香君

香君』とは

 

本書『香君』は、2022年3月に上・下二巻として刊行された、上下巻合わせて900頁弱の長編のファンタジー小説です。

『鹿の王』で本屋大賞を受賞した著者上橋菜穂子による新たな冒険への旅立ちの書であり、非常に興味深く読んだ作品です。

 

香君』の簡単なあらすじ

 

遥か昔、神郷からもたらされたという奇跡の稲、オアレ稲。ウマール人はこの稲をもちいて帝国を作り上げた。この奇跡の稲をもたらし、香りで万象を知るという活神“香君”の庇護のもと、帝国は発展を続けてきたが、あるとき、オアレ稲に虫害が発生してしまう。時を同じくして、ひとりの少女が帝都にやってきた。人並外れた嗅覚をもつ少女アイシャは、やがて、オアレ稲に秘められた謎と向き合っていくことになる。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

「飢えの雲、天を覆い、地は枯れ果て、人の口に入るものなし」-かつて皇祖が口にしたというその言葉が現実のものとなり、次々と災いの連鎖が起きていくなかで、アイシャは、仲間たちとともに、必死に飢餓を回避しようとするのだが…。オアレ稲の呼び声、それに応えて飛来するもの。異郷から風が吹くとき、アイシャたちの運命は大きく動きはじめる。( 下巻 : 「BOOK」データベースより)

ウマール帝国から帝国支配下の西カンタル藩王国に視察官として派遣されていたマシュウは、西カンタル藩王国のかつての国王だったケルアーンの孫娘であるアイシャとその弟のミルチャを捉えた。

現西カンタル藩王国ヂュークチの前に連れ出されたアイシャは殺される運命を受け入れていたものの、彼女が有する優れた嗅覚により目の前にいる国王が毒殺されようとしている事実を指摘するのだった。

またアイシャはその嗅覚によって自分たちに出された飲み物に毒が入っていることに気付いたものの、そのまま飲み物を飲み干し埋葬されてしまう。

しかし、アイシャ兄弟は毒薬入りの飲み物を飲んだにもかかわらず、マシュウ=カシュガによって助けられたのだった。

 

香君』の感想

 

著者上橋菜穂子が、2015年度の本屋大賞と日本医療小説大賞をダブル受賞した『鹿の王』の次に出版されたファンタジー小説です。

 

 

本書『香君』は、「香り」に焦点を当て、特別な嗅覚をもつ者を主人公としたこれまでにない視点の物語です。

そうした独特な視点のこの物語世界には「香君」という活神の制度があり、帝国国王とは別に国民の信頼を集めています。

この「香君」という制度では、活神の身体が老いると<再来の年>にお告げの場所で十三歳になった新しい香君を見つけるといい、それはまるでチベットにおけるダライ・ラマの制度のようでもあります( 14世ダライ・ラマ法王発見の経緯と輪廻転生制度 : 参照 )。

 

本書『香君』のようないわゆるファンタジーと呼ばれる作品は、殆どの場合はその世界観がそれなりに構築されていて物語を違和感なく読むことができます。

しかし、本書の著者上橋菜穂子が描く作品のように物語世界丁寧に描かれている作品はそうはないと思います。

例えば三部作が映画化もされたファンタジーの名作中の名作である『指輪物語』は分かり易い例の一つでしょう。

 

 

他に日本の作品でいえば『図書館の魔女シリーズ』などの 高田大介の作品が挙げられると思います。

 

 

こうした作品は物語の世界がその世界としてきちんと作り上げられているからこそ、その世界のリアルさを表現していることができていると思うのです。

 

そうしたなかでも上橋菜穂子の描く作品は物語の世界が丁寧に構築してあり、この世界の政治体制や権力のありようが苦労することなく頭に入ってきます。

そのことは上記の『鹿の王』にしても、また本書『香君』においても当てはまり、ウマール帝国を中心とする政治体制とそこに存在する「藩王国」との関係、それに「香君」という特殊な制度の在りようが物語の前提として理解できるのです。

そうした前提は、この丁寧に構築された世界で「香君」が存在する理由も、主人公が冒頭から殺されそうになりつつも、その後の目まぐるしく身分が変転する理由を理解することが容易になります。

 

本書『香君』の魅力はその物語世界の正確性と同時に、上記の「香君」という存在の設定でしょう。

特別な「嗅覚」という能力を持つ者を主人公に据えるという他にはない発想で綴られたこの物語は、作者により丁寧に構築された物語世界のうまさと相まって、読む者に多くの期待を抱かせる作品です。

読んでいる途中では特殊能力を持つ主人公の設定が先にあって、その能力に合わせた世界を考えたのかと思っていたのですが違いました。

作者によるあとがきを読むと、優れた嗅覚を持つ者を主人公としたのではなく、植物や虫が発する香りについての知見が先にあり、その微細な香りをも嗅ぐことのできる能力を有する者という設定ができたのだそうです。

 

そうした設定の中に設けられた「オアレ稲」という物語の道具がまたよく考えられていて、本書の魅力の構築に役立っています。

適当な配合、そして量で作られた秘伝の肥料を与えることを前提に、暑さにも寒さにも、また害虫にも強いという性質をもつこの植物は、その性質のために帝国の存立基盤ともなっている植物なのです。

この「香君」と「オアレ稲」の存在とがこの物語の核であり、サスペンスフルな物語展開の骨子となっています。

つまり、オアレ稲は民を豊かにはしたものの、他の作物が育たなくなるという欠点を有しており、さらには特別な肥料が必要特性も有し、帝国の支配の道具としてうってつけの存在だったのです。

 

こうした作物は戦略的な意義を有していて、私達の現実世界を意識した寓意的な物語ではないかと考えてしまいます。

そんな生々しい現実世界の情勢を背景に垣間見ることのできる本書の物語は、それでもアイシャという少女と香君の存在により、未来を見据え、力強く生きていくことを示してくれています。

切れ者の大人たちの謀りごとを前に、ただ卓越した嗅覚を持つ少女がその能力をフルに生かして皆の幸せを祈り、そして行動していく話ですがその未来への展望が見事です。

 

著者上橋菜穂子の作品では、心に残る言葉が記されていますが、本書においてもそれは変わりません。

自然の摂理は確かに無情だけれど、でも、けっこう公平なものだとか、人には知識や経験から推論を導き、考え、希望を見出す力がある、などというアリキ師の言葉などそうでしょう。

