『禁忌の子』とは
本書『禁忌の子』は、2024年10月に東京創元社から320頁のハードカバーで刊行された、長編の推理小説です。
とてもデビュー作とは思えないうえに医者しか書けない内容であり、さらには第34回鮎川哲也賞を受賞作し、また2025年本屋大賞で第四位になった作品です。
『禁忌の子』の簡単なあらすじ
救急医・武田の元に搬送されてきた、一体の溺死体。その身元不明の遺体「キュウキュウ十二」は、なんと武田と瓜二つであった。彼はなぜ死んだのか、そして自身との関係は何なのか、武田は旧友で医師の城崎と共に調査を始める。しかし鍵を握る人物に会おうとした矢先、相手が密室内で死体となって発見されてしまう。自らのルーツを辿った先にある、思いもよらぬ真相とはー。過去と現在が交錯する、医療×本格ミステリ!第三十四回鮎川哲也賞受賞作。(「BOOK」データベースより)
『禁忌の子』の感想
本書『禁忌の子』は、第34回鮎川哲也賞の受賞作であり、また2025年本屋大賞で第四位になった、本格派の長編推理小説です。
現役の医者である作者の作家デビュー作だそうですが、物語の構成も、その達者な筆の運びも、とてもデビュー作とは思えないほどの完成度です。
そもそも、冒頭すぐに提起された謎にまず驚かされました。救急で搬送されてきた溺死体が主役である当直医師の武田航と瓜二つだというのです。
単に似ているというだけでなく、個人的な特徴の類似性まであるという滑り出しはこれまでにない謎の提起の仕方でした。
その後すぐに新たな殺人事件が起き、そこで密室殺人という謎が示されます。そこから本書の本格的な物語が始まるのです。
登場人物を見ると、主人公は先にも書いたように兵庫市民病院救急科の武田航医師です。そして、航の父親の浩司と母親の美由紀がいます。
また探偵役として、同じ病院に勤務する消化器内科の城崎響介医師が登場します。この人物は感情面で欠陥があり、感情が沸いてもすぐに消えてしまい、合理性だけで物事を考えてしまう人物です。
本書の主な舞台となるのが生島リプロクリニックであり、そこの理事長が生島京子医師で、院長が京子の息子の生島蒼平です。
そして、この医院の総務部主任が黄信一と言い、ほかに放射線技師の黒田稔や看護師の金山綾乃、そして緑川愛医師がいます。この緑川愛は武田航のK大学医学部野球部のマネージャーだったという人物です。
何より忘れてはならないのが、生島リプロクリニックで航が間違えられたのがタカハシユウイチという人物だったのです。
本書は、お医者さんが書かれた作品の中でも特異な位置を占めるのでないでしょうか。
というのも、本書で語られている内容は倫理的にも繊細な問題であって、医学的にもとても専門的なものだからです。
しかし、現役の医師である作者の筆は、難しいテーマを読者の興味、関心をそらすことなく描き切っています。
それだけ、読んでいて惹きこまれましたし、関心を持ったまま読み終えることができたのです。
話は変わりますが、作者自身の言葉では本書は新本格派のミステリーだということです。
たしかに、本書では密室殺人などの謎も設定されている上に推理を働かせる探偵役もいて、その点だけを見るとまさに謎解きメインの本格推理と呼ぶにふさわしい作品です。
しかし、本書は単純に本格派推理小説と言い切るには様々は要素が盛り込まれています。詳細は読んでもらうしかないのですが、社会派的な要素がかなりあると思えたのです。
医療小説であることはもちろんですが、かなり強烈なヒューマンドラマとしての一面も有していて、読後はかなり考えさせられる面もありました。
この点については担当編集者の紹介文がとても参考になると思います(小説丸 : 参照)。
これまでお医者さんが書いた推理小説はかなりな数に上り、その完成度はそれぞれにかなり高い作品が並ぶと思います。
例えば、本書同様に本屋大賞候補作となった作品として知念実希人の『ひとつむぎの手』があります。
良くも悪くも大学病院の医局を舞台にした小説で、絶対権力者の教授を頂点とする階層社会の中で苦闘する青年医師の姿が描かれています。
また、第四回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞したチーム・バチスタの栄光は、やはり当時は現役の医師であった海堂尊の作品です。
この作品は「東城大学医学部付属病院」を舞台とした『田口・白鳥シリーズ』の第一作であり、海堂尊のデビュー作でもあります。
法廷占拠 爆弾2
『法廷占拠 爆弾2』とは
本書『法廷占拠』は『爆弾シリーズ』の第2弾で、2024年7月に講談社から416頁のハードカバーで刊行された、長編のミステリー小説です。
相変わらずに物語はテンポよく展開していき、読者は一気に物語世界に取り込まれ、目が離せなくなりました。
『法廷占拠 爆弾2』の簡単なあらすじ
東京地方裁判所、104号法廷。史上最悪の爆弾魔スズキタゴサクの裁判中、突如銃を持ったテロリストが立ち上がり、法廷を瞬く間に占拠した。「ただちに死刑囚の死刑を執行せよ。ひとりの処刑につき、ひとりの人質を解放します」前代未聞の籠城事件が発生した。スズキタゴサクも巻き込んだ、警察とテロリストの戦いがふたたび始まる。一気読み率は100%、面白さは前作200%増のノンストップ・ミステリー!(「BOOK」データベースより)
『法廷占拠 爆弾2』の感想
本書『法廷占拠』は『爆弾シリーズ』の第二弾で、読者は一気にテンポよく展開していく物語世界に取り込まれていきます。
前作の『爆弾』の主役であったスズキタゴサクの裁判を行う法廷を舞台にしたサスペンスフルなミステリー小説です。
