『夜叉萬同心 親子坂』とは
本書『夜叉萬同心 親子坂』は『夜叉萬同心シリーズ』の第三弾で、2013年8月にベスト時代文庫から文庫本書き下ろしで刊行され、2017年4月に光文社文庫から309頁の文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。
『夜叉萬同心 親子坂』の簡単なあらすじ
中越・永生藩の山村から、奇妙な男が江戸に送り込まれた。無垢な心を持ち、鷹のように一瞬に獲物に止めを刺す、森で育った忍びの者、西上幻影。北町奉行所の隠密廻り方同心・萬七蔵は相次ぐ豪商の不審死を調べるうち、ある腹黒い商人と永生藩国家老周辺との癒着に気づく。巻き込まれる誇り高い鷹、幼影の運命に、七蔵はどう立ち向かうか。傑作シリーズ第三弾。 (「BOOK」データベースより)
序 十万億土
吉原の男たちによる警動騒ぎが起こって引きたてられ、翌正月に江戸町では女たちの入札が始り、一人の女に対する暴行を止めたのが七蔵だった。一方、永生藩では国家老の河合三了が西上幻影にある命令を発していた。
第一章 湯島の白梅
ある日七蔵の家に猫の倫に誘われて、お美濃という幼子が遊びに来た。世話になっている叔父は帰ってこずに、賭け弓のうまい兄の健太と暮らしているという。しかし、七蔵が掛かりである殺人事件に絡んでいるのが健太が世話になっている白梅という女であり、また健太を利用した白梅の企みの裏には中丸屋康太夫という米問屋が絡んでいる疑いがあった。
第二章 寒椿雪化粧
新吉原の面番所に詰めていた七蔵は、正月に助けた本名を椿、今は寒椿と名乗る女郎から父親の河野佐治兵衛を斬った者を捜し出したいという相談を受けた。河野佐治兵衛の事件を調べると、かつては椿の許婚だった疋田籐軒、今の根津籐軒の身代わりに仕置を受けた事件に関連しているらしいが、根津籐軒の仕置は難しいと伝えるのだった。
第三章 幻の鷹
永生藩の河合三了から命を受けた西上幻影は鏡音三郎の昔馴染みであった。幻影は例の中丸屋に寝泊まりしていた。永生藩御用達を務める笹井屋太佐衛門、室生屋利三郎と不審な死が続き、残された荷送問屋大樽屋文右衛門が調べを願い出てきた。中丸屋は永生藩蔵元の地位を望んでいるらしく中丸屋を見張る七蔵らだった。
『夜叉萬同心 親子坂』の感想
本書『夜叉萬同心 親子坂』は、『夜叉萬同心シリーズ』の第三弾となる、連作短編の痛快時代小説です。
本書では、登場人物の一人である鏡音三郎が仕える藩の御用達の中丸屋が絡んだ話が第一話と第三話とに出てきます。それは、つまりは「序 十万億土」で登場してきた西上幻影の物語であり、ひいては鏡音三郎の話にもなります。
また前巻から登場してきている猫の倫が結構重要な役割を勤めていて、本書の雰囲気も和らいでいるようにも思えます。
猫に重要な役割を担わせている物語は少なからずありますが、時代小説に限ると、田牧大和の作品にはよく猫が登場します。
中でも『鯖猫(さばねこ)長屋ふしぎ草紙』で登場するサバという名の猫は殆ど主人公といってもいいくらいで、この猫の指図で絵師の青井亭拾楽がさまざまに振り回されるのです。
また、そこまでではありませんが思い出すのは、池波正太郎の『剣客商売 二十番斬り』の中の「おたま」という短編に登場する猫も、重要な役割を担っていて、何故か心に残っています。
このシリーズの中では、久しぶりの出会いのきっかけを猫に求めるという、めずらしくファンタジー色が感じられる話であり、また、四十余年という歳月の経過の恐ろしさを描いた好編でした。
ともあれ本書『夜叉萬同心 親子坂』の第二話は、いつもの通りの世の中で起きた不条理な出来事の後始末をつける七蔵という流れの話ですが、他の二編は、永生藩の藩内抗争に絡んだ話であり、鏡音三郎が重要な役割を持って活躍する話になっています。
とはいえ、西上幻影という野に育った男が藩の重役の言動に踊らされるという悲哀を持った物語という点では、この作者がよく描く世界の話だとは言えるのでしょう。
変わらずに、一気に読める作品となっています。