ダーク・タワー [ DVD ]

ニューヨーク。
少年ジェイクは毎夜同じ夢にうなされていた。
“巨大なタワー”“拳銃使いの戦士”そして“魔術を操る黒衣の男”…ある日、ジェイクは現実世界と夢で見た≪中間世界≫と呼ばれる異界が時空を超えて繋がっている場所を発見する。
中間世界に導かれたジェイクは、そこで拳銃使い<ガンスリンガー>に出会う。
彼は2つの世界のバランスを保つ塔=ダークタワーを守る最後の戦士であり、タワーの破壊を目論む<黒衣の男>を倒すため旅を続けていた。
一方、ジェイクが特殊な能力を秘めた存在であることに気づいた黒衣の男は、その強大なパワーを求め、ジェイクたちの前に立ちはだかる。
いま、ガンスリンガーと黒衣の男が相まみえる! !( Amazon 商品の説明 )

 

この作品の原作の『ダーク・タワー』の項で、原作の映画化について「この壮大な世界が壊れることが怖い気がします。」と書きましたが、残念ながらその心配は当たってしまいました。

原作の文庫本で全十六冊にもなる『ダーク・タワー』を九十五分という短い時間に収めるということが不可能なのでしょう。

出来上がった映画は全く別の作品でした。

 

ローランドが黒人が演じていること自体は別に何の問題もありません。

また、本映画版『ダーク・タワー』に出てくる「悪」を代表する“黒衣の男”を演じているマシュー・マコノヒーもそれなりに悪くないと思いました。

ただ、そもそもこの映画の脚本、もしくは演出上表現されている“黒衣の男”は、単にC級のSF映画に出てくる魔法使いでした。

また、その手下もチンピラであったり、造形の下手なクリーチャーに過ぎなかったりと、C級映画以下の出来としか思えませんでした。

原作の持つ、異世界における現実世界との差異、“黒衣の男”の不気味さなどは全くないのです。

 

残念ながら原作とは全く別物と考えるしかないと思います。

鹿の王 水底の橋

黒狼熱大流行の危機が去り、東乎瑠帝国では、次期皇帝争いが勃発。様々な思惑が密かに蠢きはじめているとは知らずオタワルの天才医術師ホッサルは、祭司医・真那の招きに応じて、恋人ミラルとともに清心教医術の発祥の地・安房那領へと向かう。ホッサルはそこで、清心教医術に秘められた驚くべき歴史を知るが、思いがけぬ成り行きで、次期皇帝争いに巻き込まれていき!?ふたつの医術の対立を軸に、人の命と医療の在り方を描いた傑作エンタテインメント!(「BOOK」データベースより)

 

2015年本屋大賞を受賞した『鹿の王』の続編となる長編のファンタジー小説です。

 

とはいっても、本書だけの独立した物語、といっても過言ではありません。前作を読んでいなくても本書だけで充分面白く読むことができます。

前作では主人公としては戦士のヴァンと孤児のユナがいて、そしてもう一人の主人公として東乎瑠(ツオル)帝国の医術師ホッサルがいました。

本書はその医術師ホッサルひとりが主人公であり、ヴァンらは全く出てきません。

 

そして、医師であるホッサルが主人公ということは、本書のテーマが医療、もしくは生命であることにも繋がります。

前作でも医療についての深い考察がなされ、それが日本医療小説大賞の受賞にも結び付きましたが、本書でも前作に劣らない設定が為されています。

 

東乎瑠帝国では皇帝の後継者問題で揺れていました。現皇帝那多瑠帝の娘婿である比羅宇候と、那多瑠帝の弟である由吏候とが次期皇帝候補として有力者として囁かれていたのです。

その争いはホッサルたちにも無関係ではありませんでした。というのも、皇帝になる人物次第で帝国内でオタワル医術や清心教医術に対する対応が異なっていたからです。

すなわち、比羅宇候は宮廷祭司医長の最有力候補である津雅那の後ろ盾であるし、由吏候はオタワル医術の庇護者だとみられていたのです。

そのため、東乎瑠(ツオル)帝国の後継者問題は清心教医師団とオタワル医師団にとっても死活問題であり、ホッサルらもそうした世の動きに巻き込まれ、いやでも政治との関係を考えないわけにはいかないのです。

 

本書の帯にも書かれている、「なにより大切にせねばならぬ人の命。その命を守る治療ができぬよう政治という手が私を縛るのであれば、私は政治と戦わねばなりません。」というホッサルの言葉は、俗事に惑わされずに医療に専念したい気持ちを表しています。

