黄昏の岸 暁の天 十二国記 8

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』とは

 

本書『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』は『十二国記シリーズ』の第八弾で、2001年5月に講談社X文庫から刊行され、2014年3月に478頁で新潮文庫から刊行された、長編のファンタジー小説です。

本書は『魔性の子』が蓬莱での泰麒高里の物語であるのに対し、高里が不在の間の異世界〈十二国〉の様子が描かれていて、かなりの読み応えを感じた作品でした。

 

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』の簡単なあらすじ

 

王と麒麟が還らぬ国。その命運は!? 驍宗(ぎようそう)が玉座に就いて半年、戴国(たいこく)は疾風の勢いで再興に向かった。しかし、文州(ぶんしゆう)の反乱鎮圧に赴(おもむ)いたまま王は戻らず。ようやく届いた悲報に衝撃を受けた泰麒(たいき)もまた忽然(こつぜん)と姿を消した。王と麒麟を失い荒廃する国を案じる女将軍は、援護を求めて慶国を訪れるのだが、王が国境を越えれば天の摂理に触れる世界──景王陽子が希望に導くことはできるのか。( 内容紹介(出版社より))

 

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』の感想

 

本『十二国記シリーズ』のエピソード0である『魔性の子』では蓬莱(日本)に流された高里の様子が描かれていましたが、その間の異世界側のようすが本書『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』で描かれています。

具体的には、まずは本書冒頭の「序章」において泰麒、つまりは戴国の麒麟である高里が蓬莱(日本)に流された時の事情が描かれています。

戴国ではやっと泰王驍宗がその座について国の再興が為されようとしていたのですが、将軍の阿選の策謀により泰王が行方不明となる事態が起きていたのです。

そしてそうした事態に応じて、「序章」に続く「一章」では戴国の女将軍李斎が助けを求めるために瀕死の状態で慶国の王宮に現れたところから始まります。

こうして、戴国を助けるためにまずは蓬莱に流された泰麒を探すために各国の王や麒麟が力を合わせることとなるのです。

 

あらためて本シリーズを俯瞰すると、戴国の物語が主になってシリーズの根底になっていることに気がつきます。

まずは、本書の姉妹編ともいえる『魔性の子』があり、その後にシリーズ第二弾の『風の海 迷宮の岸』では、泰麒である高里が驍宗を王として選択する様子が描かれていました。

 

 

そして、次がシリーズ第八弾の本書『黄昏の岸 暁の天』であり、各国が力を合わせて蓬莱に流された泰麒を探す様子が描かれているのです。

次にシリーズ第九弾の『白銀の墟 玄の月』(新潮文庫 全四巻)が本書の続編となっており、行方不明となった泰王驍宗の謎、そして戴国の行方が語られます。

 

 

そうした位置付けの本書ですが、あらためて本書の一番の魅力を見ると、泰麒の行方を捜すそのストーリー展開の面白さにあると思います。

蓬莱にいる泰麒を探すためには麒麟の力を借りるしかかなく、各国の麒麟が力を合わせて泰麒の所在を探すことになる物語の展開が面白いのです。

 

そして、その過程でこの異世界の成り立ちそのものへの考察をする場面がありますが、その考察において遠藤周作の名作『沈黙』で描かれているような神の存在に対する弱い人間の叫びと同様な問いかけがあります。

 

 

そこでの李斎の言葉が、本書『黄昏の岸 暁の天』について検索すると数多くの書評やブログで同じ箇所が取り上げられているほどにインパクトが強い表現です。

それは、各国の麒麟たちが力を合わせて蓬莱にいる泰麒を探す行為が天の理に反しないかを蓬山に住む女仙たちの主である碧霞玄君に会いにいく場面で李斎が言った言葉です。

李斎は、天が存在することを知ったときに発した「では、どうして天は戴をお見捨てになったのです!?」と問い、それに対し陽子は、「もしも天があるならそれは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」と断じるのです。

 

本書の魅力の第二はこうした異世界の構造を借りた、天(神)の存在への疑問という現代社会にも通じる社会の在りように対する徹底した考察にあると思います。

『沈黙』では神は民を見捨てるのかという問いに対して明確な答えはなく、個々の読者への問題提起としてあったように思えますが、本書では明確にその答えを示してあります。

陽子のその言葉に対する評価は人それぞれでしょうし、個人的に納得できるかと言えば否定的な答えしかないと思われます。

しかしながら、こうした態度は『十二国記シリーズ』全般を通しての著者の姿勢として現れていると思われ、異世界の構造の真実味を増していると思われます。

 

こうして本書もまたシリーズ全体の存在感を高める一冊として、かなりな面白さをもって読むことができた作品と言えます。

本書に続『白銀の墟 玄の月』の全四巻と合わせて、シリーズ内の大作としての存在感を有しているのです。

ほどなく、お別れですシリーズ

ほどなく、お別れですシリーズ』とは

 

本『ほどなく、お別れですシリーズ』は葬儀場で働く女性を主人公としたお仕事小説のシリーズであり、大切な人との別れの場を描くヒューマンドラマシリーズです。

死者と語ることができる特殊能力を用いて知った亡くなった方の本心をもとに、心温まる葬儀をプロデュースするチームの姿が描かれる連作中編の感動作です。

 

ほどなく、お別れですシリーズ』の作品

 

『ほどなく、お別れですシリーズ』(2023年03月25日現在)

  1. ほどなく、お別れです
  2. ほどなく、お別れです 2 それぞれの灯火
  3. ほどなく、お別れです 3 思い出の箱

 

ほどなく、お別れですシリーズ』について

 

本『ほどなく、お別れですシリーズ』は直接的に「命」をテーマとすることで、医療小説にも似た趣きを持っていると言えます。

だからこそ、惹句にも『神様のカルテシリーズ』の夏川草介の言葉が引用されているのでしょう。

ただ、個人的には『神様のカルテシリーズ』ほどの感動作とは思えませんでした。

まだ第一作を読んだだけなのですが、続編を読むかどうか微妙なところです。

 

