レーエンデ国物語 夜明け前

レーエンデ国物語 4 夜明け前』とは

 

本書『レーエンデ国物語 4 夜明け前』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第四弾で、2024年4月に600頁のハードカバーで講談社から刊行された長編のファンタジー小説です。

個人的好みからいうと、これまでの物語の流れからして今回は今一つの展開でした。

 

レーエンデ国物語 4 夜明け前』の簡単なあらすじ

 

四大名家の嫡男・レオナルドは佳き少年だった。生まれよく心根よく聡明な彼は旧市街の夏祭りに繰り出し、街の熱気のなか劇場の少女と出会う。-そして真実を知り、一族が有する銀夢草の畑を焼き払った。権力が生む欺瞞に失望した彼の前に現れたのは、片脚をなくした異母妹・ルクレツィアだった。孤島城におわす不死の御子、一面に咲き誇る銀夢草、弾を込められた長銃。夜明け前が一番暗い、だがそれは希望へと繋がる。兄妹は互いを愛していた。きっと、最期のときまで。(「BOOK」データベースより)

 

レーエンデ国物語 4 夜明け前』の感想

 

本書『レーエンデ国物語 4 夜明け前』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第四弾の長編のファンタジー小説です。

これまでのシリーズ作品と照らしても意外な展開を見せ、またこれまで貼られた伏線を回収する作業に入っている作品でもあります。

ただ、個人的にはファンタジー物語としてそれなりの魅力は感じたものの、総じて本書の展開に対しては疑問符のつく作品でした。

 

その疑問符について詳しく述べることは本書のネタバレをすることになりますので実際読んでいただくことしかできません。

ただ、主役の一人であるルクレツィア・ペスタロッチの行動が納得のいかないものだった、個人の行動としてではなく、物語の展開として認めることができなかった、ということだけ記すにとどめておきます。

 

本書の主人公は一人は父ヴァスコと母イザベルとの間のレオナルド・ペスタロッチで、もう一人はレオナルドの異母妹のルクレツィア・ペスタロッチです。

九十年ほど前、聖イジョルニ帝国は始祖ライヒ・イジョルニの血を引いた五大名家のうち現在も残っているペスタロッチ家ダンブロシオ家などの四大名家で聖イジョルニ帝国を教区分割統治することになりました。

そのあと、四大名家のうちでも最弱の家柄だったペスタロッチ家がヴァスコなどの活躍で力を得、次期法皇帝になろうかというほどの力を得ていきます。

ヴァスコの息子で主人公であるレオナルドはペスタロッチ家の次期当主となるべき立場でした。

このレオナルドの友人だったのが、一人はペスタロッチ家の忠臣ジュード・ホーツェルの息子のブルーノであり、もうひとりがアリーナを母とするレオナルドの二つ年下の従兄弟のステファノ・ペスタロッチでした。

レオナルドとブルーノはポネッティ旧市街へイジョルニ人であることを隠して遊びに行き、「春光亭」のレオーネと知り合い、レーエンデ国物語 喝采か沈黙かで登場してきたリーアン・ランベール作の戯曲「月と太陽」と出会います。

そんな中、レオナルドの家に義母妹であるルクレツィア・ペスタロッチがやってくるのでした。

 

本書で作者が述べたいことは「正義」の衝突ということでしょう。

「正義」という観念は相対的なものであり、「正義」を主張する者の数だけ「正義」がある、とはよく言われることです。

それは今現在の現実社会で起きている戦争を見ればすぐにわかることで、どちらの側も自分の国の正義を主張した結果起きていることです。

作者は「普遍的な正しさは、僕ら人間には荷が重すぎるね」と新聞記者のビョルンという人物に言わせていますが、それは皆が感じていることだと思われます。

 

先に述べたように、本書に対する私の感想としては、疑問符がつく作品だったというにつきます。

本書でのルクレツィアの仕業は常軌を逸しているというレベルを超えており、本書中でも言われているように、ほかに手段があるだろうと思うからです。

物語としては確かに面白く、それなりに惹き込まれて一気に読み終えたのですが、私の好きなファンタジー作家の上橋菜穂子などの作品と比べるとどうしても上橋作品に軍配を上げてしまいます。

何故かよく分かりませんが、それは多分物語の組み立て方が上橋作品の方が緻密な印象を受け、物語世界の完成度が高い印象なのです。

つまりは、上橋作品は戦術や戦略面での視点や、国家間の地政学的な視点まで加味されていたりと、読者が気づかないであろう細かなところまで考えられていて読んでいてその視野の広さに引き込まれるのです。

その点田崎作品はストーリー展開の面白さはあるものの、上橋作品に比して視野の広さ、心象描写細かさにおいて今一つ及ばない気がします。

 

他の作家さんと比較するなど失礼かと思いますが、要は私の好みとして少し異なるのだ、ということです。

ですから、華やかなファンタジーものを好む方には本書のストーリー展開には胸躍るものがあり、かなり評価が高くなるのではないでしょうか。

でも、これまで文句を言ってきた私も最終巻となる次巻『レーエンデ国物語 海へ』を心待ちにしているのですから勝手です。

自分のことではあるもののやはり読み手は我儘だと思いますが、しかし正直なところです。

炎路を行く者 守り人作品集

炎路を行く者』とは

 

