四年に一度開かれる御岳の社での奉納試合。「音無しの構え」で知られる剣客・机竜之助や甲源一刀流の師範・宇津木文之丞ら、実力者たちが御岳山に集う。土方歳三はこれに出場するため天然理心流に入門し、自分の強さを見極めようとする。真剣で生命を賭ける男たち。彼らは善も悪もない、ヤマンタカ(閻魔大王をも殺す最凶の菩薩)の世界を生きている―。死闘のゆくえは。そして、互いの因縁が明らかになったとき、彼らがたどる数奇な運命とは…。(「BOOK」データベースより)
本書は中里介山が書いた『大菩薩峠』という未完の大作を夢枕獏流に再構成した長編の剣豪小説です。
中里介山や『大菩薩峠』と言っても今の若い人は多分誰も知らないでしょうが、この物語は幕末を生きた架空の剣豪、机龍之介を主人公にした全二十巻(ちくま文庫版)の未完の大作です。
夢枕獏氏も途中まででやめたそうですが、私自信も二十歳代も終わりの頃に最初の一冊を読み終えずに終わっています。
本書はこの『大菩薩峠』を再構成した作品です。とは言っても、一巻目で描かれる御嶽神社の奉納試合までを再構成したもので、全くの夢枕獏の物語です。
それも後に新選組副長になる土方歳三を中心として、机龍之介と宇津木文之丞その他の人物を絡ませて、夢枕獏のエンターテインメント小説としてとして仕上がっています。
つまりは、『餓狼伝』や『獅子の門』の世界観で書き直された剣豪小説です。剣豪小説とは言っても 津本陽の『柳生兵庫助』(文春文庫版全八巻)や、海道龍一朗の『真剣』で描かれている、柳生兵庫助や上泉伊勢守信綱と言った剣豪蔵とは全く異なります。
柳生兵庫助や上泉伊勢守信綱を描いたこれらの作品は、「剣」の道を追求し、求道者として哲学的とも言えるほどに人間の内面までをも追及した物語です。
これに対し、夢枕獏の描く剣豪はそれらとは全く異なり、剣戟の場面などはまさに格闘技であり、即物的です。本書に餓狼伝の丹波文七やサイコダイバーの九門鳳介などが登場してきても違和感を感じないのではないかと思えるほどです。
勿論、机龍之介の有名な「音無しの構え」という秘剣の解釈にしても、夢枕獏独自の解釈を施し、机龍之介の立ち合いの場面にも生かしているなどの工夫があり、本書が時代小説として面白くないということではありません。夢枕獏の描く時代小説の世界がそのようなものだということだけであって、エンターテインメント物語としての面白さは十分に備えている小説です。
『大菩薩峠』では机龍之介は武州沢井村の沢井道場の若師範だそうで、つまりは近藤勇や土方歳三らの住む日野宿とも近くにあります。ということは、机龍之介と土方らは江戸で知り合う前に出会っていてもおかしくないということで、土方歳三らと絡ませたのだそうです。( 著者にインタビュー!: 参照 )
こうした解釈が本書の面白さを増幅させているのは当然のことで、他にも原作に登場している盗賊の七兵衛や色気担当のお浜、宇津木文之丞も登場し、奉納試合へと突き進みます。
夢枕獏の描く剣豪小説として、面白い作品でした。