高校の修学旅行で人形浄瑠璃・文楽を観劇した健は、義太夫を語る大夫のエネルギーに圧倒されその虜になる。以来、義太夫を極めるため、傍からはバカに見えるほどの情熱を傾ける中、ある女性に恋をする。芸か恋か。悩む健は、人を愛することで義太夫の肝をつかんでいく―。若手大夫の成長を描く青春小説の傑作。(「BOOK」データベースより)
本書の主人公は、人形浄瑠璃の謡(うたい)に魅せられた笹本健という若手技芸員です。彼は修学旅行で文楽を見た際の義太夫の魅力に取りつかれ、自らもその世界に飛び込み技芸員となります。
「技芸員」とは、浄瑠璃語りの大夫、三味線弾き、人形遣いの三者のことを言い、「歌舞伎という、非常に閉鎖的な伝統芸能の世界で、一般の人がプロを目指そうとすると、日本芸術文化振興会が主宰し、国立劇場に付属する伝統芸能伝承者養成所で、芸を学ぶしか今のところ方法がない。(「歌舞伎俳優」の職業解説【13歳のハローワーク】:参照)」そうです。
笹本健という本書の主人公の周りには、相方とも言える三味線の鷺澤兎一郎や師匠の銀太夫らの実に魅力的な人物が配置されていて、主人公の健は、彼らの人情に助けられ、精神的にも成長していく姿が描かれています。
「人形浄瑠璃」または「文楽」といっても、なかなかに一般人には縁のない世界での話であって、歌舞伎以上に知識のない伝統芸能と言っていいのではないでしょうか。ところが、三浦しをんという作家は、この見知らぬ世界を何の知識もない私のような読者にも違和感なく溶け込める物語を構築するのですから、それは見事としか言いようがありません。
ここで「人形浄瑠璃」、「文楽」とは、厳密にはその意味するところは違いますが、現代では同義と言ってもいいそうで、「人形+浄瑠璃=文楽」ということになるそうです。(文楽の魅力「人形浄瑠璃 文楽座」: 参照)
直木賞を受賞し映画化もされた『舟を編む』では辞書編纂の話、これまた映画化もされた『神去なあなあ日常』では林業の話と、一般人がなかなか知らない世界を小説化し、そのどれもがとても面白い作品として仕上がっていますが、本書もまた同様です。
本書のタイトルである「仏果を得ず」という言葉は、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』という演目に出てくる言葉です。この演目の主人公である勘平は仏果、仏の境地を得ることをよしとせずに、「魂魄(こんぱく)この土にとどまって敵討ちの御共する」と言いながら息絶えるのだそうです。生きて仇討の手伝いをするということですが、この言葉のもと、健が「仏に義太夫が語れるか。」と言いつつ、「俺が求めるものはあの世にはない。」として、生き抜いて義太夫を語る、と言い切るラストは見事です。
現代の若者が芸事に励む姿を描く小説としては、佐藤 多佳子のしゃべれどもしゃべれどもがあるくらいです。勿論他にもあるのでしょうが、私が読んだ作品では他には思いつきません。この作品は落語の世界を舞台に、二つ目の若者が落語指南をする物語で、主人公の成長譚とも読める青春小説ですが、本書同様に読みやすく、そして心地よい感動をもたらしてくれる作品でした。
現代の若者の芸事に励むということではなく、単に芸道をテーマにした作品と言えば、推理小説ですが、歌舞伎の世界を描いた近藤史恵の『巴之丞鹿の子』や、松井今朝子の『道絶えずば、また』などもあります。ただ、『道絶えずば、また』は私が既読の作品を挙げているだけで、この物語は『風姿花伝三部作』の完結編なので要注意です。