本書『逆ソクラテス』は、小学生を主人公にした新刊書で276頁の長編小説で、第33回柴田錬三郎賞受賞作であり、2021年本屋大賞候補作でもあります。
いろいろな場での人間としてのありようを小学生の眼を借りて述べた、爽快感に満ちた物語です。
『逆ソクラテス』の簡単なあらすじ
逆境にもめげず簡単ではない現実に立ち向かい非日常的な出来事に巻き込まれながらもアンハッピーな展開を乗り越え僕たちは逆転する!無上の短編5編(書き下ろし3編)を収録。(「BOOK」データベースより)
逆ソクラテス
転校生の安斎は、どこにでも決めつけて偉そうにする奴がいて、そういう奴らには負けない方法があると言ってきた。「僕はそうは思わない」という言葉だというのだ。
スロウではない
司と悠太はクラスでは目立たない地味な存在であり、また村田花も地味でいつも転校生の高城かれんと一緒にいた。そこに、目立ちたがりの女子の渋谷亜矢が意地悪を仕掛けて来た。
非オプティマス
五年生になって転校してきた保井福生は、いつも安そうな服を着ていて貧しい家の子だと馬鹿にされていた。その福生は、今の自分は仮の姿であり、例えばトランスフォーマーの司令官のオプティマスのようなものだというのだ。
アンスポーツマンライク
五人の仲間でのミニバスケットの最後の試合で歩(あゆむ)は肝心の一歩が出なかった。そして今、通り魔を前にして再び目の前の事態に足が踏み出せないでいた。
逆ワシントン
謙介の母親は「ワシントンの話」が好きだ。正直であることが一番だという。しかしその母親が、あることで変な大人に叱られている謙介や倫彦たちを窮地から救い出すために嘘をつくのだった。
『逆ソクラテス』の感想
本書『逆ソクラテス』は、小学生を主人公にした爽快で、実に心地よい物語です。
教師からできない人間だとのレッテルを貼られた生徒や、足が速くないのにリレー選手に選ばれてしまった子供たちなどが主人公です。
彼らは何事も頭から決めつけてくる担任に対して「僕はそうは思わない」と反発したり、仲間たちの力を借りてその状況に立ち向かったりと積極的に生きています。
そもそも伊坂幸太郎という作家の作品は、そのストーリーの小気味よさもさることながら、非常に読みやすい文章が特徴の一つだと言えるでしょう。
特に本書の場合、主人公が小学生ということもあって難しい単語を使用することもなく、一段と読みやすい文章になっています。
そうした読みやすさの中で、各話の子供たちは先入観に基づく行為やいじめなどの理不尽な行いに対して反旗を翻します。
その行動は実に爽快であり、痛快です。そして、各話の中では読み手の心に確実にインパクトを残す「言葉」があり、リズムに乗った「文章」が示されています。
先に述べた「僕はそうは思わない」という言葉や、ドン・コルレオーネの真似の「うむ。では」「はい」「消せ」などの会話がそうです。
読み終えてからこれらの言葉がインパクトをもって思い出されます。
本書『逆ソクラテス』の各話は一応独立していて、個別に読むことができます。
ただ、例えば「スロウではない」に登場する磯憲先生は「アンスポーツマンライク」にも登場しますし、他にも明記はしてありませんが、同じ人物ではと思われる登場人物がいるのです。
これらの仕掛けは単に同じ人物が登場しているというだけではなく、各々の人生が交錯し、それぞれが有機的につながっている印象をもたらし、物語の世界に広がりを与えています。
さらには、第一話目「逆ソクラテス」の冒頭に出てくる野球選手は特定できても、そのテレビを見ている人が誰なのか明記してありません。
また、最終話「逆ワシントン」に出てくる家電量販店でのテレビの中のバスケットボール選手は名前が分かるにしても、涙を流す店員は不明です。
その人物が誰かをあいまいにしていることは読み手に委ねているということでしょうし、そのことは本書『逆ソクラテス』という物語に更なる厚みを持たせています。
これらの人物が誰を指しているのか、についてネット上でもいろいろと推測されています。
作者は答えは用意していませんが、読者それぞれがそれぞれの立場で考えてほしいと言っているのでしょう。
繰り返しますが、本書『逆ソクラテス』は、読みやすく爽快な読後感をもたらしてくれる作品です。
是非の一読をお勧めします。