警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発

警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』とは

 

本書『警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』は『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の第一弾で、1998年10月に中央公論新社のC★NOVELSから新書版で刊行され、2016年5月に中公文庫から押井守氏の解説、それに関口苑生氏の新装版解説まで入れて403頁の文庫として出版された、長編の警察小説です。

 

警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』の簡単なあらすじ

 

朝のラッシュで混雑する地下鉄駅構内で爆弾テロが発生、死傷者三百名を超える大惨事となった。威信にかけ、捜査を開始する警視庁。そんな中、政府上層部から一人の男が捜査本部に送り込まれてきた。岸辺和也陸上自衛隊三等陸曹ー自衛隊随一の爆弾処理のスペシャリストだ。特殊な過去を持つ彼の前に、第二の犯行予告が届く!!犯人の目的は、一体何なのか!?(「BOOK」データベースより)

 

警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』の感想

 

本書『警視庁捜査一課・碓氷弘一 1 – 触発』は、『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の第一弾の長編の警察小説です。

主人公は警視庁捜査一課に所属する碓氷弘一という部長刑事ですが、自分が当直をつとめていた時に受けた爆破予告が現実となり、自分の経歴に傷がついたこと、この事件の責任を追及されるかもしれないことを悔やんでいる存在です。

現場に行き、その悲惨な状況を現認した碓氷は爆破事件の犯人を自分の手で挙げなければならないと決心するのですが、それは自身の失敗を取り返すためというのが大きな動機になっているのです。

 

本書では途中から犯人が登場し、犯人目線での項も存在します。つまり、ミステリーで言うホワイダニットという構成に近いと言えるでしょう。

つまりは、犯人の心理を細かく描くことでその主張を明確にすることにその主眼があると思われます。

というより、作者の思いはそうした犯人、警察、そしてもう一方の捜査陣に加わる自衛隊員の主張も併せ、現在の世の中に対するそれぞれの主張を戦わせ、読者も共に考えてほしいという意図があるのではないでしょうか。

 

こうした社会性の強い主張は今野敏の作品ではしばしばみられることでもありますが、初期の作品ほどその傾向が強い、正確にいうと作者の言いたい主張がより明確に表現されていたように思います。

現代日本の特に若者層の社会に対する責任感の無さを指摘する場面が多いように感じ、特に自由という言葉の意味のはき違えに対する指摘が多いようです。

その後に刊行される作品でも現在に至るまで、今野敏という作者の示す主張の内容には変化はないと思われますが、初期の方がより明確だと思われるのです。

 

本書『触発』では、自分の国を守るという安全保障に対する認識の薄さが指摘されています。

それは若者の国防意識だけでなく、国家レベルでも同じだというのです。例えば地下鉄サリン事件の時、警察には防護服などの装備が不足しており自衛隊に借りに行ったという事実が指摘されています。

 

同じように作者の国防意識を明確に主張している作品としては、誉田哲也の『ノワール 硝子の太陽』を思い出しました。

若者の政治的な無関心などを指摘しているわけではありませんが、日米安全保障条約に伴う日米地位協定の問題を取り上げて作品の主要テーマに絡めてありました。

 

本書では早めに明かされる爆弾魔として、フランス外人部隊に身を置いて爆薬のエキスパートとして働き、最後はボスニアヘルツェゴビナなどで傭兵として働いていた戸上迅という男が配置されています。

そして、日本に帰国した彼に、「さしたる目的もなく金と時間と浪費している日本の若者たち」のおかしさを指摘させ、今の日本は狂っていると評させているのです。

そして、そのプロフェッショナルであるテロリストに対する存在として自衛隊での爆発物処理のエキスパートである第三十二普通科連隊第四中隊所属の岸辺和也三等陸曹とその友人の横井三曹を対峙させています。

また、内閣官房危機管理対策室室長の陣内平吉という人物を登場させ、今の警察の能力だけでは爆弾魔に対応できないとして岸辺陸曹たちを警察に出向させることで警察と自衛隊との連携を図っているのです。

こうして警察に出向することになった岸辺三曹と横井三曹は碓氷刑事とその相棒の笹原と組むことになり、未だ正体がわからない爆弾魔の行方を追うことになるのです。

 

ちなみに、本書『触発』で碓氷刑事の上司として登場している捜査一課長がいますが、本書においてはまだ名前が明記されてはいません。

しかし、この一課長は今後今野作品でははずすことのできないバイプレーヤーとしてあちこちの作品で登場することになる田端守雄捜査一課長だと思われるのです。

この点に関しては、本書の新装版解説で関口笵生氏は「本作品では、べらんめえ口調で話す捜査一課長の名前はまだない。」と書かれています。

警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ

警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』とは

 

本『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』は、警視庁捜査一課に属する碓氷弘一警部補の活躍を描く警察小説シリーズです。

 

警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』の作品

 

警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ(2024年04月24日現在)

