彼女は弊社の泥酔ヒロイン :三友商事怪魔企画室

本書『彼女は弊社の泥酔ヒロイン :三友商事怪魔企画室』は、コミカルと言い切っていいのか不明なヒーローものの長編SF小説です。

文庫本で261頁というあまり長くない作品ですが、私の好みからは少し外れた作品でした。

 

三友商事の新入社員、中田栄子は、酒を飲むと超人的な能力を発揮する特異体質の持ち主。だが飲酒により異界から「怪魔」と呼ばれる化け物をも呼び寄せる、というジレンマがあった。その力に注目した従姉の美宇と上司の友田は、戸惑う栄子を「Aクライ・プリンセス」というスーパーヒロインに仕立て、会員制護衛ビジネスを立ち上げる―。新人OLの成長を見守るSF的お仕事小説!(「BOOK」データベースより)

 

SF小説とは書きましたが、むしろファンタジー小説といった方がよさそうなほどに科学的な根拠は全く無視した作品です。

そして、シリアスな物語とは到底言えず、しかしコミカルと言い切っていいのかは疑問で、おふざけ作品と言い切る人もいそうな、何とも形容しがたい作品でした。

主人公は中田栄子という女性で、娘とともに住む祖父の家に居候することになります。その家には従姉の美宇という娘がいて、この娘が何かと栄子の面倒を見ることになります

そして何より栄子には、酒を飲むと魔物を呼び寄せてしまい、自分はその魔物を退治するべきス―パーウーマンへと変身するという大きな秘密があったのです。

三友商事の新入社員であった栄子は、社長の息子でもある上司の友田の下で、美宇の助けを借りながら、スーパーヒロインとして会員制の護衛組織を立ち上げることになるのでした。

 

もともと、梶尾真治という作者は時間旅行ものを得意とし、更にはシリアスというよりはロマンチックな語りを得意としている作家さんだと思ってきました。

もちろん、日本SF対象を受賞した『サラマンダー殲滅』や『黄泉がえり』のようなシリアスな作品も書かれないわけでありません。

 

 

しかし、梶尾真治作品の中では本書『彼女は弊社の泥酔ヒロイン』のように「ゆるい」物語は初めて読んだような気がします。少なくともすぐに思い出せる物語はありません。

スーパーヒロインものだからというわけではありません。そのヒロインが飲酒をきっかけに変身するからというわけでもなく、物語自体の設定自体が全て「ゆるい」のです。

主人公がスーパーヒロインになる理由が曖昧なのはまあいいでしょう。

しかし、主人公の就職先での配属先が新設部署であったり、そもそも上司が二代目であり自由度が高くスーパーヒロインになる主人公を利用した事業を起こそうと考えることなど、どうにも安易です。

もちろん、その前に主人公の祖父の家である下宿先にいた従姉がスーパーヒロインオタクであり、コスチュームまで作っていたことなどまさにそうです。

そして、そうした「ゆるい」設定だから物語がドタバタコメディになっているというわけでもなく、主人公は彼女なりに深刻に悩んでいたりもします。

 

ところが、さすがに梶尾真治作品だと思い知らされます。

それは、すべてが「ゆるい」中で進行する物語の中で、主人公がスーパーヒロインに変身すること自体が化け物を呼び寄せるというユニークな設定になっていることです。

それゆえに主人公は自分がスーパーヒロインになるべき理由への疑問に加え、そもそも怪物を呼び寄せてしまう、というの自分の存在理由への根本的な謎を持つのです。

こうした点で、作者お得意の時間旅行をテーマにした物語においても、いろいろなアイデアで異なる状況下での時間旅行の物語を紡ぎだしてきた作者の力量が示されます。

そうした、妙にゆるゆるの設定の中で悩みながら、母親や祖父、そして従姉たちの力を借りつつ、「怪魔」と呼ばれる化け物を退治していく主人公が描かれるのです。

 

