黄昏の岸 暁の天 十二国記 8

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』とは

 

本書『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』は『十二国記シリーズ』の第八弾で、2001年5月に講談社X文庫から刊行され、2014年3月に478頁で新潮文庫から刊行された、長編のファンタジー小説です。

本書は『魔性の子』が蓬莱での泰麒高里の物語であるのに対し、高里が不在の間の異世界〈十二国〉の様子が描かれていて、かなりの読み応えを感じた作品でした。

 

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』の簡単なあらすじ

 

王と麒麟が還らぬ国。その命運は!? 驍宗(ぎようそう)が玉座に就いて半年、戴国(たいこく)は疾風の勢いで再興に向かった。しかし、文州(ぶんしゆう)の反乱鎮圧に赴(おもむ)いたまま王は戻らず。ようやく届いた悲報に衝撃を受けた泰麒(たいき)もまた忽然(こつぜん)と姿を消した。王と麒麟を失い荒廃する国を案じる女将軍は、援護を求めて慶国を訪れるのだが、王が国境を越えれば天の摂理に触れる世界──景王陽子が希望に導くことはできるのか。( 内容紹介(出版社より))

 

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』の感想

 

本『十二国記シリーズ』のエピソード0である『魔性の子』では蓬莱(日本)に流された高里の様子が描かれていましたが、その間の異世界側のようすが本書『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』で描かれています。

具体的には、まずは本書冒頭の「序章」において泰麒、つまりは戴国の麒麟である高里が蓬莱(日本)に流された時の事情が描かれています。

戴国ではやっと泰王驍宗がその座について国の再興が為されようとしていたのですが、将軍の阿選の策謀により泰王が行方不明となる事態が起きていたのです。

そしてそうした事態に応じて、「序章」に続く「一章」では戴国の女将軍李斎が助けを求めるために瀕死の状態で慶国の王宮に現れたところから始まります。

こうして、戴国を助けるためにまずは蓬莱に流された泰麒を探すために各国の王や麒麟が力を合わせることとなるのです。

 

あらためて本シリーズを俯瞰すると、戴国の物語が主になってシリーズの根底になっていることに気がつきます。

まずは、本書の姉妹編ともいえる『魔性の子』があり、その後にシリーズ第二弾の『風の海 迷宮の岸』では、泰麒である高里が驍宗を王として選択する様子が描かれていました。

 

 

そして、次がシリーズ第八弾の本書『黄昏の岸 暁の天』であり、各国が力を合わせて蓬莱に流された泰麒を探す様子が描かれているのです。

次にシリーズ第九弾の『白銀の墟 玄の月』(新潮文庫 全四巻)が本書の続編となっており、行方不明となった泰王驍宗の謎、そして戴国の行方が語られます。

 

 

そうした位置付けの本書ですが、あらためて本書の一番の魅力を見ると、泰麒の行方を捜すそのストーリー展開の面白さにあると思います。

蓬莱にいる泰麒を探すためには麒麟の力を借りるしかかなく、各国の麒麟が力を合わせて泰麒の所在を探すことになる物語の展開が面白いのです。

 

そして、その過程でこの異世界の成り立ちそのものへの考察をする場面がありますが、その考察において遠藤周作の名作『沈黙』で描かれているような神の存在に対する弱い人間の叫びと同様な問いかけがあります。

 

 

そこでの李斎の言葉が、本書『黄昏の岸 暁の天』について検索すると数多くの書評やブログで同じ箇所が取り上げられているほどにインパクトが強い表現です。

それは、各国の麒麟たちが力を合わせて蓬莱にいる泰麒を探す行為が天の理に反しないかを蓬山に住む女仙たちの主である碧霞玄君に会いにいく場面で李斎が言った言葉です。

李斎は、天が存在することを知ったときに発した「では、どうして天は戴をお見捨てになったのです!?」と問い、それに対し陽子は、「もしも天があるならそれは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」と断じるのです。

 

本書の魅力の第二はこうした異世界の構造を借りた、天(神)の存在への疑問という現代社会にも通じる社会の在りように対する徹底した考察にあると思います。

『沈黙』では神は民を見捨てるのかという問いに対して明確な答えはなく、個々の読者への問題提起としてあったように思えますが、本書では明確にその答えを示してあります。

陽子のその言葉に対する評価は人それぞれでしょうし、個人的に納得できるかと言えば否定的な答えしかないと思われます。

しかしながら、こうした態度は『十二国記シリーズ』全般を通しての著者の姿勢として現れていると思われ、異世界の構造の真実味を増していると思われます。

 

こうして本書もまたシリーズ全体の存在感を高める一冊として、かなりな面白さをもって読むことができた作品と言えます。

本書に続『白銀の墟 玄の月』の全四巻と合わせて、シリーズ内の大作としての存在感を有しているのです。

ほどなく、お別れです

ほどなく、お別れです』とは

 

本書『ほどなく、お別れです』は『ほどなく、お別れですシリーズ』の第一弾で、2018年12月にソフトカバーで刊行されて、2022年7月に288頁で文庫化されたファンタジックなヒューマンドラマの中編の小説集です。

とても評判のよい作品のようですが、個人的には続編を読むかどうかを迷うほどの印象でした。

 

ほどなく、お別れです』の簡単なあらすじ

 

この葬儀場では、奇蹟が起きる。

夫の五年にわたる闘病生活を支え、死別から二年の歳月をかけて書き上げた「3+1回泣ける」お葬式小説。

大学生の清水美空は、東京スカイツリーの近くにある葬儀場「坂東会館」でアルバイトをしている。坂東会館には、僧侶の里見と組んで、訳ありの葬儀ばかり担当する漆原という男性スタッフがいた。漆原は、美空に里見と同様の“ある能力”があることに目を付け、自分の担当する葬儀を手伝うよう命じる。漆原は美空をはじめとするスタッフには毒舌だが、亡くなった人と、遺族の思いを繋ごうと心を尽くす葬祭ディレクターだった。

「決して希望のない仕事ではないのです。大切なご家族を失くし、大変な状況に置かれたご遺族が、初めに接するのが我々です。一緒になってそのお気持ちを受け止め、区切りとなる儀式を行って、一歩先へと進むお手伝いをする、やりがいのある仕事でもあるのです」–本文より

【編集担当からのおすすめ情報】
「私の看取った患者さんは、
『坂東会館』にお願いしたいです」
ーー夏川草介(医師・作家『神様のカルテ』)氏推薦!