  1. 触発
  2. アキハバラ
  3. パラレル
  1. エチュード
  2. ペトロ
  3. マインド

 

警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』について

 

本『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』は、碓氷弘一という警視庁捜査一課刑事を主人公とする警察小説です。

階級は少なくともシリーズ第二巻『アキハバラ』までは部長刑事となっていますが、後には警部補になっています。昇進の時期が分かり次第ここで修正します。

 

この主人公の碓氷弘一は、十歳の娘と六歳の息子を持つ部長刑事ですが、このまま定年までを無事に勤めあげることだけを考えている人物です。

今野敏の描く警察小説では主人公となる刑事が他者の眼を気にする描写がよくあります。

たとえばベストセラーシリーズの一つである『安積班シリーズ』の主役の安積警部補は、班長として班員の心中を気にする場面が多々ありますし、『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の樋口顕警部補も同様に、常に他人の眼、上司の評価が気にしつつ職務に邁進する人物として描かれています。


これらのことは本シリーズ第一巻『触発』の新装版解説で関口苑生氏も同様のことを書いておられます。

刑事といっても一人の人間であり、殆どの場合は時間に関係なく忙しさに追われる職場を抱えながらも、妻や子供たちに対する何らかの悩みを抱えるサラリーマンとしての側面を持つ存在としての側面をも描き出してあるのです。

 

本シリーズの主役碓氷弘一の場合、上司の評価や第三者の目を意識する側面が特に強い存在として描かれています。

シリーズ第一巻での爆弾魔事件においても、自分が爆破予告の第一報を受けていたのに爆発が起きたことは自分のミスであり退職までの経歴に傷がついたとして、その名誉回復こそが犯人を逮捕するという強い動機となっているのです。

 

また、その際に碓氷弘一を叱りつける上司として名前も示されていないべらんめえ口調で話す課長が出てきますが、これが今野敏の作品の重要な役者の一人となる捜査一課の田端守雄課長ではないかと思われるのです。

今野敏の作品ではこうした役者たちが共通して登場するというのも楽しみの一つでもあります。

 

ちなみに、2017年4月と2018年11月に、本シリーズの『エチュード』と『マインド』を原作としてテレビ朝日でドラマ化されています。

主人公の碓氷弘一はユースケ・サンタマリアが演じ、相棒として相武紗季や志田未来らが出演していたそうです。

あなたが誰かを殺した

あなたが誰かを殺した』とは

 

本書『あなたが誰かを殺した』は『加賀恭一郎シリーズ』の第十一弾で、2023年9月に講談社からソフトカバーで刊行された、長編の推理小説です。

本書の大半が犯人探しの「検証会」の描写に費やされている、いわゆる本格派の推理小説にも似た構成の作品です。

 

あなたが誰かを殺した』の簡単なあらすじ

 

★★★ミステリ、ど真ん中。★★★
最初から最後までずっと「面白い!」至高のミステリー体験。

閑静な別荘地で起きた連続殺人事件。
愛する家族が奪われたのは偶然か、必然か。
残された人々は真相を知るため「検証会」に集う。
そこに現れたのは、長期休暇中の刑事・加賀恭一郎。
ーー私たちを待ち受けていたのは、想像もしない運命だった。(内容紹介(出版社より))

 

あなたが誰かを殺した』の感想

 

本書『あなたが誰かを殺した』は、社会派の作家と分類されると思っていた東野圭吾による、本格派の推理小説とでも言えそうな推理小説です。

物語は、終盤にいたってそれまで貼られていた伏線が次々と回収されていくのはもちろんのこと、犯人像も逆転に次ぐ逆転で意外性に富んでいて飽きることがありません。

誤解を恐れずに言うと、こうしたどんでん返しは物語の終盤だけに展開されるものではなく、探偵の加賀恭一郎が参加してからは常に意外性に満ちた展開をしているとも言えるかもしれません。

それほどに、惹かれる展開が待っているというとでもあります。

 

本書の特異な点は、そのほとんど全編が序盤で起きた殺人事件の解決編だけで成り立っている構成であることです。

本書全体が300頁強の作品であって、冒頭から30頁半ばあたりで事件が起きます。そして50頁になる前で探偵役の加賀恭一郎が登場して、70頁を越えたあたりからは「検証会」に参加する人たちとの会話が始まっています。

そして、その「検証会」の中での加賀恭一郎の考察は他の登場人物たちにとって新たな視点をもたらすものとなっていくのです。

 

本書『あなたが誰かを殺した』での物語の舞台は、序盤で鷲尾春奈と加賀恭一郎とが初めて会った場面などの数場面を除いて櫻木家山之内家飯倉家(グリーンゲーブルズ)高塚家栗原家の五軒の別荘がある別荘地の中だけです。

この舞台に個性豊かな人物たちが集まって恒例のパーティーを行うところから始まりますが、このパーティに集まる人物が櫻木家、山之内家、高塚家、栗原家の四軒の別荘の関係者達です。