本書『炎路を行く者』は『守り人シリーズ』の第九弾で、2016年12月に新潮社から313頁の文庫本書き下ろしで刊行されたファンタジー小説です。

シリーズのスピンオフ的な位置にあり、ジグロと旅をしている幼女のバルサの物語と、シリーズ終盤に登場するタルシュ帝国の密偵ヒュウゴを主人公とする作品集です。

 

炎路を行く者』の簡単なあらすじ

 

『蒼路の旅人』、『天と地の守り人』で暗躍したタルシュ帝国の密偵、ヒュウゴ。彼は何故、祖国を滅ぼし家族を奪った国に仕えるのか。謎多きヒュウゴの少年時代を描いた「炎路の旅人」。そしてバルサは、養父と共に旅を続けるなか、何故、女用心棒として生きる道を選んだのか。過酷な少女時代を描いた「十五の我には」-やがてチャグム皇子と出会う二人の十代の頃の物語2編。シリーズ最新刊。(「BOOK」データベースより)

 

炎路を行く者』の感想

 

本書『炎路を行く者』は『守り人シリーズ』の第九弾となるファンタジー小説です。

バルサチャグムが主人公のシリーズ本編とは別の、「炎路の旅人」という中編と「十五の我には」という短編の二編からなっています。

 

炎路の旅人」は、『蒼路の旅人』や『天と地の守り人』で登場してきた密偵のヒュウゴを主人公とする物語です。

タルシュ帝国に殲滅されたヨゴ皇国軍の中でも精鋭中の精鋭と謳われた帝の盾の家族であったヒュウゴが何故に仇であるタルシュ帝国の密偵となったのかが描かれています。

ヨゴ皇国は<天ノ神>の子孫が人身となって統べていると信じられてきた国でしたが、ある日神の子孫が力を発揮することなく、タルシュ帝国に滅ぼされてしまいます。

<帝の盾>の息子として誇り高く育てられてきたヒュウゴは、自分が生きている限りはヨゴ皇国は滅びたことにはならないとして生き抜くことを誓うのでした。

 

十五の我には」は、ジグロと共に追手から逃れる旅をしていたバルサが、用心棒として初めて独り立ちをした際のエピソードが描かれています。

この短編で作者は、自分を育ててくれたジグロの自分に対する愛情が見えてなかった自分の幼さに対する後悔を言いたかったのでしょう。それが集約されているのが、作品中に出てくる「ロルアの詩」だと思われます。

つまり今でも見えていないことがたくさんあるのに、十五歳の自分は何と世の中が見えていなかったことか、ということです。

「十五の我」:ロルアの詩集 「十五の我には みえざりし、弓のゆがみと 矢のゆがみ、二十の我の この目には、なんなく見える ふしぎさよ・・・」「歯嚙みし、迷い、うちふるえ、暗い夜道を歩きおる、あの日の我に会えるなら、五年の月日のふしぎさを、十五の我に 語りたや・・・」

作者の文章力がこうした作中の詩にも表れており、この短編の意図が集約されていると思います。

 

両作品共に、主人公の未熟さゆえに見えていなかった世界が、主人公の成長と共に次第に見える、理解できてくる様子が語られます。

そのことが当人にとっていいのか悪いのかは別として、人として自分の生き方や、他者とのかかわり方の判断のためにも必要なことではあると思われます。

ヒュウゴが暮らしていた狭い世界での価値観や、バルサの幼なさによるジグロに対する反発など、未熟さからくる世界観の狭さなどがはっきりと示されているのです。

 

シリーズもので本編で語られなかった物語の間隙を、こうしてスピンオフ作品で示してくれることは、スピンオフ作品自体の面白さは勿論のこと、本編で語られる物語の厚みを増してくれるというのはあらためて言うまでもないことです。

上橋作品が物語世界の細密さに裏付けられているということはこうした中編や短編でも確実に見ることができ、だからこそそれぞれの話での主人公たちの話もそのままに読者の胸に迫ってくるのです。

 

なかなか新しい上橋作品に接する機会が減っています。できればもっともっと新たな物語に接したいと思うののでうが、作者の小説作法は多作を困難にしているようです。

でも、できるだけ心躍る新刊が出版されるのを待ちたいと思います。

君を守ろうとする猫の話

君を守ろうとする猫の話』とは

 

本書『君を守ろうとする猫の話』は、2022年9月に288頁のハードカバーで小学館から刊行された長編のファンタジー小説です。

2017年1月に刊行された『君を守ろうとする猫の話』の続編であり、前作と同様に「本」の大切さを訴えている作品で、ファンタジーとして面白い作品だとは言い難い作品でした。

 

君を守ろうとする猫の話』の簡単なあらすじ

 

お前なら、きっと本を取り戻せるはずだ。

幸崎ナナミは十三歳の中学二年生である。喘息の持病があるため、あちこち遊びに出かけるわけにもいかず学校が終わるとひとりで図書館に足を運ぶ生活を送っている。その図書館で、最近本がなくなっているらしい。館内の探索を始めたナナミは、青白く輝いている書棚の前で、翡翠色の目をした猫と出会う。

なぜ本を燃やすんですか?

