと主演を兼ねて作成したネットフリックス版の『イクサガミ』も、大当たりしていると聞いています。

詳しくは下記を参照してください。

 

テミスの不確かな法廷 再審の証人

テミスの不確かな法廷 再審の証人』とは

本書『テミスの不確かな法廷 再審の証人』は『テミスの不確かな法廷シリーズ』の第二弾で、2025年12月にKADOKAWAから240頁のソフトカバーで刊行された、長編の推理小説です。

発達障害という特性を持った主人公をうまくうごかした、暖かさに満ちたミステリー作品です。

テミスの不確かな法廷 再審の証人』の簡単なあらすじ

任官8年目の裁判官・安堂清春は、抜群の記憶力を持つものの、極度の偏食で、感覚過敏、落ち着きがなく、人の気持ちが分からない。そんな発達障害の特性に悩みながら、日々裁判に向き合っている。7千万円を盗み起訴された女性銀行員が囁いた一言、飼い犬殺害事件に潜むかすかな違和感。彼はわずかな手がかりから、事件の真相を明らかにしていく。そんな中に現れた、殺人の濡れ衣を着せられたと訴える男。その再審裁判で証人として出廷したのは、検察ナンバー3の地位にいる、安堂の父だった…。衝撃と感涙のラストが待ち受ける、逆転の法廷ミステリ!(「BOOK」データベースより)

目次

テミスの不確かな法廷 再審の証人』の感想

本書『テミスの不確かな法廷 再審の証人』は『テミスの不確かな法廷シリーズ』の第二弾で、発達障害という特性を持った特例判事補という主人公がとても魅力的な、温もりにあふれたミステリー作品です。

 

本書の主人公は、多分山口県だとおもわれるY市の地方裁判所に勤務する安堂清治という特例判事補です。

ただ、彼は普通の人とは異なる特性を持っていました。それが発達障害と呼ばれる、人の気持ちを読み取るのが苦手な自閉スペクトラム症(ASD)と、衝動性がじっとしていることを許さない注意欠如多動症(ADHD)と診断された人物だったのです。

彼は十歳の頃にASDADHDと診断してくれた精神科医の山路薫子が教えてくれた通りに自分が発達障害であることを自覚し、並外れた記憶力と頭脳を武器に司法試験に合格し、今では特例判事補として人の役に立っているのです。

でも、人の気持ちを読み取るのが苦手な安堂は人の言葉をそのままに受け取ってしまい、変な人だという評価を受けてしまいます。

しかしながら、判事や書記官、執行官などの今の職場である地方裁判所の人たちは彼のことを優しく見守ってくれていて、さらには第一巻でも登場してきた弁護士の小野崎乃亜もよき理解者として本巻でも登場し、安堂と仲のいいところを見せてくれています。

 

登場人物としては、一巻目と同様に藤木久志地裁所長、定年まで残りわずかの総括判事の門倉茂、判事補の落合知彦、そして弁護士の小野崎乃亜らがそのままに登場します。

また、本巻からの新しい登場人物として、この春に大阪地検から異動してきた任官六年目の女性検事の大石玲依が、一巻目からいた古川真司主任検察官とともに登場してきます。

主任書記官の八雲恭子が一巻目から登場していたかは覚えていません。

 

シリーズ二巻目の本書では、安堂の発達障害という特性についての説明は一巻目に比べると抑えられています。

でも、一つのことに集中して他が見えなくなってしまう、などの特徴については読者が戸惑わない程度には説明されていてます。

そして、弁護士の小野崎乃亜や書記官の八雲恭子たちが横道にそれがちな安堂を正常な道に引き戻す役として配置されているのはうまいと感じます。

ただ、判事補が法廷外で動き回って事件について気になる事実を調べて回るという点は、前巻同様に気になるところではありますが、その点は小説ということで無視していいのでしょう。

また、法廷外で判事と弁護士や検事とが直接会って法廷で取りあげる事件について話し合う点も実務を知らない私にはなんとも言えない点ではあります。

そうした疑問点を除けば、主人公の性格、本書での特性設定などはうまいものだとしかいうほかなく、事件の処理もきれいに描いてあると思います。

そのことは、裁判所に勤務する書記官や執行官の描写にしても同じで暖かさに満ちていて、楽しく読めた作品でした。

 