こうして、本書ではオタワル医術と、東乎瑠(ツオル)帝国の医術である清心教の宮廷祭司医との対立を中心に、「医療」をテーマに物語が展開するのです。

誤解を恐れずに簡単にまとめると、オタワル医術は究極的には患者の命を救うためにはあらゆる手段を尽くすべきという立場であり、清心教の医師団は、病は人間の体の穢れを原因とするのであり、禁忌を犯して命を救ってもあの世での幸せな後生を得ることはできないとします。

 

ここで大事なのは、両者ともに患者のことを真摯に考え、患者のためにはどうすればいいのかを第一義に考えている点では同じだということです。

上橋菜穂子という作家の紡ぎだす物語の世界は、物語の社会が見事なまでに構築されています。

トールキンのファンタジーの名作『指輪物語』でも物語の舞台となる世界が、架空の言語まで作り上げられていて、比類なきファンタジーとして成立していたように、上橋菜穂子の紡ぎだす世界は細部まできちんと積み上げられていて、登場人物らの行動もその社会の中で必然として存在しています。

 

 

そうした舞台背景があってこその物語であり、それぞれの立場での主張がそれなりに正当性をもって繰り広げられる様は読んでいてとても心地よいものです。

どちらか一つの価値観だけを押し付けられるのではない、お互いの主張にそれなりの根拠づけがなされ、その上で相手を論破していく。

そうした過程を経て導かれる結論は読み手の心にこれ以上はないほどに迫ってきて、大きな感動をもたらしてくれるのです。

本音を言えば、前作の続編として、ヴァンやユナらのその後を読みたい気持ちももちろんあります。しかし、本書は本書として感動的な作品として見事に前作の流れを引き継いでいます。

更なる続編を読みたいというのは作者の苦労を知らない読者の勝手でしょうが、読みたいです。続編を期待します。

黄泉がえりagain

あの大地震から二年。熊本で、死者が次々生き返る“黄泉がえり”現象が再び発生した。亡くなった家族や恋人が帰還し、驚きつつ歓迎する人々。だが、彼らは何のために戻ってきたのだろう。元・記者の川田平太は、前回黄泉がえった男とその妻の間に生まれた、女子高生のいずみがその鍵を握ると知るのだが。大切な人を想う気持ちが起こした奇跡は、予想を遙かに超えたクライマックスへ―。(「BOOK」データベースより)

 

梶尾真治著の『黄泉がえりagain』は、かつて映画化もされたベストセラー『黄泉がえり』の続編の長編のSF小説です。

 

その『黄泉がえり』には、「益城町下を走る布田川活断層の熊本市寄りの地域」で「震度7の揺れ」が起きかけるという、まるで2016年に発生した熊本地震を予言したかのような設定があったそうです。私は全く忘れていました。

もちろん偶然ですが、この熊本地震をきっかけに本書『黄泉がえりagain』が書かれたそうで、小説は『熊本日日新聞』土曜夕刊に、1999年4月10日から2000年4月1日まで連載されました。

 

 

前回の「黄泉がえり」から十七年、熊本の街に再び黄泉がえり現象がおきます。

本書の中心人物の一人で『黄泉がえり』にも登場していて今はフリーランスのライターである川田平太は、二年前に死んだはずの母親が黄泉がえったことを知ります。

そこに肥之國日報時代の後輩の室底から連絡が入り、調べてみると熊本市電のB系統沿線で黄泉がえりが発生していること、今回の黄泉がえり現象の中心にいるのは一人の女子高校生であることに気が付きます。

また、意外な人物も黄泉がえり、前回の黄泉がえりとは少々その様相を異にしていることが次第に明らかになっていくのでした。

 

今回の黄泉がえりは前回ほどのロマン性はないと言っていいかもしれません。黄泉がえりという不可思議な現象自体は超生命体の存在という一応の解明がなされているので、今回は何故再び黄泉がえり現象が起きたのか、という点に焦点が当たっています。

途中、本書の現象の中心に位置する一人の女子高生をめぐる出来事が起きたりもしますが、そのこと自体はあまり意味を持ちません。その出来事自体は尻切れトンボと言ってもいいほどです。

すべてはクライマックスに向かって突き進みます。ただ、その過程の描き方がいかにも梶尾真治であり、熊本に、そして人間に対する優しさに満ち溢れているのです。

 

本書は「熊本」が舞台で、それも熊本地震がテーマであるため、実際熊本地震に遭遇した私にとっては一段と身近に感じられる小説でした。

事実、本書の冒頭で、ある女性の、「秘密のケンミンSHOW」を見ていた、という一文がありますが、まさに前震が来たとき、私も家族とともに「秘密のケンミンSHOW」を見ていました。そして、その翌日の深夜(16日)に本震が来たのでした。

さらに言えば、熊本城内にある「熊本城稲荷神社」についても書かれていますが、この神社の先代宮司は私の飲み友達でもありました。若い頃に、仲間とグループを作り飲み歩いた仲間でしたが、先年若くして逝ってしまったのは残念です。

