蒼路の旅人

蒼路の旅人』とは

 

本書『蒼路の旅人』は『守り人シリーズ』の第六弾で、2005年04月に偕成社からハードカバーで刊行され、2010年8月に新潮文庫から著者のあとがきと大森望氏の解説まで入れて380頁の文庫として出版された、長編のファンタジー小説です。

チャグムが主人公の作品としては『虚空の旅人』に続く作品であり、国家間の思惑なども加味された新たにダイナミックに展開される物語としてバルサの話とはまた違った面白さを持った作品となっています。

 

蒼路の旅人』の簡単なあらすじ

 

生気溢れる若者に成長したチャグム皇太子は、祖父を助けるために、罠と知りつつ大海原に飛びだしていく。迫り来るタルシュ帝国の大波、海の王国サンガルの苦闘。遙か南の大陸へ、チャグムの旅が、いま始まる!-幼い日、バルサに救われた命を賭け、己の身ひとつで大国に対峙し、運命を切り拓こうとするチャグムが選んだ道とは?壮大な大河物語の結末へと動き始めるシリーズ第6作。(「BOOK」データベースより)

 

蒼路の旅人』の感想

 

本書『蒼路の旅人』では、チャグムが主人公となってタルシュ帝国を舞台として冒険物語が繰り広げられます。

これまで、バルサが主人公の作品では「新ヨゴ国」(『精霊の守り人』『夢の守り人』)、「カンバル王国」(『闇の守り人』)、「ロタ王国」(『神の守り人』)が、またチャグムが主人公の作品としては「サンガル王国」(『虚空の旅人』)がそれぞれに物語の舞台として設定されていました。

そしてバルサが主人公の場合は、舞台となっている土地に伝わる伝説と異世界との絡みを中心に、短槍使いのバルサならではの活劇を絡めた物語として構成されていました。

一方、チャグムが主人公の物語では、新ヨゴ皇国の皇子としてのチャグムという立場に応じた国家間の対立を前提とした構成になっています。

そして本書は『虚空の旅人』の続編として、今後の国家間の争いを前にしてのタルシュ帝国が舞台になっているのです。

 

本書『蒼路の旅人』では、サンガル王国からの援軍の要請に対し、チャグムの祖父の海軍大提督トーサに主力軍の三割ほどの艦隊を任せ派遣するという帝の決定に反対し帝の怒りを買ったチャグムは、トーサと共に出陣することを命じられます。

チャグムには護衛兵として<帝の盾>で別名<狩人>と呼ばれる暗殺者のジンユンが同行しており、帝のチャグムへの決別の意思を見ることができるのでした。

本書でのチャグムは、父王の怒りをかった結果従軍することになりますが、サンガル軍にとらわれた後、チャグムの父である帝の命によりチャグム暗殺の任を担っているジンの助けを得てサンガル軍から脱出した後が本来の物語に入ります。

というのも、チャグムはタルシュ帝国の密偵であるアラユタン・ヒュウゴに捕らわれ、タルシュ帝国の実情をその目で見ることになるのです。

このヒュウゴという人物が本書での要となる人物であり、新ヨゴ皇国の母国でもあるタルシュ帝国の枝国となった元ヨゴ皇国の出身だったのです。

チャグムはこの虜囚となった経験により、タルシュ帝国の枝国となることの意味を思い知らされ、同時に新ヨゴ皇国の存続、新ヨゴ皇国の民の平和な生活のためには現在の帝、即ちチャグムの父が如何に障害になっているかをも思い知らされるのです。

 

こうしてチャグムが虜囚となっている間に、タルシュ帝国のハザールラウルという二人の皇子、それにラウル皇子に仕えるヒュウゴの話などを通して、ものの見方の多様性などを学んでいきます。

つまりは、読者は著者上橋菜穂子の「歴史には絶対の視点などなく、関わった人の数だけ視点があり、物語がある。」(文庫版あとがき「蒼い路」:参照)という視点が明確に示されていることに理解が及びます。

ただ、新ヨゴ皇国の民の幸せに帝がいかに障害となっているかを思い知らされたチャグムの決断は哀しみに満ち溢れたものにならざるを得ません。

 

本シリーズは個人の視点が主になるバルサの物語と、ダイナミックな国家間の物語が描かれるチャグムの物語とではかなりその色合いを異にします。

その二つの物語が合流することになる『天と地の守り人』はどのような物語になるのか、楽しみでなりません。

神の守り人 (来訪編・帰還編)


神の守り人』とは

 

本書『蒼路の旅人』は『守り人シリーズ』の第五弾で、2003年07月に偕成社からハードカバーで刊行され、2009年8月に新潮文庫から著者のあとがきと児玉清氏の解説まで入れて来訪編と帰還編とを合わせて629頁の文庫として出版された、長編のファンタジー小説です。

『守り人シリーズ』の世界の中で、ロタ王国を舞台として異世界の神を身に宿す一人の少女を救うために立ち上がったバルサの姿が描かれた、国家のあり方と国と民との関係にまで思いを馳せる雄大な物語です。

 

神の守り人』の簡単なあらすじ

 

女用心棒バルサは逡巡の末、人買いの手から幼い兄妹を助けてしまう。ふたりには恐ろしい秘密が隠されていた。ロタ王国を揺るがす力を秘めた少女アスラを巡り、“猟犬”と呼ばれる呪術師たちが動き出す。タンダの身を案じながらも、アスラを守って逃げるバルサ。追いすがる“猟犬”たち。バルサは幼い頃から培った逃亡の技と経験を頼りに、陰謀と裏切りの闇の中をひたすら駆け抜ける。(来訪編 :「BOOK」データベースより)

(帰還編 :南北の対立を抱えるロタ王国。対立する氏族をまとめ改革を進めるために、怖ろしい“力”を秘めたアスラには大きな利用価値があった。異界から流れくる“畏ろしき神”とタルの民の秘密とは?そして王家と“猟犬”たちとの古き盟約とは?自分の“力”を怖れながらも残酷な神へと近づいていくアスラの心と身体を、ついに“猟犬”の罠にはまったバルサは救えるのか?大きな主題に挑むシリーズ第5作。「BOOK」データベースより)

 

神の守り人』の感想

 

本書『神の守り人』は、ロタ王国を舞台に、アファール神の支配するこの世のむこうにある異界ノユークと、ノユークから流れくる川に住まう恐ろしき神タルハマヤが顕現する中でのバルサの冒険が語られます。