 

この『ほどなく、お別れですシリーズ』の登場人物は、葬儀場「坂東会館」で働く清水美空という女性です。彼女は就職活動がうまくいかないでいるところにバイト先であった「坂東会館」に就職することになります。

彼女には、彼女が生まれる直前に亡くなった美鳥という姉がいたのですが、その美鳥の存在を感じることがある霊感の強い人でした。

また、「坂東会館」には漆原という葬祭ディレクターがおり、美空の能力に目をつけ、自分の担当の葬儀を手伝わせることとします。

この漆原の友人で漆原が担当するの葬儀の多くでお勤めをしているのが里見道生という光照寺の僧侶です。

それに、先輩社員の赤坂陽子が美空をかわいがっており、何かと美空の世話を焼いてくれる存在として登場しています。

 

ここで漆原が持つ「葬祭ディレクター」とは、「厚生労働省が認定している資格制度で、ご葬儀についての知識や技能を示すと同時に、ご葬儀のスペシャリストである証明」だそうです。

詳しくは下記サイトを参照してください。

 

この漆原、里見、そして美空のトリオが特別な事情をもつ葬儀を担当する様子が描かれているのがこのシリーズですが、死者との対話をテーマにした作品と言えば、辻村深月の『ツナグ』という第32回吉川英治文学新人賞を受賞した作品があります。

死者との再会を通して様々な人間ドラマを描き出す感動の物語であり、テレビドラマ化もされています。

また川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに』もあります。

ただ、この作品はタイムトラベルものの変形であり、今という時間で死者と意思を通じる物語とは言えないかもしれませんが、通じるものはあると思います。

 

 

これらの作品と本書とを比べてみても、本書は物語の奥行きをあまり感じられなかったので、続編を読むかどうか迷うところなのです。

けっして浅薄な内容の作品というわけではなく、それなりに心惹かれて読み終えた作品ではあるので、微妙に迷っているというのが正直なところです。

図南の翼

図南の翼』とは

 

本書『図南の翼』は『十二国記シリーズ』の第六弾で、1996年2月に講談社X文庫から刊行され、2013年9月に新潮社から北上次郎氏の解説まで入れて419頁で文庫化された、長編のファンタジー小説です。

長い間王が不在で妖魔まで襲い来るようになった恭国のため、自らが蓬山を目指すことを決意した一人の女の子が黄海を旅する物語で、これまでにも増して魅力的な一冊でした。

 

図南の翼』の簡単なあらすじ

 

この国の王になるのは、あたし! 恭国(きようこく)は先王が斃(たお)れて27年、王不在のまま治安は乱れ、妖魔までも徘徊(はいかい)していた。首都連檣(れんしよう)に住む少女珠晶(しゆしよう)は豪商の父のもと、なに不自由ない暮らしと教育を与えられ、闊達な娘に育つ。だが、混迷深まる国を憂えた珠晶はついに決断する。「大人が行かないのなら、あたしが蓬山(ほうざん)を目指す」と──12歳の少女は、神獣麒麟(きりん)によって、王として選ばれるのか。(内容紹介(出版社より))

 

図南の翼』の感想

 

本書『図南の翼』は、主人公がこの世界の中央に位置する黄海に入り、その中央にそびえる蓬山に至るまでの旅をメインに描く、恭国の乾王誕生の物語です。

この旅の中で主人公である珠晶は様々なことを学び、そして成長していきます。その様子が冒険小説でありながら成長小説でもあり、惹きつけられるのです。

 

主人公は恭国の首都連檣の豪商の娘である珠晶(しゅしょう)という女の子です。

彼女は王が不在で妖獣まで出没するようになった首都にいて、この王不在という難局を乗り切るためには自分が王となるべきだと考えます。

そして王になるためには恭国の麒麟である恭麒のいる蓬山へ行く必要があり、そのために有り金をかき集めて家出をするのです。

この、旅の途中で知り合った利広の力を借りたり、騎獣にするための妖獣を狩ることを職業とする猟尸師の頑丘を雇い蓬山までの護衛を頼んだりと、自分の頭脳を駆使して旅をつづける姿が描かれます。

珠晶は、利広と頑丘という力強い味方を得て旅を続けるのですが、頑丘は別として利広はその正体が分からないままに物語が進むこともこの物語に興を添えています。

 

昇山する人々が黄海を渡る際には自然と集団ができますが、珠晶は金持ちの室季和や小金持ちの聯紵台、それに猟尸師と同じ朱氏の仲間である剛氏の近迫といった人々と共に旅をすることになり、その旅の中で様々なことを学び、成長していくのです。

利広から「きみは、幼い」と言われ、その言葉の意味も理解できないでいる珠晶が、過酷な旅の中で次第に成長していく姿は感動的ですらあります。

こうした困難な旅を描き出す様子は、第四巻の『風の万里 黎明の空』の中でも見られました。鈴や祥瓊(しょうけい)という娘たちが珠晶と同様の困難を極める旅の様子が描かれていたのですが、その姿と重なるのです。

 

 

そもそも、本『十二国記シリーズ』の醍醐味はまずは見事なまでに緻密に構築された物語世界のありようにあります。

蓬山を抱く黄海を中心として対照的に配置された十二の国からなるこの世界には天の意志が存在し、またそれぞれの国に存在する王や政の中枢にいる人間などは不死の身を得ます。

面白いのは、ひとつの国に一人いる麒麟が自国の王を選任することになっていることです。麒麟の行為を通じて天の意志が顕現することになるのです。

 

そうした堅固な世界観を持つ本書『図南の翼』ですが、、成長小説としての一面を持つ主人公珠晶の旅そのものの面白さもまた魅力の一つだと思います。

つまりはある種の冒険小説としての面白さであり、本書の解説にも書いてあるように「ロード・ノベル」としての魅力を持つ物語でもあります。

利広と頑丘という二人の大人の庇護のもと、妖魔が跋扈する黄海を旅する話はまさに冒険小説であり、その旅の中で様々なことを学び、成長する珠晶の姿は成長小説でもあるのです。