全国の書店員さんが熱烈支持!
『神様のカルテ』以来の最強デビュー作!

「登場人物それぞれの気持ちに涙し、最期の別れの儀式を通して美空が成長していく様子を、まだまだ読みたいと思いました。心があたたかくなる作品です」
ーー宮脇書店ゆめモール下関店・吉井めぐみさん

「坂東会館のお葬式は、旅立ちを迎えるその人の、生きた道を最後に照らす、あたたかい光でした」
ーー平和書店TSUTAYAアルプラザ城陽店・奧田真弓さん

「大切な人を亡くした時、ずっと思い続けることが愛だと思っていた自分に、愛ある別れは必要だと、この作品は教えてくれた」
ーージュンク堂書店滋賀草津店・山中真理さん

「別れが来ないうちに、生きているうちに伝えなければならない思いがある。抜群のデビュー作です」
ーー小学館パブリッシングサービス・松本大介さん( 内容紹介(出版社より))

 

ほどなく、お別れです』の感想

 

本書『ほどなく、お別れです』という作品は、葬儀場を背景としたお仕事小説であって、大切な人との別れの場を描いた三篇の中編からなる感動の作品集です。

本書の主人公の美空は強い霊感の持ち主であり、その能力をもとに葬儀場ならではの切なさに満ちた別れを心温まる旅立ちとして送り出します。

 

「全国の書店員さんが熱烈支持! 『神様のカルテ』以来の最強デビュー作!」という惹句に惹かれて読んでみたのですが、『神様のカルテシリーズ』に比してみるとそれほどとは思えない、というのが正直な感想でした。

神様のカルテシリーズ』では主人公の医者が医者としての日常の中で患者さんの死に直面し、看取る姿が描かれています。

それに対し、本書『ほどなく、お別れです』ではすでに亡くなられた方がいて、その方を見送る、または見送られるという話が描かれているのです。

ここで主人公が霊感が強く、また僧侶とともに死者との会話ができるという特殊能力があり、葬儀の裏側にある諸事情を知ることができるという設定になっています。

個人的には、本書は『神様のカルテシリーズ』と比べるべくもない、という印象になったのは、このようなファンタジックな設定であったことが一番大きいのだと思っています。

 

 

主人公の大学四年生で葬儀社「坂東会館」のアルバイト清水美空は、亡くなった人の霊が見えるという特殊な能力を有していました。

美空には美空が生まれる前に亡くなった美鳥という名の姉がいたのですが、その姉の存在を感じられていたのです。

また、美空の斎場でのアルバイトは、会館の社長が美空の父親の友人だったことから決まった仕事であり、母親も同居している祖母も礼儀作法が身につくと賛成してくれたのです。

ある日、かわいがってもらっている先輩社員の赤坂陽子からの手伝い依頼の連絡を受けた美空が坂東会館へと向かうと、ある通夜の席の後片付けをすることになりました。

その通夜の担当であった葬祭ディレクターの漆原は、「遺体にまつわる複雑な事情を見抜く観察力と、抜きん出た現場対応能力の持ち主」でした。

またその通夜の式を務めた光照寺の僧侶の里見道生は、漆原の友人でもあり、また亡くなった方と話ができるという能力を有していて、この二人が行う葬儀は心休まる葬儀となるのも当然だったのです。

 

第一話は上記のようにして始まりますが、このようにして美空、漆原、里見という三人組が担当する葬儀の様子が語られていきます。

彼らの担当する葬儀は、里見の能力や漆原の対応力の高さに美空の霊を感知できる能力も加わって、一段と心のこもったお見送りをすることができるのです。

こうして、美空の担当する葬儀に絡んだ人間ドラマが展開されますが、そこには感動的なドラマが存在するのでした。

 

ほどなく、お別れですシリーズ』の項でも書いたのですが、死者との対話と言えばまずは辻村深月の『ツナグ』という作品が思い出されます。

テレビドラマ化もされた、死者との再会の仲介をしてくれる「ツナグ」の存在を通した人間ドラマを描いた作品集でした。

 

 

この作品はかなり惹き込まれて読んだ作品でしたが、本書『ほどなく、お別れです』の作者長月天音という人は本書がデビュー作だということであり、辻村深月などというベストセラー作家と比較するのは酷だとは思います。

しかし、それが作品を作品として見たときの純粋な感想なのです。

ただ、作家としての経験の差ということを読み手が心しておけばいいのではないでしょうか。

 

結局、『神様のカルテシリーズ』ほどではないとは言ったものの、本書も小学館文庫小説賞を受賞していることもあり、死者との会話という仕掛けを通しての物語の構築力は素晴らしいと思われ、今後を期待してみたいと思います。

ほどなく、お別れですシリーズ

ほどなく、お別れですシリーズ』とは

 

本『ほどなく、お別れですシリーズ』は葬儀場で働く女性を主人公としたお仕事小説のシリーズであり、大切な人との別れの場を描くヒューマンドラマシリーズです。

死者と語ることができる特殊能力を用いて知った亡くなった方の本心をもとに、心温まる葬儀をプロデュースするチームの姿が描かれる連作中編の感動作です。

 

ほどなく、お別れですシリーズ』の作品

 

『ほどなく、お別れですシリーズ』(2023年03月25日現在)

  1. ほどなく、お別れです
  2. ほどなく、お別れです 2 それぞれの灯火
  3. ほどなく、お別れです 3 思い出の箱

 

ほどなく、お別れですシリーズ』について

 