前巻の『虚空の旅人』では、シリーズの流れが国家間の関係までをもの組み入れた流れへと大きく変わったのですが、本書では一旦バルサ個人の冒険物語へと戻った印象があります。

でありながら、物語の根底にはロタ王国の南北の対立が存在しており、その先にはロタ王国の併呑を狙う某大国の存在までも見えてくるのです。

そこには、ロタ王国の南の豊饒な気候と海洋取引に裏付けされた豊かな商人たちの存在と、過酷な北部の気候のもと暮らす民の存在がありました。

さらに北部地方には古くからの伝承を守り生き続けている〈タルの民〉らの存在もまた特別な意義が与えられていて、単なる経済面での対立以上のものもあったのです。

 

ロタ王国に近い都西街道の〈草市〉の立つ宿場町で見かけた兄妹を、ヨゴ人の人身売買組織<青い手>から助けようと様子をうかがっているバルサでしたが、<青い手>の一味は何者かに喉を咬み裂かれ、バルサもまた殺されそうになります。

その後、タンダの古い知り合いの呪術師スファルとその娘シハナたちが、バルサが助けようとした兄妹の妹アスラが抱えている秘密をめぐりアスラを殺そうとしていることを知ったバルサは、兄のチキサをタンダにまかせ、自分はアスラを連れて逃亡することを決意するのです。

バルサたちの逃亡を知ったスファルはタンダたちを味方につけるのが得策と考え、アスラをめぐる秘密を明かすことを選択します。

しかし、シハナはタルハマヤの力を借りようと秘密を抱えるアスラを捉えようとしていたのでした。

シハナは、ロタ王国の王室に伝わる伝説のもと北部地方のタルの民と南部大領主たちとの対立に苦しむロタ王室のヨーサム王の弟イーハン殿下に仕えており、バルサたちも王室を巻き込む陰謀に巻き込まれてしまうのでした。

 

本シリーズでは、新ヨゴ皇国、カンバル王国、前巻のサンガル王国、そして本書『神の守り人』でのロタ王国と、舞台として国を変えた冒険が語られてきました。

その上で各話ごとに異世界とこの世とのつながりが語られていましたが、本書でもまた異界ノユークから流れくる川によりもたらされる豊かで滋養に満ちた水がこの世界にも豊かさがもたらされているとの事実が明らかにされます。

ところが話はそれだけにとどまらず、恐ろしい力をもつ異世界の神タルハマヤをこの世に顕現させようと画策する姿が描かれているのです。

そこで重要な役割を果たすのが、サーダ・タルハマヤに仕えたスル・カシャル<死の猟犬>の子孫であるスファルであり、その娘のシハナだったのです。

 

「バルサは己の歩幅でものを考えるからこそ、地を歩む人々の視線と同じ目線で発想している」のですが、「シハナは大きな構図の中の構成物であるというような発想はしない」のです。

こうして本書『神の守り人』では、先に述べたように単にバルサ個人の冒険譚を越えた物語が展開されています。

作者上橋菜穂子の大局的な視点は、本書のようなファンタジー物語においても多面的なものの見方を示しながらも、ファンタジー小説としてエンターテイメント小説としての面白さを持った作品を提供してくれるています。

 

本シリーズも終わりが近くなっています。シリーズの最後の作品を読むのを待ちかねているのですが、読み終えてしまうのが淋しいような、複雑な気持ちにいます。

虚空の旅人

虚空の旅人』とは

 

本書『虚空の旅人』は『守り人シリーズ』の第四弾で、2001年08月に偕成社からハードカバーで刊行され、2008年7月に新潮文庫から著者のあとがきと小谷真理氏の解説まで入れて392頁の文庫として出版された、長編のファンタジー小説です。

『夢の守り人』に続く『守り人シリーズ』の第四弾である本書は、新たにチャグムを主人公とした作品である「旅人シリーズ」の開始作品でもある、新たな展開が面白い作品でした。

 

虚空の旅人』の簡単なあらすじ

 

隣国サンガルの新王即位儀礼に招かれた新ヨゴ皇国皇太子チャグムと星読博士シュガは、“ナユーグル・ライタの目”と呼ばれる不思議な少女と出会った。海底の民に魂を奪われ、生贄になる運命のその少女の背後には、とてつもない陰謀がー。海の王国を舞台に、漂海民や国政を操る女たちが織り成す壮大なドラマ。シリーズを大河物語へと導くきっかけとなった第4弾、ついに文庫化。(「BOOK」データベースより)

 

虚空の旅人』の感想

 

本書『虚空の旅人』は、主人公がチャグムへと変わり、物語もサンガル王国を舞台に冒険活劇が展開されます。

 

これまではバルサを中心として、バルサの働きを描く冒険活劇の側面が大きい作品でしたが、本書ではそうした流れから一変し、主人公は新ヨゴ皇国の皇子であるチャグムとなります。

そのことは当然のことですが物語の流れも異なってきます。

つまり、これまでは短槍使いのバルサ個人の冒険活劇小説としての色合いが濃い物語だったのですが、本書からは国同士の思惑が絡み合うダイナミックな物語へと変貌し、個人の物語から国同士の戦いの話へと変化していくのです。

もちろん、これまでのシリーズの一巻から三巻までの物語が重要な意味を持ってくることになるし、それらのエピソードの上に新しい視点の物語が展開されていくことになります。

 

父王から疎まれているチャグムは、新ヨゴ皇国の南に位置する海洋王国であるサンガル王国の「新王即位ノ儀」に出席を命じられます。

サンガル王国の王家の出自は海賊であり、海をその生活の場とする海洋国家でした。

星読博士のシュガと共に、サンガル王国へと向かったチャグムは、新王となるカルナン王子やその弟のタルサン王子らに拝謁します。

そこに「ナユーグル・ライタの目」となったという娘のエーシャナが連れてこられます。サンガル国の言い伝えでは海の底の異世界ナユーグルに住むというナユーグル・ライタの民が地上の民の子を通して地上の様子を探るというのです。

この「ナユーグル・ライタの目」は、最終的にはホスロー岬から海へ落とす「魂帰し」という儀式が行われることになっていました。

一方、そんなはるか南の大陸のタルシュ帝国は、サンガル王国へ侵略手掛かりを作っていました。

カルシュ島の「島守り」であり、サンガル王の長女であるカリーナ姫を妻に迎えているアドルや、ノーラム諸島の島守りで次女のロクサーナを妻に迎えているガイルらを支配下に収め、サンガル王国を裏切りらせる段取りを整えていました。

