爆弾

爆弾』とは

 

本書『爆弾』は、2022年4月に425頁のハードカバーとして刊行され第167回直木賞候補作となった長編のサスペンス小説です。

巻き起こる爆発を阻止すべく交わされる警察と被疑者との間で交わされる心理戦のゲームじみた会話の面白さは群を抜いています。

 

爆弾』の簡単なあらすじ

 

◎第167回直木賞候補作◎
◎各書評で大絶賛!!◎

東京、炎上。正義は、守れるのか。

些細な傷害事件で、とぼけた見た目の中年男が野方署に連行された。
たかが酔っ払いと見くびる警察だが、男は取調べの最中「十時に秋葉原で爆発がある」と予言する。
直後、秋葉原の廃ビルが爆発。まさか、この男“本物”か。さらに男はあっけらかんと告げる。
「ここから三度、次は一時間後に爆発します」。
警察は爆発を止めることができるのか。
爆弾魔の悪意に戦慄する、ノンストップ・ミステリー。内容紹介(出版社より)

 

スズキタゴサクを名乗る自称酔っ払いが、傷害容疑で連行された野方警察署の取調室で、突然秋葉原での爆発を予言した。

事実、予言通りに秋葉原で爆弾が破裂し、スズキはさらに「ここから三度、次は一時間後に爆発します」と告げるのだった。

その一時間後、今度は東京ドームそばで爆発が起き重傷者も出てしまい、警視庁からも特殊班捜査係に所属する二人の刑事が送り込まれてきた。

以降、野方署での警視庁の刑事とスズキとの会話、心理戦は一段と鋭くなり、発せられる言葉の一言ひとことが重要な意味を持ってくるのだった。

 

爆弾』の感想

 

本書『爆弾』は、犯人と目される男と刑事たちとの会話を中心として展開される、第167回直木賞候補作となった長編のサスペンス小説です。

本書で登場する被疑者は、少なくとも見た目は社会の底辺にいると自称する全くさえない中年男性です。

その男と警察官との会話には妙に惹きつけられ、加えて担当官の推理が働く場面はこれまた独特の思考がたどられていて、目を離せなくなります。

 

本書『爆弾』の登場人物としてまず挙げられるのは、たるんだ頬とビール腹をしたさえない風体の、些細な傷害事件で東京都杉並区の野方署に連行されてきたスズキタゴサクと名乗る中年男性です。

このスズキが霊感が働いたとして秋葉原での爆発を予告し、ほかに三度の爆発を予言し、この事件の幕が開けます。

そして、当初は等々力功という刑事がスズキの訊問に送り込まれ、記録係として伊勢という刑事がいましたが、秋葉原での爆発を契機に、警視庁捜査一課特殊班捜査係から清宮類家という二人の刑事が送り込まれます。

爆弾のことはたまにしか霊感が働かず見えないというスズキは、清宮に対し「九つの尻尾」というゲームをしようと持ちかけ、ここから警察とスズキとの心理ゲームが展開されます。

このゲームで交わされる会話の中に次の爆発のヒントが隠されていることに気付く清宮たちですが、そのうちに「ハセベユウコウ」という名が示され、事件は一気に異なる様相を見せ始めます。

それとは別に、スズキの取り調べを外された等々力や、全くの民間人である細野ゆかりという女子高生の行動の描写が効果的に挟まれ、巻き起こった爆発に対する第三者の視点を提供してくれています。

 

清宮や類家という警察官と被疑者であるスズキの会話で見られる相互の会話での畳み掛け、言葉の交錯、類家の解釈による場所の特定などに漂うサスペンス感には思わず引き込まれてしまいました。

ここでの会話は騙し合いの様相を見せながらも当事者たちの必死の心理戦が戦わされていて、読みごたえがあります。

そして、スズキが展開する普通の人間も感じるであろう論理に読者でさえも何となくの共感を覚えたいたりもし、そのこと自体にまた驚いたりもしてしまうのです。

ここらの展開は、「当事者にとって悲劇でしかない事件に対して、安全な場所にいる身で高揚してしまう」という、人間としてあるまじき感情を抱いてしまうという事実をスズキの言動に照らし考えてもらう、という作者の術中にまさにはまっているのです( 本の話 : 参照 )。

 

とはいっても、よく読めば、類家の思考は論理を丁寧に追っているだけだと分かります。ただ、キャラクターに惑わされて独特な思考だと思ってしまったようです。

ただ、その論理を丁寧に追っていくことが普通の人間には難しいのですが。

例えば、物語も終盤に入ったころに類家が爆発のトリガーに気付く場面がありますが、スズキとの会話の中のどこでそのキーワードに気付いたのか私には分かりませんでした。

対象が「動画」であることから単純に気付いたのか、それとも他に理由があるのか分からなかったのです。

 

本書『爆弾』でのスズキと清宮・類家との会話のように、会話で物語が進んでいくものの、その会話のロジックが妙に重く、まとわりつくような印象を持った物語をかつて読んだような気がするのですが、誰の何という作品だったか思い出せません。

あさのあつこの『弥勒シリーズ』がそうした印象に似ているかとも思いましたが、こちらはただ登場人物の交わす会話の中で彼らの「闇」が展開されているだけで、本書のゲーム性を帯びた展開とは異なるようです。

いつか思い出したら書き換えようと思っています。

 

 

ともあれ、本書の著者である呉勝浩という作家の作品は、これまで直木賞に三度候補作として取り上げられていて、そのどの作品も重厚で読みごたえのある作品となっています。

中でも本書は私が好きだった『スワン』を越えたサスペンス小説だと感じるほどでした。

 

 

今後の作品が楽しみな作家であり、続巻を待ちたいと思わせられる作家さんのひとりだと言えます。

木鶏 新・軍鶏侍シリーズ

木鶏 新・軍鶏侍』とは

 

本書『木鶏 新・軍鶏侍』は『新・軍鶏侍シリーズ』の第四弾で、2020年3月に298頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

ただ主人公である源太夫や息子の幸司の日常が描かれるだけの作品ですが、そのゆっくりとした時の流れが心地よい物語です。

 

木鶏』の簡単なあらすじ

 

次席家老の子息の剣術指南に抜擢され、岩倉道場を継ぐ決心を固めた幸司。ところが父源太夫は中老に「御前さまに任された道場は世襲ではない」と釘を刺される。幸司の兄龍彦は遊学中で将来を嘱望される身、これで岩倉家は安泰よと、藩内から羨む声も聞こえ…(『笹濁り』)。軍鶏侍を父に持つゆえの重圧に堪え、前髪立ちの少年が剣友とともに、剣の道を駆け上がる。(「BOOK」データベースより)