でも、そうした小説に対する呼称はどうでもいいことで、単純に心振るわせるほどに面白い物語だ、というそのことが一番です。

 

本書『図南の翼』は、この『十二国記シリーズ』という物語の面白さを堪能できる一冊であると断言できる、非常に楽しめた一冊でした。

魔性の子

魔性の子』とは

 

本書『魔性の子』は1991年9月に新潮文庫から出版されたのですが、2012年6月に『十二国記シリーズ』の番外編ともいうべき位置づけで、菊地秀行氏の解説まで入れて491頁の文庫として新潮文庫より刊行された長編のファンタジー小説です。

若干長すぎるか、という印象もありますが、じわじわと迫るホラーチックな物語の運びも面白く、『十二国記』に連なる物語の面白さもあり、惹き込まれて読んだ作品です。

 

魔性の子』の簡単なあらすじ

 

どこにも、僕のいる場所はない──教育実習のため母校に戻った広瀬は、高里という生徒が気に掛かる。周囲に馴染まぬ姿が過ぎし日の自分に重なった。彼を虐(いじ)めた者が不慮の事故に遭うため、「高里は祟(たた)る」と恐れられていたが、彼を取り巻く謎は、“神隠し”を体験したことに関わっているのか。広瀬が庇おうとするなか、更なる惨劇が。心に潜む暗部が繙(ひもと)かれる、「十二国記」戦慄の序章。(内容紹介(出版社より))

 

魔性の子』の感想

 

本書『魔性の子』は、「十二国記 0」というサブタイトルがついていることからも分かるように、『十二国記シリーズ』のエピソード0、もしくは番外編として位置づけられてきた作品です。

冒頭にも書いたように、そもそもは1991年9月に「ファンタジーノベル・シリーズ」の1冊として新潮文庫から刊行された作品です。

それが、後に『十二国記シリーズ』が展開されるにつれ、『十二国記シリーズ』の番外編として位置づけられるようになったものだと言います。

つまり、本来は単独の作品として考えれていた作品だったのですが、この物語の背景となる世界を作り込んでいた資料の話を聞いた講談社の編集者に勧められ、講談社から新たなシリーズ作品として『十二国記シリーズ』として生まれたものだそうです( ウィキペディア : 参照 )。

 

本書『魔性の子』は、一般にはホラー小説として紹介されているようです。

確かに、作者の小野不由美という人の他の作品を見ると山本周五郎賞を受賞した『屍鬼』(新潮文庫 全五巻)や『残穢』といったホラー小説として名高い作品が並んでいます。

 

 

そして本書の内容も主人公高里の周りで異形のものが見え隠れし、さらに高里を攻撃した者に最悪は死が訪れるという、ホラーという他ないような物語の展開です。

しかしながら、ネットで誰かが書いていたように、『十二国記シリーズ』を読んだ後に本書を読むと、まさに『十二国記シリーズ』を構成する内容であり、異常現象にもきちんと説明がつくところからホラーとは呼べないように思います。

異常現象の詳細については本書の中でも具体的に示されている個所もあり、それなりの説明は為されているのです。

ただ、その説明も『十二国記シリーズ』を読んでいるか否かでその具体性の程度が異なり、単なる超常現象としてホラーの範疇に入ると評価するか、そうではなく物語の流れにきちんとおさまる現象なのかが違ってくるのです。

 

先に『十二国記シリーズ』を読んだ人ならばわかるのですが、本書の登場人物は、『風の海 迷宮の岸』に登場する戴国(たいこく)麒麟の泰麒(たいき)である高里要を主人公としています。

本書『魔性の子』では、高里が泰麒であることは示されてはおらず、過去に一年間の神隠しにあった少年として皆から恐れられている存在です。

恐れられているというのは、高里に何らかの害を加えた人物は異常な事件や事故に遭い、場合によっては命を落とすことさえあるというのでした。

その高里のいる私立高校の二年生のクラスに教生としてやってきたのが、三年と少し前この高校を卒業したばかりの広瀬という教育実習生で、その広瀬の担当教官が、広瀬が在校時代の化学の担任だった後藤という理科教師です。

高里の周りで次々と発生する異常な状況下での事故や、最終的には死者まで出る事態の中、孤立する高里にどことなく相通じるものを覚えた広瀬は深くかかわっていくのでした。

 

十二国記シリーズ』での本書の位置付けを見ると、まずは高里が神隠しに遭った一年間のこの異世界での話が『風の海 迷宮の岸』に語られている話で、戴国の麒麟として泰王を選ぶ様子が描かれています

その後、泰王が選ばれてから半年が経過した戴国では、泰王が行方不明となるなか泰麒が何者かに斬りつけられたため「蝕」が起き、泰麒は再び蓬莱へと流されてしまうという事件が起きます。

その事件の顛末が描かれているのがシリーズ第八弾の『黄昏の岸 暁の天』であり、そのとき蓬莱に流された泰麒である高里の様子が描かれているのが本書『魔性の子』ということになるのです。

 

こうして、『十二国記シリーズ』の中に位置づけられる本書ですが、見事にシリーズに融合していて本書単発として読むよりも一段と物語に奥行きが感じられることになっているのです。

風の万里 黎明の空

風の万里黎明の空』とは

 

本書『風の万里 黎明の空』は『十二国記シリーズ』の第四弾で、上巻が1994年8月に、下巻が9月に講談社X文庫から刊行され、2013年3月に金原瑞人氏の解説まで入れて上下二巻で768頁で新潮社から文庫化された、長編のファンタジー小説です。

慶国の景王陽子を中心とした物語ですが、ほかに芳国の公主である祥瓊、そして才国で苦行を強いられていた海客の鈴の二人の物語も加えた壮大なスケールの冒険小説でもある、惹き込まれずにはいられない物語です。

