本書『花を呑む』は、『弥勒シリーズ』第七弾で、文庫本で353頁の長編のミステリー時代小説です。
『花を呑む』の簡単なあらすじ
「きやぁぁっ」老舗の油問屋で悲鳴が上がる。大店で知られる東海屋の主が変死した。内儀は、夫の口から牡丹の花弁が零れているのを見て失神し、女中と手代は幽霊を見たと証言した。北町奉行所の切れ者同心、木暮信次郎は探索を始めるが、事件はまたも“仇敵”遠野屋清之介に繋がっていく…。肌を焦がす緊張感が全編に溢れる、人気シリーズ待望の第七弾。(「BOOK」データベースより)
海辺大工町の油問屋東海屋五平が、無傷ではあるものの深紅の牡丹がいくつも口に突っ込まれた状態で死んでいるのが見つかった。
その場にいた女中は「恨みを晴らしてやった」と言う幽霊を見たと言うが、その翌日、五平の囲い者である女も仕舞屋の庭にある牡丹の根元で白い襦袢を血のりで真っ赤に染めて死んでいるのが見つかる。
一方、伊佐治の家では、息子嫁のおけいが二度の流産により自分を見失い家を飛び出してしまう。
また清之介のもとでは、兄の家来の伊豆小平太が五百両という大金を借りに来るが、その借財の理由が兄の病だという出来事が起きていた。
五平の事件が起きた時、風邪で寝込んでいたためその後の探索が後手に回ってしまった信次郎と伊佐治だったが、脇筋とも思われる事柄が次第に一つの流れにまとまりを見せて行くのだった。
『花を呑む』の感想
シリーズ第五弾『冬天の昴』、第六弾『地に巣くうと同心小暮信次郎をメインとした話が続いていましたが、本書『花を呑む』もまた小暮信次郎の話です。それも、本格的な捕物帳としての物語です。
もともと同心が主人公のこの物語であり、捕物帳として謎解きを中心とした物語であること自体に何の不思議なこともない筈なのですが、あまりに小暮信次郎と遠野屋の清之介の「闇」を抱えた男たちの人間ドラマが面白く、エンターテインメント小説としての本筋を忘れてしまっていました。
それだけこの物語のキャラクター造形の上手さが光っていると思われます。そして、この捕物帳がそれなりの面白さを持っているのですから何の文句もない筈なのですが、男たちの心象描写に捉われてしまっていたのでしょう。
相変わらずと言っていいと思うのですが、本書『花を呑む』でも心象描写はしつこいばかりに続きます。ただ、それを上回る物語の面白さがあるのです。
本筋の殺人事件があり、脇の流れとして清之介の兄の病の話があって、挿話的に伊佐治の息子嫁のおけいの家で騒動があり、それらの話が次第に一つにまとまっていく物語の運びは、この作者の上手さを見せつけられるようです。
そして、その過程で語られる信次郎を始めとする登場人物たちの心の闇を覗きこむかのような心象描写があります。
もう少し、この心象描写を軽くして物語の本筋を追いかけてもらえればと思うのですが、もしかしたら、そのようにしたらこの物語の面白さが無くなるかもしれないという恐れは感じます。
数日前に月村了衛の『機龍警察シリーズ』の最新巻を読んだのですが、そこで本『弥勒シリーズ』の闇を覗きこむかのような描写を思い出してしまいました。
この『機龍警察シリーズ』も、突撃隊員らの過去が重く、彼らの心象を描く場面は本『弥勒シリーズ』に通じる「闇」を感じるものなのです。
本シリーズは時代小説であり、あちらは現代のアクションシーン満載のSF的な警察小説と書かれている作品の内容は全く異なります。ただ、登場人物の闇を抱えた心象描写が豊富というその一点において共通するようです。
そう言えば、逢坂剛の『百舌の叫ぶ夜』を第一巻目とする「MOZUシリーズ」でも似たような重さを感じたことがありました。
ただ、個人の公安警察員を主人公とするハードボイルドで、客観描写に徹し、主観描写を排している『MOZUシリーズ』と本書では機龍警察シリーズ』以上に遠いものがあるようです。