そんな時、タルシュ帝国はサンガル王国の南端の島の近海まで軍船を進めていたのです。

 

作者上橋菜穂子によると、これまではシリーズ化など夢にも思わずに書き綴ってきたものの、本書を書き終えたときは単なる一話完結の物語では済みそうももない「予感」があったそうです。

あくまで「予感」ですから、守り人シリーズの主人公はバルサである以上本書は外伝的な位置づけになるだろうと思い、タイトルも「旅人」としたのだといいます。

結果として、「守り人」と「旅人」は、やがて『天と地の守り人』で交わり、一つの流れとなって完結を向かることになります。

作者は、「多くの異なる民族、異なる立場にある人々が、それぞれの世界観や価値観をもって暮らす世界」を具現化したいと思っていたそうです(以上 文庫版あとがき「全十巻への舵を切った物語」: 参照)。

そして、そうした作者の思いは十分に反映されている物語としてこの物語がここに完成しているのです。

 

本シリーズの魅力として緻密に構築された世界を舞台としているという点が挙げられますが、本書でもサンガル王国という海洋王国の設定が詳細に為されています。

サンガル王国という島々からなる王国は、その島々に王家ゆかりの女性を嫁がせて「島守り」として海の守りを固めていて、この女性らが連携して島々の王家に対する忠誠を守っているという仕組みを持っています。

さらには、船に住まい、海をその生活の場とする自由の民もいて王家とは良好な関係を保っていたのです。

また、新たに異世界としてナユーグルがあり、そこのナユーグル・ライタという民は「ナユーグル・ライタの目」という存在を通して地上を知るという言い伝えを設けています。

こうした新たな国を舞台としてチャグムの冒険が始まるのです。

 

これまでのバルサの冒険とはまた異なりますが、より対極的な視点を持つこの物語もまた心躍る物語でした。

夢の守り人

夢の守り人』とは

 

本書『夢の守り人』は『守り人シリーズ』の第三弾で、2000年5月に偕成社からハードカバーで刊行され、2007年12月に著者のあとがきと養老孟司氏の解説まで入れて348頁の文庫として新潮文庫から出版された長編のファンタジー小説です。

トロガイやタンダ、チャグムなどの『精霊の守り人』に登場してきた人物たちが再び顔を揃える作品となっている、期待に違わない作品した。

 

夢の守り人』の簡単なあらすじ

 

人の夢を糧とする異界の“花”に囚われ、人鬼と化したタンダ。女用心棒バルサは幼な馴染を救うため、命を賭ける。心の絆は“花”の魔力に打ち克てるのか?開花の時を迎えた“花”は、その力を増していく。不可思議な歌で人の心をとろけさせる放浪の歌い手ユグノの正体は?そして、今明かされる大呪術師トロガイの秘められた過去とは?いよいよ緊迫度を増すシリーズ第3弾。(「BOOK」データベースより)

 

夢の守り人』の感想

 

本書『夢の守り人』は、カンバル王国が舞台だったシリーズ第二巻『闇の守り人』を経て再び第一巻『精霊の守り人』と同じ新ヨゴ皇国が舞台になっています。

ただ、シリーズ第一巻の『精霊の守り人』で描かれていた異世界であるナユグの描かれ方がより詳しくなっています。

というのも、本書は『精霊の守り人』に登場してきたチャグムらがふたたび顔を揃え、夢の世界即ち異世界へと連れていかれた人たちを助け出そうとする姿が描かれている物語だからです。

そういう意味では、本書の舞台は新ヨゴ皇国ではありますが、物語の本当の舞台はナユグだということもできるかもしれません。

 


 

著者 上橋菜穂子自身のあとがきによれば、本書は「夜の力」と「昼の力」の両方を知り、その狭間に立つことを選んだ人たちの物語、だそうです。

つまりは、現実(昼の力)しか知らない多くの人達と、現実を生きてはいるものの夢(夜の力)の世界へと行くこともできる呪術師であるトロガイタンダら少数の人達との物語なのです。

 

バルサは、サンガル人の狩人の手から助けたユグノという歌い手を隠すためにタンダのもとへと連れていこうとしていました。

しかし、そのタンダは眠ったまま目を覚まさないタンダの姪のカヤの魂を連れ戻すために<魂呼ばい>を試し、何者かにその身体を乗っ取られていたところでした。

また、チャグムもトロガイと会っているという星読み博士のシュガの話を聞き、バルサたちとの暮らしを思い出して夢の世界へ入ったまま目覚めることができなくなっていたのです。

そこに、バルサが助けたユグノは異世界へと繋がる特別な歌い手のリー・トゥ・ルエン〈木霊の想い人〉と呼ばれる人物だったことが分かり、バルサは再び異世界に捕らえられたチャグムらを助ける冒険が始まるのです。

 

本書『夢の守り人』では、呪術師であるトロガイとトロガイの師匠ノルガイとの出会い、そしてトロガイは何故に呪術師へとなったのかが明らかにされます。

そこではやはり「夢」の世界が関係してくるのですが、前巻同様にシリーズを通して語られるサグ呼ばれるこの世とナユグと呼ばれる異世界との関連は未だ明らかにはされていません。

前述のとおり本書はまだシリーズ第三弾であり、作者も本シリーズが最終的に全十巻を越える大河作品になるとは思っていなかった頃の作品です。

従って、物語は単巻で終わっていて、この後のシリーズ作品が他国をも巻き込んだダイナミックな物語展開になるとは予想できないでしょう。

 

とはいえ、本書での単巻で完結する物語の面白さは後の変化に満ちた物語に劣らない面白さを持っています。

というよりも、次巻からの面白さとは質が異なるというべきかもしれません。

今後新たな展開となっていくにしても、これまでの三巻の内容が次巻『虚空の旅人』からの物語展開の基礎となっていて、これまでの物語があってこそその後の物語が深みを持ってくる構成となっています。

本書は本書として十分な面白さを持っていて、さらに今後の展開の下敷きとなっているという点でも重要な展開なのであり、作者の力量が十二分に示された作品だと思います。

 

闇の守り人

闇の守り人』とは

 

