ヴァイタル・サイン

ヴァイタル・サイン』とは

 

『ヴァイタル・サイン』は、看護師を主人公とした、新刊書で362頁の長編の医療小説です。

看護師の過酷な業務の実態をリアルに描き出した作品なのでしょうが、だからこそなのか、私の好みとは異なる作品でした。

 

ヴァイタル・サイン』の簡単なあらすじ

 

二子玉川グレース病院で看護師として働く31歳の堤素野子は、患者に感謝されるより罵られることの方が多い職場で、休日も気が休まらない過酷なシフトをこなしていた。あるとき素野子は休憩室のPCで、看護師と思われる「天使ダカラ」さんのツイッターアカウントを見つける。そこにはプロとして決して口にしてはならないはずの、看護師たちの本音が赤裸々に投稿されていて…。終末期の患者が入院する病棟。死と隣り合わせの酷烈な職場で、懸命に働く30代女性看護師の日々をリアルに描いた感動の医療小説!(「BOOK」データベースより)

 

主人公の堤素野子が勤務する東京都の第二次救急医療機関に指定されている二子玉川グレース病院は、その立地からして療養に当てられているベッドが多く、高齢の患者が多い。

素野子の働く東療養病棟も療養用の病棟であり、死亡退院の比率が約七割と高い病棟だった。

珍しく元気を取り戻し退院していった患者を見送った素野子は、高い空を見上げ太陽をいっぱいに浴びていた。

「白衣の天使」なんて言葉は、好きではない。

医療と看護の現状や、勤務の実態にもそぐわないと思う。

けれど、やりがいは感じていた。

 

ヴァイタル・サイン』の感想

 

本書『ヴァイタル・サイン』は、医療の、それも看護師業務の現実をリアルに描き出している作品です。

医療小説で看護師を主人公とした作品を私は知りません。そこで、本書の存在を知りすぐに借り出した次第です。

作者の南杏子は、横浜市の病院で看護師が入院患者を殺害した2018年に起きた事件で被疑者が言ったとされる、「自分の担当時間中に、患者さんに亡くなってほしくはなかった」という言葉をきっかけに本書を書こうとしたのだそうです。

また、「看護師として働く際の厳しい状況を描き出すためには、まず日常業務をできる限りリアルに描こうと努めました。」ということも書いてありました。

さらに、先の事件の「犯人は、自分と地続きの人間である――そんなことを読者の皆さんに感じていただければ幸いです。」ともありました( 小説丸 : 参照 )。

その言葉のとおり、看護現場の過酷な現実がこれでもかと書かれています。本書『ヴァイタル・サイン』はそうした問題提起として書かれたということでしょう。

 

2020年来のコロナ禍の中での医療従事者の方々の業務についての報道がなされ、医師だけではなく看護業務の過酷さは一般にも知られるところです。

ただ、それはあくまで対岸の火事としてであり、現場の苦労そのものは一般の私たちは情報として知るだけです。

本書『ヴァイタル・サイン』は、そうした看護業務の現場の現実との乖離を確かに埋めてくれているようです。

認知症などで手間のかかる患者が多く、一人の患者への食事介助やトイレの補助、入浴などに時間がとられ、ともすれば他の患者への対応が遅れがちだという現実があります。

そこにクレーマークラスの入院患者やその家族などがいたりすると途端に業務が滞ります。

ましてや深夜勤務の時は看護師二人とその補助の三人だけで世話をしなければならず、十分な看護業務ができない場面も出てくるのです。

そのような本書に描かれている看護師たちの業務の実態は思った以上に過酷であり、事実、先般(2010年10月)も続報があった横浜市の病院での事件も見方が変りました。

 

でも、本書『ヴァイタル・サイン』を小説として評価するときに、そうした過酷な看護業務の現実を直視しているにしても、どうにも暗いのです。

たしかに、看護師の、それも認知症が入っていたたり、終末期の患者がいたりと本書の主人公が勤務する病棟の患者は問題を抱える人が多いのかもしれません。

患者は看護師を自分の鬱屈のはけ口としていたり、医者も些末な用事を自分ですれば済むことを看護師に言いつけたりしています。

こうした看護師の過酷な実態をそのままリアルに読者に伝えることがこの作者の意図なのでしょうし、その意図はそれなりに達成されていると思います。

 

しかし、本書『ヴァイタル・サイン』は読んでいて決して楽しくも、明るくもありません。というよりも、何とも救いがなく、読んでいて息苦しささえ感じてしまいました。

本書が良い本だということと私の好みとは別物であり、私個人の主観的な感想としては本書は私の好む作品ではないということに尽きます。

 

医療小説と言えば私の中ではまずは夏川草介の作品が挙げられます。中でも『神様のカルテシリーズ』は一番好きな作品です。

この夏川草介という人も本書を書いた南杏子と同じように現役のお医者さんです。

ただ、夏川草介介という人は、同じく命をテーマにした小説であってもまずは読者が楽しく思える作品を、ということで書かれているそうです。

そうしてみると『神様のカルテシリーズ』では重く憂鬱になりそうな場面も重いままでは終わらずに爽やかさであったり、小さなユーモアを忍ばせたりしてあります。

物語のそもそものトーンがユーモアをベースに、信州の美しい自然を挟みながら書いてあるので決して読み進めることが負担になりません。

 

 

作品を比較すること自体があまり感心することではないのかもしれませんが、どうしても比べてしまい、本書はあまりに重く、暗く、喜びに欠けています。

それがいいという人もいるのでしょうが、私は本を読んでいる時間が楽しく、幸せに思える作品を好みます。

ですから、作者の看護業務の過酷さを知ってもらう前提として看護師の日常業務を描くという意図はそれなりに果たせていると思いますが、しかし、小説としては私の好みではないというしかないのです。

この作者の他の作品もあと一冊くらいは読んでみようかと思います。

図書館の魔女 烏の伝言

図書館の魔女 烏の伝言』とは

 

本書『図書館の魔女 烏の伝言』は『図書館の魔女シリーズ』第二弾で、文庫本上下二巻で896頁の長編のファンタジー小説です。

シリーズの主人公である「図書館の魔女」の登場こそあまり無かったものの、第一弾同様に物語世界も堅牢に構築されており、ミステリーとしての面白さも兼ね備えた、一級の作品でした。

