『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』とは
本書『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は『十二国記シリーズ』の第七弾で、2001年7月に講談社文庫から、2001年9月には講談社X文庫から刊行され、2013年12月に會川昇氏の解説まで入れて351頁の文庫として新潮社から刊行されたファンタジー短編小説集です。
『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』の簡単なあらすじ
王は夢を叶えてくれるはず。だが。才国の宝重である華胥華朶を枕辺に眠れば、理想の国を夢に見せてくれるという。しかし采麟は病に伏した。麒麟が斃れることは国の終焉を意味するが、才国の命運はー「華胥」。雪深い戴国の王・驍宗が、泰麒を旅立たせ、見せた世界はー「冬栄」。そして、景王陽子が楽俊への手紙に認めた希いとはー「書簡」ほか、王の理想を描く全5編。「十二国記」完全版・Episode 7。(「BOOK」データベースより)
目次
『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』の感想
本書『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は、五編の短編からなっています。
各々の話で、様々な登場人物のその後の様子が語られていて、同時にそれぞれの話を通して人としてのあり方や考え方など、今の私達の屈託にも通じるようなエピソードが綴られていきます。
同時にそれは『十二国記』の世界をより強固に構築することになるエピソードでもあり、このシリーズ全体の成り立ちを下支えする話の物語集ともなっています。
第一話「冬栄」は、戴国の泰麒の漣国訪問の話です。
この物語では『黄昏の岸 暁の天』や『白銀の墟 玄の月』で語られている、泰王が泰麒に粛清の模様を見せないために他国へ出した際の泰麒の様子が語られています。
泰麒の高里は未だ幼く、自分が麒麟として泰王驍宗の役に立っているのか、民の平和な生活のために尽くすことができていないのではないかと悩んでいたのですが、その悩みに対して、廉王の鴨世卓は農作業をしながら語り掛けます。
『風の海 迷宮の岸』では、泰王を選ぶという麒麟としての存在に悩む泰麒の姿が描かれていましたが、ここでは国の政に関わる泰麒としての役目について思い悩む泰麒が描かれています。
第二話「乗月」は、『風の万里 黎明の空』で語られた芳国の元公主祥瓊が辛酸を舐める元となった、芳国の峯王仲韃が討たれた事件のその後の芳国の話です。
具体的には、峯王仲韃亡きあと、祥瓊が放逐された後の恵州州侯の月渓の話です。
月渓は自分が王となるために仲韃を討ったのではなく、王となるわけにはいかないと言い官吏たちを困らせていました。
そこに、慶国からの使者が景王の親書と芳国元公主の祥瓊の手紙を届けにきたのです。
第三話「書簡」は、雁国で学生となっている楽俊と景王陽子との口伝えをすることのできる青い鳥を介した文通の様子が語られています。
シリーズ第一作『月の影 影の海』において登場し陽子を助けたその後の楽俊と、今では景王となっている陽子とが互いに報告しあっています。
共に明るく、元気にしているとは言いながら、半獣である楽俊が差別を受けていない筈はなく、また蓬莱育ちの陽子が官吏たちにないがしろにされていることも互いに理解しているのです。
でありながらもそれなりに努力をしている姿もまた理解している様子が綴られています。
第四話「華胥」は、才国の宝重である華胥華朶と采王砥尚をめぐる大司徒朱夏らの様子が語られています。
誰しもが国を統治する側に回ったときできるだけ理想とする世界に近づけるように努力するものです。
しかしながら、「理想」というものは個々人によって異なるものだということが華胥華朶によって暴かれます。
可能な限り民の安寧を目指す筈だった政がその理想追及の故にいつの間にか民の倖せから遠ざかっていく不合理さが示されています。
この物語は、短編集『丕緒の鳥』の中の「落照の獄」でテーマになっている刑罰の本質に迫る議論と同様の、かなり深い議論が展開されています。
第五話「帰山」は、傾きつつある柳国の様子を探る利広と風漢、特に利広の様子が語られています。
ここに登場する利広とは、『図南の翼』で登場していた奏国の太子であり、風漢とは『東の海神 西の滄海』など随所に登場してきた延王尚隆です。
この話では、前半は国の寿命についての二人の会話があり、後半は奏国に戻った利広とその家族、つまり奏国王家族の話になっています。
国が傾くとはどういうことか、かなり深い話がなされているようですが、私には若干難しい議論でもありました。
でありながら、話自体は面白いと感じるのですから、私の本の読み込み方にも問題があるのかもしれません。
読み終えてみると、シリーズ内の長編では詳しくは語られることの無かった漣国や芳国、才国、柳国などのエピソードが展開されている物語集となっています。
そして、そうした細かな話の積み重ねにより前述したように、この『十二国記シリーズ』の成り立ちを下支えする物語集ともなっているのです。
ただ、こうして短編によって『十二国記シリーズ』の空隙が埋められていくということは、これらの国の物語が長編になることはない可能性も出てくることにもなります。
それはまた残念なことであり、長編の物語も読みたいと思うばかりです。