本書『闇の守り人』は『守り人シリーズ』の第二弾で、1999年1月に偕成社からハードカバーで刊行され、2007年6月に新潮文庫から著者のあとがきと神山健治氏の解説まで入れて387頁の文庫として出版された、長編のファンタジー小説です。

『精霊の守り人』に続く『守り人シリーズ』の第二弾である本書は、バルサの生まれ故郷カンバル国へと向かい、バルサの過去が語られます。

 

闇の守り人』の簡単なあらすじ

 

女用心棒バルサは、25年ぶりに生まれ故郷に戻ってきた。おのれの人生のすべてを捨てて自分を守り育ててくれた、養父ジグロの汚名を晴らすために。短槍に刻まれた模様を頼りに、雪の峰々の底に広がる洞窟を抜けていく彼女を出迎えたのは―。バルサの帰郷は、山国の底に潜んでいた闇を目覚めさせる。壮大なスケールで語られる魂の物語。読む者の心を深く揺さぶるシリーズ第2弾。(「BOOK」データベースより)

 

闇の守り人』の感想

 

シリーズ第一巻『精霊の守り人』では、「新ヨゴ皇国」がバルサとチャグムが活躍する舞台でした。

それに対し本書『闇の守り人』ではバルサの故郷であるカンバル王国が舞台となっています。バルサの短槍の師であるジグロの身内に会い、あらためて過去の自分と向き合うために戻ったのでした。

バルサの過去は『精霊の守り人』でも少しだけ語られていましたが、本書でその成り行きが詳しく語られることになります。

 

 

バルサは、本来であればカンバル王国へ戻るために通るべきはずの正式な門ではなく、<山の王>が支配するという迷路めいた洞窟を抜ける道を選んでいました。

そこで、ヒョウル<闇の守り人>に襲われていたカッサジナ兄妹を助けたことからカンバルのある企みにまつわる騒ぎにまきこまれてしまいます。

この洞窟が本書の眼目であるカンバルの地の伝説と深くかかわる洞窟であり、カンバルという国の存続にもかかわる場所だったのです。

 

このカンバル王国の秘密にまつわる話が本書『闇の守り人』の魅力の第一点です。

まず、王国の秘密とはカンバルに伝わる儀式や伝承などにかかわるものであり、文化人類学者である著者上橋菜穂子の本領を発揮する分野です。

前巻の『精霊の守り人』のクライマックスでも同様に伝承が生きる場面がありましたが、日々の暮らしに溶け込んでいる言い伝えなどが持つ本来の意味を教えてくれ、それは私たちの現実の生活でも当てはまるものです。

精霊の守り人』ではこの世(サグ)とは異なるナユグという異世界がこの世と隣り合わせにあるという物語世界の成り立ちが説明がありました。

本書では、それに加え山の王という存在が語られ、同時に、バルサが通ってきた洞窟には<闇の守り人>がいてカンバル王国を守っているという伝説の真の意味も明確にされていきます。

この山の王の話とナユグとの関連は未だ明確ではありませんが、今後明らかにされるのでしょう。

 

そしてもう一つ、本書『闇の守り人』ではバルサの師匠であるジグロの壮絶な生き方に隠された、バルサの父カルナの死の謎やカンバル王国の王の槍と呼ばれる武人たちの存在など、バルサの短槍使いとしての生き方の意味も明らかになります。

ジグロも、カルナを脅し当時の王ナグルを毒殺した王弟ログサムもすでにいないカンバルの地で久しぶりに会った叔母ユーカに話を聞くと、ジグロの弟のユグロが裏切り者とされていたジグロを討ち果たして国宝の金の輪を持ち帰った英雄として称えられていたのです。

バルサの人生はカンバル王国の秘密の上に積み上げられたものであり、今回の帰省によって父カルナや師匠ジグロなどの汚名を晴らすことにもなるのです。

 

こうして、バルサは故郷カンバル王国の危難に立ち合い、これを救うことになります。

一級のファンタジーであり冒険小説である本書『闇の守り人』は、さらに今後の展開をも期待させる物語の序章でもありました。

白銀の墟 玄の月 十二国記

白銀の墟 玄の月 十二国記』とは

 

本書『白銀の墟 玄の月』は『十二国記シリーズ』の第九弾で、2019年10月と11月に新潮社から全部で1600頁を越える全四巻の文庫として刊行されてた、長編のファンタジー小説です。

ファンタジー小説としても、また冒険小説としても第一級の面白さであり、私の好みにピタリと合致した作品でした。

 

白銀の墟 玄の月 十二国記』の簡単なあらすじ

 

戴国に麒麟が還る。王は何処へー乍驍宗が登極から半年で消息を絶ち、泰麒も姿を消した。王不在から六年の歳月、人々は極寒と貧しさを凌ぎ生きた。案じる将軍李斎は慶国景王、雁国延王の助力を得て、泰麒を連れ戻すことが叶う。今、故国に戻った麒麟は無垢に願う、「王は、御無事」と。-白雉は落ちていない。一縷の望みを携え、無窮の旅が始まる!( 第一巻「BOOK」データベースより)

民には、早く希望を見せてやりたい。国の安寧を誰よりも願った驍宗の行方を追う泰麒は、ついに白圭宮へと至る。それは王の座を奪い取った阿選に会うためだった。しかし権力を恣にしたはずの仮王には政を治める気配がない。一方、李斎は、驍宗が襲われたはずの山を目指すも、かつて玉泉として栄えた地は荒廃していた。人々が凍てつく前に、王捜し、国を救わなければ。──だが。( 第二巻「BOOK」データベースより)

新王践祚ー角なき麒麟の決断は。李斎は、荒民らが怪我人を匿った里に辿り着く。だが、髪は白く眼は紅い男の命は、既に絶えていた。驍宗の臣であることを誇りとして、自らを支えた矜持は潰えたのか。そして、李斎の許を離れた泰麒は、妖魔によって病んだ傀儡が徘徊する王宮で、王を追い遣った真意を阿選に迫る。もはや慈悲深き生き物とは言い難い「麒麟」の深謀遠慮とは、如何に。( 第三巻「BOOK」データベースより)

「助けてやれず、済まない…」男は、幼い麒麟に思いを馳せながら黒い獣を捕らえた。地の底で手にした沙包の鈴が助けになるとは。天の加護がその命を繋いだ歳月、泰麒は数奇な運命を生き、李斎もまた、汚名を着せられ追われた。それでも驍宗の無事を信じたのは、民に安寧が訪れるよう、あの豺虎を玉座から追い落とすため。-戴国の命運は、終焉か開幕か!( 第四巻「BOOK」データベースより)