本書は、このように個性的な特例判事補を探偵役としている作品ですが、そのミステリーとしての側面もなかなかに読み応えのあるものとなっています。

第一話「アリンコは左の足から歩き出す」は、黒江藍子という元銀行員が顧客の貸金庫から七千万円という現金を盗んだとされる窃盗事件です。

安堂は、この被告人の事件について「言えない」と言った時の表情が忘れられないでいました。ところが、盗まれたはずの七千万円が弁護人を通じて返却されたというのです。

第二話「ABC、そしてD」は、仲の悪い隣同士のうちの一軒の引退した大学教授が買っていた犬を、隣の無職の男が腹いせに殺鼠剤を与えて殺したというものです。

ただ、境界の塀は簡単に犬が飛び越えられる程度のものであってしょっちゅう飛び越えて隣家に侵入していたというのです。にもかかわらず、被告人が何度注意しても元大学教授は何も対応しなかったというのでした。

第三話「法服のサンタクロース」殺人で十八年の刑期を終えた元受刑者で何度も再審請求をしていた紅林静夫が、工事現場の崖から落ちで重症だというのです。

再審のための新証拠が見つかったと言っており、また安堂と小野崎乃亜とに会う約束をしていたのに、何故なのか不思議に思う安堂でした。

第三話「法服のサンタクロース」では、殺人で十八年の刑期を終えた元受刑者で何度も再審請求をしていた紅林静夫が、工事現場の崖から落ちで重症を負ってしまいます。

しかし、紅林は再審のための新証拠が見つかったと言っており、安堂と小野崎乃亜とに会う約束をしていたのに、何故なのか不思議に思う安堂でした。

また、登場人物の一人は、安堂は発達障害であり、人の気持ちを理解できないため裁判官としてはふさわしくない、という趣旨のことをSNSに書き込んだりもしています。

 

第三話の当事者の紅林は第一話目から登場してきており、彼の再審請求について本書の全体を通しての一つの謎として提示されています。

さらには、本書では安堂の父親の結城秀敏が重要な役割を果たしていて、父親として安堂に「裁判」というものについて教え諭します。

安堂は、人の感情を読み取るのが苦手な自閉スペクトラム症の自分は「共感の扉」を大切にしたいと言いますが、父親の結城は「ただ一つの真実を法廷に導き出す以上の価値は司法にはない。」と言い切るのでした。

このことが、第三話の中において重要な意味を持ってきます。

 

ここでの”裁判とは何か”という設問は、真実発見こそ第一義だというのが日本的な考え方であり、一方でアメリカでは、「スポーツ訴訟感」ということを言われていると教わった記憶があります。

この議論はここで語るべきものでもないので、これくらいにしておきますが、ただ、安堂の父親の結城の言葉は本書の圧巻のラストに関係してきますので、ひとこと記しておきます。

一風変わった特性を持つ裁判官、正確には特例判事補を主人公に据えたこのシリーズは、独特の視点で持ち込まれた謎を解いていくユニークなミステリーであるとともに、全体として優しさにあふれた心温まる作品でした。

 

蛇足ですが、本書に出てくる裁判官たちの会話の中で、アメリカのトランプ大統領の相互関税政策についてのものが出てきます。

米最高裁判所は共和党寄りの保守派が多いため、下級審で違法と判断された関税政策もひっくり返されるのではないかという意見に対し、落合判事補は、アメリカの保守派は法律の条文に忠実にものごとを判断するから保守派なんです、と言い切ります。

そして先日(日本時間の2026年2月21日)その通りに米最高裁判所は違法という判断が下されました。

本書で書かれていた通りの判断がなされたことになります。

 