本『ほどなく、お別れですシリーズ』は直接的に「命」をテーマとすることで、医療小説にも似た趣きを持っていると言えます。

だからこそ、惹句にも『神様のカルテシリーズ』の夏川草介の言葉が引用されているのでしょう。

ただ、個人的には『神様のカルテシリーズ』ほどの感動作とは思えませんでした。

まだ第一作を読んだだけなのですが、続編を読むかどうか微妙なところです。

 

 

この『ほどなく、お別れですシリーズ』の登場人物は、葬儀場「坂東会館」で働く清水美空という女性です。彼女は就職活動がうまくいかないでいるところにバイト先であった「坂東会館」に就職することになります。

彼女には、彼女が生まれる直前に亡くなった美鳥という姉がいたのですが、その美鳥の存在を感じることがある霊感の強い人でした。

また、「坂東会館」には漆原という葬祭ディレクターがおり、美空の能力に目をつけ、自分の担当の葬儀を手伝わせることとします。

この漆原の友人で漆原が担当するの葬儀の多くでお勤めをしているのが里見道生という光照寺の僧侶です。

それに、先輩社員の赤坂陽子が美空をかわいがっており、何かと美空の世話を焼いてくれる存在として登場しています。

 

ここで漆原が持つ「葬祭ディレクター」とは、「厚生労働省が認定している資格制度で、ご葬儀についての知識や技能を示すと同時に、ご葬儀のスペシャリストである証明」だそうです。

詳しくは下記サイトを参照してください。

 

この漆原、里見、そして美空のトリオが特別な事情をもつ葬儀を担当する様子が描かれているのがこのシリーズですが、死者との対話をテーマにした作品と言えば、辻村深月の『ツナグ』という第32回吉川英治文学新人賞を受賞した作品があります。

死者との再会を通して様々な人間ドラマを描き出す感動の物語であり、テレビドラマ化もされています。

また川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに』もあります。

ただ、この作品はタイムトラベルものの変形であり、今という時間で死者と意思を通じる物語とは言えないかもしれませんが、通じるものはあると思います。

 

 

これらの作品と本書とを比べてみても、本書は物語の奥行きをあまり感じられなかったので、続編を読むかどうか迷うところなのです。

けっして浅薄な内容の作品というわけではなく、それなりに心惹かれて読み終えた作品ではあるので、微妙に迷っているというのが正直なところです。

図南の翼

図南の翼』とは

 

本書『図南の翼』は『十二国記シリーズ』の第六弾で、1996年2月に講談社X文庫から刊行され、2013年9月に新潮社から北上次郎氏の解説まで入れて419頁で文庫化された、長編のファンタジー小説です。

長い間王が不在で妖魔まで襲い来るようになった恭国のため、自らが蓬山を目指すことを決意した一人の女の子が黄海を旅する物語で、これまでにも増して魅力的な一冊でした。

 

図南の翼』の簡単なあらすじ

 

この国の王になるのは、あたし! 恭国(きようこく)は先王が斃(たお)れて27年、王不在のまま治安は乱れ、妖魔までも徘徊(はいかい)していた。首都連檣(れんしよう)に住む少女珠晶(しゆしよう)は豪商の父のもと、なに不自由ない暮らしと教育を与えられ、闊達な娘に育つ。だが、混迷深まる国を憂えた珠晶はついに決断する。「大人が行かないのなら、あたしが蓬山(ほうざん)を目指す」と──12歳の少女は、神獣麒麟(きりん)によって、王として選ばれるのか。(内容紹介(出版社より))

 

図南の翼』の感想

 

本書『図南の翼』は、主人公がこの世界の中央に位置する黄海に入り、その中央にそびえる蓬山に至るまでの旅をメインに描く、恭国の乾王誕生の物語です。

この旅の中で主人公である珠晶は様々なことを学び、そして成長していきます。その様子が冒険小説でありながら成長小説でもあり、惹きつけられるのです。

 

主人公は恭国の首都連檣の豪商の娘である珠晶(しゅしょう)という女の子です。

彼女は王が不在で妖獣まで出没するようになった首都にいて、この王不在という難局を乗り切るためには自分が王となるべきだと考えます。

そして王になるためには恭国の麒麟である恭麒のいる蓬山へ行く必要があり、そのために有り金をかき集めて家出をするのです。

この、旅の途中で知り合った利広の力を借りたり、騎獣にするための妖獣を狩ることを職業とする猟尸師の頑丘を雇い蓬山までの護衛を頼んだりと、自分の頭脳を駆使して旅をつづける姿が描かれます。

珠晶は、利広と頑丘という力強い味方を得て旅を続けるのですが、頑丘は別として利広はその正体が分からないままに物語が進むこともこの物語に興を添えています。

 

昇山する人々が黄海を渡る際には自然と集団ができますが、珠晶は金持ちの室季和や小金持ちの聯紵台、それに猟尸師と同じ朱氏の仲間である剛氏の近迫といった人々と共に旅をすることになり、その旅の中で様々なことを学び、成長していくのです。

利広から「きみは、幼い」と言われ、その言葉の意味も理解できないでいる珠晶が、過酷な旅の中で次第に成長していく姿は感動的ですらあります。

こうした困難な旅を描き出す様子は、第四巻の『風の万里 黎明の空』の中でも見られました。鈴や祥瓊(しょうけい)という娘たちが珠晶と同様の困難を極める旅の様子が描かれていたのですが、その姿と重なるのです。

 

 

そもそも、本『十二国記シリーズ』の醍醐味はまずは見事なまでに緻密に構築された物語世界のありようにあります。

蓬山を抱く黄海を中心として対照的に配置された十二の国からなるこの世界には天の意志が存在し、またそれぞれの国に存在する王や政の中枢にいる人間などは不死の身を得ます。

面白いのは、ひとつの国に一人いる麒麟が自国の王を選任することになっていることです。麒麟の行為を通じて天の意志が顕現することになるのです。

 