 

風の万里 黎明の空』の簡単なあらすじ

 

人は、自分の悲しみのために涙する。陽子は、慶国の玉座に就きながらも役割を果たせず、女王ゆえ信頼を得られぬ己に苦悩していた。祥瓊は、芳国国王である父が簒奪者に殺され、平穏な暮らしを失くし哭いていた。そして鈴は、蓬莱から辿り着いた才国で、苦行を強いられ泣いていた。それぞれの苦難を負う少女たちは、葛藤と嫉妬と羨望を抱きながらも幸福を信じて歩き出すのだがー。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

王は人々の希望。だから会いに行く。景王陽子は街に下り、重税や苦役に喘ぐ民の暮らしを目の当たりにして、不甲斐なさに苦悶する。祥瓊は弑逆された父の非道を知って恥じ、自分と同じ年頃で王となった少女に会いに行く。鈴もまた、華軒に轢き殺された友の仇討ちを誓うー王が苦難から救ってくれると信じ、慶を目指すのだが、邂逅を果たす少女たちに安寧は訪れるのか。運命は如何に。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

風の万里 黎明の空』の感想

 

本書『風の万里 黎明の空』は、主に慶国の物語であり、今では景王陽子となっているシリーズ第一巻『月の影 影の海』の主人公中嶋陽子のその後の物語を中心に描かれています。

中心にと言うのは、本書ではほかに陽子と同世代の二人の女の子も物語の中心人物となっているからです。

一人は明治時代に口減らしのため女衒に売られたのですが、その旅の途中崖から落ち、見知らぬ土地で目覚めたという大木鈴という娘です。

この鈴は、知らない土地をさまよった挙句、この世界の南西にある才国の凌雲山の翠微洞に住まう梨耀のもとで仙となり、百年のあいだつらい下働きに耐えています。

そしてもう一人は、この世界の北西の隅にある芳国の峯王仲韃の娘である祥瓊(しょうけい)です。

父である峯王仲韃はその圧政により八州諸侯の州師の蜂起により殺されましたが、祥瓊だけはある里家の世話役の沍姆(ごぼ)のもとで暮らしていたのです。

しかし、沍姆にその身元を知られ、ただいじめられ、虐げられる生活を送っていました。

 

本書は、三人の同じ年ごろの娘のそれぞれの立場での苦悩が描かれています。

一人目は、この国のことを何も知らない王の尊厳を軽んじ、その言葉を聞かない官僚の存在に王として懊悩しています。

そんな王である陽子は慶国のことを何も知らず、民の生活を知るために身分を隠して旅に出て見聞を広げようとします。

二人目は、百年以上も下働きとして辛い日々を送る中で、自分の辛さ、悲しさを誰も分ってくれないとただ自分の中に閉じこもり、そんな自分を救ってもらうために景王に会おうとします。

そして三人目は、何も知らない自分には責任などない筈なのに、皆が自分を理不尽に虐げるとして怒り、まだ見ぬ景王を羨み、妬み、刃を向けるために景王に会うために旅に出るのです。

 

本書『風の万里 黎明の空』は、これら三人の娘を主人公として描かれる冒険小説であり、また同時に、三人の娘の、特に鈴や祥瓊の成長物語でもあります。

景王なら自分の気持ちを分かってくれる、という心情があって、それに対する采王黄姑の「あなたはもう少し、大人になったほうがいい」という言葉のもとの鈴の旅です。

また、自分中心にしか物事を考えることのできず、自分が得る筈であったきらびやかな環境に身を置く陽子に一太刀浴びせたいと思う祥瓊の旅があります。

こうした、幼い考えの鈴、自分中心の考えの祥瓊という二人は、大人になっても似た要素を持つ読み手が、困難な旅の中で鍛えられ成長していく二人の姿をみて感情移入し、我がことのように感じてしまいます。

また、陽子にしてもこの国のことを知らないため国をうまく治めることができないでおり、王として未熟な自分を鍛えるために旅で出て成長していくのです。

 

本書は、単純に三人それぞれの冒険を楽しむという読み方だけでも十二分に面白い作品となっています。

でも、それだけではなく、幼くまた自己中心的な娘たちが旅をする中で、国の政治がうまく機能しておらず苦しむ民の姿を直接目にし、また傷つき友を失うなどの哀しみを乗り越えて成長していく姿は感動的ですらあります。

王として自覚する陽子や、一人の娘として己を、そして世の中を見つめ直す鈴と祥瓊の姿は読み手の心に鋭く迫ってくるのです。

 

先に述べたように、本書『風の万里 黎明の空』は、慶国の陽子に関してシリーズ第一巻『月の影 影の海』の続編的な位置にあります。

またシリーズ第八巻『黄昏の岸 曉の天』は直接には戴国の物語ではありますが、本書の陽子や鈴、祥瓊、さらには雁王の尚隆や麒麟の六太なども重要な役割で登場します。

 

そして読了すると楽しい読書の時間が終わってしまったという寂しさの中で、さらに次の物語を早く読みたいと思わせられます。

それほどに思い入れを強く持つシリーズ作品だということです。

未来のおもいで 白鳥山奇譚

未来のおもいで 白鳥山奇譚』とは

 

本書『未来のおもいで 白鳥山奇譚』は2004年10月に光文社文庫から、2022年12月に徳間文庫から256頁で出版された、長編のSF小説です。

著者お得意のタイムトラベルもののロマンス作品で、熊本県と宮崎県との県境に実在する白鳥山を舞台とした、軽く読める作品です。

 

未来のおもいで 白鳥山奇譚』の簡単なあらすじ

 