「一番怖いのは、心を失うことじゃない。失った時に、誰もそれを教えてくれないこと。誰かを蹴落としたときに、それはダメだと教えてくれる友達がいないこと。つまりひとりぼっちだってこと」

ようこそ、新たな迷宮へ。(内容紹介(出版社より))

 

君を守ろうとする猫の話』の感想

 

本書『君を守ろうとする猫の話』は、2017年に刊行された『本を守ろうとする猫の話』の続編です。

本書の主人公は、幸崎ナナミという中学二年生の少女です。

持病の喘息で運動ができないために毎日通っていた図書館で本がなくなっていることに気付いたナナミは、探索の途中言葉を話す猫に出会うのでした。

トラネコのトラと名乗るその猫と共に青白く光る書棚の先へと踏み出すと、そこには血の気の無い土気色の顔をした兵士に守られた石造りのお城がありました。

そしてその城の中では世界中から集められた本が燃やされており、その奥の将軍の間にはスーツ姿の将軍がいたのです。

 

こうしてナナミとトラ猫との冒険譚が始まります。お城を脱出したナナミたちは夏木書店の書棚に現れ、第一作の『本を守ろうとする猫の話』の主人公であった夏木林太郎と出会います。

その後、再びお城へと戻ったナナミたちは「宰相の間」にいた宰相や「王の間」のに会うことになるのでした。

 

冒頭に述べたように、本書をファンタジー小説として見る時、決して面白いファンタジー作品とは言えないと思います。

そのことは前作の『本を守ろうとする猫の話』でも思っていたことです。

ただ、ファンタジー物語としての物語のストーリー展開は面白いとは言えなくても、そこに込められたメッセージは前作と同様に強烈なものがありました。

つまりは、書物に対する愛情という点では本書でも同様であり、書物に対する敬愛の念がストレートに表現されていて、単なる冒険物語の枠を超えて心に訴えてくるものがあるのです。

 

ただ、若干の疑念はありました。

作者の言う「書物」は「良書」ということであり、それに対する「悪書」は作者の言う「書物」には入っていないように思われます。

そして、その「良書」と「悪書」の選別の基準が明確でない以上、書物の有用性を語るにしても明確ではないのではないでしょうか。

つまりは「良書」という概念が入る以上は結局は判断の恣意性を排除できず、結局は作者の主張する書物の有用性自体が曖昧になると思うのです。

ただ、繰り返しますが前作同様に「本」の大切さを訴えている素晴らしい作品だとは思います。

 

書物に対する愛情を感じた作品といえば、高田大介の『図書館の魔女シリーズ』が思い出されました。

高田大介著の『図書館の魔女シリーズ』はタイトルからくる印象とは異なり、口のきけない娘を主人公とする、剣と魔法ではない「言葉」にあふれた異色のファンタジー小説です。

また、三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖シリーズ』もまた本に対する愛情がよく分かる作品でした。

このシリーズは、北鎌倉にある古書店「ビブリア古書堂」の主である篠川栞子と、アルバイト社員である五浦大輔を中心に、古書にまつわる謎を解き明かしていくミステリーです。

シリーズ累計で310万部を超える大ヒットとなり、『2012年本屋大賞』にもノミネートされました。

 

結局、本書の印象としては、「本」の大切さを訴えている素晴らしい作品だとは思いますが、ファンタジー物語としては面白いとは言えないということになります。

しかしながら、「書物」の効用、といってしまうと打算的な読書の印象になってしまうので好きではありませんが、作者が言う「優しさとは何か、生きるとは何かについて」考えるきっかけになる大切なものだ、というべきなのでしょう( 著者は語る : 参照 )。

本を守ろうとする猫の話シリーズ

『本を守ろうとする猫の話シリーズ』』とは

 

この『本を守ろうとする猫の話シリーズ』は、『神様のカルテシリーズ』の夏川草介が、本を読むことの大切さを訴えたファンタジーシリーズです。

言葉をしゃべる不思議なトラ猫に導かれ、「本」を取り戻すために中学生の女子や高校生の男の子の力を借り冒険に旅立つ物語です。

 

『本を守ろうとする猫の話シリーズ』』の作品

 

本を守ろうとする猫の話シリーズ(2024年04月30日現在)

  1. 本を守ろうとする猫の話
  2. 君を守ろうとする猫の話

 

『本を守ろうとする猫の話シリーズ』』について

 

この『本を守ろうとする猫の話シリーズ』は、三度も映像化されたベストセラーとなった『神様のカルテシリーズ』の夏川草介が、本を読むことの大切さを訴えたファンタジーシリーズです。