そうした堅固な世界観を持つ本書『図南の翼』ですが、、成長小説としての一面を持つ主人公珠晶の旅そのものの面白さもまた魅力の一つだと思います。

つまりはある種の冒険小説としての面白さであり、本書の解説にも書いてあるように「ロード・ノベル」としての魅力を持つ物語でもあります。

利広と頑丘という二人の大人の庇護のもと、妖魔が跋扈する黄海を旅する話はまさに冒険小説であり、その旅の中で様々なことを学び、成長する珠晶の姿は成長小説でもあるのです。

でも、そうした小説に対する呼称はどうでもいいことで、単純に心振るわせるほどに面白い物語だ、というそのことが一番です。

 

本書『図南の翼』は、この『十二国記シリーズ』という物語の面白さを堪能できる一冊であると断言できる、非常に楽しめた一冊でした。

魔性の子

魔性の子』とは

 

本書『魔性の子』は1991年9月に新潮文庫から出版されたのですが、2012年6月に『十二国記シリーズ』の番外編ともいうべき位置づけで、菊地秀行氏の解説まで入れて491頁の文庫として新潮文庫より刊行された長編のファンタジー小説です。

若干長すぎるか、という印象もありますが、じわじわと迫るホラーチックな物語の運びも面白く、『十二国記』に連なる物語の面白さもあり、惹き込まれて読んだ作品です。

 

魔性の子』の簡単なあらすじ

 

どこにも、僕のいる場所はない──教育実習のため母校に戻った広瀬は、高里という生徒が気に掛かる。周囲に馴染まぬ姿が過ぎし日の自分に重なった。彼を虐(いじ)めた者が不慮の事故に遭うため、「高里は祟(たた)る」と恐れられていたが、彼を取り巻く謎は、“神隠し”を体験したことに関わっているのか。広瀬が庇おうとするなか、更なる惨劇が。心に潜む暗部が繙(ひもと)かれる、「十二国記」戦慄の序章。(内容紹介(出版社より))

 

魔性の子』の感想

 

本書『魔性の子』は、「十二国記 0」というサブタイトルがついていることからも分かるように、『十二国記シリーズ』のエピソード0、もしくは番外編として位置づけられてきた作品です。

冒頭にも書いたように、そもそもは1991年9月に「ファンタジーノベル・シリーズ」の1冊として新潮文庫から刊行された作品です。

それが、後に『十二国記シリーズ』が展開されるにつれ、『十二国記シリーズ』の番外編として位置づけられるようになったものだと言います。

つまり、本来は単独の作品として考えれていた作品だったのですが、この物語の背景となる世界を作り込んでいた資料の話を聞いた講談社の編集者に勧められ、講談社から新たなシリーズ作品として『十二国記シリーズ』として生まれたものだそうです( ウィキペディア : 参照 )。

 

本書『魔性の子』は、一般にはホラー小説として紹介されているようです。

確かに、作者の小野不由美という人の他の作品を見ると山本周五郎賞を受賞した『屍鬼』(新潮文庫 全五巻)や『残穢』といったホラー小説として名高い作品が並んでいます。

 

 

そして本書の内容も主人公高里の周りで異形のものが見え隠れし、さらに高里を攻撃した者に最悪は死が訪れるという、ホラーという他ないような物語の展開です。

しかしながら、ネットで誰かが書いていたように、『十二国記シリーズ』を読んだ後に本書を読むと、まさに『十二国記シリーズ』を構成する内容であり、異常現象にもきちんと説明がつくところからホラーとは呼べないように思います。

異常現象の詳細については本書の中でも具体的に示されている個所もあり、それなりの説明は為されているのです。

ただ、その説明も『十二国記シリーズ』を読んでいるか否かでその具体性の程度が異なり、単なる超常現象としてホラーの範疇に入ると評価するか、そうではなく物語の流れにきちんとおさまる現象なのかが違ってくるのです。

 

先に『十二国記シリーズ』を読んだ人ならばわかるのですが、本書の登場人物は、『風の海 迷宮の岸』に登場する戴国(たいこく)麒麟の泰麒(たいき)である高里要を主人公としています。

本書『魔性の子』では、高里が泰麒であることは示されてはおらず、過去に一年間の神隠しにあった少年として皆から恐れられている存在です。

恐れられているというのは、高里に何らかの害を加えた人物は異常な事件や事故に遭い、場合によっては命を落とすことさえあるというのでした。

その高里のいる私立高校の二年生のクラスに教生としてやってきたのが、三年と少し前この高校を卒業したばかりの広瀬という教育実習生で、その広瀬の担当教官が、広瀬が在校時代の化学の担任だった後藤という理科教師です。

高里の周りで次々と発生する異常な状況下での事故や、最終的には死者まで出る事態の中、孤立する高里にどことなく相通じるものを覚えた広瀬は深くかかわっていくのでした。

 

十二国記シリーズ』での本書の位置付けを見ると、まずは高里が神隠しに遭った一年間のこの異世界での話が『風の海 迷宮の岸』に語られている話で、戴国の麒麟として泰王を選ぶ様子が描かれています

その後、泰王が選ばれてから半年が経過した戴国では、泰王が行方不明となるなか泰麒が何者かに斬りつけられたため「蝕」が起き、泰麒は再び蓬莱へと流されてしまうという事件が起きます。

その事件の顛末が描かれているのがシリーズ第八弾の『黄昏の岸 暁の天』であり、そのとき蓬莱に流された泰麒である高里の様子が描かれているのが本書『魔性の子』ということになるのです。

 

こうして、『十二国記シリーズ』の中に位置づけられる本書ですが、見事にシリーズに融合していて本書単発として読むよりも一段と物語に奥行きが感じられることになっているのです。

クロコダイル・ティアーズ

クロコダイル・ティアーズ』とは

 

本書『クロコダイル・ティアーズ』は、2022年9月に331頁のハードカバーで刊行された、第168回直木賞の候補作となった長編のサスペンス小説です。

確かに人間心理の複雑さをついた興味ある物語ではあるものの、雫井作品として直木賞候補になるほどかと感じた作品でした。

 

クロコダイル・ティアーズ』の簡単なあらすじ

 

【第168回 直木賞候補作】
ベストセラー作家、雫井脩介による「究極のサスペンス」

この美しき妻は、夫の殺害を企んだのか。
息子を殺害した犯人は、嫁である想代子のかつての恋人。被告となった男は、裁判で「想代子から『夫殺し』を依頼された」と主張する。犯人の一言で、残された家族の間に、疑念が広がってしまう。

「息子を殺したのは、あの子よ」
「馬鹿を言うな。俺たちは家族じゃないか」

未亡人となった想代子を疑う母親と、信じたい父親。
家族にまつわる「疑心暗鬼の闇」を描く、静謐で濃密なサスペンスが誕生!

