流れ行く者

流れ行く者 』とは

 

本書『流れ行く者』は『守り人シリーズ』の第八弾で、2008年04月に偕成社からハードカバーで刊行され、2013年8月に新潮文庫から著者のあとがきと幸村誠氏の解説まで入れて301頁の文庫として出版された、長編のファンタジー小説です。

 

流れ行く者 』の簡単なあらすじ

 

王の陰謀に巻き込まれ父を殺された少女バルサ。親友の娘である彼女を託され、用心棒に身をやつした男ジグロ。故郷を捨て追っ手から逃れ、流れ行くふたりは、定まった日常の中では生きられぬ様々な境遇の人々と出会う。幼いタンダとの明るい日々、賭事師の老女との出会い、そして、初めて己の命を短槍に託す死闘の一瞬ー孤独と哀切と温もりに彩られた、バルサ十代の日々を描く短編集。(「BOOK」データベースより)

題名
浮き籾 | ラフラ〈賭事師〉 | 流れ行く者 | 寒のふるまい

 

流れ行く者 』の感想

 

本書『流れ行く者 』は、十代のバルサを主人公とした、バルサの短槍の師ジグロとの用心棒をしながらの逃亡の日々を描く、『守り人シリーズ』本編の間隙を埋める番外編に位置づけられる作品集です。

 

第一話 浮き籾」は、トロガイのもとで世話になっていたバルサが、トロガイたちが他出している間にバルサを慕ってくるタンダの相手をしながらタンダの叔父に対する想いをかなえてあげる物語です。

守り人シリーズ』の世界における田舎の生活、風景を緻密に描写しながら、若き二人の日々の生活や、特にタンダのやさしい性格を描きながら村の風習やそこにかかわるバルサの生活をも描き出してあります。

 

第二話 ラフラ〈賭事師〉」は、本書の中で一番最初に書かれた物語だとあとがきに書いてありました。

人けのない酒場に座って賽子を転がしているいる老女とそれを見ているバルサという光景がいきなり頭の中に浮かび、その瞬間に物語の全体像もほぼ出来上がっていたそうです( 著者による『文庫版のあとがき「ひとつの風景」』:参照 )。

ロタ王国のとある酒場に用心棒として雇われているジグロと、酒場の手伝いをしているバルサは、その酒場に雇われている老ラフラ(賭事師)のアズノと知り合います。

アズノはサイコロを使う遊戯であるススットの遣い手であり、バルサともススットを通して知り合ったのです。

この物語は、流れ者の用心棒や賭事師の浮き草のような生活を描き出すとともに、プロとしてのアズノの厳しさを哀しみとともに描き出してあり、特にそのラストは妙に心に残る作品でした。

 

第三話 流れ行く者」は、第二話と同じく明日をも知れぬ用心棒生活を描いてありますが、なかでも直接に自らの命を懸けて依頼人を守るという厳しい暮らしと、用心棒の仲間同士の繋がりが語られています。

特に、ある隊商の護衛士としての旅の中での出来事が、用心棒家業の厳しさを教えてくれるのです。

 

第四話 寒のふるまい」は、ほんの数ページのショートショートともいうべき一編です。

「寒のふるまい」とは、冬の最中の食べ物が乏しい時期に、山の獣たちに食べ物を分けることをいうそうです。

その「寒のふるまい」をもって山に入ることを口実にしてトロガイのもとへと駆けるタンダの姿が描かれている、寂しさが溢れている物語です。

 

全体を通して、父がわりのジグロとの厳しい用心棒生活が描かれている中で、バルサがいかにジグロやトロガイ、そしてタンダらに愛されていたかがよく分かる物語になっています。

その上で、今のバルサの短槍使いとして、また用心棒として一流になっているその背景がよく分かる物語になっています。

単なる冒険ファンタジーの物語を越えた作品として存在するこの『守り人シリーズ』の存在意義をあらためて感じさせてくれる一冊でした。

八月の御所グラウンド

八月の御所グラウンド』とは

 

本書『八月の御所グラウンド』は、2023年8月に208頁のハードカバーで文藝春秋から刊行された長編の青春小説です。

真夏の京都を舞台にした二編の青春小説が収められていて、河﨑秋子著『ともぐい』と共に第170回直木賞を受賞した感動的な作品です。

 

八月の御所グラウンド』の簡単なあらすじ

 

死んだはずの名投手とのプレーボール
戦争に断ち切られた青春
京都が生んだ、やさしい奇跡

女子全国高校駅伝ーー都大路にピンチランナーとして挑む、絶望的に方向音痴な女子高校生。
謎の草野球大会ーー借金のカタに、早朝の御所G(グラウンド)でたまひで杯に参加する羽目になった大学生。