言葉をしゃべる不思議なトラ猫に導かれ、「本」を取り戻すために高校生や少女の力を借りて冒険に旅立つのです。

 

第一巻『本を守ろうとする猫の話』では、高校生の夏木林太郎が、祖父の死後祖父が営んでいた「夏木書店」の書物の整理中に、書棚の奥から突然現れた人間の言葉を話すトラネコから本を守るために力を貸してくれと頼まれます。

第二巻の『君を守ろうとする猫の話』では、喘息の薬を欠かすことのできない中学2年生のナナミが主人公です。大好きな図書館で書物が消えていることに気付いたナナミの前に言葉をしゃべる猫が現れ、共に灰色の男たちの守る世界へと旅立つことになります。

共に、書物の大切さを訴え、読書の意味を考えさせられる物語になっています。

 

著者の夏川草介は、世界では人と人との衝突が日常化しているから、「相手のことを想像する力、他人を思いやる心」が必要だといいます。

そこで「想像力を育む」ことになる小説を読み、「優しさとは何か、生きるとは何かについて」考えて欲しいというのです( 著者は語る : 参照 )。

結局、この点こそが作者の言いたいことであり、本シリーズの要点だと言えそうです。

 

本シリーズは三部作だということであり、余すところあと一冊となっています( 東京新聞 TOKYO Web : 参照 )。

流れ行く者

流れ行く者 』とは

 

本書『流れ行く者』は『守り人シリーズ』の第八弾で、2008年04月に偕成社からハードカバーで刊行され、2013年8月に新潮文庫から著者のあとがきと幸村誠氏の解説まで入れて301頁の文庫として出版された、長編のファンタジー小説です。

 

流れ行く者 』の簡単なあらすじ

 

王の陰謀に巻き込まれ父を殺された少女バルサ。親友の娘である彼女を託され、用心棒に身をやつした男ジグロ。故郷を捨て追っ手から逃れ、流れ行くふたりは、定まった日常の中では生きられぬ様々な境遇の人々と出会う。幼いタンダとの明るい日々、賭事師の老女との出会い、そして、初めて己の命を短槍に託す死闘の一瞬ー孤独と哀切と温もりに彩られた、バルサ十代の日々を描く短編集。(「BOOK」データベースより)

題名
浮き籾 | ラフラ〈賭事師〉 | 流れ行く者 | 寒のふるまい

 

流れ行く者 』の感想

 

本書『流れ行く者 』は、十代のバルサを主人公とした、バルサの短槍の師ジグロとの用心棒をしながらの逃亡の日々を描く、『守り人シリーズ』本編の間隙を埋める番外編に位置づけられる作品集です。

 

第一話 浮き籾」は、トロガイのもとで世話になっていたバルサが、トロガイたちが他出している間にバルサを慕ってくるタンダの相手をしながらタンダの叔父に対する想いをかなえてあげる物語です。

守り人シリーズ』の世界における田舎の生活、風景を緻密に描写しながら、若き二人の日々の生活や、特にタンダのやさしい性格を描きながら村の風習やそこにかかわるバルサの生活をも描き出してあります。

 

第二話 ラフラ〈賭事師〉」は、本書の中で一番最初に書かれた物語だとあとがきに書いてありました。

人けのない酒場に座って賽子を転がしているいる老女とそれを見ているバルサという光景がいきなり頭の中に浮かび、その瞬間に物語の全体像もほぼ出来上がっていたそうです( 著者による『文庫版のあとがき「ひとつの風景」』:参照 )。

ロタ王国のとある酒場に用心棒として雇われているジグロと、酒場の手伝いをしているバルサは、その酒場に雇われている老ラフラ(賭事師)のアズノと知り合います。

アズノはサイコロを使う遊戯であるススットの遣い手であり、バルサともススットを通して知り合ったのです。

この物語は、流れ者の用心棒や賭事師の浮き草のような生活を描き出すとともに、プロとしてのアズノの厳しさを哀しみとともに描き出してあり、特にそのラストは妙に心に残る作品でした。

 

第三話 流れ行く者」は、第二話と同じく明日をも知れぬ用心棒生活を描いてありますが、なかでも直接に自らの命を懸けて依頼人を守るという厳しい暮らしと、用心棒の仲間同士の繋がりが語られています。

特に、ある隊商の護衛士としての旅の中での出来事が、用心棒家業の厳しさを教えてくれるのです。

 

第四話 寒のふるまい」は、ほんの数ページのショートショートともいうべき一編です。

「寒のふるまい」とは、冬の最中の食べ物が乏しい時期に、山の獣たちに食べ物を分けることをいうそうです。

その「寒のふるまい」をもって山に入ることを口実にしてトロガイのもとへと駆けるタンダの姿が描かれている、寂しさが溢れている物語です。

 

全体を通して、父がわりのジグロとの厳しい用心棒生活が描かれている中で、バルサがいかにジグロやトロガイ、そしてタンダらに愛されていたかがよく分かる物語になっています。

