藩政の刷新を願い脱藩した天羽藩上士の子・伊吹藤士郎は、人が行き交い、物が溢れる江戸の大地を踏み締める―。人生に漕ぎ出した武士の子は、貧し、迷い、慟哭しながら、自由に生きる素晴らしさを知る。著者渾身、鮮烈な青春時代小説!(「BOOK」データベースより)
『天を灼(や)く』の続編です。
いかにもあさのあつこの作品らしい青春時代小説であり、安定した面白さを持った作品でした。
作者がこのシリーズをどのくらいの長さにする心積もりなのかはわかりません。
でも、物語の設定こそありがちとも言えるものでしたが、少なくとも本書では先の展開を読めず、意外な成り行きに驚かされるものだったのです。
あさのあつこという作者の時代小説を何冊か読んできていますが、その大半が主人公とその親しい仲間という、いわばバディものとも言える組み合わせであるように思えます。
例えば、そもそもあさのあつこの一番の人気シリーズである『バッテリーシリーズ』は原田巧というピッチャーと、同級生のキャッチャー永倉豪という組み合わせですし、青春時代小説の『燦』もまた、伊月と燦という兄弟が田鶴藩藩主となる圭寿を力を合わせて守るという物語でした。
本書の二人、正義感に燃えた一本気な若者伊吹藤士郎と、世知に長け、腕もたち、主人公を助けるもう一人の主人公ともいうべき存在の柘植左京という組み合わせは、これらの作品と同様と言えます。
先にも述べたように、本書は最後は全く思ってもいない展開になっていて、それがあさのあつこという作者の得意とする青春時代小説として、面白い作品となっている理由の一つだと思われます。
しかし、主人公の伊吹藤士郎の江戸での生活を助けてくれた黒松長屋の大家の加治屋福太郎や、仕事を与えてくれた讃岐屋徳之助などに対し、籐士郎自身が持った「徳之助にしろ、福太郎にしろ何故、こんな目つきをおれたちに向ける?」という疑念があります。
「もっと別の裏の顔がある。その顔がおれを、柘植を探っている。」と感じた疑問にに対する答えはまだ出ていなままでの新たな展開なので、こうした疑問の解決がいずれなされることになるのでしょう。
またもう一つの理由として、例えば籐士郎と左京との間ではしばしば意見の対立が見られますが、こうした相反する二つの主張を取り上げる場合でも、その主張を正面から戦わせ、その上で一方の意見に軍配を上げているところにあると思われます。
即ち、二つの価値を十分に比較衡量したうえでの悩みぬいたすえの決断であることを示し、当該選択の裏にある苦悩を浮かび上がらせるという書き方が好感が持たれると思うのです。
このように、作者の意図が見えないことと、読者の関心を掻き立てるその手法のうまさはあさのあつこという作者のうまさでしょう。
そしてもう一点、あさのあつこの特徴である登場人物の内心の苦悩、煩悶を繰り返し連ねる手法は本書でも生きています。
ただ、一歩間違えばそれが読み手にくどさを感じさせかねないのでその点だけが気になります。
人気シリーズの『弥勒シリーズ』で、少しではありますが心象の羅列が鼻につく場面があったのでその轍を踏まないことを願うばかりです。