 

図書館の魔女 烏の伝言』の簡単なあらすじ

 

道案内の剛力たちに導かれ、山の尾根を行く逃避行の果てに、目指す港町に辿り着いたニザマ高級官僚の姫君と近衛兵の一行。しかし、休息の地と頼ったそこは、陰謀渦巻き、売国奴の跋扈する裏切り者の街と化していた。姫は廓に囚われ、兵士たちの多くは命を落とす…。喝采を浴びた前作に比肩する稀なる続篇。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

姫を救出せんとする近衛兵と剛力たち。地下に張り巡らされた暗渠に棲む孤児集団の力を借り、廓筋との全面抗争に突入する。一方、剛力衆の中に、まともに喋れない鳥飼の男がいた。男は一行から離れ、カラスを供に単独行動を始めるが…。果たして姫君の奪還はなるか?裏切りの売国奴は誰なのか?傑作再臨!( 下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

ニザマとアデルシュとの間で自治州としての地位を確立していたクヴァンだったが、一ノ谷とアデルシュとの和議が成ったためにクヴァンの州都の港湾都市クヴァングヮンも混乱に極みにあった。

そのクヴァングヮンに、ニザマ南部省の高級官僚の弟姫君ニシャッパが近衛の一隊に守られ、剛力達の助けを借りながら逃げてきた。

しかし、追剥や夜盗が横行するクヴァングヮンの逃亡先である筈の娼館は、一同が唖然とするほどの派手な装いの遣手や番頭が出迎える、なんとも胡散臭い建物だった。

 

図書館の魔女 烏の伝言』の感想

 

本書『図書館の魔女 烏の伝言』は、前巻の『図書館の魔女』とは異なり、新たな登場人物がメインとなって物語が進行しています。

その中心にいるのは姫君を守ってきたゴイを頭とする剛力たちであり、ゲンマを衛士長とする近衛兵たちです。

剛力とは、国境に近いクヴァン山岳の道案内を務める山賤のことであり、罠師ゴイのもと、若衆のまとめ役のワカンエノクカランの兄弟、それに鳥飼のエゴンなどがいます。

一方、近衛兵には衛士長のゲンマ、剛力達から赤毛と呼ばれるツォユやツォユを慕う部下のタイシチらがいて、ニザマ高級官僚の弟姫君のユシャッパを護衛してきました。

ほかに、後に彼らに合流するニザマの近衛兵だったというカロンや、クヴァングヮンの地下水路を住み家とすると呼ばれる子供たちが登場します。

その他、鼠の頭がトゥアンで、チャクオーリンファン、その他の仲間や、剛力達が逃避行の途中で山の中で助けた黒(ハク)と呼ばれる南方出身と思われる少年がいます。

本書『図書館の魔女 烏の伝言』では、彼らが姫君を守り、戦い抜いていく様子が描かれているのです。

登場人物に関しては下記サイトが見事にまとめてありますのでそちらを参照してください。

FGかふぇ

それこそ全登場人物を網羅してあるのではないかと思うほどに詳細で、物語自体の紹介としても本サイトより数段緻密に紹介してあります。

 

前巻の『図書館の魔女』では、著者の高田大介の言語学者としての側面を十分に生かした、言語や書物についての考察がマツリカの口を借りて語られていました。

同時に、この『図書館の魔女シリーズ』の世界観を緻密に構築し、一ノ谷のおかれている政治的な状況下でのマツリカの行動をリアルにするためのニザマとの間の緊張関係などの物語の背景を丁寧に描き出してありました。

本書『図書館の魔女 烏の伝言』でも、やっと登場してきたマツリカに言葉についての講義をさせたりもしてはいます。

 

でもそうした学術的な描写に加え、本書『烏の伝言』では、差別や仲間意識といった人間の心のあり様についての言及も目立っています。

例えば、見た目の恐ろしさや、言葉をうまく話せないことなどをあまり気にしないというエゴンが育ってきた海洋民の生活を、あらゆる属人的な差異を相対的なものとしか見ない文化として紹介し、人間存在自体の大切さを説いています。

また、鼠と呼ばれる少年たちが人生で本当に大切なもの、という答えのない問いに対する示唆を与えてくれたのが、ワカンやカロイ、そしてツォユたちだと感じる場面などは、同時に読む者の胸を熱くします。

さらには、救護院で文字を教えていたのは何故なのか、を教えてくれたのも皆から知恵遅れと思われていたエゴンの行動だったとして、人を外面での判断することの愚かしさを教えてくれてもいるのです。

ちなみに、本書の『烏の伝言』というタイトルも、鳥飼であるエゴンが飼っている烏から来ていると思われ、エゴンという存在、また伝書鳩の代わりとなる烏の存在の重要性を示しているのでしょう。

 

こうした胸を打つ場面からなる本書『図書館の魔女 烏の伝言』は、またかなりミステリー色の強い作品になっていて、同時にアクション場面もまた多くなっています。

クヴァングヮンの薄暗い裏路地に響く鈴の音と共に転がる首や、鼠たちが住み家とする地下水路にあふれる水からの逃避行など、見せ場が満載です。

そして終盤、これまで折に触れ示されてきた細かな謎や疑問について、マツリカが名探偵のごとくその謎を解明していきます。

その伏線回収の仕方は上質のミステリーを読んでいるようで、その心地よさに包まれてしまいました。

 

 

本書『図書館の魔女 烏の伝言』は、作者の計算されつくした物語世界の上で構築されているため、読み進めている途中も、そして読み終えてからも、本書を読み進めることに対する安心感があり、納得感があります。

ただ、物語は長く、また誰が剛力で近衛兵であったのか不明になることもあって、けっして読みやすい物語だとは言いません。

しかし、それでもなお実に面白く興奮できる物語を感謝するとともに、早くこの物語の続編を読みたいと強く思うばかりです。

雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6

雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』とは

 

本書『雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』は、『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の第六巻の、文庫本で357頁の長編の痛快時代小説です。

シリーズの序盤での物語の主な流れである関前藩の財政再建への道筋が見えてきてなか、磐根の波乱に満ちた日常は続いていきます。

 

雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』の簡単なあらすじ

 