本書は、前作で狂気の振る舞いを見せたスズキタゴサクという爆弾魔の裁判を行う法廷を占拠し、理不尽な要求を突き付けるテロリストと警察との戦いが描かれます。
前作同様に、今度はテロリストと警察との駆け引きが見どころになっていますが、今回はさらにスズキタゴサクの立場が不明なために三つ巴の戦いという見方もできるのです。
さらには、テロリストたちの要求が確定死刑囚の死刑の執行というものであることからくる彼らの目的に対する不信感や、テロリストたちの正体のあいまいさなど、謎が幾重にも重なります。
そうした謎に直面する警察や、法廷にとらわれた傍聴人のなかにいた警察官たちとテロリストたちとの間で次第に満ちてくるサスペンス感など、どんどん惹きこまれて行きます。
本書の主役といえばまずは法廷占拠の犯人であり、その一人が柴咲奏多という被害者の会のメンバーの一人である若者です。犯人としては、ほかに正体不明の男が一人います。
この法廷には、傍聴席に前作にも登場していた野方署の二人の警察官もいます。それが倖田沙良と伊勢勇気です。
法廷外の警察関係者としては、警視庁特殊犯捜査第一係の係長の高東柊作、その部下の猫屋がいて、前作でスズキタゴサクと渡り合った重要人物である類家を忘れることはできません。
同じく前作から引き続き登場する警察官として杉並署の刑事である猿橋忍や、倖田沙良の先輩である矢吹泰斗らを挙げることができます。
ほかにも傍聴人である遺族会の湯村峰俊など多くの登場人物がいますが、多数に上るためここではこれくらいにしておきます。
加えて、この『爆弾シリーズ』の中心人物であるスズキタゴサクがおり、この男の本作での立ち位置はよくわかっていません。
常に予想の上をいく展開には脱帽するしかありません。この点は前作の『爆弾』でもそうだったのですが、サスペンス感満載の物語を望む方には絶好の作品だと思います。
本書の中でも書いてあるのですが、犯人の一人の柴咲は、当初から自分の正体を明らかにしていて、自分が捕まることを前提とした行動のように思えます。
しかし、この柴咲は自分の情報を明かしているものの、正体不明のもう一人の犯人に関しては何も情報が開示されてはいません。
さらには、犯人の仲間がほかにいるのかなどもよくわかっていないのです。
先に本書は予想の上をいくと書きましたが、中心人物であるスズキタゴサクと法廷を占拠した犯人との関係など、スズキがこの事件とどうかかわっているのかも謎のままに進みます。
読者の心を深くつかむよくできたサスペンスやミステリーの物語は、登場者の言葉や会話などがよく練られているものです。
本書もそうで、詳しくは書けませんが、例えばある会話では互いの言葉、動作の裏には考え抜かれた物語の世界観を前提とした隠された意味があることを示してあったりしていて、この作品のリアリティを上げているのです。
作者は主要登場人物の発言の流れに明確な意図を忍ばせていますが、その作業は大変なものがあると思われます。
しかし、その作業のおかげで読者は展開の意外性に翻弄されつつも、その流れを楽しめているのです。
反面、法廷内に凶器を持ち込む方法には疑問が残りました。
つまり、骨壺の中身をチェックしないものだろうか、ということや、現実に複数回の持ち込みで慣れを生じさせ、チェックを甘くすることができるのだろうか、ということです。
この点に関しては、実際の運用を知らないので何とも言えず、この点は可能なのだということを前提として読み進めました。
というのも、本書の方法が無理なのであればほかの方法を考えればいいのですから、あまりこの点に拘泥する必要もないでしょう。
結局、よく練り上げられた本書の面白さは否定することができず、その上、本書の終わり方は続編の存在を匂わせるものであり、ファンとしてはただ書かれるであろう続編を楽しみにするばかりです。
見知らぬ妻へ
『見知らぬ妻へ』とは
本書『見知らぬ妻へ』は、1998年5月に光文社から刊行され、2001年4月に光文社文庫から286頁の文庫として出版された短編小説集です。
やはり浅田次郎の作品は短編もいいと思わせられる、どこか懐かしさを感じる八つの物語からなる作品集でした。
『見知らぬ妻へ』の簡単なあらすじ
新宿・歌舞伎町で客引きとして生きる花田章は、日本に滞在させるため偽装結婚した中国人女性をふとしたことから愛し始めていた。しかしー。(表題作) 才能がありながらもクラシック音楽の世界を捨て、今ではクラブのピアノ弾きとして生きる元チェリストの男の孤独を描いた「スターダスト・レビュー」など、やさしくもせつない8つの涙の物語。(「BOOK」データベースより)
『見知らぬ妻へ』の感想
本書『見知らぬ妻へ』は、浅田次郎らしい短編が収められた、郷愁と、感傷と、哀愁にあふれた八つの話からなる作品集です。
「踊子」、「かくれんぼ」、「うたかた」、「ファイナル・ラック」の四つの話は、過去を振り返り思い出を語る物語です。
顔も思い出せないひと夏の恋、幼いころの罪の意識と共に思い出すある記憶、とある団地で亡くなった老女の回想、競馬で負け迷い込んだ友人との過去と続きます。
これらの記憶は、「うたかた」を除き、苦い痛みと共に思い出す郷愁と共に思い出される出来事についての語りです。
「スターダスト・レヴュー」「金の鎖」「見知らぬ妻へ」の三作は、かつてはチェリストだった場末のクラブのピアニスト、親友のために身を引いた女、言葉も通じない偽装結婚の相手の中国人女性と愛した男たちそれぞれの、哀愁に満ちた人生が語られます。
特に「見知らぬ妻へ」は、この作者の『鉄道員(ぽっぽや)』という作品集に収められている「ラブレター」という作品にも通じる物語であり、心に染み入る話でした。
残された「ファイナル・ラック」は、友人の死に打ちひしがれる男の、ファンタジックな物語です。
