止まぬ雨はない。明けぬ夜もない。少年は、ただ明日をめざす。父は切腹、所払いとなった天羽藩上士の子・伊吹藤士郎は、一面に藺草田が広がる僻村の大地を踏み締める―過酷な運命を背負った武士の子は、何を知り、いかなる生を選ぶのか?
あさのあつこお得意の青春小説の時代劇版で、多分シリーズの第一作目になると思われます。
伊吹藤士郎の父斗十郎は天羽藩出入りの商人から賄賂を受け取ったとして捕らえられ、腹を切ることになります。その前夜、藤士郎は牢内の父からの呼び出しを受け一振りの刀を形見として渡され、介錯をするように言われるのでした。
その牢屋敷で父の世話をしているという柘植左京という男がこのあとの籐士郎一家を支えていくというのですが、父斗十郎に命じられたというだけで、全く謎の存在なのです。
このあと、母、離縁され出戻った姉美鶴、老僕の佐平という籐士郎一家は、柘植左京に助けられながらの田舎暮らしを強いられることになります。その生活を籐士郎の親友である風見慶吾、大鳥五馬らが少しなりとも支えていくのでした。
あさのあつこの作品は、くどいほどに登場人物の心象を描写し、行動を丁寧に説明していると感じるのですが、本書もまたその例にもれません。
そうした心象描写の後に如何にも幸せそうな、恵まれた生活を営む籐士郎一家や親友らとの語らいの情景が描かれることでこの物語は始まっています。
その後、父の死に伴う家族の生活の変転、姉や左京の出生にまつわる秘密や、藩の重鎮らも絡む不正の実情などがテンポよく語られ、本書を一気に読み終えてしまいました。
読者が読みやすいようにとの配慮でしょうが、漢字を多用せずに読みやすい日本語を使用するというのがこのごろの、特に文庫版時代劇での風潮であるかと思っていたのですが、あさのあつこという作家はその逆を行っているようです。
父の命を受け、父がとらわれている牢へと走る籐士郎の描写から始まるのですが、その心象を表現するような嵐の情景描写から丁寧です。そして、その日本語は始めて聞くような単語で綴られた言葉であり、なのに情景を描写するのに最適と感じさせられるのです。
登場人物の心象表現としての情景描写としては藤沢周平が代表的な作者として挙げられるでしょうか。この人の作品ならどれをとっても心象表現としての美しい情景描写の場面を感じ取ることができると思います。
近年では、野口卓の『軍鶏侍シリーズ』での情景描写が思い出されます。特に園瀬の里の描き方は美しく、主人公の岩倉源太夫の人となりをも表しているようです。
あさのあつこの情景描写のほうがより直接的に心象を表現しているようで、上記の二人は勿論心象表現としての情景描写もありますが、どちらかというと物語全体の情感を豊かにしているという印象は見受けられるようです。
あさのあつこの小説に薄い文庫本で全八巻の『燦』という作品があります。主人公は田鶴藩筆頭家老の嫡男の吉倉伊月という少年で、この伊月を伊月の双子の弟である燦が助け活躍する物語です。物語自体は伊月が田鶴藩主二男の圭寿の近習であるところから、伊月は圭寿の藩主としての活動と共にあり、燦もその手助けをすることになります。
本書はまだ第一巻であり、二人が天羽藩を旅立つ場面で終わっているので先の展開は全く不明ですが、いまだ頼りなさの残る籐士郎を、殺人剣の使い手である左京が助け、江戸への籐士郎の旅を助ける物語になるのでしょう。
今後の展開を待ちたいと思います。