個別にみると、まず櫻木家関係者としては、櫻木病院の院長である櫻木洋一、洋一の妻の櫻木千鶴、そして櫻木夫妻の娘で櫻木病院で事務員として働く櫻木理恵、理恵の婚約者で櫻木病院の内科医である的場雅也です。

次いで山之内家の関係者は、この別荘に一人で住んでいる山之内静枝という40歳すぎの女性と、静江のもとに遊びに来ている静江の姪である看護師の鷲尾春那と夫で薬剤師の鷲尾英輔で、共にパーティへと参加しています。

グリーンゲーブルズと呼ばれている飯倉家の別荘は静江が管理をしており、現在は誰も住んでいません。

次の高塚家関係者は、ある会社の会長職である高塚俊作とその妻の桂子、それに俊作の部下の小坂均七海夫妻とその息子で小学六年生の小坂海斗です。

パーティへの参加者は以上の人達ですが、そこに事件が発生し新たな人物が登場します。

それが、事件の犯人として自首をしてきた桧川大志であり、鷲尾春奈の依頼を受け「検証会」に同行することになった加賀恭一郎、それにパーティが行われた地元の刑事課長であるです。

 

事件の後、自首してきた桧川が何も話さないところから検察が未だ事件の詳細をつかめていないとして、事件の関係者たちで事件について話し合いたいという高塚俊作の提案で「検証会」が開かれることになったのです。

先に述べたように本書『あなたが誰かを殺した』は通常の推理小説とは異なり、そのほとんどが加賀という探偵役による事件解決のための事実の確定と犯人探しに費やされています。

そして、この犯人探しの場となったのが「検証会」であり、この場で当事者たちの証言により何があったのかが次第に明らかにされていくのです。

最後に明かされる意外な事実は読み手の推測をも裏切り、繰り返されるどんでん返しは驚きの連続です。

そうした意外性は本書の特徴の最大の魅力と言っていいと思われます。

 

著者の東野圭吾の魅力の一つは犯罪動機の解明を通して示される社会的な問題提起にもあると思うのですが、本書の場合はどちらかと言うとかつての本格派の推理小説にも似た謎解きに重きが置かれた作品です。

特に本『加賀恭一郎シリーズ』は東野圭吾の作品の中でも社会性が強いと言われているシリーズであって、謎解きよりも犯罪動機やストーリー自体の魅力が売りだと思っていたので一つの驚きではありました。

ただ、『加賀恭一郎シリーズ』の中には『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』などの本格派的な作品もありますから、本シリーズを社会派のシリーズだと思うのは私の早とちりというべきなのかもしれません。

どちらにしろ、本書『あなたが誰かを殺した』が魅力的であり面白い作品だというのは異論のないところでしょう。

東野圭吾作品の中でも一番好きなシリーズであり『加賀恭一郎シリーズ』の最新作である本書は十分に楽しめるひとときを過ごすことのできる作品だと言えます。

桜の血族

桜の血族』とは

 

本書『桜の血族』は、2023年8月に384頁のソフトカバーで双葉社から刊行された長編の警察小説です。

女性が主人公の警察小説、それもマル暴刑事の話で、読了後には全く異なった印象となるほどの面白さを持った作品でした。

 

桜の血族』の簡単なあらすじ

 

警視庁組織犯罪対策部暴力団対策課の桜庭誓は父も夫もマル暴刑事。遺伝子レベルでヤクザを理解する特殊な刑事だった。結婚後は退職して専業主婦をしていたが、夫の賢治がヤクザに銃撃されてしまい、犯人逮捕のために現場復帰する。そんな中、日本最大の暴力団吉竹組の元組員宅で爆破事件が発生。ベトナムマフィアの仕業かと思いきや、事件は本家と関東に分裂した吉竹組の抗争が絡んでいた。誓は自分に思いを寄せる片腕の武闘派組長・向島春刀とともに、血塗れの抗争を防ぐ。(「BOOK」データベースより)

 

桜の血族』の感想

 

本書『桜の血族』は、主人公となる刑事に加え、その相棒も女性刑事という珍しいコンビの警察小説です。

そのうえ、所属が警視庁組織犯罪対策暴力団対策課所属というのですからいわゆるマル暴刑事としての女性二人の行動が中心となる作品です。

 

主役は父親が桜庭功という伝説のマル暴刑事といわれた男で、自分もマル暴刑事だった仲野誓という女性です。

誓は専業主婦をしてましたが、夫の仲野賢治が銃撃されて車いす生活になったため、その敵討のために再びマル暴刑事として復帰することになります。

その際にコンビを組んだ相手がこれまた警視庁で初めて女性刑事になったという藪哲子(やぶあきこ)という女性でした。

 

当初、本書で語られるストーリーは端的に言えばお伽話だという印象でした。

この物語はマル暴と称される警察官の物語ではありますが、普通は男社会として描かれる暴力団と警察とのやり取りを女性のマル暴刑事を主役として設定することに特色を出しています。