イラストレーターをしている滝水浩一は、熊本県の白鳥山を登っていた。白鳥山は立地の不便さゆえに入山者が少なく秘境のイメージがある。滝水の目的は、湿地を抜けた所に咲く山芍薬の花の群生。この光景は一年のうちに数週間しか見ることの出来ない。しかし、今年は登山中に雨に降られた。そのとき、彼の前に現れた、美しい女性・沙穂流。滝水は彼女に惹かれ、置き忘れた手帳を手がかりに訪ねてゆく。そこで、彼女がまだこの世に誕生していない存在であることを知るのだった……。
時を超えて出会った男女の恋愛を描く、長編SFファンタジー。

初版刊行時に映画化企画があり、著者本人により書かれたシナリオを収録。

解説:犬童一心(映画監督)(内容紹介(出版社より))

 

 

未来のおもいで 白鳥山奇譚』の感想

 

本書の著者梶尾真治はロマンチックなラブストーリー、それも時間旅行を背景とするラブロマンスを得意とする作家だと言えます。

そして、本書『未来のおもいで 白鳥山奇譚』はまさにロマンチシズム溢れるタイムトラベルもののラブストーリーそのものです。

SFそれも時間旅行ものに関してはタイムパラドックスの処理をどうするか、という点が一つの関心事だと思うのですが、本書はその点をもそれなりに解決してあります。

というよりも、ラブストーリーである以上は二人の恋の行方の処理もまた重要な点ですが、その点も併せてうまく処理してありました。

 

本書は頁数も少ないのですが、私が読んだ光文社版では一頁の行数が十三行と文字数も少ないため、簡単に読むことができます。

近年出版された徳間文庫版では改定もされているらしいのですが、内容に大きな変更はないということです。

 

本書『未来のおもいで 白鳥山奇譚』の主人公は滝水浩一というイラストレーターです。この男が熊本県と宮崎県との県境にある白鳥山へ上ったときに突然の雨に遭い、同じく雨具を持たないでいた藤枝沙穂流という美しい女性と出会います。

後にその女性に再度会いたくて、忘れ物の手帳を頼りに書かれていた住所を探しますが、藤枝という家はあっても藤枝沙穂流という女性は存在しませんでした。

一方、藤枝沙穂流もまた滝水から預かっていたリュックカバーに書かれていた住所を頼りに滝水を探しますが、その住所に滝水という人物はいませんでした。

しかし、再度白鳥山の件の洞窟へ行くと、藤枝沙穂流からの手紙の入った箱が置いていあったのです。

 

本作は、物語が単純であるだけに、設定や展開が簡単に過ぎるという印象は否めず、、梶尾真治のタイムトラベルものの面白さという点では『クロノス・ジョウンターの伝説』や『つばき、時跳び』のような作品の方に軍配が上がるかもしれません。

 

 

ただ、軽く、気楽に読めるわりには二人のロマンスは心惹かれます。そこは梶尾真治という作家の筆の力なのでしょう。

軽い気持ちで読むには適した作品だと思います。

 

ちなみに、本書も「キャラメルボックス」という演劇集団により「すべての風景の中にあなたがいます」というタイトルで舞台化されています。

プロジェクト・ヘイル・メアリー

プロジェクト・ヘイル・メアリー』とは

 

本書『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は2021年12月に上下二巻、山岸真氏の解説まで入れて全638頁のハードカバーとして刊行された、長編のSF小説です。

あの『火星の人』の著者が『火星の人』で見せたと同様に、科学の基本を守りながら論理的な思考を展開させて自らが置かれた苦境を打破してゆく、SFらしいSF小説です。

 

プロジェクト・ヘイル・メアリー』の簡単なあらすじ

 

人類の希望は、遥か11・9光年の彼方――。
たったひとりの冴えた相棒と、謎の解明に挑む!

未知の地球外生命体アストロファージ――これこそが太陽エネルギーを食べて減少させ、地球の全生命を絶滅の危機に追いやっていたものの正体だった。
人類の英知を結集した「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の目的は、ほかの恒星が光量を減少させるなか、唯一アストロファージに感染していないタウ・セチに赴き、その理由を探し出すことだ。
そして、〈ヘイル・メアリー〉号の乗組員のなか、唯一タウ・セチ星系にたどり着いたグレースは、たったひとりでこの不可能ミッションに挑むことになるかと思えた……。

2021年アメリカでの発売以来、NYタイムズをはじめ様々なベストセラー・リストに挙がり、ライアン・ゴズリング主演で映画化が進行中の、ファースト・コンタクトSFの新たな金字塔。(Amazon内容紹介)

 

プロジェクト・ヘイル・メアリー』の感想

 

本書『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、『火星の人』で一躍時の人となったアンディ・ウィアーの第三作目の小説で、まさに空想科学小説というにふさわしい物語です。

 

 

本書に関しては、できればまったく前提知識なしで読んでほしいと思います。そうすれば、思いもかけない展開が突然舞い込んできて、SF作品で言われる「センス・オブ・ワンダー」という感覚を十分に堪能することができると思うからです。

私自身がアンディ・ウィアーの新刊が一年近くも前に出ていたこことに気付かず、何も知らないままに直ぐに借りて読み進め、特に本書序盤の意外な展開に予想を裏切られつづけたので一段とそう思うのでしょう。

本書の感想を書こうとすると内容に触れないわけにはいきませんが、できれば本書はその内容を全く知らないままに読んでもらいたいのです。

とはいえ、ネット上にはネタバレ的な解説も見られ、何より上記「内容紹介」にもほんの少しのネタバレが書かれているので何をいまさら、ということではあります。

本当は上記の「内容紹介」すら読まずに読んでもらいたいのですが、それは仕方ありません。

できるだけネタバレをしないように感想を書くつもりではありますが、全く本書の内容に触れないわけにもいかないので、できればこのまま本稿を閉じてもらい読後にあらためて本稿を読み直してもらえればと思います。

 

ということで本書『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の感想に戻りますが、あの『火星の人』の著者が、滅亡の危機を迎えた人類救済のために他の恒星へと飛び立った一人の男ライランド・グレースの姿を描き出したSFの魅力満載の作品です。