 

目次
笹濁り/孟宗の雨/木鶏/若軍鶏/お礼肥

 

笹濁り」 源太夫は、鮠(はや)を釣りながらいまさらながらに亡き権助の博識ぶりを思い出していた。そんな源太夫に中老の芦原讃岐は、源太夫の岩倉道場は世襲ではないということを念押ししてきた。

孟宗の雨」 ある日、道場で稽古を見ている源太夫のもとに弟子の大久保逸実が、祖父で源太夫の相弟子である無逸斎の様子がおかしいので一度会って貰えないかと言ってきた。

木鶏」 岩倉道場に見学に来ていた次席家老九頭目一亀の継嗣である鶴松は、道場の壁面に掲げられた道場訓に見入っていた。その後、年少組の投避稽古をみた鶴松は、自分たちもやると言い出すのだった。

若軍鶏」 源太夫が行っている鶏合わせ(闘鶏)の会を見た鶴松とその学友たちは、闘鶏の奥深さに打たれ自分たちも軍鶏を買うと言い出していた。一方、岩倉道場では、女中のサトの元夫がサトを追い出した姑が死んだので戻ってほしいと言ってきた。

お礼肥」 源太夫と幸司が母屋に戻ると、藩校「千秋館」の教授方の池田秀介、それに花の友人のすみれと布美とが遊びにきていた。そこに酢橘を持ってきた亀吉は、源太夫の屋敷の酢橘の美味さの源である権助の栽培方法について話し始めるのだった。

 

木鶏』の感想

 

本書『木鶏』は『新・軍鶏侍シリーズ』の第四弾ですが、前巻の『羽化』あたりから岩倉源太夫の子ら、特に幸司を中心にこの物語が動くようになっていた流れをそのままに受け継いでいます。

本書ではほかの痛快時代小説とは異なり、悪徳商人やお代官様は登場せず、藩内の争いに巻き込まれる主人公もいなければ、胸のすく剣戟の場面もありません。ただ主人公である源太夫や息子の幸司の日常が描かれるだけです。

その日常も主人公家族が暮らす園瀬藩の美しい自然の中での釣りや、軍鶏の闘いなどが主に描かれ、流れる時間がとてもゆっくりとしています。

そのゆっくりとした情景描写が私にはたまらないのです。

 

幸司の日常と言えば、鶴松とのことが挙げられると思います。

鶴松は次席家老九頭目一亀の継嗣ですが、学友たちの誘いに乗ってしまい藩の道場にも通わなくなってしまったことを心配した一亀により、鶴松に権を教えてくれるように頼まれたものでした。

次席家老の息子であるからということで手を抜かない幸司との稽古により、大きく成長を遂げていく鶴松やその学友たちの姿が描かれています。

同時に、幸司自身も道場主である源太夫の跡継ぎとしての自覚を持ちつつある姿がほほ笑ましく、またすこしの痛みをもって描かれている点も好ましいのです。

 

さらに、本書『木鶏』では前巻で亡くなった下男の権助についての描写が多いことも特徴として得げることができるでしょう。

もともと、この『軍鶏侍シリーズ』ではシリーズ第一巻の『軍鶏侍』から権助の存在がかなりの位置を占めていました。

源太夫が軍鶏を飼い始めたときはもちろん、釣りをする時も権助の助言で助けられており、源太夫に権助とは「何者か」と言わせるほどの存在感を持っていたのです。

権助は源太夫の知恵袋であると同時に、門弟たちの良き相談相手でもありました。第一巻『軍鶏侍』での大村圭二郎や、第四巻『水を出る』での市蔵のことなど、シリーズの中でもいくつかのエピソードが取り上げてあります。

 

こうして、普通の痛快時代小説とは異なる雰囲気を持ったこの『軍鶏侍シリーズ』は、シリーズも新しくなりさらに源太夫自身やその子供たちの成長まで含めた人間味のあふれた成長小説としての一面を強く見せているようです。

その意味では、この作者の他のシリーズである、『ご隠居さんシリーズ』や『めおと相談屋奮闘記シリーズ』のような作者の多方面にわたる知識を展開する物語に近くなっているように思えます。

ただ、そちらの作品は個人的には好みとは異なった空気感を醸し出しているのですが、本シリーズは若干の説教臭さが漂ってはいるものの、なお私の好みに合致するのです。

源太夫とその家族の暮らし、そして各々の生き方は、読者にとっても一読の価値があると思います。

ハヤブサ消防団

ハヤブサ消防団』とは

 

本書『ハヤブサ消防団』は2022年9月にソフトカバーで刊行された、474頁の長編のミステリー小説です。

この作者の『半沢直樹シリーズ』のような痛快小説ではなく、とある町を舞台にした純粋なミステリーであって、若干の期待外れの印象は否めませんでした。

 

ハヤブサ消防団』の簡単なあらすじ

 

連続放火事件に隠されたー真実。東京での暮らしに見切りをつけ、亡き父の故郷であるハヤブサ地区に移り住んだミステリ作家の三馬太郎。地元の人の誘いで居酒屋を訪れた太郎は、消防団に勧誘される。迷った末に入団を決意した太郎だったが、やがてのどかな集落でひそかに進行していた事件の存在を知るー。(「BOOK」データベースより)

 

作家の三馬太郎は、ふと思い立ち、中部地方にある八百万町ハヤブサ地区の亡父の家に移り住むことにした。

その地で、地区の消防団に誘われた太郎は何も分からないままに消防団に参加し、何とか地区の皆に溶け込むことができていた。

しかし、そのうちにこの地区では火災が相次いで起きていることを知り、さらには知人の家からも出火し、住人の一人が死体で発見される事態も起きる。

またこの地区では太陽光発電のためのパネルの設置が目立つようになっていたのだが、その裏で思いもかけない企みが進行していたのだった。

 

ハヤブサ消防団』の感想

 

本書『ハヤブサ消防団』は、中部地方のとある山村を舞台にしたミステリー小説です。

山々に囲まれた八百万町の六つの地区のうちのハヤブサ地区にあった亡き父の家に移り住んだ、三馬太郎という小説家を主人公としています。

太郎は、藤本勘助という男に地区の消防団に誘われ、何も分からないままに参加することとなります。

この消防団は、宮原郁夫を分団長として、副分団長で役場勤めの森野洋輔、大工の中西陽太、洋品店経営者の徳田省吾、多分教師だろう滝井悠人、そして地元の工務店勤務の藤本勘助という面々がいました。

この消防団のたまり場が△(サンカク)という地元の人気店らしい居酒屋です。

それに、太郎と同じように二年くらい前に八百万町に越してきた映像クリエーターの立木彩がいて、ほかに八百万町長の信岡信蔵、S地区警察署長の永野誠一、それに随明寺住職の江西佑らが中心人物として登場します。