そしてもう一点。本書には天草をかすめ宇土半島方向から上陸した1991年の19号台風、通称「りんご台風」についての記述があります。

私も熊本に被害をもたらした台風が1991年の19号台風だとずっと信じていたのですが、調べてみるとこの19号台風は長崎の佐世保付近に上陸していて、宇土半島付近には上陸していません。この点は作者の勘違いなのか、私のさらなる間違いなのか、定かではありません。

 

話題が本書から離れてしまいましたが、本書の「解説」の中で大矢博子氏は、本書の主人公は「熊本」だ、と書いておられますが、まさにその通りだと思います。

以上述べてきたように熊本という街が舞台になっていることもそうではあるのですが、梶尾真治という作家は、熊本県民の、「熊本」という地方の再生に対する“思い”そのものを描いていると思うからです。

そんな「思い」を実感したのが、地震に関する情報が整理されていく中で、熊本城の悲惨な状況を見て胸が苦しくなったのを感じたときでした。熊本のシンボルとは言っても、まさかこのような哀しみにとらわれるとは自分でも意外でした。

周りの人たちにしても、自分の家の復旧も大変なのに、熊本城の復旧に多額の費用を費やすことに異論を聞いたことがありません。それだけ、熊本城が市民、県民の心に息づいているものだと、あらためて思い知らされたものでした。

 

本書では、ネタバレにはならないと思うので書きますが、その熊本城の築城主である加藤清正が登場してきます。

熊本県民が清正公(せいしょこ)さんと親しみを込めて呼ぶ清正公は、思いのほかに熊本市民、熊本県民の心に根差しているのです。ただ、本書での加藤清正に対する登場人物たちの思い入れを、他の地方の読者にどれだけ分かってもらえるのだろうか、その点に若干の心配があります。

 

今回、再び黄泉がえりが始まったのは何故か。物語はクライマックスに向けてテンポよく進みます。

その結末そのものは納得がいくかどうかはさておいても、少々まとまりが良すぎる気もします。

とはいえ、素直に考えれば文句を言う方がおかしいのであり、そうした感想は一読者の身勝手な感想でしかないでしょう。

テュポーンの楽園

東京都阪納市安須。人口約900人のごく平凡な山間の街で、大規模な洗脳のような異変が発生した。政府は警視庁SIT(捜査一課特殊班)を送りこみ、それに女性陸上自衛官・織見奈々も同行する。だが、精鋭揃いの警察官たちは、何ものかの襲撃により、次々と姿を消していく。そこには想像を絶する怪物「テュポーン」が潜んでいた―!バイオホラー、ミリタリー、アクション、モンスター―あらゆる要素を備えた、圧倒的スケールのエンタテインメント巨編!(「BOOK」データベースより)

 

本書『テュポーンの楽園』は、いわゆるマッドサイエンティストものと言われる長編のノンストップホラー小説です。

 

東京都阪納市という街を舞台に、「テュポーン」と名付けられた異形の生物を相手に戦う警察、自衛隊の姿が描かれています。

「テュポーン」とは、大地の女神ガイアから生まれたといわれるギリシャ神話に登場する神で、怪物たちの王だそうで、それほどに強烈な怪物だということでしょう。

 

「異形の生物」相手の闘争といえば、まず思い浮かべるのは D・R・クーンツという作家です。『ファントム』という作品で描かれていたのは町の住民が居なくなってしまう状態であり、「太古からの敵」という正体不明の存在が描かれていました。

 

 

他に ロバート・R・マキャモンF.P・ウィルスンなども挙げることができ、彼らのエンターテイメント性が高く、スピーディーな展開を見せる作品群は、モダンホラーとも呼ばれていました。

モダンホラーといえば スティーブン・キングがいますが、彼の作品とはとは少々異なり、よりエンターテイメント性の高い作品群だと思います。

日本で言うと、 夢枕獏の『サイコダイバー・シリーズ』や 菊地秀行の『魔界行シリーズ』などのエンターテイメント性の高い、エロスとバイオレンスに彩られた作品群が発表されています。

 

 

なかでも本書『テュポーンの楽園』の作者である梅原克文という作家の『二重螺旋の悪魔』や『ソリトンの悪魔』は、本人はSFとは呼ばないそうですが、より客観的であり、SF的であったと思います。

 

 

 

このように、本書は梅原克文という作家が一番得意とする分野だと思うのですが、残念ながら本書はかなり冗長な作品だったといわざるを得ません。

とにかく書き込まれている情報量はものすごいものがあります。巻末に挙げられている参考資料も、警察や自衛隊関連の資料に加えて脳科学の資料など、合わせて四十冊を超える書名が挙げられています。