その上で、女性とは言ってもヤクザを相手にするのですから、女性マル暴刑事は直情傾向の気の強い女性として描くことは必然でしょうし、それでこそ暴力団との対峙を明確に印象付けるのだと思われます。

例えば誓は、夫の賢治が銃撃されたときに向島一家を内偵していたため、向島一家総長の向島春刀のもとへ令状も無く単身乗り込むほどの女性として描かれています。

このように、そうした女性を組み込んだストーリーが、物語のリアリティという面からはどんどん遠ざかっているのであり、どうしても現実味を喪失し絵空事の物語になっているのです。

 

絵空事の物語であること自体は決して非難しているわけではありません。

それどころか、例えば大沢在昌の『魔女シリーズ』のように絵空事に徹すればそれなりに非常に面白い物語として成立すると思われるのです。

しかし、本書の場合、暴力団と刑事との対峙という現実世界にある状況を背景にしているために中途に現実味を帯びてしまっていると思われ、その点でお伽話的に感じてしまうのだと思います。

また、何よりも本書の主人公桜庭誓のキャラクターが今一つ定まっていないというところにその原因があると思っていました。女性マル暴として未だ女の部分を残していることが中途半端だと思っていたのです。

 

しかし、私のその印象は読了後に覆されました。作者の意図にそのまま乗っかってしまったのです。

本書を読み終えた今、感想は当初の思いとは全く違った結果となっています。

当初、お伽話だと思っていたこの物語は、陰惨な暴力を背景にした暴力団、ヤクザの物語になっていました。

今では、早く続編を読みたいと思っているのです。

夜露がたり

夜露がたり』とは

 

本書『夜露がたり』は、2024年2月に256頁のハードカバーで新潮社から刊行された短編時代小説集です。

“著者初の「江戸市井もの」 過酷にして哀切、いっそ潔く、清々しい”という惹句のとおりの物語集でした。

 

夜露がたり』の簡単なあらすじ

 

夜は溟くて重く、救いはわずかしかなかった。市井ものの正統にして新潮流。「どいつもこいつも、こけにしやがって」「難儀だね、身内って奴から逃れられないものさ」、追い詰められ女と男は危うい橋を渡ろうとする。「あの場所の生まれでなければ」と呪い、「死んどくれよ」と言葉の礫をぶつけながら、その願いが叶いそうになると惑う。ここに江戸八景の本物がある。「傑作」と呼ぶしかない短篇集。(内容紹介(出版社より))

目次(「BOOK」データベースより)

帰ってきた | 向こうがわ | 死んでくれ | さざなみ | 錆び刀 | 幼なじみ | 半分 | 妾の子

 

夜露がたり』の感想

 

本書『夜露がたり』は、著者砂原浩太朗が初めて出した市井ものということです。八編の短編が収められています。

江戸の町人の暮らしを描き出した短編と言えば、すぐに山本周五郎を思い出す人が多いでしょう。

山本周五郎に最初に接した本は新潮文庫の『深川安楽亭』でしたが、この作品は市井ものではなくいわゆる一場面物に分類される作品集ですが、そこに流れる哀愁は同様のものがあると感じています。


 

本書の読後感は藤沢周平を最初に読んだ時の感想と似たものがありました。

それは、それまで読んでいた時代小説とは異なって、ストーリー展開に山場もなく平板なもののまま終わってしまった作品だったというものです。

登場人物たちの先行きの希望などを示すこともなく、単に江戸の町民の生活の一場面を切り取り提示してあるだけのものだったのです。

ただ、それからしばらく間をおいて別な藤沢周平作品を手に取ると全くの別作品を読んだようで、今度は図書館で全作品を読み終えるほどになりました。

藤沢作品の情景描写の素晴らしさ、心象風景の描き方のうまさに惹かれ、描かれている登場人物たちの人生に引き込まれてしまったのす。

 

その再読したときの藤沢作品と似た印象を本書『夜露がたり』にも感じたのです。

そこに示されているものは思い通りにならない人生の悲哀であり、慟哭です。中にはかすかな光明を示している作品もあります。

文章のタッチは藤沢作品とは異なりますが、市井に暮らす人々の明るい側面ではなく、思い通りに行かない人生の断面を切り取った悲哀に満ちた作品集です。

 

作者の砂原浩太朗は、これまで封建制度に縛られた武家社会に生きる侍の姿を、厳しい中にも優しい目線で描いてこられました

しかし、本作では市井に生きる一般庶民の姿を描き出すというまた違った作風を読ませてくれたのです。

もちろん山本周五郎藤沢周平とはその作風をかなり異にしますが、それでもなお武家社会を描き出した作品は勿論のこと、市井に生きる人々の哀しみをも描き得ることを示したと感じました。

 