生き物は自分ではどのような存在に生まれるかは選べないが、どんな小さな者も己の役割を担って生きている、などという「香君」オリエの言葉などもそうです。

こうした言葉が本書のあちこちにちりばめられています、だからといって、本書が難しく高尚な言葉を語っているということではありません。

まさにファンタジーとして読みやすい物語のなかに必然的な言葉として散りばめられているのであって、普通に読んでいるままに頭に入ってきます。

 

ただ、本書『香君』は、著者上橋菜穂子の『鹿の王』のような元気のいいアクションの場面はありません。相手は言葉を持たず動くこともない植物であり、人間同士の戦いの場面もありません。

虫との戦いはありますが、彼らも単に本能に従って食べ物を探すだけです。

植物の発する「香り」が主人公のアイシャには、ときには嬉しく、ときには騒がしく「聞こえる」のです。

その植物の香りをもとに推測し、考え、行動するアイシャの姿はアクション場面こそないものの心動かされます。

この点の発想は、多分ですが、日本文化の一つとしてある、香りと出会い向き合う「香道」の「聞く」という言葉から発想されているのでしょう( 香りと出会い、向き合う。聞香・お香の楽しみ方 : 参照 )。

 

でも、そうしたことはどうでもよく、単純に本書『香君』という物語に身を委ね、物語を楽しめばいい、と心から思います。

それほどに面白く、よく考えられた物語です。

小田 雅久仁

※ 小田雅久仁:作品一覧(Amazonの頁へリンク)

小田雅久仁』のプロフィール

 

1974(昭和49)年、宮城県仙台市生れ。関西大学法学部政治学科卒業。2009(平成21)年、『増大派に告ぐ』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、デビュー。2013年、『本にだって雄と雌があります』でTwitter 文学賞受賞(国内部門)。2015年8月現在、大阪府豊中市在住。引用元:小田雅久仁 | 著者プロフィール | 新潮社

 

小田雅久仁』について

 

上記プロフィールにある通り、これまでに日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、またTwitter 文学賞受賞(国内部門)も受賞されている実績を持っている作家さんだそうです。

残月記

残月記』とは

 

本書『残月記』は2021年11月に出版された、新刊書で381頁の中編のファンタジー小説です。

ファンタジーとはいっても「月」をモチーフとしたホラーの香りのする物語集であり、独特の言葉遣いと共に妙な魅力を持った、私の好みの範疇ではありながらも若干の冗長さをも感じる作品でした。

 

残月記』の簡単なあらすじ

 

「俺は突然わけもわからないうちに何もかもを失って、一人になった!」不遇な半生を送ってきた男がようやく手にした、家族というささやかな幸福。だが赤い満月のかかったある夜、男は突如として現実からはじき出される(「そして月がふりかえる」)。「顔じゅうが濡れている。夢を見ながら泣きじゃくっていたのだ」早逝した叔母の形見である、月の風景が表面に浮かぶ石。生前、叔母は言った。石を枕の下に入れて眠ると月に行ける。でも、ものすごく「悪い夢」を見る、と…(「月景石」)。「満月はいつだって俺たちに言う。命を懸けろと」近未来の日本、人々を震撼させている感染症・月昂に冒された若者。カリスマ暴君の歪んだ願望に運命を翻弄されながら、抗い続けてゆく。愛する女のために(「残月記」)。ダークファンタジー×愛×ディストピア。息を呑む感動のエンターテインメント!(「BOOK」データベースより)

 

そして月がふりかえる
大槻高志は妻の詩織と長男泰介、長女美緒の三人を連れてレストランへやってきた。そこのトイレの窓から見た満月に違和感を感じながらテーブルへと戻ると、レストランにいた全員が月に魅入られていた。月は回転を始め、見せたことのない裏側をさらして停止すると、テーブルには他人を見るような目で待つ三人がいた。

月景石
わたしが九歳の時に他界した伯母の桂子は石を蒐集していたが、その中に「月景石」と呼んでいた石があった。桂子は枕の下に月景石をおいて眠ると悪夢を見るから絶対にしては駄目だと言っていた。しかし、同棲相手の斎藤から言われて枕の下に石を置いて眠ると、胸に石を抱いたイシダキという月に生きる種族として生きているのだった。

残月記
2030年代には全国で七万人を超えたとされる月昂者2064年には三千人以下にまで抑え込まれ、新たな発症者も年間住人如何にまで押さえこまれたという。およそ60年にも及ぶ救国党による一党独裁政権時代に生きた宇野冬芽という月昂者の物語です。

 

残月記』の感想

 

本書『残月記』は、改行の少ない、詩情を感じさせる文章でありながら、実はこっそりと心の裏側に忍び込んでくるような不気味さを感じます。

文章は改行が少ないうえに、その場の状況や人物の心象を、一歩間違えば冗長と感じかねないほどに緻密に描写してあります。

そのため本書の分量は新刊書で381頁だとは言っても、文字数から言えば500頁位もあったと言われても納得できてしまう印象があります。

でありながら、情感に満ちているためかその緻密さがあまり気になりません。ただ、さすがに冗長と感じるところがない、と言い切ることができないのも事実であり、そこらは微妙なところです。

 

微妙な心のゆらぎを文章化した作品が好きなのであれば、本書はかなり好ましく受け入れられるのではないかと思います。

本来、そうした繊細な思いを表現した作品はあまり私の好むところではありません。

しかし、本書『残月記』は緻密に描き出してはあるけれども、その文章は魅力的だということに何のためらいもありませんし、その発想も素晴らしく物語としても私の好むところです。

ただ優しさだけに絡めとられたような物語は作品世界に没入できないのですが、本書はそうではありませんでした。

 

本書『残月記』の著者である小田雅久仁は、人間各々の心のあり方、心の状況をそのまま感覚で捉え、文章化して提示することが得意な作家だと思えます。

本書には三篇の中編が収められていますが、これまで私が読んだことのある作家の中で言えば、乙一に近いと言えるのでしょうか。

とは言っても『平面いぬ。』しか読んだことがないので断言することはできませんし、似てるとはいっても普通とは異なる世界観であり、心の裏側をそっとくすぐられるような不気味さを持った物語という程度のことです。

 

 

三作品とも「月」を共通のテーマとしています。そして、月の世界と主人公の地球での生活とがリンクし、いつの間にか月世界での生活へと変移していきます。

第一話は月がいつもとは異なる顔を見せたときに起きた怪異の話であり、第二話は月と地球と樹が描かれているように見える月景石と呼ばれる10センチメートルほどの石と異世界の話です。