京都で起きる、幻のような出会いが生んだドラマとはーー

今度のマキメは、じんわり優しく、少し切ない
青春の、愛しく、ほろ苦い味わいを綴る感動作2篇

第170回直木賞を遂に受賞!
十二月の都大路上下(カケ)ル
八月の御所グラウンド(内容紹介(出版社より))

 

八月の御所グラウンド』の感想

 

本書『八月の御所グラウンド』は、八月の京都を舞台にした第170回直木賞を受賞した感動作品です。

普通の言葉で日常を描きながらも、日常に紛れ込んだファンタジックな出来事にまぎれて青春を描き出しています。

60頁弱の「十二月の都大路上下(カケ)ル」と140頁強の「八月の御所グラウンド」という二作品が収納されていて、共にスポーツをテーマとしていながらも、その競技中にあるはずの無いものが見えるという現象を描いています。

前者は高校生の駅伝ランナー、後者は自分の将来が見えていない大学生を主人公としていますが、共に主人公を含めてキャラクターが立っており、読者の心を直ぐにつかみます。

私がこの作者の作品を読むのは本書が初めてなので、この作者の作風がどういうものであるかはわかりませんが、登場人物のキャラクター設定はうまいものがあるようです。

 

第一話の「十二月の都大路上下(カケ)ル」は、女子全国高校駅伝の補欠である一年生のサカトゥーこと坂東というランナーが主人公です。

毎年12月に京都の都大路を駆け抜ける伝統行事でもあるこの大会は、かつては私もよくテレビ観戦したものです。その大会の補欠ランナーが諸般の事情により大会に出場することになります。

極度の方向音痴である主人公が、アンカーとして出場し、同じ区間で争った二年生の荒垣新菜と共に見える筈のないものを見たことが描かれています。

 

第二話の表題作「八月の御所グラウンド」は、事情により八月の京都に残された大学生が参加した草野球大会での出来事が描かれている話です。

彼女にも振られ、就職活動をする気力も無くただ怠惰に暮らしていた大学四年生の主人公の朽木は、友人の多門から大学卒業がかかった草野球大会への参加を頼まれます。

その大会で出会ったのが中国人留学生のシャオさんであり、そのシャオさんが誘った見知らぬ男のえーちゃんたちだったのです。

 

シャオさんが野球を勉強したいと思った理由が「オリコンダレエ」というはじめて聞いた日本語にあるなど、場面設定やその場の描写の仕方が私の好みにピタリとはまりました。

在るはずの無いものが存在し、主人公たちの生活の一場面の中に紛れ込んでいる状況が、単に不思議という以上の意味を持って迫ってきます。

そして、その描き方は読む者に自分自身の青春時代を思い出させ、自身の生き方を見つめ直すきっかけを指し示しているようです。

 

本書に収納された二作品では、青春の一場面に現れた特別な現象に接した主人公たちが感じることになった爽やかさや心の軽い痛みなどが示されています。

特に表題作の「八月の御所グラウンド」では、単純な爽やかさだけでなく、時代を異にした青春時代を送った青年たちへの哀しみをも含んだ想いが描かれていて、心に残る作品として仕上がっています。

 

本書は第170回直木賞を受賞した作品ですが、そのことに異論をはさめるはずもない作品だと思います。

これまでこの作者の万城目学の作品は名前は知っていたものの読んだことがなかったので、あらためてこの作者の作品を読んでみたいと思わせられる作品でした。

万城目 学

万城目学』のプロフィール

 

1976年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。2006年にボイルドエッグズ新人賞を受賞した『鴨川ホルモー』でデビュー。ほかの小説作品に『鹿男あをによし』『プリンセス・トヨトミ』『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』『偉大なる、しゅららぼん』『とっぴんぱらりの風太郎』『悟浄出立』『バベル九朔』『パーマネント神喜劇』『ヒトコブラクダ層ぜっと』など、エッセイ作品に『べらぼうくん』『万感のおもい』などがある。

引用元:万城目学 | 著者プロフィール

 

万城目学』について

 

この作家さんは『鴨川ホルモー』『プリンセス・トヨトミ』など、実在の事物や日常の中に奇想天外な非日常性を持ち込むファンタジー小説で知られ、作風は「万城目ワールド」と呼ばれていて、六回目の候補作『八月の御所グラウンド』で直木賞を受賞されています。( ウィキペディア : 参照 )

具体的な直木賞候補作は『鹿男あをによし』、『プリンセス・トヨトミ』、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』、『とっぴんぱらりの風太郎』、『悟浄出立』という五作品です。