本書の描写は、そうした取材の過程で作者が気に入ったエピソードや知識のすべてを網羅しているのではないかと思うほどに詳細です。

例えば、自然界には微生物が寄生して宿主の行動を操る実例が多数あるとして、トキソプラズマや冬虫夏草、腸内細菌などについて三頁以上にわたって述べてあります。

こうした自然界の実例や、自衛隊の備品、装備などが登場するたびに詳しく説明してあるのですから、そちら方面に関心のあるマニアックな読者は別でしょうが、もう少し簡潔に書いてもらえればと思ったものです。

この緻密な描写が、決してうまいとは思えない武骨な文章で積み上げられ、原稿用紙1700枚、2段組645頁という分量になっているのです。

 

ただ、治安出動、防衛出動の場面においての、それぞれの法的根拠や責任の所在の問題など、普通一般人の思考の範囲外にある事柄も説明してあり、そうした場面は私も関心のあるところでしたので、引き込まれてしまいました。

 

自衛隊の出動という場面に限って言えば、 安生正の『ゼロの迎撃』などでも国内における戦闘行為の難しさを描いてありました。近年、「シン・ゴジラ」で描かれた政府内の描写がかなり高く評価されていましたが、あれが実情なのでしょう。

 

 

本書に盛り込まれている情報は、ガイア理論などあまり実用的とは思えない考え方も紹介してありますが、先に述べた治安出動時の問題点や、日本国内における電波帯域の制限の問題など実は大切な問題もかなり含まれていそうです。

 

物語としてみると、これまで述べた冗長性の他に、描かれている警察官や自衛官が少々感情的ではないかと思われる違和感はありました。

一般自衛官ではなく、それなりの訓練を受けた空挺部隊や警察官にしてもSITなどの専門家は指揮命令下の反応はかなり厳密だと聞いたことがあり、本書で描かれている様子は、私が聞いた実情とは少々異なると思えます。

特に、個々の隊員の撤退命令に対する反応や、何よりもクライマックス近くの師団長の言葉に対する幕僚らの反応などは軍人の態度ではないと思われるのです。

 

更に一点疑問点を述べるとすれば、これだけの大事件であるのに、行政などへの助言者として描かれている科学者が織見奈々の父親である黒田玄造しかいないことでしょうか。いくら何でもそれはないと思うのですが。

 

本書『テュポーンの楽園』を全体としてみると冗長という一点に尽きます。しかしながら、クライマックス近くになってくると物語のテンポが急激に上がり、リズムが良くなります。説明的な文章が無くなっているからでしょう。

梅原克文という作家は、個人的にはかなり押している作家さんですが、ここ数作の『心臓狩り』や『カムナビ』はあまり出来がいいとは思えませんでした。

 

 

本作はそれらの作品よりはいいとは思うのですが、それでも全力で面白いから読んでくださいとまでは言えないのです。

とはいえ、本書のような視点の作品は私の好みの分野でもありこれからも読み続けたい作家さんの一人です。

神坐す山の物語

奥多摩の御嶽山にある神官屋敷で物語られる、怪談めいた夜語り。著者が少年の頃、伯母から聞かされたのは、怖いけれど惹きこまれる話ばかりだった。切なさにほろりと涙が出る浅田版遠野物語ともいうべき御嶽山物語(「BOOK」データベースより)

 

柳田国男の『遠野物語』を思わせる、浅田次郎の描き出す怪異譚で構成される短編集です。本書のタイトルは「かみいますやまの・・・」と読むそうです。

 


 

神上がりましし伯父
作者と思われる語り手(主人公)自身の体験。普通の人には見えないものが見える霊力を持った自分が、自分に会いに来た伯父の姿を見て、伯父の死を知る。

兵隊宿
主人公の祖母イツの語る、雪の降る夜に行方不明者を探していた砲兵隊の物語。

天狗の嫁
主人公が語る、主人公の母親のすぐ上の姉である少女のように小柄なカムロ伯母の、嵐(伊勢湾台風)の夜などの思い出


主人公の母親とは親子ほどにも歳が離れていたちとせ伯母が寝物語に語る、夏の新月の晩にやってきた喜善坊と名乗る修験者の話。

見知らぬ少年
主人公自身が出会った、かしこと名乗る一人の少年とのひと夏の物語。

宵宮の客
ちとせ伯母が寝物語に語る、一夜の宿を求めてやってきた一人の男の物語。

天井裏の春子
ちとせ伯母が寝物語に語る、狐が憑いた、仮に春子と呼ばれたモダンガールの物語。

 

どの物語も、これまでに私が読んできた浅田次郎の作品とは毛色が異なった作品集でした。

 

