お文は身重を隠し、年末年始はかきいれ刻とお座敷を続けていた。所帯を持って裏店から一軒家へ移った伊三次だが、懐に余裕のないせいか、ふと侘しさを感じ、回向院の富突きに賭けてみる。お文の子は逆子とわかり心配事が増えた。伊三次を巡るわけありの人々の幸せを願わずにいられない、人気シリーズ第五弾。(「BOOK」データベースより)
髪結い伊三次捕物余話シリーズの五作目です。
「蓮華往生」 隠密廻り同心の緑川平八郎は、浅草寺近くの天啓寺の大蓮華の台座で信者が息絶えることが頻発している事件を調べることになった。平八郎の妻てやの天啓寺通いや、平八郎の幼なじみでお文の先輩芸者の喜久壽のこともあり、心配をしていた。
「畏れ入谷の」 馬喰町にある郡代屋敷の手代・高木茂助は、日々酒におぼれ周りに迷惑をかけるものの、郡代屋敷の者はかまうなというばかりだった。お文は最後の座敷の客がその高木茂助だったために、茂助の酒の事情を聞くことになる。
「夢おぼろ」 男勝りの剣の腕を持つ吟味方与力片岡郁馬の娘美雨は、縁談を断っているという。ところが、伊三次は両国の回向院で富くじを買う折にその縁談の相手である乾監物と出会い、その人柄の良さを知るのだった。
「月に霞はどでごんす」 昨年、浅草で履物屋の十歳ほどの息子が侍に斬り殺されたものの、犯人には何のお咎めもなかった。その後、その侍は惨殺され、件の履物屋が人を使って仇討ちしたとの噂になった。
「黒く塗れ」 伊三次は「畏れ入谷の」の話で緑川の捕物の手伝いもした箸屋の翁屋八兵衛から相談を受けた。八兵衛の妻のおつなが店の金を持ち出しているらしいというのだった。
「慈雨」 松浦桂庵の母親の美佐が行方不明になり、数日して帰ってきた。美佐の頼みで、美佐を助けてくれた棒手振りの花屋に礼を言いに行くと、以前伊三次がお佐和という娘と別れさせた当の元掏摸の直次郎だった。
伊三次とお文の間には一人目の子が、不破家には龍之介に次いで二人目の子が生まれ、それぞれの家庭の姿が描かれます。
とくに、不破家の龍之介の成長が印象的な本編です。
「蓮華往生」は、天啓寺の不正という一件よりも、てやと喜久壽という女の立場の違いを描き出した一編でした。
「畏れ入谷の」は、江戸時代という封建時代ならではの事情を背景に、夫婦相互の想いを記した一編です。
伊三次との子をお腹に抱えたお文と、二番目の子を産んだばかりのいなみ、そして、高木茂助とその妻という三組の夫婦のそれぞれのありようが心に沁みる一編で、龍之介が最後に叫んだ言葉が耳に残ります。
「夢おぼろ」はほのぼのとした話です。竜之介が思いのほかに成長している姿がありました。
「月に霞はどでごんす」は事件もさることながら、お文の初産の苦労、そして夫伊三次の所在なさが描かれています。お文の子は逆子であり、伊三次はもちろん、子が生まれたばかりの友之進も、そして緑川も喜久寿も、お文の身体を心配しています。
「黒く塗れ」はストーンズの名曲「黒く塗れ」からとったというタイトルだそうで、だとすればこの話はタイトルが先にありきだったのでしょうか。
と思ったら、著者本人の「あとがき」によれば、そもそもは矢沢永吉の「黒く塗りつぶせ」という楽曲のタイトルがあり、しかし小説のタイトルとしては「黒く塗れ」の方がふさわしいということで決めたそうです。
話自体は捕物帳としての色合いの方が濃い作品ですが、犯罪の手段や処理の仕方そのものが私の好みではない話でした。
「慈雨」は、浅草で掏摸をしていた直次郎という男が再び伊三次の前現れます。
直次郎という男は、本書の前の巻で登場する男らしいのですが、シリーズの順を飛ばして読むとこういうことになります。
でも、コロナ騒ぎでの図書館閉館による電子図書での再読ですので、それも仕方ありません。