大店のお嬢さんが、お仕着せの人生を捨て、真に愛する人と共に生きようとする姿が清清しい「下駄屋おけい」。互いを想う気持ちがすれ違っていく夫婦の、やりきれなさが胸に迫る「さびしい水音」。交錯する恋心に翻弄されていく男女四人の哀しみが描かれる「仙台堀」など、江戸・深川を舞台に繰りひろげられる、六つの切ない恋物語。第21回吉川英治文学新人賞受賞作。
1999年に出版された六編の短編が収められた人情時代小説集です。
第21回吉川英治文学新人賞を受賞した宇江佐真理という作家の面目躍如たる作品集で、読みごたえのある一冊でした。
宇江佐真理のデビュー作であり、『髪結い伊三次捕物余話シリーズ』の第一作『幻の声』が書かれたのが1995年ですから、本作品も宇江佐真理の初期作品と言ってもいいと思われます。
でありながらこの完成度ですから才能の素晴らしさは目を見張るものがあります。
「下駄屋おけい」 太物屋「伊豆屋」の娘おけいは、幼馴染の巳之吉の住む下駄屋「下駄清」の彦七という職人の下駄が大好きだった。そのおけいに縁談が持ち上がり、彦七の下駄を新調することになった。
「がたくり橋は渡らない」 花火職人の信次は、将来は所帯を持つ約束をしたおてるが、母親の薬代などがかさみとある隠居の世話になることを知った。おてるとともに死のうと心定めた信次だったが、おてるの隣に住む錺職の夫婦の世話になり、職人夫婦の話を聞くのだった。
「凧、凧、揚がれ」 凧師の末松のところには正月が近づくと凧を作りに子供たちが集まっていた。その子らの中に次男の正次の奉公先の娘のおゆいがいた。そのうちにかつて凧作りに来ていた男勝りの娘であるおしゅんの祝儀に凧をあげることになる。
「さびしい水音」 大工の佐吉の女房のお新は絵を描くことが大好きで、日がな一日絵筆を握っているほどだった。そのお新の絵が人気となり、佐吉の家はそれなりに裕福な生活ができるようになった。しかし、いつしか佐吉や佐吉の差に夫婦もその金をあてにするようになってしまうのだった。
「仙台堀」 観物問屋「魚仙」の手代である久助は深川の料理屋「紀の川」に出入りしていた。引っ込み思案の久助は紀の川の娘おりつとの縁談を断り切れないでいた。一方魚仙の娘お葉はおりつの兄で紀の川の板前でもある与平に恋心を抱いていたのだが・・・。
「狐拳」 深川芸者であった材木問屋信州屋の内儀のおりんは、先妻との間の長男の新助を跡取り息子として育ててきた。しかし、新助は小扇という芸者を嫁にしたいと言い出すのだった。
この四月の入院時にまとめて読んだ藤沢周平の初期作品群と比べると、作品自体の未来に向いた明るさがはっきりと示される作品が多いことに気付きます。
特に「下駄屋おけい」はそうで、おけいのこれからにどのような苦労が待っているものかは分かりませんが、明るい明日を思わせる気持ちのいい物語です。
また「がたくり橋は渡らない」もそうで、話自体は実に切ない物語であって明るい未来が待つ結末というわけにはいきませんが、それでも暗いばかりの話ではありません。こうした将来への希望を思わせる物語こそ宇江佐真理の真骨頂だと思えます。
とくに私が好きなのは「凧、凧、揚がれ」です。この話も切ない話ではありますが、青空にぐいぐいと昇っていく凧の姿が見え、嬉しそうなおしゅんの顔とおゆいの姿が浮かぶ好編です。
一方、優柔不断の久助と身体の弱いお葉、色男の与平とその妹おりつという登場人物のしがらみが胸を打つ「仙台堀」は短編で描くに少し話が複雑に過ぎました。
また、「狐拳」は物語としては面白いと思います。しかし、あまりにも話ができすぎていて感情移入しにくいと思ったのも事実です。
そして、人の幸せのあり様はさまざまであり、物質的な豊かさとは関係がないという「さびしい水音」は、個人的には宇江佐真理の物語としてはあまり出来が良いとは思えませんでした。
もちろん話の運びはうまいと思うのですが、物語自体は特別なものではありません。
ところが、解説を担当している阿刀田高氏によれば、この「さびしい水音」は「大切なものを賭けてストーリーを創っている凄みが漂っている
」と書いておられ、高く評価されているのです。
その上、「仙台堀」も「狐拳」も悪くない
と言われているのです。
こうした点を見ると、やはり私の読み方は単なる好みであり、作品としての質を見抜く力はまだまだのようです。