ほかにも多くの人物が登場しますが、すべてを紹介するわけにもいきません。

 

そのうちに、ハヤブサ地区内で火事が連続して発生し、さらにとある新興宗教の問題までもが絡んでくるのです。

こうして、連続して発生する火事は失火なのかそれとも放火か。

また、ハヤブサ地区でよく目にするようになった、ハヤブサ地区の景観を台無しにしてるという太陽光発電のパネルの問題もでてきます。

加えて、オルビス・テラエ騎士団という問題を起こした教団のあとを継いでいるらしい、オルビス十字軍と名乗る新興宗教の問題など、次から次へと問題が発生します。

 

たしかに、本書では多くの人物が登場し、その相互の人間関係は複雑に絡み合い、最後まで連続出火やとある人物の死の真実、など犯人像は最後まで絞り切れません。

その点を主人公が調査し、真実の一端に辿り着く描写はそれなりに読みごたえがあります。

 

しかし、最終的に本書が語りたいことは何なのか、よく分からないままに読了することになりました。

そういう意味でも、田舎暮らしを描くうえで避けて通れない人間関係の濃密さなどの描き方が、個人的には今一つの印象です。

消防団の仲間との交流はあり、狭い地域で情報は筒抜けになることなど少しは描いてあるものの、そうしたことは単に背景としてあるだけです。

でも、この点に関しては推理小説である本書でそれほどあげつらうこともないかもしれまん。

 

では、かつてのオウム真理教を思わせる過激な新興宗教の問題としてあるのかと言えば、その点でも新興宗教の不都合な側面などはなく、あくまで本書での特定のグループの特殊さを強調してあるだけです。

そこに、宗教団体としての存在は何もありません。

かといって、タイトルでもある消防団の問題点も特にありませんし、田舎での恋愛模様もありません。

 

結局、本書の舞台で起きた火災と、事件性がはっきりしないある人物の死という事実、そこに絡んでくるオルビス十字軍という特殊集団とのサスペンス感も加味されたミステリーというだけで、何とも焦点がぼけている印象です。

先にも述べたように、これまでのこの池井戸潤という作家の個性があまりにも小気味のいい経済小説という印象が強烈であるために、その印象に引きずられている感はあります。

しかしながら、そうした先入観を取り除いて、純粋なミステリーとして見直しても何となく中途半端な印象は残ります。

 

この池井戸潤の『果つる底なき』は、舞台は銀行であり、池井戸潤お得意の経済小説ではありますが、この作品はまさにミステリーであって、『半沢直樹シリーズ』などのような勧善懲悪形式の痛快経済小説とは異なります。

また、『シャイロックの子供たち』は、銀行という舞台で展開される人間ドラマがミステリーの形式を借りて語られていると言えます。

勧善懲悪の痛快小説ではなく、あくまで銀行を舞台にした新たな構成の、“意外性”というおまけまでついたミステリーです。

こうした作品がある以上は、本書だけが何となくテーマが見えないという感想は的外れではないと思うのです。

 

 

繰り返しますが、池井戸潤という作家の作品だということで、『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』のような痛快企業小説を期待して読むと、裏切られます。

本書は、まさにミステリーであり、そこに痛快小説の要素は全くなく、主人公にストーリーの途中で襲いかかる、そして主人公が乗り越えるべき何らかの難題も、本書ではありません。

「田舎の小説を書」きたいという著者の思いは、消防団という組織を通してそれになりに成功していると思います。

ただ、消防団や皆の集まる居酒屋、そして田舎の風景はいいのですが、先に述べた田舎での過度なまでの人間関係の濃密さの描き方は今一つでした。

結局、まさに普通のミステリー小説である本書は、普通に面白いということはできても、残念ながら池井戸潤という作家に対する高い期待に対して十分に応えた作品だということはできない作品だったと言わざるを得ません。

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』とは

 

本書『御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第二十五弾で、2022年8月に文庫書き下ろしで刊行された、編集者による巻末付録まで入れて365頁の長編の痛快時代小説です。

新・旧の『酔いどれ小籐次シリーズ』全四十五巻が本書をもって終了します。

 

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』の簡単なあらすじ

 

玖珠山中に暮らす刀研ぎの名人「滝の親方」は、小籐次にそっくりだという。もしや赤目一族と繋がりが?森藩の事情を憂う小籐次のもとに藩主・久留島通嘉からの命が届く。「明朝、角牟礼城本丸にて待つ」-山の秘密を知った小籐次は。『御鑓拝借』から始まった物語が見事ここに完結!記念ルポ「森藩・参勤ルートを行く」収録。(「BOOK」データベースより)

 

第一章 山路踊り
森陣屋でしばらく放っておかれた小籐次だったが、連れていかれた陣屋の中庭では、都踊りかとも見紛う山路踊りなる宴が催されているのに驚くばかりだった。翌朝、一人稽古を済ませた駿太郎はなんでも屋のいせ屋正八方を訪ねた。

第二章 二剣競演
久留島武道場で最上と稽古をした駿太郎は小籐次らと共にいせ屋正八を訪ね、鉄砲鍛冶の播磨守國寿師の鍛冶場を訪ねることとなった。その後、國寿の勧めに従い、次直の研ぎを頼むために十一丈滝の親方の求作に会いに向かうのだった。

第三章 血とは
久慈屋に届いた小籐次からの文が空蔵の手により読売へと仕上げられていた。一方小籐次親子は放っておかれ、何日も無視をされたままだったが、やっと森藩主久留島通嘉からの言伝が届いた。

第四章 山か城か
久留島通嘉は、長年の夢のために穴太積みの石垣を完成させていたのだが、しかし、その夢は森藩御取潰しになる夢でもあった。小籐次らが帰る途中、石動源八なる男が待っていた。

第五章 事の終わり
この夜、茶屋の栖鳳楼で嶋内主石らの酒盛りの席に小籐次が現れた。翌日、小籐次の働きを聞き八丁越に来た石動源八は、谷中弥之助、弥三郎兄弟の待ち受けを知るが、そこに小籐次親子が現れるのだった。

終章
文政十年(1827)七月五日、愛宕切通の曹洞宗万年山青松寺で、不在の間に亡くなった新兵衛の弔いが催され、小籐次親子がそれぞれに剣技を披露し、この物語も幕を閉じるのだった。

 

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』の感想

 

本書『御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』は本シリーズの最終巻であり、小籐次親子が旧主久留島通嘉の参勤交代に同行してやっと森藩陣屋へとたどり着いた後の出来事が語られています。

