丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』とは

 

本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は『十二国記シリーズ』の第五弾で、2013年6月に新潮社から文庫本で刊行された、辻真先氏による解説まで入れて358頁になるファンタジー短編小説集です。

 

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』の簡単なあらすじ

 

「希望」を信じて、男は覚悟する。慶国に新王が登極した。即位の礼で行われる「大射」とは、鳥に見立てた陶製の的を射る儀式。陶工である丕緒は、国の理想を表す任の重さに苦慮していた。希望を託した「鳥」は、果たして大空に羽ばたくのだろうかー表題作ほか、己の役割を全うすべく煩悶し、一途に走る名も無き男たちの清廉なる生き様を描く全4編収録。(「BOOK」データベースより)

 

目次

丕緒の鳥 | 落照の獄 | 青条の蘭 | 風信

 

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』の感想

 

本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は、四編の短編からなっています。

本書から版元が新潮社へと代わったそうで、これまでと異なり講談社版での刊行はなく、直接現行の新潮文庫からの出版となっています。

新潮社版ではシリーズ第五弾ということになっていますが、後にエピソード0となった『魔性の子』や、『ドラマCD 東の海神 西の滄海』付録の『漂舶』を除いた出版順から見ると、同じ短編集である『華胥の幽夢』に続く八作目の作品でもあります。

本書では、政(まつりごと)に対する普遍的な民の思い、即ち政治への積極的な参加、消極的な無視、そもそもの無関心その他のいろいろな民の形態が、その時々に応じて種々の登場人物の形態として描き出されています。

だからこそ読者の腑に落ち、登場人物に感情移入し、またそういう考えもあるかと新たな発見があって、そこでも感情移入の路を見つけ出します。

 

第一話「丕緒の鳥」は、シリーズ第一作『月の影 影の海』で語られた景王陽子の即位の儀の裏で苦悩する羅氏という官職の丕緒(ひしょ)の話です。

 

 

羅氏とは、慶国の新王即位の礼で行われる儀式で使われる鳥に見立てた陶製の的を作る陶工を指揮する役目ですが、丕緒は射儀の企図まで為す「羅氏の羅氏」と呼ばれていました。

この丕緒の、陶製の鳥である陶鵲をいかに作るか思い悩む姿が描かれています。

古代中国を参考にしたという『十二国シリーズ』の美しい世界観の中で、ある儀式を中心に新しい王朝の将来をも暗示した物語になっています。

 

第二話「落照の獄」は、柳国の法令・外交を司る役職である秋官の瑛庚の話です。

多くの人命を奪った凶悪犯の狩獺をどう裁くのか、傾きつつある柳国において、死刑を選択すれば司法が民の声に屈することになりかねず、死刑に付さなければ民の怒りは一気に噴出することになりかねないのです。

この物語は死刑制度についての議論が交わされており、『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』と同じように、刑罰の本質に迫る物語であると言えます。

現代の死刑制度に関しての議論と同様の衡量が為されており、かなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

 

第三話「青条の蘭」は、梟王の暴政に苦しむ雁国の、新しい草木や鳥獣を集める地官迹人という官吏である標仲の物語です。

新王が即位したことを聞いた標仲は、雁国で巻き起こった山毛欅(ブナ)の木が石化する病気を食い止めるため、身を削って見つけた薬草を新王に届けようと決意します。

新王登極の話がいきわたっているからか、何も分からないままに標仲の意を汲んだ人々が動く様子は心をうちました。

この物語はどこの国の話なのか、なかなかその名前が登場しません。結局、読後にネットで調べて雁国の話だと知りました。

 

第四話「風信」は、慶国の女王だった舒覚の悪政により家族を殺されてしまった蓮花という十五歳の娘の話です。

舒覚の悪政とは、国からすべての女を追い出してしまうもので、残っていた女は皆殺しにあうものであり、このシリーズでも何回か出てくる出来事です。

何とか軍の手から一人逃げた蓮花は、嘉慶という暦を作ることを職務とする男の下働きとして暮らすことになります。

新王が登壇するなか、燕のひな鳥の数の多さにこの国が明るいみたいのあることを教えてくれていることを知るのでした。

暦の意義、については、冲方丁の『天地明察』で描かれていましたが、この第四話では暦自体がテーマではなく、今の蓮花たちの暮らしが軍や政(まつりこと)に関係の無い浮世離れした生活のように思えても民の生活に密接に結びいていることを教えられるのです。

 

 

こうして読み終えてみると、同じ短編集でも『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は「官」側の物語であるのに対し、本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は「民」側の物語ということができそうです。

共に、十二国記シリーズで語られる物語の深みを増すものであり、かなり面白く読んだ作品でした。

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』とは

 

本書『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は『十二国記シリーズ』の第七弾で、2001年7月に講談社文庫から、2001年9月には講談社X文庫から刊行され、2013年12月に會川昇氏の解説まで入れて351頁の文庫として新潮社から刊行されたファンタジー短編小説集です。

 

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』の簡単なあらすじ

 

王は夢を叶えてくれるはず。だが。才国の宝重である華胥華朶を枕辺に眠れば、理想の国を夢に見せてくれるという。しかし采麟は病に伏した。麒麟が斃れることは国の終焉を意味するが、才国の命運はー「華胥」。雪深い戴国の王・驍宗が、泰麒を旅立たせ、見せた世界はー「冬栄」。そして、景王陽子が楽俊への手紙に認めた希いとはー「書簡」ほか、王の理想を描く全5編。「十二国記」完全版・Episode 7。(「BOOK」データベースより)

 

目次

冬栄 | 乗月 | 書簡 | 華胥 | 帰山

 

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』の感想

 

本書『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は、五編の短編からなっています。

各々の話で、様々な登場人物のその後の様子が語られていて、同時にそれぞれの話を通して人としてのあり方や考え方など、今の私達の屈託にも通じるようなエピソードが綴られていきます。