その上で、今のバルサの短槍使いとして、また用心棒として一流になっているその背景がよく分かる物語になっています。

単なる冒険ファンタジーの物語を越えた作品として存在するこの『守り人シリーズ』の存在意義をあらためて感じさせてくれる一冊でした。

八月の御所グラウンド

八月の御所グラウンド』とは

 

本書『八月の御所グラウンド』は、2023年8月に208頁のハードカバーで文藝春秋から刊行された長編の青春小説です。

真夏の京都を舞台にした二編の青春小説が収められていて、河﨑秋子著『ともぐい』と共に第170回直木賞を受賞した感動的な作品です。

 

八月の御所グラウンド』の簡単なあらすじ

 

死んだはずの名投手とのプレーボール
戦争に断ち切られた青春
京都が生んだ、やさしい奇跡

女子全国高校駅伝ーー都大路にピンチランナーとして挑む、絶望的に方向音痴な女子高校生。
謎の草野球大会ーー借金のカタに、早朝の御所G(グラウンド)でたまひで杯に参加する羽目になった大学生。

京都で起きる、幻のような出会いが生んだドラマとはーー

今度のマキメは、じんわり優しく、少し切ない
青春の、愛しく、ほろ苦い味わいを綴る感動作2篇

第170回直木賞を遂に受賞!
十二月の都大路上下(カケ)ル
八月の御所グラウンド(内容紹介(出版社より))

 

八月の御所グラウンド』の感想

 

本書『八月の御所グラウンド』は、八月の京都を舞台にした第170回直木賞を受賞した感動作品です。

普通の言葉で日常を描きながらも、日常に紛れ込んだファンタジックな出来事にまぎれて青春を描き出しています。

60頁弱の「十二月の都大路上下(カケ)ル」と140頁強の「八月の御所グラウンド」という二作品が収納されていて、共にスポーツをテーマとしていながらも、その競技中にあるはずの無いものが見えるという現象を描いています。

前者は高校生の駅伝ランナー、後者は自分の将来が見えていない大学生を主人公としていますが、共に主人公を含めてキャラクターが立っており、読者の心を直ぐにつかみます。

私がこの作者の作品を読むのは本書が初めてなので、この作者の作風がどういうものであるかはわかりませんが、登場人物のキャラクター設定はうまいものがあるようです。

 

第一話の「十二月の都大路上下(カケ)ル」は、女子全国高校駅伝の補欠である一年生のサカトゥーこと坂東というランナーが主人公です。

毎年12月に京都の都大路を駆け抜ける伝統行事でもあるこの大会は、かつては私もよくテレビ観戦したものです。その大会の補欠ランナーが諸般の事情により大会に出場することになります。

極度の方向音痴である主人公が、アンカーとして出場し、同じ区間で争った二年生の荒垣新菜と共に見える筈のないものを見たことが描かれています。

 

第二話の表題作「八月の御所グラウンド」は、事情により八月の京都に残された大学生が参加した草野球大会での出来事が描かれている話です。

彼女にも振られ、就職活動をする気力も無くただ怠惰に暮らしていた大学四年生の主人公の朽木は、友人の多門から大学卒業がかかった草野球大会への参加を頼まれます。

その大会で出会ったのが中国人留学生のシャオさんであり、そのシャオさんが誘った見知らぬ男のえーちゃんたちだったのです。

 

シャオさんが野球を勉強したいと思った理由が「オリコンダレエ」というはじめて聞いた日本語にあるなど、場面設定やその場の描写の仕方が私の好みにピタリとはまりました。

在るはずの無いものが存在し、主人公たちの生活の一場面の中に紛れ込んでいる状況が、単に不思議という以上の意味を持って迫ってきます。

そして、その描き方は読む者に自分自身の青春時代を思い出させ、自身の生き方を見つめ直すきっかけを指し示しているようです。

 

本書に収納された二作品では、青春の一場面に現れた特別な現象に接した主人公たちが感じることになった爽やかさや心の軽い痛みなどが示されています。

特に表題作の「八月の御所グラウンド」では、単純な爽やかさだけでなく、時代を異にした青春時代を送った青年たちへの哀しみをも含んだ想いが描かれていて、心に残る作品として仕上がっています。

 

本書は第170回直木賞を受賞した作品ですが、そのことに異論をはさめるはずもない作品だと思います。

これまでこの作者の万城目学の作品は名前は知っていたものの読んだことがなかったので、あらためてこの作者の作品を読んでみたいと思わせられる作品でした。

万城目 学

万城目学』のプロフィール

 

1976年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。2006年にボイルドエッグズ新人賞を受賞した『鴨川ホルモー』でデビュー。ほかの小説作品に『鹿男あをによし』『プリンセス・トヨトミ』『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』『偉大なる、しゅららぼん』『とっぴんぱらりの風太郎』『悟浄出立』『バベル九朔』『パーマネント神喜劇』『ヒトコブラクダ層ぜっと』など、エッセイ作品に『べらぼうくん』『万感のおもい』などがある。

引用元:万城目学 | 著者プロフィール

 

万城目学』について

 