夏を彩る大川の川開きを間近に控えた頃、深川六間堀の金兵衛長屋に住む浪人、坂崎磐音は日々の生計に追われていた。川開きの当日、両替商の今津屋から花火見物の納涼船の護衛を頼まれる。不逞の輩が出没するというのだが、思わぬ女難にも見舞われ…。春風駘蕩の如き磐音が許せぬ悪を斬る!痛快時代小説第六弾。(「BOOK」データベースより)

 

藩実収のおよそ五年分の借財がある豊後関前藩は、今津屋の助けを借りて関前藩の海産物を江戸で高値で卸し増収をはかるという財政再建に着手したところだった。

その道筋をつけた磐根は、今津屋吉右衛門とその妻お艶、艶の世話係のおこんと荷物持ちの小僧宮松の四人と共に大山詣でをすることになった。

旅の途中でならず者の駕籠かきや無頼の侍らの襲撃を退けた磐根だったが、艶の具合が悪くなってしまう。

お艶は数年前から体の不調を自覚していたはずであり、今回の大山詣でも自分の死を自覚したお艶の実家への里帰りをも兼ねた意思だったのだろうと思われた。

磐根がお艶を背負っての参拝を済ませた一行は思いもかけず伊勢原滞在が長引き、磐根とおこん、宮松は先に江戸へと帰るのだった。

そんな中、吉右衛門、お艶らが滞在する伊勢原宿子安村から便りが届いた。

 

雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』の感想

 

本書『雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』は、前巻で奈緒を追っての旅も終わり、日常を取り戻した磐根でした。

本書からは磐根がかつて仕えていた関前藩の財政再建という難題に藩の外から道筋をつける姿が描かれます。

ただ、そこでも今津屋の力を借りることとなり、磐根の今津屋との付き合いもより深くなっていくのでした。

 

痛快時代小説である本『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』では、物語の軸となる関前藩の財政再建と、今津屋に降りかかる災難や周りの人々の困りごとをともに助けながら、それでも力強く生きていく磐根の姿に惹かれるのです。

本書『雨降ノ山』では、今津屋夫婦の大山詣でに付き添いながら襲い掛かる暴漢を撃退する磐根の姿があります。

当然のことながら磐根の剣が暴漢を撃退し、今津屋一行を無事に送り届けるのです

このほかにも今津屋の両国川開きで仕立てる屋根船の護衛や、騙りの安五郎こと一蔵という無宿者を追って危ない目に逢いかける幸吉を助けたりと、あい変らずに忙しい磐根です。

 

本書『雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』はこのように、シリーズを通しての出来事としての関前藩の財政再建と、各巻のなかの章単位で巻き起こる出来事という二本立ての出来事に対しての磐根の対応という定番の形で話は進みます。

シリーズものですから、こうした構成が基本となり、これまでも、そしてこれからも進んでいくことになります。

そうした中で新しい敵の存在が語られ、新規の魅力を持ったシリーズとして展開されていくことになるのです。

あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇

あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇』とは

 

本書『あきない世傳 金と銀 風待ち篇』は、『あきない世傳 金と銀シリーズ』の第十一巻の、文庫本で305頁の長編の時代小説です。

常に「買うての幸い、売っての幸せ」という言葉を胸に商いを続ける五鈴屋の皆の姿がある本シリーズですが、本書でもそれに応えるように大きな喜びが訪れます。

 

あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇』の簡単なあらすじ

 

湯上りの身拭いにすぎなかった「湯帷子」を、夕涼みや寛ぎ着としての「浴衣」にーそんな思いから売り出した五鈴屋の藍染め浴衣地は、江戸中の支持を集めた。店主の幸は「一時の流行りで終らせないためにはどうすべきか」を考え続ける。折しも宝暦十年、辰の年。かねてよりの予言通り、江戸の街を災禍が襲う。困難を極める状況の中で、「買うての幸い、売っての幸せ」を貫くため、幸のくだす決断とは何か。大海に出るために、風を信じて帆を上げる五鈴屋の主従と仲間たちの奮闘を描く、シリーズ第十一弾!!(「BOOK」データベースより)

 

五鈴屋江戸本店も開店丸八年を迎えることとなった。しかし、三河万歳に「末禄十年辰の年」という一節からきたものか、宝暦十年辰年の今年は災厄に見舞われるという噂が流れていた。

実際、数年前には麻疹禍に襲われた江戸の町を、その年の二月、後に「明石家火事」と呼ばれる神田明神下から出た火が江戸の町の多くを焼いてしまう。

幸いなことに五鈴屋は焼けなかったものの中村座、市村座などの芝居小屋も焼き尽くしてしまった。

江戸の町を普請の槌音が響く中、幸は、店が焼けた日本橋音羽屋が今度は太物にも手を出すという話を聞いた。

しかし、「生きていればこそ」争うこともできる、というお竹の言葉を胸に、幸は男女やの違いや身分の差を越えて木綿の橋を架けたいという願いを果たすためにある決意をするのだった。

 

あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇』の感想

 

本書『あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇』では、いつも以上に、商売の心得を掲げるの姿が大きく見えるようです。

それは、番頭であった治兵衛から教えられた富久の夫である二代目徳兵衛の口癖であったという「買うての幸い、売っての幸せ」という言葉であり、幸が商売を続けていくうえでの心得でもありました。

本書で語られる浅草太物仲間とのとある話も、この心得を念頭にした行動でしょう。

 

でも、見事なまでにお客のために正直に、という幸の思いをそのままに生きていくのはいいのですが、あまりに幸だけが正論すぎて周りがかすむような気がしないでもありません。

物語の中では確かに正義が勝つでしょうが現実はそううまくいくものか、という声が聞こえてきそうなのです。

しかし、逆を言えば現実が世知辛いからこそ、小説の中くらいは正論が正論として、正直者が馬鹿を見ない話があってもいいのではないかという気もします。

だからこそ、読者の多くが心地よさを感じ、痛快さ、爽快さをを覚え、そして幸の生き方に喝采を送ると思われるのです。

 

こうした心地よさは例えば『居眠り磐音(江戸双紙)シリーズ』のような痛快時代小説の爽快感にも似ていますが、それよりもどちらかというと『半沢直樹シリーズ』の痛快感に似ている気がします。