先に『遠野物語』のようだとは書きましたが、私は遠野物語を読んだことはなく、本書「あとがき」などで記されている言葉をもとに分かりやすいかと思い書いたものです。つまりは、不思議物語集だということです。

 

 

本書の舞台は東京都の西部にある「御嶽山(みたけさん)」山頂の武蔵御嶽神社です。高名な木曽の「御嶽」との混同を避け、「ミタケ」と読ませたのだろう、と本文中にありました。

この神社が作者浅田次郎の母方の実家であったそうで、本書「あとがき」での作者の言葉によれば、浅田次郎の作品である『あやし うらめし あなかなし』に収録された「赤い絆」と「お狐様の話」のモチーフとなった出来事はすべてこの神社を舞台にした本当にあったこと、だといいます。

 

 

本書は、それらの物語と同列の短編ということになります。

聞き語りの形式で書かれている「あとがき」で、聞き手東雅夫氏の「ストーリーは、どの程度脚色されたのでしょうか」という質問に対し、著者は、「神上がりましし伯父」での白黒二頭のお狗様を目撃するエピソードは実体験だと言っていますし、他の話にしても、そうした話が事実として語り継がれていた、と述べられています。

 

この「あとがき」の最後で、作者が「余分なことは一行も書くまいと心に決めていました。」とあったのですが、この文言が読み手として気になりました。

つまりは、実際に読んでみて、いつも通りの浅田次郎のうまい文章だとの感想は持ったものの、「余分なこと」の有無などは何も感じられなかったのであり、読み手として作者のその姿勢は何も感じなかったのです。

 

また、「具体的には、どのようにすれば最小限の文章の中に、大きな物語を入れられるのかを常に考えていました」と言われているのですが、その点でも感じるところはありませんでした。

結局、読み手としての力量の無さを指摘されただけのような気がしたものです。

 

短い定型詩が文学の主流であり続けたのが日本文学の特徴だという作者は、日本を表現するにはそれと同じような気持ちで書かないといけないというのです。

そんな読み方のできていない私にはかなり耳の痛い「あとがき」でした。

 

本書の内容に関しては、内容がホラーであり、これまでの浅田作品にみられるユーモアに満ちた文章は影をひそめ、神域の厳かな雰囲気を醸し出す、落ち着いた文章で構成されています。

ただ、「ホラー」と言い切っていいものかは疑問もあります。怪異譚ではありますが、怖がらせるという話ではなく、神域で起きる通常ではありえない話ということに過ぎないからです。

また、各短編の話の主体が、主人公自身の経験であったり、伯母が聞いた話であったりと、若干混乱しそうになったりもしますが、丁寧に読みさえすれば何の問題もありません。

 

浅田次郎の母方の実家で実際に起きたという、話を集めたものともいえます。どこか自身の幼いころの話にも通じる懐かしさもある短編集でした。

芦沢 央

1984年東京都生まれ。2012年『罪の余白』で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。2017年『許されようとは思いません』が第38回吉川英治文学新人賞の、2018年「ただ、運が悪かっただけ」が第71回日本推理作家協会賞短編部門の候補になった。他の著書に『悪いものが、来ませんように』『今だけのあの子』『いつかの人質』『雨利終活写真館』『貘の耳たぶ』『バック・ステージ』がある。(芦沢央 | 著者プロフィール | 新潮社 : 参照 )

 

2019年の本屋大賞の候補として、芦沢央の『火のないところに煙は』が選ばれました( 2019年本屋大賞のノミネート作品が発表されました! : 参照 )。

 

 

残念ながら本屋大賞は瀬尾まいこ氏の 『そして、バトンは渡された』に決まり、本書は本屋大賞は逃しましたが、ネット上のレビューではかなり評判が高いものがありました( 2019年本屋大賞が決まりました! : 参照 )。

 

火のないところに煙は

「神楽坂を舞台に怪談を書きませんか」突然の依頼に、作家の「私」は、かつての凄惨な体験を振り返る。解けない謎、救えなかった友人、そこから逃げ出した自分。「私」は、事件を小説として発表することで情報を集めようとするが―。予測不可能な展開とどんでん返しの波状攻撃にあなたも必ず騙される。一気読み不可避、寝不足必至!!読み始めたら引き返せない、戦慄の暗黒ミステリ!(「BOOK」データベースより)

 

なかなかに読ませる全部で六編の短編からなるホラー小説集です。

と、思って読んでいくとこれが・・・。いろいろな、思いもよらない仕掛けのある作品でした。

 

 

