完本 妻は、くノ一(五) 国境の南/濤の彼方

度重なる刺客との戦いに疲れ果てた織江。彦馬をあきらめれば、一人で逃げ切れるかもしれない―。思いに揺れる織江にはしかし、新たな刺客が迫っていた。一方、彦馬は松浦静山に諸外国を巡るよう命じられ、長崎へ向かった。そこで彦馬は、一緒に日本を脱出するため織江を待ち続ける。果たして二人に安住の地はあるのか?そして長崎での最終決戦の行方は?著者代表シリーズ完全版、遂に完結!最後の特別新作収録。(「BOOK」データベースより)

 

妻は、くノ一 シリーズ」完本版第五(最終)巻の長編痛快時代小説です。

 

いよいよ本シリーズの最終巻となってしまいましたが、思ったよりも淡々とした終わり方でした。

あらためて考えると、このシリーズはシリアスな時代小説ではなく、いわばファンタジー時代劇といっても良さそうな軽快で、ほのぼのとした雰囲気こそ命のシリーズだったのであり、この終わり方こそ当たり前だったのでしょう。

とはいえ、さすがに最終巻ともなると、謎解きばかりをやっているわけにもいかず、襲い来る敵との闘いもはさみながらの長崎への海路の様子が描かれることになります。

 

織江は自分が彦馬をあきらめることで、彦馬への危害も減ると考え、自分に彦馬への恋慕の情を断つように暗示をかけます(序 こころの術)。

その彦馬は、道端のカゴに入った正体不明の薄い紫色のものを食べてしまう女(第一話 なんでも食う女)や、池の中の島にあった望遠鏡が盗まれた謎(第二話 空飛ぶ男)、因幡の白兎の入れ墨を背負った男が殺された秘密(第三話 貴い彫り物)、屋根の上のかかしの謎(第四話 屋根の上のかかし)と、相変わらず日常に巻き起こる様々な謎を解き明かしています。

そんな中、いよいよ彦馬の長崎(実は異国)への旅立ちます。

自己暗示の甲斐もなく彦馬への想いをなお抱いている織江は川村真一郎との死闘に臨み(第五話 満月は凶)、以降は静山や彦馬一行の姿とそのあとを追う織江の姿とが描かれるのです(第六話以降)。

 

先にも述べたように、派手さはないものの、細かな知識をちりばめながら、日常に潜む謎を解きつつ展開されるこの物語ですが、やっとクライマックスを迎えることになりました。

適度なアクション場面も交えながら、細かな謎ときをメインとしつつ、鳥居耀蔵などの歴史上実在した人物を、通常言われている様子とは異なる意外なキャラクターとして登場させているのも一興です。

 

ともあれ、本巻の見どころはやはり長崎までの道のりです。

そこでは静山や彦馬らの船旅があり、それを追う陸上の織江、そして鳥居耀蔵の策略により駆り出された十一代将軍徳川家斉の護衛の四天王という腕利きの刺客の戦いがあります。

ただ、剣戟、もしくは忍びの闘争としてみると少々物足りないとも思いました。でも、そうした緩さこそがこのシリーズの魅力でもあり、なんとも微妙な気持ちで読み進めたものです。

 

とはいえ、物語は一応のエンディングを向かえます。いかにも風野真知雄らしい、エンターテイメントに富んだ作品だったと言えます。

文字通り気楽に読める本シリーズでしたが、一応の結末を見ながらも、この後続編が書かれることになります。

完本 妻は、くノ一(四) 美姫の夢/胸の振子

逢えなくても、せめてそばで愛する夫を守りたい。抜け忍となり逃亡中の織江は、変装し彦馬の周囲を見張っていた。ある日、怪しげな男とすれ違う織江だが、それ以来、奇妙な出来事が起こり始める―新たな討っ手、お庭番最強と謳われる呪術師寒三郎がついに動いたのだった。さらに、織江がよく知るあるくノ一も、元平戸藩主・松浦静山の“幽霊船貿易計画”を手伝う彦馬に接近し始めていて…。書き下ろし短編「ねずみ静山」収録。(「BOOK」データベースより)

 

「妻は、くノ一 シリーズ」完本版第四巻の長編痛快時代小説です。

 