同時にそれは『十二国記』の世界をより強固に構築することになるエピソードでもあり、このシリーズ全体の成り立ちを下支えする話の物語集ともなっています。

 

第一話「冬栄」は、戴国の泰麒の漣国訪問の話です。

この物語では『黄昏の岸 暁の天』や『白銀の墟 玄の月』で語られている、泰王が泰麒に粛清の模様を見せないために他国へ出した際の泰麒の様子が語られています。

泰麒の高里は未だ幼く、自分が麒麟として泰王驍宗の役に立っているのか、民の平和な生活のために尽くすことができていないのではないかと悩んでいたのですが、その悩みに対して、廉王の鴨世卓は農作業をしながら語り掛けます。

風の海 迷宮の岸』では、泰王を選ぶという麒麟としての存在に悩む泰麒の姿が描かれていましたが、ここでは国の政に関わる泰麒としての役目について思い悩む泰麒が描かれています。

 

第二話「乗月」は、『風の万里 黎明の空』で語られた芳国の元公主祥瓊が辛酸を舐める元となった、芳国の峯王仲韃が討たれた事件のその後の芳国の話です。

具体的には、峯王仲韃亡きあと、祥瓊が放逐された後の恵州州侯の月渓の話です。

月渓は自分が王となるために仲韃を討ったのではなく、王となるわけにはいかないと言い官吏たちを困らせていました。

そこに、慶国からの使者が景王の親書と芳国元公主の祥瓊の手紙を届けにきたのです。

 

第三話「書簡」は、雁国で学生となっている楽俊と景王陽子との口伝えをすることのできる青い鳥を介した文通の様子が語られています。

シリーズ第一作『月の影 影の海』において登場し陽子を助けたその後の楽俊と、今では景王となっている陽子とが互いに報告しあっています。

共に明るく、元気にしているとは言いながら、半獣である楽俊が差別を受けていない筈はなく、また蓬莱育ちの陽子が官吏たちにないがしろにされていることも互いに理解しているのです。

でありながらもそれなりに努力をしている姿もまた理解している様子が綴られています。

 

第四話「華胥」は、才国の宝重である華胥華朶と采王砥尚をめぐる大司徒朱夏らの様子が語られています。

誰しもが国を統治する側に回ったときできるだけ理想とする世界に近づけるように努力するものです。

しかしながら、「理想」というものは個々人によって異なるものだということが華胥華朶によって暴かれます。

可能な限り民の安寧を目指す筈だった政がその理想追及の故にいつの間にか民の倖せから遠ざかっていく不合理さが示されています。

この物語は、短編集『丕緒の鳥』の中の「落照の獄」でテーマになっている刑罰の本質に迫る議論と同様の、かなり深い議論が展開されています。

 

第五話「帰山」は、傾きつつある柳国の様子を探る利広風漢、特に利広の様子が語られています。

ここに登場する利広とは、『図南の翼』で登場していた奏国の太子であり、風漢とは『東の海神 西の滄海』など随所に登場してきた延王尚隆です。

この話では、前半は国の寿命についての二人の会話があり、後半は奏国に戻った利広とその家族、つまり奏国王家族の話になっています。

国が傾くとはどういうことか、かなり深い話がなされているようですが、私には若干難しい議論でもありました。

でありながら、話自体は面白いと感じるのですから、私の本の読み込み方にも問題があるのかもしれません。

 

読み終えてみると、シリーズ内の長編では詳しくは語られることの無かった漣国や芳国、才国、柳国などのエピソードが展開されている物語集となっています。

そして、そうした細かな話の積み重ねにより前述したように、この『十二国記シリーズ』の成り立ちを下支えする物語集ともなっているのです。

ただ、こうして短編によって『十二国記シリーズ』の空隙が埋められていくということは、これらの国の物語が長編になることはない可能性も出てくることにもなります。

それはまた残念なことであり、長編の物語も読みたいと思うばかりです。

精霊の守り人

精霊の守り人』とは

 

本書『精霊の守り人』は『守り人シリーズ』の第一弾で、1996年7月に偕成社からハードカバーで刊行され、2007年3月に新潮文庫から恩田陸氏と神宮輝夫氏の解説まで入れて360頁の文庫として出版された、長編のファンタジー小説です。

日本人が書いた日本にルーツを持ったファンタジーとして評価された作品の中の一つであり、大人気シリーズの第一巻目となる作品です。

 

精霊の守り人』の簡単なあらすじ

 

老練な女用心棒バルサは、新ヨゴ皇国の二ノ妃から皇子チャグムを託される。精霊の卵を宿した息子を疎み、父帝が差し向けてくる刺客や、異界の魔物から幼いチャグムを守るため、バルサは身体を張って戦い続ける。建国神話の秘密、先住民の伝承など文化人類学者らしい緻密な世界構築が評判を呼び、数多くの受賞歴を誇るロングセラーがついに文庫化。痛快で新しい冒険シリーズが今始まる。(「BOOK」データベースより)

 

精霊の守り人』の感想

 

本書『精霊の守り人』は、短槍使いのバルサという女性を主人公とした長編のファンタジー小説です。

著者の上橋菜穂子が抱いていた「異界が、人の生きる世界に近々と重なって存在している世界」( 偕成社「守り人」シリーズ 公式サイト : 参照 )というイメージをもとに構築された世界で主人公たちが生き生きと動き回る、十分な面白さを持った物語です。

三十歳の女性の槍使いという設定も独特なものですが、「<精霊>や<神>に思える存在がうごめく異界」が自分たちの生きる世界の隣に存在している世界、という物語世界もまた魅力的です。

 