ただ、さすがに梶尾真治の物語としての魅力は持っているものの、個人的な好みはまた別であり、やはりすべてを肯定し面白い、とまでは思えない作品でした。

小川 一水

1975(昭和50)年岐阜県生れ。1996(平成8)年、『まずは一報ポプラパレスより』で長編デビュー(河出智紀名義)。その後、2004年『第六大陸』で星雲賞日本長編部門を受賞。2006年、「ベストSF2005」国内篇第1位獲得の『老ヴォールの惑星』所収作「漂った男」で、2011年「SFマガジン」掲載作「アリスマ王の愛した魔物」で、2014年『コロロギ岳から木星トロヤへ』でそれぞれ星雲賞を受賞。骨太な本格SF作品で活躍を続ける。その他の著書に『復活の地』『天涯の砦』『時砂の王』『フリーランチの時代』『導きの星』『煙突の上にハイヒール』、そして『天冥の標』シリーズなど多数。

小川一水 | 著者プロフィール | 新潮社

 

ずっと以前に『第六大陸』や『天冥の標』の三巻目くらいまでは読んでいたのですが、ここしばらくこの作家の作品は読んでいません。

日本には珍しい、本格的なスケールの大きいSF作品を書かれる作家さんだと思っていたのですが、何となく遠ざかっていました。

でも、多分ですが、SF好きの人にはあらためて言うまでもないほどに高名な作家さんだと思われます。

時砂の王

本書『時砂の王』は、作者の小川一水が初めて時間ものに挑んだという長編のSF小説です。

時間を遡行して過去を改変しETを撃退しようと試みる人類の姿が描かれる、文庫本で276頁という短めの作品であるにもかかわらず読みがいのある作品でした。

 

耶馬台国の女王・卑弥呼を救った〝使いの王〟は驚くべき物語を語る。二千三百年後の未来、謎の戦闘機械群により地球は壊滅、人類の完全殲滅を狙う機械群を追って彼ら人工知性体たちは絶望的な時間遡行戦を開始した。そして三世紀の耶馬台国こそが、全人類史の存亡を懸けた最終防衛線であると。著者初の時間SF 020904(「Hayakawa Online」商品詳細より)

 

ある日突然に人類を襲ってきた増殖型戦闘機械(ET:エネミー・オブ・テラ他)により、地球は滅亡してしまいます。そこで人類は時間を遡行して過去を改変することでETを撃退しようと試みるのでした。

本書『時砂の王』の主人公は未来から邪馬台国の女王卑弥呼のもとへとやってきたオーヴィルという男です。

このオーヴィルは人間ではありません。メッセンジャーと呼ばれている人工の知性体です。

この知性体には生殖と成長の能力はありませんが、耐久性と運動性が極限にまで高められ、外部情報網との連絡機能も有しています。

いわば人造人間というべきメッセンジャーが、サヤカという人間の女性に対し恋愛感情を持ち、その感情を過去でも持ち続けています。

 

こうなってくると人間とは何か、という問いかけが為されていることに気付かないではいられません。

ここで、 上田早夕里の『華竜の宮』を始めとする『オーシャンクロニクル・シリーズ』に登場する人工知性体が思い出されます。

この作品は25世紀の未来の地殻変動に襲われ水没してしまった地球を舞台にした物語で、主人公はアシスタント頭脳としてのAIを保持しています。

ここでの知性体も場合によっては人間のような身体を持つこともできます。ただ、本書のように主体的に意思を有し活動する存在ではなく、あくまで人間の補助者に過ぎないと思われ、その点では異なるでしょう。

 

 

ともあれ、本書『時砂の王』における全ての知性体は、生まれて、即ち自我を確立してから出動までのしばらくの間、人間として暮らします。それは人間としての感性を育てるためでした。