状況も時代も異なりますが、やはり正論が正論として認められ、正義が勝つ姿は気持ちのいいものです。

 

 

一方で、本『あきない世傳金と銀 シリーズ』のこの頃は幸の敵役として音羽屋忠兵衛が登場し、それも妹のが日本橋音羽屋の主として立ちふさがっています。

この結は幸の反対に姉の妨害、店の利益を優先する商売という、幸の対極的な商いの仕方をすることで幸の存在を際立たせています。

 

とにかく、宝暦の大火以降、何かと音羽屋の横やりが入るようになった陰には、音羽屋の太物商売への参入や、中村座の顔見世興業での二代目吉之丞の「娘道成寺」の演目が無くなることなど、音羽屋の横槍が入っていたのでした。

そうした難題を乗り越えての幸の行動が読者の心を打ちます。正義は勝つという王道を見せてくれるのです。

 

そして、今回もまた意外なラストに胸を打たれてしまいました。

高田郁というひとは物語の運び方がうまいとは思っていたのですが、今回は改めてそのうまさを感じるラストでした。

これでは続巻を読まずにはいられません。

七つの試練 池袋ウエストゲートパークXIV

七つの試練 池袋ウエストゲートパークXIV』とは

 

本書『七つの試練 池袋ウエストゲートパークXIV』は、『池袋ウエストゲートパークシリーズ』の十四作目の、文庫本で294頁の四編の中編からなるハードボイルド作品集です。

今回もまた、社会の様々な事件を映し出した物語であり、マコトの小気味いい会話とスピーディーな行動が読者をひきつけています。

 

七つの試練 池袋ウエストゲートパークXIV』の簡単なあらすじ

 

ネットで広がるデスゲーム。次々と提示される試練をクリアすると積みあがる「いいね」の山。しかし、試練は次第にエスカレートし、七番目に課されるのは、死を招く危険なものだった。けがをした高校生のために、マコトが「管理人」の正体を追う!表題作ほか3篇を収録、時代を色濃く映す人気シリーズ第14弾。(「BOOK」データベースより)

 

泥だらけの星
人のスキャンダルを無制限に楽しむのは、そろそろやめたほうがいい。
タカシから呼び出しがかかり、ダチが困っているから助けてくれといってきた。若手俳優のトップをいく鳴海一輝が抱いた咲良野エレンは市岡エンターテインメントの社長の市岡という男が慰謝料を請求してきたのだった。

鏡の向こうのストラングラー
欲望の形が見えにくい時代になった。セックス産業も不人気になっても、変態はなくならない。
マコトが解決した最初の事件、『池袋ウエストゲートパークシリーズ』の第一話に登場した首絞め魔(ストラングラー)が再び現れた。タカシによれば、知人の出会い系カフェの女の子が狙われたというのだった。

幽霊ペントハウス
ネット時代の現代でも、都会にも、地方にも、高層マンションにも闇はいくらでも転がっている。
祖師谷の墓地を見下ろすマンションに住む中学時代の同級生のスグルから、真夜中になると寝室の天井から音がするため、相談ン折ってくれと言ってきた。問題は、スグルの住む部屋はペントハウスであり、最上階だということだった。

七つの試練
「いいね」が人を殺し、「いいね」によって、人が死ぬ。おれたちの死は軽く、ほんの数メガバイトの情報にすぎなくなっている。
ネット上で「七つの試練」などと呼ばれているゲームが流行っているという。一つの試練をクリアするごとに押される“いいね”の数を誇り、最終的には建物の屋上から飛び降りて死ぬやつまで出る始末だった。

 

七つの試練 池袋ウエストゲートパークXIV』の感想

 

本書『七つの試練 池袋ウエストゲートパークXIV』は、これまでのシリーズの各作品と比べて特に変わっているわけではありません。

持ち込まれた相談事を広範な人脈の助けを借りつつ解決していくマコトの姿が描かれているのはいつものとおりです。

 

それでもなお、マコトの物語は読者をひきつけるのは、世相を反映しているストーリーがよくできているし、なによりも、マコトを始めとする登場人物たちの個性的なキャラクターが魅力的だからでしょう。

その登場人物として、当然のごとくマコトの相棒とも言えそうな、池袋のカラーギャング「Gボーイズ」のキングであるタカシも登場します。

今回はそれに加え、「鏡の向こうのストラングラー」では本シリーズの第一巻から登場している似顔絵かきが得意なシュンが登場しています。

また、「七つの試練」ではサンシャインシティの向かいにあるデニーズをオフィスとする北東京一のハッカーであるゼロワンも登場しているのです。

 

今回も、ネット社会で一層ひどくなった他人のスキャンダルを喜ぶ一般庶民、同様にネット社会でのSNSの弊害の一つでもある“いいね”を得るために無茶をする若者らの姿があります。

また、出会い系カフェを襲う変態や都会に潜む闇に関するトラブルを解決するいつものとおりのマコトの姿があるのです。

これから先もこのシリーズは続いていくのでしょうし、あらためてその面白さを見直した本書でした。

池袋ウエストゲートパークシリーズ

池袋ウエストゲートパークシリーズ』とは

 

本『池袋ウエストゲートパークシリーズ』は、主人公のマコトのトラブルシューターとしての活躍を描き出す各巻四篇の物語で構成される連作のハードボイルド短編集です。

読みやすい文体と、的確に時代を反映させた内容とが長瀬智也主演のドラマのヒットと共に受け入れられベストセラーとなったシリーズです。

 

池袋ウエストゲートパークシリーズ』の作品

 

池袋ウエストゲートパークシリーズ(2021年10月16日現在)

  1. 池袋ウエストゲートパーク
  2. 少年計数機
  3. 骨音
  4. 電子の星
  5. 反自殺クラブ
  6. 灰色のピーターパン
  1. Gボーイズ冬戦争
  2. 非正規レジスタンス
  3. ドラゴン・ティアーズ―龍涙(りゅうるい)
  4. PRIDE―プライド
  5. 憎悪のパレード
  6. 西一番街ブラックバイト
  1. 裏切りのホワイトカード
  2. 七つの試練
  3. 絶望スクール
  4. 獣たちのコロシアム
  5. 炎上フェニックス