ちなみに、NHK総合テレビで「テミスの不確かな法廷」というタイトルで主役の安堂清春を松山ケンイチ、門倉茂を遠藤憲一が演じて話題になっています。

実際、松山ケンイチは安堂の雰囲気をうまく表していて、脚本も丁寧に書かれていて、とても好感の持てるドラマとして仕上がっていました。

メスを置け、外科医 泣くな研修医8

メスを置け、外科医 泣くな研修医8』とは

本書『メスを置け、外科医 泣くな研修医8』は『泣くな研修医シリーズ』の第八弾で、2025年11月に幻冬舎文庫から310頁の文庫として出版された、長編の医療小説です。

主人公である雨野隆二が外科医としてのメスを置いて、医者がいなくなり困っている復興途上の福島の病院へ院長として赴任することになる話です。

メスを置け、外科医 泣くな研修医8』の簡単なあらすじ

震災後の福島で医療支援をしていた友が死んだ。志半ばでの友の死に、自分は何もしなくていいのかと自問する外科医・雨野。そんな中、福島のある病院が、院長の急逝で診療を続けられなくなったという知らせが。「ならば俺が行く」。外科医を辞め地域医療の現場に飛び込んだ雨野を待ち受けていたのはー。現役外科医によるシリーズ第八弾。(「BOOK」データベースより)

メスを置け、外科医 泣くな研修医8』の感想

本書『メスを置け、外科医 泣くな研修医8』は『泣くな研修医シリーズ』の第八弾で、何となくの日常を送っていた雨野隆二が、復興途上にある福島の病院へ院長として赴任することになる話です。

シリーズの第六弾『外科医、島へ 泣くな研修医6』では半年間ではありましたが離島へ赴任した経験を持つ隆治であり、地域医療の現実はそれなりにわかっているはずですが、今度は福島です。

しかし前回と異なり、今回は現在勤務している牛ノ町総合病院をやめ、外科医としてのキャリアは捨てることになります。

つまりは、メスを置いて診療科目はなんでも対処する必要がある地域病院の院長として赴任するのであり、単に患者を診るだけではなく経営の感覚まで要求されることになるのです。

 

本書においてはそうした経営者としての側面は描いてはあるのですがそれほどに重きは置いてないようです。

それよりも、死を身近にした患者の様子を主眼にした作品になっている点はこれまでと同じと言えます。

外科的な対処というわけではないものの医者として、また人間としての対応が描かれていて、死に直面した患者との物語、という点では医療小説ど真ん中の話です。

そうした点で見ると、確かに先進的な医療機器があるわけではないという地域医療の現実も描いてはあるのですが、通常の医療小説とあまり異なるところはないともいえそうです。

 

雨野隆二が福島に行こうと思い立った理由は若干あいまいなところがあります。

牛ノ町総合病院での日常に倦んでいるとまでは言わなくても、外科医になりたて当初のような熱意のような気概を感じられずにいる様子は描かれています。

そんな時、高校の後輩で医学生時代ともに学んだ仲間で、医学生時代に医学とは何かと悩み、卒業を待たずに医学部を去った伊佐錦太郎が交通事故で死んだニュースに触れるのです。

 

隆治が新しく勤務することになった東日本大震災で被害を受けた小さな町の「渡辺病院」での日常が始まります。

そこでは、「三春と呼んで」という明るさ満載の理事長の渡辺三春、事務長の佐藤、何もわからない隆治を何かと導いてくれる冴木綾乃という看護師などが出迎えてくれるのでした。

本書では、意外な終わり方を迎えるのですが、そこは実際読んでもらうしかありません。

今後の展開が楽しみなシリーズです。

みこころ 風の市兵衛 弐

みこころ 風の市兵衛 弐』とは

本書『みこころ 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐シリーズ』の第十五弾で、2025年10月に祥伝社文庫から328頁の文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

このところのこのシリーズの物語で感じていることですが、マンネリ化していて物語の面白さが薄れているようです。

みこころ 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

江戸のかくれ切支丹をほのめかす手紙を残して、三田の陰陽師うしな秋蔵が殺された。一方、近くの岡場所で下女奉公するみつぐは、道で折檻されていたのを、呉服太物所の女将・婉に救われる。偶然にも婉の秘密を知ってしまったみつぐは、唐木市兵衛を頼る。異変を察した市兵衛が独自に探索を進めると、秋蔵殺しの復讐に燃える陰陽師一派もまた、周囲を嗅ぎ回り…。(「BOOK」データベースより)