この作家さんは『鴨川ホルモー』『プリンセス・トヨトミ』など、実在の事物や日常の中に奇想天外な非日常性を持ち込むファンタジー小説で知られ、作風は「万城目ワールド」と呼ばれていて、六回目の候補作『八月の御所グラウンド』で直木賞を受賞されています。( ウィキペディア : 参照 )

具体的な直木賞候補作は『鹿男あをによし』、『プリンセス・トヨトミ』、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』、『とっぴんぱらりの風太郎』、『悟浄出立』という五作品です。

また、『悟浄出立』、『バベル九朔』、『ヒトコブラクダ層ぜっと』の三作品は山田風太郎賞候補となり、『パーマネント神喜劇』は山本周五郎賞候補になっています。

さらには、デビュー作の『鴨川ホルモー』は第4回ボイルドエッグズ新人賞を受賞し、そして本屋大賞の候補作ともなっていて、『プリンセス・トヨトミ』は2009年度咲くやこの花賞を受賞しています。

獣の奏者 外伝 刹那

獣の奏者 外伝 刹那』とは

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は『獣の奏者シリーズ』の第五弾で、2013年10月に講談社文庫から刊行された、長編のファンタジー小説です。

生命の尊さを、夫婦、親子、恋人などそれぞれの姿を通して描き出した、本編では描くことのできなかった感動に満ちた作品集でした。

 

獣の奏者 外伝 刹那』の簡単なあらすじ

 

エリンとイアルの同棲時代、師エサルの若き日の苦い恋、息子ジェシのあどけない一瞬……。 本編では明かされなかった空白の11年間にはこんな時が流れていた!
文庫版には、エリンの母、ソヨンの素顔が垣間見える書き下ろし短編「綿毛」を収録。
大きな物語を支えてきた登場人物たちの、それぞれの生と性。

王国の行く末を左右しかねない、政治的な運命を背負っていたエリンは、苛酷な日々を、ひとりの女性として、また、ひとりの母親として、いかに生きていたのか。高潔な獣ノ医術師エサルの女としての顔。エリンの母、ソヨンの素顔、そしてまだあどけないジェシの輝かしい一瞬。時の過ぎ行く速さ、人生の儚さを知る大人たちの恋情、そして、一日一日を惜しむように暮らしていた彼女らの日々の体温が伝わってくる物語集。

【本書の構成】
1 文庫版描き下ろし エリンの母、ソヨンが赤子のエリンを抱える「綿毛」
2 エリンとイアルの同棲・結婚時代を書いた「刹那」
3 エサルが若かりし頃の苦い恋を思い返す「秘め事」
4 エリンの息子ジェシの成長を垣間見る「はじめての…」

「ずっと心の中にあった
エリンとイアル、エサルの人生ーー
彼女らが人として生きてきた日々を
書き残したいという思いに突き動かされて書いた物語集です。
「刹那」はイアルの語り、「秘め事」はエサルの語りという、
私にとっては珍しい書き方を試みました。
楽しんでいただければ幸いです。

上橋菜穂子」 (「内容紹介」より)

 

獣の奏者 外伝 刹那』の感想

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は、全四巻で完結した『獣の奏者シリーズ』の外伝であり、これまで作者がシリーズ本編では描き出す必要性を感じなかった物語を紡ぎ出した作品集です。

獣の奏者シリーズ』の外伝ではあるのですが、本書に収められた作品はそれぞれが物語として独立しており、はっきりとした主張を持っています。

とはいえ、それぞれの作品の前提となる情報はやはり『獣の奏者シリーズ』で提供された情報を前提としているのであり、スピンオフ的な作品と言われるだけの立場ではあります。

しかしながら、本書の各作品は『獣の奏者シリーズ』が抱えているテーマとは異なるテーマを与えられているという点で、外伝という他ないのでしょう。

 

また、通常ならばファンタジー小説は、彼ら登場人物が私たちが暮らすこの世界とは異なる理(ことわり)の中で、与えられた世界の中で生きる姿を描きだすそのストーリーの面白さを楽しむものだと思います。

しかしながら、本書『獣の奏者 外伝 刹那』の場合はそうしたストーリー展開の面白さではなく、母娘や夫婦、恋人同士といった身近な大切な人との在りようを描き出した作品集です。

母親が我が子に抱く愛情を暖かなタッチで描き出す「綿毛」は、『獣の奏者シリーズ』の主人公であるエリンの母親ソヨンが、エリンをその胸に抱いた時の気持ちを、優しくそして情感豊かに描き出してあります。

シリーズの本編では母親のソヨンは物語の開始早々に亡くなってしまい、殆どその情報がありません。しかし、ここでエリンにお乳をあげるソヨンの母親の姿があります。

 

次の「刹那」では、エリンとその夫イアルの夫婦生活、それも二人の子のジェシ誕生にまつわる出来事がイアルの視点で描かれています。

ジェシの誕生に至るこの話のクライマックスは生命の誕生の美しさと怖さが描かれていて、女性の出産という命がけの作業の尊さが表現されています。

この話の終盤に示される、タイトルの「刹那」という言葉に込められた意味が強く胸に迫ってくるのです。

 