これからもまた新たな砂原浩太朗作品を期待できると思います。楽しみです。

半暮刻

半暮刻』とは

 

本書『半暮刻』は、2023年10月に464頁のハードカバーで双葉社から刊行された長編の社会派小説です。

半グレや風俗への身売りまでさせるホストの問題、利権に群がる政治家など、時代を写し取った硬派の物語で、それなりに引き込まれて読みました。

 

半暮刻』の簡単なあらすじ

 

児童養護施設で育った元不良の翔太は、地元の先輩の誘いで「カタラ」という会員制バーの従業員になる。ここは言葉巧みに女性を騙し、借金まみれにしたのち、風俗に落とすことが目的の半グレが経営する店だった。“マニュアル”に沿って女たちを騙していく翔太に有名私大に通いながら“学び”のためにカタラで働く海斗が声をかける。「俺たち一緒にやらないか…」。(「BOOK」データベースより)

 

半暮刻』の感想

 

本書『半暮刻』は2023年10月に双葉社からハードカバーで刊行された、時代の裏面を描き出してきたこの作者らしい社会派の物語です。

 

現実の社会に起きている事柄を拾い上げ、小説として再構成してあるということですので、本書に描かれていることはそのままではないにしてもそうした事実があるということなのでしょう。

というまでもなく、本書に描かれていることは日々のニュースを目にしていると元ネタはあのことだろうと見当がつきますから、本書で描かれているようなことが事実繰り広げられていることになります。

月村了衛という作家の作風が事実をもとにして戦後日本史を描き出していますので、その意味では本書もその路線から外れているとは言えなさそうです。

ただ、悪徳ホストが女性を風俗に沈めるという点は、現実に起きた歌舞伎町ホスト殺人未遂事件よりも前に本書が出版されているそうなので、その点では作者の視点がすごいというべきなのかもしれません。

 

物語は、山科翔太辻井海斗の二人のパートに別れ、それぞれの視点で進行しています。

第一部が翔太視点の「翔太の罪」であり、第二部が海斗視点の「海斗の罰」であって、対照的な二人の人生を歩むことになります。

当初は二人共に最終的には風俗へと沈めることを目的として女を引っ掛け、店へと誘導するカタラグループで頭角を現します。

そのうちにグループ創立者の城有に認められ、カタラグループのトップテンと呼ばれる地位まで上り詰めるものの、警察の手入れを受け、その後は対照的な人生を歩むことになるのです。

 

本書の物語自体はピカレスクロマンであり、また二人の若者の成長物語として読むこともできると思います。

しかし、本書の狙いはそこにはなくクライマックスでの翔太の言葉に集約されているのでしょう。

すなわち、二人の成長物語というよりは、その個人の人間性に根差した「悪」、本書の言葉でいうと「邪悪」の適示こそが主眼だと思われるのです。

作者の月村了衛のインタビュー記事を読むと、描きたかった「根源的なテーマ」は自分が感じた「人間の本質的な邪悪」であり、「人間の中にある普遍的な邪悪」だった、とも書かれているのです( ダ・ヴィンチWeb : 参照 )。

 

第一部の「翔太の罪」で描かれている翔太のその後の人生と、第二部の「海斗の罰」で描かれている海斗の人生の対比は胸に迫ります。

その二人の生活の対比の後、クライマックスで描かれているカレーという食事に対しての海斗の感想は象徴的です。

この場面だけを取り上げると決して特別なことではなく、手法としてだけを見ると平凡とすら言えます。しかしながら、それまでの物語の流れの中で示される「カレー」という言葉は心に染み入りました。

著者の月村了衛の作品は、細かな点までも丁寧に描写されていて、人物の心象までも拾い出されていて、そうした手法がうまくいっていると思われます。

 

半グレを描いた作品としては新野剛志の『キングダム』という作品がありました。

この作品は、半グレ集団「武蔵野連合」のナンバー2の真嶋という男と、その中学時代の同級生の岸川という二人の生き方を中心に描いた長編のピカレスク小説です。

ただ、エンターテイメント小説としてはそれなりに面白く読んだ作品ではあったものの、個人的には物語としての厚みや人間の描き方では本書『半暮刻』に軍配が上がると思います。

 

君を守ろうとする猫の話

君を守ろうとする猫の話』とは

 

本書『君を守ろうとする猫の話』は、2022年9月に288頁のハードカバーで小学館から刊行された長編のファンタジー小説です。

2017年1月に刊行された『君を守ろうとする猫の話』の続編であり、前作と同様に「本」の大切さを訴えている作品で、ファンタジーとして面白い作品だとは言い難い作品でした。

 

君を守ろうとする猫の話』の簡単なあらすじ

 

お前なら、きっと本を取り戻せるはずだ。

幸崎ナナミは十三歳の中学二年生である。喘息の持病があるため、あちこち遊びに出かけるわけにもいかず学校が終わるとひとりで図書館に足を運ぶ生活を送っている。その図書館で、最近本がなくなっているらしい。館内の探索を始めたナナミは、青白く輝いている書棚の前で、翡翠色の目をした猫と出会う。

なぜ本を燃やすんですか?