森藩藩主久留島通嘉が小籐次を参勤交代に同行し、国表まで同行するように命じた理由も明らかにされます。

それは、小籐次の物語の最初である『酔いどれ小籐次シリーズ』第一巻『御鑓拝借』へと連なるものであり、最終巻をまとめるのにふさわしい理由付けだったとは思います。

また、その理由付けによって、前巻でも疑問であった藩主の参勤交代の旅での国家老一派の傍若無人な振舞いに対する「設定が甘い」という私の疑問も、それなりに、一応納得できる理由付けが為されたものでした。

そういう点では最終巻として納得できるものだったと言えます。

 

 

しかしながら、この小籐次親子の参勤交代への同行劇全体は、シリーズを通しての評価としては決して満足のいくものではありませんでした。

というのも、最終巻にしては小籐次の敵役としての国家老の存在が小者に過ぎ、今一つの緊張感が見られなかったからです。

この新旧の『”酔いどれ小籐次シリーズ”のシリーズ作品の中でも私が一番好きだった作品だったので、シリーズが終わること自体がまず残念でした。

そして、どうせ終わるのならば、シリーズ第一巻『御鑓拝借』での小籐次の大活躍のように、最終巻らしい活躍をさせてほしかった、という思いがあったのです。

ただ、こうした思いは藩主久留島通嘉が小籐次に同行を命じた理由そのものは納得できるものだったのですから、全く私の身勝手な好みで満足できなかったと言っているに過ぎないとも言えるでしょう。

 

ただ、それだけ市井に生きる小籐次の姿が好きだったのです。

ところが、いつの頃からか小籐次が神格化され、市井に生きる一浪人としての小籐次ではなくなってしまっていたのは残念でした。

このことは、『居眠り磐音シリーズ』でも同じことが言え、普通の腕が立つ浪人であった主人公の磐根が、そのうちに孤高の剣豪へと変っていったのと似ています。

それは、作者の佐伯泰英の変化に伴うものだったのかもしれず、長い間続くシリーズ物では仕方のないことなのでしょう。

それどころか、変化のないシリーズ物は逆に人気を維持できないのかもしれません。

 

 

ともあれ、本『酔いどれ小籐次シリーズ』は本書『御留山』をもって終了しました。

読者としては、作者の佐伯泰英氏にはお疲れ様でしたというほかありません。

ご苦労様でした。

あとは、『吉原裏同心シリーズ』などの他のシリーズ作品へ力を注いでいただけることを楽しみにするばかりです。

 

夜叉萬同心 一輪の花

夜叉萬同心 一輪の花』とは

 

本書『夜叉萬同心 一輪の花』は『夜叉萬同心シリーズ』の第九弾で、2022年2月に340頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

 

夜叉萬同心 一輪の花』の簡単なあらすじ

 

夜叉萬と恐れられ、また揶揄される北町の隠密廻り同心・萬七蔵。品川宿の旅籠・島本が押しこみに遭い、主らが殺害された事件の探索を任される。夫亡き後、島本を守る女将に次なる魔の手が伸びようとしていた。島本には、相州から来た馬喰の権三という男が泊っていたのだがー。品川宿の風景の中で、男女の人生の一瞬が交差する。情感溢れる傑作シリーズ最新作。(「BOOK」データベースより)

 

序 浪士仕切
相模川沿いの明音寺に、四村の村名主と十三人の無宿渡世の浪士たちが、川尻村の麹屋直弼を引受人として浪士仕切契約を結ぼうとしていた。その集まりの隅に、ひっそりと渡世人風体の権三が控えていた。

第一章 品川暮色
品川南本宿の旅籠島本で、主人の佐吉郎が斬られ使用人の一人が殺されるという事件が起きた。萬七蔵が話を聞くと、道中方とも懇意の邑里総九郎という江戸の高利貸が品川宿の南本宿に新しく遊技場を開こうとしている話を聞き込むのだった。

第二章 鳥海橋
七蔵が来た時に島本に宿をとっていた権三は、青江権三郎と名乗っていた二十一歳の自分が島本の先代の女将に助けられたことを思い出していた。また、七蔵は南品川の様子などについて話を聞くのだった。

第三章 店請人
翌日、七蔵は押し込みの一味の逃走の現場にいた怪しい一団の話が道中方の福本にも伝わっていることを知った。一方、手下のお甲から、邑里総九郎は実は甲州無宿の重吉であり、世間を騒がせている天馬党の首領の弥太吉と知り合いである可能性が高いと報告を受けた。

第四章 矢口道
島本では二人の子供が攫われ、丁度居合わせた権三が女将の櫂と浩助と共に天馬党の弥太吉のもとにいる子供たちを助けに向かうのだった。一方、道中方組頭の福本武平は悪事が明らかになり、邑里総九郎は逃亡を図るが七蔵に阻止されていた。

結 旅烏
七蔵は久米と、天馬党の壊滅など、事件のその後について話しているのだった。

 

夜叉萬同心 一輪の花』の感想

 

本書『夜叉萬同心 一輪の花』は、夜叉萬こと夜萬七蔵は脇に回り、島本の女将の権三という流れ者に焦点が当たった、古き義理人情の物語です。

渡世人の権三が若い頃に世話になった品川南本宿の島本という旅籠の主人が殺され、女将の櫂がひとり旅籠を守り苦労していました。

権三は島本に投宿し、一人残された櫂の行く末を案じていたところに、島本の押し込みの一件を調べに来た夜叉萬たちと同宿することになります。

この島本の押し込みをめぐっては、その裏では品川南本宿での遊技場を造る計画が浮かび上がってきます。

こうして、品川南本宿の旅籠島本でおきた事件は、道中方をも巻き込んて闇に葬られようとしているところを、夜叉萬らの探索で明るみに出ることになります。

しかし、島本の恨みを晴らすのは夜叉萬ではなく、権三だった、というのが本書の大枠の流れということになります。

 

つまりは、本書『夜叉萬同心 一輪の花』では権三という渡世人が隠れた主役であり、島本の先代の女将とその娘櫂から若い頃に受けた恩を返すために島本に泊っていたのでした。

本書の作者辻堂魁の作品には、例えば『仕舞屋侍シリーズ』の『夏の雁』や、『日暮し同心始末帖シリーズ』の『天地の螢』などの例を挙げるまでもなく、かつて虐げられた本人、またはその関係者による復讐に絡んだ物語が多いようです。

 

 

本書『夜叉萬同心 一輪の花』も大きくはそうした復讐譚の一つとして挙げられるのかもしれませんが、復讐譚というよりは、ひと昔前に流行った義理人情の絡んだ人情話を根底に持つ仇討ち話というべきでしょうか。