第一話 染み
芦沢央自身が友人から依頼を受け、別れるならば死ぬという恋人の不思議な死のあとに訪れた奇妙な現象。

第二話 お祓いを頼む女
作者の知人が、ある女性から、自分は祟られているからお祓いをしてくれと一方的に言い寄られる話。

第三話 妄言
榊桔平から聞いた、新築の家を購入したものの、ある事無いことを言いつける困った隣人の話。

第四話 助けてって言ったのに
新潮社の編集者から聞いた、義理の母親とまったく同じ夢を見るある女性の話。

第五話 誰かの怪異
著者が聞いた、新しく借りたアパートで起きる怪奇現象の話を聞いた住人の知人が為した失敗した除霊の話。

最終話 禁忌
これまでの話に隠されたある秘密の話。

 

本書は、芦沢央、つまり本書の作者を語り手としており、映画などで言う“ドキュメンタリー風表現手法”を意味する「モキュメンタリー」の手法で書かれた作品です。

そのドキュメンタリー風にもっていく仕掛けが大掛かりになっていることに驚きました。勿論、本書を読んでいるときはそのようなことは知りません。

 

まずは読後すぐに、目の前にあった本書の裏表紙に描かれた染みに目がいき、第一話で言われていた「染み」を思い出しました。この点に関しての説明は本書を読んでもらうしかありません。

 

次いで、読後に本書について調べているときに「榊桔平」という人物が記したエッセイを見つけたことで新たな疑問が浮かびました。

それは、「榊桔平」という人物は本書にも探偵役として登場する重要人物ですが、その同姓同名の「榊桔平」という人物が現実にエッセイを書いているのはどういう意味かということです。

そこで、「榊桔平」という人物について調べてみると、新潮社のサイト「榊桔平 | 著者プロフィール | 新潮社」という頁に、榊桔平なる人物のプロフィールが掲載されていました。しかし、そのプロフィール内容は事実上何も書いて無く、その実在は疑わしいのです。

もしこの人物が架空の人物だとすれば、その仕掛けは出版会社まで取り込んだ大仕掛けということになります。

そしてまた、各話の構成がいかにもの書き方をしてあるのです。

そうした内容、仕掛けが奏功したのでしょう、「実話ですか? 呪われませんか?」という問い合わせが来たというほどのリアリティを持った小説として仕上がっています。

 

たしかに、読み進むにつれて何となくの不気味さが募ってくる小説でした。

個人的にはホラー小説はあまり好きな分野ではありません。しかしながら、本書はホラーとしての面白さに加え、怪奇現象の裏を探るミステリーとしての面白さが控えています。

そのミステリーとしての面白さゆえに次の話へと読み進めていくことになったのですが、最後に再度のミステリーとしての仕掛けが待ち構えていました。

 

本書の持つミステリーとしての面白さは、例えば 米澤穂信の『真実の10メートル手前』という作品の持つ、太刀洗万智という主人公の行う小気味いい推理に通じるものがあります。

 

 

また、 長岡弘樹の描く切れ味の鋭い心理的トリックが光る日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した作品である『傍聞き』という作品をもまた思い出していました。

 

 

先に述べたように、本書には幾重にも読者を待ち構えた仕掛けがあります。本屋大賞にノミネートされるのも納得の面白さがあり、この作者の他のミステリー作品も読んでみたいと思わせられる作品でした。

熱帯

沈黙読書会で見かけた『熱帯』は、なんとも奇妙な本だった!謎の解明に勤しむ「学団」に、神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと、「部屋の中の部屋」…。東京の片隅で始まった冒険は京都を駆け抜け、満州の夜を潜り、数多の語り手の魂を乗り継いで、いざ謎の源流へ―!(「BOOK」データベースより)

 

最後まで読み終えた人がいないという一冊の本をめぐって多彩な人物たちが入れ替わり登場する、私にとっては難解な長編の幻想小説でした。

なお、本書は2019年本屋大賞候補作で第160回直木賞候補作にもなっています。

 


 

「私」が学生時代に読んだ佐山尚一という人物が書いた小説『熱帯』について語り始めるところから始まります。場面は「私」の学生時代へと移り、誘われて参加した沈黙読書会で問題の『熱帯』を持った女性を見つけ、その女性が『熱帯』について語り始めます(第一章)。

この物語はこうして始まりますが、このあと物語の展開は通常の小説のようには進みません。

 

そもそもこの物語の「私」、つまり森見登美彦という名の作家は、冒頭から『千一夜物語』について語り始めます。本書は森見登美彦の『千一夜物語』へのオマージュ、もしくは誰かが書いていたように本歌取りのような作品です。

つまりは、異なる物語が次々と語られる、または物語の中でさらに新たな物語が語られる、という構造そのままに本書も紡がれているということです。ただ、本書で語られる話は『熱帯』という小説に関連した話です。

「第一章 沈黙読書会」では「私」こと森見登美彦の『熱帯』との出会いと、「沈黙読書会」でのとある女性による『熱帯』について語りがあり、第二章へと入っていきます。

その「第二章 楽団の男」では語り部の女性白石さんにより、池内氏や「学団」という『熱帯』についての読書会の話が語られます。次いで千夜さんを追って京都に行った池内氏のノートが届いて白石さんが読み始めることにより第三章につながります。