「家族というのは、『お互いに助け合って、仲睦まじく』といった一面が取りざたされることも多いですが、そうじゃない部分もあります。ある種の運命共同体であるからこそ、こうしてほしいという願望を押しつけあったり、求めあったりして、生きづらさも生んでしまう。だからこそ、ドラマが生まれる。家族が一枚岩になれないときに生ずる『心の行き違い』は、サスペンスにしかならない」(著者インタビューより)

全国の書店員さんから、驚愕と感嘆の声が届いている傑作をぜひ!( 内容紹介(出版社より))

 

クロコダイル・ティアーズ』の感想

 

本書『クロコダイル・ティアーズ』は、第168回直木賞の候補作となった長編作品ですが、個人的には雫井脩介の作品として普通のレベルだと感じた作品でした。

確かに人間の意識のありようをついた興味深いテーマの作品ではありました。

しかしながら、立花もも氏の書評にも書いてあったように、「人は、けっきょく、誰に何と言われようと、自分の信じたいことを信じてしまう」( ダ・ヴィンチ : 参照 )というそれだけのことを書いてあったに過ぎないと思えたのです・

とはいえ、そのことを小説として仕立てるそのことがとても難しい作業であることは分かります。ただ、雫井脩介という作家であればもっと面白い作品を紡ぎだせたと思うのです。

 

東鎌倉で「土岐屋吉平」という陶磁器店を営む久野貞彦とその妻暁美は、ある日突然、息子の康平を殺されてしまいます。

ところが、犯人である隈本重邦は康平の嫁想代子のかつての交際相手だったのです。

そして判決言い渡しの日、隈本の「想代子から夫のDVがひどいのでなんとかしてくれと」と頼まれたという趣旨の言葉を聞いて以来、その言葉を忘れることはできなくなったのでした。

 

本書『クロコダイル・ティアーズ』の影の主役である想代子という人物は、物静かな女性という印象の女性です。

しかし、そのことは本心が見えにくい女性ということでもあって、一旦悪い印象を持ってしまうとそのようにしか思えないことになります。

その上、「土岐屋吉平」のある地域の再開発の話があって、貞彦はその事業に参加しない意向を持っているということでもありました。

そのことは、「土岐屋吉平」で起こる細かな事件の背景を複雑なものとしていくのです。

こうした背景は想代子という女性のミステリアスな雰囲気をさらに盛り上げ、読者も隈本の発した言葉は真実なのか、それとも嘘なのかと心は揺れ動くことになります。

 

加えて、暁美の実姉である塚田東子の想代子に対する疑いの言葉が暁美の心の揺らぎを増幅させます

東子は夫の辰也と共に「土岐屋吉平」が入っているビルの三階で雑貨店を営んでいて、いつも妹の暁美を支えるように側にいます。

その東子の雑誌の記者を使って隈本のことを調べさせるなどの行動は、暁美の疑念を確信に近いものへと押しやるのです。

 

このような周囲の言葉もあり、またもともと想代子の性格が控えめであったこともあって、想代子のどんな言葉も行為も暁美にとっては裏があるようにしか思えなくなるのです。

ましてや想代子という女性の行為は疑惑を招きかねないものであり、さらには暁美の心にいったんわき起こった疑惑はなかなか解消されるものではないということが繰り返し示されていきます。

そして、それ以上のものは感じられませんでした。「自分の信じたいことを信じてしまう」暁美の様子が描かれている、それだけとの印象がぬぐえませんでした。

 

とはいっても、Amazonの該当箇所を見ると、日本全国の書店員さんたちの本書『クロコダイル・ティアーズ』に対する絶賛の声が掲載してあり、さらにはネット上でもかなり高い評価が為されています。

つまりは、以上のような私の印象はかなりの少数派であって、私の感じ方が世間一般と異なっていると言うしかありません。

結局、いい本だけれども私の好みではない、というこのサイトでも何度か書いてきた言葉をここでも書いておくしかなさそうです。

風の万里 黎明の空

風の万里黎明の空』とは

 

本書『風の万里 黎明の空』は『十二国記シリーズ』の第四弾で、上巻が1994年8月に、下巻が9月に講談社X文庫から刊行され、2013年3月に金原瑞人氏の解説まで入れて上下二巻で768頁で新潮社から文庫化された、長編のファンタジー小説です。

慶国の景王陽子を中心とした物語ですが、ほかに芳国の公主である祥瓊、そして才国で苦行を強いられていた海客の鈴の二人の物語も加えた壮大なスケールの冒険小説でもある、惹き込まれずにはいられない物語です。

 

風の万里 黎明の空』の簡単なあらすじ

 

人は、自分の悲しみのために涙する。陽子は、慶国の玉座に就きながらも役割を果たせず、女王ゆえ信頼を得られぬ己に苦悩していた。祥瓊は、芳国国王である父が簒奪者に殺され、平穏な暮らしを失くし哭いていた。そして鈴は、蓬莱から辿り着いた才国で、苦行を強いられ泣いていた。それぞれの苦難を負う少女たちは、葛藤と嫉妬と羨望を抱きながらも幸福を信じて歩き出すのだがー。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

王は人々の希望。だから会いに行く。景王陽子は街に下り、重税や苦役に喘ぐ民の暮らしを目の当たりにして、不甲斐なさに苦悶する。祥瓊は弑逆された父の非道を知って恥じ、自分と同じ年頃で王となった少女に会いに行く。鈴もまた、華軒に轢き殺された友の仇討ちを誓うー王が苦難から救ってくれると信じ、慶を目指すのだが、邂逅を果たす少女たちに安寧は訪れるのか。運命は如何に。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