まず、主人公が目が覚めるところから物語が始まるのですが、自分はだれか、ここはどこかなど全く記憶がありません。

そのうちに少しずつ記憶を取り戻していくのですが、その過程がまた読ませます。

かすかな手掛かりをもとに自分の置かれている現状を少しずつ思い出していき、思い出した範囲で過去の状況が描かれ、現在に至る状況が少しずつ示されていくのです。

 

本書は人類の破滅という究極の災厄をテーマにしているのですが、その災厄の原因が太陽のエネルギーを消費する生命体の“アストロファージ”にある、という設定がまずSFです。

その“アストロファージ”を退治するために他の恒星へと赴くのですが、その後の展開が予想を裏切るまさにSF的展開そのものでした。

その後、人類に危機をもたらした原因である“アストロファージ”の持つ特性を利用して問題の解決を図ろうとするアイディアがユニークであり、いかにもアンディー・ウィアーの物語です。

ほかにも、SF的仕掛けが満載であり、そこらのことは読んでもらうしかありません。

 

作者のアンディ・ウィアーの作品は、『火星の人』がそうであったように、現代の科学的な知見をもとに、直面している問題を論理的に解決していくその過程に惹かれます。

付け加えれば、そこに作者独特のユーモアが散りばめられていて、主人公の頭脳に加え、困難に直面してもへこたれない、ユーモアに裏付けされた強靭さが魅力だと思っています。

本書『プロジェクト・ヘイル・メアリー』においてもそのことは同様であり、たった一人取り残された分子生物学者である主人公がその頭脳を駆使して、直面する様々な問題をユーモアを交えながらクリアしていく姿があります。

また、この作者の作品らしく、物語の進行に伴って発生する様々な問題を乗り越えていく主人公の姿が描かれていくのですが、そうした驚きは最後の最後にまで用意されています。完全に読了するまで気を抜かないことをお勧めします。

 

タイトルの「プロジェクト・ヘイル・メアリー」とは人類の危機を救うために作られた宇宙船の名前であり、本書での物語の半分以上はこの船の中での物語です。

残りの大半が主人公ライランド・グレースの回想の形で語られる人類の危機が発覚してからの地球での出来事が語られています。

ちなみに、「ヘイル・メアリー」という言葉は英語であって、ラテン語の「アベ・マリア」にあたるそうで、アメリカン・フットボールでの「神頼み」という意味を持つ言葉だそうです。

また、ライアン・ゴズリングを主役として映画化が進行中だそうです(以上、本書「解説」より)。

クロノス・ジョウンターの黎明

クロノス・ジョウンターの黎明』とは

 

本書『クロノス・ジョウンターの黎明』は『クロノス・ジョウンターシリーズ』の第二弾で、2022年10月に272頁の新刊書で刊行された長編のSF小説です。

待望のと言ってもいい、続編が書かれるとは思ってもいなかった作品なのですぐに読みましたが、若干の期待外れの一面もありました。

 

クロノス・ジョウンターの黎明』の簡単なあらすじ

 

仁科克男は、ある日勤務先近くのレストランの店主が撮った自主映画を観せてもらい、そこに映っていた女性・清水杏子に惹かれた。しかし、彼女は撮影直後、事故で亡くなったという。その直後、会社の人事異動で、系列の新会社P・フレックに出向することになり、開発業務に就くことになった。仕事内容は「時間軸圧縮理論」を応用した装置を作り出すという途方もないこと。同僚の野方によると、それは時間を操作し、過去や未来へ行くことが出来る装置らしい。そして、彼はこの装置を”クロノス”と呼んでいた。克男は、この装置を使えば、杏子を助けることが出来るのではないか、と思いつき……。
前作『クロノス・ジョウンターの伝説』(全7篇。徳間文庫)に収録された作品は、二度の映画化(2005年「この胸いっぱいの愛を」、2019年「クロノス・ジョウンターの伝説」)と、5回舞台化され、再演を繰り返した人気シリーズ。その最新作を刊行。
(また、この舞台版の上演台本は、毎年数件以上、学生・社会人演劇で上演され続けている人気作)(内容紹介(出版社より))

 

クロノス・ジョウンターの黎明』の感想

 

タイムマシン物としてはかなりの人気を誇る著者 梶尾真治 の前巻『クロノス・ジョウンターの伝説』は短編小説集だったのですが、本書は長編小説です。

クロノス・ジョウンター」とは物質過去射出機、つまりはタイムマシンのことであり、本ブログの『クロノス・ジョウンターの伝説』の項で簡単に説明してあります。

それが、

「クロノス・ジョウンター」とは「時間軸圧縮理論」を採用したタイムマシンであり、過去に戻ればその反発で戻った過去の分以上の未来へ飛ばされてしまうという欠点を持っています。

ということであり、通常のタイムトラベルもののパラドックスの問題に加え。この欠点故のドラマが繰り広げられます。

 

 

そして、その「クロノス・ジョウンター」の開発の様子が描かれているのが本書『クロノス・ジョウンターの黎明』です

短編集だった前巻『クロノス・ジョウンターの伝説』は「クロノス・ジョウンター」の持つ欠点を焦点にした物語だったのですが、本書は「クロノス・ジョウンター」開発のきっかけや開発行為そのものを描き出しています。

そのためでしょうか、前巻『クロノス・ジョウンターの伝説』に比べて物語の持つ熱量が今一つのような印象を受けました。

前巻は基本的にラブストーリーであり、それもクロノス・ジョウンターの持つ欠点からくる制限故の、自己犠牲的な愛情の発露が要になっていました。

ところが、本書『クロノス・ジョウンターの黎明』ではその過去への遡行とその反発による未来へのジャンプという現象がないために、ラブストーリーの哀切感があまり感じられません。

 

物語は、たまたま見かけた八ミリ映画に登場していた清水杏子という女性に恋をしてしまった仁科克男という人物と、未来から送られてきた手紙を受け取りやはり清水杏子に恋をしてしまう青井秋星の二人の物語からなっています。