このシリーズも後半に入り、彦馬の江戸での生活も一応の落ち着きを見せています。

彦馬はこれまで同様に、静山の娘清湖姫の持っていた勾玉の用途を突き止め(第一話 夢の玉)、からくり小屋の自在に伸び縮みする竹の謎を解き(第二話 酔狂大名)、損料屋から四人の小僧が四匹の子犬を借りていく理由を見つけ(第三話 四匹の子犬)、赤く色づいたイチョウの葉の謎(第四話 赤いイチョウ)や虫の鳴かない庭と隠居の失踪の謎(第五話 鳴かぬなら)を解き明かしています。

その一方で、お庭番頭領の川村真一郎は宵闇順平が倒れた後、新たに呪術師の寒三郎を呼び寄せて、織江に対して更なる攻撃を目地ていました。

また、本書では新たに静山の娘として清湖姫が登場しており、早速「第一話 夢の玉」で彦馬が解くべき新たな謎を提供しています。この清湖姫は、美貌に恵まれ、快活で、聡明であるにもかかわらず、もはや三十路に近づいている女性で、彦馬に興味を持ったらしいのです。

そして静山自身は、三十年ほど前に悪戯に浮かべた幽霊船が今頃になって再び江戸湾に現れ、船体の「松浦丸」という名前が現れ、窮地に追い込まれていました。

更に彦馬は、寺の前に置き去りにされた駕籠(第六話 おきざり)や銭のような模様があるヘビ(第七話 銭ヘビさま)、壁から出ていた紐(第八話 壁の紐)、着物が透けて見える目薬(第九話 すけすけ)、蕎麦屋で見つけた名古屋という品書き(第十話 年越しのそばとうどん)などの話に隠された謎を解き明かしていきます。

また、神田明神近くにはいつの間にか慈愛に満ちた女将がいる庶民的な「浜路」という飲み屋が人気となっていました。その飲み屋に鳥居燿蔵が通うようになり、同様に原田に連れられた彦馬と出会うのでした。

 

本書では、彦馬の物語に大きな変化はありません。

織江を狙う新たな敵として呪術師寒三郎が現れ、その後、織江を幼いころから知る浜路という女が現れることくらいでしょう。

そういう意味では、ただ淡々と彦馬の謎解きと、織江の静かな戦いが行われるだけと言えないこともありません。物語としての新たな展開を見せない限りは、今後のこのシリーズの在りようが心配にもなります。

強いて言えば、クライマックスに向かって静山が仕掛ける幽霊船の話が少し顔をみせ、更にはシーボルトの名前も見られるようになることなどが挙げられるかもしれません。

ただ、完本としてはこのシリーズもあと一冊となっていますので、シリーズが終わった今の観点でみると心配することは何もないということになります。

そのあと一冊を楽しみにしたいところです。

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

1966年『リボルバー』から1969年『アビイ・ロード』まで、ビートルズのレコーディング現場にいた唯一のエンジニアが語る、ファブ・フォー、創作の秘密の全貌。(「BOOK」データベースより)

 

本書はザ・ビートルズのレコード制作の現場にいた一人のエンジニアの眼を通してみた、ザ・ビートルズの四人の姿を客観的に記した貴重な作品です。

筆者のジェフ・エメリックが参加したザ・ビートルズのアルバムの、1966年の「リボルバー」から1969年の「アビイ・ロード」に至るまでのレコーディング風景を主に書いてあります。

 

 

ほとんどの人にとって、青春時代を語るとき、「ザ・ビートルズ」は必須の話題でしょう。私にとっても勿論、中学時代から高校時代の数年間、そしてそれ以降を語るうえでは欠かせないグループです。

私の高校時代は、なかなかチューニングの合わないニッポン放送のオールナイトニッポンのラジオ放送を聞き、カレッジフォークを聞いていました。決して欧米のロックンロールではなかったのです。

しかし多くの人と同じく、映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』や『ヘルプ!4人はアイドル』などのザ・ビートルズの映画に影響され、私も遅まきながら彼らの歌声に魅せられていったのでした。

その後は、ラグビー仲間で熱狂的と言ってもいいザ・ビートルズファンの友人の影響もあり、私も人一倍のファンとなったのです。

こうした思い出は、当時のザ・ビートルズファンであれば誰でも語ることができるでしょう。

 

 