また、『悟浄出立』、『バベル九朔』、『ヒトコブラクダ層ぜっと』の三作品は山田風太郎賞候補となり、『パーマネント神喜劇』は山本周五郎賞候補になっています。

さらには、デビュー作の『鴨川ホルモー』は第4回ボイルドエッグズ新人賞を受賞し、そして本屋大賞の候補作ともなっていて、『プリンセス・トヨトミ』は2009年度咲くやこの花賞を受賞しています。

獣の奏者 外伝 刹那

獣の奏者 外伝 刹那』とは

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は『獣の奏者シリーズ』の第五弾で、2013年10月に講談社文庫から刊行された、長編のファンタジー小説です。

生命の尊さを、夫婦、親子、恋人などそれぞれの姿を通して描き出した、本編では描くことのできなかった感動に満ちた作品集でした。

 

獣の奏者 外伝 刹那』の簡単なあらすじ

 

エリンとイアルの同棲時代、師エサルの若き日の苦い恋、息子ジェシのあどけない一瞬……。 本編では明かされなかった空白の11年間にはこんな時が流れていた!
文庫版には、エリンの母、ソヨンの素顔が垣間見える書き下ろし短編「綿毛」を収録。
大きな物語を支えてきた登場人物たちの、それぞれの生と性。

王国の行く末を左右しかねない、政治的な運命を背負っていたエリンは、苛酷な日々を、ひとりの女性として、また、ひとりの母親として、いかに生きていたのか。高潔な獣ノ医術師エサルの女としての顔。エリンの母、ソヨンの素顔、そしてまだあどけないジェシの輝かしい一瞬。時の過ぎ行く速さ、人生の儚さを知る大人たちの恋情、そして、一日一日を惜しむように暮らしていた彼女らの日々の体温が伝わってくる物語集。

【本書の構成】
1 文庫版描き下ろし エリンの母、ソヨンが赤子のエリンを抱える「綿毛」
2 エリンとイアルの同棲・結婚時代を書いた「刹那」
3 エサルが若かりし頃の苦い恋を思い返す「秘め事」
4 エリンの息子ジェシの成長を垣間見る「はじめての…」

「ずっと心の中にあった
エリンとイアル、エサルの人生ーー
彼女らが人として生きてきた日々を
書き残したいという思いに突き動かされて書いた物語集です。
「刹那」はイアルの語り、「秘め事」はエサルの語りという、
私にとっては珍しい書き方を試みました。
楽しんでいただければ幸いです。

上橋菜穂子」 (「内容紹介」より)

 

獣の奏者 外伝 刹那』の感想

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は、全四巻で完結した『獣の奏者シリーズ』の外伝であり、これまで作者がシリーズ本編では描き出す必要性を感じなかった物語を紡ぎ出した作品集です。

獣の奏者シリーズ』の外伝ではあるのですが、本書に収められた作品はそれぞれが物語として独立しており、はっきりとした主張を持っています。

とはいえ、それぞれの作品の前提となる情報はやはり『獣の奏者シリーズ』で提供された情報を前提としているのであり、スピンオフ的な作品と言われるだけの立場ではあります。

しかしながら、本書の各作品は『獣の奏者シリーズ』が抱えているテーマとは異なるテーマを与えられているという点で、外伝という他ないのでしょう。

 

また、通常ならばファンタジー小説は、彼ら登場人物が私たちが暮らすこの世界とは異なる理(ことわり)の中で、与えられた世界の中で生きる姿を描きだすそのストーリーの面白さを楽しむものだと思います。

しかしながら、本書『獣の奏者 外伝 刹那』の場合はそうしたストーリー展開の面白さではなく、母娘や夫婦、恋人同士といった身近な大切な人との在りようを描き出した作品集です。

母親が我が子に抱く愛情を暖かなタッチで描き出す「綿毛」は、『獣の奏者シリーズ』の主人公であるエリンの母親ソヨンが、エリンをその胸に抱いた時の気持ちを、優しくそして情感豊かに描き出してあります。

シリーズの本編では母親のソヨンは物語の開始早々に亡くなってしまい、殆どその情報がありません。しかし、ここでエリンにお乳をあげるソヨンの母親の姿があります。

 

次の「刹那」では、エリンとその夫イアルの夫婦生活、それも二人の子のジェシ誕生にまつわる出来事がイアルの視点で描かれています。

ジェシの誕生に至るこの話のクライマックスは生命の誕生の美しさと怖さが描かれていて、女性の出産という命がけの作業の尊さが表現されています。

この話の終盤に示される、タイトルの「刹那」という言葉に込められた意味が強く胸に迫ってくるのです。

 

秘め事」は、エリンの師でもあるエサルの若かりし時代を描いた物語です。そこにはエリンの命の恩人でもあり育ての親でもあるジョウンの若かりし頃の姿もあります。

何より人を愛すること、そして愛することの尊さが描かれているのです。

 