それは、「人間とは何か、社会とは何か、自分は何者であるかを考え」ることであり、自分という存在を見つめ直し、人類を救う存在として自覚させる期間でした。

その知性体であるオーヴィルが人間のサヤカに恋心を抱き、その感情自体を持て余しながらも告白し、そして戦いの場へと旅立つのです。

この旅立ちの時が衝撃的で、旅立ちの直前、将校は「この時間枝における人類は、間もなく、滅亡する」と言います。「我々のもとに未来からの援軍が到着していないから」だというのです。

そして、オーヴィルらメッセンジャーは時間戦略知性体のカッティ・サークと共に過去へと旅立つのでした。

 

本書『時砂の王』では、このように過去でも敗北を続けたオーヴィルらはさらに時間を遡行し、最終的に、紀元248年のこの時代で卑弥呼らと共にETと闘う物語です。

このメインとなる卑弥呼の時代の物語の合間に、オーヴィルの西暦2119年、1943年と遷移した過去での模様が描かれます。

この過去の夫々の時代で、人類の独善的な考え、相互不信は強く、オーヴィルらはより昔へと遡行することになります。

 

この卑弥呼の時代でも人工知性体としての存在である自分を思い知ることになります。

この時代においても、独善的な存在としての人間の本質は変わらないようです。にもかかわらず、オーヴィルらは人すら人類のためにETを相手に戦い抜きます。

そしてクライマックスへとなだれ込んでいきます。

 

こうした壮大な歴史の流れを舞台にしたSF作品といえば、 小松左京の『果しなき流れの果に 』を避けては通れません。

十億年という時の流れの中で人類の存在そのものを考察していくというスケールの大きな作品であり、日本SF界の頂点に位置する作品だと思っています。

また、 光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』も日本SF史に残る名作と言われている長編のSF小説です。

プラトンや釈迦(シッタータ)、ナザレのイエスなどを登場させ、「神」への考察を壮大な時の流れを旅するプラトンの物語として描いた作品です。

これらの二作品は日本SF作品を語る上では必読とも言える作品だと思っています。

 

 

本書『時砂の王』の設定は、久しぶりに上記に作品に迫る壮大さを持った作品だと思える物語でした。

時間旅行に伴うパラドックス、その一つの解決策である多元宇宙論を前提にしたこの物語は、クライマックスこそ疑問が無いわけではありませんが、これはこれで一つの見事な解決法といえるでしょう。

あとは好みの問題だと思います。

「多元宇宙論」に関しては下記サイトを参照してください。

D・キイス

1927年ニューヨーク生まれ。ブルックリン・カレッジで心理学を学んだ後、雑誌編集などの仕事を経てハイスクールの英語教師となる。このころから小説を書きはじめ、1959年に発表した中篇「アルジャーノンに花束を」でヒューゴー賞を受賞。これを長篇化した同名小説がネビュラ賞を受賞し、世界的ベストセラーとなった。その後、オハイオ大学で英語学と創作を教えるかたわら執筆活動を続け、話題作を次々と発表
『24人のビリー・ミリガン 下 ハヤカワ・ノンフィクション文庫』より( HMV&BOOKS online : 参照 )

アルジャーノンに花束を

D・キイス著の『アルジャーノンに花束を』は、古典SFの中でも名作と言われる長編のSF小説で、ネビュラ賞を受賞した作品です。

小尾美佐氏の見事な翻訳により、たんなるSF小説という枠組みを超えた名作と言われる理由がよく分かる、感動的な作品でした。

 

32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の先生が頭をよくしてくれるというのだ。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく…天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して知る人の心の真実とは?全世界が涙した不朽の名作。著者追悼の訳者あとがきを付した新版。(「BOOK」データベースより)

 

『アルジャーノンに花束を』はいつかは読むべき本だとは思っていながら、どちらかと言えば内容が重い作品だと聞いていたので、何となく忌避していたのかもしれません。

でも図書館で本書が目の前にあったのですぐに借りて読み終えました。そして、名作と言われるその意味が分かりました。

 

32歳になる知的障害を持つ青年チャーリー・ゴードンはIQを向上させるという手術を受けます。アルジャーノンと名付けられた実験動物のねずみは、この手術を受け劇的な知能の向上を示していました。

