モルフェウスの領域

桜宮市に新設された未来医学探究センター。日比野涼子はこの施設で、世界初の「コールドスリープ」技術により人工的な眠りについた少年の生命維持業務を担当している。少年・佐々木アツシは両眼失明の危機にあったが、特効薬の認可を待つために5年間の“凍眠”を選んだのだ。だが少年が目覚める際に重大な問題が発生することに気づいた涼子は、彼を守るための戦いを開始する。人間の尊厳と倫理を問う、最先端医療ミステリー!(「BOOK」データベースより)

海堂尊の作品にしては珍しい、SFの要素のをも含んだ小説になっています。

両眼失明という危機に陥っている佐々木アツシは、治療法の開発を待つために、未来医学探求センターで五年間の冷凍睡眠(コールドスリープ)に入ります。その間のセンターで眠り続けるアツシの世話係としてセンターに非常勤職員として雇われたのが日比野涼子で、この女性の物語として本書は始まりますが、眠り続ける佐々木アツシ少年もまたこの物語の主人公ということになるのでしょうか。

主人公の佐々木アツシ少年は『ナイチンゲールの沈黙』や『医学のたまご』にも登場しているのですが、2006年を舞台にした『ナイチンゲールの沈黙』では5歳。16年後の2022年を舞台にした『医学のたまご』では17歳という、年齢面での齟齬を生じさせてしまったところから、つじつま合わせに書かれたものだそうです。( ウィキペディア : 参照 )

残念ながら、海堂尊という作家の紡ぎ出す物語にありがちなこととして、論理をもてあそんでいるとしか思えない展開が多々あるのですが、本書においてもそうでした。

それは、このセンターの設立基盤でもある曾根崎伸一郎教授が提唱した「凍眠八則」、そして「凍眠」の根拠づけの法律である「人体特殊凍眠法」をめぐる曾根崎教授と涼子との会話の場面であり、またコールドスリープ技術を開発した技術者である西野昌孝と涼子との会話の場面です。やはり私はついていけない展開でした。

何度も書いていることですが、海堂尊という作家は、死亡時画像病理診断(オートプシー・イメージング:Ai)や官僚の話などになると途端に高度なロジックを展開されます。そして、そこでの論理展開は大体において、私には理解できないのです。単に理解できないだけでなく、物語の流れがそれまでとは別の流れに乗ったかのように途切れてしまいます。勿論、そのうちにそれまでの流れに戻りはするのですが、読み手である私はいつも置いていかれてしまうのです。その点さえなければとても面白いのにと、読み手である私の個人的な資質は脇に置いて思います。

その点とは別に、本書の気になる点としては、世界初のコールドスリープ技術により眠り続ける少年を見守るにしては、何故か臨時職員である日比野涼子一人しかいないなど、設定として受け入れがたい状況設定があります。一応世界初などという以上は、もう少しそれなりの状況を設けてくれないと、小説としての世界が成立せず、感情移入しにくいのです。

本書は佐々木アツシという少年の成長の物語でもありますが、そこは続編である『アクアマリンの神殿』に委ねているとも言えそうで、本書はやはり日比野涼子の物語というべきなのでしょう。

その日比野涼子が最終的にとった手段については賛否があるところだと思います。個人的には何故ああいう行動をとったのか良く分からないところもあるのですが、読む人が読めば明確な理由があると読みとれるものなのでしょうか。

惹句には「人間の尊厳と倫理を問う」とありましたが、倫理の側面は別としても、人間の尊厳を問う物語であったかどうかは疑問です。

ともあれ、高階権太や田口公平などの常連メンバーの登場する場面は楽しく読むことができます。この流れがいつもあればいいのにと、少々残念に思う物語でした。

「冷凍睡眠」というと、SFの分野では良くある設定です。映画ではあの『エイリアン』は目覚めの場面から始まるようにちょっと離れた星への移動が必要な時は良く使われる手法です。SF映画の古典というには早いかもしれませんが、そう呼ばれるのは間違いのないSFホラーの金字塔です。リドリー・スコットという監督の手腕が冴え、H・R・ギーガーのデザインする、エイリアンやその世界は素晴らしいとしか言いようがありません。

でも、SFの分野で一番有名なのはハインラインの『夏への扉』でしょう。恋人にも友達にも裏切られ傷心の主人公は冷凍睡眠技術で未来へと旅立ちます。目覚めたのは三十年後ですが、自分の知っている過去とは微妙に異なるのでした。名作中の名作と言われるこの作品は、冷凍睡眠技術を現実からの逃避の手段として利用するのです。