「第三章 満月の魔女」では池内氏の京都での体験が語られます。その中で、池内氏が知り合ったマキさんによる語りがあって、今西さんという人物による千夜さんの父永瀬栄造という人物についての話などの後、第四章、そして第五章へとなだれ込みます。

この「第四章 不可視の群島」、「第五章 『熱帯』の誕生」がよくわかりません。『熱帯』についての話ではありますがこれまでとは独立した話です。

そもそもここでの語り手の「僕」は、これまでの話の流れからは池内氏とおもっていたのですが、最終的にはどうも違うように思われ、結局これまでの物語はは何だったのか、との疑問だけが残り、その答えは分かりませんでした。どうにも中途半端に終わってしまっています。

 

普通の物語のように物語が因果律に沿って流れてはおらず、物語の流れの中で支流に入り、別次元の世界で終わったような、妙に浮遊感しか感じられない結末です。

 

しかしながら、ネットでのレビューを読むと、ある種の冒険物語として非常に好意的なものばかりしかありません。

勿論、物語として独特な雰囲気を持っていて、作者のイマジネーションの豊かさ、幻想文学特有の物語展開のうまさなど感じることばかりではあります。ただ、個人的には、因果の流れに沿ったそれなりの結末のないこの作品は欲求不満の残る物語だったのです。

決して幻想文学が嫌いなわけではありません。それこそブラッドベリの『十月は黄昏の国』『火星年代記』などの作品群のように大好きな作品もあります。

 

 

ただ、2017年本屋大賞候補作で第156回直木賞候補作ともなったこの作者の『夜行』でも感じた 曖昧さと言いますが不可解さは私の感性と少々ずれているとしか言えないようです。

 

本を守ろうとする猫の話

高校生の夏木林太郎は、祖父を突然亡くした。祖父が営んでいた古書店『夏木書店』をたたみ、叔母に引き取られることになった林太郎の前に、人間の言葉を話すトラネコが現れる。21世紀版『銀河鉄道の夜』! (「BOOK」データベースより)

 

神様のカルテシリーズ』の夏川草介による、本を好きな人に贈る長編のファンタジー小説です。

 

 

祖父を亡くした高校生の夏木林太郎は、祖父が残した「夏木書店」を閉じることになりました。

その日まで数日となったある日、一匹のトラネコが林太郎のもとを訪れてきます。ただ、この猫はヒトの言葉を話すことができ、そのうえ、林太郎を「4つの迷宮」のある不思議な世界へと連れて行くのです。

 

第一の迷宮「閉じ込める者」では、整然と配列された白いショーケースに整然と平置きされた本を前に、一度読み終えた本は二度と読まず、一万冊の本を読む人間よりも二万冊本を読む人間のほうが価値が高い、と断言する男が登場します。

読書した量こそ大事であり、また本を愛しているからこそ読み終えた本はその証として丁寧に並べておくのだそうです。

 

同じように読書量が大事だという男が第二の迷宮「切りきざむ者」でも登場します。

ただ、この第二の迷宮の男は読書の効率化こそが大事であり、読書量を増やすためには要約と速読が重要だと言います。例えば、「走れメロス」の要約は「メロスは激怒した」と要約できるのだそうです。

更には、難解な本は難解というだけでもはや書物としての価値を失う、とまで言うのです。

しかし、林太郎は亡くなった祖父の「読書には苦しい読書というものがある」という言葉を思い出していました。

 

次の第三の迷宮「売りさばく者」では、本は「売れることがすべて」という「世界一番堂書店」の社長が登場します。

「手軽なもの、安価なもの、刺激的なもの。読み手の求める本」が大事であり、本を好きだと言った以上は、好きじゃない本は作れなくなると言うのです。

刺激的で、読みやすいエンターテインメント小説を読みふけり、人間の本質を追求するような小説は敬遠している私ですから、ここで言われていることが一番身に沁みたような気がします。

同じような言葉は本書の終わり近くにもありました。それは「読んで難しいと感じたら、それは新しいことが書いてあるから難しい」のであり、「読みやすいってことは、知っていることが書いてあるから読みやすい」のだそうです。

ここで言われていることに対しては、私自身では未だ答えが出ていません。読みにくいと思う作品、例えばいわゆる純文学作品には手が出ないのです。

ただ、作者もエンターテインメント小説を否定し、純文学だけが読む価値があるなどと行っているわけではありませんし、そもそも純文学作品だけが価値があるとも言ってはいないのです。

そこには書物に対する愛情こそが大切だという作者の心情が述べられています。その上で読書という行為を通じて自ら考えることの大切さを言っているのでしょう。

 