本書は、当然ですが、あくまでジェフ・エメリックというエンジニア個人の眼を通してみたザ・ビートルズやその周りの人物や出来事を書き記したドキュメンタリー作品です。その点を意識しながら読めばという前提付きですが、かなり面白い作品だったと思います。

また、総頁数は七百頁近くにもなる大部の本ですので、それなりの時間をとっておかなければ読み通せないでしょう。

筆者の主観的作品だとの限定を付けたのは、登場する人物についての評価がこれまで私が見聞きしてきた評価とは異なる部分が少なからずあるからです。

 

本書ではザ・ビートルズの四人の他に多くの人物が登場しますが、そのうち音楽プロデューサーであったジョージ・マーティンやマネージャーのブライアン・エプスタインなど、全くの音楽素人でミーハーにすぎない私でも聞いたことがある人もいます。

そして私は、ザ・ビートルズの成功は上記のジョージ・マーティンやブライアン・エプスタインの力がかなり大きかった、ということを当然のごとく聞かされていました。

しかし、本書で描かれるこの二人は決してそうではありません。筆者によれば、ジョージ・マーティンは目立ちたがり屋であり、ブライアン・エプスタインは得体のしれない人物だと、一言で言えばそうなります。

勿論、二人の音楽的、またマネージメントの手腕はそれぞれに認め、評価はしてあるのですが、特に音作りに関しては自分、つまりは筆者のジェフ・エメリックの功績が大だということを再三にわたり書いてあります。

音楽エンジニアという職業の内容を知らず、筆者の書いている技術的なことはほとんど理解できない私ですから、彼らの仕事面に対する筆者による評価が正当なものかどうかはわかりません。

ただ、筆者がグラミー賞などの客観的な賞を何度も受賞されていることからも、技術面では間違っていることは書いてないのでしょう。でも、人間性についてはいかがなものか、とは感じました。

 

ザ・ビートルズの四人のメンバーに対する筆者のジェフ・エメリックの評価はかなり偏っているのではないかという印象があるのです。

例えば、リンゴ・スターやジョージ・ハリスンは、本書の初めのほうでは他の二人の影に隠れた自信のない人物として書いてあります。

しかし、リンゴはザ・ビートルズにもと居たドラマーに代わってリズムセクション強化のために選ばれたという話を聞いていたので、きちんとしたリズムを刻めないというリンゴに対する評価は意外なものでした。

また、ジョージにしてもアルバム「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の作成の項で、「ジョージ・ハリスンの曲はジョンやポールの曲に比べてランクが落ちるというのが共通の認識だった」とさえ書いてあるのです。

確かに地味ではあったかもしれませんが、本書で書かれているほどに自信がなかったかというと、これまで聞いていた印象とは異なります。

 

筆者は、この四人の中ではポールと一番仲が良かったらしくポールのことは否定的な評価は書いてありません。というよりも、人間的にも音楽家としても高評価です。

反対にジョンに対しては辛らつです。と言っても、ジョンに対しての悪意を感じるわけではありません。ドラッグの影響もあってか、単純に感情の起伏が激しく、時には他人に対し毒舌を吐き、攻撃的になると、筆者が感じたことを客観的な事実として言っているだけです。

 

本書の著者はザ・ビートルズのレコーディングのエンジニアだった人です。と言ってもレコーディング・エンジニアとはどういう職業なのか、私も含め理解できる人はそうはいないと思います。

レコーディング・エンジニアとは「レコード、CDなどの音楽録音物の制作に従事し、音響の調整と録音などを行う技術者の呼称」( ウィキペディア : 参照 )を言います。

より詳しくは、上記ウィキペディアの該当項目を参照してください。多分、あまり理解できないと思います。少なくとも私はそうでした。

 

ジェフ・エメリックの仕事ぶりに関しては、現代のデジタル音楽で簡単に作り出せる様々な音色を、当時の機械を駆使して演者の要求する音色を作り出しているさまはよくわかりました。

他の人では無しえない音作りをしていたと思われます。

そうした音楽エンジニアである筆者が書いた本なので、本書はレコーディング上の技術的な事柄を中心に書いてあります。本当はそうしたレコーディング上の技術的な事柄を知らないと本書の面白味というか、醍醐味は半減するのかもしれません。