浅田次郎の『夕映え天使』も本書と同様に「昭和」という時代に対する感傷にも似た憧憬をテーマにした物語でした。
そこでは、解説の鵜飼哲夫氏が「感覚的に捉えたものが思想であるとする小説作法に似ている」と書かれていましたが、私にはその意味がよくわかりませんでした。
でも、本書での解説の橋爪大三郎氏は、本書について「時代や場所を区切られ、それぞれの事情に置かれた男女が、大切な他者につながろうとしてつながり切れない、孤独のなかにもがいている。」と表現されています。
そして、本書は「どの作品も、恋愛小説の体裁をとっているが、その実質はむしろ、孤独小説とも言うべきものではないか。」と書かれています。
こちらの意見のほうは素直に理解することができました。
鵜飼哲夫氏と橋爪大三郎氏とでは解説の対象作品が異なるのですから比べること自体がおかしいのですが、鵜飼哲夫氏の「感覚的に捉えたものが思想である」という言葉は何を意味するのかよく理解できませんでした。
それに対し、本書についての橋爪大三郎氏の「孤独小説」という言葉は、本書の物語の本質をつくものとして素直に腑に落ちたのです。
本書のそれぞれの主役たちは、多くは恋愛という形で他者と繋がろうとしながらその思いが果たせずに終わった物語だったのです。
ともあれ、本書は感傷にすぎると言われようと私の琴線に触れる物語集であり、やはり心に沁みる作品集でした。
玉響(たまゆら)
『玉響(たまゆら)』とは
本書『玉響』は『別所龍玄シリーズ』の第五弾で、2025年7月に光文社から272頁のハードカバーで刊行された、長編の時代小説です。
主人公の首斬人若しくは介錯人という立場上、物語は斬首もしくは介錯される側の者の話に成りがちですが、その弱点をうまくかわした読みがいのある物語になっています。
『玉響(たまゆら)』の簡単なあらすじ
不浄な首斬人と蔑まれる生業を祖父、父から継いだ別所龍玄は、まだ若侍ながら恐ろしい使い手。親子三代のなかで一番の腕利きとなった彼は、武士が切腹するときの介添え役を依頼されるようになる。金貸し業で別所家を守ってきた母、静江、五つ年上の妻、百合子と幼子の娘、杏子。厳かに命と向き合い、慈愛に満ちた日々を家族と過ごす、若き介錯人の矜持。生と死のはざまで凛とした世界が大絶賛された「別所龍玄」シリーズ最新刊。(内容紹介(JPROより))
「一僕」
井之頭上水北側にある日無坂で、幕府大御番組大番衆の赤沢広太郎とその雇い人の元相撲取りの御嶽山が斬り殺される事件が起こった。しかし、その翌々日に北町奉行所に、井伊家下屋敷荷物方・島田正五郎に中間奉公していた松井文平と名乗る浪人者が出頭してきた。
「武士の面目」
門前名主の十兵衛は、材木石奉行配下手代の塚越家に婿入りをした三男の佐吉郎が不始末を犯したという話を聞かされてきた。武家になりたいという望みを持っていた佐吉郎に塚越家への入り婿の話があり、持参金とともに式をあげたのだが、そこには裏があった。
「黒髪」
上月利介率いる押し込みの一味四人が捕縛され、龍元の手によって首を討たれることになった。ただ、首打ちの前に上月利介が本条孝三郎と話をしたいと言っており、呼ばれて行った牢屋敷で本条孝三郎が聞いたのは、幼いころに捨てられた実の母親のことだった。
「許されざる者」
火付盗賊改当分御加役の糸賀団右衛門配下同心の渋山八五郎は、功を焦ったこともあり、無宿狩に引っかかった一人の若者を責問がすぎて誤って殺してしまう。ところが、その若者は、町火消の顔役で幕府にも顔の効く元御職の孫であり、町火消のめ組の頭を父親とする男だった。
『玉響(たまゆら)』の感想
本書『玉響(たまゆら)』は『介錯人別所龍玄シリーズ』の第五弾となる読み応えのある時代小説です。
本シリーズの魅力は、何度も書いてきていることですが、龍元というクールなキャラクターの魅力がまず挙げられます。
それと同時に、首切りという凄惨な場面に対する、妻の百合や娘の杏子、それに母親の静江、下女のお玉といった明るく幸せな家族の描写もまた魅力の要素になっていると思います。
龍元の家族の普通の佇まいが情感豊かに描かれることで、殺戮の場面などで切なさに満ちていた物語の全体が救われるのです。
第一話の「一僕」は、幕府大御番組大番衆の傍若無人な振る舞いと、中間奉公していた過去を捨てた元侍の敵討ちの話です。
善人の島田正五郎やその奥方、そして暗い過去のある松井文平、さらに島田が亡くなった後敵討ちを終えるまでの松井の行動などが人情味豊かに語られます。
理不尽な暴力とそれに対する正義の、しかし悲しみを伴った報復というある種のパターンでもある物語です。
この話の終わりは、松井文平が島田家をやめた後、敵討ちに至るまでの間に宿にしていたおはなさんの店での会話が心に残ります。
第二話の「武士の面目」では、侍の身分を金で買った町人の話です。
江戸時代に、金で侍の身分を買うという話は聞いたことがあります。それだけ侍も逼迫していたのでしょうし、逆に商人が金銭という力をつけていたことの証でもあるのでしょう。この物語は商人ではなく、町役人の話ではありますが、内情は変わりません。
ただ、個人的には侍の権威の低下や形骸化した武家社会で起きた理不尽な佐吉郎の話というよりは、江戸の町の私的自治のトリビア的な話のほうに魅力を感じてしまいました。
また、少しですが龍元の立ち廻りを見ることができるのもこの話の魅力でしょう。
また、ラストの龍玄と百合との会話で、百合が縫っているややの産着について、誰のややだと問う龍元に対し、「龍玄さんのですよ」と答える百合の言葉がありました。
第三話の「黒髪」は龍元ではなく、北町奉行所の同心本条孝三郎の物語になっています。