そして第三話ですが、この物語は本書の半分ほどを占める長編と言っても良さそうな長さを持っています。

二十二世紀のいつかの時点から月昂という感染症が流行った二十一世紀を振り返り、書き手は不明なままに語られる、宇野冬芽という人物の評伝です。

視点の主は不明なまま、ときには冬芽の主観で語られるこの物語は、「月昂」という感染症の存在や、文中に登場する白岩剛夫や片山蓮、古屋宏海などの名前もその存在は当然の事実として語られていきます。

その上で、宇野冬芽の一人の女性に対する思いを貫く生き方が描き出されていくのです。

 

本書『残月記』はSF小説というだけの科学的な根拠は示されてはいない物語のため、ファンタジーと呼ぶべきだと思いますが、なんとも不思議な魅力を持った作品でした。

さよならもいえないうちに

さよならもいえないうちに』とは

 

本書『さよならもいえないうちに』はシリーズ四作目であり、新刊書で275頁の、四つの短編からなる連作のファンタジー小説です。

これまで同様に喫茶フニクリフニクラのあの席で過去に戻る四人の話が語られますが、若干のマンネリを感じてもしまいました。

 

さよならもいえないうちに』の簡単なあらすじ

 

「最後」があるとわかっていたのに、なぜそれがあの日だと思えなかったんだろうー。「君のおかげで僕が幸せだったことを、君に知っててほしかった」家族に、愛犬に、恋人に会うために過去に戻れる不思議な喫茶店フニクリフニクラを訪れた4人の男女の物語。(「BOOK」データベースより)

第1話 大事なことを伝えていなかった夫の話
第2話 愛犬にさよならが言えなかった女の話
第3話 プロポーズの返事ができなかった女の話
第4話 父を追い返してしまった娘の話

 

第一話は、長年家庭を顧みることなく学問のために世界中を飛び回っていた、大学で考古学を教えている門倉紋二の話です。二年前のある日帰国すると、妻の門倉三重子は事故で植物状態になっていたのでした。

第二話は、疋田むつ男の妻スナオの話です。愛犬アポロが亡くなった時に眠ってしまっていたことを後悔していました。アポロを一人で逝かせ淋しい思いをさせたというのです。

第三話は、去年の今頃、この喫茶店で崎田羊二からプロポーズを受けた石森ひかりの話です。ひかりに断られた羊二は「気持ちが変わるまで待つ」と言ったものの、半年前に好きな人ができたと告げ、その後すぐに羊二は亡くなってしまったのでした。

第四話は、父親の雉本賢吾と仲たがいしていた雉本路子の話です。六年前、父親は娘に会うために上京してきたのですが、路子はろくに話すこともなく追い返してしまいます。ところが、父親は三年前の東日本大震災で命を落としてしまうのでした。

 

さよならもいえないうちに』の感想

 

これまでこのシリーズでは、時間旅行の物語では必ず付きまとうパラドックス、つまり時間旅行に附随して起きる矛盾には目を向けず、端的に言えば無視をして物語を進めてきたように思えます。

でも、本書『さよならもいえないうちに』ではそうした矛盾にあらためて目を向けているようです。

 

例えば、シリーズ二作目の『この嘘がばれないうちに』では、未来の出来事を知らされた者たちへの配慮が為されていない、という印象がありました。

とある事情で過去に戻り、親友に、彼自身の近い時期の死を告げることになるのですが、死を告げられた親友のその後についての言及はありませんでした。

そうしたことに対する解答ではありませんが、本書『さよならもいえないうちに』の第一話は、「記憶がルールの影響を受けることはない」という話でした。

つまり、ルールが記憶には及ばないということ、過去において未来の出来事を知らされた者たちはその知らされた事実を覚えているということ、などが明らかにされていきます。

結局、自分の死を告げられたものはその事実を自分の中で噛みしめていく以外にないという、先の疑問に対する一応の答えがあったのです。

 

時間旅行の物語では、どうしてもパラドックスを避けることはできず、そのために物語上、多次元理論や過去の改変は不可とするなどの対応が為されてきました。

多元宇宙を前提とする作品として小川 一水の『時砂の王』がありますし、SFの名作中の名作と言われるR・A・ハインラインの『夏への扉』は、タイムパラドックスの存在を前提とした作品です。

 

 

その他挙げていけばきりがありませんが、個人的には時間旅行という分野はとても面白い分野だと思っています。

その点、本書は細かなルールを設けてタイムパラドックスを回避しようとしていますが、人間の内心については個人の問題だとして、物理的な変更のみを認めていないようです。

 

本書『さよならもいえないうちに』に対しては、タイムパラドックスの問題とは別に疑問点もあります。

第四話で、房木という人物は例の女の椅子に座るために待っていたのだろうと思われるのに、彼が帰った後に路子を招き入れ、そのタイミングで例の女がトイレに立つという不思議な運びになっています。

そのことについては何も触れていないようですが、何かの伏線でしょうか、それとも私が何か見落としているのでしょうか。

 

また同じ第四話で、路子は父と会ったときに喧嘩別れをしていますが、今回の過去への旅はその喧嘩別れとどんな関係になるのでしょうか。

今回の過去への旅での出会いは喧嘩別れをする前に会った筈です。となれば、その後にまた父親が上京して喧嘩別れをすることいなるのでしょうか?

つまり、以前の出来事を今回過去に帰ることで書き直しているのではないか、過去は変えられないというルールに違反しているのではないか、と思えるのです。

 

ただ、本書は時間旅行を扱っている作品ではありますが、主眼は過去に戻る人間の心のあり様であって、時間旅行は単なる道具にすぎず、いわゆるタイムパラドックスの矛盾点などはそうは考えなくていいのでしょう。

問題は過去へ戻る彼、もしくは彼女の生き方について読者がどう読むかであり、時間旅行は単に考えるきっかけに過ぎないのです。

 

そうしたことはともかく、本シリーズのそれぞれの話をみると、結局は自分の大切な人に感謝や愛情などの言葉をかけていなかったことについての後悔を何とかしたいという当事者の悔恨を前提としているように思えます。

それだけ生きていく上では取り返しがつかない後悔に満ちているということなのでしょう。

物語は楽しめばよく、物語の持つ意味などの深読みはしないことにしているのですが、本書のような作品ではどうしても生きることの意義を考えてしまいます。

何かと軽さを指摘されるこのシリーズですが、個人的には決して嫌いではない、それどころか好きな部類の作品だといえます。

図書館の魔女 烏の伝言

図書館の魔女 烏の伝言』とは

 

