『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』とは
本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は『十二国記シリーズ』の第五弾で、2013年6月に新潮社から文庫本で刊行された、辻真先氏による解説まで入れて358頁になるファンタジー短編小説集です。
『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』の簡単なあらすじ
「希望」を信じて、男は覚悟する。慶国に新王が登極した。即位の礼で行われる「大射」とは、鳥に見立てた陶製の的を射る儀式。陶工である丕緒は、国の理想を表す任の重さに苦慮していた。希望を託した「鳥」は、果たして大空に羽ばたくのだろうかー表題作ほか、己の役割を全うすべく煩悶し、一途に走る名も無き男たちの清廉なる生き様を描く全4編収録。(「BOOK」データベースより)
目次
『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』の感想
本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は、四編の短編からなっています。
本書から版元が新潮社へと代わったそうで、これまでと異なり講談社版での刊行はなく、直接現行の新潮文庫からの出版となっています。
新潮社版ではシリーズ第五弾ということになっていますが、後にエピソード0となった『魔性の子』や、『ドラマCD 東の海神 西の滄海』付録の『漂舶』を除いた出版順から見ると、同じ短編集である『華胥の幽夢』に続く八作目の作品でもあります。
本書では、政(まつりごと)に対する普遍的な民の思い、即ち政治への積極的な参加、消極的な無視、そもそもの無関心その他のいろいろな民の形態が、その時々に応じて種々の登場人物の形態として描き出されています。
だからこそ読者の腑に落ち、登場人物に感情移入し、またそういう考えもあるかと新たな発見があって、そこでも感情移入の路を見つけ出します。
第一話「丕緒の鳥」は、シリーズ第一作『月の影 影の海』で語られた景王陽子の即位の儀の裏で苦悩する羅氏という官職の丕緒(ひしょ)の話です。
羅氏とは、慶国の新王即位の礼で行われる儀式で使われる鳥に見立てた陶製の的を作る陶工を指揮する役目ですが、丕緒は射儀の企図まで為す「羅氏の羅氏」と呼ばれていました。
この丕緒の、陶製の鳥である陶鵲をいかに作るか思い悩む姿が描かれています。
古代中国を参考にしたという『十二国シリーズ』の美しい世界観の中で、ある儀式を中心に新しい王朝の将来をも暗示した物語になっています。
第二話「落照の獄」は、柳国の法令・外交を司る役職である秋官の瑛庚の話です。
多くの人命を奪った凶悪犯の狩獺をどう裁くのか、傾きつつある柳国において、死刑を選択すれば司法が民の声に屈することになりかねず、死刑に付さなければ民の怒りは一気に噴出することになりかねないのです。
この物語は死刑制度についての議論が交わされており、『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』と同じように、刑罰の本質に迫る物語であると言えます。
現代の死刑制度に関しての議論と同様の衡量が為されており、かなり惹き込まれて読んだ作品でした。
第三話「青条の蘭」は、梟王の暴政に苦しむ雁国の、新しい草木や鳥獣を集める地官迹人という官吏である標仲の物語です。
新王が即位したことを聞いた標仲は、雁国で巻き起こった山毛欅(ブナ)の木が石化する病気を食い止めるため、身を削って見つけた薬草を新王に届けようと決意します。
新王登極の話がいきわたっているからか、何も分からないままに標仲の意を汲んだ人々が動く様子は心をうちました。
この物語はどこの国の話なのか、なかなかその名前が登場しません。結局、読後にネットで調べて雁国の話だと知りました。
第四話「風信」は、慶国の女王だった舒覚の悪政により家族を殺されてしまった蓮花という十五歳の娘の話です。
舒覚の悪政とは、国からすべての女を追い出してしまうもので、残っていた女は皆殺しにあうものであり、このシリーズでも何回か出てくる出来事です。
何とか軍の手から一人逃げた蓮花は、嘉慶という暦を作ることを職務とする男の下働きとして暮らすことになります。
新王が登壇するなか、燕のひな鳥の数の多さにこの国が明るいみたいのあることを教えてくれていることを知るのでした。
暦の意義、については、冲方丁の『天地明察』で描かれていましたが、この第四話では暦自体がテーマではなく、今の蓮花たちの暮らしが軍や政(まつりこと)に関係の無い浮世離れした生活のように思えても民の生活に密接に結びいていることを教えられるのです。
こうして読み終えてみると、同じ短編集でも『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は「官」側の物語であるのに対し、本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は「民」側の物語ということができそうです。
共に、十二国記シリーズで語られる物語の深みを増すものであり、かなり面白く読んだ作品でした。