しかし、そうしたことを知らないでも十分に楽しめる本です。事実、本書に書いてある技術的な事柄のほとんどは私は理解できていませんが、四人の人間性など非常に高い関心をもって読み終えることができました。

 

様々なエピソードが述べられた末に、「ホワイト・アルバム」作成の頃、オノ・ヨーコが登場します。既に仲の良い四人組ではなくなっていたザ・ビートルズは、ヨーコの登場を機に更に機能不全に陥っていくのです。

 

 

そして、「アビイ・ロード」を最後にザ・ビートルズは解散してしまいます。ここらの描写は読んでいて寂しいばかりです。

それでも、ジェフ・エメリックは、ザ・ビートルズ解散の原因は「ぼくはヨーコが原因だったとも思わない。・・・アーティストとしての方向性が、もはや折り合いをつけられないほどバラバラになってしまっていたことだと思っていた。」と書いています。

 

 

この「アビイ・ロード」というアルバムのタイトルの決まり方に関しては、ジャケット撮影のためにチベットまで行くことに難色を示したリンゴの、「外で写真を撮って、『アビイ・ロード』というタイトルにすればいい」という一言で決まったと書いてあります。

こうした小さなエピソードの積み重ねは楽しいものですが、本書はエンジニアであるジェフ・エメリックの音作りの苦労に重きが置かれていて、裏話はその間の挿話のようになっています。

それでもなお、本書はザ・ビートルズファンとしては彼らの生きた姿を教えてくれる貴重な本です。

 

その時に対象となっているアルバムを聞きながらの読書は一段と楽しいものでもありました。しかし、心が離れていく彼らの足跡をたどることでもある読書でもあり、その面では寂しいものでもありました。

それと同時に、音楽に携わる人たちの音に対する感覚の鋭さに、あらためて驚かされる作品でもありました。

とはいえ、ファンとして一読していい作品だと思います。楽しいひと時でした。

影の中の影

血も凍る暴虐に見舞われた故郷から秘密を抱えて脱出したウィグル人亡命団と、彼らを取材中のジャーナリスト仁科曜子が、白昼の東京で襲撃された。中国による亡命団抹殺の謀略だ。しかし警察は一切動かない。絶対絶命の状況下、謎の男が救いの手を差しのべる。怜悧な頭脳と最強の格闘技術をそなえた彼の名は、景村瞬一。冒険小説の荒ぶる魂がいま甦る。疾風怒涛のノンストップ・アクション。(「BOOK」データベースより)

 

これぞアクションエンターテイメント小説とでもいうべき、徹底した長編アクション小説です。

 

月村了衛の作品の多くがそうであるように、本書もまた舞台背景として現実の社会を映し出しています。

本書の場合、それは中国のウイグル自治区の問題であり、中国政府の弾圧の問題です。

関心のある方は、例えば

などを見て下さい。

 

たしかに本書の舞台背景こそリアルであり、社会への問題提起を為しているとも思われるのですが、一歩物語が具体的に展開されるようになると、そこから先は荒唐無稽ともいえるアクションの世界が広がっています。

月村了衛のこの手の作品としては『ガンルージュ』や『』などがあります。これらの作品は本書同様にアクション小説としての展開のための舞台をまず設定し、その中で派手としか言いようのないアクションが展開される点で共通しています。

こうした作品での主人公は、基本的には普通の母親であったり、女教師であったりするのですが、実はその世界では名の通ったプロの戦士だという設定です。

ただ、全くの素人も活躍させたりもしており、そこはエンターテイメント小説としての面白さを最優先に考えてあるようです。

 

 

本書の場合も、武道の腕を磨き上げたプロフェッショナルの元公安警察官であるカーガーと呼ばれている男を主人公として、超人的な活躍を見せるヒーローとして据えてあります。

その姿は、近年の映画で言えばキアヌ・リーヴス演じる最強の殺し屋であるジョン・ウィックのようでもあり、諜報員という点ではマット・デイモン演じるジェイソン・ボーンのようでもあります。

 

 

いや、より荒唐無稽と言えそうで、つまりはそうした超人が活躍するアクション小説だということです。

その景村瞬一を中心に、菊原組若頭の新藤を始めとする暴力のプロたちを配し、敵役として中国情報機関の特殊部隊という武闘専門の集団が設けてあります。

彼ら暴力のプロたちがとあるビルという閉鎖空間の中で戦いを繰り広げるのですが、そのさまはまるで映画のダイハードです。そういう意味では現実を無視したアクションであり、先述の月村了衛の作品と同様に劇画的であり、エンターテイメントに徹した物語です。