本条孝三郎は幼いころに母親に捨てられたという過去を持っていました。その本条孝三郎の前に現れた過去の話です。
人情噺としてはそれなりに読ませる話ではあるのですが、話としては龍元の物語とは関係のない話であり、この本に収納するには若干の無理を感じた話でもありました。
龍元が本条孝三郎の手代わりとして首を打つことが多いという間柄にすぎないのですが、そこに余人には知れない絆があるのかもしれません。
この話の終わりは、立ち去っていく孝三郎と龍元を隠れて見送る の店主の姿がありました。下谷三ノ輪町の梅林寺の梅ヶ小路の「たか」という茶屋の女将がたか枝だった。
第四話の「許されざる者」は、火付盗賊改当分御加役の配下同心の話です。
火付盗賊改当分御加役とは、火付盗賊改方本役のほかに、十月の冬から春までの半年間に限り、一名が火付盗賊改を任ぜられる加役のことだそうです。
その火付盗賊改当分御加役の配下同心の一人の強引な責め問いの結果亡くなった一人の若者が、町火消の有力者の家族とわかり、家族からの訴えにより切腹を命じられた武士がいました。
池波正太郎の『鬼平犯科帳』で有名な火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が登場することがこの物語の魅力です。
同時に、武家の妻の呼称である「奥方」の由来でもある、この時代の「表と奥」の概念の説明などの豆知識もまた魅力となっています。
別所龍元の物語は、斬首される罪人若しくは切腹を行う侍という存在があって初めて意義があるというその性格上、罪を犯すに至る、若しくは切腹を行うに至る事情の話になりがちで、なかなか物語のパターンが限定されそうです。
そうした点から見ると、本書は龍元の立ち廻りはもちろんのこと、龍玄の親しくしている北町奉行所の同心の個人的な話など、作者が色々と工夫を凝らしておられるのがよくわかる作品集となっています。
そして、本書の最後は静江とお玉との会話で終わりますが、そこで静江が百合が身籠ったことが示唆されます。
その後描かれる、杏子をその胸に抱いた時に湧き上がってきた日常の幸せに対する喜びの表現は感動的ですらあります。
ガリレオシリーズ
『ガリレオシリーズ』とは
東野圭吾の『ガリレオシリーズ』は、物理学者の湯川学を主人公とした推理小説シリーズです。
『ガリレオシリーズ』初の長編作品である『容疑者Xの献身』は第134回直木三十五賞を受賞し、またアメリカ探偵作家クラブのエドガー賞の候補ともなったそうです。
『ガリレオシリーズ』の作品
ガリレオシリーズ(2025年10月現在)
- 探偵ガリレオ(短編集)
- 予知夢(短編集)
- 容疑者Xの献身
- ガリレオの苦悩(短編集)
- 聖女の救済
『ガリレオシリーズ』について
本『ガリレオシリーズ』の主人公の湯川学は帝都大学物理学准教授であって、シリーズ長編第四作の『沈黙のパレード』では教授に昇進しています。
シリーズ第一作の『探偵ガリレオ』で大学時代の友人の草薙俊平の依頼により、解決困難な事件を解き明かしました。
というのも、事件が非科学的な超常現象とも取れそうな現象を伴っていたために科学的な知見が必要と湯川の意見が求められたのです。
そうした経緯で、その後解決困難な事件となると湯川に謎解きの依頼が来るようになりました。
こうして警察側の窓口が草薙俊平となったのですが、その草薙は当初は警視庁捜査一課所属の巡査部長でしたが、『沈黙のパレード』では係長として班長と呼ばれています。
そして、草薙の後輩として『ガリレオの苦悩』から登場するのが内海薫巡査長(後に巡査部長)です。
内海はテレビドラマからの派生人物らしく、ドラマ版からの要求で原作にも登場するようになったそうです。
そのほか、草薙の上司として間宮慎太郎が捜査一課係長として登場し、以降の定番メンバーとなっています。
ほかに一課メンバーとして牧田刑事や岸谷刑事、弓削刑事ほかの刑事、多々良管理官(後に理事官)などが登場します。
また、テレビドラマ化もなされており、湯川学を福山雅治が演じており、好評だったようです。
テレビドラマは第1シーズンが2007年10月から、第2シーズンが2013年4月から放映され、他にスペシャル版も数本作成されています。
加えて、同様に福山雅治を主役として劇場版も作成され、2008年10月に『容疑者Xの献身』が、2013年6月に『真夏の方程式』が公開され、2022年9月16日には映画第3弾『沈黙のパレード』が公開されました。
愛しさに気づかぬうちに
『愛しさに気づかぬうちに』とは
本書『愛しさに気づかぬうちに』は『コーヒーが冷めないうちにシリーズ』の第六弾で、2024年9月にサンマーク出版から336頁のソフトカバーで刊行された、連作のファンタジー小説です。
『愛しさに気づかぬうちに』の簡単なあらすじ
亡くなった母に会いにいくことはできますか?「いつか、素直に話せると思っていたのに…」義理の母と、恋人と、父と…。そばにいたのにすれ違ってしまった人達の、再出発の物語。(「BOOK」データベースより)
第一話 お母さんと呼べなかった娘の話
東郷アザミは義母を母親と認めることが出来ずに反発し、家を飛び出したままに義母を亡くしてしまった。そして自分が結婚相手に連れ子の親となり、自分の義母と同じ立場になって、自分が義母に対しどんなにひどい仕打ちをしてきたか義づくことになったのです。そこで過去に帰ることにできるというこの店に来たのでした。
第二話 彼女からの返事を待つ男の話
