本書『琥珀の夏』は、新刊書で548頁にもなる長編のミステリー小説です。
ミステリーだと断言していいのか疑問もありますが、家族や親と子、特に母親と娘との関係をとらえたミステリー仕立ての作品だと言っていいでしょう。
『琥珀の夏』の簡単なあらすじ
大人になる途中で、私たちが取りこぼし、忘れてしまったものは、どうなるんだろう――。封じられた時間のなかに取り残されたあの子は、どこへ行ってしまったんだろう。
かつてカルトと批判された〈ミライの学校〉の敷地から発見された子どもの白骨死体。弁護士の法子は、遺体が自分の知る少女のものではないかと胸騒ぎをおぼえる。小学生の頃に参加した〈ミライの学校〉の夏合宿。そこには自主性を育てるために親と離れて共同生活を送る子どもたちがいて、学校ではうまくやれない法子も、合宿では「ずっと友達」と言ってくれる少女に出会えたのだった。もし、あの子が死んでいたのだとしたら……。
30年前の記憶の扉が開き、幼い日の友情と罪があふれだす。圧巻の最終章に涙が込み上げる、辻村深月の新たなる代表作。
「BOOK」データベースより)
ミカの最初の記憶は<ミライの学校>の玄関で、「今日からここがミカの家だよ」と言われ、それまでつないでいたはずの手がいつの間にかなくなり、ミカは涙が止まらなかったことだ。
四年生のノリコは小学校で友達ができずにいたが、夏の間の一週間だけ<ミライの学校>でもなかなか友達を作れずにいた。
そのとき友達になってくれたのが、ミカという<学び舎>の子だった。
ミカたちに会うために小学五年と六年の夏休みも<ミライの学校>へと行ったノリコだったが、六年生のときにはミカはおらず、淋しい思いをしたのだ。
大人になり弁護士となった法子は、見つかった子どもの白骨死体は自分の孫ではないかという老夫婦の依頼で<ミライの学校>へと向かうのだった。
『琥珀の夏』の感想
作者の辻村深月は、「“子ども時代”を別の何かのように見ていた感覚
」があったのだけれど、子どもの時間の延長線上にあるがままの自分がいることが分かってきて、それまで思っていた「記憶」を再検証しようという気持ちがあった、と書かれています( ANANニュース : 参照 )
そして本書『琥珀の夏』で、大人になった法子(ノリコ)はその言葉通りに<ミライの学校>に関する自分の記憶を掘り起こすことになります。
それは親と子、それも母親と子という普遍的な関係を見つめ直すことであり、また今の自分の生活を、そして自分の<ミライの学校>に関する記憶を再確認する作業でもあったようです。
そうして、依頼された事件を処理していく中で、<ミライの学校>を今の、大人の法子の目で見直していくことになります。
具体的には、<ミライの学校>の子供の自主性を尊重するという理念の検証が、子供のためという大人の目線と子供の関係を見直すことにつながります。
保育園の抽選に漏れ、共働きの夫婦であるために今後の自分の仕事への影響も考えなければならない法子は、<ミライの学校>に生活の基盤までもおいている子供たちやその親たちのことまでも思いを馳せるのです。
こうして本書『琥珀の夏』は、単純に<ミライの学校>を通して子供の教育のあり方などを考えるだけではなく、大人の思う子供のためという思想、そしてその実践活動が子供の未来を奪っているのではないかという問題提起もしています。
同時に、本書『琥珀の夏』は「友達」という言葉の持つ重みも感じる作品でした。
途中でノリコが「友達って何だろう。」と自問する場面があります。
普段親しげにしている友達が、相手がいない場所でその子を排除するようなことを言うのは何故なのかを考えます。小学生四年生のノリコが、一生懸命に友達という言葉について考えているのです。
そうした後で、ノリコはミカから「友達になっていい?」と問いかけられ、躊躇いなく「友達だよ」と力いっぱい答えるのです。
実際、この場面は本書において重要な場面でもあったのですが、実に印象的な場面でした。
本書『琥珀の夏』は、<ミライの学校>で埋められていた白骨が見つかったことから物語が展開し始めるミステリーです。
しかし、本書は普通のミステリーのように主人公が真実にたどり着く為に少しずつ謎を解明していくという展開ではありません。
自分が通った<ミライの学校>の調査をするうちに、小学生ではない、大人になった法子は<ミライの学校>の実態をつかんでいきます。
そうした白骨となって見つかった子が誰か、また誰がこの子を埋めたのかを探る過程は、いわゆる謎解きの工程といえるでしょうから、通常のミステリーとは異なるとは言い切れないかもしれません。
しかし、それでもなお謎解きそのものは本書のメインではないと思います。
確かに本書では白骨で見つかった子は何故そうなってしまったのか、なぜそれまで行方不明者にもならなかったのかが追及されています。
それでもなお、本書『琥珀の夏』で描かれているのはこれまで述べてきたように親と子のあり方であり、教育というもののありようです。
とくに、個人的には記憶の中から掘り起こした法子の「友達」に対する思いを描いてあるように思えるのです。
辻村深月という作家のストーリーテラーとしての存在はあらためて言うまでもありませんが、本書もまた読みふけってしまう作品でした。
あまり書くとネタバレになりますので書けませんが、それでもなおミステリーとしても面白くでき上っています。
個人的には第15回本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』ほどの面白さはないとは思うのですが、それでもなお本書なりの面白さは否定できません。
とくに後半になり、弁護士の法子が本格的に動き始めるころからは一気に読み終えてしまいました。
辻村深月という人はこれから先も作品を追いかけていく作家さんであるようです。