みこころ 風の市兵衛 弐』の感想

本書『みこころ 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐シリーズ』の第十五弾です。

今回もシリーズ当初の斬新な面白さはなく、主役の唐木市兵衛が物語に絡む必然性も感じられない作品でした。

 

岡場所の下女として働く十三歳のみつぐは、ある日使いの途中で陰陽師の殺害現場に行き合わせてしまいます。

みつぐは、世話になっている女郎屋の女将の折檻を受ける毎日でしたが、ある日、折檻を受けているところを呉服太物所の女将の婉(えん)に助けられます。

本書はこのみつぐと婉を中心とした物語ですが、彼女らの敵役となるのが陰陽師です。

 

ただ、この敵役であるはずの陰陽師という存在が、殺されたうしな秋蔵の非道さもさることながら、うしな秋蔵の手紙により京から手伝いに来た賀茂真改を始めとする三人の陰陽師たちの行動自体が物語の進行としてはあまり納得のできるものではありませんでした。

そもそも、うしな秋蔵の手紙自体、隠れ切支丹を見つけたので抹殺する手を貸してほしいという点からしてよく分かりません。

うしな秋蔵は、たまたま見かけた婉に手を出そうとしていたはずであり、京の仲間への手紙は隠れ切支丹を抹殺する手伝いを頼むというのはどういうことでしょう。

といっても、女好きのうしな秋蔵のたくらみですから、京の仲間と共に女を手に入れようとするものであったのかもしれません。でもそうなると、うしな秋蔵がいないところでの三人の会話の内容がまたわからなくるのです。

 

物語は、とんでもなく美しいことで高名な商家の内儀を手籠めにしようとした男とその殺害、それに殺害の現場近くにたまたま居合わせた娘の存在、あわせて隠れ切支丹との絡みの話です。

市兵衛がこの流れに関係してくるきっかけもあまりその必然性を感じないものでした。

この様子が続けばこのシリーズを読むのをやめようかと思うほどであり、次巻の出来次第ではもう終わりにしたいと思います。

図書館の魔女 霆ける塔

図書館の魔女 霆ける塔』とは

本書『図書館の魔女 霆ける塔』は『図書館の魔女シリーズ』の第四弾で、2025年10月に講談社から672頁のソフトカバーで刊行された、長編のファンタジー小説です。

幽閉されたマツリカを救出する一の谷の高い塔の仲間たちの活躍が描かれる、胸躍るロマンに満ちた待望の一冊でした。

図書館の魔女 霆ける塔』の簡単なあらすじ

図書館の魔女マツリカは、宿敵ミツクビの罠に落ち山峡の獄に幽閉される。砦主らの手厚いもてなしを受けながらも、脱出の糸口を探るマツリカ。キリヒトたちは、彼女を救い出すため、夜ごと激しい雷に撃たれつづける石造りの砦ー「霆ける塔」に向かう。そして物語は2027年、『図書館の魔女 寄生木』へと続く。(「BOOK」データベースより)

図書館の魔女 霆ける塔』の感想

本書『図書館の魔女 霆ける塔』は『図書館の魔女シリーズ』の第四弾で、これまでと異なり図書館の魔女救出に動く高い塔の仲間たちの冒険の様子に胸躍るファンタジー作品です。

本書冒頭から図書館の魔女が囚われている様子の描写がありますが、この塔こそが『霆ける塔』であり、毎夜「霹靂に撃たれ苛まれる」塔であって、本書の展開がどうなるのか一瞬で引き込まれました。

 

この作者の文章の言い回しはなかなかに難しいとはわかっていたのですが、本書の言葉遣いはこれまでになく古風であり、一読するだけでは理解に苦しむ場面が多々あります。

シリーズのこれまでの作品が手元にないので確認はできませんが、古い言い回しが多用はされていても、本書ほどにはなかったような気がします。

例えば、本書冒頭の「1 天鼓(てんく)」の第一頁目には「光耀に眩む目が視覚を失った刹那に、青竹を強(あながち)に割り開くような裂帛が耳を劈(つみさ)き、雷霆が鳴り轟(ほめ)いて円天井を揺るがせた。」という文章があります。