七年前、中学二年生の沖島友和は、バレーボール部に属する中学一年生の時の同級生小崎カンナからバレンタインデーの日に告白を受けますが、沖島の同級生の男子の勘違いから彼女の思いを受け取ることができませんでした。ところがその日にカンナが神保町の喫茶店に行った帰りに記憶喪失となる事故に遭うのでした。
第三話 自分の未来を知りたい女の話
加部利華子は、芲田学からプロポーズを受けますが、自分が五年後に生きているかどうかも不明だという癌に罹患していることを告げられます。そこで、五年後にも自分が生きているかどうかを知りたいと思うのでした。
第四話 亡くなった父親に会いに行く中学生の話
十四歳の須賀ツグオは、一人で自分を育ててくれた父の須賀龍太の突然の死に、自分のことは心配しないでいいというために過去に戻ろうとするのでした。しかし、いざ過去に戻り、父親に会ったツグオは思いもよらないことを告げるのでした。
『愛しさに気づかぬうちに』について
本書『愛しさに気づかぬうちに』は『コーヒーが冷めないうちにシリーズ』の六作目であり、これまでと同じように四つの短編からなる連作のファンタジー小説集です。
本書でもまた、自分の思いを伝えることができないままに別れざるを得なかった人たちが、時間を超えてその相手に会いに行き、その思いを伝えようとする物語が綴られています。
ただ、ここでもタイムパラドックスが気になります。
例えば、「第一話 お母さんと呼べなかった娘の話」で、アザミが過去に戻り電話をかけたのであれば、本来であればその場にいた流はそのことを経験して知っていたはずですが、アザミが過去に戻るときに流がそのことを知っていたようには思えないのです。
しかしながら、本シリーズでこうした時間旅行ものにつきもののタイムパラドックスについて改めて論じることはもう野暮に過ぎるようであり論じることはやめます。
そうした点はともかく、この物語では人の思いは可能な時に伝えておかなければ相手には伝わらない、ということが繰り返し示してあります。
人の不幸はいつ訪れるかわからないのだから、伝えることが出来るときに伝えておかなければ取り返しのつかないことになりかねないというのです。
確かにその通りだと思いますし、そうすべきだと思います。しかしながら、そうした理屈では割り切れないところが人間なのだという思いもまたあり、本書のような物語が成立するのだと思います。
また、本書でだいじなのは、時田数のその夫である時田刻との馴れ初めについて語られていることもさることながら、これまでぼかされていた「フニクリフニクラ」の場所が明確にされていることでしょう。
すなわち、「第二話 彼女からの返事を待つ男の話」の中で、「神保町の喫茶店に行った帰りの小崎の事故」という文言があり、小崎カンナが最後に立ち寄った神保町の喫茶店がここ「フニクリフニクラ」であることが明記してあるのです。
さらに、「第三話 自分の未来を知りたい女の話」では、「フニクリフニクラ」が東京メトロの神保町駅から歩いていける距離にあるとまで明記してありました。
また、物語全体を眺めてみると本書では「フニクリフニクラ」の常連客である清川二美子が全部の話に登場し、狂言回しのような役割を担っている点も見逃せません。
ほかにも繰り返し登場して物語の要となる客がいたりと、単なる脇役であると思われていた常連客達もまたこのシリーズで重要な役割を担っていることが示されているのです。
言葉を変えれば、時田家だけではなく「過去に戻ることができると噂の喫茶店」自体が主役だと言えるのかもしれません。
それにしても、続編が期待されるシリーズです。
乱歩と千畝:RAMPOとSEMPO
『乱歩と千畝:RAMPOとSEMPO』とは
本書『乱歩と千畝:RAMPOとSEMPO』は、2025年5月に新潮社からハードカバーで出版され、第173回直木賞候補作となった長編の歴史小説です。
同時代に生きた作家と外交官という二人の人生を交錯させ、それぞれの人生を描きだした力作ですが、私の好みとは少し異なる作品でした。
『乱歩と千畝:RAMPOとSEMPO』の簡単なあらすじ
名もなき若者だったが、夢だけはあった。探偵作家と外交官という大それた夢。希望と不安を抱え、浅草の猥雑な路地を歩き語り合い、それぞれの道へ別れていく…。若き横溝正史や巨頭松岡洋右と出会い、歴史を変え、互いの人生が交差しつつ感動の最終話へ。(「BOOK」データベースより)
『乱歩と千畝:RAMPOとSEMPO』の感想
本書『乱歩と千畝:RAMPOとSEMPO』は、主役二人の卒業した高校と大学が同じであるところから、この二人が出会っていればという発想から生まれたそうですが、力作だとは思うものの私の好みとは異なる作品でした。
本書は大正と昭和という近年の日本を舞台とし、作家と外交官という異なる世界で生きた二人の人生を交錯させた歴史小説ということもあって、かなりの関心を持って読み始めた作品でした。
たしかに、主役二人のほかに歴史上実在した多数の人々が登場して物語が展開していくこともあり、惹きつけられました。
ただ、中心となる二人の描き方が表面的に感じられてしまって物語に深みを感じず、また、重要なポイントで偶然という出来事によって物語が進んでいくこともあって、私の関心は離れていったのです。
まず、主役である若かりし平井太郎(後の江戸川乱歩)と杉原千畝とは、早稲田にある「三朝庵」という蕎麦屋での偶然に出会います。この点は物語の始まりとしてまだいいのです。
でも、千畝が広田弘毅に会うために鵠沼へ行く途中で久しぶりの太郎と出会ったとなると少々気にかかります。
気になった点の一つとして、いわゆる千畝がリトアニアのカウナスの領事館にいるときに起きたユダヤ難民の(通過)ビザを求め殺到したいわゆる「命のビザ」の事件もあります。