はじめての…」では、エリンの子育ての姿が描かれます。ジェシの成長を見守る本編での男勝りのエリンとは異なる、母としてのエリンがここにはいるのです。

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は上橋菜穂子が描く親子の物語であり、恋愛小説です。

母親の自分の子へそそぐ愛情の深さの描き方が実に自然に、暖かく微笑ましく描かれています。

そして上橋菜穂子が描く恋愛小説である本書の「刹那」や「秘め事」には人間の普通の生活の中にふと訪れる異性への小さな想いが見事に言語化されて表現してあります。

自分の感覚として、人を想うという気持ちの描写として、上橋菜穂子の文章は素直に心に染み入ってくるし、納得しています。

人に対する思いやりの視線、論理的に組み立てられ、そのくせ優しさを持った上橋菜穂子の文章の美しさを堪能するしかありません。

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』とは

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第三弾で、2023年10月に講談社から352頁のソフトカバーで刊行された長編のファンタジー小説です。

これまでの二巻とはまた異なるタッチで展開される革命の物語であり、特に後半の展開はかなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』の簡単なあらすじ

 

ルミニエル座の俳優アーロウには双子の兄がいた。天才として名高い兄・リーアンに、特権階級の演出家から戯曲執筆依頼が届く。選んだ題材は、隠されたレーエンデの英雄。彼の真実を知るため、二人は旅に出る。果てまで延びる鉄道、焼きはらわれた森林、差別に慣れた人々。母に捨てられた双子が愛を見つけるとき、世界は動く。(「BOOK」データベースより)

 

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』の感想

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第三弾となる物語ですが、これまでの二巻とは異なり「演劇」を通した革命の物語でした。

これまでの二作品の持つ恋愛の要素や戦いの場面もほとんどないという全く異なる作風でもあり、あまり期待せずに読み始めたものです。

 

本書中盤までは、当初の印象のとおり前二作品との関連性もあまり感じられないままに、これといった見せ場もないため、今一つという印象さえ持っていました。

ところが、中盤以降、主役の二人がテッサの物語に触れるあたりからは俄然面白くなって来ました。

アクションはありません。古代樹の森などのファンタジックな要素さえもありません。

それどころか、本書の時代においては蒸気機関車さえ走っていて、イジョルニ人とレーエンデ人との間にはこれまで以上の落差がある時代です。

そうした時代を背景に、この物語は語られます。

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は、役者のアーロウと劇作家のリーアンという双子の兄弟の物語です。

というよりも、アーロウの視点で語られる兄弟の物語というべきでしょう。

アーロウとリーアンとはは幼いころからいつも一緒にいて互いに互いを必要とし、かばい合って生きてきていました。

しかし、二人が成長してルミニエル座に受け入れられ、そこでリーアンの劇作家としての才能が開花すると、アーロウは役者として生きていながら、リーアンに対しては嫉妬、妬みの気持ちを押さえられなくなっていくのです。

そのうちにリーアンはレーエンデの英雄テッサの物語を戯曲として書く機会を得るのでした。

 

つまり、テッサの物語から120年以上を経て、テッサたちの話は闇に葬られ歴史から消し去られていたのです。

しかし、テッサたちの物語を知ったリーアンが彼らを主人公にした戯曲を書くことを思いついたあたりから物語は大きく動き始め、私も大いにこの物語に惹き込まれていきます。

先に述べたように、心惹かれる恋愛要素も、また派手なアクションはないのですが、二人の兄弟の運命の展開に読者もまた巻き込まれ感情移入せざる得ない面白さを意識せざるを得なくなるのでした。

これまでの二巻とは全く異なる観点からレーエンデの独立を語る本書は、よくぞこうした物語を書けるものだと感心するばかりです。

次はどんな物語を提供してくれるのかと期待は膨らみます。

 

ちなみに、「多崎礼 公式blog 霧笛と灯台」によれば、本『レーエンデ国物語シリーズ』は全五巻であり、第四巻『レーエンデ国物語 夜明け前』、第五巻『レーエンデ国物語 海へ』は2024年刊行予定だということです。

期待して待ちたいと思います。

レーエンデ国物語 月と太陽

レーエンデ国物語 月と太陽』とは

 

本書『レーエンデ国物語 月と太陽』は『レーエンデ国シリーズ』の第二弾で、2023年8月に講談社からソフトカバーで刊行された、長編のファンタジー小説です。

シリーズ第一巻『レーエンデ国』にくらべ、よりアクション要素が増えている気がしますし、恋愛要素が少なくなっている分、より惹き込まれた印象です。

 