この一文だけで「光耀」「強(あながち)」「裂帛」「を劈(つみさ)」く、「雷霆」、「轟(ほめ)いて」などと、普段使わないような言い回しが多用されているのです。

そもそも本書のタイトル『霆ける塔』からして意味が分かりません。調べると、「(雷が)激しく鳴り響く。」という意味だとありました( Weblio古語辞典 : 参照 )。

それでも、ほとんどの場合は前後の文脈から意味は分かりますので、辞書を引くまでもなく読み進めても支障はありません。

というよりも、本書の内容に惹きこまれてしまい、辞書を引くゆとりもなかったという方が正解でしょう。

 

なんといっても、本書の面白さの第一は登場人物たちの冒険譚にあります。

とはいっても、よくあるアクションが中心の冒険ではなく、前半はマツリカが囚われている場所の特定に奔走する一の谷の図書館付きの衛兵であるアキームイズミルといった面々が情報を収集し、ハルカゼキリンといった司書たちが頭脳を駆使し、次第にその居場所を確定する様子が描かれています。

さらに、本シリーズの第二弾『烏の伝言』で登場してきた剛力のワカンや鳥飼(とがい)のエゴンらが加わり、さらにファン待望のキリヒトが加わるのです。

このキリヒトの登場はネタバレになるかと思っていたのですが、それ以前に本書の「内容解説」や「あらすじ」の紹介に明記されているので問題ないでしょう。

 

まず、マツリカの幽閉されている場所を特定するための様子が知的好奇心をくすぐります。

そもそも本書の読書は、全編を通して作者の知識の豊富さを見せつけられ、色々な物事についての考え方を改めて教えられるようだと思いながらの読書でした。

なかでも、前半はハルカゼらを中心とした仲間たちがマツリカが囚われている場所を特定するために、少ししかない手掛かりから推論を重ねていく様子そのものが面白さに満ちているのです。

こうした推論の過程を詳細に描くには、地質、植物、気象、言語等々の知識に精通する必要、若しくは資料の読み込みをするにしても関連資料を丁寧に読み込み、理解する必要があるでしょう。

著者は言語学者でありその方面には詳しいでしょうが、地質や気象の方面まで詳しいとは思えず、かなり勉強をされたのではないでしょうか。

 

ところが、終盤を迎えるあたりから俄然サスペンス感に満ちた展開になってきたのには驚きました。

前半でマツリカの居場所が特定されるまでの静的な描写とは一転し、エゴンらを中心として救出劇に移るのです。

このアクション面が少々短めなのは残念でしたが、それでも壮大な救出劇は読みごたえがありました。

 

本書『』は読み手にとっては決して読みやすい作品とは言えないと思います。

ですが、私のように全部を理解できなくて読み飛ばすしかないような読者であっても、ストーリーについていけないことはなく、非常に面白い作品として読み終えることができたのです。

それもかなり引き込まれて読み終えた、と言ってよく、今はただ、さらなるマツリカの物語を読みたいと思っています。

 

なお、図書館で借りて読む派の私が読んだ本にはなかったため分かりませんでしたが、本作の初版の帯には「そして物語は2027年、『図書館の魔女 寄生木』へと続く。」とあったそうです。

続編を読むには、この後丸一年以上を待たねばならないようです。長いですが、待つしかありません。

エンドロール 警視庁FCⅢ

エンドロール 警視庁FCⅢ』とは

本書『エンドロール 警視庁FCⅢ』は『警視庁FCシリーズ』の第三弾で、2025年7月に毎日新聞出版から400頁のハードカバーで刊行された、長編の警察小説です。

軽めの話が多い今野敏の作品の中でも本書は特に軽さを感じる、今一つ感情移入できない作品でした。

エンドロール 警視庁FCⅢ』の簡単なあらすじ

映画人×警察官たちがおくる新時代の仕事小説。東京都内でハリウッド映画が撮影されることになった。監督は巨匠リーアム・バーク。日本での撮影は「世界の丑井勝」監督が務めるビッグ・プロジェクト。ところが、脚本も届かぬまま思わぬ事態が発生ー特命を受けたFC室のメンバーが奔走する!あらゆる職業人への敬意と感謝を込めて。待望のシリーズ第3弾!(「BOOK」データベースより)