 

白銀の墟 玄の月 十二国記』の感想

 

本書『白銀の墟 玄の月』は、シリーズ第八巻『黄昏の岸 暁の天』の続編であり、戴国のその後が描かれています。

本『十二国記シリーズ』ではこれまで慶国や雁国などの様子が描かれてきましたが、そもそも本シリーズの出発点である『魔性の子』が戴国の麒麟である泰麒の話であったように、戴国の様子が基本となっているように思えます。

そして、本書において塗炭の苦しみに遭っている戴国の民が救われるか否かに決着がつくのです。

つまり、『黄昏の岸 暁の天』では蓬莱に流された泰麒の探索の様子が語られていましたが、本書では戴国に戻ってきた泰麒と共に戦う李斎などの姿が描かれているのです。

 

 

本書の見どころと言えば、まずは本『十二国記シリーズ』自体が持つ見事に構築された異世界の社会構造そのものの魅力があります。

次いで、その社会構造の中で破綻なく動き回る個性豊かな登場人物たちの存在があります。

本書でいえば、物語の中心となって動く李斎であり、その李斎を助ける仲間たちがおり、一方で戴国の民のために身を粉にして働く泰麒である高里などの多くの人物の姿があります。

そして、それらの登場人物たちが存分に動き回るストーリー展開が挙げられるのです。

ストーリー展開とはいってもそれは大きく二つに分けることができ、一つは宿敵阿選の懐に飛び込んだ泰麒の話であり、もう一つは野にいて行方不明の泰王驍宗を探し回るとともに、反阿選の勢力を結集しようとする李斎らの話です。

 

また本書の持つ面白さの意味も一つではなく、泰麒や李斎らの阿選に対する反逆の戦いの様子の面白さをまずあげることができます。

それはアクション小説としての面白さであり、また冒険小説としての面白さだとも言えます。

さらには行方不明の驍宗はどこにいるのか、また阿選は何故反旗を翻したのかなど、ミステリアスな側面もまた読者の興味を惹きつけて離しません。

また、ストーリー展開の他に本『十二国記シリーズ』のそれぞれの物語で、この異世界の法則に従いながら通り一遍の視点に限定されることなく、例えば登場人物たちの対話に擬してある出来事について多面的な見方を示していることも私にとっては関心事でした。

こうした多様な価値に従った多面的な思考方法は、同じファンタジーでも高田大介の『図書館の魔女シリーズ』でも見られました。

こうしてみると、物語を紡ぎ出すという能力は、ものの見方も多面的であることが一つの条件であるのかもしれません。

 

 

とはいえ、そうした多様な価値感を反映させていることなどは読了後にゆっくりを反芻するときにでも思い起こせばいいことであり、読書中は単純に物語に乗っかり楽しめばいいと思います。

それだけ楽しませてくれる物語であることは間違いなく、シリーズが終わってしまうことが残念でなりません。

何らかの形で再開してくれることを待ちたいと思います。

老神介護

老神介護』とは

 

本書『流浪地球』は、2022年9月に古市雅子氏の訳者あとがきまで入れて296頁のハードカバーで刊行された、短編のSF小説集です。

大人気の『三体』の作者である著者劉慈欣の、『流浪地球』と同時に出版された硬軟取り混ぜた短編集であり、そのアイディアのユニークさに驚かされた一冊でした。

 

老神介護』の簡単なあらすじ

 

●突如現れた宇宙船から、次々地球に降り立った神は、みすぼらしい姿でこう言った。「わしらは神じゃ。この世界を創造した労に報いると思って、食べものを少し分けてくれんかの」。神文明は老年期に入り、宇宙船の生態環境は著しく悪化。神は地球で暮らすことを望んでいた。国連事務総長はこの老神たちを扶養するのは人類の責任だと認め、二十億柱の神は、十五億の家庭に受け入れられることに。しかし、ほどなく両者の蜜月は終わりを告げたーー。「老神介護」
●神文明が去って3年。地球で、もっとも裕福な13人がプロの殺し屋を雇ってまで殺したいのは、もっとも貧しい3人だった。社会的資産液化委員会から人類文明救済を依頼された殺し屋は、兄文明からやってきた男から、別の地球で起こった驚愕の事態を訊かされる。「扶養人類」
●蟻と恐竜、二つの世界の共存関係は2000年以上続いてきた。恐竜世界の複雑なシステムは、蟻連邦によって支えられていたが、蟻世界は恐竜世界に核兵器廃棄を要求、拒絶されるとすべての蟻はストライキに突入した。「白亜紀往事」
●僕が休暇を取る条件は、眼を連れていくことだと主任は言った。デイスプレイに映る眼の主は、若い女の子。ステーションにいる彼女の眼を連れて、僕は草原に旅行に出かけた。宇宙で働く人は、もうひと組の眼を地球に残し、地球で本物の休暇を過ごす人を通して仮想体験ができるのだ。「彼女の眼を連れて」
●74年の人工冬眠から目覚めた時、地球環境は一変していた。資源の枯渇がもたらす経済的衰退を逃れようと、「南極裏庭化構想」が立案され実行された結果、深刻な事態が起こっていたのだ。「地球大砲」(内容紹介(出版社より))

 

目次

老神介護 | 扶養人類 | 白亜紀往事 | 彼女の眼を連れて | 地球大砲

 

老神介護』の感想

 

本書『老神介護』は、同時に出版された劉慈欣の二冊の短編集のうちの一冊で、五編の作品が収納されています。

本書所収の各作品は、訳者の一人である古市雅子氏自身の「訳者あとがき」によれば、作者の劉慈欣が主に2000年代に発表した作品だということです。

また、同時に出版されたもう一冊の短編集『流浪地球』での大森実氏の「訳者あとがき」によれば、この二作品は著者劉慈欣自身による海外出版用に編まれた代表作選集と考えても、そう的はずれではない、と書いてありました。

つまり、本書『老神介護』の五編と『流浪地球』所収の六編とを合わせると、合計で十一編が選ばれていることになります。

 

 

