本書『火星の人』は、火星に一人取り残された男が、たった一人で生き抜く姿を描いた長編のSF小説です。
久しぶりにリアリティにあふれた、SFらしい面白さにあふれたSF小説を読んだという実感です。
有人火星探査が開始されて3度目のミッションは、猛烈な砂嵐によりわずか6日目にして中止を余儀なくされた。だが、不運はそれだけで終わらない。火星を離脱する寸前、折れたアンテナがクルーのマーク・ワトニーを直撃、彼は砂嵐のなかへと姿を消した。ところが―。奇跡的にマークは生きていた!?不毛の惑星に一人残された彼は限られた食料・物資、自らの技術・知識を駆使して生き延びていく。映画「オデッセイ」原作。( 上巻 :「BOOK」データベースより)
火星に一人取り残されたマーク・ワトニーは、すぐさま生きのびる手立てを考え始めた。居住施設や探査車は無事だが、残された食料では次の探査隊が到着する4年後まで生き延びることは不可能だ。彼は不毛の地で食物を栽培すべく対策を編みだしていく。一方、マークの生存を確認したNASAは国家を挙げてのプロジェクトを発動させた。様々な試行錯誤の末、NASAが編み出した方策とは?宇宙開発新時代の傑作サバイバルSF。( 下巻 :「BOOK」データベースより)
著者のアンディ・ウィアーは本書『火星の人』が始めて書いた小説で、当初はネットでWEB小説として発表されたものが高い人気を博し、出版されるにいたったものだそうです。
物語は、火星探査中に砂嵐に襲われ仲間がみんな火星から退避する中、風に飛ばされ一人火星に取り残されたマーク・ワトニーが、如何にして生き延びたかを描き出したものです。
本書の見どころは、何と言っても主人公の生き延びるための智恵を目に見える形で見せているところでしょう。
自分一人が再度の火星探査計画まで四年間を生き延びるためのカロリー数、酸素量などを簡単な数式で導き出し、その数値を確保するために例えば手元にあった芋を種芋としてこれを育てるところから始まりす。
すべてが同じように読者に考え方から分かりやすく説明をし、かつそれを実行していきます。そしてついには無線が壊れているにもかかわらず地球との交信まで成功させるのです。
主人公の置かれた環境や行動の意味を読者に分かりやすく示す、という本書『火星の人』の手法と真逆の手法をとる作品もあります。
例えば、結城充考 の『躯体上の翼』もそうでした。「佐久間種苗」という会社に事実上支配されているという舞台設定も、また「炭素繊維躯体」のような個々の言葉の意味についても何の説明も無いままに話は進みます。下手をすれば読者はおいて行かれるのでないかという心配すらしてしまいます。
また、無機質であった『躯体上の翼』とは真逆の、有機体の質感で覆われた酉島伝法の『皆勤の徒』もそうでした。
表題作が第二回創元SF短編賞を受賞した全四編の短編集ですが、文章そのものが造語で成り立っており、その造語の意味も、臓物感満載のその世界観にしても何の説明も無いのです。多分、この作家の作品に慣れれば面白いとは思うのですが、とても馴染みにくい作品でした。事実、この作品集の根底にある世界観自体は私の好みに近いものがありました。
話を本書『火星の人』に戻すと、本書の魅力の一つに主人公のキャラクターがあります。一人火星に残されているにもかかわらず、とても前向きであり、そして明るいのです。
ひとり取り残された事故から一夜明けたときは「さてと、ひと晩ぐっすり眠ったら、状況はきのうほど絶望的ではないような気がしてきた。」という言葉から始まります。
そして「ぼくはずっと、どうすれば生きのびられるか考えてきた。けっして完全に絶望的な状態ではない。約四年後にはアレス4が到着して、火星に人間がもどってくる。」と前向きに考え、先に述べたように、自分が生き残るために必要な計算を始めます。
また、取り残された火星上でとある事故にあったときも「エアロックは横倒しになっていて、シューッという音がずっときこえている。だから、空気が漏れているか、蛇がいるかどっちかだ。どっちにしても困った状況だ」という軽口で描写してあります。
このように、ユーモア満載で語られる本書の文章は、とても温かい気分で読み進めることができるのです。
火星で一人いる時のワトニーは、ログという形の記録として語られていて、ユーモラスです。それに対し、NASAの様子などを記すときは三人称であり、実に緻密に緊迫感に満ちた様子を描写してあります。
この『火星の人』という作品は、マット・デイモンを主人公に、リドリー・スコットという巨匠を監督として『オデッセイ』というタイトルで20世紀フォックスで映画化されました。監督の手腕もさることながら、火星を舞台にしたこの映画は見ごたえのある作品として仕上がっており、SF画がファンの私としてはかなり喜んだものです。