秘め事」は、エリンの師でもあるエサルの若かりし時代を描いた物語です。そこにはエリンの命の恩人でもあり育ての親でもあるジョウンの若かりし頃の姿もあります。

何より人を愛すること、そして愛することの尊さが描かれているのです。

 

はじめての…」では、エリンの子育ての姿が描かれます。ジェシの成長を見守る本編での男勝りのエリンとは異なる、母としてのエリンがここにはいるのです。

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は上橋菜穂子が描く親子の物語であり、恋愛小説です。

母親の自分の子へそそぐ愛情の深さの描き方が実に自然に、暖かく微笑ましく描かれています。

そして上橋菜穂子が描く恋愛小説である本書の「刹那」や「秘め事」には人間の普通の生活の中にふと訪れる異性への小さな想いが見事に言語化されて表現してあります。

自分の感覚として、人を想うという気持ちの描写として、上橋菜穂子の文章は素直に心に染み入ってくるし、納得しています。

人に対する思いやりの視線、論理的に組み立てられ、そのくせ優しさを持った上橋菜穂子の文章の美しさを堪能するしかありません。

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』とは

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第三弾で、2023年10月に講談社から352頁のソフトカバーで刊行された長編のファンタジー小説です。

これまでの二巻とはまた異なるタッチで展開される革命の物語であり、特に後半の展開はかなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』の簡単なあらすじ

 

ルミニエル座の俳優アーロウには双子の兄がいた。天才として名高い兄・リーアンに、特権階級の演出家から戯曲執筆依頼が届く。選んだ題材は、隠されたレーエンデの英雄。彼の真実を知るため、二人は旅に出る。果てまで延びる鉄道、焼きはらわれた森林、差別に慣れた人々。母に捨てられた双子が愛を見つけるとき、世界は動く。(「BOOK」データベースより)

 

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』の感想

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第三弾となる物語ですが、これまでの二巻とは異なり「演劇」を通した革命の物語でした。

これまでの二作品の持つ恋愛の要素や戦いの場面もほとんどないという全く異なる作風でもあり、あまり期待せずに読み始めたものです。

 

本書中盤までは、当初の印象のとおり前二作品との関連性もあまり感じられないままに、これといった見せ場もないため、今一つという印象さえ持っていました。

ところが、中盤以降、主役の二人がテッサの物語に触れるあたりからは俄然面白くなって来ました。

アクションはありません。古代樹の森などのファンタジックな要素さえもありません。

それどころか、本書の時代においては蒸気機関車さえ走っていて、イジョルニ人とレーエンデ人との間にはこれまで以上の落差がある時代です。

そうした時代を背景に、この物語は語られます。

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は、役者のアーロウと劇作家のリーアンという双子の兄弟の物語です。

というよりも、アーロウの視点で語られる兄弟の物語というべきでしょう。

アーロウとリーアンとはは幼いころからいつも一緒にいて互いに互いを必要とし、かばい合って生きてきていました。

しかし、二人が成長してルミニエル座に受け入れられ、そこでリーアンの劇作家としての才能が開花すると、アーロウは役者として生きていながら、リーアンに対しては嫉妬、妬みの気持ちを押さえられなくなっていくのです。

そのうちにリーアンはレーエンデの英雄テッサの物語を戯曲として書く機会を得るのでした。

 

つまり、テッサの物語から120年以上を経て、テッサたちの話は闇に葬られ歴史から消し去られていたのです。

しかし、テッサたちの物語を知ったリーアンが彼らを主人公にした戯曲を書くことを思いついたあたりから物語は大きく動き始め、私も大いにこの物語に惹き込まれていきます。

先に述べたように、心惹かれる恋愛要素も、また派手なアクションはないのですが、二人の兄弟の運命の展開に読者もまた巻き込まれ感情移入せざる得ない面白さを意識せざるを得なくなるのでした。

これまでの二巻とは全く異なる観点からレーエンデの独立を語る本書は、よくぞこうした物語を書けるものだと感心するばかりです。

次はどんな物語を提供してくれるのかと期待は膨らみます。

 

ちなみに、「多崎礼 公式blog 霧笛と灯台」によれば、本『レーエンデ国物語シリーズ』は全五巻であり、第四巻『レーエンデ国物語 夜明け前』、第五巻『レーエンデ国物語 海へ』は2024年刊行予定だということです。

期待して待ちたいと思います。

レーエンデ国物語 月と太陽

レーエンデ国物語 月と太陽』とは

 

本書『レーエンデ国物語 月と太陽』は『レーエンデ国シリーズ』の第二弾で、2023年8月に講談社からソフトカバーで刊行された、長編のファンタジー小説です。

シリーズ第一巻『レーエンデ国』にくらべ、よりアクション要素が増えている気がしますし、恋愛要素が少なくなっている分、より惹き込まれた印象です。

 

レーエンデ国物語 月と太陽』の簡単なあらすじ

 