レーエンデ国物語 月と太陽』の簡単なあらすじ

 

名家の少年・ルチアーノは屋敷を何者かに襲撃され、レーエンデ東部の村にたどり着く。そこで怪力無双の少女・テッサと出会った。藁葺き屋根の村景や活気あふれる炭鉱、色とりどりの収穫祭に触れ、ルチアーノは身分を捨てて、ここで生きることを決める。しかし、その生活は長く続かなかった。村の危機を救うため、テッサは戦場に出ることを決める。ルチアーノと結婚の約束を残してー。封鎖された古代樹の森、孤島城に住む法皇、変わりゆく世界。あの日の決断が国の運命を変えたことを、二人はまだ知らない。大人のための王道ファンタジー。(「BOOK」データベースより)

 

レーエンデ国物語 月と太陽』の感想

 

本書『レーエンデ国物語 月と太陽』は、『レーエンデ国物語』の第二巻であり、第一巻と同様に聖イジョルニ帝国に対し反旗を翻した人々の物語です。

第一巻は、「レーエンデの聖母」と呼ばれることになるユリア・シュライヴァの物語と言ってもいい話でしたが、本書はその百年後の話です。

前巻での物語の後、帝国北方に位置する七州が「北方七州の乱」ののちに為したレーエンデからの独立の宣言により、聖イジョルニ帝国は南北に分裂し、長い闘いへと突入していました。

本書は、そのような状況下の聖イジョルニ帝国で、ユリアの父のヘクトル・シュライヴァの病没の約百年後にダンブロシオ・ヴァレッティ家に生まれた、のちに「残虐王」と呼ばれることになるルチアーノ・ダンブロシオ・ヴァレッティを主人公とする物語です。

 

本書『レーエンデ国物語 月と太陽』では、序章が終わって直ぐからヴァレッティ家が何者かに襲われ、燃え落ちる場面から始まります。

そして、ルチアーノはルチアーノの両親を殺し家に火をつけたという男に救出され、その男の言うままに逃走し、ティコ族の村であるダール村のテッサに助けられるのです。

ダール村ではイジョルニの民であることがばれると殺されかねないと、ルーチェという偽名を使い、暮らすことになります。

ルチアーノは、テッサの姉のアレーテやテッサ姉妹の友人であるキリルや、ウル族のイザークらと友達になります。

テッサは村の男の誰もかなわないほどの怪力の持ち主であり、ルチアーノは誰にも負けない頭脳の持ち主としてこの後の苦難を乗り越えていくのです。

 

テッサらがレーエンドの開放を叫ぶ理由は、帝国による理不尽な差別や弾圧に対する抵抗であり、そのための団結でした。

テッサは、村のために徴兵に応じて帝国軍に参画し、帝国軍第二師団第二大隊第九中隊、通称「斬り込み中隊」の異名を持つほどに常に最前線に配属されている部隊に配属され、兵士として鍛えられることになります。

そして、テッサはこの第九部隊での中隊長であるギヨム・シモンと出会い、兵士として、また人間として鍛え上げられていきます。

同様に、キリルも弓の腕を上げ、そしてイザークもまた一人前の兵士として育っていたのです。

その彼らが、郷里のダール村が帝国軍に襲われ皆殺しにあったことを聞かされ、軍隊を脱走し、ダール村の惨状を目の当たりにして帝国に対する決起を決意することになるのです。

 

この物語は、第一巻でもそうだったのですが、場面展開がかなりテンポよくなされているため、とてもリズムよく読み進めることができました。

ただ、これは賛否両論があるでしょうが、敵方である聖イジョルニ帝国側の登場人物の描き方があまり明確ではありません。

というよりも、表立ってテッサやルーチェに味方する人々、もしくは陰ながらでもレーエンデ地方の独立を願う民衆に属する人たちの描写はそれなりに書き込んであるのですが、それに敵対する人としては個人はあまり出てこないのです。

ダール村襲撃を命じた人物としては、東教区の司祭長グランコ・コシモという人物が序盤に登場しますが、その人物さえも人物像はそれほど書き込みがあるわけではありません。

そういう意味では、敵側の人物のほとんどは類型的とさえいえます。

 

でも、その分テッサやルーチェやその仲間たちの人物、行動の描写には力が入れられており、場面展開のテンポの良さなどもあって六百頁を越える長編の物語でありながら、あまりその長さを感じさせないのだと思います。

革命の物語ですから、主人公たちの原動力はやはり「自由」の獲得ということが第一義に語られます。横暴な権力に対する民衆の抵抗であり、自由獲得のための抗争です。

その自由とは、もちろん横暴な権力からの自由であり、理不尽な暴力からの自由であり、また好きな人に好きだと言える自由です。

 