そして、手術を受けたチャーリーもまた高い知能を得ます。しかし、高い知能を得た代わりに失ったものもあったのです。

 

本書『アルジャーノンに花束を』は、チャーリー自身の手による経過報告という手記の体裁で物語は進むのですが、翻訳者の小尾美佐氏の翻訳の表現が見事としか言いようがありません。

当初のIQが低い状態のチャーリーの報告では句読点もないひらがなの文章であり、チャーリーがより高度な単語を覚えていくにつれ、達者な文章として綴られていくのです。

作品の内容もさることながら小尾氏の訳もまた名訳と言われているのも納得します。

 

高度な知能を獲得したチャーリーは、過去の記憶まで明瞭に取り戻し、父や母、そして妹とのやり取りをも思いだします。

息子の知的障害を認めたがらず、厳しい躾により色々なことを覚えさせようとするヒステリックな母、その母親を抑えることのできない父親、知的障害の兄を疎ましく思う妹などの蘇った記憶はチャーリーの心を深く傷つけます。

また、チャーリーが働いていたベーカリーでの仲間の仕打ち、自分に手術を施した教授、更には自分に読み書きを教えてくれていたキニアン先生への性的な欲望など、思いもよらない心の葛藤がチャーリーの心を苦しめるのです。

 

知的障害を持つ人たちへの健常者と言われる人たちの視線、感情等がむき出しにされていき、経過報告を読んでいる読者は常に自らの行いを見つめ直させられます。

人間の持つ弱者に対する優しさと傲慢さとが差別を受ける人間の目線で語られていくのですが、それは知的障害を持たない我々への警鐘にもなっているのです。

そしてクライマックスを迎える過程でチャーリーの人間としての存在が、誇りが読者の前に突きつけられ、経過報告のしめくくりに至るのですが、この最後2行には心を打たれ、いつまでも心から消えません。

爽やかな読後感とは行きませんが、どこまでもやさしいチャーリーの言葉に救いを見つけたいと思います。

 

私が読んだ『アルジャーノンに花束を』新刊書には谷口高夫氏の解説が付属していたのですが、この解説がまた素晴らしかった。

主人公の内心の葛藤についての解説は勿論のこと、SFというジャンルが「架空世界から現実世界へと向かうベクトルが働いていた」時代に、「限りなく地表に向かって近付いて行って成立した」のがこの作品だという話には、大いに納得させられました。

 

SFというジャンルだからというわけではなく、一編の文学作品として是非読んでもらいたいと思う作品でした。

四畳半タイムマシンブルース

本書『四畳半タイムマシンブルース』は、昨日へ戻りこわれる前のクーラーのリモコンを手に入れようとするタイムトラベルものの長編のSF青春小説です。

まるでハチャメチャなドタバタコメディではあるけれど、どことなくノスタルジーを感じさせる、面白い作品でもありました。

 

炎熱地獄と化した真夏の京都で、学生アパートに唯一のエアコンが動かなくなった。妖怪のごとき悪友・小津が昨夜リモコンを水没させたのだ。残りの夏をどうやって過ごせというのか?「私」がひそかに想いを寄せるクールビューティ・明石さんと対策を協議しているとき、なんともモッサリした風貌の男子学生が現れた。なんと彼は25年後の未来からタイムマシンに乗ってやってきたという。そのとき「私」に天才的なひらめきが訪れた。このタイムマシンで昨日に戻って、壊れる前のリモコンを持ってくればいい!小津たちが昨日の世界を勝手気ままに改変するのを目の当たりにした「私」は、世界消滅の危機を予感する。『四畳半神話大系』と『サマータイムマシン・ブルース』が悪魔合体?小説家と劇作家の熱いコラボレーションが実現!(「BOOK」データベースより)

 

本書『四畳半タイムマシンブルース』は、まさにドタバタ劇という他ない、支離滅裂な作品です。この点ですぐに思い出したのは筒井康隆の『日本列島七曲』などのスラプスティックコメディ小説です。