風の万里 黎明の空』の感想

 

本書『風の万里 黎明の空』は、主に慶国の物語であり、今では景王陽子となっているシリーズ第一巻『月の影 影の海』の主人公中嶋陽子のその後の物語を中心に描かれています。

中心にと言うのは、本書ではほかに陽子と同世代の二人の女の子も物語の中心人物となっているからです。

一人は明治時代に口減らしのため女衒に売られたのですが、その旅の途中崖から落ち、見知らぬ土地で目覚めたという大木鈴という娘です。

この鈴は、知らない土地をさまよった挙句、この世界の南西にある才国の凌雲山の翠微洞に住まう梨耀のもとで仙となり、百年のあいだつらい下働きに耐えています。

そしてもう一人は、この世界の北西の隅にある芳国の峯王仲韃の娘である祥瓊(しょうけい)です。

父である峯王仲韃はその圧政により八州諸侯の州師の蜂起により殺されましたが、祥瓊だけはある里家の世話役の沍姆(ごぼ)のもとで暮らしていたのです。

しかし、沍姆にその身元を知られ、ただいじめられ、虐げられる生活を送っていました。

 

本書は、三人の同じ年ごろの娘のそれぞれの立場での苦悩が描かれています。

一人目は、この国のことを何も知らない王の尊厳を軽んじ、その言葉を聞かない官僚の存在に王として懊悩しています。

そんな王である陽子は慶国のことを何も知らず、民の生活を知るために身分を隠して旅に出て見聞を広げようとします。

二人目は、百年以上も下働きとして辛い日々を送る中で、自分の辛さ、悲しさを誰も分ってくれないとただ自分の中に閉じこもり、そんな自分を救ってもらうために景王に会おうとします。

そして三人目は、何も知らない自分には責任などない筈なのに、皆が自分を理不尽に虐げるとして怒り、まだ見ぬ景王を羨み、妬み、刃を向けるために景王に会うために旅に出るのです。

 

本書『風の万里 黎明の空』は、これら三人の娘を主人公として描かれる冒険小説であり、また同時に、三人の娘の、特に鈴や祥瓊の成長物語でもあります。

景王なら自分の気持ちを分かってくれる、という心情があって、それに対する采王黄姑の「あなたはもう少し、大人になったほうがいい」という言葉のもとの鈴の旅です。

また、自分中心にしか物事を考えることのできず、自分が得る筈であったきらびやかな環境に身を置く陽子に一太刀浴びせたいと思う祥瓊の旅があります。

こうした、幼い考えの鈴、自分中心の考えの祥瓊という二人は、大人になっても似た要素を持つ読み手が、困難な旅の中で鍛えられ成長していく二人の姿をみて感情移入し、我がことのように感じてしまいます。

また、陽子にしてもこの国のことを知らないため国をうまく治めることができないでおり、王として未熟な自分を鍛えるために旅で出て成長していくのです。

 

本書は、単純に三人それぞれの冒険を楽しむという読み方だけでも十二分に面白い作品となっています。

でも、それだけではなく、幼くまた自己中心的な娘たちが旅をする中で、国の政治がうまく機能しておらず苦しむ民の姿を直接目にし、また傷つき友を失うなどの哀しみを乗り越えて成長していく姿は感動的ですらあります。

王として自覚する陽子や、一人の娘として己を、そして世の中を見つめ直す鈴と祥瓊の姿は読み手の心に鋭く迫ってくるのです。

 

先に述べたように、本書『風の万里 黎明の空』は、慶国の陽子に関してシリーズ第一巻『月の影 影の海』の続編的な位置にあります。

またシリーズ第八巻『黄昏の岸 曉の天』は直接には戴国の物語ではありますが、本書の陽子や鈴、祥瓊、さらには雁王の尚隆や麒麟の六太なども重要な役割で登場します。

 

そして読了すると楽しい読書の時間が終わってしまったという寂しさの中で、さらに次の物語を早く読みたいと思わせられます。

それほどに思い入れを強く持つシリーズ作品だということです。

教誨

教誨』とは

 

本書『教誨』は、2022年11月に317頁のハードカバーとして刊行された長編の犯罪小説です。

我が子を殺した一人の女性の本当の心を探り、人間の犯す「罪」について考えさせられた、読み応えのある一冊でした。

 

教誨』の簡単なあらすじ

 

女性死刑囚の心に迫る本格的長編犯罪小説!

幼女二人を殺害した女性死刑囚が最期に遺した言葉ーー
「約束は守ったよ、褒めて」

吉沢香純と母の静江は、遠縁の死刑囚三原響子から身柄引受人に指名され、刑の執行後に東京拘置所で遺骨と遺品を受け取った。響子は十年前、我が子も含む女児二人を殺めたとされた。香純は、響子の遺骨を三原家の墓におさめてもらうため、菩提寺がある青森県相野町を単身訪れる。香純は、響子が最期に遺した言葉の真意を探るため、事件を知る関係者と面会を重ねてゆく。

【編集担当からのおすすめ情報】
ベストセラー『孤狼の血』『慈雨』『盤上の向日葵』に連なる一年ぶりの長編!