とは言っても、痛快時代小説という物語のジャンル自体が、ある種の復讐譚を一つの構造として持っていると言えそうなので、この点を特徴とするのはおかしいかもしれません。

 

そうした小説としての構造の話はともかく、本書のような痛快時代小説は、浪曲、講談の義理人情話の延長線上にあると言っても過言ではないと思われます。

辻堂魁の描き出す痛快時代小説の作品群では特にそうした印象が強く感じ、本書もその例に漏れないのです。

 

結局、本書『夜叉萬同心 一輪の花』は主人公の夜叉萬こと萬七蔵の活躍が満喫できる作品ではなく、物語の展開自体も若干の甘さが感じられないわけではありません。

しかし、安定した面白さを持っている作品だったと言えるでしょう。

風の海 迷宮の岸

風の海 迷宮の岸』とは

 

本書『風の海 迷宮の岸』は『十二国記シリーズ』の第二弾で、2012年9月に井上朱美氏の解説まで入れて390頁で文庫化された、長編のファンタジー小説です。

 

風の海 迷宮の岸』の簡単なあらすじ

 

幼(いとけな)き麒麟に決断の瞬間が訪れる──神獣である麒麟が王を選び玉座に据える十二国。その一つ戴国(たいこく)麒麟の泰麒(たいき)は、天地を揺るがす<蝕(しょく)>で蓬莱(ほうらい)(日本)に流され、人の子として育った。十年の時を経て故国(くに)へと戻されたが、麒麟の役割を理解できずにいた。我こそはと名乗りを挙げる者たちを前に、この国の命運を担うべき「王」を選ぶことはできるのだろうか。(内容紹介(出版社より))

 

風の海 迷宮の岸』の感想

 

本書『風の海 迷宮の岸』は、戴国の物語であり、幼い麒麟が、自分が何ものであるかも分からないでいるなかで王を選び、その後も自分の決断の是非に悩む姿が描かれています。

本書での主役である麒麟の高里要は、蓬莱、つまり日本で祖母から厳しく育てられているところを異世界へと連れてこられました。

そこは夢のような世界であり、禎衛(ていえい)蓉可(ようか)、そして上は人、下は豹でほかに魚や蜥蜴といった要素を持つ汕子(さんし)という女怪が彼を優しく包んでくれる世界だったのです。

異世界へと連れてこられた彼、つまり戴国の麒麟である泰麒の高里要は、ここ蓬山で生まれたものの、蝕と呼ばれる天変地異のために蓬莱へと流され、そこで女の胎に辿り着いて胎果となり育てられていたのです。

何もわからないままに、優しい性格の泰麒は自分が麒麟として未熟であるために皆に迷惑をかけているのではないかと悩み苦しみます。

王を選ぶために存在しているのが麒麟なのに、自分は麒麟に転変することもできず、王を選ぶという重要な行為を為せないのではないかと悩んでいるのです。

その悩みはいざ王を選定してからも続きます。

自分の選択は自分の我儘から、その人の身近にいたいという個人的な望みから選んでしまったという大いなる間違いではないかというのです。

 

こうして本書は、この世界の根本にかかわる、王は麒麟によって選ばれるという事実を中心に、蓬莱で育ちこの世界のことは何も分からない幼い麒麟の、麒麟としての苦悩が描かれています。

そのことは、いまだこの世界になじんでいない読者の共感も呼びやすいのではないでしょうか。何も分からない麒麟と、いまだ曖昧な理解しかない読者とを共にこの世界になじませるうまい設定だと思います。

前巻のシリーズ第一巻『月の影 影の海』では、やはり蓬莱で高校生になるまで育ち、自分を選んだ麒麟に事情を知らされずにこの世界に連れてこられた女子高生が、麒麟ともはぐれ、まさに何も分からない異世界で苦労する様子が描かれていました。

つまり前巻では麒麟により選ばれた王の目線の話であり、本書は同じ様に蓬莱で育ったまだ幼い麒麟の側の様子が描かれているのです。

そして、シリーズ第三巻の『東の海神 西の滄海』では、麒麟とその麒麟が選んだ王との国造りの様子が描かれるという、わかりやすい構成がとられています。

 

 

繰り返しますが、本シリーズは他のファンタジー物語と異なりその世界の成り立ちからして全く異なる、私たちの世界の理とは異なる世界です。

その世界は四角形の中に十二カ国を有する対照的な世界であって、人は木に成る実から生まれ、妖魔が跋扈する古代中国風の世界です。

それはあたかも孫悟空たちが冒険をする『西遊記』の世界のようでありながら『西遊記』よりも不思議な世界であり、王や麒麟などは不死であって、獣人すら生きているのです。

 

 

このシリーズのストーリーをみても、なかなかに先が読みにくい意外性をもって展開され、読み手としてはただ楽しむばかりです。

不思議に満ちた世界をただ満喫すればいい、そういう物語だと思います。

月の影 影の海

月の影 影の海』とは

 

本書『月の影 影の海』は『十二国記シリーズ』の第一弾で、2012年6月に上下二巻で540頁を超える文庫本として出版された長編のファンタジー小説です。

古代中国を参考にした独特な雰囲気と、堅牢に構築された世界観を持つ世界を、主人公の女子高生が一人生き抜く物語は魅力的でした。

 

月の影 影の海』の簡単なあらすじ

 

「お捜し申し上げました」-女子高生の陽子の許に、ケイキと名乗る男が現れ、跪く。そして海を潜り抜け、地図にない異界へと連れ去った。男とはぐれ一人彷徨う陽子は、出会う者に裏切られ、異形の獣には襲われる。なぜ異邦へ来たのか、戦わねばならないのか。怒濤のごとく押し寄せる苦難を前に、故国へ帰還を誓う少女の「生」への執着が迸る。シリーズ本編となる衝撃の第一作。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

「わたしは、必ず、生きて帰る」-流れ着いた巧国で、容赦なく襲い来る妖魔を相手に、戦い続ける陽子。度重なる裏切りで傷ついた心を救ったのは、“半獣”楽俊との出会いだった。陽子が故国へ戻る手掛かりを求めて、雁国の王を訪ねた二人に、過酷な運命を担う真相が明かされる。全ては、途轍もない「決断」への幕開けに過ぎなかった。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

月の影 影の海』の感想

 

本書『月の影 影の海』は古代中国風の世界観を持つ異世界を舞台にした、一人の少女の冒険活劇風のファンタジーです。

 

主人公である女子高生の中嶋陽子は、突然ケイキと名乗る男に異世界へと連れられますが、途中ケイキとはぐれ、一人置き去りにされてしまいます。

ここがどこで、どういう所かもわからないままに放り出された陽子は、ただ我が家に帰りたいというその一心だけで、ケイキから渡されたひと振りの剣だけを抱え、生き抜いていくのです。