正直なところ、前著『クロノス・ジョウンターの伝説』の内容をあまり覚えていませんでしたので、本書読了後に前著の内容を調べたところ、前著での登場人物が幾人か本書で登場していました。

本書の最後に付されているクロノス・ジョウンター関連の年表でも、前著でのそれぞれの短編の主人公であった野方耕市吹原和彦などのエピソードがさらっと触れられているのです。

これはもう一度『クロノス・ジョウンターの伝説』を読み直す必要があると痛切に感じました。

そうすれば本書の印象ももう少し変わったかもしれません。

 

著者 梶尾真治 は、時間旅行をテーマにした純愛ものが一番得意な分野であり、面白いと思っているのですが、そうしたいくつかの作品の中に『クロノス・ジョウンターの伝説』にも登場してくる機敷埜風天などというキーマンが登場してくるのも一興です。

例えば『デイ・トリッパー』という作品がそうで、合わせて読んでみるのもいいと思います。

機敷埜風天とは個人的な収集物を展示した博物館の館長という設定ですが、そこに「クロノス・ジョウンター」も展示してあったりするのです。

 

 

こうした点から、梶尾真治の得意とする時間旅行ものとロマンス物とのミックスである筈の本書が、ロマンスの点でも時間旅行の面でも若干の不満を残す結果となってしまったのは残念でした。

とはいえ、今更ではありますが、ほかの作品と比較して残念だったというだけであり、それなりの面白さを持っている物語だった、とも言えるのです。

地図と拳

地図と拳』とは

 

本書『地図と拳』は、2022年6月に本文だけで625頁のハードカバーで刊行され、第13回山田風太郎賞を受賞し、第168回直木賞を受賞した長編の歴史×空想小説です。

膨大な量の情報が詰め込まれた、しかし読み手を選びそうな個人的には難解と感じた作品でした。

 

地図と拳』の簡単なあらすじ

 

「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。(「BOOK」データベースより)

 

地図と拳』の感想

 

本書『地図と拳』は、満州国を時代背景として、架空の街である「李家鎮(リージャジェン)」を主な舞台として、複数の人間の数十年を描く作品です。

また、本書は「序章」「終章」を加えて全二十章からなる作品で、各章ごとに特定の年度のある季節における数多くの登場人物の様子を語る群像劇ということもできます。

全部で六百頁を越えるという分量であり、例えば会話文の多い今野敏などの小説でいうと三冊分を軽く超える分量になるでしょう。

その分量に加え、描き出されている情報量も、巻末には全部で八ページにもなる参考資料が掲示してあることからもわかるように膨大なものがあり、地図や建築などに関しての著者の調査結果に基づく知識が詰め込まれています。

その上、個々人の行動のみならずその思考に関しての描写は私の理解力を越えたところにある箇所が少なからず見られ、なかなかに読了に体力を要するものでした。

しかしながら、本書が直木賞の受賞作となっていることやネット上での評判の良さからも分かるように、そうした読了の困難さはひとえに私の力の無さに由来するというべきことなのかもしれません。

 

本書『地図と拳』では、日本がロシアとの間の戦争、そして支那事変を経て太平洋戦争へと至る過程での満州、特に李家鎮をめぐる登場人物たちの姿が描かれています。

そして登場人物も、李家鎮の顔役である李大綱イヴァン・ミハイロビッチ・クラスニコフというロシア人神父、孫悟空という拳匪、東京帝国大学で気象学を学んでいた須野、赤銃会の孫丞琳、仙桃城守備隊配属憲兵の安井、須野の息子である正男明男、同潤会の中川石本という明男の友人といった人物らが入れ替わり登場し、李家鎮を起こし、発展させ、没落させていくのです。

 

また、本書冒頭では対ロシアの諜報の任務に就くためにハルビンへ向かう船上の高木と通訳の細川という二人の日本人の様子から始まります。

ここからしばらくは大きくは物語の変動がありませんが、この序盤に描かれた高木や細川、それにロシア人宣教師のクラスニコフ、李大綱らはこの物語で重要な位置を占めることになります。

特に、楊日網と孫悟空の李大綱との関係はきちんと押さえておかなければ物語の方向性を見失ってしまいますし、後に登場する須野やその息子の明男、中国人の孫丞琳なども重要です。

 

理解できないという点を挙げるとすれば、本書を通しての作者の意図ですが、細かい点を挙げるとすればまずはクラスニコフの存在でしょう。

クラスニコフは物語の随所で神の教えを説いていますが、教えを説かれた者のほとんどは教えを理解することなく例えば抗日運動に身を投じるなど、他人からの攻撃に対し反撃することを選択しています。

作者がクラスニコフに託した思いは何なのか、神の教えが意味の無いものだということを言いたいのか。それとも本書のような過酷な状況においてもなお神を信じ、他者の暴力に耐える者のいることを肯定し、賛美するのか。

そこのところがよく分かりませんでした。

究極は遠藤周作の『沈黙』に置いて書かれている信仰の強さと、現世の暴力に屈し他人を売る弱者の存在との対比、「神」は存在するか、という根源的な問いを示すのでしょうか。

 

 

そして本書『地図と拳』を通しての作者の意図が不明です。

中盤あたり、須野が登場してくるころから物語は動き始めますが、展開される場面が多く、また時系列も決して直線的ではないために若干の戸惑いを感じた点も読書の困難さを感じた理由の一つかもしれません。

作者小川哲は「敗戦に至る過程を一から知りたかった。満洲を書くことが20世紀前半の日本について書くことの縮図だと思った」のだそうです( 好書好日 : 参照 )。

確かに日本と中国、そしてロシアの当時の状況を実によく調べ上げられ、それをエンターテイメント化されたフィクションとして構築されている姿はただ素晴らしいものがあります。

直木賞の受賞作となっているのもよく分かる力作です。

 