「自分の作品のなかで、犯罪というものを一番掘り下げた作品です。執筆中、辛くてなんども書けなくなりました。こんなに苦しかった作品ははじめてです。響子が交わした約束とはなんだったのか、香純と一緒に追いかけてください」(内容紹介(出版社より))

 

教誨』の感想

 

本書『教誨』は、これまでの柚木裕子の作品とは微妙にその傾向が異なっている印象です。

これまでの作品のように犯された犯罪の動機を明らかにする点では同じだといえますが、本書ではさらにその動機自体の曖昧さを追求してあるのです。

犯人の育ってきた環境や今の生活環境に着目する物語はこれまでもありましたが、犯行動機自体のありように迫った作品は私の知る限りはなかったように思います。

 

本書の主人公は事件の犯人でもなく、ましてや警察関係者や探偵でもない単なる普通の一般人です。

死刑囚三原響子の身柄引受人で遺骨と遺品を受領した遠縁の吉沢香純は、今はいない響子の「約束は守ったよ、褒めて」という最後の言葉を聞いて、その意味を知るために響子の人生を掘り起こし、彼女の抱えていた悲哀を明らかにしていきます。

一般の推理小説では警察や探偵の地道な捜査の結果、犯人そのものや犯罪の実行方法などが明らかにされるその過程がサスペンスフルに描かれたり、犯行動機に心打たれたりします。

本書の場合もその点は同じことで、ただ探偵役が一般人というだけです。異なるのは、明らかにされた犯行動機そのものの曖昧さです。

 

死刑囚だった響子の人生が明らかになっていくにつれ、響子の過去が明確になっていきます。

その過程で明らかになる響子の人生の哀しさが、田舎の濃密で狭量な人間関係により引き起こされたものでもあり、その小さな世界で生きていかざるを得ない人々の悲しみを示しているようです。

そこで責められるべきは誰なのか、勿論響子自身が非難されるべきなのはそうなのですが、その非難には考慮すべきものがあるのではないか、そこに焦点があります。

 

本書『教誨』のテーマは「犯罪とは何か」だと思うのですが、視点を変えると、結局は犯罪を犯した人の主観面への考慮の難しさということになるのでしょう。

そして、その延長線上には裁判の限界まで視野に入ってくると思うのです。

現実に即して言うと、客観的に判断せざるを得ない犯罪行為が、最終的に刑罰の対象になり得るか、すなわち前に述べた非難に値するか、という判断になることの困難さがあります。

その主観面についての判断を可能な限り客観的に、そして正確に為そうとする結果がいまの裁判制度でしょう。

ですから、どうしても限界の事柄はあると思われるのです。

 

本書では響子が何も語らないという難しさもあり、響子が犯した罪への考察の困難さを増しています。

こうした事例に対してどうすればいいのか、答えが存在するものなのかそれすらわかりません

 

本書『教誨』でも問題の一つとして挙げられていることの一つに田舎の閉鎖性ということがあります。

近年もとある町で移住者に対するある提言が話題になっていたように、田舎人間関係に置いての過干渉ということは昔から言われているところです。

田舎暮しは草刈りや共有地の掃除などの共同作業により維持されるところが多く、地域共同体全体で作業を行うことで共同体の存立が維持できているところがあります。

しかしながら、都会住まいの人はプライバシーが確立された社会で生きていたため地域の共同作業になじめないといいます。

そうした村社会の濃密な人間関係を背景に、殺人という禁忌を犯した犯罪者に対する近隣の眼の厳しさと、それ故に内にこもらざるを得ず、他者との交流を築けなかった人間の心の内が暴かれていきます。

その過程は読者も惹き込まれずにはおれません。

 

ただ、真相が明らかになる最後の最後が結局はすべてを知る一人の人物によって明らかにされるという構成は、若干残念に感じました。

最後の最後にひとまとめに解決させてしまうのは、これまでの吉沢香純の働きが減じてしまうように感じたのです。

とはいえ、この点はそれほど大きなことではないとも思えます。

 

著者柚月裕子の示すテーマは考えはじめたらきりがありませんが、一つ一つ対処してゆくしかできないものでしょう。

本書『教誨』は、物語として面白い作品だとはちょっと言いにくいものの、しかしかなり惹き込まれて読んだ作品でした。

未来のおもいで 白鳥山奇譚

未来のおもいで 白鳥山奇譚』とは

 

本書『未来のおもいで 白鳥山奇譚』は2004年10月に光文社文庫から、2022年12月に徳間文庫から256頁で出版された、長編のSF小説です。

著者お得意のタイムトラベルもののロマンス作品で、熊本県と宮崎県との県境に実在する白鳥山を舞台とした、軽く読める作品です。

 

未来のおもいで 白鳥山奇譚』の簡単なあらすじ

 

イラストレーターをしている滝水浩一は、熊本県の白鳥山を登っていた。白鳥山は立地の不便さゆえに入山者が少なく秘境のイメージがある。滝水の目的は、湿地を抜けた所に咲く山芍薬の花の群生。この光景は一年のうちに数週間しか見ることの出来ない。しかし、今年は登山中に雨に降られた。そのとき、彼の前に現れた、美しい女性・沙穂流。滝水は彼女に惹かれ、置き忘れた手帳を手がかりに訪ねてゆく。そこで、彼女がまだこの世に誕生していない存在であることを知るのだった……。
時を超えて出会った男女の恋愛を描く、長編SFファンタジー。

初版刊行時に映画化企画があり、著者本人により書かれたシナリオを収録。

解説:犬童一心(映画監督)(内容紹介(出版社より))

 

 

未来のおもいで 白鳥山奇譚』の感想

 

本書の著者梶尾真治はロマンチックなラブストーリー、それも時間旅行を背景とするラブロマンスを得意とする作家だと言えます。

そして、本書『未来のおもいで 白鳥山奇譚』はまさにロマンチシズム溢れるタイムトラベルもののラブストーリーそのものです。

SFそれも時間旅行ものに関してはタイムパラドックスの処理をどうするか、という点が一つの関心事だと思うのですが、本書はその点をもそれなりに解決してあります。

というよりも、ラブストーリーである以上は二人の恋の行方の処理もまた重要な点ですが、その点も併せてうまく処理してありました。

 

本書は頁数も少ないのですが、私が読んだ光文社版では一頁の行数が十三行と文字数も少ないため、簡単に読むことができます。

近年出版された徳間文庫版では改定もされているらしいのですが、内容に大きな変更はないということです。

 

本書『未来のおもいで 白鳥山奇譚』の主人公は滝水浩一というイラストレーターです。この男が熊本県と宮崎県との県境にある白鳥山へ上ったときに突然の雨に遭い、同じく雨具を持たないでいた藤枝沙穂流という美しい女性と出会います。