日常という言葉をどこかに置き忘れたかのような、普通ではない人々が普通ではない行いの末に普通ではない結果を引き起こすコメディです。

そこにタイムトラベルものを組み合わせるのですから、ドタバタ度はさらに増します。

 

 

そもそも時間旅行の話は、「もしも・・・・」という仮定の話の面白さと共に、そこに包含される過去の改変に伴う現実との不整合の発生というタイムパラドックスの問題があるから物語のテーマとして面白いのでしょう。

そのタイムパラドックスを、部屋のポンコツクーラーのリモコンの修理、さらには無くなったシャンプーの行方を探るという卑近な事実に適用し遊ぼうとするのです。

もしかしたら宇宙の存在自体の消滅という大変な事態を招きかねない事象を、リモコンの修理、シャンプーの行方の探索に利用しようとするその発想自体ふざけています。

 

タイムトラベルものの作品と言えば、いつもは R・A・ハインラインを挙げるのですが、ここでは 畑野智美の『タイムマシンでは、行けない明日』を紹介します。

この作品は自動車事故のために帰らぬ人となってしまった初恋の人の死を回避しようとする若者の姿を軽やかに、屈託なく描いたSF恋愛小説で、丁寧に張られた伏線を回収していくさまが心地よい作品でした。

漫才師キングコングの西野亮廣がカバーイラストを担当していて、本書『四畳半タイムマシンブルース』とはかなり趣きが異なる作品です。

 

 

本書『四畳半タイムマシンブルース』は、上田誠により舞台化されていた話を作者の森見登美彦が自身の『四畳半神話大系』という小説に登場していた人物らを使って小説化したものだそうです。

この『四畳半神話大系』は、2005年に書き下ろし刊行された作品です。詳しくは下記「KAI-YOU.net」を参照してください。

京都市を舞台に、男子大学生である主人公の「私」が悪友・小津に振り回されながらも充実した光り輝く大学生活を送ろうと、クールな後輩・明石さんに近づこうとしたり、いくつもの並行世界に迷い込み、異なるサークルに入ったりとあがき続ける物語。
引用元:KAI-YOU.net

 

ここで名の上がった「小津」という人物が強烈で、まさに「私」にとっての悪魔的な人物です。

 

 

かれの行動を中心として本書『四畳半タイムマシンブルース』でも仲間たちが振り回されることになるのですが、その仲間自体が強烈な個性を持つ人物らばかりです。

まず、本書『四畳半タイムマシンブルース』の主人公は京都の某大学の三回生の「」であり、おんぼろアパート「下鴨幽水荘」の209号室に住む住人です。

この下鴨幽水荘のヌシと言われているのが樋口氏で、「私」の一年後輩でひたすらポンコツ映画を量産する明石さんは樋口氏を師匠と呼んでいます。

明石さんの所属する映画サークルのボスが城ケ崎氏で、また樋口氏、城ケ崎氏の知人であるらしい近所の医院に勤める歯科衛生士の羽貫さんがいます。

そして、「私」の同期生で「私」にとってのメフィストフェレスの小津がいて、二十五年後の未来からタイムマシンでやってきたもっさりとした男がこの騒動の元凶ともいえる、田村くんです。

 

