歌舞伎町の一角で町会長の死体が発見された。警察は病死と判断。だがその後も失踪者が続き、街は正体不明の企業によって蝕まれていく。そして不穏な空気と共に広まる謎の言葉「歌舞伎町セブン」…。『ジウ』の歌舞伎町封鎖事件から六年。再び迫る脅威から街を守るため、密かに立ち上がる者たちがいた。戦慄のダークヒーロー小説。(「BOOK」データベースより)
『ジウサーガ』の新たな展開として位置づけられる、日本一の歓楽街である東京は新宿の歌舞伎町を舞台にした、現代の「仕掛人」の物語である長編小説です。
新宿二丁目にある鬼王神社で、歌舞伎町一丁目町会長の高山和義が急性心不全で死んだ。新宿警察署地域課勤務の小川幸彦は、その死に不審を抱いて調べると、「歌舞伎町セブン」という言葉と、「欠伸のリュウ」という言葉が浮かんできた。
タイトルの「歌舞伎町セブン」とは、新宿の街を守るために集まった殺し屋のグループの名前です。『ジウ』で描かれた封鎖事件から六年後の新宿で、再び不穏な動きが起きているのを見て、世間から身をひそめていた「歌舞伎町セブン」の生き残りが、新たな仲間を加えて新宿の街を守ろうと動き始めるのです。
新宿を舞台にした小説と言えば、まずは馳星周の『不夜城』があります。ノワール小説として代表的な作品と言えるのではないでしょうか。舞台が新宿というわけではないのですが、新宿署の刑事として有名なのが大沢在昌の『新宿鮫』があります。
また、刑事ものではなく普通の人情小説ではありますが、新宿の裏通りの小さなバーを舞台とする半村良の直木賞受賞作品である人情小説の『雨やどり』は忘れられない作品です。私は未読ですが、船戸与一にも『新宿・夏の死』という作品があるそうで、これは読んでみたい作品です。
本書は、誉田哲也作品の『ジウ(全三巻)』『国境事変』『ハング』の時系列上にある物語で、東警部補という共通の登場人物がいます。とはいっても物語としての関連はないと言ってよく、本書は本書として独立した物語として読むことができます。
しかしながら、誉田哲也の他の小説と比べると若干見劣りがする、というのが正直な感想です。新宿の街を守る殺し屋、という発想は面白いのかもしれないけれど、物語の起伏はあまりなく、登場するキャラクタも個性が薄い印象です。本書自体が面白くないわけではありません。他の作品と比較すると見劣りがすると感じるのです。
それは、本書の視点が登場人物の幾人かの間で切り替わっていることとも関連するかもしれません。本書の頁数が397頁と若干長く、焦点がぼけていると感じるのです。本書の内容であればもう少し短くても良いんではないか、という印象を抱いてしまいました。
学生の頃よく通い、バイトをし、遊んだ街新宿が舞台で、思い入れのある街でもあることからハードルが高くなっているのかも知れません。
以上が最初に本書『歌舞伎町セブン』を読んだ時の文章です。メモによると2015年8月のことであり、今回再読してこの文章を読みなおしてみると、現在の歌舞伎町セブンの物語の面白さの感じ方との隔たりに驚きます。
本書は歌舞伎町セブンとしての物語の始まりでもありますが、『ジウサーガ』の中に位置づけられるべき物語でもあります。
そして、後に『ノワール-硝子の太陽』と『硝子の太陽R - ルージュ』という作品を通じて、本書が『姫川玲子シリーズ』と同じ時系列にいることが明らかにされることになります。
その『ジウサーガ』が、誉田哲也作品の中でも一番面白いと思う『姫川玲子シリーズ』との優劣がつけられないほどに面白さを持つシリーズとしてあることを思い、今回『ジウ サーガ』の当初から再読したのです。
そして、あらためて本『ジウサーガ』の持つエンターテインメント小説としての面白さを再認識しています。
当初読んだときには気が付かなかったミサキやジロウの物語がこれほどに哀しいものだったこと、本シリーズを通しての敵である「新世界秩序」という組織の巨大さ、シリーズ内における東警部補という存在の大きさ、など驚きに満ちている物語でした。
ジウ三部作の当初からの物語世界の広がりをみると、アクション性の強い少々変わった警察小説というほどの認識だったこの物語が、新宿という限定された空間をさらりと超えてしまう広がりと他のシリーズとコラボするほどの奥行きを持つ小説として成長しているのです。
誉田哲也という作家が、ジウ三部作を書いた当初からここまでの計算があったとは思えないのですが、計算があったとしても何もおかしくない物語世界が構築されていることが驚異的です。それほどの面白さを持つエンターテインメント小説です。