楽園のカンヴァス

楽園のカンヴァス』とは

 

本書『楽園のカンヴァス』は2012年1月にハードカバーが刊行され、2014年6月に440頁で文庫化された、ミステリータッチの長編の芸術小説です。

この作者の『暗幕のゲルニカ』を読んだときにも思ったのですが、この作者の絵画に愛する愛情をしっかりと感じることのできる読みごたえのある作品でした。

 

楽園のカンヴァス』の簡単なあらすじ

 

ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンはある日スイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのは巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋判定した者にこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。リミットは7日間。ライバルは日本人研究者・早川織絵。ルソーとピカソ、二人の天才がカンヴァスに篭めた想いとはー。山本周五郎賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

共に幼いころからルソーに魅せられ、ルソーの研究を尽くしてきた研究者でもある早川織絵とティム・ブラウンは、一人の富豪の持つ絵画の真贋を判定して欲しいという依頼に応じ、スイスまでやってきた。

そこで見せられた書き物には、書き手不明のルソーの物語がありました。

 

楽園のカンヴァス』の感想

 

本書『楽園のカンヴァス』の著者原田マハという人は美術館のキュレーターをするほどの人ですから、絵画に対する思い入れ、知識が深いのは当たり前のことだとは思います。

しかしながら、その知識を一般の人に対して文章で表現する紹介する能力までをも有する人はそうはいないでしょう。

その稀有な才能を十分に生かしきった作品として本書『楽園のカンヴァス』があり、以前読んだ直木賞候補にもなった『暗幕のゲルニカ』があると思うのです。

 

 

本書の主人公は早川織絵ティム・ブラウンという二人の人物です。

この二人が依頼者から見せられた書き手不明のルソーの物語を読む、という劇中劇のような形で、ルソーの物語と現代の二人の物語との二重の話が進みます。

こうした書き方は『暗幕のゲルニカ』と同様の手法であり、原田マハの心酔する芸術家の人生を同様の構造の物語で追いかけています。

構造の類似と言う点では、ミステリーという形式をとっているという点でも同じです。

二人が真贋の判定を任された絵画と判定の根拠となる物語自体の信憑性、そして、早川織絵という人物が現在の立場に至っている歴史、そのそれぞれが次第に明かされていく過程は引きこまれずにおられません。

 

原田マハという作家は伊藤忠で働いていたそうで、その時に早稲田の第二文学部に美術史学科に通っているのですが、その倍率が四十倍だったそうです。

その時に勉強した本に、E・H・ゴンブリッチの『美術の歩み』という書物があったそうで、「『楽園のカンヴァス』の根底にあるアートへの愛情は全部ゴンブリッチさんから受け継ぎました。」( 作家の読書道 4/5 : 参照 )とまで言っているのです。

絵画に対してそこまで思い入れのあるわけでもない私ですが、この作者の一つの側面を垣間見た気がします。

 

 

「ルソーのことをずっと考えていた」作者は、「MoMAに派遣された時にはチャンスだと思いましたね。あそこには「夢」と「眠れるジプシー女」の二点があるので、毎日観にいきました。あとは資料室に行ってルソー関係の資料を全部コピーして。その時すでに小説にするつもりだったんです。キュレーターをやりながら二兎を追ってもいいんじゃないかと思っていました。」( 作家の読書道 5/5 : 参照 )といいますから、ルソーに対する思い入れは相当なものだったようです。

これらの思い入れ、そして努力の上に『楽園のカンヴァス』は出来上がっていることが良く分かる話でした。

下村 敦史

1981年京都府生まれ。99年に高校を自主退学し、同年、大学入学資格検定合格。2006年より江戸川乱歩賞に毎年応募し、第53回、第54回、第57回、第58回の最終候補に残る。今年、9回目の応募となる「闇に香る?」(応募時のタイトルは「無縁の常闇に?は香る」)で第60回江戸川乱歩賞を受賞。デビュー作の刊行からわずか5カ月の来年1月に「叛徒」(講談社)を刊行予定。