こられの登場人物が、突如現れたタイムマシンを利用してクーラーの復活を目指し、昨日へとなだれ込んで大騒動を巻き起こします。

その騒動の中にタイムパラドックスを仕掛けるのですから大変です。タイムパラドックスに伴う論理上の破綻がないように、緻密に組み立てなければならないからです。

タイムパラドックスが仕掛けられたほとんどの場合は、「鶏が先か卵が先か」の問題の解決がつかないままに終わってしまいます。

そしてそのことは本書においても妥当し、リモコンの最初の出どころはどこなのか、本書では触れられていません。

しかしながら、そのこと自体は本書『四畳半タイムマシンブルース』の面白さに何の影も落としてはいないのです。

単純に、自分の青春時代と重ね合わせ、そして自分の青春時代にタイプスリップして楽しめばいいのだと、作者は言っているようです。

三体Ⅱ 黒暗森林

本書『三体Ⅱ 黒暗森林』(上・下)は、中国発のSF小説『三体シリーズ』の第二部にあたる長編小説です。

当初、上巻の読み始めでは、第一部『三体』に比して物語世界の構築が普通であり、SFらしい小道具もあまりなく面白味に欠けるなどの印象を持っていました。

しかし、上巻を読み終えるときには下巻を読むのが待ち遠しいほどになっており、そして下巻を読み終えた今では久しぶりのSFらしいSFを読んだ感動に浸っています。

 

人類に絶望した天体物理学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)が宇宙に向けて発信したメッセージは、三つの太陽を持つ異星文明・三体世界に届いた。新天地を求める三体文明は、千隻を超える侵略艦隊を組織し、地球へと送り出す。太陽系到達は四百数十年後。人類よりはるかに進んだ技術力を持つ三体艦隊との対決という未曾有の危機に直面した人類は、国連惑星防衛理事会(PDC)を設立し、防衛計画の柱となる宇宙軍を創設する。だが、人類のあらゆる活動は三体文明から送り込まれた極微スーパーコンピュータ・智子(ソフォン)に監視されていた! このままでは三体艦隊との“終末決戦”に敗北することは必定。絶望的な状況を打開するため、前代未聞の「面壁計画(ウォールフェイサー・プロジェクト)」が発動。人類の命運は、四人の面壁者に託される。そして、葉文潔から“宇宙社会学の公理”を託された羅輯(ルオ・ジー)の決断とは? 中国で三部作合計2100万部を突破。日本でも第一部だけで13万部を売り上げた超話題作〈三体〉の第二部、ついに刊行!(上巻 : Amazon 紹介文 )

三体世界の巨大艦隊は、刻一刻と太陽系に迫りつつあった。地球文明をはるかに超える技術力を持つ侵略者に対抗する最後の希望は、四人の面壁者(ウォールフェイサー)。人類を救うための秘策は、智子(ソフォン)にも覗き見ることができない、彼らの頭の中だけにある。面壁者の中でただひとり無名の男、羅輯(ルオ・ジー)が考え出した起死回生の“呪文”とは&? lt; br&/gt; 二百年後、人工冬眠から蘇生した羅輯は、かつて自分の警護を担当していた史強(シー・チアン)と再会し、激変した未来社会に驚嘆する。二千隻余から成る太陽系艦隊に、いよいよ出撃の時が近づいていた。< br&/gt; 一方、かつて宇宙軍創設に関わった章北海(ジャン・ベイハイ)も、同じく人工冬眠から目醒め、ある決意を胸に、最新鋭の宇宙戦艦に乗り組むが……。< br&/gt; アジアで初のヒューゴー賞長篇部門に輝いた現代中国最大のヒット作『三体』待望の第二部、衝撃の終幕!(下巻 : Amazon 紹介文 )

 

 
『三体シリーズ』第二部『三体Ⅱ 黒暗森林』の主な主な登場人物
 
羅輯(ルオ・ジー/よう・ぶんけつ) もと天文学者 社会学の大学教授
荘顔(ジュアン・イエン/そう・がん) 中国画専攻の学生

史強(シー・チアン/し・きょう) 羅輯の警護担当。元警察官。通称・大史(ダーシー)
章北海(ジャン・ベイハイ/しょう・ほっかい) 中国海軍空母艦長
常偉思(チャン・ウェイスー/じょう・いし)  宇宙軍司令官

フレデリック・タイラー 元米国国防長杏 面壁者
レイ・ディアス     前ベネズエラ大統領 面壁者
ビル・ハインズ     科学者、元欧州委員会委員長 面壁者

 