本書は、姉妹作である『流浪地球』と比較すると、よりコミカルな度合いが強いように思えます。

まず、表題作である第一話「老神介護」は神を介護することとなった人類を描くコメディ作品です。

いや、コメディ作品というと語弊がありそうなので、哀しみに満ちた人類の未来を、コミカルに描き出した作品だというべきかもしれません。

突然地球に現れた二万隻を超える宇宙船とともに長く白い髭と髪、白いガウンを着た、二十億柱を超える神と名乗る宇宙人が現れ、食べ物を分けてくれ、と頼んできます。

そしてこの神たちは、物語の終わりに、この宇宙には地球にとっては兄とも言うべき兄弟文明が三つ存在し、将来、地球文明を攻撃してくるだろうと伝えてきます。

そして、その兄弟文明が来襲してきたときの話が次の第二話で語られることになります。

 

第二話「扶養人類」もまた滑腔(かっこう)という殺し屋の眼を通して語られる哀しみに溢れた話をコミカルに描き出した作品で、第一話「老神介護」で出てきた兄文明が登場してきます。

その殺し屋が兄文明から聞かされた発達した文明がたどり着いた富の再分配の話は先驚くべきものでした。

また、滑腔が依頼された仕事についての理由が予想外のものであり、その発想もまた、素人の及ぶものではないことを思い知らされるばかりでした。

 

第三話「白亜紀往事」も前二話と同様にユーモアに満ちた作品です。というよりもブラックユーモアと言った方がいいかもしれません。

巨大な恐竜と極小な蟻のそれぞれに発達した文明の話です。

どことなく、現代社会を匂わせているようなコメディと言ってもいいかもしれません。

 

第四話「彼女の眼を連れて」は、一転して哀しみに満ちた物語です。

その発想は『流浪地球』の「山」に通じると言ってもいいともいます。

しかしながら、明かされた真実は単なる哀しみを越えた、怖さをも抱え込んだ話でもありました。

 

第五話「地球大砲」は、第四話「彼女の眼を連れて」とほんの少しだけ関連している物語です。

子供の頃聞いたことのある地球の裏側へ通じるトンネルをテーマにしていますが、そこは劉慈欣の作品ですからハード面の描写も丁寧に為されている作品として仕上がっています。

そうしたハードSFとしての描写は実に読みごたえがあるもので、その反面、一般大衆の持つ意思とでもいうべき勢いの曖昧さをも指摘しているのでしょうか。

 

流浪地球』の項では小松左京を思い出すと書きましたが、本書を読む限りでは、同じユーモアでもその方向性が少し異なる印象です。

劉慈欣の作品はよりハード面の描写が強烈であり、ユーモア面でも小松左京というよりは筒井康隆のドタバタ劇というか、皮肉めいた作風を感じてしまいました。

とはいえ、かすかにその香りを感じた程度であり、今のところ劉慈欣独自の作風と言うしかないと思われます。

それほどに、独自路線を確立していると言わざるを得ないと思います。

今後も気を付けておきたい作家さんだと言えます。

流浪地球

流浪地球』とは

 

本書『流浪地球』は、大森実氏の訳者あとがきまで入れて312頁のハードカバーで2022年9月に刊行された、短編のSF小説集です。

大人気の『三体』の作者である著者劉慈欣の、『老神介護』と同時に出版された硬軟取り混ぜた短編集であり、そのアイディアのユニークさに驚かされた一冊でした。

 

流浪地球』の簡単なあらすじ

 

●ぼくが生まれた時、地球の自転はストップしていた。人類は太陽系で生き続けることはできない。唯一の道は、べつの星系に移住すること。連合政府は地球エンジンを構築し、地球を太陽系から脱出させる計画を立案、実行に移す。こうして、悠久の旅が始まった。それがどんな結末を迎えるのか、ぼくには知る由もなかった。「流浪地球」
●惑星探査に旅立った宇宙飛行士は先駆者と呼ばれた。帰還した先駆者が目にしたのは、死に絶えた地球と文明の消滅だった。「ミクロ紀元」
●世代宇宙船「呑食者」が、太陽系に迫っている。国連に現れた宇宙船の使者は、人類にこう告げた。「偉大なる呑食帝国は、地球を捕食する。この未来は不可避だ」。「呑食者」
●歴史上もっとも成功したコンピュータ・ウイルス「呪い」はバージョンを変え、進化を遂げた。酔っ払った作家がパラメータを書き換えた「呪い」は、またたく間に市民の運命を変えてしまうーー。「呪い5・0」
●高層ビルの窓ガラス清掃員と、固体物理学の博士号を持ち、ナノミラーフィルムを独自開発した男。二人はともに「中国太陽プロジェクト」に従事するが。「中国太陽」
●異星船の接近で突如隆起した海面、その高さ9100メートル。かつての登山家は、単身水の山に挑むことを決意。頂上で、異星船とコミュニケーションを始めるが。「山」(内容紹介(出版社より))

 

目次

流浪地球 | ミクロ紀元 | 呑食者 | 呪い5・0 | 中国太陽 | 山

 

流浪地球』の感想

 

本書『流浪地球』は全部で六編の短編小説が収納されたSF作品集です。

大森実氏による訳者あとがきには、著者劉慈欣自身による海外出版用に編まれた代表作選集と考えても、そう的はずれではないだろう、とありました。

代表作選集という意味では、正確には本書と同時出版された『老神介護』という五編からなる短編集と合わせて十一編が選ばれているということです。

 

 

作者の劉慈欣と言えば、アジアから初のヒューゴー賞受賞作品としても知られている『三体』(全六巻)の著者として一気に名が知られるようになりました。

ただ、本書所収の作品の中にはその三体』のハードSFぶりからすると意外という他ない「呑食者」のような驚きの作品もあります。

その流れは姉妹作品の『老神介護』ではさらに明確に表れていて、表題作の「老神介護」などは哀しみにあふれた喜劇というべき内容です。

つまりは劉慈欣という作家の多方面にわたる能力が発揮されたSF的アイディアに満ちた作品集だということができるのです。

 

 

とはいえ、やはり劉慈欣の本領が発揮されていると言えるのはハードSFの側面だと思われ、その代表的な作品として表題作となっている第一作「流浪地球」が挙げられると思います。