ただ、『鹿の王』や『香君』などの近時の上橋菜穂子作品を読み終えている今の私には、本書の文章は若干もの足りない印象でもありました。

それは物語世界の造り込みが足りない、ということもあるでしょうし、それ以前の文章そのものの物足りなさもあると思います。

というよりは、作家としての上橋菜穂子の成長の結果の作品が『鹿の王』( 角川文庫全五巻 )や『香君』( 文藝春秋上下二巻 )だと言えるでしょうから、それは読者にとっても幸せなことだというべきなのでしょう。

そうしたことを前提に上橋菜穂子の初期の作品である本シリーズの第一作である本書『精霊の守り人』を見ると、主人公バルサというキャラクターもとても魅力的で、一気に読み終えてしまったのも当然だと思えます。

 


 

まず、何の説明もないままに主人公の女性がとある事件に巻き込まれる場面からこの物語は始まります。

この場面だけで主人公の女性は異国生まれの三十歳のバルサという名の手強い短槍使いであり、この場所は青弓川にかかる鳥影橋の上であって、上流の山影橋からこの国の第二皇子が川に落ちた皇子が何か奇妙な現象に巻き込まれていることが分かります。

続いて始まる第一章で、この国が王制が敷かれている新ヨゴ皇国という名前であり、バルサが助けた第二皇子の名はチャグムと言ってその身体に何か起きていること、そしてその異変のために父王からチャグムが殺されようとしていることなどを聞かされるのです。

そして、チャグムの母親である二ノ妃からチャグムの用心棒を頼まれることになります。

 

青霧山脈や青弓川などの名称から、まるでトールキンの『指輪物語』( 評論社文庫 )に出てきそうなファンタジー小説にありそうな名称の世界であり、主人公が槍使いの名手であることなどが第一章の始めまでに示されるのです。

 

 

本シリーズでは、主人公たちが日々の生活を送っているサグという世界と、ナユグという目に見えない精霊の世界とが重畳的に存在しているという、ユニークな世界観を有しています。

さらに登場するキャラクターも魅力的で、ファンタジー小説に対して拒否感を持つ人でない限りは誰もが本書のとりこになるだけの作品だと思います。

キャラクターと言えば、主人公バルサの他に、本書での救出当時は新ヨゴ皇国の第二皇子だったチャグムが本シリーズのもう一人の主人公ともいえる存在になるそうです。

また、バルサの幼馴染の呪術師タンダやその師匠のトロガイ、父の親友でバルサの槍の師匠だった短槍の達人ジグロといった魅力的に人物たちが登場します。

一方、新ヨゴ皇国の側にも現時点ではシリーズ内でどのような立場になるのかよく分からない、星読博士のシュガという人物も登場します。

 

こうして、著者自身による文庫本あとがきによれば、著者すらもこれほど長く書き綴るをは思ってもいなかったという物語が始まるのです。

日本初のファンタジーとして、非常に面白い物語で、是非読んでみることを勧めします。

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』とは

 

本書『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』は『十二国記シリーズ』の第八弾で、2001年5月に講談社X文庫から刊行され、2014年3月に478頁で新潮文庫から刊行された、長編のファンタジー小説です。

本書は『魔性の子』が蓬莱での泰麒高里の物語であるのに対し、高里が不在の間の異世界〈十二国〉の様子が描かれていて、かなりの読み応えを感じた作品でした。

 

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』の簡単なあらすじ

 

王と麒麟が還らぬ国。その命運は!? 驍宗(ぎようそう)が玉座に就いて半年、戴国(たいこく)は疾風の勢いで再興に向かった。しかし、文州(ぶんしゆう)の反乱鎮圧に赴(おもむ)いたまま王は戻らず。ようやく届いた悲報に衝撃を受けた泰麒(たいき)もまた忽然(こつぜん)と姿を消した。王と麒麟を失い荒廃する国を案じる女将軍は、援護を求めて慶国を訪れるのだが、王が国境を越えれば天の摂理に触れる世界──景王陽子が希望に導くことはできるのか。( 内容紹介(出版社より))

 

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』の感想

 

本『十二国記シリーズ』のエピソード0である『魔性の子』では蓬莱(日本)に流された高里の様子が描かれていましたが、その間の異世界側のようすが本書『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』で描かれています。

具体的には、まずは本書冒頭の「序章」において泰麒、つまりは戴国の麒麟である高里が蓬莱(日本)に流された時の事情が描かれています。

戴国ではやっと泰王驍宗がその座について国の再興が為されようとしていたのですが、将軍の阿選の策謀により泰王が行方不明となる事態が起きていたのです。

そしてそうした事態に応じて、「序章」に続く「一章」では戴国の女将軍李斎が助けを求めるために瀕死の状態で慶国の王宮に現れたところから始まります。

こうして、戴国を助けるためにまずは蓬莱に流された泰麒を探すために各国の王や麒麟が力を合わせることとなるのです。

 

あらためて本シリーズを俯瞰すると、戴国の物語が主になってシリーズの根底になっていることに気がつきます。

まずは、本書の姉妹編ともいえる『魔性の子』があり、その後にシリーズ第二弾の『風の海 迷宮の岸』では、泰麒である高里が驍宗を王として選択する様子が描かれていました。

 

 

そして、次がシリーズ第八弾の本書『黄昏の岸 暁の天』であり、各国が力を合わせて蓬莱に流された泰麒を探す様子が描かれているのです。

次にシリーズ第九弾の『白銀の墟 玄の月』(新潮文庫 全四巻)が本書の続編となっており、行方不明となった泰王驍宗の謎、そして戴国の行方が語られます。

 

 

そうした位置付けの本書ですが、あらためて本書の一番の魅力を見ると、泰麒の行方を捜すそのストーリー展開の面白さにあると思います。

蓬莱にいる泰麒を探すためには麒麟の力を借りるしかかなく、各国の麒麟が力を合わせて泰麒の所在を探すことになる物語の展開が面白いのです。

 

