原田 マハ

イラスト1

反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画、ピカソの“ゲルニカ”。国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、忽然と姿を消した…。大戦前夜のパリと現代のNY、スペインが交錯する、華麗でスリリングな美術小説。(「BOOK」データベースより)

本書はミステリーと言っていいのでしょうが、若干の迷いもあります。惹句に美術小説とあるように、本書はミステリアスな構成になってはいるものの、その内容は、「ゲルニカ」という非常な政治的メッセージを含んだ絵画を通して、ピカソという人物像を描こうとしているとも読めるからです。

まず、本書ではキュレーターという耳慣れない職種を理解する必要があります。キュレーターという職種については、「英語由来の外来語である。英語の元の意味では、博物館(美術館含む)、図書館、公文書館のような資料蓄積型文化施設において、施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す。(※curate―展覧会を組織すること)。」を言うそうです。( ウィキペディア : 参照)

作者が本書を書く動機として次のような文章がありました。「ついにアメリカを中心とした連合軍がイラク空爆に踏み切るという前夜、当時のブッシュ政権パウエル国務長官が国連安保理会議場のロビーで会見したのですが、そのとき背景にあるべきゲルニカのタペストリーに暗幕が掛けられていたんです。前代未聞の光景で、ほぼリアルタイムで見ていた私は、非常にショックを受けました。」「パウエル長官が暗幕の前で演説する写真に添えてバイエラー氏のメッセージがありました。ピカソの真のメッセージは暗幕などでは決して隠せない。誰かがピカソのメッセージに暗幕を掛けたのであれば、私がそれを引きはがすまでだ、って。」パウエル長官は当時のアメリカ軍のトップですし、バイエラー氏とはピカソと親交があった大コレクターです。( 東洋経済 ブックス・レビュー : 参照 )

そして、ピカソの「ゲルニカ」とは、1937年4月26日、スペインの内戦時にフランコ反乱軍を後押しするドイツ軍がバスク地方の一都市ゲルニカ(Guernica)を空爆したことを聞いたピカソが、パリ万国博覧会のスペイン館用の壁画のテーマを変更し、油彩よりも乾きが速い工業用ペンキを用いて描き上げた大作です。( 「有名な絵画・画家」参照 )

ここでスペインの内戦とは、1936年から1939年にかけて共和国軍とフランコ将軍率いるファシズム陣営との間で戦われたスペインでの内乱のことです。当時はヘミングウェイが人民戦線政府側としてスペイン内戦に参戦し、その経験をもとに『誰がために鐘は鳴る』や『武器よさらば』を著わしましたが、西欧の知識人たちは共和国軍を支持し、ピカソもその中にいたのです。

スペイン内戦に関しては「共和国側民兵部隊に参加した体験に基づく臨場感あふれるルポルタージュ」であるジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』が有名です。私も古本屋でこの本を見つけ購入したもののとうとう現在に至るも読まないままです。目の前の本棚に眠っています。

本書は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーターである八神瑤子という女性と、1930年代のパリにおけるピカソの恋人の一人と言われるドラ・マールという女性の二人の行動を章を違えながら追いかけ、現代においてはピカソの描いた「ゲルニカ」を借り出し自ら企画したピカソ展を成功させようとする瑤子を、1930年代においてはドラ・マールを通して見たピカソの動向を、それぞれに描きながら、クライマックスの仕掛けへと突き進んでいく物語です。

「この作品は、物語の根幹を成す10%の史実でフレームを固め、その上に90%のフィクションを載せるスタイルを取っています。」( 東洋経済 ブックス・レビュー : 参照 )という著者の言葉そのままに、以上のような歴史的事実の上に本書はなりたっているのです。ドラ・マールとピカソとの生活など、判明している事実を織り交ぜ組み立ててありま

そして、芸術と戦争というテーマのもとに展開されているように思えていた物語は、いつしか八神瑤子らの企画する展示会の成否へと重点は移り、そして「ゲルニカ」という絵画の持つ芸術性、そしてピカソという巨人が描いた「ゲルニカ」という絵画の持つ意味へと重点が移っているように思えます。それは結局は芸術と戦争という冒頭のテーマへと戻っているのかもしれません。

作者の原田マハ氏は、10歳でピカソと出会い、40歳で上記の事件でのあらためての衝撃があって、50歳を超えて本書を書かれたそうです。そして、本書の作者である原田マハ氏の経歴を見ると、「ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年にフリーのキュレーターとして独立」という言葉が出てきます。( ウィキペディア : 参照 )本書はこの作者の経歴があってこその物語だとよく分かります。

[投稿日]2017年02月09日  [最終更新日]2024年3月31日

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