夏川 草介

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本書『始まりの木』は、『神様のカルテシリーズ』の著者による民俗学を通して学ぶこと、生きることの意味を考える長編小説です。

民俗学の准教授がフィールドワーク先の現場で行う大学院一年生に対しての心豊かな講義は必読です。

 

生きること、学ぶことの意味を問う、新世紀の“遠野物語”。“これからは、民俗学の出番です”。神様を探す二人の旅が始まる。(「BOOK」データベースより)

 

第一話 寄り道
古屋と千佳は、青森県弘前市へと向かい、古屋の知り合いの宿へと泊まる。翌朝目覚めた千佳は、岩木山を前に古屋から日本と西洋の夫々のの神の成り立ち、違いについて講義を受けるのだった。

第二話 七色
藤崎千佳はいつものように古屋神寺郎と京都に講演のために来ていた。そこで出会った一人の青年を鞍馬まで送っていくことになるが、途中の色彩の降り注ぐ駅で彼は降りた。

第三話 始まりの木
信州の松本駅前の店で倒れたものの翌日元気を取り戻した古屋は、千佳を連れて伊那谷へと向かう。そこで、古屋の民俗学の原点が示され、そして日本人にとっての神についての講義が始まった。

第四話 同行二人
古屋と千佳は、高知県宿毛市で調査中の仁藤仁のもとへと行く。翌朝の散歩の途中、ゆったりと響いてくる読経の声に誘われて横道に入った千佳らは、行き倒れている一人のお遍路さんを見つけた。

第五話 灯火
東々大学近くの輪照寺には道路拡張のために切り倒される樹齢六百年の見事な枝垂桜の老木があった。千佳は、輪照寺の住職からこの国の神の独特な在り方を、古屋からは民俗学の意義についての話を聞く。

 

本書『始まりの木』の主人公は、国立東々大学の民俗学者である古屋神寺郎(かんじろう)准教授の研究室で学ぶ、藤崎千佳という大学院一年生です。

千佳の二年先輩の仁藤仁が、古屋の言葉は「毒と皮肉でできている」と言うほどに古屋という人物は偏屈であり、要らざる敵を作ることに長けています。

そうした人物に付き従い、足の悪い古屋の世話をする千佳もまた少々変わった人物です。古屋と共にする日本中の旅が、いつも新鮮な発見と驚きとをもたらしてくれることがとても気に入っているのです。

自分の方向性も定まらないままに柳田國男の『遠野物語』を愛読する彼女は、ひょんなきっかけで聞くことになった古屋の講座に魅せられ、古屋の研究室に入る決心をしたのでした。

 

 

そうした二人ですが、古屋の「藤崎、旅の準備をしたまえ」という一声でいつも唐突なフィールドワークの旅へと旅立つことになります。

 

その旅先として本書『始まりの木』ではそれぞれの話で「青森県弘前市、嶽温泉、岩木山」、「京都府京都市(岩倉、鞍馬)、叡山電車」、「長野県松本市、伊那谷」、「高知県宿毛市」へと旅をし、最後に「東京都文京区」という大学近くで不思議な出来事に出逢います。

同時に、それぞれの話で千佳は古屋から、また別な人物から、日本の神について、生きるということについて得難い講義を聞くことになります。

例えば第一話では、日本人にとって生活の場そのものである自然はそのまま神の姿になった。それに対し、西洋では森や海は恐怖の世界との境界であるため森や海という自然を制圧することとなり、自らの心の中に人間的な神を作ることになった、という話でした。

自分の足で歩いて、自分の手で事物に触れ、自分の目で対象を見、そして実際に様々な出来事に遭遇することこそが大事なことに気付くのです。

彼らの旅では、鞍馬での色鮮やかな紅葉たち、高知での読経の見事な高僧、文京区での見事な枝垂桜など、自分で歩いたからこそ出逢える不思議な出来事に出逢います。

そして、古屋の講義は神と自然、日本の神と西洋の神のそれぞれの在りようを語り、千佳は日本人の生活、考え方、日本という国独特の神の考え方などについて学ぶのでした。

 

そうした講義は、ひいては読者である私たちの心の中へと響いてきます。日々の暮らしの中にある日本人特有の神についての考え方などを知るのです。

それは、押し付けでもなく、本書の作者である夏川草介の、日々命と向き合う医者という立場から学んだ事柄でもあるでしょう。

また、本書巻末に載せられた膨大な量の参考文献を読んで得られた「民俗学」や「神」についての考え方でもあるのでしょう。

夏川草介という作家の科学に対する考え方、科学万能主義に対する批判的な考えをもとに、自然の中に生きる我らの在りようを見つめ直したくてこの物語を書いたのではないかと思えます。

この考え方は、『神様のカルテシリーズ』などの夏川草介の他の作品の根底にも流れている思いのように感じるのです。

 

 

本書『始まりの木』の主人公のひとりである古屋という人物は、本書の文章を読んでいると、足が悪いという設定もあってかまるで初老の准教授といった趣があります。

それは、台詞が老成していることや、この作者の特徴の一つでもあるかと思うのですが、文章表現そのものが和風というか、古風、少なくとも現代風ではないことからも来ているのでしょう。

例えば、第三話で信濃大学教育学部の永倉教授が発した苛烈な言葉について述べている、「清風が名月を払うような爽やかさ」などという和風の比喩表現の巧みさなどはその典型だと思います。

しかし、多分、東々大学の次期教授を嘱望されている人物でもある彼はまだ五十歳にもなっていないのです。

 

いつもは主として派手なエンターテイメント小説を読んでいる私にとって、本書のような心に直接響いてくる小説は非常にありがたい作品でもあります。

日本人としての物ごとの考え方や、神という存在についてあらためて考えることなどまずない日々を送っていると、本書『始まりの木』のような作品はまさに自分をリフレッシュさせてくれる作品でもあるのです。

若干の感傷に浸る、そうした側面がないとは言いませんが、そうしたことも含めて自体自分にとっては代えがたい体験であるようです。

 

この作者の作品それぞれが、作者自身がいつも考えておられることであり、それを軽いユーモアで包みながら魅力的な登場人物に託して提供してくれています。

それを読者である私たちが受取り、咀嚼し、感動を得るという、普通でありながらもある意味得難い体験をさせてもらえていると思うのです。

本書『始まりの木』では痛切にそう感じました。

この作者の作品はいつも新たな感動をもたらしてくれます。

また新しい作品を提供してほしい、心からそう思う作家さんです。

[投稿日]2020年11月25日  [最終更新日]2020年11月25日
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夏川草介『始まりの木』 | 小説丸
我ながら、少し不思議な物語を書いた。変わり者の民俗学者とその教え子が日本各地を旅する物語である。格別奇をてらったわけではない。

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