その発想自体が迫りくる地球の危機に際し、地球そのものを宇宙船と見立て、太陽系から移動させるというものです。

ただ、地球そのものを異動させるというアイディアはこの作品が最初ではなく、私が子供の頃に見た映画ですでに地球を異動させる作品があったのを思い出していました。

その作品のタイトルは覚えてはいなかったのですが、本書『流浪地球』の解説でその映画にも触れてありました。

それは「妖星ゴラス」という映画であり、地球に衝突するコースで迫りくるゴラスと名付けられた惑星(?)から地球自体に北極だか南極だかにエンジンを装備して回避するというものだったと思います。

子供ながらに特撮技術の稚拙さを感じたように覚えていますが、それでもなおSF好きだったこどもの心を騒がせたものでした。

本書の「流浪地球」は、太陽が実際地球を動かすとしたら考えられる事象を取り上げ、四十年以上をかけて地球の自転を止めたりと、まさに劉慈欣ならではのハードSFとして読みごたえのある作品として仕上がっています。

 

 

第二話の「ミクロ紀元」にしても同様で、そのアイディアの突飛さは類を見ません。ただ、

その突飛さはハードSFというよりはコメディと言っても通りそうなレベルであり、単純に描かれている状況を楽しめばいい作品だと思います。

 

前出の第三話「呑食者」も半分冗談のような設定です。

地球をすっぽりと囲むほどに巨大な宇宙船で地球の資源の全てを食い尽くす宇宙人が現れ、地球の運命は風前の灯火となっています。

その先触れ役は身長が十メートルにもなる大きなトカゲとも言えそうで、その外見から大牙と呼ばれるようになった存在は自分たちの歴史を説いて聞かせるのでした。

この話も前の第二話と同様にラストにほんの少しだけの未来をのぞかせています。

 

第四話「呪い5・0」は、まさにコメディ作品です。

ハードSF作家としての劉慈欣の別な側面を見せてくれる作品で、人間の愚かさをユーモアに包んで示してくれます。

最初は“チャビ”という特定の人間に対して書かれた「くたばっちまえ、チャビ!!!!!!」という一行を一回だけ表示するウィルスだったのですが、それが、次第にバージョンアップされていきます。

 

第四話「中国太陽」は、宇宙で活躍する高層ビルの窓拭きたちの話で、再び劉慈欣らしいハードSFになっています。

 

第五話「」もまた、とんでもないアイディアをもとにした宇宙人来襲を描いた作品です。

宇宙人と話すことになるのが一人の登山家でありその対話の場所設定も突拍子もないのですが、そこで語られる宇宙人の話がこれまで聞いたこともないようなアイディアの話になっています。

ここでのアイディアは、先にも書いた『老神介護』の「彼女の眼を連れて」や「地球大砲」の発想と少しだけ似ている、と言えるかもしれません。

 

本書全編を通して、そのアイディアの自在さからどことなく小松左京の作品集を思い出していましたが、読み終えてみるとやはり異なるようです。

劉慈欣の発想はある意味小松左京以上と言えるかもしれず、ただ、小松左京のほうが社会的な視点が加味されているように思えます。

優劣の話ではなく個性の話であって共に素晴らしいSF作家であり、叶わない願ではありますが両作家の対談を聞いてみたいと思いました。

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』とは

 

本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は『十二国記シリーズ』の第五弾で、2013年6月に新潮社から文庫本で刊行された、辻真先氏による解説まで入れて358頁になるファンタジー短編小説集です。

 

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』の簡単なあらすじ

 

「希望」を信じて、男は覚悟する。慶国に新王が登極した。即位の礼で行われる「大射」とは、鳥に見立てた陶製の的を射る儀式。陶工である丕緒は、国の理想を表す任の重さに苦慮していた。希望を託した「鳥」は、果たして大空に羽ばたくのだろうかー表題作ほか、己の役割を全うすべく煩悶し、一途に走る名も無き男たちの清廉なる生き様を描く全4編収録。(「BOOK」データベースより)

 

目次

丕緒の鳥 | 落照の獄 | 青条の蘭 | 風信

 

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』の感想

 

本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は、四編の短編からなっています。

本書から版元が新潮社へと代わったそうで、これまでと異なり講談社版での刊行はなく、直接現行の新潮文庫からの出版となっています。

新潮社版ではシリーズ第五弾ということになっていますが、後にエピソード0となった『魔性の子』や、『ドラマCD 東の海神 西の滄海』付録の『漂舶』を除いた出版順から見ると、同じ短編集である『華胥の幽夢』に続く八作目の作品でもあります。

本書では、政(まつりごと)に対する普遍的な民の思い、即ち政治への積極的な参加、消極的な無視、そもそもの無関心その他のいろいろな民の形態が、その時々に応じて種々の登場人物の形態として描き出されています。

だからこそ読者の腑に落ち、登場人物に感情移入し、またそういう考えもあるかと新たな発見があって、そこでも感情移入の路を見つけ出します。

 

第一話「丕緒の鳥」は、シリーズ第一作『月の影 影の海』で語られた景王陽子の即位の儀の裏で苦悩する羅氏という官職の丕緒(ひしょ)の話です。

 

 

羅氏とは、慶国の新王即位の礼で行われる儀式で使われる鳥に見立てた陶製の的を作る陶工を指揮する役目ですが、丕緒は射儀の企図まで為す「羅氏の羅氏」と呼ばれていました。

この丕緒の、陶製の鳥である陶鵲をいかに作るか思い悩む姿が描かれています。

古代中国を参考にしたという『十二国シリーズ』の美しい世界観の中で、ある儀式を中心に新しい王朝の将来をも暗示した物語になっています。

 

第二話「落照の獄」は、柳国の法令・外交を司る役職である秋官の瑛庚の話です。

多くの人命を奪った凶悪犯の狩獺をどう裁くのか、傾きつつある柳国において、死刑を選択すれば司法が民の声に屈することになりかねず、死刑に付さなければ民の怒りは一気に噴出することになりかねないのです。

この物語は死刑制度についての議論が交わされており、『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』と同じように、刑罰の本質に迫る物語であると言えます。

現代の死刑制度に関しての議論と同様の衡量が為されており、かなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

 

第三話「青条の蘭」は、梟王の暴政に苦しむ雁国の、新しい草木や鳥獣を集める地官迹人という官吏である標仲の物語です。

新王が即位したことを聞いた標仲は、雁国で巻き起こった山毛欅(ブナ)の木が石化する病気を食い止めるため、身を削って見つけた薬草を新王に届けようと決意します。

新王登極の話がいきわたっているからか、何も分からないままに標仲の意を汲んだ人々が動く様子は心をうちました。

この物語はどこの国の話なのか、なかなかその名前が登場しません。結局、読後にネットで調べて雁国の話だと知りました。

 