その時の避難民の中にかつて浅草で出会ったバロンがいて千畝の決断に一役買ったというのですが、ここでバロンを持ち出す意味はよくわかりません。
こうした偶然の出来事に物語の進行を委ねる作風はあまり好きではありません。物語のリアリティが削がれると感じてしまうのです。
また、本書の主役二人の行動の履歴は良く調べられているのだけれど、二人の心の動きについてわかりにくいものがありました。
乱歩については探偵小説を書くまでの乱歩の行動は紹介してあっても、いざ作品を書く段になるとその作品の生みの苦しみ、作家としての苦悩などは全く描かれずに作品名だけが次々と紹介されていきます。
また、作家になるまでの乱歩の行いも無責任的な行動の描写だけがあり、物語を生み出す平井太郎の描写は少ししかありません。
確かに、粗製乱造気味の自分の仕事についての嫌悪感から仕事から逃避しようとしたりする姿はありますが、それ以上の苦悩は見えません。
太郎は何事においても中途半端であり、燃え上がったと思えばすぐにその火は消え、燃え上がった時の気持ちは萎えてしまい迷惑をかけることになる、との描写があるだけです。
妻の龍子の一途な思いに抗えず結婚することになった事情も一時の熱情のためという説明があるだけです。
とは言いながら、戦後の乱歩の生き方や横溝正史との付き合いなどはほとんど知らない事柄であり関心を持って読みました。
しかし、それは適示された事実に対しての関心であり、物語の面白さに対するものではありません。
一方の千畝にしてもその行動の表面をなぞっているように感じてなりませんでした。
ただ、乱歩の描写に比べるとまだ千畝の描き方に魅力を感じたの事実です。語学に対する関心や外交に対する献身、また先妻のクラウディア・アポロノヴァに対する愛情など、かなり惹かれるものがありました。
ただ、須賀しのぶの『また、桜の国で』において感じたような歴史の中に生きる外交官としてのダイナミックさなどの印象はほとんどないのは残念でした。
(ナチス侵攻のポーランドに派遣された主人公 自らつかみとるアイデンティティ : 参照)
この作品は、第二次世界大戦前夜のポーランドの姿をワルシャワにある日本大使館に勤務する日本人外務書記生を主人公として描いた作品であり、かなり惹きこまれて読んだ記憶があります。
個人的には、二人の偉人を描こうとする作者の心意気は結局はちょっと贅沢すぎたのかな、という印象だったということです。
二人の人生の交錯自体が虚構である以上、二人の接点を歴史的な事実の合間に紛れ込ませなければならず、そのことが結局若干の無理を感じてしまったのかもしれません。
ただ、言う前もないことですが、ほかで批判的な感想は読んだことはありません。
本書は第173回直木賞候補作になっていいるだけの高評価を受けた作品であり、読者からも支持されている作品なのです。
乱菊
『乱菊』とは
本書『乱菊』は『介錯人別所龍玄始末シリーズ』の第四弾で、2023年6月に268頁のハードカバーで刊行された、長編の時代小説です。
低いトーンで貫かれた本書は、まさに辻堂魁の作品であり、とても面白く読んだ作品でした。
『乱菊』の簡単なあらすじ
それは、きらめく銀色の刃が、凄惨な切腹場を果敢ない幻影に包みこみ、誰もが息を呑んで言葉を失くし、切腹場の一切の物音がかき消えた、厳かにすら感じられる一瞬だった。十八歳の春、首斬人としての生業を継いだ男の極致。(「BOOK」データベースより)
「領国大橋」
湯島四丁目で手習所を開いている深田匡という浪人は、妻の紀代が中間の幸兵衛を供に江戸へ出たまま帰らず、その女敵討のために出府してきていた。匡は、武家は家門を維持繁昌させ、家風を揚げ、家名を耀かせるために夫婦になるものだという考えだったが、妻は子を流してしまった妻を不束な嫁と知人に言う夫に対し心が途切れてしまうのだった。
「鉄火と傳役」
後添えの自分の子を跡継ぎとする考えに乗った旗本長尾家の主は、嫡男の京十郎を廃嫡しようとした。そのことを知った嫡男は一段と無頼の道に走り、ただ一人理解してくれていた自分の傅役の生野清順をも手にかけてしまう。その傅役から長男の介錯を頼まれていた龍玄は、ただその約束を果たすのだった。
「弥右衛門」
真崎新之助は三人の侍と喧嘩になり、惨殺されてしまう。新之助は「藤平」の抱えの弥右衛門と互いに好き合っていたため、弥右衛門はこの三人の侍を討ち果たしてしまう。弥右衛門は陰間を生業としてはいても武士としての矜持は失っておらず、もし侍として切腹が許されるのならば、一度見かけてからその姿に心打たれていた龍玄に介錯を願いたいと言うのだった。
「発頭人狩り」
天明の大飢饉に際して福山藩の一揆に参加した尾道の医師である田鍋玄庵は、白井道安と名を変え江戸に逃げて町医者として暮らしていたが、その逃亡を助けたのが龍玄の母親である静江の兄の徒衆である竹内好太郎だった。ところが、田鍋玄庵を追って福山藩の横目の三人が無縁坂の別所家を探っているという話を聞いた。
『乱菊』の感想
本書『乱菊』はシリーズも四作目となる作品集ですが、辻堂魁という作家の新たな人気シリーズとして定着していると言えるでしょう。
それほどに安定した面白さを持っていると言えると思います。
本『介錯人別所龍玄シリーズ』の魅力としては、主人公別所龍玄の魅力はもちろんのこと、龍玄自身の佇まいの物静かさを家族の存在が包みこみ、全体の暖かさを醸し出している点にもあると思います。
それは、龍玄の妻の百合の美しさの中にある芯の強さと、二人の間の娘杏子(あんず)の可愛らしさなどです。
それに龍玄の母親の静江の強さと、奉公人でありながらも家族の一員ともなっているお玉の暖かさなど、物語自体は悲惨なものが多いのですが、読者の心の安らぎをもたらしてくれています。