本書『図書館の魔女 烏の伝言』は『図書館の魔女シリーズ』第二弾で、文庫本上下二巻で896頁の長編のファンタジー小説です。

シリーズの主人公である「図書館の魔女」の登場こそあまり無かったものの、第一弾同様に物語世界も堅牢に構築されており、ミステリーとしての面白さも兼ね備えた、一級の作品でした。

 

図書館の魔女 烏の伝言』の簡単なあらすじ

 

道案内の剛力たちに導かれ、山の尾根を行く逃避行の果てに、目指す港町に辿り着いたニザマ高級官僚の姫君と近衛兵の一行。しかし、休息の地と頼ったそこは、陰謀渦巻き、売国奴の跋扈する裏切り者の街と化していた。姫は廓に囚われ、兵士たちの多くは命を落とす…。喝采を浴びた前作に比肩する稀なる続篇。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

姫を救出せんとする近衛兵と剛力たち。地下に張り巡らされた暗渠に棲む孤児集団の力を借り、廓筋との全面抗争に突入する。一方、剛力衆の中に、まともに喋れない鳥飼の男がいた。男は一行から離れ、カラスを供に単独行動を始めるが…。果たして姫君の奪還はなるか?裏切りの売国奴は誰なのか?傑作再臨!( 下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

ニザマとアデルシュとの間で自治州としての地位を確立していたクヴァンだったが、一ノ谷とアデルシュとの和議が成ったためにクヴァンの州都の港湾都市クヴァングヮンも混乱に極みにあった。

そのクヴァングヮンに、ニザマ南部省の高級官僚の弟姫君ニシャッパが近衛の一隊に守られ、剛力達の助けを借りながら逃げてきた。

しかし、追剥や夜盗が横行するクヴァングヮンの逃亡先である筈の娼館は、一同が唖然とするほどの派手な装いの遣手や番頭が出迎える、なんとも胡散臭い建物だった。

 

図書館の魔女 烏の伝言』の感想

 

本書『図書館の魔女 烏の伝言』は、前巻の『図書館の魔女』とは異なり、新たな登場人物がメインとなって物語が進行しています。

その中心にいるのは姫君を守ってきたゴイを頭とする剛力たちであり、ゲンマを衛士長とする近衛兵たちです。

剛力とは、国境に近いクヴァン山岳の道案内を務める山賤のことであり、罠師ゴイのもと、若衆のまとめ役のワカンエノクカランの兄弟、それに鳥飼のエゴンなどがいます。

一方、近衛兵には衛士長のゲンマ、剛力達から赤毛と呼ばれるツォユやツォユを慕う部下のタイシチらがいて、ニザマ高級官僚の弟姫君のユシャッパを護衛してきました。

ほかに、後に彼らに合流するニザマの近衛兵だったというカロンや、クヴァングヮンの地下水路を住み家とすると呼ばれる子供たちが登場します。

その他、鼠の頭がトゥアンで、チャクオーリンファン、その他の仲間や、剛力達が逃避行の途中で山の中で助けた黒(ハク)と呼ばれる南方出身と思われる少年がいます。

本書『図書館の魔女 烏の伝言』では、彼らが姫君を守り、戦い抜いていく様子が描かれているのです。

登場人物に関しては下記サイトが見事にまとめてありますのでそちらを参照してください。

FGかふぇ

それこそ全登場人物を網羅してあるのではないかと思うほどに詳細で、物語自体の紹介としても本サイトより数段緻密に紹介してあります。

 

前巻の『図書館の魔女』では、著者の高田大介の言語学者としての側面を十分に生かした、言語や書物についての考察がマツリカの口を借りて語られていました。

同時に、この『図書館の魔女シリーズ』の世界観を緻密に構築し、一ノ谷のおかれている政治的な状況下でのマツリカの行動をリアルにするためのニザマとの間の緊張関係などの物語の背景を丁寧に描き出してありました。

本書『図書館の魔女 烏の伝言』でも、やっと登場してきたマツリカに言葉についての講義をさせたりもしてはいます。

 

でもそうした学術的な描写に加え、本書『烏の伝言』では、差別や仲間意識といった人間の心のあり様についての言及も目立っています。

例えば、見た目の恐ろしさや、言葉をうまく話せないことなどをあまり気にしないというエゴンが育ってきた海洋民の生活を、あらゆる属人的な差異を相対的なものとしか見ない文化として紹介し、人間存在自体の大切さを説いています。

また、鼠と呼ばれる少年たちが人生で本当に大切なもの、という答えのない問いに対する示唆を与えてくれたのが、ワカンやカロイ、そしてツォユたちだと感じる場面などは、同時に読む者の胸を熱くします。

さらには、救護院で文字を教えていたのは何故なのか、を教えてくれたのも皆から知恵遅れと思われていたエゴンの行動だったとして、人を外面での判断することの愚かしさを教えてくれてもいるのです。

ちなみに、本書の『烏の伝言』というタイトルも、鳥飼であるエゴンが飼っている烏から来ていると思われ、エゴンという存在、また伝書鳩の代わりとなる烏の存在の重要性を示しているのでしょう。

 

こうした胸を打つ場面からなる本書『図書館の魔女 烏の伝言』は、またかなりミステリー色の強い作品になっていて、同時にアクション場面もまた多くなっています。

クヴァングヮンの薄暗い裏路地に響く鈴の音と共に転がる首や、鼠たちが住み家とする地下水路にあふれる水からの逃避行など、見せ場が満載です。

そして終盤、これまで折に触れ示されてきた細かな謎や疑問について、マツリカが名探偵のごとくその謎を解明していきます。

その伏線回収の仕方は上質のミステリーを読んでいるようで、その心地よさに包まれてしまいました。

 

 

本書『図書館の魔女 烏の伝言』は、作者の計算されつくした物語世界の上で構築されているため、読み進めている途中も、そして読み終えてからも、本書を読み進めることに対する安心感があり、納得感があります。

ただ、物語は長く、また誰が剛力で近衛兵であったのか不明になることもあって、けっして読みやすい物語だとは言いません。

しかし、それでもなお実に面白く興奮できる物語を感謝するとともに、早くこの物語の続編を読みたいと強く思うばかりです。

機龍警察シリーズ

機龍警察シリーズ』とは

 

本『機龍警察シリーズ』は、警視庁内に新たに設けられた特捜部の、物語が進むにつれ次第に明らかになっていく警察内部に巣食う「敵」との戦いを描くSFチックな警察小説です。