 

このシリーズは『十二国記シリーズ』の項でも書いたように、古代中国の讖緯(しんい)思想が基本にあり、また物語に登場する妖魔などの生き物は『山海経(せんがいきょう)』を参考にしているそうです。

そのため、この物語では陽子は虚海を越えてきたものとして海客と呼ばれているように、世界の成り立ちに関した事柄や、土地や人の名前などに難しい漢字が多用されていて、独特の世界観が構築されています。

また、同じ異世界ファンタジーの雄である上橋菜穂子の紡ぎ出す『鹿の王』のような物語もまた物語世界がきちんと構築されていて、読んでいて何の違和感も感じることなく物語世界に浸っていることが可能であるように、本シリーズもまた独特の世界が構築されているのです。

 

 

そして、本書『月の影 影の海』の特徴と言えば、上記の中国の古代思想を基本にしている独特な世界が舞台であることがまず一番に挙げられると思います。

四角形の世界に存在する十二の国の十二人の王と麒麟。そして、人間も麒麟も木に生り成長し、王は麒麟に選ばれ、不死の命を得るというるという不思議な世界です。

この世界で先の読めない物語が展開しているのです。

 

主人公の陽子が異世界で一人気丈に生き抜いていく姿が描かれていることが二番目に挙げられます。

普通の少女が、生きる、そのことためにひたすら強くなっていきます。ただ家に帰ることを信じて、死ぬことではなく、生き抜くことを選び戦って行く姿は感動的ですらあります。

その陽子の生きざまは、別な見方をすれば一級の冒険小説であり、物語も後半になるとクライマックスへ向けてひた走ることになります。

 

月の影 影の海』は、そんな主人公を中心とした登場人物も様々であり、またユニークです。

まず、主人公の中嶋陽子は普通の高校生でしたが、異世界へ放り込まれ強くなっていきます。

その陽子を異世界へと導いたのは霊獣である麒麟のケイキ即ち景麒であり、陽子をこの世界へ導いたのはいいのですが、すぐにはぐれてしまいます。

その陽子を助けたのが、ネズミの姿をした半獣の楽俊であり、陽子を雁国へと連れて行ってくれます。

他にも多くの人物、妖獣が登場しますが、まずは本シリーズの物語世界の紹介を兼ねたこの物語を堪能することが先でしょう。

 

本書『月の影 影の海』の舞台は巧州国から雁州国へと移り、陽子がこの世界へ招かれた理由も明らかになります。そして、この世界の成り立ち、構造も順次説明されていき、読者は本シリーズの世界観に慣れ、物語世界へ取り込まれることになります。

本書のあと、巻ごとに主人公は変わり、舞台となる国もまた変化するようで、その途中でまた本書の主人公も再び登場することでしょう。

これまで読んでこなかったことを残念に思うほどに引き込まれてしまいましたが、でも、そのことはこれから続巻を読む楽しみがあるということでもあります。

ぼちぼち読み進めたいと思います。

十二国記シリーズ

十二国記シリーズ』とは

 

本『十二国記シリーズ』は、古代中国の思想をベースにした壮大なファンタジーです。

麒麟と、その麒麟が選んだ王により統治された十二の国ならなる異世界を舞台に、それぞれの国の麒麟と王が自分の国をいかに統治するかが描かれます。

 

十二国記シリーズ』の作品

 

十二国記シリーズ(2022年11月09日現在)

  1. 月の影 影の海
  2. 風の海 迷宮の岸
  3. 東の海神 西の滄海
  4. 風の万里 黎明の空
  5. 丕緒の鳥
  1. 図南の翼
  2. 華胥の幽夢
  3. 黄昏の岸 曉の天
  4. 白銀の墟 玄の月

十二国記シリーズ 別巻(2022年11月09日現在)

  1. 魔性の子 ( 本シリーズの前日譚 )
  2. 漂舶 ( ドラマCD 『東の海神 西の滄海』の後日譚 )

 

十二国記シリーズ』の簡単な内容紹介

 

「必ず、生きて還る」・・・平凡に生きる少女の人生は苦難の旅路で一変。迸(ほとばし)る生への執着を描く、『魔性の子』に続く物語。
「十二国記」の世界
「王」と「麒麟」が織りなす、その世界の仕組みとは・・・
我々が住む世界と、地球上には存在しない異世界とを舞台に繰り広げられる、壮大なファンタジー。二つの世界は、『蝕』と呼ばれる現象によってのみ、つながっている。
異世界では、神々が棲むという五山を戴く黄海を、慶、奏、範、柳、雁、恭、才、巧、戴、舜、芳、漣の十二の国々が、幾何学模様のような形で取り囲んでいる。
それぞれの国には、霊獣である麒麟がおり、天啓によって王を見出し、玉座に据える。そして王は、天啓のある限り永遠の命を持ち、国を治め、麒麟はそれを補佐する。
しかし、〈道〉を誤れば、その命は失われる。気候・慣習・政治形態などが異なる国々で、懸命に生きる市井の民、政変に翻弄される王、理想の国家を目指す官吏などが、丹念に綴りつづけられている壮大な物語である。( 内容紹介 )

 

シリーズの具体的な内容については、シリーズ第一巻『月の影 影の海』のあとがきで北上次郎氏が簡単にまとめておられましたので、そちらを借りましょう。

第一巻『月の影 影の海』は、女子高生の中嶋陽子が主人公の物語です。

ある日突然、異世界から迎えに来たとい人物が現れ、襲い来る妖魔を避けその人物についていくと、そこは「巧」という国であり、陽子は何も分からないままに、ただもとの世界へ帰ることを望み生き抜く姿が描かれます。

この第一巻で、この世界には十二の国があり、それぞれの国に霊獣の麒麟により選ばれて不死となった王がいる、という異世界の様子が少しずつ明らかにされていきます。

第二巻『風の海 迷宮の岸』は、王が不在の戴国の物語で、幼い麒麟の側からの目線で描いてあります。

第三巻『東の海神 西の滄海』は、第一巻にも登場していた雁王の小松尚隆と麒麟の六太の国造りの物語です。

第四巻『風の万里 黎明の空』は、慶国の陽子、芳国の祥瓊、才国の鈴という三つの国の三人の女性の物語です。

第五巻『丕緒の鳥』は、恭の国の十二歳の少女株晶の麒麟探しを描くロードノベル。

第六巻『図南の翼』は、戴国の女将軍が慶国に助力を頼みにくるところから始まる物語。

この後は書かれていないので、以降判明し次第書き足していきます。

 