「一番怖いのは、心を失うことじゃない。失った時に、誰もそれを教えてくれないこと。誰かを蹴落としたときに、それはダメだと教えてくれる友達がいないこと。つまりひとりぼっちだってこと」

ようこそ、新たな迷宮へ。(内容紹介(出版社より))

 

君を守ろうとする猫の話』の感想

 

本書『君を守ろうとする猫の話』は、2017年に刊行された『本を守ろうとする猫の話』の続編です。

本書の主人公は、幸崎ナナミという中学二年生の少女です。

持病の喘息で運動ができないために毎日通っていた図書館で本がなくなっていることに気付いたナナミは、探索の途中言葉を話す猫に出会うのでした。

トラネコのトラと名乗るその猫と共に青白く光る書棚の先へと踏み出すと、そこには血の気の無い土気色の顔をした兵士に守られた石造りのお城がありました。

そしてその城の中では世界中から集められた本が燃やされており、その奥の将軍の間にはスーツ姿の将軍がいたのです。

 

こうしてナナミとトラ猫との冒険譚が始まります。お城を脱出したナナミたちは夏木書店の書棚に現れ、第一作の『本を守ろうとする猫の話』の主人公であった夏木林太郎と出会います。

その後、再びお城へと戻ったナナミたちは「宰相の間」にいた宰相や「王の間」のに会うことになるのでした。

 

冒頭に述べたように、本書をファンタジー小説として見る時、決して面白いファンタジー作品とは言えないと思います。

そのことは前作の『本を守ろうとする猫の話』でも思っていたことです。

ただ、ファンタジー物語としての物語のストーリー展開は面白いとは言えなくても、そこに込められたメッセージは前作と同様に強烈なものがありました。

つまりは、書物に対する愛情という点では本書でも同様であり、書物に対する敬愛の念がストレートに表現されていて、単なる冒険物語の枠を超えて心に訴えてくるものがあるのです。

 

ただ、若干の疑念はありました。

作者の言う「書物」は「良書」ということであり、それに対する「悪書」は作者の言う「書物」には入っていないように思われます。

そして、その「良書」と「悪書」の選別の基準が明確でない以上、書物の有用性を語るにしても明確ではないのではないでしょうか。

つまりは「良書」という概念が入る以上は結局は判断の恣意性を排除できず、結局は作者の主張する書物の有用性自体が曖昧になると思うのです。

ただ、繰り返しますが前作同様に「本」の大切さを訴えている素晴らしい作品だとは思います。

 

書物に対する愛情を感じた作品といえば、高田大介の『図書館の魔女シリーズ』が思い出されました。

高田大介著の『図書館の魔女シリーズ』はタイトルからくる印象とは異なり、口のきけない娘を主人公とする、剣と魔法ではない「言葉」にあふれた異色のファンタジー小説です。

また、三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖シリーズ』もまた本に対する愛情がよく分かる作品でした。

このシリーズは、北鎌倉にある古書店「ビブリア古書堂」の主である篠川栞子と、アルバイト社員である五浦大輔を中心に、古書にまつわる謎を解き明かしていくミステリーです。

シリーズ累計で310万部を超える大ヒットとなり、『2012年本屋大賞』にもノミネートされました。

 

結局、本書の印象としては、「本」の大切さを訴えている素晴らしい作品だとは思いますが、ファンタジー物語としては面白いとは言えないということになります。

しかしながら、「書物」の効用、といってしまうと打算的な読書の印象になってしまうので好きではありませんが、作者が言う「優しさとは何か、生きるとは何かについて」考えるきっかけになる大切なものだ、というべきなのでしょう( 著者は語る : 参照 )。

本を守ろうとする猫の話シリーズ

『本を守ろうとする猫の話シリーズ』』とは

 

この『本を守ろうとする猫の話シリーズ』は、『神様のカルテシリーズ』の夏川草介が、本を読むことの大切さを訴えたファンタジーシリーズです。

言葉をしゃべる不思議なトラ猫に導かれ、「本」を取り戻すために中学生の女子や高校生の男の子の力を借り冒険に旅立つ物語です。

 

『本を守ろうとする猫の話シリーズ』』の作品

 

本を守ろうとする猫の話シリーズ(2024年04月30日現在)

  1. 本を守ろうとする猫の話
  2. 君を守ろうとする猫の話

 

『本を守ろうとする猫の話シリーズ』』について

 

この『本を守ろうとする猫の話シリーズ』は、三度も映像化されたベストセラーとなった『神様のカルテシリーズ』の夏川草介が、本を読むことの大切さを訴えたファンタジーシリーズです。

言葉をしゃべる不思議なトラ猫に導かれ、「本」を取り戻すために高校生や少女の力を借りて冒険に旅立つのです。

 