現代が舞台の警察小説ではありますが、パワードスーツという空想の戦闘兵器を核にした、時代を反映した濃密な物語であり、私の好みと非常に合致したシリーズでした。

 

機龍警察シリーズ』の作品

 

 

機龍警察シリーズ』について

 

本『機龍警察シリーズ』は、警察小説ではありますが、同時にSF小説でもあり、さらには冒険小説としてもかなり面白く読める作品です。

シリーズ内では、『機龍警察 自爆条項』が日本SF大賞を、『機龍警察 暗黒市場』が吉川英治文学新人賞を受賞しています。

 

警察小説でありまたSF小説でもある本書は、登場人物がそれぞれに個性的で魅力的ですが、まずは機甲兵装の搭乗員が物語の中心となります。

つまり、シリーズ序盤での物語の中心となるのが特捜部付警部である姿俊之やライザ・ラードナー、ユーリ・ミハイロヴィッチ・オズノフといった龍機兵搭乗要員たちです。

その後、シリーズも進み龍機兵の紹介も終わって物語の世界観が確立した頃になると、それまで三人の搭乗員たちを支えていた警視庁特捜部の人物たちが前面に出てきます。

まず特捜部部長の沖津旬一郎警視長が強烈な個性をもって皆をまとめ、牽引しています。

そして沖津を支える、理事官の城木貴彦警視や宮近浩二警視がいて、ほかに技術主任鈴石緑、捜査主任の由起谷志郎警部補など、多くの人員が登場しますが皆明確に書き分けられていて個性的です。

このほかに警視庁警備部や組織犯罪対策部、それに公安部、警察庁や各県警などの警察官たちも特捜部と対立したり仲間として組んだりと多彩な顔ぶれが登場します。

 

前述のようにSF色のある警察小説である本書を読む前提としては、ある程度の荒唐無稽な設定をためらいなく受け入れるだけの読書に対する趣味・嗜好があることが必要だと思われます。

というのも、本『機龍警察シリーズ』では「龍機兵(ドラグーン)」という操縦者が乗り込み操作する外装装置であるパワードスーツが物語の軸となっているからです。

そんなあたかもコミックの『機動警察パトレイバー』のような設定の物語ですから、シリアスな警察小説を好む人には敬遠されると思われるのです。

 

 

しかし、個人的にはそうしたシリアスな物語が好きな人にもこの『機龍警察シリーズ』は面白く読んでもらえると思っているのですが、どうでしょう。

というのも、一つには本シリーズは序盤は一つの巻ごとに「龍機兵」の搭乗員として特捜部と契約している三人の背景を紐解きながらの物語になっているのですが、そのそれぞれが、現実を背景にしたリアルな物語となっているからです。

本シリーズの重要な登場人物で姿俊之はプロの傭兵であるし、ライザ・ラードナーはIRAの「死神」の異名で知られるテロリストであったし、ユーリ・オズノフはロシアの優秀な警察官であったという過去を持っているます。

そんな彼らの過去を記すということは北アイルランドのテロ組織IRFやロシアンマフィアの現実を描き出すことでもあり、さらに第四巻『機龍警察 未亡旅団』ではチェチェン紛争という現実を、第七巻の『機龍警察 白骨街道』ではミャンマーのそれもロヒンギャ問題をテーマとしているのです。

 

そしてもう一点、警視庁特捜部という存在自体が警視庁の中でも特異な存在となっていて、特捜部と警察の内部にも広く巣くっているとも思われる「敵」との闘いの様子が読み手の心を刺激します。

それは、警察上層部にまで食い込んでいるだけではなく、官邸サイドまで手が伸びているようで、ミステリアスな警察小説としての面白さも抱える作品となっているのです。

 

これまで述べてきたように、本『機龍警察シリーズ』は「龍機兵(ドラグーン)」と呼ばれるパワードスーツの操縦者である三人の人物と警視庁特捜部を中心にした物語として展開されています。

中でも第五弾の『火宅』だけは短編集となっていますが、それ以降の『狼眼殺手』『白骨街道』は「特捜部」対「敵」との戦いが次第に明確になります。

そして、搭乗員三人の活躍の場面では冒険小説の側面が強いものの、特捜部の戦いの場面ではサスペンス色の強いミステリーとなっています。

それも、「敵」の姿が明確になっていくにつれ、警察内部のグループというよりも、警察内部にもメンバーがいるより強大な組織というべき存在になっていくのです。

 

非常に読みごたえのある『機龍警察シリーズ』ですが、大作であるからかなかなか続刊が出ません。

第一巻の『機龍警察 』の刊行が2010年3月で、最新刊の『機龍警察 白骨街道』が2021年8月の刊行ですからその間11年以上が経過しています。

できればもう少し早く読みたいというのが本当の気持ちです。

続刊を待ちましょう。

図書館の魔女 第四巻

本書『図書館の魔女 第四巻』は、文庫本での解説まで入れて642頁というかなりの長さの長編のファンタジー小説です。

四分冊の文庫版『図書館の魔女』の最終巻である本書は、最終巻にふさわしい実に読みごたえのある物語でした。

 

図書館の魔女 第四巻』の簡単なあらすじ

 

海峡地域の動乱を期するニザマ宰相ミツクビの策謀に対し、マツリカは三国和睦会議の実現に動く。列座するは、宦官宰相の専横を忍んできたニザマ帝、アルデシュ軍幕僚、一ノ谷の代表団。和議は成るのか。そして、マツリカの左手を縛めた傀儡師は追い詰められるのか?超大作完結編。第45回メフィスト賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

一ノ谷に攻め込もうとするアデルシュに自ら乗り込んだマツリカは、アデルシュを背後から操るニザマの宦官から力を取り戻そうとするニザマ帝をも取り込み、三か国による会議に望んでいた。

その会議では、キリンの明晰な戦略分析に加え、アデルシュ北部台地での新規農地開拓用揚水機である「水槌」を最終的な武器として、アデルシュ篭絡の策謀が為されていた。

その結果、ニザマ帝と共にアデルシュとの和議が成り、マツリカの自分の左腕の動きを奪った魔術師の双子座へと戦いを挑みに向かうのだった。

 

図書館の魔女 第四巻』の感想

 

本書『図書館の魔女 第四巻』はかなり長い一冊ですが、その内容はかなり濃密であり、読みごたえがあります。

冒頭から繰り広げられる三カ国会議の模様はキリンの弁舌の見事さが浮き彫りにされ、その後の「水槌」の原理など図示して解説してあり、実際動作するのだろうと思わせられます。