こうした自由のための抗争が様々な人間ドラマと共に語られているところが本書の魅力です。

若干、単純化されすぎている印象が無きにしも非ずではありますが、その分、本書の文章がテンポ良く構成されていることになっていると思われ、単純に欠点とばかりも言えないようです。

ともあれ、本シリーズの語る革命の話は、今後も展開していくと思われ、続巻を待ちたいと思います。

レーエンデ国物語

レーエンデ国物語』とは

 

本書『レーエンデ国物語』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第六弾で、2023年6月に講談社から496頁のソフトカバーで刊行された長編のファンタジー小説です。

まさに一つの国の成り立ちを描いていて、大きな時の流れの中でレーエンデという地方(国)こそが主人公だともいえる、大河ファンタジー小説です。

 

レーエンデ国物語』の簡単なあらすじ

 

聖イジョルニ帝国フェデル城。家に縛られてきた貴族の娘・ユリアは、英雄の父と旅に出る。呪われた地・レーエンデで出会ったのは、琥珀の瞳を持つ寡黙な射手・トリスタンだった。空を舞う泡虫、乳白色に天へ伸びる古代樹、湖に建つ孤島城。その数々に魅了されたユリアは、はじめての友達、はじめての仕事、はじめての恋を経て、やがてレーエンデ全土の争乱に巻き込まれていく。(「BOOK」データベースより)

 

レーエンデ国物語』の感想

 

本書は『レーエンデ国物語』、古来「呪われた国」と呼ばれているレーエンデ国を舞台に、「レーエンデの聖母」と呼ばれた女性の姿を描く長編のファンタジー小説です。

本書の巻末には2023年6月刊行の本書に続いて、2023年8月には第二巻の『レーエンデ国物語 月と太陽』が刊行される旨の広告が載っており、「レーエンデを渦巻く運命は動き出した。」との一文が載っています。

つまりは、本書『レーエンデ国物語』はあくまでレーエンデ国を舞台とする大河物語のイントロに過ぎないということだと思われます。

その第一弾としての本書を読むとまず「革命の話をしよう」と始まり、序章の内容からして中世のヨーロッパの騎士風のファンタジーと思い読み始めました。

しかしながら、読み終えてみると革命の話が語られたという印象はあまりなく、恋愛小説のようでもありました。

 

著者の多崎礼が、講談社の編集者から「空想世界で、国を滅ぼす年代記のような話を書きませんか?」と声をかけられ、面白そうだと思いつつも「“国を興す”話が書きたい」という旨を編集者に伝え、承諾を得たとありあました( 現代ビジネス/本:参照 )。

そうして、王道のファンタジーとして創り込まれた聖イジョルニ帝国が支配する世界で特異な位置を占めるレーエンデ地方を舞台とする物語が紡がれたのです。

神に見放された土地、呪われた土地と言われ、全身が銀の鱗に覆われていく銀呪病という死病を抱えており、始祖ライヒ・イジョルニに自治権を与えられたウル族ティコ族という少数民族が暮らすレーエンデ地方が物語の舞台となります。

 

主人公は後に「レーエンデの聖母」と呼ばれることになるユリア・シュライヴァという十五歳の娘であり、その父がシュライヴァ騎士団の団長であるヘクトル・シュライヴァです。

彼女が父親に連れられてレーエンデへとやってくるところからこの物語は始まりますが、レーエンデの北の要害ともなっている大アーレス山脈を越える見返り峠で「おかえり」という声を聞きます。

そして、自分はレーエンデにやってきたのではなく、還ってきたという確信を抱くのです。

その後、イスマル・ドゥ・マルティンや、その長女プリムラとその子の双子の孫娘ペルアリー、そしてユリアと同世代の次女リリスたちに出会います。

ヘクトルはレーエンデとシュライヴァとの間に交易路を作るための調査にレーエンデを訪れたのですが、その調査の道案内に紹介されたのがトリスタン・ドゥ・エルウィンという青年でした。

ここから、ユリアの父ヘクトルとトリスタンとの交易路開設のための困難な旅の模様が描かれ、同時に、ユリアの物語も語られていくのです。

 

本書『レーエンデ国物語』冒頭から中ほどまではいわゆる冒険ファンタジー的な色彩を帯びてはいたものの、半分を過ぎたあたりから何となく恋愛ものと言ってもよさそうな雰囲気が漂ってきました。

とはいえ、ヘクトルの兄王ヴィクトルやその息子ヴァラスといった敵役、それにノイエレニエの騎士団など冒険小説的な設定も次第に充実していきます。

本書の性格がよくつかめないままに、ストーリー展開そのものの面白さに惹かれ、かなり早く読みえるほどには惹き込まれたようです。

 