第一巻『本を守ろうとする猫の話』では、高校生の夏木林太郎が、祖父の死後祖父が営んでいた「夏木書店」の書物の整理中に、書棚の奥から突然現れた人間の言葉を話すトラネコから本を守るために力を貸してくれと頼まれます。

第二巻の『君を守ろうとする猫の話』では、喘息の薬を欠かすことのできない中学2年生のナナミが主人公です。大好きな図書館で書物が消えていることに気付いたナナミの前に言葉をしゃべる猫が現れ、共に灰色の男たちの守る世界へと旅立つことになります。

共に、書物の大切さを訴え、読書の意味を考えさせられる物語になっています。

 

著者の夏川草介は、世界では人と人との衝突が日常化しているから、「相手のことを想像する力、他人を思いやる心」が必要だといいます。

そこで「想像力を育む」ことになる小説を読み、「優しさとは何か、生きるとは何かについて」考えて欲しいというのです( 著者は語る : 参照 )。

結局、この点こそが作者の言いたいことであり、本シリーズの要点だと言えそうです。

 

本シリーズは三部作だということであり、余すところあと一冊となっています( 東京新聞 TOKYO Web : 参照 )。

ヨルノヒカリ

ヨルノヒカリ』とは

 

本書『ヨルノヒカリ』は、2023年9月に320頁のソフトカバーで中央公論新社から刊行された長編の青春小説です。

たまにはこういう本もいいと思わせられる、心が洗われる、優しさに満ちた作品でした。

 

ヨルノヒカリ』の簡単なあらすじ

 

「ここで、一緒に暮らしつづけよう」いとや手芸用品店を営む木綿子は、35歳になった今も恋人がいたことがない。台風の日に従業員募集の張り紙を見て、住み込みで働くことになった28歳の光は、母親が家を出て以来“普通の生活”をしたことがない。そんな男女2人がひとつ屋根の下で暮らし始めたから、周囲の人たちは当然付き合っていると思うが…。不器用な大人たちの“ままならなさ”を救う、ちいさな勇気と希望の物語。(「BOOK」データベースより)

 

ヨルノヒカリ』の感想

 

本書『ヨルノヒカリ』は、“普通”という言葉の意味が問われる、皆とはちょっと変わった個性を持った人の生き方を描いた、ものの見方が少し変わるかもしれない、優しさにあふれた作品です。

殺伐とした作品を読むことが多い私には、たまにはこういう優しさに満ちた物語もいい、と思わせられる作品でした。

 

本書『ヨルノヒカリ』は、まったく悪人というものが登場してこない物語です。もちろん、子を顧みない母親や女を捨てる男などは背景に少しだけ登場しますが、物語の本筋には直接には関係しません。

そんな悪人が登場してこない物語としては少なくない数の作品がありますが、とくに女性が描く物語に多いように思われます。助成の視点のほうが優しいということになるのでしょうか。

例えば、『リカバリー・カバヒコ』のような青山美智子の各作品や、長月天音の『ほどなく、お別れですシリーズ』などような作品があります。

これらの作品は善人だけしか登場してきませんが、それでもなお登場人物たちの生き方が読み手に勇気を与えてくれるのですから不思議なものです。


でも、男性でも川口 俊和の『コーヒーが冷めないうちに』のような作品もありますので、作者が女性だからというわけでもなさそうです。

本書『ヨルノヒカリ』はまた普通ではない生き方をしている人たちの物語ともいえます。

そのような物語といえば、「多様性」をテーマにした作品として強烈な印象があった朝井リョウの『正欲』という作品がありました。この作品は個々人の性癖がテーマになっていましたが、本書の場合、それとも異なる物語だと思えます。

本書の場合は、他者との繋がり方がよく分からないという点で普通ではないということです。性癖云々とはまた意味合いが異なります。

 

もともと私は意思疎通が苦手という人を描いた作品は決して得意とする方ではありません。

しかしながら本書『ヨルノヒカリ』の場合、ある種ファンタジー的な描き方であるためか、私の苦手意識を刺激しませんでした。

何よりも人物の心象風景を詳細に語るという作品ではなかったことが一番の理由だと思われます。

 

主人公の28歳になる夜野光は子育てが下手な母親に結果として捨てられ、代わりに同じアパートに住む年寄りたちに愛情を持って見守られて生きていたようです。

光にはまた成瀬という親友がいて、何かにつけ成瀬の両親や姉、それに妻の美咲に助けられて生きてきました。

一方の主人公でもある35歳の木綿子さんも、他者との関わりをうまく保つ元ができずに祖母と共に暮らした手芸店を一人守っている存在です。

 