読者にそう思わせることができているのであれば、実際の稼働可能性は問わずとも物語としてはそれで成功でしょう。

 

さらに、本書では双子座との戦いの場面が控えています。

これまでもアクション場面が無いことはなかったのですが、本シリーズの中では、本書程に緻密に、そしてそれなりの長さをもって描かれたことは無かったのではないでしょうか。

 

ただ、双子座との戦いを終えた後の描写は物足りません。

それまであれほど詳しく読者を濃密な世界に引きずり込んでいたのですが、終盤はなんともあっさりとしています。

それがいかにも物足りなさを感じ、また寂しくもありました。

マツリカとキリヒトとの物語が一応の区切りをつけたのは分かりますが、もっと読みたいという読者の期待を見事に裏切っています。

もしかしたら、それこそ作者の、あっさりと物語を閉めることで物語の余韻を長く保とうとする計算された終わり方であり、私としてはその意図に見事にはまったのかもしれません。

 

ともあれ、本書『図書館の魔女(全四巻)』は、作者が言語学者というだけに、「言葉」というものを根底に据え、「言葉」の持つ意味を突き詰めた作品です。

そして、その延長上には「書物」が控えていて、知の集積場としての図書館、それ以上に国の存立にかかわる機関としての役割も担う「図書館」の意義が示されます。

その「図書館」の中心にいるのが魔女マツリカですが、その背景は全く示されておらず、今後も示されそうではありません。

すでに「図書館」の中心であり、まさに魔女と呼ぶにふさわしい知力と洞察力を兼ね備えているのです。

でありながら少女らしい可愛さをも併せ持つマツリカの物語を、そして少年キリヒトの物語をもっと読みたいものです。

ともあれ、本書『図書館の魔女(全四巻)』の続編として『図書館の魔女 烏の伝言(つてこと)』が出版されています。

 

 

本書のラストの物足りなさをこの続編が解消してくれるものなのか、早く読みたいものです。

図書館の魔女 第三巻

本書『図書館の魔女 第三巻』は文庫本の頁数にして379頁の長編のファンタジー小説で、全四巻の三巻目の作品です。

本書でマツリカが衛兵たちに対してなす文献学の講義など、読みようによってはかなり興味深い話が展開され、ストーリー自体もさることながら、書物に関する話もかなり面白そうな本巻でした。

 

『図書館の魔女 第三巻』の簡単なあらすじ 

 

深刻な麦の不作に苦しむアルデシュは、背後に接する大国ニザマに嗾けられ、今まさに一ノ谷に戦端を開こうとしていた。高い塔のマツリカは、アルデシュの穀倉を回復する奇策を見出し、戦争を回避せんとする。しかし、敵は彼女の“言葉”を封じるため、利き腕の左手を狙う。キリヒトはマツリカの“言葉”を守れるのか?(「BOOK」データベースより)

 

大国ニザマの脅威が次第に増してくる中、ハルカゼは議会に、キリンは王宮を相手にその対応で忙しくしていて、高い塔では資料整理などの実務が滞っていた。

そこに、図書館付きの護衛として高い塔などに常駐するようになった元近衛兵の中から司書を手伝うものが現れており、彼らに対しマツリカの臨時の講義なども行われるようになっていた。

一方、ニザマの帝室との書簡の往来の中からニザマ帝の病のことを察知したマツリカは、その特効薬が一ノ谷の衛星都市に算出することを奇貨としてその手配を終え、次の手を打っていた。

その手配は、ニザマの宦官たちの策略により一ノ谷へと侵攻せざるを得なくなっていたアルデシュへの対処をも意味していた。

そして物語も佳境へと入り、マツリカ本人がニザマの皇帝に拝謁するというところまで来たのだった。

 

『図書館の魔女 第三巻』の感想

 

『図書館の魔女 第三巻』では、前半は物語に大きな動きはありません。

物語についての動きはないものの、新たに図書館付きとして配置された近衛兵のイズミルに対してマツリカが話した書物についての話などは非常に興味深いものでした。

それは、そもそもは図書館に収蔵すべき書物の判断基準は何かということから始まった議論でした。

判断対象は具体的な書の一欠片(かけら)であり、将来、しかるべき場所に置かれたその一欠片によって失われた文化が一部分だけでも蘇るのかもしれない。

ならば、誰かがその一欠片を未来へ届けなければならず、それが図書館の役割だとマツリカは言うのです。

そこから、「魔導書」などは駄本に過ぎないという話になります。

かつては書物は希少価値があってなかなか皆が読めなかったのだけれど、印刷技術の発達により書物が大量に印刷されるようになるにつれ、書物の価値は下がってしまった。

そこで「魔導書」などというみんなが怖れ、なお且つ探し求めている本は出鱈目な付加価値を僭称した駄本が現れたのだ、という話につながるのです。

 

その後、大国ニザマの露骨な圧力に対する高い塔、つまりはマツリカの戦略が発揮される話へと移ります。

この箇所はまた書物に関する話とは違った意味でまた興味をひかれる展開となっています。

結局は、アルデシュという国を利用しようとするニザマの一ノ谷侵攻のための布石を、ニザマ国内の王室と宦官たちとの対立を利用して回避しようとする試みが展開されます。

そのためのアルデシュの作物の不作という危機を回避する手立てを一ノ谷が考え、それを対ニザマの戦略として組み立てるマツリカらの動きが面白いのです。

 

結局、本書『図書館の魔女 第三巻』ではアクション面での派手な展開はありませんが、そもそも本『図書館の魔女シリーズ』はアクション中心の物語ではありません。

キリヒトというその道の達人を中心に置いてはいるものの、高い塔にいる「図書館の魔女」であるマツリカこそが主人公であって、「言葉」や「書物」についての考察を中心に展開する物語なのです。

その上で、国家間の情報戦を軸にした国家間の勢力争いをも見据えた話として展開する物語です。

その書物や情報戦についての考察が普通人の考えを越えた専門家の視点で説かれているところにこの物語の醍醐味があります。

 

口はきけないものの、しかし情報量の豊かな手話を駆使することによって自分の意思を伝えるマツリカという存在が、ユニークで愛すべき存在に思えてきますから不思議なものです。