本稿は、私がまだ『生還者』一冊しか読んでいないので、何冊か読んだ後で、あらためて更新します。

生還者

ヒマラヤ山脈東部のカンチェンジュンガで大規模な雪崩が発生、4年前に登山をやめたはずの兄が34歳の若さで命を落とした。同じ山岳部出身の増田直志は、兄の遺品のザイルが何者かによって切断されていたことに気付く。兄は事故死ではなく何者かによって殺されたのか―?相次いで二人の男が奇跡の生還を果たすが、全く逆の証言をする。どちらの生還者が真実を語っているのか?兄の死の真相を突き止めるため、増田は高峰に隠された謎に挑む!新乱歩賞作家、3作目の山岳ミステリー!(「BOOK」データベースより)

本書の主人公である増田直志は兄謙一をヒマラヤ山脈東部のカンチェンジュンガで発生した雪崩によって失ないますが、兄の残したザイルには人為的な切り込みがあったのです。ところが、兄を奪った雪崩からの生き残りが二人も生還します。そして、生き残りの一人は兄たちの登山隊に見捨てられたと言い、他の一人はそうではないと言います。

何故兄は死なねばならなかったのか、直志は女性記者の八木澤恵利奈と共に事の真相を探り始めます。若干の混乱を感じながらも、ミステリアスに進む物語に惹きこまれ、最後まで緊張感を持って読み終えることができました。

本書を書かれた下村敦史氏は、『闇に香る嘘』によって乱歩賞を受賞された作家さんで、乱歩賞作家の手による山岳小説との謳い文句に魅かれて本書を読んだのです。

その思いは裏切られることはなかったと言えると思います。若干、状況や人間関係が錯綜していて分かりにくくなりかけた思いもありますが、貼られた伏線は丁寧に回収されていて、作者の筆力もあってか途中で感じたほどには読みにくさはありませんでした。

ただ、本書には兄謙一の恋人である清水美月、今の直志の恋人である風間葉子、そして探偵役である八木澤恵利奈という三人の女性たちが登場しますが、主人公の増田直志がそのそれぞれに心惹かれていくのです。この恋模様はなくてもよかった気はしました。

本書の舞台となるカンチェンジュンガは、世界第3位の標高を持ち、チベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」の意味を持つ山だそうで、壮大さは比類がないとありました。(ウィキペディア : 参照 )

実際は本書での山の描写の比重はそれほどには重くはないのですが、それでも冬の白馬やカンチェンジュンガの描写は迫力があります。著者は本格的な山は素人だと言うことなので、かなりの資料を読みこみ、想像力で補われたのでしょう。

山を舞台にしたミステリーと言えば、笹本稜平が思い浮かびます。エベレストの山頂近くで人工衛星の落下の場面に遭遇した主人公のヒマラヤ山中での死闘をえがいた『天空への回廊』などを始めとして、ミステリーというよりは人間ドラマを描いた作品が多いとは思いますが、山の描写では他の追随を許さないと思われます。

そしてもう一人、山と言えば新田次郎を外すわけにはいきません。実在の登山家である加藤文太郎をモデルに書かれたフィクションである『孤高の人』や、石原勇次郎主演で映画化もされた富士山測候所に台風観測のための巨大レーダー建設するを描いた『富士山頂』など数多くの作品があります。
こちらもミステリーではなく人間ドラマを描いた作品ばかりですが、是非一読の価値ありの作品ばかりです。

ウツボカズラの甘い息

本書『ウツボカズラの甘い息』は、文庫本で552頁の長さの長編のミステリー小説です。

普通の主婦が犯罪行為に巻き込まれるミステリーであって個人的には今一つと感じますが、それでも普通に面白い作品です。

 

ウツボカズラの甘い息』の簡単なあらすじ

 

家事と育児に追われる高村文絵はある日、中学時代の同級生、加奈子に再会。彼女から化粧品販売ビジネスに誘われ、大金と生き甲斐を手にしたが、鎌倉で起きた殺人事件の容疑者として突然逮捕されてしまう。無実を訴える文絵だが、鍵を握る加奈子が姿を消し、更に詐欺容疑まで重なって…。全ては文絵の虚言か企みか?戦慄の犯罪小説。(「BOOK」データベースより)

 

ウツボカズラの甘い息』の感想

 

孤狼の血シリーズ』を書いた柚月裕子氏の社会派ミステリーです。じつにベタであり、個人的な好みからは少しだけはずれるのですが、それでもなおこの作家の作品には惹きつけられます。

 

 

