『夜叉萬同心 もどり途』とは
本書『夜叉萬同心 もどり途』は『夜叉萬同心シリーズ』の第五弾で、2017年7月に光文社時代小説文庫から328頁の文庫本書き下ろしで出版された、長編の痛快時代小説です。
『夜叉萬同心 藍より出でて』の簡単なあらすじ
浅草・花川戸で貸元の谷次郎が殺され、前後して唇に艶紅の塗られた若い女の死体が見つかった―。夜叉萬と綽名される北町奉行所の隠密廻り方同心・萬七蔵は、内与力・久米信孝の命により、谷次郎殺しの下手人との差口のあった「あやめの権八」なる男の裏を探り始めるが、事態は急展開をみせる。著者の原点であるシリーズ、待望の書下ろし新作。一寸先の闇を斬れ。(「BOOK」データベースより)
序 秋光
浅草花川戸町の貸元・谷次郎が何者かに殺害された九月のある日の翌日の昼下がり、向島隅田村の河原で水草の間に浮かぶ若い女の亡骸が見つかった。小網町三丁目の下り塩仲買問屋隅之江の大女将お純に奉公するお豊という娘だった。
第一章 黄昏
夜叉萬は、北町奉行小田切土佐守の内与力久米信孝から、十年以上も前に江戸追放に処されたにもかかわらず江戸に舞い戻っているらしいあやめの権八という無頼を調べるようにと申し付かる。浅草の谷次郎殺しは権八の仕業ではないかというのだ。
権八らしいと思われる男のやっている《あやめ》という蕎麦屋にいくと、そこに、指物師の伊野吉という男が出入りしているのに出くわすのだった。
第二章 言問い
月が明けた十月初め、下り塩仲買問屋の隅之江に奉公する梅という娘がお文を訪ねてきて、殺されたお豊から聞いたとして、お豊は隅之江の大女将のお純をゆすっている正五というじいさんに殺されたに違いないので調べてほしいと言ってきた。
第三章 初恋
“あやめの権八”の手下の瓜助が盗みで捕まり、夜叉萬に話したいことがあると言ってきた。自分の首と引き換えに、あやめの権八らが殺された件について、伊野吉という指物師のじじいの関りを知っているというのだった。
結 お藤ねえさん
正五じいさん殺害犯人が捕まり、七蔵はお純のもとへと報告にやってきたが、そこには正五じいさんの妻であるお藤がいたのだった。
『夜叉萬同心 もどり途』の感想
本書、辻堂魁著の『夜叉萬同心 もどり途』は、『夜叉萬同心シリーズ』の第五弾となる長編の痛快時代小説です。
本書ではあやめの権八と指物師の伊野吉の話(第一・三章)と正五というじいさんとお純の話(序、第二章、結)という二つの物語から構成されています。
共に哀切漂う話です。伊野吉の話は殺し人として人の道を踏み外した男が抱いた一人の女郎への恋心の話であり、そしてもう一つは、若い頃のお純の幼い無分別な恋の話です。
辻堂魁の物語らしく、切なさに満ちた話ですが、特に隅之江の大女将であるお純の話は当初思っていたよりも話が一歩踏み込んでいて、若干の意外性と共にもの悲しさの漂う話として出来上がっています。
どうも、本シリーズ本来の基本的な設定である、非道に対しての果せぬ仕置きを代わりに執行する男としての夜叉萬、という姿は少なくとも本巻に関しては、その色が薄くなっているようです。
前巻あたりから何となく傾向が変わってきた印象はありましたが、本書ではそれがはっきりとしていたように思えます。
極端に言うと、この物語は『夜叉萬同心シリーズではなくて『日暮し同心始末帖シリーズ』であってもなんらおかしくはない、そういう印象なのです。
それは私がそう感じたというだけのことであり、シリーズの色の話ですから、それは事の良しあしというよりは、単に個人的感想に過ぎませんが。
何はともあれ、面白いシリーズであることは間違いありません。