十二国記シリーズ』について

 

本シリーズは、「古代中国の讖緯(しんい)思想をベースにされている」物語だそうです( 新潮文庫メール アーカイブス : 参照 )。

ここで讖緯とは、古代中国で行われた予言のことです。本シリーズの詳しい出版状況や内容については、ウィキペディアに詳しく書いてあります。

ウィキペディアの内容を簡単に記しておきますと、本シリーズはもともと講談社X文庫ホワイトハートから出版されていましたが、人気に火がつき、2000年から講談社文庫から一般向けとして出版されました。その後、担当編集者の移籍に伴い、2012年4月に新潮社から出版されることになったものです。

また、本シリーズの内容についても「本シリーズは、同一の世界設定の中で作品ごとに別の国・別の時代・別の主人公を持ち、執筆順と作品内での時間軸が前後する形でストーリーが展開されている。」とありました( ウィキペディア : 参照 )。

 

とにかく、本『十二国記シリーズ』は物語世界がきちんと構築されていてほころびを感じられず、その上で展開される物語の面白さが群を抜いています。

それは、北上次郎氏が書かれているように、人が生き抜くこと、人が人として生きる上での本分などの太いテーマがこの物語の底に力強く流れているからでしょう。

読んでいくにつれ、人に対する信頼や生きることの尊厳などを自然と考えざるを得ない、しかし変に理屈っぽくなくその意味が素直に読み取れるのです。

さらに言えば、表紙、挿絵を担当している山田章博の画が素晴らしく、物語の雰囲気を高めてくれています。

 

ファンタジーと言えば上橋菜穂子辻村深月高田大介など読みごたえのある作品を書かれる作家さんたちが日本でも多くみられるようになりました。

喜ばしい限りです。

これらの作家さんたちの作品を今後も読み続けたいと思っています。

 

ちなみに、本『十二国記シリーズ』はNHKBS2の衛星アニメ劇場枠内で、2002年4月9日から2003年8月30日にかけて放送されたそうです( ウィキペディア : 参照 )。

希望の糸

希望の糸』とは

 

本書『希望の糸』は『加賀恭一郎シリーズ』の第十一弾で、2019年7月に刊行されて2022年7月に400頁で文庫化された、長編の推理小説です。

一旦終了したものと思っていた本シリーズですが、意外な形での再登場となった本書はさすがの面白さを持った作品でした。

 

希望の糸』の簡単なあらすじ

 

小さな喫茶店を営む女性が殺された。加賀と松宮が捜査しても被害者に関する手がかりは善人というだけ。彼女の不可解な行動を調べると、ある少女の存在が浮上する。一方、金沢で一人の男性が息を引き取ろうとしていた。彼の遺言書には意外な人物の名前があった。彼女や彼が追い求めた希望とは何だったのか。(「BOOK」データベースより)

 

希望の糸』の感想

 

本書『希望の糸』は、引き起こされた殺人事件の動機に焦点があてられた、悲しく、せつなさにあふれた物語です。

本書ではシリーズのこれまでの主人公である加賀恭一郎ではなく、恭一郎の従妹である松宮脩平が物語の中心となっています。

加賀恭一郎は、松宮が属する本部のまとめ役として登場し、要となる場面で重要な役割を果たすのです。

 

登場人物としては、まずは殺人事件の被害者である花塚弥生という五十一歳の女性がいます。「弥生茶屋」というカフェの経営者であり、誰に聞いても「いい人」という評判しか聞こえてこない、殺されるべき理由も見当たらない人物です。

この花塚弥生の関係者として弥生の元夫の綿貫哲彦がおり、現在の彼の内縁の妻として中屋多由子という女性がいます。

次いで、殺された花塚弥生の店をよく訪ねていて本事件の重要容疑者となったのが汐見行伸であり、その家族が娘の萌奈で、妻の怜子は早くに亡くなったため信之が萌奈を男で一つで育てているのです。

そしてもう一組、物語に重要な役割を果たす家族がいますが、それが金沢の高級旅館の女将である芳原亜矢子と死を目前にした亜矢子の父親の芳原真次であり、そこに関係してくるのが松宮脩平です。

芳原亜矢子が自分の父の芳原真次が松宮脩平の父親だと突然に松宮の前に表れ、読者に「家族」というものあらためて考えさせることになるのです。

 

本書『希望の糸』は犯人探しとその意外性というミステリーの王道の面ももちろんあり、それはそれで物語として面白く読んだ作品です。

ただ、本書の主眼はその犯人探しではなく、犯行の動機にあります。本書での殺人事件の犯人が判明してからが本書の主要なテーマが明らかになっていくのです。

もちろん、そこの詳細をここに書くわけにはいきませんが、心を打つ、悲しみに満ちた物語が展開されていきます。

「家族」というもののあり方、さらには親子の関係など、読んでいくうちに自然と問いかけられ、自分なりに考え、答えを探していることに気付きます。

すぐに明確な答えが出る筈のものではありませんが、それでも「家族」について考えるそのきっかけにはなるのではないでしょうか。

 

東野圭吾の作品だけでなく、ミステリーの形式を借りて語られる胸を打つ物語は少なからず存在します。

そのほとんどは犯行の動機に斟酌すべき側面があるというものであり、そのほとんどは利他的な側面を持つ行動の結果、犯罪行為に至るというものでしょう。

例えば近年の作家ですぐに思い出す作品といえば、柚月裕子の『佐方貞人シリーズ』などがあります。

 

 

また、利他的行為という意味とは少し異なりますが、近年私が注目している青山文平砂原浩太朗という時代小説の作家さんも、ミステリーの手法を借りた胸を打つ作品を書かれています。

例えば前者では『やっと訪れた春に 』を、後者では『黛家の兄弟』などをその例として挙げることができると思います。

共に、私欲ではなく侍としての生きざまを貫く生き方を描いた読みやすい、しかし読みごたえのある作品です。

 

 

繰り返しになりますが、本書『希望の糸』は、事件のきっかけのある言葉が物語の序盤から示されていて、最後の最後に犯罪の実際が明かされてはじめて伏線だったことが分かるなど、ミステリーとしての面白さも十分にある物語です。

その上で家族や親子、そして人間としての生き方も含め、読者に考えることを強いる物語だとも言えそうです。

東野圭吾らしく視覚的で分かり易い文章で加賀恭一郎や松宮脩平といった探偵役の刑事たちの姿を浮かび上がらせ、この犯罪で振り回される人たちの様子を描き出してあります。

 