この作者の『最後の証人』という作品の紹介において「ベタな社会派ミステリー」と書きましたが、本書『ウツボカズラの甘い息』も同様で、物語の構成や登場人物の組合せなど、取り立てて独自の観点は感じられませんでした。その意味で、ありがちな構成という点で「ベタな社会派ミステリー」という表現になりました。

 

 

しかし、話の中心となる高村文恵という女性は解離性離人症という精神障害にかかっているという設定であり、これはありふれた設定ではないでしょう。

ただ、その設定があまり意味を持っているように感じられず、その点でやはり独自性を感じられなくなりました。

 

以上のように本書『ウツボカズラの甘い息』については細かな点での不満点はありますが、何故か惹きつけられる面白さを感じるのが作者柚月裕子の作品です。物語の全体的な運びがうまいのでしょうか。個々の文章の流れが巧みだから惹きつけられるのでしょうか。

理由はよく分かりませんが、この作者の筆力には頭が下がり、新しい作品が出ればすぐに読んでで見たいと思うのです。

作者柚月裕子は、「いちばん心を砕いているのは動機の部分。人の行動の裏にある感情を書きたい」とおっしゃっていますが、それはそのまま社会派と言われる推理小説作法であり、そうした作者の作品に対する姿勢が私の個人的な嗜好と一致するため少しの不満など吹き飛ばしてしまうのでしょう。

 

本書『ウツボカズラの甘い息』の探偵役の神奈川県警捜査一課の刑事秦圭介と、その相方である鎌倉署の女刑事の中川菜月というコンビもよくある普通の話です。

彼らの捜査と高村文恵という主婦の日常とが交互に語られます。そこでは、特に高村文恵という普通の主婦(と言えるか若干の疑問はありますが)の内面が、女性ならではの視点といっていいのでしょうか、緻密に描写されていきます。

杉浦加奈子というこの物語の中心となる存在は、タイトルにもなっている「ウツボカズラ」という食虫花をそのまま暗示しているのでしょうが、この人物造形もリアリティーという面では疑問を抱きつつも、エンターテインメントとしては魅せられました。

ともあれ、本書『ウツボカズラの甘い息』は柚月裕子という作家のさくひんとしては特別な面白さはないまでも、普通に面白いと感じる作品でした。

最後の証人

最後の証人』とは

 

本書『最後の証人』は『佐方貞人シリーズ』の第一巻目で、文庫本で320頁の長編の推理小説です。

ヤメ検である弁護士佐方貞人が活躍するミステリーですが、上質なヒューマンドラマとして心地よい読後感を得ることができました。

 

最後の証人』の簡単なあらすじ

 

検事を辞して弁護士に転身した佐方貞人のもとに殺人事件の弁護依頼が舞い込む。ホテルの密室で男女の痴情のもつれが引き起こした刺殺事件。現場の状況証拠などから被告人は有罪が濃厚とされていた。それにもかかわらず、佐方は弁護を引き受けた。「面白くなりそう」だから。佐方は法廷で若手敏腕検事・真生と対峙しながら事件の裏に隠された真相を手繰り寄せていく。やがて7年前に起きたある交通事故との関連が明らかになり…。(「BOOK」データベースより)

 

 

最後の証人』の感想

 

本書『最後の証人』では、主人公の佐方貞人は弁護士として圧倒的不利な状況にある被告人を救い、かつ、事件の真実の姿を暴き出します。

ただ、被告人の無実を立証する、という点では弁護士として当然の職務行為だと思うのですが、そこからさらに事件の真実を暴き出す行為は如何なものでしょう。

「罪はまっとうに裁かれなければいけない」という主人公の思いと弁護活動とは別物ですから若干の疑問はあるところで、正しい弁護活動のあり方なのかどうか、少々考えさせられました。

 

本書『最後の証人』は実にベタな社会派の推理小説です。しかし、そのベタさが実に小気味いいのです。

ただ、推理小説としては決してうまい出来ではないと思います。それどころか、随所に気になる個所があり、私の感覚からすると現実的ではないと感じられる個所が少なからず見受けられます。

でも物語としてはそのストーリー展開には強く惹きつけられ、早く先を読みたいという思いに駆られました。細かな瑕疵はありながらも、それを上回るこの作者の筆の力だったというところでしょうか。

 

本書『最後の証人』の作者柚月裕子は、横山秀夫が好きで、彼のような物語を書きたいと語っておられました。確かに、本書のありようは『半落ち』で示されている人間の業とでも言うべきものを、また別な形で示そうとしているようでもあります。