そして第四の迷宮では学級委員長の柚木沙夜がさらわれ、林太郎は彼女を助けに再度迷宮へと踏み込みます。そこにはこれまでの三つの迷宮の住人たちが憔悴しきった様子で苦しんでいました。

林太郎のために彼等は苦しんでいます。本には心がある。しかし、本の心も歪むことがあり、そして暴走するのです。書物に対する理想と現実の狭間で林太郎は悩みます。

林太郎が柚木沙夜を助け出す様子はこの本の要ですから直接読んでもらうしかないでしょう。

 

本書はいわゆる「面白い」本かと言われれば、若干首をひねる作品です。

ファンタジーとしての面白さはあります。しかしそれ以上に、本を読むことについて考える、そのこと自体を要求してくる作品です。

本を好きだという人たちには是非読んでもらいたい一冊と言えます。

魚舟・獣舟

現代社会崩壊後、陸地の大半が水没した未来世界。そこに存在する魚舟、獣舟と呼ばれる異形の生物と人類との関わりを衝撃的に描き、各界で絶賛を浴びた表題作。寄生茸に体を食い尽くされる奇病が、日本全土を覆おうとしていた。しかも寄生された生物は、ただ死ぬだけではないのだ。戦慄の展開に息を呑む「くさびらの道」。書下ろし中編を含む全六編を収録する。(「BOOK」データベースより)

 
ホラー作品とは言えないでしょうが、ホラー風味満載の短編五編と、本書の半分を占める中編一編が収められたSFの作品集です。

SF評論家の山岸真氏による本書の解説によると、最初からの「真朱の街」までの四作品は、「異形コレクション」という光文社文庫から刊行されているアンソロジー・シリーズで既出の作品を著者の短編集として組みなおしたものだそうです。

そう言えば、上田早夕里の『夢みる葦笛』という短編集の四話目までの「夢みる葦笛」「眼神」「完全なる脳髄」「石繭」という四作品も、同じく「異形コレクション」に位置づけられる短編だとありました。
 

 

この作品集の表題作となっている「魚舟・獣舟」は、後に第32回日本SF大賞を受賞する『華竜の宮』や、その続編である『深紅の碑文』の原点とも言うべき重要な作品だと思われます。

地殻の大異変により地球上の大部分が水没してしまった二十五世紀を舞台とする話です。海を生活圏とする海上民と呼ばれる人たちは、「魚舟」と呼ばれる生物の体内で暮らしています。この「魚舟」の変形として海上民にも、また陸上民にも害を為す存在となっている「獣舟」が存在するなど、アイデアに満ちた物語です。

この物語は、そうした世界で、今では陸上民として暮らしている「私」と、「私」の海上民時代の幼なじみである美緒との、美緒の「朋」である獣舟をめぐる物語であり、その舞台設定を最大限に生かした悲哀に満ちた物語です。

また、後に「オーシャンクロニクル・シリーズ」と名付けられる作品群の世界観が構築されている作品であって、『華竜の宮』や『深紅の碑文』と共に、そのシリーズ内の作品として位置付けられています。
 

 

そして、「幽霊の考察」というお題に対して書かれた作品が「くさびらの道」です。「くさびら」とは茸のことであり、この寄生茸に家族を取り込まれた男は、実家で、いる筈の無い家族と出会います。

次の「饗応」では、普通のサラリーマンの話かと思いきや、風呂で身体のパーツを少しずつ外していき、リラックスする男の姿が描かれています。SFらしい、ひねりの効いたショートショートです。

真朱の街」で登場する捜し屋の「百目」は、妖怪探偵百目シリーズとしてシリーズ化されている百目と同じ人物なのでしょう。本書での百目は五歳の娘が攫われてしまった邦雄の依頼で妖怪たちと対峙します。

良く意味が分からなかったのが、「ブルーグラス」です。恋人との想い出に満ちたブルーグラスというオブジェを海に沈めたものの、その海域が立ち入り禁止となるという話を聞いた伸雄の話です。

「ダイビングをフィーチャーした海洋SFでもある」と解説にはありましたが、首をひねるしかありませんでした。感傷以上のものを読み取れなかったのです。

一番最後に載っている本書の半分くらいを占める中編の「小鳥の墓」という作品は、上田早百合のデビュー長編の『火星のダーク・バラード』に登場する重要な脇役の前日譚だそうです。この物語単体としても違和感無く読み進めることがでいます。

 

 
この作者の個性が強烈に出ている、読みやすい短編集です。ホラー作品が嫌いな人にはあまりお勧めできないかもしれませんが、『夢みる葦笛』という短編集と同様、上田早百合という作家を知る上では避けては通れない作品集だと思います。