本書『三体Ⅱ黒暗森林』は、前巻『三体』にも増して読者を興奮の坩堝に放り込んでくれる作品でした。

つまり、本書は基本的にハードSF小説として分類される多様な未来の技術に関する描写をも詳細に織り込んでいる小説です。

でありながら、ある面ではスペースオペラタッチの派手な活劇場面があり、また未来社会の様子を描くユートピア小説の一面も見せています。また、そこから一転、ディストピア小説へ変移しながら、小松左京の作品ような未来社会の体制までをも織り込んだ、非常に多面的な内容となっているのです。

 

シリーズ第二部の本書『黒暗森林』の中でもまた第一部から第三部まであります。

その第一部「面壁者」では、人間の脳内だけが「智子(ソフォン)」にも探知不可だとして人類の運命を四人の面壁者(ウォールフェイサー)に託すこととします。

第二部「呪文」に入ると、四人の面壁者の行動が描かれますが、良くも悪くも羅輯の呪文だけが不明のまま残されます。

第三部「黒暗森林」に入るとこの物語の様相が一変し、この壮大な物語が一応の結末を見ます。

こうして『三体Ⅱ 黒暗森林』は七百頁近くのボリュームを有する上下二巻の作品でありながら、だれることもなく読者の関心を維持させたまま、より興味を掻き立てながら進行していくのです。

 

本書『三体Ⅱ 黒暗森林』でもSF小説の魅力の一つであるガジェットが満載です。

その一つとして、まるでエヴァンゲリオン搭乗員の乗るエントリープラグのような液体呼吸の仕組みがあります。この技術自体は現在既に開発されていて、「液体呼吸」という名で調べるとすぐに見つかります( Discovery : 参照 )。

また、第一巻から登場している「智子」のようなテクノロジーの粋の一つとしてある「人工星間雲」というものも登場します。恒星型水素爆弾の爆発により拡散された油膜物質から形成される星間雲であり、太陽の直系よりも大きなナノ粒子として展開されるのです。

気になった言葉(訳語)として「大峡谷」という言葉が出てきます。羅輯が冬眠している間に訪れた、とてつもない経済危機を指す言葉として訳者が選んだそうです。ちょっとわかりにくかったので書いておきます。

 

本書『三体Ⅱ 黒暗森林』という物語の中で最も重要な位置を占めるのが、羅輯によって示される宇宙文明における二つの公理です。

それは「その一、生存は文明の第一欲求である。その二、文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量は常に一定である。」というものです。

この公理は現在の私たちの世界を示しているようでもあって、どうにも心の底から納得できる公理だとは思えず、その論理的な必然として本書の展開に結びつくものなのかは疑問があります。

本書『黒暗森林』の「解説」で日本在住の中華人民共和国の推理作家の陸秋槎氏は、「劉慈欣は複雑な問題を二項対立に単純化することが得意」だと書いておられます。

ここらを手掛かりにこの論理を論破できそうな気もするのですが、私には無理のようです。

 

それはともかく、本シリーズ第二部の本書『黒暗森林』では、三体世界による地球侵攻を控え三体世界の高度なテクノロジーが描かれ、それに対して地球における四人の面壁者により展開される技術的にも壮大な仕掛けが示されるなど、SFとしての魅力にあふれた物語となっています。

その過程はある種のミステリアスな展開であり、そういう意味でも読者の関心は最後まで失われることはありません。

酉島 伝法

1970年大阪府生まれ。小説家、イラストレーター。2011年、「皆勤の徒」で第2回創元SF短編賞を受賞。
13年刊行の第一作品集『皆勤の徒』は『SFが読みたい! 2014年版』のベストSF2013国内篇で第1位となり、第34回日本SF大賞を受賞したほか、15年に〈本の雑誌が選ぶ21世紀のSFベスト100〉で第1位を獲得、『SFが読みたい! 2020年版』の〈2010年代SFベスト〉でも第1位となった。18年3月には英訳版も刊行され話題となった。
19年刊行の第一長編『宿借りの星』は第40回日本SF大賞を受賞した。(東京創元社 : 参照)