残されたあと一冊でこの物語がどのように変化するものか、早く読みたい気持ちでいっぱいです。

三体III 死神永生

本書『三体Ⅲ 死神永生』は、新刊書で上下巻合わせて880頁近くにもなる『三体シリーズ』第三部の長編のSF小説です。

個人的な好みは別として、第一部、第二部にも勝るSFとしての醍醐味を味わうことができる一冊です。

 

三体III 死神永生』の簡単なあらすじ

 

圧倒的な技術力を持つ異星文明・三体世界の太陽系侵略に対抗すべく立案された地球文明の切り札「面壁計画」。その背後で、極秘の仰天プランが進んでいた。侵略艦隊の懐に、人類のスパイをひとり送る――奇想天外なこの「階梯計画」を実現に導いたのは、若き航空宇宙エンジニアの程心(チェン・シン)。計画の鍵を握るのは、学生時代、彼女の友人だった孤独な男・雲天明(ユン・ティエンミン)。この二人の関係が人類文明の――いや、宇宙全体の――運命を動かすとは、まだ誰も知らなかった……。
一方、三体文明が太陽系に送り込んだ極微スーパーコンピュータ・智子(ソフォン)は、たえず人類の監視を続けていた。面壁者・羅輯(ルオ・ジー)の秘策により三体文明の地球侵略が抑止されたあとも、智子は女性型ロボットに姿を変え、二つの世界の橋渡し的な存在となっていたが……。全世界でシリーズ2900万部、日本でも47万部。壮大なスケールで人類の未来を描く《三体》三部作、堂々の完結篇。(上巻 : Amazon 紹介文 )

帰還命令にそむいて逃亡した地球連邦艦隊の宇宙戦艦〈藍色空間〉は、それを追う新造艦の〈万有引力〉とともに太陽系から離脱。茫漠たる宇宙空間で、高次元空間の名残りとおぼしき“四次元のかけら”に遭遇する。〈万有引力〉に乗り組む宇宙論研究者の関一帆は、その体験から、この宇宙の“巨大で暗い秘密”を看破する……。
一方、程心(チェン・シン)は、雲天明(ユン・ティエンミン)にプレゼントされた星から巨額の資産を得ることに。補佐役に志願した艾AA(アイ・エイエイ)のすすめで設立した新会社は、数年のうちに宇宙建設業界の巨大企業に成長。人工冬眠から目覚めた程心は、羅輯(ルオ・ジー)にかわる二代目の執剣者(ソードホルダー)に選出される。それは、地球文明と三体文明、二つの世界の命運をその手に握る立場だった……。SF最大の賞ヒューゴー賞をアジア圏で初めて受賞した『三体』に始まり、全世界に旋風を巻き起こした壮大な三部作、ついに完結。(下巻 : Amazon 紹介文 )

 
『三体シリーズ』第三部『三体Ⅲ 死神永生』の主な主な登場人物
 
程心(チェン・シン/てい・しん) 航空宇宙エンジニア 執剣者
艾AA(アイ・エイエイ/あい・えいえい) 星間グループCEO
雲天明(ユン・ティエンミン/うん・てんめい)  「階梯計画」の任務執行者

トマス・ウェイド もと国連惑星防衛理事会戦略情報局(PIA)長官
羅輯(ルオ・ジー/ら・しゅう) もと面壁者・執剣者

関一帆(グァン・イーファン/かん・いっぱん) 〈万有引力〉乗員 宇宙論研究者
智子(ヂーヅー/ちし/ともこ) 智子(ソフォン)に制御される女性型ロボット

 

本書『三体III 死神永生』の冒頭に三頁程を使って簡単に第二部までの流れをまとめてあります。それをさらに簡単に括ると以下のようになります。

 

葉文潔が発信したメッセージを受信した三体世界は、地球文明へ侵略するために大艦隊を送り出した。

同時に、十一次元の陽子を改造した光速での航行が可能な超小型コンピュータの智子(ソフォン)を送り込む。

智子は、人類科学の基礎研究に入り込み結果を操れるばかりか、量子もつれ効果を利用した即時通信で地球の現状をリアルタイムで三体世界に知らせていた。

三体世界は三体文明に協力的な地球三体協会を組織し、地球文明侵略の準備をしていたが、何とかこの協会を殲滅する。

監視機構として智子が送り込まれていた人類は、智子が認知できない人類の頭の中の考えだけで対応すべく、面壁計画を立案し、四人の面壁者が選定された。

面壁者の中で全く無名の羅輯(ルオ・ジー)は、二百年の人工冬眠から蘇生し、起死回生の“呪文”によって、三体世界からの脅威を取り除くのだった。

以上のように第二部までで面壁者・羅輯の意外な活躍で三体世界の侵略を寸前のところで回避した地球文明だったが、この面壁計画とは全く別にとある計画が進んでいた。

それが三体艦隊へ向けた探査機の発出であり、「人類をひとり敵の心臓に送り込む」ことだった。

 

三体III 死神永生』の感想

 

第一部『三体』も第二部『黒暗森林』も、実にSF小説らしいアイデアに満ちていて非常に面白く読んだ作品でした。

ところが本書第三部『死神永生』は、その第一部、第二部以上に驚きのアイデアが示されているSF小説らしい小説だったと言えます。

簡単にみても、宇宙船の速度を光速の一%まで上げるための方法や、宇宙戦艦〈藍色空間〉や〈万有引力〉が遭遇した四次元空間、そして兵器としての二次元カードなどがあります。

また、時間と空間の外にあるキューブと悠久の時の流れを扱っているのですが、こうしたアイデアの紹介はネタバレになりかねないので詳しくは書けないのがもどかしく感じるほどです。

 

このように、第三部『死神永生』は第一部や第二部にも増したアイデアが詰まっています。

この点については本書のあとがきで訳者の大森望氏も書いていますが、作者の劉慈欣自身が第三部はSF小説のファン、またハードコアファンである自分自身のために書いた、と言っているようなハードコアSF小説です。

例えば、スケールの大きい名作SF小説と言えば必ず例にあがるのがアーサー・C・クラークの『都市と星』や、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』だと思うのですが、それらの作品を超えたスケールで展開します。

 

 

このように、思いもかけないアイデアで物語が壮大に展開するのはいいのですが、本書のSF的なアイデアを十分に使ったクライマックスは、私の好みとはまた異なる終わり方でした。

個人的にはこれまでの第一部、第二部で進められてきた物語の終わりかたとしては中途半端であり、それまでの物語の運びに整理がついていません。

結末にいたるまでに進んできた個々の登場人物のその後の成り行きなどが不明なのです。

 