そしてその試みはそれなりに成功している、と個人的には感じました。

 

 

ちなみに、本シリーズは上川隆也主演で五作品がテレビドラマ化されています。

少々イメージは異なる印象ですが、ドラマ化されるということはそれなりに人気を得た作品だとの評価だということでしょう。

猫に知られるなかれ

終戦後の混乱と貧困が続く日本。凄腕のスパイハンターだった永倉一馬は、池袋のヤクザの用心棒をしていたが、陸軍中野学校出身の藤江忠吾にスカウトされ、戦後の混乱と謀略が渦巻く闘いへ再び、身を投じる―。吉田茂の右腕だった緒方竹虎が、日本の再独立と復興のため、国際謀略戦に対抗するべく設立した秘密機関「CAT」とその男たちの知られざる戦後の暗闘を、俊英・深町秋生が描く、傑作スパイアクション!(「BOOK」データベースより)

第一章「蜂と蠍のゲーム」
終戦後の池袋。かつて泥蜂と呼ばれた元憲兵の永倉一馬は、陸軍中野学校出身の藤江から、緒方竹虎らがひそかに設立した諜報機関CATに誘われる。その藤江がまず持ちかけてきたのは、終戦時に起こされた襲撃事件の首謀者と目されている大迫元少佐がGHQのケーディスを狙っているというものだった。
第二章「竜は威徳をもって百獣を伏す」
毒物兵器の青酸ニトリールを持ち出していたらしい登戸研究所の元研究員であった闇医者が渋谷で死んだ。元諜報員の藤江忠吾は元陸軍少将岩畔豪雄(いわくろひでお)のもと、捜査を開始する。
第三章「戦争の犬たちの夕焼け」
戦時中、上海で作った特務機関の活動で大金を得、GHQ右派と組んでいる新垣誠太郎の会社が襲撃された。CATは犯行集団がシベリアに抑留されているはずの関東軍特殊部隊と突き止め、藤江と永倉は捜査に乗り出した。
第四章「猫は時流に従わない」
池袋駅前でGI相手に暴れていた永倉は幼馴染の香田徳次に出会い、今やっている仕事を手伝うように頼まれた。しかし、その仕事というのがどうもあやしいしろものだった。

本書は全部で四つの「章」から成立していますが、実際は四つの「章」は物語としては独立しており、連作の短編集といったほうが適切かもしれません。

そのそれぞれの物語に、戦争で負わされた深い傷を負った男たちが登場します。それは主人公の永倉一馬も同様であり、たまたま成り行きで立場が異なっただけにすぎない男たちでもあります。本書はそうした男たちの行きぬいていこうとする戦いを描いた作品でもあるのです。

また、これまでの深町秋生という作家の作品の傾向からすると少々異なる作品でもあります。これまで通りにアクション性の強い小説であることは同じですが、バイオレンス性はかなり弱まっています。

それは、本書が戦後すぐの日本を舞台にしたスパイ小説であることも関係しているのかもしれません。また、吉田茂や緒方竹虎などの実在の人物を登場させ、日本国の復興を、そして再生を願う男たちの戦後裏面史であるということもあるのでしょう。

ただ、四つの物語は何となく平板に感じたことも事実です。永倉一馬も、彼をスカウトした藤江にしても今ひとつそのキャラが立っておらず、戦後の混とんとした世界というせっかくの舞台が生きていない印象はありました。

陸軍中野学校出身の藤江という男を登場させているところからでしょうか、柳広司の『ジョーカー・ゲーム』という小説を思い出していました。こちらは太平洋戦争直前が舞台であり、陸軍中野学校をモデルにしたというスパイ養成学校の「D機関」の結城中佐を中心にして、結城中佐自身、そしてこの機関の学生、卒業生の活躍を、アクションよりは頭脳戦を前面に押し出している小説です。が、あまり数が多くないスパイ小説の中では一級の面白さを持った小説でした。当然のことながらシリーズ化されています。

現代の諜報戦を描いた作品とすると結局は公安警察を描いた作品が主になると言えるのでしょう。その中では公安警察出身である濱嘉之の現場を知り尽くしたものならではの『警視庁情報官シリーズ 』や、同様に報道記者出身としての知識を生かした竹内明の『背乗り ハイノリ ソトニ 警視庁公安部外事二課』などは、現場をよく知る者の手によるリアルな物語であり、読み応えのある作品でした。