そして、その過程でこの異世界の成り立ちそのものへの考察をする場面がありますが、その考察において遠藤周作の名作『沈黙』で描かれているような神の存在に対する弱い人間の叫びと同様な問いかけがあります。

 

 

そこでの李斎の言葉が、本書『黄昏の岸 暁の天』について検索すると数多くの書評やブログで同じ箇所が取り上げられているほどにインパクトが強い表現です。

それは、各国の麒麟たちが力を合わせて蓬莱にいる泰麒を探す行為が天の理に反しないかを蓬山に住む女仙たちの主である碧霞玄君に会いにいく場面で李斎が言った言葉です。

李斎は、天が存在することを知ったときに発した「では、どうして天は戴をお見捨てになったのです!?」と問い、それに対し陽子は、「もしも天があるならそれは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」と断じるのです。

 

本書の魅力の第二はこうした異世界の構造を借りた、天(神)の存在への疑問という現代社会にも通じる社会の在りように対する徹底した考察にあると思います。

『沈黙』では神は民を見捨てるのかという問いに対して明確な答えはなく、個々の読者への問題提起としてあったように思えますが、本書では明確にその答えを示してあります。

陽子のその言葉に対する評価は人それぞれでしょうし、個人的に納得できるかと言えば否定的な答えしかないと思われます。

しかしながら、こうした態度は『十二国記シリーズ』全般を通しての著者の姿勢として現れていると思われ、異世界の構造の真実味を増していると思われます。

 

こうして本書もまたシリーズ全体の存在感を高める一冊として、かなりな面白さをもって読むことができた作品と言えます。

本書に続『白銀の墟 玄の月』の全四巻と合わせて、シリーズ内の大作としての存在感を有しているのです。

ほどなく、お別れですシリーズ

ほどなく、お別れですシリーズ』とは

 

本『ほどなく、お別れですシリーズ』は葬儀場で働く女性を主人公としたお仕事小説のシリーズであり、大切な人との別れの場を描くヒューマンドラマシリーズです。

死者と語ることができる特殊能力を用いて知った亡くなった方の本心をもとに、心温まる葬儀をプロデュースするチームの姿が描かれる連作中編の感動作です。

 

ほどなく、お別れですシリーズ』の作品

 

『ほどなく、お別れですシリーズ』(2023年03月25日現在)

  1. ほどなく、お別れです
  2. ほどなく、お別れです 2 それぞれの灯火
  3. ほどなく、お別れです 3 思い出の箱

 

ほどなく、お別れですシリーズ』について

 

本『ほどなく、お別れですシリーズ』は直接的に「命」をテーマとすることで、医療小説にも似た趣きを持っていると言えます。

だからこそ、惹句にも『神様のカルテシリーズ』の夏川草介の言葉が引用されているのでしょう。

ただ、個人的には『神様のカルテシリーズ』ほどの感動作とは思えませんでした。

まだ第一作を読んだだけなのですが、続編を読むかどうか微妙なところです。

 

 

この『ほどなく、お別れですシリーズ』の登場人物は、葬儀場「坂東会館」で働く清水美空という女性です。彼女は就職活動がうまくいかないでいるところにバイト先であった「坂東会館」に就職することになります。

彼女には、彼女が生まれる直前に亡くなった美鳥という姉がいたのですが、その美鳥の存在を感じることがある霊感の強い人でした。

また、「坂東会館」には漆原という葬祭ディレクターがおり、美空の能力に目をつけ、自分の担当の葬儀を手伝わせることとします。

この漆原の友人で漆原が担当するの葬儀の多くでお勤めをしているのが里見道生という光照寺の僧侶です。

それに、先輩社員の赤坂陽子が美空をかわいがっており、何かと美空の世話を焼いてくれる存在として登場しています。

 

ここで漆原が持つ「葬祭ディレクター」とは、「厚生労働省が認定している資格制度で、ご葬儀についての知識や技能を示すと同時に、ご葬儀のスペシャリストである証明」だそうです。

詳しくは下記サイトを参照してください。

 

この漆原、里見、そして美空のトリオが特別な事情をもつ葬儀を担当する様子が描かれているのがこのシリーズですが、死者との対話をテーマにした作品と言えば、辻村深月の『ツナグ』という第32回吉川英治文学新人賞を受賞した作品があります。

死者との再会を通して様々な人間ドラマを描き出す感動の物語であり、テレビドラマ化もされています。

また川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに』もあります。

ただ、この作品はタイムトラベルものの変形であり、今という時間で死者と意思を通じる物語とは言えないかもしれませんが、通じるものはあると思います。

 


 

これらの作品と本書とを比べてみても、本書は物語の奥行きをあまり感じられなかったので、続編を読むかどうか迷うところなのです。

けっして浅薄な内容の作品というわけではなく、それなりに心惹かれて読み終えた作品ではあるので、微妙に迷っているというのが正直なところです。

図南の翼

図南の翼』とは

 

本書『図南の翼』は『十二国記シリーズ』の第六弾で、1996年2月に講談社X文庫から刊行され、2013年9月に新潮社から北上次郎氏の解説まで入れて419頁で文庫化された、長編のファンタジー小説です。

長い間王が不在で妖魔まで襲い来るようになった恭国のため、自らが蓬山を目指すことを決意した一人の女の子が黄海を旅する物語で、これまでにも増して魅力的な一冊でした。

 

図南の翼』の簡単なあらすじ

 

この国の王になるのは、あたし! 恭国(きようこく)は先王が斃(たお)れて27年、王不在のまま治安は乱れ、妖魔までも徘徊(はいかい)していた。首都連檣(れんしよう)に住む少女珠晶(しゆしよう)は豪商の父のもと、なに不自由ない暮らしと教育を与えられ、闊達な娘に育つ。だが、混迷深まる国を憂えた珠晶はついに決断する。「大人が行かないのなら、あたしが蓬山(ほうざん)を目指す」と──12歳の少女は、神獣麒麟(きりん)によって、王として選ばれるのか。(内容紹介(出版社より))