また、辻堂魁という作家の特徴でもあるとは思うのですが、特に本シリーズでは登場人物の服装やその場面、背景、それに登場人物の身分や家の家格などの描写が非常に緻密です。
もしかしたら緻密な描写は作者自身のこの頃の傾向なのかもしれませんが、本書では特に人物の服装の描き方がより細密な傾向が強く感じられます。
そうした衣装や身分の詳しい描写はこの物語の時代背景が江戸時代であることを読み手に明確に意識させることになります。
そして、別所龍玄という主人公が介錯人であり、刀剣鑑定を生業にしている存在であること、その時代背景があってこそ主人公の存在が際立ってくると言えるのでしょう。
ただ、それにしても緻密な描写に若干の過剰性を感じるのも事実で、もう少し抑えてもいいのではないかとも感じます。
また、作者の辻堂魁の作品では権力者による理不尽な仕打ちや無法者の暴力により悲惨な目に会わされる弱者の姿がよく描かれます。
一般の痛快時代小説では、そうした弱者の、強者に対する反撃の一端なりとも叶えるヒーローとして主人公が登場します。
しかし、この作者のほとんどの作品の場合、多くの痛快時代小説とは異なって弱者の危機に際しヒーローが現れるのではなく、すでに悲惨な立場に陥ってしまっている弱者を、せめて恨みの思いだけでも叶える正義の味方として主人公が登場するのです。
本書の場合も同様で、主人公は首打ち人であり、すでに罪人となった者若しくは切腹せざるを得なくなっている弱者の事後の魂の救済人としての龍玄が登場する場面がほとんどです。
第一話の「領国大橋」では、武士の面目を保つためにやむを得ず果たす意味しかなかった女敵討を為した浪人の姿が描かれます。
つまり、「女敵討」という武士の面目を保つ意味しかない制度に振り回される侍の姿が描かれているのです。
加えて、夫は普通に過ごしているつもりでそれが当たり前の毎日であるにしても、妻からしてみればまた違う意味を持つ日々だったということも示されています。
第二話の「鉄火と傳役」では、廃嫡されたとある旗本の嫡男の哀しみに満ちた姿が描かれています。
武家社会の跡継ぎ問題というよくある話ですが、それを傅役というクッションを挟むことで龍玄の立ち位置を見つけ、侍の虚しさを描き出しています。
第三話
侍社会のなかでの陰間という日陰の生き方をする、しかし侍としての矜持は失っていない男の物語です。
ただ、江戸時代は男色に対して現代ほどの忌避感はなく、それなりに寛容だったとも聞くため、本編は単に恋人を殺された侍の仇討ちとして読んでいいものかとも思えます( nippon.com : 参照 )。
第四話「発頭人狩り」は、とある藩の政争に巻き込まれたひとりの医師の物語です。
龍玄の母親の静江の兄の竹内好太郎の友人の医師の白井道安の物語であり、いわば龍元の身内の問題が描かれた作品です。
龍元の義理の伯父が絡んだ話であり、龍元の斬り合いの場面、剣の遣い手としての龍玄が描かれるという珍しい話でした。
介錯人別所龍元の話ではなく、龍玄の立ち廻りを見ることができる珍しい作品であり、この手の話をもっと読みたいという気もします。
第一話から第三話までは、侍として生きた男の、侍の社会に生き、そして侍の社会の定めに死んだ男、武家の内紛で廃嫡された男、陰間として生きていた侍たちの侍としての死が描かれています。
それに対し、第四話は、龍玄の伯父の知り合いの理不尽な死に際し、剣士としての龍玄の姿が描かれています。
龍玄は介錯人である以上、その剣は受け身であることは仕方のないことですが、たまにはこういう自分から抜く立ち廻りも読んでみたいと思います。
生殖記
『生殖記』とは
本書『生殖記』は、2024年10月に小学館から290頁のハードカバーで刊行され、2025年本屋大賞にノミネートされた長編の現代小説です。
ストーリー展開を楽しむ作品ではなく、語りの名を借りた文明批評としか思えず、理解はできても私の感性ではついていきにくい作品でした。
『生殖記』の簡単なあらすじ
とある家電メーカー総務部勤務の尚成は、同僚と二個体で新宿の量販店に来ています。体組成計を買うためーではなく、寿命を効率よく消費するために。この本は、そんなヒトのオス個体に宿る○○目線の、おそらく誰も読んだことのない文字列の集積です。(「BOOK」データベースより)
『生殖記』の感想
本書『生殖記』は、これが小説かという疑問が浮かびそうな、長編の現代小説です。
私が小説に求めるのは読書時間が楽しく思えるような物語であり、ほとんどエンターテイメント作品を好むものです。
ところが、本書は昨今話題の「SDGs」などについての評論としか思えず、ついていきにくい作品でした。
本書『生殖記』の特徴と言えば、まずはその語り手の正体が特徴的だという以外の何ものでもありません。
この語り手の正体はすぐに明かされますが、これまでに一人称視点でも三人称視点でもない本書のような視点の小説は見たことも聞いたこともありませんでした。
作者のインタビュー記事を読むと、これまでどんな視点を設定しても人間という枠故の制約を感じていたそうですが、本書ではその枠を外したために自由に発想することができたと書いてありました。
本書のような視点のことを作者の朝井リョウは「人類に何の肩入れもしない存在」と表現しておられます( NHK WEB特集 : 参照 )。
本書『生殖記』の主人公は、と言えば文中では尚成と呼ばれている達家尚成という男であり、先に述べた語り手はこの尚成の心象を解説するのです。
この解説する内容がとても分析的であり、次第に難解な解説へと変貌していきます。
そもそも、尚成は、「均衡 維持 拡大 発展 成長」というあらゆる共同体の行動原理を避けることを自分の行動原理としています。