名家の少年・ルチアーノは屋敷を何者かに襲撃され、レーエンデ東部の村にたどり着く。そこで怪力無双の少女・テッサと出会った。藁葺き屋根の村景や活気あふれる炭鉱、色とりどりの収穫祭に触れ、ルチアーノは身分を捨てて、ここで生きることを決める。しかし、その生活は長く続かなかった。村の危機を救うため、テッサは戦場に出ることを決める。ルチアーノと結婚の約束を残してー。封鎖された古代樹の森、孤島城に住む法皇、変わりゆく世界。あの日の決断が国の運命を変えたことを、二人はまだ知らない。大人のための王道ファンタジー。(「BOOK」データベースより)

 

レーエンデ国物語 月と太陽』の感想

 

本書『レーエンデ国物語 月と太陽』は、『レーエンデ国物語』の第二巻であり、第一巻と同様に聖イジョルニ帝国に対し反旗を翻した人々の物語です。

第一巻は、「レーエンデの聖母」と呼ばれることになるユリア・シュライヴァの物語と言ってもいい話でしたが、本書はその百年後の話です。

前巻での物語の後、帝国北方に位置する七州が「北方七州の乱」ののちに為したレーエンデからの独立の宣言により、聖イジョルニ帝国は南北に分裂し、長い闘いへと突入していました。

本書は、そのような状況下の聖イジョルニ帝国で、ユリアの父のヘクトル・シュライヴァの病没の約百年後にダンブロシオ・ヴァレッティ家に生まれた、のちに「残虐王」と呼ばれることになるルチアーノ・ダンブロシオ・ヴァレッティを主人公とする物語です。

 

本書『レーエンデ国物語 月と太陽』では、序章が終わって直ぐからヴァレッティ家が何者かに襲われ、燃え落ちる場面から始まります。

そして、ルチアーノはルチアーノの両親を殺し家に火をつけたという男に救出され、その男の言うままに逃走し、ティコ族の村であるダール村のテッサに助けられるのです。

ダール村ではイジョルニの民であることがばれると殺されかねないと、ルーチェという偽名を使い、暮らすことになります。

ルチアーノは、テッサの姉のアレーテやテッサ姉妹の友人であるキリルや、ウル族のイザークらと友達になります。

テッサは村の男の誰もかなわないほどの怪力の持ち主であり、ルチアーノは誰にも負けない頭脳の持ち主としてこの後の苦難を乗り越えていくのです。

 

テッサらがレーエンドの開放を叫ぶ理由は、帝国による理不尽な差別や弾圧に対する抵抗であり、そのための団結でした。

テッサは、村のために徴兵に応じて帝国軍に参画し、帝国軍第二師団第二大隊第九中隊、通称「斬り込み中隊」の異名を持つほどに常に最前線に配属されている部隊に配属され、兵士として鍛えられることになります。

そして、テッサはこの第九部隊での中隊長であるギヨム・シモンと出会い、兵士として、また人間として鍛え上げられていきます。

同様に、キリルも弓の腕を上げ、そしてイザークもまた一人前の兵士として育っていたのです。

その彼らが、郷里のダール村が帝国軍に襲われ皆殺しにあったことを聞かされ、軍隊を脱走し、ダール村の惨状を目の当たりにして帝国に対する決起を決意することになるのです。

 

この物語は、第一巻でもそうだったのですが、場面展開がかなりテンポよくなされているため、とてもリズムよく読み進めることができました。

ただ、これは賛否両論があるでしょうが、敵方である聖イジョルニ帝国側の登場人物の描き方があまり明確ではありません。

というよりも、表立ってテッサやルーチェに味方する人々、もしくは陰ながらでもレーエンデ地方の独立を願う民衆に属する人たちの描写はそれなりに書き込んであるのですが、それに敵対する人としては個人はあまり出てこないのです。

ダール村襲撃を命じた人物としては、東教区の司祭長グランコ・コシモという人物が序盤に登場しますが、その人物さえも人物像はそれほど書き込みがあるわけではありません。

そういう意味では、敵側の人物のほとんどは類型的とさえいえます。

 

でも、その分テッサやルーチェやその仲間たちの人物、行動の描写には力が入れられており、場面展開のテンポの良さなどもあって六百頁を越える長編の物語でありながら、あまりその長さを感じさせないのだと思います。

革命の物語ですから、主人公たちの原動力はやはり「自由」の獲得ということが第一義に語られます。横暴な権力に対する民衆の抵抗であり、自由獲得のための抗争です。

その自由とは、もちろん横暴な権力からの自由であり、理不尽な暴力からの自由であり、また好きな人に好きだと言える自由です。

 

こうした自由のための抗争が様々な人間ドラマと共に語られているところが本書の魅力です。

若干、単純化されすぎている印象が無きにしも非ずではありますが、その分、本書の文章がテンポ良く構成されていることになっていると思われ、単純に欠点とばかりも言えないようです。

ともあれ、本シリーズの語る革命の話は、今後も展開していくと思われ、続巻を待ちたいと思います。