池袋ウエストゲートパーク外伝(2021年10月16日現在)

  1. 赤(ルージュ)・黒(ノワール) 池袋ウエストゲートパーク外伝
  2. キング誕生 池袋ウエストゲートパーク青春篇

 

池袋ウエストゲートパークシリーズ』について

 

本『池袋ウエストゲートパークシリーズ』は、池袋西口に実際に存在する「池袋西口公園」をモデルにした「池袋ウエストゲートパーク(IWGP)」と呼ばれる公園をしばしば登場させながら、持ち込まれる様々なトラブルを主人公のマコトこと真島誠が解決していく物語です。

このシリーズは時代を彩る事柄をそれぞれの話に反映させ、何らかの問題提起をしているところを大きな特色としています。

 

登場人物で忘れてならないのが、池袋のカラーギャング「G-Boys」のリーダーのキングと呼ばれているタカシこと安藤崇の存在です。

池袋の若者から恐れられ、ヤクザも一目置いている存在ですが、マコトの工業高校の時の同級生であり、マコトをギャング団に引き入れようとしますが、マコトは断り続けています。

本『池袋ウエストゲートパークシリーズ』は、マコトが主人公ではありますが、タカシもまた影の主人公的な位置にいて、マコトの助けに回ったり、マコトに問題を持ち込んだりもしています。

また、このタカシの存在が池袋の裏事情をテーマにすることを自然にしているとも言えそうです。

この二人の関係については『キング誕生 池袋ウエストゲートパーク青春篇』に詳しく書いてあります。

 

 

タカシがカラーギャングのリーダーであり、結局、暴力的な危険をはらむトラブルにも首を突っ込むマコトですが、中にはヤクザとのトラブルもあります。

そのヤクザとの伝手として、マコトの中学の同級生のサルこと斉藤富士夫がいます。

サルは昔はいじめられっ子でしたが、今では池袋を仕切る暴力団の「羽沢組」の構成員になっているのです。

一方、池袋署にも知り合いはおり、池袋署生活安全部少年課の刑事の吉岡や、マコトが幼いころからの近所のお兄さんであった池袋署署長の横山礼一郎などもいます。

 

本『池袋ウエストゲートパークシリーズ』の主人公であるマコトは、母親が営む果物屋の手伝いながら、雑誌にエッセイを書いており、そこそこに人気もあるようです。

店では好きなクラシック音楽を流していますが、ギャングのリーダーのタカシも認める度胸と腕っぷしの持ち主でもあります。

 

本『池袋ウエストゲートパークシリーズ』は2010年に刊行された『PRIDE―プライド 池袋ウエストゲートパークX』をもって第一シーズンが終わり、2014年に刊行された『憎悪のパレード 池袋ウエストゲートパークXI』から第二シーズンとして再開され、現在に至っています。

わたしも、第一シーズンの全部を読み終えたものの、第二シーズンの再開を知らずにいたのですが、2017年になり『憎悪のパレード 池袋ウエストゲートパークXI』の存在を知り、再び読み始めましたが、その一冊で中断していたものです。

今回、第十四弾の『七つの試練 池袋ウエストゲートパークXIV』を読んだことからまた読み始めようかと思っています。

 

日本のハードボイルド小説もかなり面白い作品が増えてきましたが、本シリーズも軽く読めるハードボイルド小説として位置づけられると思います。

北方謙三志水辰夫大沢在昌深町秋生

似た傾向の作品として東直己の『ススキノ探偵シリーズ』や『探偵・畝原シリーズ』がありますが、

 

ちなみに、本『池袋ウエストゲートパークシリーズ』は、2000年に宮藤官九郎の脚本で、堤幸彦をチーフ演出とし、マコトを長瀬智也、タカシを窪塚洋介というキャストでテレビドラマ化され、大人気を博しました。

また、このドラマには他に坂口憲二や佐藤隆太、山下智久、高橋一生、妻夫木聡なども出演しており、また遠藤憲一、渡辺謙、阿部サダヲ、森下愛子、小雪、矢沢心などといった今では考えられない役者さんたちも共演していたそうです。

当時私はドラマに関心がなく、一話も見ていないことが残念です。

機龍警察 白骨街道

機龍警察 白骨街道』とは

 

本書『機龍警察 白骨街道』は『機龍警察シリーズ』第六弾となる作品で、新刊書で437頁の長編の冒険小説です。

非常に読みごたえのあるシリーズであり、本書もまたシリーズの質を落とさない、とても面白く読めた作品でした。

 

機龍警察 白骨街道』の簡単なあらすじ

 

国際指名手配犯の君島がミャンマー奥地で逮捕された。日本初となる国産機甲兵装開発計画の鍵を握る彼の身柄引取役として官邸は警視庁特捜部突入班の三人を指名した。やむなくミャンマー入りした三人を襲う数々の罠。沖津特捜部長は事案の背後に妖気とも称すべき何かを察知するが、それは特捜部を崩壊へと導くものだった…傷つき血を流しながら今この時代と切り結ぶ大河警察小説、因果と怨念の第6弾。(「BOOK」データベースより)

 

その日、特捜部長の沖津旬一郎は警視総監から檜垣警察庁長官と共に夷隅董一官房副長官に会うように命じられた。

重要な日本初の国産機甲兵装に関するサンプルを持ち出しどこかに隠匿しているジェストロンの君島がミャンマーのラカイン州で逮捕されたため、受け取りに行って欲しいという話だった。

サンプル保持のためにも身柄の確保が急務だが、君島の捉えられている場所はロヒンギャ救世軍や各民族の武装組織、それにミャンマー国軍などが絡んで複雑なうえ、背後に中国の影も見えるらしい。

沖津は、官邸の少なくとも一部の背後にいる「敵」の思惑は、三人の秘密、すなわち龍髭の奪取にあると思われ、その覚悟をもって送り出すしかないというのだ。

ミャンマーでは外務省の専門調査員の愛染拓也が待っており、さらにその先のシットウェーでは地元警察本部のソージンテット警察大尉とその部下たちが待っていて現地へと同行するというのだった。

 

機龍警察 白骨街道』の感想

 