後にその女性に再度会いたくて、忘れ物の手帳を頼りに書かれていた住所を探しますが、藤枝という家はあっても藤枝沙穂流という女性は存在しませんでした。

一方、藤枝沙穂流もまた滝水から預かっていたリュックカバーに書かれていた住所を頼りに滝水を探しますが、その住所に滝水という人物はいませんでした。

しかし、再度白鳥山の件の洞窟へ行くと、藤枝沙穂流からの手紙の入った箱が置いていあったのです。

 

本作は、物語が単純であるだけに、設定や展開が簡単に過ぎるという印象は否めず、、梶尾真治のタイムトラベルものの面白さという点では『クロノス・ジョウンターの伝説』や『つばき、時跳び』のような作品の方に軍配が上がるかもしれません。

 

 

ただ、軽く、気楽に読めるわりには二人のロマンスは心惹かれます。そこは梶尾真治という作家の筆の力なのでしょう。

軽い気持ちで読むには適した作品だと思います。

 

ちなみに、本書も「キャラメルボックス」という演劇集団により「すべての風景の中にあなたがいます」というタイトルで舞台化されています。

名乗らじ 空也十番勝負(八)

名乗らじ 空也十番勝負(八)』とは

 

本書『名乗らじ 空也十番勝負(八)』は『空也十番勝負シリーズ』の第八弾で、2022年9月に336頁の文庫本書き下ろしで出版された長編の痛快時代小説です。

シリーズも終盤近くなり、空也の存在も一段と剣豪らしくなっていて、まさに王道の痛快時代小説としてファンタジックな小気味のいい一冊となっています。

 

名乗らじ 空也十番勝負(八)』の簡単なあらすじ

 

安芸広島城下で空也は、自らを狙う武者修行者、佐伯彦次郎の存在を知る。武者修行の最後の地を高野山の麓、内八葉外八葉の姥捨の郷と定め、彦次郎との無用な戦いを避けながら旅を続ける空也。京都愛宕山の修験道で修行の日々を送る中、彦次郎は空也を追い、修行の最後を見届けるため霧子、眉月が江戸から姥捨の郷に入った。(「BOOK」データベースより)

 

名乗らじ 空也十番勝負(八)』の感想

 

本書『名乗らじ 空也十番勝負(八)』は『空也十番勝負シリーズ』の第八弾で、あり得ない強さを持つ主人公の坂崎空也の物語です。

異変ありや』では上海でのヒーロー空也の姿があり、『風に訊け』では痛快時代小説の定番ともいえるお家騒動ものがあって、それぞれに異なった顔を見せていました。

そして本書『名乗らじ 空也十番勝負(八)』では武者修行中の若武者の大活躍が描かれた痛快時代小説と、これまた王道のエンターテイメント時代小説です。

 

本『空也十番勝負シリーズ』の主人公坂崎空也は、単に無類の強さを誇るだけではなく、毎日一万回を超える素振りを欠かさないというその人格態度も含めて完璧な人間です。

空也は現実にはあり得ない強さを持つ痛快小説の主人公として、スーパーマン的存在といえるのです。

大衆小説としての痛快時代小説の主人公は皆無類の強さをもつものですが、本書の空也はまさに非の打ち所がありません。

父磐根の親友を斬ったという悲惨な過去も持たず、また斗酒なお辞さない酒飲みである小籐次のような嗜好もありません。

その点では、空也のような若者などいない、と遠ざける人もいそうな気さえするほどであり、そういう意味も込めて冒頭にはファンタジックな物語と書いたのです。

 

本書『名乗らじ 空也十番勝負(八)』での坂崎空也は、武者修行中の身ではあるものの、江戸の高名な道場の跡取りであることまでも知られている若侍です。

空也自身の人間性はもちろん、そうしたある種有名人ということもあって、安芸広島城下の間宮一刀流道場で暖かく迎え入れてもらえます。

この間宮道場は、前巻の『風に訊け 空也十番勝負(七)』でほんの少しだけ登場していた佐伯彦次郎という武者修行中の若侍がいた道場でした。

金十両という金を賭けて立ち合い、その金をもって修行の旅費とする佐伯彦次郎の生き方は空也には真似のできないものであり、また佐伯彦次郎の故里でも、剣を学んだ道場でも受け入れてはもらえない修行の方法だったのです。

その間宮道場で快く受け入れてもらえ、修行に励む空也でしたが、自分との対決を望んでいるらしい佐伯彦次郎との争いを避け、山陽路を東へと旅立ちます。

播磨姫路城下へと辿り着いた空也は、無外流の道場から追い出された撞木玄太左衛門という男が破れ寺の庭先で町人らを相手に教えている道場で修行をすることになります。

その撞木玄太左衛門という人物もまた高潔な男であり、空也は辻無外流道場の追手から彼を助けながらも江戸の坂崎道場へと誘うのです。

一方、江戸では尚武館へ豊後杵築藩出身の真心影流の兵頭留助という男が何も知らないままに道場破りとして現れていました。

この男と、尚武館に入門したての鵜飼武五郎という若侍とが新たに登場しています。

そこに空也からの紹介という撞木玄太左衛門も現れ、より多彩な人物が揃う道場となっているのです。

 

十六歳で武者修行へと旅立った空也も今では二十歳となり、高野山の麓にある空也が生まれた地である姥捨の郷で武者修行を終える旨の文を霧子宛に出しています。

そして、十番勝負の終わりも近い空也の今後がどのような展開になるものなのか、このシリーズの終了後の展開が気になるだけです。

もしかしたら、『空也十番勝負シリーズ』をも含めた『居眠り磐音シリーズ』自体が完結することも考えられます。

作者の「夏には、また新しい物語を届けられるよう、鋭意準備中です。」とも文言が見られるだけです。

出来れば、坂崎磐根、空也親子の物語をまだ読み続けたいと思うのですが、どうなりますか。

ただ、新たな作品を待つばかりです。