本書『鼠異聞 新・酔いどれ小籐次』は、文庫本上下二巻で670頁を越える長さがある『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第十七・八弾です。
小籐次へのとある懐剣の研ぎの依頼と桃井道場年少組も同行する久慈屋の高尾山薬王院への紙納めの旅の様子が語られる、佐伯節が満喫できる作品です。
『鼠異聞 新・酔いどれ小籐次』の簡単なあらすじ
文政9年初夏。太平の世を謳歌する江戸では近頃、貧しい長屋に小銭が投げこまれるという奇妙な事件が続いていた。小籐次は謎の青年から、名刀正宗の研ぎを頼まれる。そんな中、高尾山薬王院へ紙を納める久慈屋の旅に、息子の駿太郎・道場仲間の少年らとともに同行することに。高井戸宿、府中宿へと進む一行を付け狙うのは…。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)
府中宿で久慈屋の荷が襲われた騒ぎの真相が明らかになると、北町奉行・榊原は同心の木津親子を呼び出した。一方、雨の降り続く高尾山ふもとに到着した小籐次一行だったが、薬王院の跡目争いの背後に渦巻く怨恨により、駿太郎ら少年たちの身にも危険が迫る―高尾の山中で、猿と“鼠”を従えた小籐次の竹トンボが鋭く舞う!( 下巻 : 「BOOK」データベースより)
第一章 妙な客
いつもの通り、久慈屋の店先で研ぎ仕事をしている小籐次のもとに、子次郎と名乗る遊び人風の男が五郎正宗作だという菖蒲造の懐剣の研ぎを依頼してきた。
第二章 木彫りの鼠
そんな小籐次に久慈屋からの呼び出しがあり、高尾山薬王院有喜寺への紙納めの旅の付き添いを頼まれた。ところが、その話を聞いた桃井道場の年少組の五人も同道したいと申し出るのだった。
第三章 見習与力
結局、さらに北町奉行所与力見習の岩代壮吾までも加わった六人が高尾山行きへ同道することになった。ところが、前巻で問題を起こした木津留吉が仲間と共に久慈屋の大金を狙ってきたのだった。
第四章 壮吾の覚悟
府中に宿泊中、子次郎が車列のある納屋を狙う留吉の仲間は総勢七人だと知らせて来た。その夜、納屋を襲ってきた留吉らは北町奉行所与力見習の岩代壮吾により退けられてしまう。
第五章 府中宿徒然
府中宿での顛末は小籐次から江戸の久慈屋や中田新八らのもとに知らせられた。留吉の行動は留吉の父親の不手際で久慈屋一行の秘密が漏れたことなどから、木津家の今後まで決められるのだった。
第六章 悲運なりや温情なりや
やっと着いた目的地の高尾山薬王院の麓別院に俊太郎らを残し、昌右衛門、国三主従と小籐次は降り続く雨の中を薬王院有喜寺へと向かった。途中一行を襲う一団を退けた小籐次らは貫主山際雲郭と会った。
第七章 菖蒲正宗紛失
懐剣を盗まれた小籐次にもとに、江戸へ帰れ、との手紙が届いた。子次郎と話して江戸へと戻ることにした小籐次は、途中現貫主の敵の万時屋悠楽斎のもとへ寄り三公と呼ばれる小僧を見張りにつけられるのだった。
第八章 高尾山道の戦い
三公こと三太郎の力を借りた小籐次は、薬王院近くの万時屋親子一派の隠れ家を襲い、飛び道具など燃やしてしまう。俊太郎らは久慈屋の荷物を背負い高尾山の薬王院へと登り始めるが、襲ってきた万時屋一味を撃退するのだった。一方、子次郎は、壱行から盗まれた懐剣を取り戻していた。
第九章 琵琶滝水行
子次郎により助け出された現貫主の雲郭と昌右衛門らも久慈屋の一行を迎えた。ようやく研ぎにかかった小籐次は、子次郎から懐剣のいわれを聞く。研ぎの間、俊太郎らは三太郎と会い話を聞いた。
第十章 菜の花の郷