本書『機龍警察 白骨街道』は、近ごろ軍事クーデターが起きたばかりのミャンマーを舞台にしたアクション小説であり、見えざる「敵」を相手にしたサスペンスミステリーの側面も持つ、ユニークな警察小説です。

特色として、本シリーズ自体が現代を舞台とする作品でありながら、龍機兵という近未来のSF作品に登場するような小道具を使用する時代設定を挙げることができます。

また、少なくともシリーズの序盤は世界の各所で起きているテロルの事案を物語の背景とすることも挙げることができます。

そして本書『機龍警察 白骨街道』ではミャンマーの現状、それもロヒンギャ問題が取り上げられでいて、ミャンマーという国のおかれている状況からロヒンギャという民族に対する差別、虐待の実情とその背景にまで踏み込んだ描写がされています。

ちなみに、本書『白骨街道』というタイトルは、第二次世界大戦中の無謀な作戦と言われたインパール作戦の際に死にゆく日本兵の屍が絶えず続いたところから名づけられた「白骨街道」から来ているそうです。

 

本『機龍警察シリーズ』の魅力の一つに、こうした現実の世界情勢、それもテロという残虐な現状を織り込んだストーリー運びがあると思います。

そういえば、先日亡くなった漫画家のさいとうたかをが描き出す『ゴルゴ13』というコミックも現実の世界情勢の裏側で生きるスナイパーの物語として人気を博している物語でした。

 

 

それはさておき、本書『機龍警察 白骨街道』は三人の搭乗員らがそれぞれに特色を出して闘いの場に出ているところも見どころの一つだと思います。

一番目立つのはやはり姿俊之ですが、孤独なテロリストとしてのライザ・ラードナーの暗躍も見逃せません。勿論根っからの警察官であるユーリ・オズノフもまた装甲機兵の操縦などの見せ場も整っています。

さらに、ミャンマーでの彼らの戦いとは別に、日本での、次第にその姿を現してきた「敵」との部長の沖津旬一郎を中心とする特捜部の戦いも読みごたえがあります。

特に裏切者の汚名を着せられ懸けた城木貴彦理事官の悲哀やそこに寄り添う庶務担当主任の桂絢子の存在などは、ミャンマーでの姿たちの動の描写に対して、静の描写として読み甲斐があります。

静の描写、とは言っても派手な撃ちあいなどが無いというだけで、一方の城木理事官の家族の問題や、また警察内部での二課との共闘や官邸との見えざる戦いなどのサスペンスに満ちた展開は、アクションとは別の読みごたえのあるところです。

 

次第に明確になってくる「敵」との戦いの場に龍機兵がどのように関わってくるのか、また龍髭という秘密がどんな意味を持つのか、ミステリアスな展開もまだまだ待ち受けていそうです。

完全版も出ていることだし、もう一度第一巻から読み返したいとも思うのですが、なにせ一巻のボリュームがかなりなものがあり、話の内容も非常に重厚で読み飛ばせない内容であるため簡単には読み返せないのです。

とはいえ、私の好みに非常に合致している物語でもありいつかは再読したいものです。

機龍警察シリーズ

機龍警察シリーズ』とは

 

本『機龍警察シリーズ』は、警視庁内に新たに設けられた特捜部の、物語が進むにつれ次第に明らかになっていく警察内部に巣食う「敵」との戦いを描くSFチックな警察小説です。

現代が舞台の警察小説ではありますが、パワードスーツという空想の戦闘兵器を核にした、時代を反映した濃密な物語であり、私の好みと非常に合致したシリーズでした。

 

機龍警察シリーズ』の作品

 

 

機龍警察シリーズ』について

 

本『機龍警察シリーズ』は、警察小説ではありますが、同時にSF小説でもあり、さらには冒険小説としてもかなり面白く読める作品です。

シリーズ内では、『機龍警察 自爆条項』が日本SF大賞を、『機龍警察 暗黒市場』が吉川英治文学新人賞を受賞しています。

 

警察小説でありまたSF小説でもある本書は、登場人物がそれぞれに個性的で魅力的ですが、まずは機甲兵装の搭乗員が物語の中心となります。

つまり、シリーズ序盤での物語の中心となるのが特捜部付警部である姿俊之やライザ・ラードナー、ユーリ・ミハイロヴィッチ・オズノフといった龍機兵搭乗要員たちです。

その後、シリーズも進み龍機兵の紹介も終わって物語の世界観が確立した頃になると、それまで三人の搭乗員たちを支えていた警視庁特捜部の人物たちが前面に出てきます。

まず特捜部部長の沖津旬一郎警視長が強烈な個性をもって皆をまとめ、牽引しています。

そして沖津を支える、理事官の城木貴彦警視や宮近浩二警視がいて、ほかに技術主任鈴石緑、捜査主任の由起谷志郎警部補など、多くの人員が登場しますが皆明確に書き分けられていて個性的です。

このほかに警視庁警備部や組織犯罪対策部、それに公安部、警察庁や各県警などの警察官たちも特捜部と対立したり仲間として組んだりと多彩な顔ぶれが登場します。

 

前述のようにSF色のある警察小説である本書を読む前提としては、ある程度の荒唐無稽な設定をためらいなく受け入れるだけの読書に対する趣味・嗜好があることが必要だと思われます。

というのも、本『機龍警察シリーズ』では「龍機兵(ドラグーン)」という操縦者が乗り込み操作する外装装置であるパワードスーツが物語の軸となっているからです。

そんなあたかもコミックの『機動警察パトレイバー』のような設定の物語ですから、シリアスな警察小説を好む人には敬遠されると思われるのです。

 

 

しかし、個人的にはそうしたシリアスな物語が好きな人にもこの『機龍警察シリーズ』は面白く読んでもらえると思っているのですが、どうでしょう。

というのも、一つには本シリーズは序盤は一つの巻ごとに「龍機兵」の搭乗員として特捜部と契約している三人の背景を紐解きながらの物語になっているのですが、そのそれぞれが、現実を背景にしたリアルな物語となっているからです。

本シリーズの重要な登場人物で姿俊之はプロの傭兵であるし、ライザ・ラードナーはIRAの「死神」の異名で知られるテロリストであったし、ユーリ・オズノフはロシアの優秀な警察官であったという過去を持っているます。