それでも、本書はもしかして続編でも出るのであれば是非読んでみたい小説ですし、面白くなりそうな期待を抱かせる物語でもあります。

暗幕のゲルニカ

反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画、ピカソの“ゲルニカ”。国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、忽然と姿を消した…。大戦前夜のパリと現代のNY、スペインが交錯する、華麗でスリリングな美術小説。(「BOOK」データベースより)

本書はミステリーと言っていいのでしょうが、若干の迷いもあります。惹句に美術小説とあるように、本書はミステリアスな構成になってはいるものの、その内容は、「ゲルニカ」という非常な政治的メッセージを含んだ絵画を通して、ピカソという人物像を描こうとしているとも読めるからです。

まず、本書ではキュレーターという耳慣れない職種を理解する必要があります。キュレーターという職種については、「英語由来の外来語である。英語の元の意味では、博物館(美術館含む)、図書館、公文書館のような資料蓄積型文化施設において、施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す。(※curate―展覧会を組織すること)。」を言うそうです。( ウィキペディア : 参照)

作者が本書を書く動機として次のような文章がありました。「ついにアメリカを中心とした連合軍がイラク空爆に踏み切るという前夜、当時のブッシュ政権パウエル国務長官が国連安保理会議場のロビーで会見したのですが、そのとき背景にあるべきゲルニカのタペストリーに暗幕が掛けられていたんです。前代未聞の光景で、ほぼリアルタイムで見ていた私は、非常にショックを受けました。」「パウエル長官が暗幕の前で演説する写真に添えてバイエラー氏のメッセージがありました。ピカソの真のメッセージは暗幕などでは決して隠せない。誰かがピカソのメッセージに暗幕を掛けたのであれば、私がそれを引きはがすまでだ、って。」パウエル長官は当時のアメリカ軍のトップですし、バイエラー氏とはピカソと親交があった大コレクターです。( 東洋経済 ブックス・レビュー : 参照 )

そして、ピカソの「ゲルニカ」とは、1937年4月26日、スペインの内戦時にフランコ反乱軍を後押しするドイツ軍がバスク地方の一都市ゲルニカ(Guernica)を空爆したことを聞いたピカソが、パリ万国博覧会のスペイン館用の壁画のテーマを変更し、油彩よりも乾きが速い工業用ペンキを用いて描き上げた大作です。( 「有名な絵画・画家」参照 )

ここでスペインの内戦とは、1936年から1939年にかけて共和国軍とフランコ将軍率いるファシズム陣営との間で戦われたスペインでの内乱のことです。当時はヘミングウェイが人民戦線政府側としてスペイン内戦に参戦し、その経験をもとに『誰がために鐘は鳴る』や『武器よさらば』を著わしましたが、西欧の知識人たちは共和国軍を支持し、ピカソもその中にいたのです。

スペイン内戦に関しては「共和国側民兵部隊に参加した体験に基づく臨場感あふれるルポルタージュ」であるジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』が有名です。私も古本屋でこの本を見つけ購入したもののとうとう現在に至るも読まないままです。目の前の本棚に眠っています。

本書は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーターである八神瑤子という女性と、1930年代のパリにおけるピカソの恋人の一人と言われるドラ・マールという女性の二人の行動を章を違えながら追いかけ、現代においてはピカソの描いた「ゲルニカ」を借り出し自ら企画したピカソ展を成功させようとする瑤子を、1930年代においてはドラ・マールを通して見たピカソの動向を、それぞれに描きながら、クライマックスの仕掛けへと突き進んでいく物語です。

「この作品は、物語の根幹を成す10%の史実でフレームを固め、その上に90%のフィクションを載せるスタイルを取っています。」( 東洋経済 ブックス・レビュー : 参照 )という著者の言葉そのままに、以上のような歴史的事実の上に本書はなりたっているのです。ドラ・マールとピカソとの生活など、判明している事実を織り交ぜ組み立ててありま

そして、芸術と戦争というテーマのもとに展開されているように思えていた物語は、いつしか八神瑤子らの企画する展示会の成否へと重点は移り、そして「ゲルニカ」という絵画の持つ芸術性、そしてピカソという巨人が描いた「ゲルニカ」という絵画の持つ意味へと重点が移っているように思えます。それは結局は芸術と戦争という冒頭のテーマへと戻っているのかもしれません。