その尚成が共同体感覚をここまで欠如させるに至った経緯としては、尚成という存在が本書の言葉によれば「同性愛個体」であることにあります。
そして、「同性愛個体」の尚成が「異性愛個体」で構成されるこの社会で心地よく過ごしていくための方法として、共同体の行動原理を避ける生き方にたどり着いたのです。
具体的には、「手は添えて、だけど力は込めず」ということでした。体育で使うマットを皆で運ぶときに手は添えるけれども力は込めずにそれらしく見せるだけという、本書冒頭で語られる生き方なのです。
本書の語り手の存在は、尚成のこの「相手の話すことに共感して、否定はせず、大変さに理解を示し、応援する」生き方を客観的に分析し、ひいては人間社会のありようにまで分析対象を広げ、現代の政治家の「生産性がない発言」などを取り上げ、笑い飛ばしているのです。
この物語を「小説」と言っていいものかは議論があるところでしょうが、個人的な好みから言えば決して自ら手を取り読もうという作品ではありません。
本書が2025年の本屋大賞にノミネートされていなければ決して手に取ることはなかったと言える類の作品です。
作者の朝井リョウといえば、2022年本屋大賞にノミネートされた前著の『正欲』でも「多様性」が語られていました。でも、まだ小説として惹きつけられる凄みを感じたものです。
しかしながら、本書はどうにも魅力を感じられません。視点の主の語る尚成の心象や「ヒト種」という存在の分析にそのほとんどが費やされ、いわゆるストーリー性は全くないと言って過言ではありません。
本書『生殖記』に似た小説を紹介しようと思いましたが、本書の設定は前代未聞であり、類似作品は見当たりませんでした。
それほどに荒唐無稽な設定なのです。
ブレイクショットの軌跡
『ブレイクショットの軌跡』とは
本書『ブレイクショットの軌跡』は、2025年3月に早川書房から584頁のソフトカバーで刊行され、第173回直木賞の候補作となった長編小説です。
600頁近くというかなり長い作品で、描かれている内容は現代日本のいくつもの否定的な様相が複雑に描かれているものの、その見事なストーリー構成や明るさを見据えた視点は読者を惹きつけて離しません。
『ブレイクショットの軌跡』の簡単なあらすじ
底が抜けた社会の地獄で、あなたの夢は何ですか?自動車期間工の本田昴は、Twitterの140字だけが社会とのつながりだった2年11カ月の寮生活を終えようとしていた。最終日、同僚がSUVブレイクショットのボルトをひとつ車体の内部に落とすのを目撃する。見過ごせば明日からは自由の身だが、さて…。以後、マネーゲームの狂騒、偽装修理に戸惑う板金工、悪徳不動産会社の陥穽、そしてSNSの混沌と「アフリカのホワイトハウス」-移り変わっていくブレイクショットの所有者を通して、現代日本社会の諸相と複雑なドラマが展開されていく。人間の多様性と不可解さをテーマに、8つの物語の「軌跡」を奇跡のような構成力で描き切った、『同志少女よ、敵を撃て』を超える最高傑作。(「BOOK」データベースより)
『ブレイクショットの軌跡』の感想
本書『ブレイクショットの軌跡』は、現代日本が抱える種々の問題を章ごとに描き出しながら、作者の卓越した構成力により物語の破綻を見ることなくまとめ上げてある、読み応えのある作品です。
本書ではプロローグとエピローグでの一つ、四つのアフリカのパートで一つ、それに六つの章の物語の都合で八つの物語が語られています。
それらの物語は一見しただけではそれぞれに独立しているように見えながら、全体として壮大な一つの物語として成立しているのです。
その上で、細かな伏線が物語の冒頭のプロローグからから張りめぐらされており、それらが最終的に丁寧に回収されていく様は実に小気味いいものになっています。
例えば、これくらいはネタバレにもならないと思われるので書きますが、最初の間奏の「アフリカのホワイトハウス」での「ホワイトハウス」と名付けられた車の存在自体にも仕掛けが施されています。
それぞれの個別の物語は、この作者らしいよく調べられた細密さを持って描かれ、緻密なリアリティを持った物語として成立しています。
それは自動車期間工の物語であり、また板金工の話であり、投資会社や不動産会社、ユーチューバーたちなどの物語です。
その緻密さは投資に関しての情報であり、投資詐欺についての手法の話であって、読者の関心を細かくひきつけて物語の背景を詳細に構築し、話にリアリティを持たせるのです。
その話は細かなところで登場人物が重なっていたり、同じ事柄を視点を変えた話であったりと、まるで連作短編集のような印象でもあるのですが、その全てが一つの物語です。
先に書いたように、個々の話で語られる情報の緻密さはそれだけでも関心を抱きます。
その描写の様子は、「犯罪」の考察から「社会」という存在自体への考察も含み、読書の途中ではその情報量の多さから、第13回山田風太郎賞や第168回直木賞をを受賞した小川哲の『地図と拳』などの作品を思い出していました。
ただ、本書はこの作品ほどの難解さはありませんし、また読みやすい作品です。
そして、その全てを通じて関連してくるのが「ブレイクショット」という車の存在です。
「ブレイクショット」という車はまるで先日読んだ池井戸潤の『BT'63』に出てくるBT21号のように物語に絡んできます。
ただ本書の場合はBT21ほどにはホラーチックでもないし物語に絡んでもきません。
何よりも「ブレイクショット」は架空の車種である点が全く異なります。ただ、私が読書したタイミングで続けて車が鍵となる物語だったことに驚いただけです。