そんな彼らの過去を記すということは北アイルランドのテロ組織IRFやロシアンマフィアの現実を描き出すことでもあり、さらに第四巻『機龍警察 未亡旅団』ではチェチェン紛争という現実を、第七巻の『機龍警察 白骨街道』ではミャンマーのそれもロヒンギャ問題をテーマとしているのです。

 

そしてもう一点、警視庁特捜部という存在自体が警視庁の中でも特異な存在となっていて、特捜部と警察の内部にも広く巣くっているとも思われる「敵」との闘いの様子が読み手の心を刺激します。

それは、警察上層部にまで食い込んでいるだけではなく、官邸サイドまで手が伸びているようで、ミステリアスな警察小説としての面白さも抱える作品となっているのです。

 

これまで述べてきたように、本『機龍警察シリーズ』は「龍機兵(ドラグーン)」と呼ばれるパワードスーツの操縦者である三人の人物と警視庁特捜部を中心にした物語として展開されています。

中でも第五弾の『火宅』だけは短編集となっていますが、それ以降の『狼眼殺手』『白骨街道』は「特捜部」対「敵」との戦いが次第に明確になります。

そして、搭乗員三人の活躍の場面では冒険小説の側面が強いものの、特捜部の戦いの場面ではサスペンス色の強いミステリーとなっています。

それも、「敵」の姿が明確になっていくにつれ、警察内部のグループというよりも、警察内部にもメンバーがいるより強大な組織というべき存在になっていくのです。

 

非常に読みごたえのある『機龍警察シリーズ』ですが、大作であるからかなかなか続刊が出ません。

第一巻の『機龍警察 』の刊行が2010年3月で、最新刊の『機龍警察 白骨街道』が2021年8月の刊行ですからその間11年以上が経過しています。

できればもう少し早く読みたいというのが本当の気持ちです。

続刊を待ちましょう。

任俠映画伝

任俠映画伝』とは

 

本書『任俠映画伝』は、俊滕氏の関わった映画の全作品目録まで入れて新刊書で314頁の聞き書きです。

俊滕浩滋プロデューサーの語る自分の映画人生を描いた作品ですが、映画関連の書物としては面白さに欠けるものでした。

 

任俠映画伝』の簡単なあらすじ

 

『博徒』『昭和残侠伝』『緋牡丹博徒』シリーズなど、東映任侠映画生みの親・俊藤浩滋がついに語ったわが映画と俳優たち。(「BOOK」データベースより)

 

 

任俠映画伝』の感想

 

本書『任俠映画伝』は、俊滕浩滋という稀有な映画プロデューサーの人生を映画評論家の山根貞夫が本人の語りの形式で描き出した作品です。

二段組の構成で、俊滕浩滋という人物への長年にわたるインタビューを本人の語りという形式で紹介してあり、各章の冒頭や話題の切変わる時などに、客観性を持たせるためか映画評論家の山根貞夫の説明を挟んであります。

そうした事情からこの二人の共著としての紹介になっているものと思われます。

 

確かに、俊滕浩滋という人物自身の生き方は魅力的です。

映画好きならば知らない人はいない大監督のマキノ雅弘や、東映の社長であった大川博に個人的につながりを持ち、後には銀座で有名なクラブのママとなる祇園の芸者と一緒になった男。

私が子供の頃見た映画の中ではっきりと覚えている映画の一本がマキノ雅弘の「次郎長三国志」ですが、この作品つくりにもプロデューサーとしてかかわっていたというのには驚きました。

 

 

特徴的なのが、若い頃にボンノの通称をもつ、後に代目山口組若頭補佐となる菅谷政雄という人物と友達付き合いがあったり、五島組の大野福次郎という大親分とも知遇を得たりと、ヤクザのそれも大物と親交を結んでいることです。

そうした人脈は後に東映で映画をつくるときに大きな力となり、俊滕浩滋という人物が作るヤクザ映画はホンモノの匂いがして人気を博したのだと、これは本書だけでなく、映画関係の書物を読むと書いてあります。

そんな他の本で読んだことが本書『任俠映画伝』の中ではいとも簡単に手柄話のように書いてあるのです。

 

しかし、そのいとも簡単に書いてあるところがどうにも自慢話のように聞こえてきます。

様々な階層の様々な人たちとの人脈を築き上げているのはいいのです。それは俊滕浩滋という人物の魅力でしょうし、そこには何の嘘もなく事実を述べてあるだけのことだと思います。

しかしながら、若山富三郎藤山寛美などの大スターも自分が育て上げたと言い切る姿や、安藤昇も自分が映画に出したし、その紹介になる菅原文太なども自分が使ったからスターへの道を登っていった、といわんばかりのニュアンスは受け入れがたいものでした。

先般読んだ、『仁義なき戦い 菅原文太伝』にも指摘してありましたが、俊滕浩滋菅原文太との出会いなど、ほかの人が言っていることとは異なる記載もあるようで、やはり本人へのインタビューをそのままに載せるのは若干問題がありそうです。

特に、本書『任俠映画伝』のような第三者が間に入り事実の検証が為されているかのような作品の場合、本人の語りとしての記載ではあってもそこは著者山根貞夫の検証が入っていると思いますので、その点は明記していた方がいいのではないでしょうか。

 

たしかに、普通のプロデューサーではなく、毎作品で現場に詰めて、脚本や、時には映画音楽にまで口を出したということですから、普通以上に力を持ったプロデューサーだったのでしょうし、実際それだけの働きをした人だったのでしょう。

それでも、映画には監督もいれば役者、それに多くのスタッフも関わってできる作品ですから、そのすべてを俊滕浩滋というプロデューサーが為したといわんばかりの言葉にはちょっとばかり引いてしまったのです。

ただ、この点に関しては、「映画というのは、・・・全員で相談して、絶対できるものではない。・・・映画は個性で引っ張っていって・・・つくりあげていゆくところに、面白さが出るんだと思う。」と本人が言い切っています。

それだけの強烈な自負心と情熱に裏打ちされた言葉であったと思われます。

 