第四話「風信」は、慶国の女王だった舒覚の悪政により家族を殺されてしまった蓮花という十五歳の娘の話です。

舒覚の悪政とは、国からすべての女を追い出してしまうもので、残っていた女は皆殺しにあうものであり、このシリーズでも何回か出てくる出来事です。

何とか軍の手から一人逃げた蓮花は、嘉慶という暦を作ることを職務とする男の下働きとして暮らすことになります。

新王が登壇するなか、燕のひな鳥の数の多さにこの国が明るいみたいのあることを教えてくれていることを知るのでした。

暦の意義、については、冲方丁の『天地明察』で描かれていましたが、この第四話では暦自体がテーマではなく、今の蓮花たちの暮らしが軍や政(まつりこと)に関係の無い浮世離れした生活のように思えても民の生活に密接に結びいていることを教えられるのです。

 

 

こうして読み終えてみると、同じ短編集でも『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は「官」側の物語であるのに対し、本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は「民」側の物語ということができそうです。

共に、十二国記シリーズで語られる物語の深みを増すものであり、かなり面白く読んだ作品でした。

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』とは

 

本書『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は『十二国記シリーズ』の第七弾で、2001年7月に講談社文庫から、2001年9月には講談社X文庫から刊行され、2013年12月に會川昇氏の解説まで入れて351頁の文庫として新潮社から刊行されたファンタジー短編小説集です。

 

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』の簡単なあらすじ

 

王は夢を叶えてくれるはず。だが。才国の宝重である華胥華朶を枕辺に眠れば、理想の国を夢に見せてくれるという。しかし采麟は病に伏した。麒麟が斃れることは国の終焉を意味するが、才国の命運はー「華胥」。雪深い戴国の王・驍宗が、泰麒を旅立たせ、見せた世界はー「冬栄」。そして、景王陽子が楽俊への手紙に認めた希いとはー「書簡」ほか、王の理想を描く全5編。「十二国記」完全版・Episode 7。(「BOOK」データベースより)

 

目次

冬栄 | 乗月 | 書簡 | 華胥 | 帰山

 

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』の感想

 

本書『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は、五編の短編からなっています。

各々の話で、様々な登場人物のその後の様子が語られていて、同時にそれぞれの話を通して人としてのあり方や考え方など、今の私達の屈託にも通じるようなエピソードが綴られていきます。

同時にそれは『十二国記』の世界をより強固に構築することになるエピソードでもあり、このシリーズ全体の成り立ちを下支えする話の物語集ともなっています。

 

第一話「冬栄」は、戴国の泰麒の漣国訪問の話です。

この物語では『黄昏の岸 暁の天』や『白銀の墟 玄の月』で語られている、泰王が泰麒に粛清の模様を見せないために他国へ出した際の泰麒の様子が語られています。

泰麒の高里は未だ幼く、自分が麒麟として泰王驍宗の役に立っているのか、民の平和な生活のために尽くすことができていないのではないかと悩んでいたのですが、その悩みに対して、廉王の鴨世卓は農作業をしながら語り掛けます。

風の海 迷宮の岸』では、泰王を選ぶという麒麟としての存在に悩む泰麒の姿が描かれていましたが、ここでは国の政に関わる泰麒としての役目について思い悩む泰麒が描かれています。

 

第二話「乗月」は、『風の万里 黎明の空』で語られた芳国の元公主祥瓊が辛酸を舐める元となった、芳国の峯王仲韃が討たれた事件のその後の芳国の話です。

具体的には、峯王仲韃亡きあと、祥瓊が放逐された後の恵州州侯の月渓の話です。

月渓は自分が王となるために仲韃を討ったのではなく、王となるわけにはいかないと言い官吏たちを困らせていました。

そこに、慶国からの使者が景王の親書と芳国元公主の祥瓊の手紙を届けにきたのです。

 

第三話「書簡」は、雁国で学生となっている楽俊と景王陽子との口伝えをすることのできる青い鳥を介した文通の様子が語られています。

シリーズ第一作『月の影 影の海』において登場し陽子を助けたその後の楽俊と、今では景王となっている陽子とが互いに報告しあっています。

共に明るく、元気にしているとは言いながら、半獣である楽俊が差別を受けていない筈はなく、また蓬莱育ちの陽子が官吏たちにないがしろにされていることも互いに理解しているのです。

でありながらもそれなりに努力をしている姿もまた理解している様子が綴られています。

 

第四話「華胥」は、才国の宝重である華胥華朶と采王砥尚をめぐる大司徒朱夏らの様子が語られています。

誰しもが国を統治する側に回ったときできるだけ理想とする世界に近づけるように努力するものです。

しかしながら、「理想」というものは個々人によって異なるものだということが華胥華朶によって暴かれます。

可能な限り民の安寧を目指す筈だった政がその理想追及の故にいつの間にか民の倖せから遠ざかっていく不合理さが示されています。

この物語は、短編集『丕緒の鳥』の中の「落照の獄」でテーマになっている刑罰の本質に迫る議論と同様の、かなり深い議論が展開されています。

 

第五話「帰山」は、傾きつつある柳国の様子を探る利広風漢、特に利広の様子が語られています。

ここに登場する利広とは、『図南の翼』で登場していた奏国の太子であり、風漢とは『東の海神 西の滄海』など随所に登場してきた延王尚隆です。

この話では、前半は国の寿命についての二人の会話があり、後半は奏国に戻った利広とその家族、つまり奏国王家族の話になっています。

国が傾くとはどういうことか、かなり深い話がなされているようですが、私には若干難しい議論でもありました。

でありながら、話自体は面白いと感じるのですから、私の本の読み込み方にも問題があるのかもしれません。

 

読み終えてみると、シリーズ内の長編では詳しくは語られることの無かった漣国や芳国、才国、柳国などのエピソードが展開されている物語集となっています。

そして、そうした細かな話の積み重ねにより前述したように、この『十二国記シリーズ』の成り立ちを下支えする物語集ともなっているのです。

ただ、こうして短編によって『十二国記シリーズ』の空隙が埋められていくということは、これらの国の物語が長編になることはない可能性も出てくることにもなります。

それはまた残念なことであり、長編の物語も読みたいと思うばかりです。