光はある嵐の日に「従業員募集」の貼り紙を見て飛び込んだ「いとや手芸用品店」に住み込みで働くことになります。

その店の店主が木綿子という美人であり、何も言わずに光を住み込みの店員として雇ってくれたのです。

光は幼いころから一人で生きてきたため料理や掃除などは得意であり一時は料理人として働いていたこともあるくらいです。

一方の木綿子は手芸に関連する事柄以外は全く何もできない人でした。そこで、光は家事全般を引き受け、手芸のことを教えてもらいながら住み込みで働くことになったのです。

 

木綿子という人は男の人に対して恋心を抱くということが分からないでいます。また光は男がいなくては生きていけなかった母親の影響のためか人を好きになることに臆病だったのです

その光が、木綿子の営む手芸用品店で暮らす様子を描いているだけの物語ですが、光と木綿子それぞれに世間一般の基準からは少し外れたところに生きている人物であるところから周りの人たちが何かと世話をしたがるのです。

 

28歳の男と35歳の女とが一つ屋根の下に共同生活をするということに世間は何かと助言をしたがります。

普通とは異なる二人の生活はどうなるのか、二人の周りの人物たちは子の二人をどうしたいのか。物語は二人の行く末への関心と共に、普通とは異なる生き方に対する周りの対応についても疑問符を突きつけているようです。

ゆっくりと流れる時間の中で、高揚や興奮などとは無縁の静かな読書のひとときをもたらしてくれた、優しい気持ちに慣れた作品でした。

一夜:隠蔽捜査10

一夜:隠蔽捜査10』とは

 

本書『一夜:隠蔽捜査10』は、『隠蔽捜査シリーズ』第十弾となる長編の警察小説です。

残念ながら、本書はシリーズの中では決して上位に入る面白さを持っているとは言えないと感じた作品でした。

 

一夜:隠蔽捜査10』の簡単なあらすじ

 

竜崎のもとに、著名作家・北上輝記が小田原で誘拐されたという一報が入る。犯人も目的も安否も不明の中、北上の友人でミステリ作家の梅林も絡み、一風変わった捜査が進む。一方、警視庁管内では殺人事件が発生。さらに息子の邦彦が大学中退に…!?己の責務を全うせよ。人気シリーズ、第十弾!(「BOOK」データベースより)

 

一夜:隠蔽捜査10』の感想

 

本書『一夜:隠蔽捜査10』は、今野敏の多くのシリーズ作品の中でも一番の人気を誇ると言ってもいい、『隠蔽捜査シリーズ』の第十弾となる長編の警察小説です。

しかしながら、本書は主人公の竜崎が合理的な思考を貫く竜崎らしさを発揮する場面は少なく、シリーズの中では面白いほうではありませんでした。

 

本書では北上輝記という作家の誘拐事件について奔走する竜崎伸也の姿が描かれていると同時に、本シリーズの特徴でもある竜崎の家族の問題、今回は息子の邦彦が大学を辞めようかという話が巻き起こります。

誘拐事件に関しては、退庁しようかという竜崎のもとに小田原署に行方不明者届が出されたという連絡が届きます。その行方不明者というのが人気作家の北上輝記だというのです。

そのうちに北上輝記が連れ去られるところを目撃した者が見つかり、小田原署に捜査本部が設けられることになるのです。

捜査本部では板橋捜査一課長や小田原署署長の兵藤安友警視正、副署長の内海順治、刑事組対課の朝霧利男課長、強行犯係の末武洋司係長らが詰めることになります。

行方不明者が人気作家の北上輝記だということで佐藤実県警本部長や、竜崎の友人である警視庁の伊丹刑事一課長までも関心を持つ事件となっているのです。

 

本書『一夜:隠蔽捜査10』がいつもと異なるのは、竜崎の相談役的な立場の者として、やはり梅林賢という流行作家がいることです。

竜崎は、小説家同士にしかわからないことがあるはずだとして、捜査の手伝いをしたいとやってきた流行作家の梅林賢の話を聞こうというのです。

結局、いつもは竜崎が捜査の過程での違和感に気付いて捜査の指針を示す立場にあるのですが、今回は竜崎の役割の一部を梅林という作家にまかせ、竜崎はその意見を取り入れているという形になっています。

 

ところが、その点ではこれまでと異なる試みがなされてはいるものの、物語の流れ自体は何も特別なことはありません。

それどころか、今野敏の小説としての普通の面白さは持っていいても、『隠蔽捜査シリーズ』独自の竜崎というキャラクターの醸し出す面白さはかなり影をひそめていると言っていいと思います。

 

このシリーズの特徴である竜崎の家庭の描写にしても、特別に語るべきことはありません。

やっと入った大学を辞めた方がいいかもしれないという息子の邦彦と相対し、その話を真摯に聞こうという姿勢だけはこれまでとは異なってきているとは思いますが、それ以上のものはありません。

普通に進むべき道に進んでいるという印象です。

 

以上のように、本書『一夜:隠蔽捜査10』の面白さ自体は普通であり、シリーズ独自の面白さはあまり感じられなかったという他ないと思います。