とはいえ、数多くの映画製作にかかわり、大ヒット映画も数多く制作して映画界への貢献度もかなり高い人であるのは間違いのないことでしょう。

そうした客観性が欠けている作品であることを除けば、本書『任俠映画伝』は映画好きならばそこそこに面白く読める本といえるかもしれません。

今では七代目尾上菊五郎の妻になっていて、映画スターとしては藤純子と言っていた富司純子俊滕浩滋の娘だというのはかなり昔から聞いていました。

父親が大プロデューサーで、その娘が映画界の大スターだというのですから見事なものです。

 

任侠映画の魅力は夢とロマンや、と言い切る俊滕浩滋姿は魅力的です。「私利私欲や打算を抜きにして男が命を懸ける、その純粋さが人の心を打つんだと思う。」と言い切っています。

また、任侠映画は悪役のキャスティングがかなめだとも言っています。「そのワルがワルをしなきゃならない何か、それをうまく出せるかどうか。そこが作品の魅力につながる」というのです。

先にも述べたように、映画作りは中心となる個性で引っ張っていくものだという考えなど、強烈な個性と自負心を持っておられた人なのでしょう。

ただ、一冊の映画関係の書物として見た場合、私の場合は今一つと言うしかない作品だったのです。

あるヤクザの生涯

あるヤクザの生涯』とは

 

本書『あるヤクザの生涯』は、新刊書で著者自身の長いあとがきまで入れても177頁の長編の実録小説です。

期待される描写の対象と、石原慎太郎というある意味注目される作家の作品にしては、思ったものとは異なる作品でした。

 

あるヤクザの生涯』の簡単なあらすじ

 

最大の武器は知力と色気、そして暴力!
特攻隊員、愚連隊、安藤組組長、映画俳優……
昭和の一時代、修羅に生きた男の激動の生涯をモノローグで描ききる圧巻のノンフィクションノベル!

あんた『雪後の松』という詩を知っているかい。昔、ある坊主から教わったんだ。『雪後に始めて知る松柏の操、事難くしてまさに見る丈夫の心』とな。男というものは普段の見かけがどうだろうと、いざと言う時に真価がわかるものだ。松の木は花も咲かず暑い真夏にはどうと言って見所のない木だが、雪の積もる真冬には枝を折るほどの雪が積もっても、それに耐え、青い葉を保っている。それが本物の男の姿だというのだ。/俺はこの詩が好きなんだ。(「長い後書き」より)(内容紹介(出版社より))

 

 

あるヤクザの生涯』の感想

 

東映のヤクザ映画や、映画関係の書物、それ以外にの様々なメディアを通じて見聞きする中でかなりのインパクトを残していたのが安藤昇という人物でした。

本書『あるヤクザの生涯』は、ある意味カリスマ的な存在である安藤昇という人を、これまた特異な位置にいる石原慎太郎という作家が描き出すというのですから、かなり期待した作品でした。

 

しかし、端的に言えば期待とはかなり異なる作品だったという他ないものでした。

期待外れの第一点は、その177頁という分量の短さです。

さらには、一般的な文芸書、小説などの場合の1頁あたり40字×14行で、最大文字数は560文字程度だそうです。

それに比して本書『あるヤクザの生涯』の場合、1頁当たり1行33文字で12行しかないので最大文字数は396文字となります( 手軽出版ドットコム : 参照 )。

それほどに少ない文字数であり、その上改行を多用してあるので一頁当たり350文字もないと思われる短さですから、早い人であれば一時間程度で読み終えてしまうのではないでしょうか。

ただ、この点は私の勝手な思い込みであり、期待外れというのは言いがかりだとも言えそうです。

 

第二点は、その構成であり、本書『あるヤクザの生涯』は安藤昇本人の語り、という形をとってあることでした。

できれば、一人称、三人称などの表現方法は別として、安藤昇本人を中心としたストーリー小説を期待していたのです。

本人の語りの形態をとったノンフィクションノベルも悪くはないのですが、それではどうしても本人の一方的な主張だけになってしまい、客観性がない印象を受けます。

そして、結局は先と同じになると思うのですが、本書『あるヤクザの生涯』のような本人の語りという形態をとるにしても、もう少し詳しく、そして長い語りとしてほしかったと思います。

全体として、確かに安藤昇本人と会い、聞いたことなどをもとに資料を当たられて構成し直してあるとしても、もう少し詳しく安藤昇の具体的な行動、動きを知りたい気持ちは残りました。

 

それでも、アウトローである安藤昇という人物像はそれなりに描いてあったと思います。

ナイフを所持し、命を捨てたその行動は他の人間を寄せ付けないものではあったようで、その度胸は私のような一般的な気の弱い人間には想像もつかない存在だと理解できます。

また、随所に見せられるエピソード、例えば著者石原慎太郎と安藤組の大幹部である花形敬との出会いのエピソードなどは出来すぎとも思えるほどのものでした。

『塀の中の懲りない面々』を書いた安部譲二という人も昔は安藤組の組員だったと聞いたことがあります。

 

 

とにかく、この人物を語る人は皆、男としての魅力満載の人物ではあったと言います。

それはヤクザではない映画関係や普通の経済人などの一般人が言うことですから、あながち外れた評価でもないのでしょう。

結局はヤクザだから、と昔は思っていたのですが、ただ一点、自分には決してできない生き方を貫いた人だという点では認めるしかないようです。

 

私の思っていた石原慎太郎の作品は『青年の樹』や『おゝい雲』のような勢いのある小説です。

 

 

何よりも「青嵐会」なる若手議員集団を率いて暴れていた石原慎太郎という人物の、元気のある筆で安藤昇を描き出しているものだと思い込んでいました。

しかし、石原慎太郎は既に89歳であり、それも87歳で膵臓がんを患い奇跡の復帰をされた後での執筆活動ですから、そのことを考えると逆に見事な仕事というべきでしょう。

それでもなお、一読者としては作家に期待するのはより良い作品です。作者の事情はその次であり、つまりは、自分の期待していた作品とは異なると言わざるを得ないのです。

 

本書『あるヤクザの生涯』には、作者石原慎太郎の「長いあとがき」と銘打たれたあとがきが付属しています。

その中で「慶応高校の副番長をしていた弟」という文言が出てきました。あの映画スターの石原裕次郎が高校時代は副番長だったというのですから驚きです。

ある意味、石原裕次郎のこのエピソードが本書内で一番驚いたことかもしれません。

それにしても、残念な一冊でした。