本書『落陽』は、た百五十年後の未来を見据えた明治神宮造営事業を描いた、文庫本で374頁の長編の時代小説です。
朝井まかてという作家が主人公の記者の目を借りて見た明治天皇及び明治という時代について考察した力作です。
『落陽』の簡単なあらすじ
明治天皇崩御―直後、渋沢栄一ら東京の政財界人は御霊を祀る神宮造営を計画、その動きは巨大なうねりになっていく。一方、帝国大学農科大学の本郷高徳らは、「風土の適さぬ東京に神宮林にふさわしい森を造るのは不可能」と反論、大激論に。東都タイムスの記者瀬尾亮一は、対立を追う同僚に助力するうち、取材にのめり込んでいく…。天皇と日本人の絆に迫る著者入魂作!(「BOOK」データベースより)
明治天皇崩御の後、明治天皇の御陵は京都の伏見桃山に作られることが決まります。しかし、その代わりに東京には明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社を作ろうという話が起きます。
当初は、東京の代々木、青山付近は神宮の荘厳さに必要な針葉樹林の死立つ環境には無いので不向きという反対論もあったそうですが、結局は現在の地での神宮造営が決まります。
そうした明治神宮造営事業を追いかけ、記事にしようとする瀬尾亮一や同僚の伊東響子らの姿を描いているのが本書です。
神宮造営の模様を二人の記者の取材行動に合わせて描き出していくのです。
『落陽』の感想
本書『落陽』の主人公は、東都タイムズという編集長以下三人の記者しかいない弱小新聞社の瀬尾亮一という記者です。
明治天皇崩御に際し、瀬尾は二重橋前でひれ伏す大衆を見て「天皇とは、誰なのだろう。」という疑念を抱きます。
この疑念が本書が私の思惑とは異なる世界へと導かれていくきっかけでした。
この本を読む数日前にNHKのドキュメンタリーで、明治神宮造営に関するドキュメンタリーがありました。そこでの百年後の未来を見越した神宮造営の設計には感動を覚えたものでした。
そのこともあって、本書は明治神宮造営そのものの過程を追った、ダイナミックな作品を予想しながら読んだのです。
しかし、神宮造営事業を追跡しながら、瀬尾の関心は明治という時代を生きた明治天皇個人へと対象が変化していきます。
それは、神宮造営という一大事業を小説にするという作者の思いにも重なるもののようです。
事実、作者の朝井まかては、「明治天皇に迫らざるを得ないという直感」を持って本書を書き始めたと言っています。
十七歳にして住み慣れた京都を離れて東京という町へ移られた若き天皇の心の内へと思いを致し、天皇を通して明治という時代を考察としているようです。
こうして本書の主人公である瀬尾の関心は「正史」がない明治天皇へと移っていくのですが、それはつまりは作者の思いが、明治天皇を通して見た「明治」という時代を構築しようとしているようでもあります。
本書『落陽』のように直接的に明治を描いた作品というわけではありませんが、杉本章子の『東京新大橋雨中図』という小説があります。
「光線画」の書き手として最後の浮世絵師と呼ばれた小林清親という人物を、明治維新期の世相を一般庶民の生活に根差した視点で描写している作品です。
そして、浅田次郎の作品にも明治時代を描いた作品がありました。『五郎治殿御始末』という作品がそれで、明治維新という社会の変革についてゆけない侍の悲哀を描いた作品集です。
どの物語も侍の矜持を捨てることを潔しとせず、それでいて明治という新しい世になんとかなじもうとする侍の哀しさが漂う物語として仕上がっています。