本書『レーエンデ国物語』を読み終えた時点では恋愛の要素が強いファンタジー小説という側面がかなり強く感じられた作品でした。

しかし、二作目までを読了した今では、レーエンデという土地こそが主役の物語と印象へと変化しています。

本書自体の恋愛がらみの冒険小説的な面白さと同時に、大河小説としての作品の始まりが描かれた作品としてみるとちょっと見方が変わったようにも思えます。

当初の、本書『レーエンデ国物語』の終盤に感じた、この話を取り急ぎまとめた、という急ぎ過ぎの印象でさえも、見方が変化したようです。

とはいえ、ユリアが「レーエンデの聖母」と呼ばれるに至った理由はやはり簡単に過ぎるという印象は否めないままではあります。

でも、今後の展開を心待ちにしようという気持ちは十分に持ち得るほどの作品ではありました。

レーエンデ国物語シリーズ

レーエンデ国物語シリーズ』とは

 

『レーエンデ国物語シリーズ』は、架空の国である聖イジョルニ帝国に存在する呪われた土地と言われたレーエンデ地方を舞台にした長編のファンタジー小説です。

巻ごとに主人公が入れ替わり、聖イジョルニ帝国からのレーエンデ地方の独立を果たそうとする試みを描き出した作品で、かなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

レーエンデ国物語シリーズ』の作品

 

レーエンデ国物語シリーズ(2024年01月15日現在)

  1. レーエンデ国物語
  2. レーエンデ国物語 月と太陽
  3. レーエンデ国物語 喝采か沈黙か
  1. レーエンデ国物語 夜明け前
  2. レーエンデ国物語 海へ

 

レーエンデ国物語シリーズ』について

 

レーエンデ国物語シリーズ』は、「革命の話をしよう。」という一文から始まる物語であって、剣と魔法の世界が描かれた王道のファンタジー小説のような始まりを見せながら、その実、巻ごとに年代が、そして主人公が変わりながらレーエンデ地方の独立を目指す革命の物語です。

そういう意味では、レーエンデという土地自体が主人公だというべきなのかもしれません。

それぞれの主人公は、レーエンデ地方の独立を勝ち取るために血と汗を流すのですが、その物語には喝采を送りたくなり、また涙を流すことになる冒険の話でもあります。

 

日本のファンタジー小説の第一人者といえば、まずは『守り人シリーズ』の上橋菜穂子の名が挙がると思います。

異世界を緻密に描きながらも文化人類学者としての知識を十二分に生かした物語づくりをされています。

 

 

次いで、小野不由美の『十二国記シリーズ』があります。

このシリーズも他に類を見ない独特な異世界を緻密に構築した物語であり、他話で面白い作品でした。

 

 

本シリーズはこれらの作者たちの作品とは異なり、ひとつの地方の独立までの歴史を語る(ことになるだろう)物語であり、異世界の情景を細かに構築するというよりも、戦いや冒険自体に重きを置かれているようです。

 

第一巻の『レーエンデ国物語』は、後に「レーエンデの聖母」と呼ばれることになるユリア・シュライヴァを中心とした物語です。

レーエンデ地方の紹介を兼ねた作品であり、ユリアとトリスタンという若者との恋愛の要素もありながらも、ユリアの父親であるヘクトル・シュライヴァたちのレーエンデ地方の独立を目指す戦いの始まりが描かれます。

この第一巻から「レーエンデ地方」の独立を目指す戦いの萌芽が見え、後の物語の始まりとなるのです。

 

第二巻の『レーエンデ国物語 月と太陽』は、第一巻の後約100年後の物語です。

聖イジョルニ帝国の弱小貴族のヴァレッティ家に生まれたルチアーノ・ダンブロシオ・ヴァレッティと、ルチアーノを助けたティコ族のダール村に住むテッサという少女を主人公とする反逆の物語です。

 

第三巻の『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』もまた、第二巻の後約100年後の物語です。

聖イジョルニ帝国の聖都ノイエレニエに生まれた のルミニエル座のリーアン・ランベールとアーロウ・ランベールという双子の兄弟の物語です。

 

今のところ(2023年11月時点)では、第三巻までしか刊行されていませんが、2024年には、続巻の『レーエンデ国物語 夜明け前』『レーエンデ国物語 海へ』が刊行されるそうなので、待ちたいと思います。

多崎 礼

多崎礼』のプロフィール

 

2006年、『煌夜祭』で第2回C★NOVELS大賞を受賞しデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『レーエンデ国物語』より

引用元:多崎礼|プロフィール|HMV&BOOKS online

 

多崎礼』について

 

現時点ではありません。

骨灰

骨灰』とは

 