しかしながら、個人的な好みとは合致しない作品でもありました。

本書が当時の日本の縮図といえるのか、戦争に向かう国の意思が定まっていく様子が本書のような個々人の動向を描くことで示すことができるのか、よく分かりませんでした。

作者は「特に僕のように親が戦争を知らない世代も多い今は、それをフィクションで体験するのも一種の反戦活動になると思う。」と言っておられます( P+D MAGAZINE : 参照 )。

しかし、本書『地図と拳』のようなフィクションを読むことが本当に反戦活動といえるのか、疑問があります。

反戦文学といえば、五味川純平の『戦争と人間』や『人間の条件』(Kindle版)のような作品こそ反戦文学と思っていた私にとって、本書はよりエンターテイメント性が強く、理解もしがたい作品だったのです。

 

東の海神 西の滄海

東の海神 西の滄海』とは

 

本書『東の海神 西の滄海』は『十二国記シリーズ』の第三弾で、まず1994年6月に講談社X文庫から発刊され、また2012年12月には新潮文庫から養老孟司氏の解説まで入れて348頁で刊行された長編のファンタジー小説です。

雁国の延王尚隆と延麒六太の物語であり、幼い麒麟が、自分が何ものであるかも分からないでいるところから王を選び、その後も自分の決断の是非に悩む姿が描かれています。

 

東の海神 西の滄海』の簡単なあらすじ

 

延王尚隆と延麒六太が誓約を交わし、雁国に新王が即位して二十年。先王の圧政で荒廃した国は平穏を取り戻しつつある。そんな折、尚隆の政策に異を唱える者が、六太を拉致し謀反を起こす。望みは国家の平和か玉座の簒奪かー二人の男の理想は、はたしてどちらが民を安寧に導くのか。そして、血の穢れを忌み嫌う麒麟を巻き込んた争乱の行方は。(「BOOK」データベースより)

 

ひとりは蓬莱国の少年の話であり、応仁の乱の昔、父親に山中に捨てられ死にかけていた少年は、麒麟であるとして助けられ常世国で暮らすことになる。

ひとりは常世国の少年の話であって、やはり母親に捨てられさまよい見知らぬ里の男に崖から突き落とされたものの妖獣に庇護されでいた。

それから二十年が経ち、一人は麒麟として王を探し出し、一人はある男に仕えることになり、異なった立場で出会うこととなる。

 

東の海神 西の滄海』の感想

 

本書『東の海神 西の滄海』は雁国再興の物語です。

応仁の乱の頃、親に捨てられ死にかけた六太が自分が麒麟であることを知り、やはり蓬莱で暮らしていた小松尚隆という男を王として選び、この二人を中心に荒廃した雁国を立て直す新たな国造りの物語です。

ちなみに、ここで蓬莱国とは私たちが済むこの世界のことであり、常世国とは本『十二国記シリーズ』の舞台となる世界のことです。

 

延麒である六太は親に捨てられ死にかけていたときに常世国から迎えが来て麒麟として生きていたのですが、蓬莱で村上水軍に滅ぼされそうになっている小松氏の跡継ぎである尚隆を王として選び出します。

一方常世国では、六太に更夜という名前を貰った、六太と同じように親に捨てられ妖獣に育てられていた少年は、雁国の斡由に恩を感じ斡由に忠誠を尽くしていました。

本書『東の海神 西の滄海』自体はこの二人の話から始まっているのですが、この物語の実際は、麒麟である六太と六太が選んだ延王尚隆との国造りの物語です。

尚隆と六太とが、延王と延麒として先王の梟王の圧政のため荒れ果ててしまっている雁国を緑豊かな国として再生する姿が描かれています。

 

この新たな国造りを目指す二人の前に立ちふさがるのが、雁国元州候の倅である斡由と、彼に優しくしてもらい心酔している更夜というコンビです。

斡由の決起は、未だ雁国の一地方である元州の治水等に手を付けることもできないでいる延王の政を糺すためのものであり、間違ったことは言っていないように思えます。

その斡由のために必死で働く更夜もまた純粋です。

ちなみに、この更夜は本シリーズのあとの物語の中で意外な形で登場してきます。名前が“更夜”ですので多分同一人物と考えていいと思います。

 

六太は、貧しく苦労しかなかった自分の幼いころのような目にあう民を無くすために働いているのですが、政というものはなかなかに思い通りには動かず、苦労しています。

自分が尚隆を王として選んだのは間違いではなかったか、常に悩んでいる姿は麒麟としての定番の悩みなのかもしれません。

それだけ国を治めるということは難しく、ましてや梟王が荒らしまくった後の雁国の建て直しは困難を極めているのです。

 

こうして本書『東の海神 西の滄海』は、二人の国造りの話として、「国」とは何か、などの問題を提起しながら展開していきます。

そんな中で、「王はしょせん、国を亡ぼすためにある」という六太の言葉は衝撃的です。

また、民の主は民自身だけでいいという六太の考えは、現在の世界が共通の価値として認める民主主義を言い表しているようでもあります。

私達の社会体制の一つである民主主義に対して、常世国の王制はまさに対立する概念です。

そもそも、全能の神である天主が存在し、天の意志のもと麒麟による王の選定が為されるという仕組みが確立している常世国ですから、民の主は民という考えは受け入れられるものではないと言えます。

そういう社会だからこそ民こそが主という考えは珍しく、また貴重であるとも言えそうです。

 

このような読み方ができる本書は、私達が生きているこの社会の体制をあらためて考察する、というきっかけにもなりそうであり、もともとは少年少女を対象とした物語であることがにわかには信じられないほどの内容を持った作品です。

物語の完成度がそれだけ高い作品だということができ、シリーズとして見ても、冒険小説、成長小説、青春小説などの様々な側面を見せてくれるシリーズでもあります。

シリーズを読み進め、巻を重ねるほどに物語の全体が丁寧に構築されているのが分かります。

一冊を読み終えると、早く次の巻を読みたいと毎回思わずにはいられないシリーズなのです。