エンドロール 警視庁FCⅢ』の感想

本書『エンドロール 警視庁FCⅢ』は、今野敏の数多い作品群のなかでも特に軽さを感じた作品だったと言えます。

ただ、あまり高い評価はできませんが、何も考えずに気楽に読み飛ばすにはいい作品だと思います。

 

タイトルにもなっている「警視庁FC」の「FC」とは、フィルム・コミッションのことであり、「地域活性化を目的として、映像作品のロケーション撮影が円滑に行われるための支援を行う公的団体」のことを言います。

詳しくは、ウィキペディアを参照してください。そこでは「日本のフィルム・コミッションの運営に関する課題」など、現在(2017年頃)の問題点などの課題なども載っています。

 

本書は、そうしたフィルム・コミッションを警視庁内に作ったとの設定の下、特命により集められた五名が本来の業務との兼務のもと撮影のために奔走する姿が描かれています。

このFC室はもと通信指令本部の管理官だった長門達男を室長としています。この通信指令本部の管理官という立場は「夜の警視総監」とも呼ばれるほどの権限を有しているのだそうです。

そして長門室長のもと、組織犯罪対策部・暴力団対策課所属の山岡諒一巡査部長、交通部駐車対策課の島原静香、交通機動隊所属の白バイ乗りの服部靖彦巡査部長、警視庁地域部地域総務課所属の楠木肇巡査部長がいます。

そして、この楠木肇が本書の主人公ともいえる存在であり、普段は楽をすることだけを考えている男なのですが、ここというところで意外なひらめきを見せる存在なのです。

この楠木は、本書では臨時に欠員補充のために日々パトカーに乗って職質をする遊撃特別警ら隊へと担当替えになっています。

その遊撃特別警ら隊での楠木の相棒が遊撃特別警ら隊班長の蒲生武志警部補であり、コールサインを「遊撃3」というパトカーに乗務しています。

 

そうした警視庁FC室のメンバー五人が、今回は「半減期の夏」という映画を撮った人気映画監督のリーアム・バークの新作映画「マゼンダシティ」を日本の、それも渋谷を舞台にした映画を撮るために奔走するのです。

また、この映画には日本側監督としてやはり人気のある丑井勝監督が参加するという話になり、一段と盛り上がっているのです。

ところが、日本は映画の撮影に関してはかなり遅れており、かつて「ブラック・レイン」という映画を大阪で撮った際に、日本側の手際の悪さにシドニールメット監督がもう二度と日本では映画は撮らないと激怒したという事件があったことが紹介されています。

この事件は素人の私でも知っていたくらい有名な話であり、映画好きとしては残念な話でもあります。

そして、その事件から少しは進歩したものの、基本的にはあまり変わっていない、ということが語られているのです。

そうした状況の中、成田空港には着いているはずのリーアム・バーク監督が行方不明になったり、渋谷でカーアクションを撮りたいというリーアム・バーク監督の依頼を実現させるために渋谷署や渋谷区役所などの許可を求めて奔走する警視庁FC室の姿が描かれます。

 

本書の上記のような物語の流れそのものはお仕事小説のようでもあり、映画撮影の背景などのトリビア的な知識が描かれている楽しみもあり確かに楽しいのです。

しかしながら、話の流れそのものは、作者の今野敏の筆のままに、かなり気楽に進みます。

なにせ、FC室長の長門自身が一見かなりいい加減なのです。何とかなるという一言で、楠木をあちこちに送り込んで交渉をさせ、結果として望みの流れへと進ませます。

こうした流れを楽しめるかどうかで本書の評価はかなり変わると思われます。

私としては、気楽さがちょっと過ぎるのではないかと感じ、軽さを感じる作品という評価になってしまいました。