本書『骨灰』は、2022年12月にKADOKAWAから400頁のハードカバーで刊行された長編のホラー小説です。

第169回直木賞の候補作となった作品ですが、特に序盤は少しの冗長さを感じるなど、全体としても私の好みからは少し外れた作品でした。

 

骨灰』の簡単なあらすじ

 

大手デベロッパーに勤める松永光弘は、自社の現場に関する『火が出た』『いるだけで病気になる』『人骨が出た穴』というツイートの真偽を確かめるため、地下へ調査に向かう。異常な乾燥と嫌な臭いー人が骨まで灰になる臭いを感じながら進み、たどり着いたのは、巨大な穴が掘られた不気味な祭祀場だった。穴の底に繋がれた謎の男を発見し解放するが、それをきっかけに忌まわしい「骨灰」の恐怖が彼の日常を侵食し始める。(「BOOK」データベースより)

 

骨灰』の感想

 

本書『骨灰』は、大手デベロッパーのIR部に勤務するサラリーマンが、自社の開発する現場で見つけた祭祀場に絡んで何かに祟られるホラー小説です。

自社の開発現場で見つけた祭祀場でわけもわからずに為したある行為のあと、異常な出来事が頻発し、家族の命まで危うい状態へとなった男の姿が描かれています。

第169回直木賞の候補作となったほどに評価の高い作品ですが、個人的にホラーがあまり好きではないということもあってか、今一つ感情移入できずに終わってしまった作品でした。

 

ちなみに、蛇足ではありますがIRという言葉がよく分からないために調べてみたところ、IRとはInvestor Relations(インベスター・リレーションズ)のことであり、「企業が株主や投資家向けに経営状態や財務状況、業績の実績、今後の見通しなどを広報するための活動」を意味するそうです( SMBC日興証券 IRとは : 参照 )。

 

主人公は、彼の会社の建築現場で「火が出た」などの悪印象を与えかねないツイートの真偽を確かめるために、その現場の地下へと調査に向かいます。

本書冒頭では、この地下へ向かう様子が語られているのですが、その様子がいかにもホラー小説です。

主人公は、極端に乾燥した空気とともにとてつもない高温で焼かれた後の灰のようなものが降っている穴の階段を、限りなく下りていきます。

やっとたどり着いた空間は、同じく灰のようなものが広がっている二十メートル四方もあろうかという広さで、SNSの画像と同じ数メートル四方の縦坑や注連縄と紙垂の設置された祭壇があったのです。

そしてその縦坑にいた鎖でつながれた男を連れて地上へと戻った主人公は、その後自分のマンションでも異常な出来事に見舞われることになるのでした。

 

登場人物としては、本書の主人公が松永光弘、二人目の子を妊娠している妻は美世子、まだ幼い一人娘の咲恵といいます。

また、地下にあった祭祀場を管理する玉井工務店の社長が玉井芳夫、副社長兼管理長が玉井孝治、もう一人の管理長が荒木奏太、さらに孝治の息子で社員の玉井健一がいます。

そして、主人公の会社の社員で物語上重要な役目を果たしているのが現場所長の菅原研人です。

 

本書『骨灰』では、建築現場の地下に封じられていた「何か」を開放してしまったらしい主人公の松永の苦境が語られているのですが、今一つのめり込めませんでした。

それは多分、私のホラー作品に対する好みに由来しているのでしょう。

今まで面白いけれど本当に怖いと思った作品が貴志祐介の『黒い家』という作品であり、リアルすぎて現実的な恐怖を感じ、その後はあまりこの手の作品は読まなくなったように思います。

一方、スティーブン・キングの『IT』(文春文庫 全四巻)のような作品はホラーとはいっても単なる即物的な驚きであり、和製の心理的恐怖を描いた作品とは異なりエンターテイメント小説として面白く読んだものです。

結局は、エンターテイメント小説としての面白さを持っているか、ということであって、日本の心理的恐怖を描いた作品は個人的には楽しめないのです。

 

 

本書『骨灰』の場合は、日本的な心理的恐怖ではなく、地下から解放された「何か」を、どちらかというと西洋の怪物を扱ったホラーのように即物的なクリーチャーのような存在として捉えていると感じたのです。

本来であれば、日本的な土着の禍つ神のもたらす恐怖としてそれなりに恐い作品になるかと思えたのですが、描き方がクリーチャー的だったのです。

ネットを見る限りは、そう感じた人はあまりいないようです。

 

ただ、そうであれば本来は私の好みとしてもっと好感を持ってもいい筈です。

冲方丁の作品であれば、もっとエンタメ性の高い作品の筈だと思うのですが、残念ながら本書はそうは感じなかったということです。