作者の原田マハ氏は、10歳でピカソと出会い、40歳で上記の事件でのあらためての衝撃があって、50歳を超えて本書を書かれたそうです。そして、本書の作者である原田マハ氏の経歴を見ると、「ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年にフリーのキュレーターとして独立」という言葉が出てきます。( ウィキペディア : 参照 )本書はこの作者の経歴があってこその物語だとよく分かります。

原田 マハ

原田マハ』のプロフィール

 

1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。ほかの著作に『本日は、お日柄もよく』『キネマの神様』『たゆたえども沈まず』『常設展示室』『ロマンシエ』など、アートを題材にした小説等を多数発表。画家の足跡を辿った『ゴッホのあしあと』や、アートと美食に巡り会う旅を綴った『フーテンのマハ』など、新書やエッセイも執筆。引用元:PROFILE | 原田マハ公式ウェブサイト

 

原田マハ』について

 

勤めを辞めフリーのグラフィックデザイナーとして活動していた原田マハは、たまたま出会ったマリムラ美術館のオープン準備の場で、スタッフ募集もしているだろうと「私を雇ってください」と雇ってもらったのだそうです。

その後、ボランティアで「アートの教室を手伝」っていたとき、見学に来た伊藤忠商事の社員の方を通して「会社にプレゼンに」行ったところ採用になったといいます。

そして伊藤忠の顧客だった当時の森社長に誘われ「森美術館で働くことになりました。その間、森美術館とMoMAが提携して、私がその窓口だったんですが、人的交流の一環ということで、4か月くらいMoMAに派遣されました。」ということです。( 作家の読書道 : 参照 )

その行動力たるや見事なもので、そうした生き方がこの作家の書く作品に登場する女性にも反映しているように思われますし、当時の経験がそのまま作品になっているようです。

「小説を書いていく上で、女性を元気づけるというのが、私自身のテーマなんです。」( 楽天ブックス 著者インタビュー : 参照 )と言う言葉そのままなのです。

「小さい頃に家で美術書を見ていたほかに、父はわりと兄を映画に、私を美術館に連れていってくれることが多かった」という作者は、10歳の時に「岡山の大原美術館でピカソの『鳥籠』を見て、なんて下手な絵!私のほうがうまいのに!と思った」そうです。

そうした下地の上に『暗幕のゲルニカ』や『楽園のカンヴァス』などの名作が生まれてきたのでしょう。

 

こうした絵画などのいわゆる芸術をテーマにした作品を読んでいつも思うことが、感性の問題である芸術を、言葉で表現することの難しさです。

例えば近頃読んだ作品の中に中山七里という作者の『さよならドビュッシー』や『おやすみラフマニノフ』などの作品があります。

これらの作品の中では、「音」を見事に言葉で表現してあり、更には常々感じていた演奏家の演奏に際しての「曲の解釈」などの言葉の意味など、音楽の専門的な事柄についてまで分かりやすく説明してあるのには感心しました。

 

 

また、「音」を言葉で表現という点では恩田 陸という作者の『蜜蜂と遠雷』という作品を忘れてはなりません。

この作品はピアノコンクールを舞台に人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説であり、156回直木三十五賞と2017年本屋大賞のダブル受賞を果たし、映画化もされています。

 

 

同様のことは同じ直木賞受賞作品でもある。宮下奈都の『羊と鋼の森』という作品の中でも行われていました。

ピアノの調律師の物語であるこの作品の中では、「音」を主人公が育ってきた森になぞらえて表現し、「調律」の専門的意味などまで分かりやすく説明してありました。

 

 

他にも多くの作者が「言葉」を駆使して感覚的なものを表現しようとされています。本書も勿論「絵画」を言葉で表現し、読者はそれを読んで作品を目の当たりにしたかのように感じるのです

西洋絵画だけではなく、日本の画、特に浮世絵の世界を描いた作品なども数多く出されており、近頃読んだ本の中では朝井まかて眩(くらら)には心打たれました。葛飾北斎の娘で、「江戸のレンブラント」と呼ばれた天才女絵師の応為を描いた作品です。

応為を描いた作品も数多くあるのですが、そのなかでも応為が最も「生きて」いると感じられた作品でした。勿論、応為の書いた「浮世絵」の説明も見事なものがありました。

 

 