三太郎の里に巣くった用心棒たちを退治した俊太郎たちは、研ぎを終えた小籐次と共に江戸へと帰るのだった。
『鼠異聞 新・酔いどれ小籐次』の感想
『新・酔いどれ小籐次シリーズ』も十七巻目ともなると、さすがにマンネリの様相も見え始めてきつつある本巻で、子次郎と名乗る新たな人物が登場してきました。
おりしも、江戸の町では庶民の長屋に一朱や一分といった小銭を放り込んでいく事件が起きていて、子次郎とのかかわりを匂わせてあります。
この子次郎が小籐次に依頼してきた仕事が、五郎正宗作だという菖蒲の葉に似た造込みの懐剣の研ぎだったのです。
この子次郎と小道具の懐剣が、数巻だけでも本シリーズに新たな風を吹き込み、シリーズのマンネリ化を回避することを期待したいものです。
本書『鼠異聞』では、久慈屋の高尾山薬王院への紙納めを中心として物語が展開します。
すなわち、『鼠異聞』上巻で語られる高尾山薬王院への往路は、前巻『酒合戦』で登場した桃井道場年少組の木津留吉が絡んだ話であり、『鼠異聞』下巻は薬王院内部の貫主の地位を狙う一味との闘争の話です。
この本書『鼠異聞』上巻の話は、木津留吉の手引により久慈屋の荷を狙う由良玄蕃という剣術家を頭とする総勢七名と俊太郎や岩代壮吾らの戦いを一つの山としています。
同時に、そのことは留吉の行いに対する木津家の浮沈、それに留吉を捉えることになる北町奉行所与力見習の岩代壮吾の決断などが見どころとなります。
ここらでは武家社会の決まりの中での冷酷な仕置きや見習与力の成長の様子などが簡略に語られており、痛快小説ならではの単純な物語の運びとして展開されます。
本来であれば、現代とは異なる武家社会のありようなどをリアルに、また重厚に描くこともできそうなテーマではありますが、この『鼠異聞』という佐伯作品では物足りなさを感じるほどにあっさりと処理してあります。
いろいろな枝葉は描かずに、関わった当事者の心象も深く描写することもなく結果だけをあっさりと示す処理の仕方をされているのです。
また本書『鼠異聞』下巻では薬王院貫主の地位を狙う先代薬王院貫主宗達の隠し子である万時屋悠楽斎と、その嫡子の壱行という僧侶の一味とを相手とする争いが中心の話です。
特にこの下巻では物語の筋だけを見れば実に単純であって、それ以上に筋の運びの荒さが目立ちます。
もう少し丁寧な展開を考えてもいいのではないか、と思うほどに雑に感じるのです。
壱行が貫主の地位を狙うために小籐次の存在が邪魔になり、江戸へ追い返そうとするのですが、その手段やその後の行動など、あまりストーリーを練ってあるとは思えません。
佐伯作品の痛快小説としては、よく練り上げられた物語展開は不要と言っているかに思えるほどです。
事実、痛快時代小説として単純に楽しめればいいのであり、それ以上のものは求めるべきではないのでしょうか。
本書『鼠異聞』では、上下各巻での二つの事件に加え、物語全体を通して菖蒲正宗という懐剣が小道具となって物語が展開します。
この懐剣の扱いも下巻では雑としか思えないものではありましたが、その点はあまりしつこくは言わないこととします。
ただ、今後の小籐次の物語にも多分かかわってくる小道具だろうと推察するだけです。
以上のように、上下二巻という長さの物語の本書『鼠異聞』ですが、いつもの佐伯作品と同様にあまり長いとは感じませんでした。
コロナワクチンの副作用で微熱が出て倦怠感で何もする気がおきない中ただただ本書を読んでいました。
ここまで不満点ばかりを書いたものの、本書『鼠異聞』はそんな不満を持ちながらも楽しく、軽く読める作品であったことは否めません。
難しいことは言わずに単純に楽しむことができる作品だったというべきなのでしょう。