また、本書『三体Ⅲ 死神永生』では冒頭から意味深な過去の挿話があります。また三体のゲーム内での話かと思っていたらそういう示唆は全くありません。

結局、そのまま現代の話へと移行して本編が始まったのはいいのですが、その挿話の持つ意味や、本編と前巻での話とつながらず、どのように読むべきなのか戸惑いがありました。

後で考えれば、前巻での話との直接のつながりはなかったので、私の戸惑いも当然ではあったのですが、もう少し読み手にやさしく書いてあれば、との思いは抱きました。

ただ、そうは言っても、良く読みこんでいけば本書と第二巻での話との直接的なつながりはないことは書いてあったのですから、私の難癖に近いのかもしれません。

この点は、本書が大長編である上に、前巻を読んでから半年以上が経っているために内容をよく覚えていないのですから、冒頭にこれまでのあらすじが載っているのは助かりました。

 

念のために書いておきますが、本書『三体Ⅲ 死神永生』の結末はそれはそれとして実にSF的であって満足できる出来栄えです。

また、本書が物語として筋が通っていないなどというのでもありません。本書は本書としてきちんと理屈は通っています。

ある場面での状況を書くことは即ちネタバレになるので例としても殆ど書けませんが、ただ、結末のつけ方が私の好みではないのです。

 

話は変わりますが、『三体』三部作では年代表記として、共通紀元(西暦)から危機紀元へと紀年法を改めたことになっています。その後大きな事件ごとに元号が変わり、以下抑止紀元、送信紀元などと変化していきます。

ちょっと考えると、西暦のままに通した方が分かり易いのに何故わざわざ元号制をとったのか疑問でした。

しかし、本三部作では歴史の重大事件ごとに物語が綴られ、それ以外の時間は冷凍睡眠状態でいます。

とすれば、事件ごとの年代で十分であり、西暦での年代表記はそれほど意味がないのです。特に本書に至ってはその感を強くした次第です。

また、物語の主な登場人物が中国人であり、若干名前などで混乱することもありましたが、それは中国人の書いた小説ですからあたり前のことであり、その点を言う方がおかしいことになります。

 

そしてもう一点、本書『三体Ⅲ 死神永生』では物語の途中である登場人物が作った童話、そしてその解釈が重要な意味を持ってきます。

ここでの解釈の仕方が、ある種思考ゲームにも似て盛り上がります。そういう意味でも本書は魅力的で、様々な顔を見せてくれると思います。

 

結局、本書『三体Ⅲ 死神永生』はあまりに壮大な物語であり、ストーリーも決して単純ではないこと、描かれている内容がかなりコアな内容であり、SF小説に慣れていない人たちにとっては読みにくいのではないか、との危惧もありました。

しかし、現実にベストセラーになっているのですから、私の危惧の方がおかしいことになります。

それほどに魅力的な物語だということができるのでしょう。

是非の一読を勧める作品でした。

図書館の魔女 第二巻

本書『図書館の魔女 第二巻』は文庫本の頁数にして464頁の長編のファンタジー小説で、全四巻の二巻目の作品です。

第一巻に続き、ニザマからの脅威に備える一ノ谷とマツリカを中心とする高い塔の活躍が描かれています。

 

『図書館の魔女 第二巻』の簡単なあらすじ 

 

図書館のある一ノ谷は、海を挟んで接する大国ニザマの剥き出しの覇権意識により、重大な危機に晒されていた。マツリカ率いる図書館は、軍縮を提案するも、ニザマ側は一ノ谷政界を混乱させるべく、重鎮政治家に刺客を放つ。マツリカはその智慧と機転で暗殺計画を蹉跌に追い込むが、次の凶刃は自身に及ぶ!第45回メフィスト賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

マツリカとキリヒトは離れの中庭にある井戸から始まる地下水道を探索し、一の谷の古い城下の崖の半ばほどにある奇妙な工房へと出る道を見つけ、その探索に夢中になっていた。

そうしたマツリカとキリヒトとの行動をハルカゼやキリンは、近頃の近隣諸国の情勢とも合わせ見て危ういものを感じていた。

そんな折、ハルカゼが構築した情報網を見たいとキリヒトを伴い出かけたマツリカは、問屋場で見かけた二人の御者の一言から重大な事件の発生を予知する。

そうした折、キリヒトと六人の衛兵を連れて水遊びに行ったマツリカらを、身の丈一丈(約三m)に及ぶ二体の巨人が襲ってきた。

必死で防戦する衛兵たちとは別に、キリヒトは一人でその巨人らを撃退し、キリヒトが「高い塔」に遣わされたマツリカの護衛という真の理由が明らかになる。

キリヒトが高い塔に来たその日こそが、マツリカの命が狙われていた日だったのだ。

 

『図書館の魔女 第二巻』の感想

 

本『図書館の魔女』という作品は、出版時は『図書館の魔女』という作品が新刊書で上・下二巻として出版されていたもので、それが文庫本で二巻ずつ、都合四冊に分冊されたものです。

その文庫本の第一巻では、この物語の登場人物や図書館のある「高い塔」、そして一ノ谷の属する王国などの紹介の趣が強いものでした。

それが本書『図書館の魔女 第二巻』に入ると、一の谷およびそれを取り巻く周辺諸国との政治的な取引の側面が強くなってきます。

 

そもそも「高い塔」は立法権を持つ議会との間では法文の駆け引きを巡って介入権を保っており、統帥権を握る王室との間では用軍顧問としての助言という圧力をかけうる立場にありました。

具体的にはハルカゼやキリンの立ち位置が、ハルカゼは議会から、そしてキリンは王室からの高い塔に送りこまれた間諜としての立場にあることが明らかにされます。

その上で、覇権主義を隠そうとしない大国ニザマの侵略を巡り、「高い塔」が新しい魔女を中心にその役割の重要性を増しているのです。

その中に送り込まれたキリヒトは、そうした現在の状況を次第に学びつつあり、第二巻となる本書において、マツリカを襲ってきた刺客の手からマツリカを守り通すことになります。

さらに、第一巻のキリヒトが初めて「高い塔」に現れマツリカと会う場面からすでにニザマの刺客が入り込んでいたことも明かされます。

 

こうした国内での勢力争いや、国家間での権謀術数の場面を緻密に描き出しているところに、本『図書館の魔女 シリーズ』の作者の豊富な知識や高い問題意識などを読み取ることができます。

そしてそのことがこのファンタジー物語を単なるお伽話から変貌させ、読みごたえのある大人の物語としての魅力を醸し出していると思われるのです。