お咲は、年寄りの介護をする「介抱人」。口入屋「鳩屋」の主人・五郎蔵とお徳夫婦に見守られ、誠心誠意働くお咲は引っぱりだこだが、妾奉公を繰り返してきた母親のだらしなさに振り回され、悩む日々―。そんな時、「誰もが楽になれる介抱指南の書」を作りたいという貸し本屋・佐分郎太から協力をもとめられた。「いっそ、ぎりぎりを攻めるってのはどうですかね、お咲さん」―「いいかも。そのぎりぎり」。長寿の町・江戸に生きる人々を描く傑作時代長編。(「BOOK」データベースより)
わがままな母親を抱え、介抱人として働く女性の姿を人情味豊かに描く長編時代小説です。
銀の猫
商売が忙しいことにかこつけて、父親の面倒を見ようとしない息子夫婦の依頼で湯島天神下の料理屋の㐂十の隠居㐂作の介抱に向かうお咲だった。
この物語は介抱人という職業や、介抱人を紹介する口入屋の「鳩屋」の紹介を兼ねた物語になっています。
隠居道楽
深川の干鰯商の相模屋の女隠居のおぶんは、体は元気だが道楽が過ぎるためお目付け役を兼ねて介抱人を付けることとしたものだった。
この物語の今後の展開に大きな役割を果たすおぶんの紹介の物語です。
福来雀
日本橋の芸者染吉の母親のお蔦が足の骨を折ったので、介抱人を頼んできた。お蔦は自分の娘のために良かれと、何かにつけ口を出すのだが、染吉は何故かお蔦を邪険に扱う。
お咲同様に困りものの母親を持つ芸者染吉とお咲との語らいが胸を打ちます。
春蘭
旗本の上野家の隠居の白翁は突然「お嬢様と呼ばぬか」と怒り出した。頭ははっきりとしているとのことだったが、どうも老碌の症ではないかと思われた。
“親に考”の考え方が介護にも影響を与えている姿が記されています。
半化粧
日本橋の貸本屋杵屋の主である左分郎太が、貝原益軒や、室鳩巣とは異なる今の世の支えになる新しい介抱指南書を作りたいといってきた。
親子、嫁姑でも時には本音を言い合うことが大切だけれど、すべてをぶつけ合えばやはり傷つけあうことになる。だから昔の人は“考”という分別を作ったのかもしれない、という一文は心に沁みます。
菊と秋刀魚
以前お咲が介抱した白翁の紹介でお松とお梅姉妹の住む隠居所へと来ると、妹のお梅はお松の女中頭のように仕えていた。しかし、お松はお梅の顔色を窺っているように見えるのだ。
傍からはうかがい知ることのできない姉妹の関係が、介護人として一歩踏み込むことで見えてきたのでした。
狸寝入り
お松のもとに白翁から菊見への誘いの文が届いた。しかし、誘いを受けようとするお松の意向を無視するお梅だったが・・・。その後を引き継いだ朋輩から、お松とお梅とが言い合っているが、片方は狸寝入りをしてやり過ごしているらしいと聞く。
おぶんの「たいていのことはまず狸寝入りをして、それからでも間に合うものさ」と言う言葉が耳に残ります。
今朝の春
杵屋左分郎太が「往生訓」と題された指南書の試し刷りを持ってきた。「生き生き楽楽介抱御指南」と副題が添えてあった。
この話では、新指南書の出来上がりと共に、母親の佐和とお咲との関係を正面から描いてあります。個人的にはここでの結論はあまり納得のできるものではありませんでした。
主人公のお咲は、母親がお咲のかつての夫にこさえた借金を返すために、割のいい職である介抱人として口入屋の「鳩屋」で働いています。
「介抱人」とは身内に代わって年寄りの介抱を助ける奉公人のことであり、今で言う訪問介護ということになるのでしょう。年寄りを抱える我が家でも決して他人ごとではありませんでした。
お咲は、口入屋、つまりは職業紹介所の「鳩屋」の紹介で各所に赴きます。鳩屋の主人が急須を持つのが趣味の五郎蔵であり、その女房が亭主よりも貫目があり、実質店を仕切っているといわれるお徳です。
そして、お咲には家のことは何もせずに自分の容姿だけを気にかけている、お咲にとって頭痛の種でもある“佐和”という母親がいて、親子について考えさせられることになります。
勿論、本書の一番のテーマは老人の「介護」の問題であり、そこはかなり考えさせられます。
江戸時代には、町人も武家も年寄りの介抱を担っている者の大半は一家の主であったことや、「養生訓」などの親の介抱について説く書の紹介など、介抱人の眼を通した介護の実際など、現代の私たちが関心がないわけがないのです。
本書を読んだからといって今の私たちの介護の問題がどうなるものではないのだけれど、そこに展開される人情物語は一筋の心やすめではあるようです。
「介護」の先に必然的に待つ「死」についても少しですが考えることになります。
介抱人のお咲は、仕事柄、紹介先の家庭内の事情を知ることになり、どうしても家庭内のもつれに巻き込まれてしまうのです。さらに介護というテーマである以上はその先に待つ「死」という事実に直面し、そこにドラマが展開されます。
それは新田次郎や笹本稜平の山岳小説、それに夏川草介や知念実希人のような医療小説と同様に、「命」について考えさせられもするのです。
本書は、この作家には珍しく(と言っていいものか)、この作者の『恋歌』や『眩』『残り者』といった作品のような重厚さを感じさせる物語とは異なり、例えば宇江佐真理を思い起こす、上質な人情物語として仕上がっています。
それは先に挙げた作品が「短歌」や「浮世絵」それに「大奥の女たち」といった一般庶民とは異なる次元のものをテーマにしている作品だったということからくる違いなのでしょう。
そうした事柄とは別の、特に介護の話がテーマになっている本書では、市井に暮らす人たちの普通の暮らしが描かれているのであり、だからこそお咲と母との確執や、庄助やその母親とおぶんとのやり取りなどのエピソードが読み手の琴線に触れるのでしょう。
つまりは朝井まかてという作家の力量の素晴らしさが人情話の面で発揮されたのだと思えます。
そして、「死」についても、大上段に構えるのではなく、新しい「介抱指南書」をきっかけに「老いてゆっくり死ぬ」ことを目指そうとするのです。
朝井まかてという作家は青山文平と共に、読み応えのある近年の時代小説の書き手として私の中で一番好きな作家さんの一人ですが、本書でさらに新たな一面を知ることができ、楽しみが増えた一冊でした。