 

図南の翼』の感想

 

本書『図南の翼』は、主人公がこの世界の中央に位置する黄海に入り、その中央にそびえる蓬山に至るまでの旅をメインに描く、恭国の乾王誕生の物語です。

この旅の中で主人公である珠晶は様々なことを学び、そして成長していきます。その様子が冒険小説でありながら成長小説でもあり、惹きつけられるのです。

 

主人公は恭国の首都連檣の豪商の娘である珠晶(しゅしょう)という女の子です。

彼女は王が不在で妖獣まで出没するようになった首都にいて、この王不在という難局を乗り切るためには自分が王となるべきだと考えます。

そして王になるためには恭国の麒麟である恭麒のいる蓬山へ行く必要があり、そのために有り金をかき集めて家出をするのです。

この、旅の途中で知り合った利広の力を借りたり、騎獣にするための妖獣を狩ることを職業とする猟尸師の頑丘を雇い蓬山までの護衛を頼んだりと、自分の頭脳を駆使して旅をつづける姿が描かれます。

珠晶は、利広と頑丘という力強い味方を得て旅を続けるのですが、頑丘は別として利広はその正体が分からないままに物語が進むこともこの物語に興を添えています。

 

昇山する人々が黄海を渡る際には自然と集団ができますが、珠晶は金持ちの室季和や小金持ちの聯紵台、それに猟尸師と同じ朱氏の仲間である剛氏の近迫といった人々と共に旅をすることになり、その旅の中で様々なことを学び、成長していくのです。

利広から「きみは、幼い」と言われ、その言葉の意味も理解できないでいる珠晶が、過酷な旅の中で次第に成長していく姿は感動的ですらあります。

こうした困難な旅を描き出す様子は、第四巻の『風の万里 黎明の空』の中でも見られました。鈴や祥瓊(しょうけい)という娘たちが珠晶と同様の困難を極める旅の様子が描かれていたのですが、その姿と重なるのです。

 

 

そもそも、本『十二国記シリーズ』の醍醐味はまずは見事なまでに緻密に構築された物語世界のありようにあります。

蓬山を抱く黄海を中心として対照的に配置された十二の国からなるこの世界には天の意志が存在し、またそれぞれの国に存在する王や政の中枢にいる人間などは不死の身を得ます。

面白いのは、ひとつの国に一人いる麒麟が自国の王を選任することになっていることです。麒麟の行為を通じて天の意志が顕現することになるのです。

 

そうした堅固な世界観を持つ本書『図南の翼』ですが、、成長小説としての一面を持つ主人公珠晶の旅そのものの面白さもまた魅力の一つだと思います。

つまりはある種の冒険小説としての面白さであり、本書の解説にも書いてあるように「ロード・ノベル」としての魅力を持つ物語でもあります。

利広と頑丘という二人の大人の庇護のもと、妖魔が跋扈する黄海を旅する話はまさに冒険小説であり、その旅の中で様々なことを学び、成長する珠晶の姿は成長小説でもあるのです。

でも、そうした小説に対する呼称はどうでもいいことで、単純に心振るわせるほどに面白い物語だ、というそのことが一番です。

 

本書『図南の翼』は、この『十二国記シリーズ』という物語の面白さを堪能できる一冊であると断言できる、非常に楽しめた一冊でした。

魔性の子

魔性の子』とは

 

本書『魔性の子』は1991年9月に新潮文庫から出版されたのですが、2012年6月に『十二国記シリーズ』の番外編ともいうべき位置づけで、菊地秀行氏の解説まで入れて491頁の文庫として新潮文庫より刊行された長編のファンタジー小説です。

若干長すぎるか、という印象もありますが、じわじわと迫るホラーチックな物語の運びも面白く、『十二国記』に連なる物語の面白さもあり、惹き込まれて読んだ作品です。

 

魔性の子』の簡単なあらすじ

 

どこにも、僕のいる場所はない──教育実習のため母校に戻った広瀬は、高里という生徒が気に掛かる。周囲に馴染まぬ姿が過ぎし日の自分に重なった。彼を虐(いじ)めた者が不慮の事故に遭うため、「高里は祟(たた)る」と恐れられていたが、彼を取り巻く謎は、“神隠し”を体験したことに関わっているのか。広瀬が庇おうとするなか、更なる惨劇が。心に潜む暗部が繙(ひもと)かれる、「十二国記」戦慄の序章。(内容紹介(出版社より))

 

魔性の子』の感想

 

本書『魔性の子』は、「十二国記 0」というサブタイトルがついていることからも分かるように、『十二国記シリーズ』のエピソード0、もしくは番外編として位置づけられてきた作品です。

冒頭にも書いたように、そもそもは1991年9月に「ファンタジーノベル・シリーズ」の1冊として新潮文庫から刊行された作品です。

それが、後に『十二国記シリーズ』が展開されるにつれ、『十二国記シリーズ』の番外編として位置づけられるようになったものだと言います。

つまり、本来は単独の作品として考えれていた作品だったのですが、この物語の背景となる世界を作り込んでいた資料の話を聞いた講談社の編集者に勧められ、講談社から新たなシリーズ作品として『十二国記シリーズ』として生まれたものだそうです( ウィキペディア : 参照 )。

 

本書『魔性の子』は、一般にはホラー小説として紹介されているようです。

確かに、作者の小野不由美という人の他の作品を見ると山本周五郎賞を受賞した『屍鬼』(新潮文庫 全五巻)や『残穢』といったホラー小説として名高い作品が並んでいます。

 

 

