朝井 リョウ

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正欲』とは

 

本書『正欲』は2021年3月に刊行された、第34回柴田錬三郎賞を受賞し、第19回本屋大賞にノミネートされた379頁の長編小説です。

描かれている事柄以上に読者に覚悟を強いてくる作品であり、もしかしたらこれまで読んだ種々の小説の中で一番衝撃的な物語の一つだったかもしれません。

 

正欲』の簡単なあらすじ

 

生き延びるために、手を組みませんか。読む前の自分には戻れない。作家生活10周年記念、気迫の書下ろし長篇小説。(「BOOK」データベースより)

 

本書は、ストーリーを追い、その流れの中で物語の登場人物の行動を追体験して楽しむという通常の作品とは異なる物語であって「あらすじ」を書くことは難しく、またあまり意味がないように思える作品でした。

 

正欲』の感想

 

私は大体エンタメ作品しか読まず、直木賞や本屋大賞といった特別な賞の候補作になった作品だけは、自分の好みとは違う作品であっても読もうと決めています。

これらの賞の候補作ともなれば面白い作品に違いない、と思ったからです。

しかし、そうした候補作の中には例えば村田沙耶香の『コンビニ人間』や又吉直樹の『火花』のように芥川賞を受賞するような作品も当然ながら含まれているのであって、そうでなくてもエンターテイメント作品ではない文学性の高い作品が含まれています。

本書『正欲』もそうした中の一冊であって、自分からは手に取らないけれども読んでよかったと心から思える作品でした。

 

 

本書の冒頭に、何を言いたいのかあまりはっきりとはしない一文が紹介されています。

何を言いたいのかよく分からない文章であり、そして読み進める中でいつの間にか忘れていた文章です。

しかし読了後に、作者の意図が凝縮されていると思われるこの一文の重要性、罹れている意味が少しだけわかったような気になりました。

この文章の後に小児性愛者たちの“パーティー”が摘発された新聞記事が紹介されていて、そして物語が始まります。

 

本書『正欲』は数人の登場人物のそれぞれの一人称視点で語られる物語からなっていて、まずは寺井啓喜という名の検事の視点での話から始まります。

そして、桐生夏月神戸八重子という女性たちの紹介を兼ねた一人称の話が続きます。桐生夏月は他人と外れている自分を認識しており、神戸八重子は引きこもりの兄に代表される男という存在を忌避しています。

そうするなか、桐生夏月の高校時代の同級生の佐々木佳道や、神戸八重子の大学の学祭の関係で知った諸橋大也らの名前が現れ、そして彼らの視点での物語も始まります。

 

本書『正欲』を読了後の今思えば、最初に検事の視点で始まることは意味があることなのかもしれません。

人間にはそこにおさまるべき通常のルートのようなものがあることを確信しているこの検事の視点は、「通常のルート」という社会正義の存在を確信しそれに従う社会の大多数の人々の代弁者でしょうか。

 

その後の話の展開の過程で語られるのは、佐々木佳道、諸橋大也、桐生夏月といった人物たちの性癖です。「多様性」が語られる現代においての特殊な性癖のことです。

彼らはその性癖の故に世の中とのつながりを保てず、他者を遮断して一人の世界で生きていますが、その彼らが冒頭で登場した検事の寺井啓喜の小学生の息子の運営するYouTubeを通じてつながりを持ち始めるのです。

孤立する彼らが、わずかな仲間との連帯を求め、その上で社会とつながりを持ち社会の中で生きていこうとする努力(と言っていいものか疑問は残ります)が、結果として冒頭の悲劇へと結びついていきます。

 

本書『正欲』の冒頭の一文は、マイノリティーと呼ばれる人たちに対して、自分は理解している、「多様性」を認めていると語りかける個々人に対して、「おめでたさ」を感じると言い切っています。

単純に、話者の理解の範疇で「多様性」を語ることへの嫌悪感を示しています。理解の範疇を越えたところにいる人達を認識していない人の言葉だと、ばっさりと斬り捨てているようです。

 

ただ、作者の朝井リョウは、「生き延びるために 本当に大切なものとは 何なのだろう」という問いかけに対する答えとして本書『正欲』を書いたと書かれています。

この「生き延びるために 本当に大切なもの」という問いかけ答えとして本書が書かれた、という言葉は、私にはその意味がよく分かりませんでした。

現代で様々な場所で「多様性」という言葉が語られ、その言葉を発する当人の立ち位置に対しての疑問を提示する、ということならわかります。

でも、本書が「生き延びるために 本当に大切なもの」という問いかけになるとは思えなかったのです。

 

本書の中心的な登場人物たちは、自分たちがこの社会では生きていきにくい存在だということを認識しています。

ですから、その生きにくい社会の中でひっそりと生きていくために「普通」を装うための手段として「繋がり」を持つことで社会の中で生きていこうとするのでしょう。

とするのならば、社会の異端である彼らの「性癖」こそが二人の繋がりであり、「多様性」という言葉への告発ということになるのでしょうか。

そういう意味であるのならば分かるのですが、どうも何となくそういう告発ということではないような気もします。

 

いずれにせよ、多視点で書かれる本書は、個々人の考えが他者にはなかなか及びにくいということも含めて、人の思考の限界を指摘するものでもあるでしょう。

さらには、いままで思っていた他者への同意、理解などの自分の思いが、全く薄く中身を持たない考えだと思い知らされたようでもあります。

一方、今までの自分の考え自体が間違ったものだとは思えないという感情もあり、なんとも心を思いっきり揺さぶられた、衝撃的な作品でした。

[投稿日]2022年07月03日  [最終更新日]2022年7月3日
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