『星を掬う』とは
本書『星を掬う』は2021年10月に刊行された、2022年本屋大賞にノミネートされた作品長編の家族小説です。
主人公の娘と、娘が幼い時に家を出ていった母親との話を中心に、様々な家族の姿を描く作品ですが、個人的には好みとは異なる物語でした。
『星を掬う』の簡単なあらすじ
町田そのこ 2021年本屋大賞受賞後第1作目は、すれ違う母と娘の物語。
小学1年の時の夏休み、母と二人で旅をした。
その後、私は、母に捨てられたーー。
ラジオ番組の賞金ほしさに、ある夏の思い出を投稿した千鶴。
それを聞いて連絡してきたのは、自分を捨てた母の「娘」だと名乗る恵真だった。
この後、母・聖子と再会し同居することになった千鶴だが、記憶と全く違う母の姿を見ることになってーー。内容紹介(出版社より)
主人公の芳野千鶴は、夫弥一からのDVで離婚はしたものの、未だに弥一からの暴力と金銭の搾取という被害に遭っていた。
そんなとき、あるラジオ番組へ応募したことから、幼い頃に別れた筈の母親を知っているというリスナーから連絡があった。
そのリスナーの芹沢恵真に会い、母親は若年性認知症を発症していることを聞かされた。
また、自分が元夫の弥一に苦しめられているという話を聞いた芹沢恵真は、このまま母親のもとに行くことを勧めるのだった。
同行していたラジオ局ディレクターの野瀬からDVのシェルターも紹介してもらいながら、そのすすめもあり、母の住む「さざめきハイツ」へと行く千鶴だった。
その「さざめきハイツ」には、介護の仕事をしている九十九(つくも)彩子がいて、家事全般をこなしながら母聖子の面倒をも見ているのだった。
『星を掬う』の感想
本書『星を掬う』は、家族の物語ではありますが、その内容はDV、嫁と姑、育児放棄、介護、ハイティーンの妊娠など、多くの家族の問題を内包している物語です。
そして、2021年本屋大賞を受賞した『52ヘルツのクジラたち』という作品の後に出版された第一作目の作品であり、さらには2022年本屋大賞の候補となった作品でもあります。
本書『星を掬う』はそれほどに評価され、皆の心を打った素晴らしい作品なのです。
しかしながら、端的に言って破滅的な家族、家庭が主題になっている本書『星を掬う』であるため、前作の『52ヘルツのクジラたち』と同じく、私にとっては決して心地よい作品ではありませんでした。
冒頭から「さざめきハイツ」で産みの母に会うまで、主人公の芳野千鶴が夫弥一から受けるDVの様子が語られます。
DVというものは、本書で描かれているような状況でも、傍から見ると逃げればいいと簡単に考えがちですが、被害者にしてみればそこから逃走するにはものすごいエネルギーを必要とする行為だそうです。
そもそも、逃げる、という発想がない、という話も聞いたことがあります。
そうした決して大げさではないDVについての本書の描き方ですが、そうした描写をあえて読もうという気にならないのです。
読書には楽しいひとときを求める私にとって、ある種苦痛でもあります。
加えて、本書では親の認知症、家族の崩壊、二十歳前の娘の妊娠などと次から次に悲惨な家族の姿が描かれています。
つまり、本書の主人公の芳野千鶴自身が母親に捨てられ、夫からはひどいDVを受けています。
また、千鶴と連絡を取った芹沢恵真も男性恐怖症に陥るほどの過去があり、九十九(つくも)彩子も自分の娘との関係を築けずにいました。
千鶴がともに住むようになってしばらくしてから転がり込んできた彩子の娘の美保も、17歳で妊娠したものの相手から捨てられていて、「さざめきハイツ」の住人を混乱の渦に放り込むのです。
このように、皆が何らかの不幸を背負い、他者をそして自分自身を傷つけながら生きている、その姿が描かれています。
私は認知症を発症していた母を一昨年に亡くしている身でもあり、けっして楽しい読書ではありませんでした。
とはいえ、先に述べたように本書『星を掬う』は本屋大賞の候補作となっている作品ですから、皆が読むべきだと高く評価した書店員さんが多かったということです。
勿論、私も本書が良い本だということを否定するわけではありません。素晴らしい作品であることは認めたうえで、ただ私の好みとする範疇の作品ではないというだけです。
著者の前作品である『52ヘルツのクジラたち』も児童虐待という悲惨な状況をテーマにした作品でした。
しかし、そこでは本書ほどに暗くはなく、全体を通しての明るさがあったように思えます。そうした作品でさえも、やはり「決して好みとは言えない」作品でした。
本書でも同居人たちの互いへの思いやりや献身的な態度など、暗い側面ばかりではありません。小さな感動をもたらしてくれる会話、場面が少なからずあります。
でも、全体を通してのトーンがやはり重く、個人的には自ら手にとっては読まない範疇の作品なのです。
さらに言えば、主人公に対する個人的な拒否感がどうしても否めません。自己主張ができず、状況に流されて自分を否定するしかない登場人物を私は読みたくないのです。
もしかしたら、そうした自分自身にそうした性格を見出し拒否感を持っているのかもしれません。
しかし、そうしたことを分析しようとも思わず、ただ拒否したいのです。
結局、前著で書いたと同じ言葉をここでも書くこといなります。すなわち、「そうした人間を描いた小説を自分から読みたいとも思いません。本屋大賞の候補作品とならなければ自分から読むことはなかった」と思うのです。
とはいえ、「悲しい過去が描かれていても、中には読むに値する作品はあります。そして本書は読むだけの価値があったと思えた作品だったのです。」という同じことがあてはまるのです。