皆勤の徒

本書『皆勤の徒』は、独特の感性で書かれた、全四編の短編からなっている日本SF大賞を受賞した短編小説集です。もしかしたら中編といった方がいいかもしれない長さではあります。

有機的な質感を全編に漂わせた表題作「皆勤の徒」をはじめ、その独特な感性は読者を選ぶと思われ、事実、私は最後まで読み通すことができませんでした。

 

高さ100メートルの巨大な鉄柱が支える小さな甲板の上に、“会社”は建っていた。雇用主である社長は“人間”と呼ばれる不定形の大型生物だ。甲板上とそれを取り巻く泥土の海だけが語り手の世界であり、日々の勤めは平穏ではない―第2回創元SF短編賞受賞の表題作にはじまる全4編。奇怪な造語に彩られた異形の未来が読者の前に立ち現れる。日本SF大賞受賞作、待望の文庫化。(「BOOK」データベースより)

 


 

この本は、大多数の人は訳が分からずに投げ出すのではなかろうか、と思わせるそんな本です。なにせ、文章そのものが造語で成り立っており、その造語の意味も、また臓物感満載のその世界観にしても何の説明も無いのですから。

前述のように、私は最初の短編「皆勤の徒」の途中で投げ出してしまいました。

その後、あとがきを読んでみたのですが、すると驚くことに大森望氏の解説には「表題作を途中まで読んで挫折しそうになり、なんらかの助けを求めてこの解説のページを開いた人には、四作目の「百々似隊商」を先に読むことをお薦めする」とありました。

解説者の先見性というべきか、洞察力というべきか分かりませんが、その能力は大したもので、解説者の見越した通りの行動を私はとっていたことになります。

 

ということで、四作目の「百々似隊商」を先に読んで、表題作でもある一作目の「皆勤の徒」も読み終えました。そして、二作目の「洞(うつお)の街」を途中まで読み、やはり意味が分からなくなって止めてしまったのです。

解説には造語の意味も、世界観の解説もそれなりにしてあって、確かに実にSFらしいSFではあり、この設定を理解して読めばかなり面白い小説なのだろうな、という感じはあります。

不気味なこの世界の背景には良く練り上げられたSFの世界がきちんと構築されているらしいのです。

 

しかし、やはり造語の意味を現代の言葉で通るように変換しつつ読むというのは実に面倒であり、読み手がそうした努力を強いられる小説で良いのかという疑問にさらされることになりました。

まあ、こういう変換をしながら読むという行為自体が間違っていて、この作者の感性を受け入れていたら、こうした読み方はしないものでしょう。

でも、面白さの基準が「読んでいる間を幸せな時間と感じられるか否か」という基準で判断する私にとっては決して面白い小説ではありませんでした。

 

当初にも書いたように、読み手はかなり限定されると思います。表題作である「皆勤の徒」が第二回創元SF短編賞を受賞したこと自体、この物語の意味を汲み取ることのできる選者の頭の良さに感心するばかりです。

「SFにストーリーやキャラクター以上のものを求める読者にとっては、最大級の興奮が待っている。」らしいのですが、若い頃ならともかく、今の私にはとても無理でした。

 

ただ、本書『皆勤の徒』を最初に読んだ二千十四年から六年を経た二千二十年の現在、少々考えが変わってきていてもう一度読んでみたい気になっているのが不思議です。そのうちに再読してみましょう。

小川 哲

渋谷教育学園幕張高等学校から東京大学理科一類を経て東京大学教養学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。数学者・論理学者のアラン・チューリングについて研究した。博士課程2年時の2015年、投稿作「ユートロニカのこちら側」が第3回ハヤカワSFコンテストで〈大賞〉を受賞し、作家デビューした。
2017年の『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞受賞、第39回吉川英治文学新人賞候補[6]、第31回山本周五郎賞受賞[7]。2020年には『嘘と正典』(早川書房)が第162回直木三十五賞の候補作となった。(ウィキペディア : 参照)