そして本書の内容も主人公高里の周りで異形のものが見え隠れし、さらに高里を攻撃した者に最悪は死が訪れるという、ホラーという他ないような物語の展開です。

しかしながら、ネットで誰かが書いていたように、『十二国記シリーズ』を読んだ後に本書を読むと、まさに『十二国記シリーズ』を構成する内容であり、異常現象にもきちんと説明がつくところからホラーとは呼べないように思います。

異常現象の詳細については本書の中でも具体的に示されている個所もあり、それなりの説明は為されているのです。

ただ、その説明も『十二国記シリーズ』を読んでいるか否かでその具体性の程度が異なり、単なる超常現象としてホラーの範疇に入ると評価するか、そうではなく物語の流れにきちんとおさまる現象なのかが違ってくるのです。

 

先に『十二国記シリーズ』を読んだ人ならばわかるのですが、本書の登場人物は、『風の海 迷宮の岸』に登場する戴国(たいこく)麒麟の泰麒(たいき)である高里要を主人公としています。

本書『魔性の子』では、高里が泰麒であることは示されてはおらず、過去に一年間の神隠しにあった少年として皆から恐れられている存在です。

恐れられているというのは、高里に何らかの害を加えた人物は異常な事件や事故に遭い、場合によっては命を落とすことさえあるというのでした。

その高里のいる私立高校の二年生のクラスに教生としてやってきたのが、三年と少し前この高校を卒業したばかりの広瀬という教育実習生で、その広瀬の担当教官が、広瀬が在校時代の化学の担任だった後藤という理科教師です。

高里の周りで次々と発生する異常な状況下での事故や、最終的には死者まで出る事態の中、孤立する高里にどことなく相通じるものを覚えた広瀬は深くかかわっていくのでした。

 

十二国記シリーズ』での本書の位置付けを見ると、まずは高里が神隠しに遭った一年間のこの異世界での話が『風の海 迷宮の岸』に語られている話で、戴国の麒麟として泰王を選ぶ様子が描かれています

その後、泰王が選ばれてから半年が経過した戴国では、泰王が行方不明となるなか泰麒が何者かに斬りつけられたため「蝕」が起き、泰麒は再び蓬莱へと流されてしまうという事件が起きます。

その事件の顛末が描かれているのがシリーズ第八弾の『黄昏の岸 暁の天』であり、そのとき蓬莱に流された泰麒である高里の様子が描かれているのが本書『魔性の子』ということになるのです。

 

こうして、『十二国記シリーズ』の中に位置づけられる本書ですが、見事にシリーズに融合していて本書単発として読むよりも一段と物語に奥行きが感じられることになっているのです。

風の万里 黎明の空

風の万里黎明の空』とは

 

本書『風の万里 黎明の空』は『十二国記シリーズ』の第四弾で、上巻が1994年8月に、下巻が9月に講談社X文庫から刊行され、2013年3月に金原瑞人氏の解説まで入れて上下二巻で768頁で新潮社から文庫化された、長編のファンタジー小説です。

慶国の景王陽子を中心とした物語ですが、ほかに芳国の公主である祥瓊、そして才国で苦行を強いられていた海客の鈴の二人の物語も加えた壮大なスケールの冒険小説でもある、惹き込まれずにはいられない物語です。

 

風の万里 黎明の空』の簡単なあらすじ

 

人は、自分の悲しみのために涙する。陽子は、慶国の玉座に就きながらも役割を果たせず、女王ゆえ信頼を得られぬ己に苦悩していた。祥瓊は、芳国国王である父が簒奪者に殺され、平穏な暮らしを失くし哭いていた。そして鈴は、蓬莱から辿り着いた才国で、苦行を強いられ泣いていた。それぞれの苦難を負う少女たちは、葛藤と嫉妬と羨望を抱きながらも幸福を信じて歩き出すのだがー。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

王は人々の希望。だから会いに行く。景王陽子は街に下り、重税や苦役に喘ぐ民の暮らしを目の当たりにして、不甲斐なさに苦悶する。祥瓊は弑逆された父の非道を知って恥じ、自分と同じ年頃で王となった少女に会いに行く。鈴もまた、華軒に轢き殺された友の仇討ちを誓うー王が苦難から救ってくれると信じ、慶を目指すのだが、邂逅を果たす少女たちに安寧は訪れるのか。運命は如何に。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

風の万里 黎明の空』の感想

 

本書『風の万里 黎明の空』は、主に慶国の物語であり、今では景王陽子となっているシリーズ第一巻『月の影 影の海』の主人公中嶋陽子のその後の物語を中心に描かれています。

中心にと言うのは、本書ではほかに陽子と同世代の二人の女の子も物語の中心人物となっているからです。

一人は明治時代に口減らしのため女衒に売られたのですが、その旅の途中崖から落ち、見知らぬ土地で目覚めたという大木鈴という娘です。

この鈴は、知らない土地をさまよった挙句、この世界の南西にある才国の凌雲山の翠微洞に住まう梨耀のもとで仙となり、百年のあいだつらい下働きに耐えています。

そしてもう一人は、この世界の北西の隅にある芳国の峯王仲韃の娘である祥瓊(しょうけい)です。

父である峯王仲韃はその圧政により八州諸侯の州師の蜂起により殺されましたが、祥瓊だけはある里家の世話役の沍姆(ごぼ)のもとで暮らしていたのです。

しかし、沍姆にその身元を知られ、ただいじめられ、虐げられる生活を送っていました。

 

本書は、三人の同じ年ごろの娘のそれぞれの立場での苦悩が描かれています。

一人目は、この国のことを何も知らない王の尊厳を軽んじ、その言葉を聞かない官僚の存在に王として懊悩しています。

そんな王である陽子は慶国のことを何も知らず、民の生活を知るために身分を隠して旅に出て見聞を広げようとします。

二人目は、百年以上も下働きとして辛い日々を送る中で、自分の辛さ、悲しさを誰も分ってくれないとただ自分の中に閉じこもり、そんな自分を救ってもらうために景王に会おうとします。