本書『希望の糸』では、主人公が加賀恭一郎から松宮脩平へと移っているからでしょうか、『加賀恭一郎シリーズ』のスピンオフ作品だと紹介してあるサイトもあるようです。

しかし、加賀恭一郎も登場しそれなりの活躍も見せていますので、ここでは『加賀恭一郎シリーズ』の一冊として紹介しています。

 

やはり東野圭吾の作品は面白い、そう思わせられる作品でした。

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』とは

 

本書『八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第六弾で、2022年7月に336頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

 

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』の簡単なあらすじ

 

頭成の湊に着き、森藩の国家老・嶋内と商人・小坂屋の不穏な結びつきを知った小籐次は、ある過去の出来事を思い出した。一方、瀬戸内海の旅を経て新技「刹那の剣」を生み出した駿太郎は、剣術家としての生き方を問うべく大山積神社での勝負に臨むー。森城下を目指す参勤の一行を難所・八丁越で待ち受ける十二人の刺客とは!(「BOOK」データベースより)

 

大山積の石垣
文政十三年(1827)、小籐次たちはやっと速見郡辻間村頭成の湊へとたどり着いた。駿太郎は船問屋の塩屋で待つ間、塩屋の武道場で来島水軍流序の舞を奉納し、翌朝、塩屋の娘のお海から、お海の兄は小坂屋の新頭成組頭領の朝霞八郎兵衛に殺されたという話を聞かされた。

剣術とは
その後、小籐次はかつて関わりがあった小坂屋に会いに行き、当時の詳細を語るのだった。一方、駿太郎のもとには立ち会う約束をしていた朝霞八郎兵衛から文が届いていたものの、小籐次はそれに対し何もしないままであり、駿太郎は一人立ち合いに向かうのだった。

野湯と親子岩
森城下へと向かうその朝、小坂屋金左衛門は小籐次に自分の勘違いだったと告げるが、小籐次は小坂屋の言葉はそのままには受け取れないというのだった。行列は明礬山の照湯に投宿したが、人足の留次の案内で野湯へと行く駿太郎のもとには、一人の剣術家が試合を挑んできた。

十二人の刺客
三河では薫子姫のもとに江戸の老中青山忠裕からの手紙が届いていた。一方、小籐次親子の姿が行列から消えていた。深い霧がかかるなか行列が八丁越に差し掛かると、参勤行列の一行に矢や鉄砲が仕掛けられるが、最上が現れて𠮟りつけ、これをしりぞけるのだった。

新兵衛の死
玖珠街道では八丁越の霧が晴れると石畳には小籐次が佇んでいて、林埼との立ち合いは一瞬で終わった。やっと行列が陣屋に到着した後、駿太郎はなんでも屋のいせ屋正八方を訪ね、小籐次は森藩久留島家の表向玄関の一角の控えの間に一刻以上も待たされていた。

 

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』の感想

 

本書『八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』は、頭成の湊にたどり着いてから森藩陣屋に至るまでの出来事を記しただけの作品です。

本書では、玖珠街道今宿村辺りが舞台となっていますが、佐伯泰英の作品では、物語の流れに合わせて話の中に登場する土地土地の事情や、来歴などが詳しく描写してあります。

例えば『空也十番勝負シリーズ』の『声なき蝉』では、肥後国の人吉や薩摩藩などの描写があり、本書での描写以上に心が躍ったものです。

それが、今回は別府から湯布院へとの旅路が語られるのですから隣県に住む身としては、よく聞く地名が登場するとやはり心が騒ぎます。

ちなみに、序盤で出てきた「勧請」という言葉を知りませんでした。調べてみると、「神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること」を言うそうです( goo国語辞書 : 参照 )。

 

前巻『狂う潮』もそうでしたが、本書『八丁越』は、小籐次と駿太郎の森藩藩主久留島通嘉の参勤交代に同行しての旅の様子を描くだけの話の続編であり、小籐次の、また小籐次親子の物語として目新しいものでもありません。

さらに言えば、そもそも森藩藩主久留島通嘉の参勤交代の旅に反藩主派の国家老一派である御用人頭の水元忠義と船奉行の三崎義左衛門もに同行し、その水元の命により小籐次たちを亡き者にしようという一団が参勤交代の行列に襲い掛かってくるというのですから、どうにも設定が甘いという印象がぬぐえません。

それだけ反藩主派の力が強いと言えばそれまでですが、どうにもその状況をそのままに受け入れることが難しいのです。(この点は、後にそれなりに理由付けがなされるので、私の勘違いだったということが明らかになります。)

 

また、刺客の頭領の林埼郷右衛門も一応は武芸者として尋常の勝負として小籐次の前に立ちふさがるという設定そのものはいいのですが、そうであれば、刺客としてではなく、いち武芸者として立ち合いを願うこともできたのではないという気もします。

尋常の立ち会いを願うのであれば、刺客としての依頼を受けること自体が変、とも感じてしまうのです。

しかしながら、以前にも書いた気がしますが、痛快時代小説作品としては、この程度の物語の流れはある程度は認めるべきなのかもしれません。

 

とはいえ、本書では森藩の飛び地である頭成の湊での船問屋の塩屋という新たな商人との繋がりを得るなど、物語の展開に新たな要素が持ち込まれてもいて、全く面白くない作品だというわけではありません。

駿太郎が三島丸での船旅で得た自分なりの剣として「刹那の剣」を編み出し、剣客としてさらに成長を見せていることも楽しみの一つではあります。

 

ただ、なにより残念なのは、本シリーズも余すところあと一冊となっていることです。

本来であれば、武芸者として大きな成長を見せている駿太郎のあらたな活躍を中心に、その背後に小籐次が控える、という物語の展開もあってよさそうな気もします。

でも、作者が、中途半端に歳をとった小籐次をその年齢以上の活躍をさせるのもいかがなものか、という判断をされた結果なのでしょう。

不自然な小籐次の物語を読むよりはいいのかもしれません。

 

森藩藩主久留島通嘉の思惑も未だよく分かっていませんし、国家老嶋内主石との対決も最終巻へと持ち越されています。

そしてもう一点、三河にいる薫子姫と小籐次一家との関係も未だ確定しているわけではありません。

そうした諸々の未解決の事柄を残したまま最終巻へとなだれ込むことになります。

 

この『酔いどれ小籐次シリーズ』も旧シリーズ十九巻、新シリーズ二十五巻、それに別巻一冊を合わせて全四十五巻をもって完結することになります。

佐伯泰英という時代小説作家の作品の中で個人的には一番好きなシリーズでもありましたので、非常に残念な思いです。

もしかしたら、『居眠り磐音シリーズ』と同様に、駿太郎の物語として新たなものが語りが続いてくれないか、と願うばかりです。

とりあえず、残りあと一巻を待ちたいと思います。