話はそれましたが、原田マハという作者の作品は、こうした絵画をモチーフにした小説だけではありません。

カフーを待ちわびて』のように、純粋に美しいものを美しいとして物語として仕上げ、日本ラブストーリー大賞を受賞するような物語もあり、いろいろな引き出しのある作家さんなのでしょう。

まだ未読の作品がたくさん待っていてくれるというのは、本好きの人間にとってはたまらない楽しみです。

さよならドビュッシー

さよならドビュッシー』とは

 

本書『さよならドビュッシー』は『岬洋介シリーズ』の第一弾で、2010年1月に宝島社からハードカバーで刊行され、2011年1月に宝島社文庫から415頁の文庫として出版された、長編の推理小説です。

描かれている音楽の描写も素晴らしく、どんでん返しの妙も味わうことができた物語であって、第8回『このミステリーがすごい!』大賞大賞受賞作に相応しい作品でした。

 

さよならドビュッシー』の簡単なあらすじ

 

ピアニストからも絶賛!ドビュッシーの調べにのせて贈る、音楽ミステリー。ピアニストを目指す遙、16歳。祖父と従姉妹とともに火事に遭い、ひとりだけ生き残ったものの、全身大火傷の大怪我を負う。それでもピアニストになることを固く誓い、コンクール優勝を目指して猛レッスンに励む。ところが周囲で不吉な出来事が次々と起こり、やがて殺人事件まで発生するー。第8回『このミス』大賞受賞作品。(「BOOK」データベースより)

ピアニストになることを夢見て練習に励む十六歳の女の子が、祖父と従姉妹とを同時に亡くす火災に遭い、自らも全身大やけどを負ってしまう。

奇蹟的に命を取り留めた娘は整形手術により顔も、ひどくはありますが声も取り戻し、再度ピアニストになるという夢に向かって進み始めるのだった。

 

さよならドビュッシー』の感想

 

本書『さよならドビュッシー』は、第8回『このミステリーがすごい!』大賞大賞受賞作であり、作家中山七里のデビュー作でもあります。

 

本書の特徴としては音楽に満ち溢れている作品だということです。

新たに歩み始めた娘香月遥は、岬洋介という気鋭のピアニストの個人教授をうけつつ、いじめをはねのけながら名門高校に通い続けるのですが、その姿はスポーツ青春小説に描かれそうな熱意あふれるものです。

と言うより、遙という娘が、弱ってしまった指を長時間の演奏に耐えるために鍛える姿は文字通りスポ根小説そのものなのです。

彼女の練習の過程で示されるのはクラシック音楽の分析であり、音楽そのものについての解説でもあります。それは、クラシック音楽を学び、演奏する人の技術であり心構えです。

そこで示される知識、分析は普段クラシックに疎遠な私たちにとって実に新鮮なものであり、実際の演奏を聞きたくなるような表現でもあります。実際、私はYouTubeで聞きました。

「音」を文章で表現することの難しさを軽く超えている、そんな印象すら持ってしまうのです。

 

それは感性で感じるべき芸術を文章表現することであり、その類の作品はこれまでにも読んできました。

近年では原田マハの、ピカソの作品である「ゲルニカ」をめぐるミステリーである『暗幕のゲルニカ』や、アンリ・ルソーの作品の「夢」についての物語である『楽園のカンヴァス』がそうでした。

また、三浦しをんの『仏果を得ず』は人形浄瑠璃を描写した作品でした。

 



 

これらの作品は、絵画や浄瑠璃の素晴らしさを文章を持って表現した作品でしたが、本書『さよならドビュッシー』での音楽の分析はこれらの作品を上回ると言っても過言ではない表現です。

ミステリーとしても伏線の張り方が緻密です。本書の始めから後に大切な意味を持ってくる一文が、実にさりげなく普通の文章の中に埋め込まれているのです。

クライマックスになり、岬洋介の謎ときの中でその伏線が丁寧に回収されていくのですが、これまで提示されてきた謎が解き明かされるというミステリーの醍醐味を十分に味わえる作品だと思います。

 

ただ、一点だけミステリーファンの中にはこの結末は許されないという人がいるのではないかという危惧はありました。

個人的には別にかまわないのですが、ミステリーの決まりごとを破ることになるのではないか、という心配です。

とはいえ、本書『さよならドビュッシー』はベストセラーになっていますので、そうした点は杞憂であったと言っていいと思われます。