そして三人目は、何も知らない自分には責任などない筈なのに、皆が自分を理不尽に虐げるとして怒り、まだ見ぬ景王を羨み、妬み、刃を向けるために景王に会うために旅に出るのです。

 

本書『風の万里 黎明の空』は、これら三人の娘を主人公として描かれる冒険小説であり、また同時に、三人の娘の、特に鈴や祥瓊の成長物語でもあります。

景王なら自分の気持ちを分かってくれる、という心情があって、それに対する采王黄姑の「あなたはもう少し、大人になったほうがいい」という言葉のもとの鈴の旅です。

また、自分中心にしか物事を考えることのできず、自分が得る筈であったきらびやかな環境に身を置く陽子に一太刀浴びせたいと思う祥瓊の旅があります。

こうした、幼い考えの鈴、自分中心の考えの祥瓊という二人は、大人になっても似た要素を持つ読み手が、困難な旅の中で鍛えられ成長していく二人の姿をみて感情移入し、我がことのように感じてしまいます。

また、陽子にしてもこの国のことを知らないため国をうまく治めることができないでおり、王として未熟な自分を鍛えるために旅で出て成長していくのです。

 

本書は、単純に三人それぞれの冒険を楽しむという読み方だけでも十二分に面白い作品となっています。

でも、それだけではなく、幼くまた自己中心的な娘たちが旅をする中で、国の政治がうまく機能しておらず苦しむ民の姿を直接目にし、また傷つき友を失うなどの哀しみを乗り越えて成長していく姿は感動的ですらあります。

王として自覚する陽子や、一人の娘として己を、そして世の中を見つめ直す鈴と祥瓊の姿は読み手の心に鋭く迫ってくるのです。

 

先に述べたように、本書『風の万里 黎明の空』は、慶国の陽子に関してシリーズ第一巻『月の影 影の海』の続編的な位置にあります。

またシリーズ第八巻『黄昏の岸 曉の天』は直接には戴国の物語ではありますが、本書の陽子や鈴、祥瓊、さらには雁王の尚隆や麒麟の六太なども重要な役割で登場します。

 

そして読了すると楽しい読書の時間が終わってしまったという寂しさの中で、さらに次の物語を早く読みたいと思わせられます。

それほどに思い入れを強く持つシリーズ作品だということです。

未来のおもいで 白鳥山奇譚

未来のおもいで 白鳥山奇譚』とは

 

本書『未来のおもいで 白鳥山奇譚』は2004年10月に光文社文庫から、2022年12月に徳間文庫から256頁で出版された、長編のSF小説です。

著者お得意のタイムトラベルもののロマンス作品で、熊本県と宮崎県との県境に実在する白鳥山を舞台とした、軽く読める作品です。

 

未来のおもいで 白鳥山奇譚』の簡単なあらすじ

 

イラストレーターをしている滝水浩一は、熊本県の白鳥山を登っていた。白鳥山は立地の不便さゆえに入山者が少なく秘境のイメージがある。滝水の目的は、湿地を抜けた所に咲く山芍薬の花の群生。この光景は一年のうちに数週間しか見ることの出来ない。しかし、今年は登山中に雨に降られた。そのとき、彼の前に現れた、美しい女性・沙穂流。滝水は彼女に惹かれ、置き忘れた手帳を手がかりに訪ねてゆく。そこで、彼女がまだこの世に誕生していない存在であることを知るのだった……。
時を超えて出会った男女の恋愛を描く、長編SFファンタジー。

初版刊行時に映画化企画があり、著者本人により書かれたシナリオを収録。

解説:犬童一心(映画監督)(内容紹介(出版社より))

 

 

未来のおもいで 白鳥山奇譚』の感想

 

本書の著者梶尾真治はロマンチックなラブストーリー、それも時間旅行を背景とするラブロマンスを得意とする作家だと言えます。

そして、本書『未来のおもいで 白鳥山奇譚』はまさにロマンチシズム溢れるタイムトラベルもののラブストーリーそのものです。

SFそれも時間旅行ものに関してはタイムパラドックスの処理をどうするか、という点が一つの関心事だと思うのですが、本書はその点をもそれなりに解決してあります。

というよりも、ラブストーリーである以上は二人の恋の行方の処理もまた重要な点ですが、その点も併せてうまく処理してありました。

 

本書は頁数も少ないのですが、私が読んだ光文社版では一頁の行数が十三行と文字数も少ないため、簡単に読むことができます。

近年出版された徳間文庫版では改定もされているらしいのですが、内容に大きな変更はないということです。

 

本書『未来のおもいで 白鳥山奇譚』の主人公は滝水浩一というイラストレーターです。この男が熊本県と宮崎県との県境にある白鳥山へ上ったときに突然の雨に遭い、同じく雨具を持たないでいた藤枝沙穂流という美しい女性と出会います。

後にその女性に再度会いたくて、忘れ物の手帳を頼りに書かれていた住所を探しますが、藤枝という家はあっても藤枝沙穂流という女性は存在しませんでした。

一方、藤枝沙穂流もまた滝水から預かっていたリュックカバーに書かれていた住所を頼りに滝水を探しますが、その住所に滝水という人物はいませんでした。

しかし、再度白鳥山の件の洞窟へ行くと、藤枝沙穂流からの手紙の入った箱が置いていあったのです。

 

本作は、物語が単純であるだけに、設定や展開が簡単に過ぎるという印象は否めず、、梶尾真治のタイムトラベルものの面白さという点では『クロノス・ジョウンターの伝説』や『つばき、時跳び』のような作品の方に軍配が上がるかもしれません。

 

 

ただ、軽く、気楽に読めるわりには二人のロマンスは心惹かれます。そこは梶尾真治という作家の筆の力なのでしょう。

軽い気持ちで読むには適した作品だと思います。

 

ちなみに、本書も「キャラメルボックス」という演劇集団により「すべての風景の中にあなたがいます」というタイトルで舞台化されています。

プロジェクト・ヘイル・メアリー

プロジェクト・ヘイル・メアリー』とは

 

本書『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は2021年12月に上下二巻、山岸真氏の解説まで入れて全638頁のハードカバーとして刊行された、長編のSF小説です。

あの『火星の人』の著者が『火星の人』で見せたと同様に、科学の基本を守りながら論理的な思考を展開させて自らが置かれた苦境を打破してゆく、SFらしいSF小説です。

 

プロジェクト・ヘイル・メアリー』の簡単なあらすじ

 

人類の希望は、遥か11・9光年の彼方――。
たったひとりの冴えた相棒と、謎の解明に挑む!

未知の地球外生命体アストロファージ――これこそが太陽エネルギーを食べて減少させ、地球の全生命を絶滅の危機に追いやっていたものの正体だった。
人類の英知を結集した「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の目的は、ほかの恒星が光量を減少させるなか、唯一アストロファージに感染していないタウ・セチに赴き、その理由を探し出すことだ。
そして、〈ヘイル・メアリー〉号の乗組員のなか、唯一タウ・セチ星系にたどり着いたグレースは、たったひとりでこの不可能ミッションに挑むことになるかと思えた……。

2021年アメリカでの発売以来、NYタイムズをはじめ様々なベストセラー・リストに挙がり、ライアン・ゴズリング主演で映画化が進行中の、ファースト・コンタクトSFの新たな金字塔。(Amazon内容紹介)

 

プロジェクト・ヘイル・メアリー』の感想

 

本書『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、『火星の人』で一躍時の人となったアンディ・ウィアーの第三作目の小説で、まさに空想科学小説というにふさわしい物語です。

 

 

本書に関しては、できればまったく前提知識なしで読んでほしいと思います。そうすれば、思いもかけない展開が突然舞い込んできて、SF作品で言われる「センス・オブ・ワンダー」という感覚を十分に堪能することができると思うからです。

私自身がアンディ・ウィアーの新刊が一年近くも前に出ていたこことに気付かず、何も知らないままに直ぐに借りて読み進め、特に本書序盤の意外な展開に予想を裏切られつづけたので一段とそう思うのでしょう。

本書の感想を書こうとすると内容に触れないわけにはいきませんが、できれば本書はその内容を全く知らないままに読んでもらいたいのです。

とはいえ、ネット上にはネタバレ的な解説も見られ、何より上記「内容紹介」にもほんの少しのネタバレが書かれているので何をいまさら、ということではあります。

本当は上記の「内容紹介」すら読まずに読んでもらいたいのですが、それは仕方ありません。

できるだけネタバレをしないように感想を書くつもりではありますが、全く本書の内容に触れないわけにもいかないので、できればこのまま本稿を閉じてもらい読後にあらためて本稿を読み直してもらえればと思います。

 

ということで本書『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の感想に戻りますが、あの『火星の人』の著者が、滅亡の危機を迎えた人類救済のために他の恒星へと飛び立った一人の男ライランド・グレースの姿を描き出したSFの魅力満載の作品です。

まず、主人公が目が覚めるところから物語が始まるのですが、自分はだれか、ここはどこかなど全く記憶がありません。

そのうちに少しずつ記憶を取り戻していくのですが、その過程がまた読ませます。

かすかな手掛かりをもとに自分の置かれている現状を少しずつ思い出していき、思い出した範囲で過去の状況が描かれ、現在に至る状況が少しずつ示されていくのです。

 

本書は人類の破滅という究極の災厄をテーマにしているのですが、その災厄の原因が太陽のエネルギーを消費する生命体の“アストロファージ”にある、という設定がまずSFです。

その“アストロファージ”を退治するために他の恒星へと赴くのですが、その後の展開が予想を裏切るまさにSF的展開そのものでした。

その後、人類に危機をもたらした原因である“アストロファージ”の持つ特性を利用して問題の解決を図ろうとするアイディアがユニークであり、いかにもアンディー・ウィアーの物語です。

ほかにも、SF的仕掛けが満載であり、そこらのことは読んでもらうしかありません。

 

作者のアンディ・ウィアーの作品は、『火星の人』がそうであったように、現代の科学的な知見をもとに、直面している問題を論理的に解決していくその過程に惹かれます。

付け加えれば、そこに作者独特のユーモアが散りばめられていて、主人公の頭脳に加え、困難に直面してもへこたれない、ユーモアに裏付けされた強靭さが魅力だと思っています。

本書『プロジェクト・ヘイル・メアリー』においてもそのことは同様であり、たった一人取り残された分子生物学者である主人公がその頭脳を駆使して、直面する様々な問題をユーモアを交えながらクリアしていく姿があります。

また、この作者の作品らしく、物語の進行に伴って発生する様々な問題を乗り越えていく主人公の姿が描かれていくのですが、そうした驚きは最後の最後にまで用意されています。完全に読了するまで気を抜かないことをお勧めします。

 

タイトルの「プロジェクト・ヘイル・メアリー」とは人類の危機を救うために作られた宇宙船の名前であり、本書での物語の半分以上はこの船の中での物語です。

残りの大半が主人公ライランド・グレースの回想の形で語られる人類の危機が発覚してからの地球での出来事が語られています。

ちなみに、「ヘイル・メアリー」という言葉は英語であって、ラテン語の「アベ・マリア」にあたるそうで、アメリカン・フットボールでの「神頼み」という意味を持つ言葉だそうです。

また、ライアン・ゴズリングを主役として映画化が進行中だそうです(以上、本書「解説」より)。