 

 

この著者は近年は日本の近代史を背景にした作品を多く書かれていますが、本書はそうした傾向になる前の作品であり、先にも述べたように、社会性を持った背景のもと、スーパーヒーローを中心とした男たちの物語として展開しています。

この作者の代表作と言ってもいい『機龍警察シリーズ』の背景もチェチェン紛争など実社会の矛盾点を持ってきてありました。平和日本に暮らす私たちの知らない現実社会では悲惨な現実があるのだということを示してくれています。

 

 

そうした現実を背景としたエンターテイメント小説として、背景は背景として物語のリアリティを出すための一つの手段としてながらも、作者なりの一つの啓蒙手段として捉えていいのではないかと思います。

関心のある人は、それからさらに一歩踏みこんだ調べられてもいいのではないでしょうか。

 

そうしたことはともかく、月村了衛という作家のエンタテイメント小説として楽しんで読んでもらいたい作品です。

おくれ髪―吟味方与力人情控

旗本や諸藩の江戸屋敷、蔵宿から鮮やかに大金を奪い、その金の一部を暮らしに窮する下々の家に投げ入れる盗賊“銀狼”。義賊と噂の盗賊一味の捕縛を命じられた北町奉行所吟味方与力の鼓晋作は、押し込み先では誰も傷つけず、手妻のように犯行を繰り返す賊の手掛かりを求め、過去の似た手口や襲われた武家の共通点を洗い出してゆく。そして、十年前に南北両奉行所を翻弄し、忽然と姿を消した一味にたどりついた。そんな地道な探索の最中、一人の座頭が殺され、その男に借金していた小普請組の御家人一家が離散していたことが判明する。悲運に見舞われ、残された姉弟三人と盗賊の間に隠された因縁とは!?好評を博す長編傑作時代小説第二弾!(「BOOK」データベースより)

 

本書は「吟味方与力人情控」シリーズの第二巻である長編の痛快人情時代小説です。

 

本書ではまた奉行が代わっています。永田備後守正道の死去により榊原主計頭忠之が北町奉行職に就きます。同日、本シリーズの主人公鼓晋作は北町奉行所詮議役吟味方与力は助(すけ)から本役へと昇任しました。

この頃、江戸では銀狼と呼ばれている盗賊の一味が世間を騒がせていました。この銀狼は、大身の旗本や諸藩、並びに蔵前の蔵宿ばかりを狙い、そのうえで奪った金品を貧しい町民に施し義賊と呼ばれていたのです。

北町奉行の榊原主計頭は、癇癪持ち、気短と評されるほどの男であり、前巻の花嵐の一件で手柄を立てた鼓晋作を頭として銀狼捕縛の専従の組を作るよう命じるのでした。

そうするうち、城の市という名の血も涙もないと言われていた金貸しが殺されます。この城の市は柳橋の評判の芸者の花守に入れあげており、いずれ女房にすると言っていました。

銀狼についての調べていくなか、晋作の幼馴染みで隠密廻り方同心の谷川礼介が、十年ほど前まで江戸の町を荒らしていた白狐の一味を追っていた伝助という元岡っ引きを訪ねるよう言ってきました。

 

本書もまた、ひと昔前の出来事が今につながり、鼓晋作らの出番となる話です。

かつて親を殺され、天涯孤独の身になった兄弟が、当時の伝手を頼り生き延び、長じて現在への出来事へと結ばれていきます。

ひと昔前の出来事は切なさにあふれた出来事であり、その切なさを抱えつつ、様々な思惑のなかで銀狼として行動することが宿命のようです。

 

こうした、ひと昔前の出来事を遠因として今につながるというパターンは、辻堂魁の物語の一つの形でもあるようで、本シリーズの第一巻もそうでした。

とはいえ、それぞれの話ごとに話が練られ、読みごたえのある物語として紡がれています。

ただ、前巻でも書いたように現在(2019年9月)の辻堂魁の作品群と比してもかなりの部分で感情過多であり、より通俗的に感じます。

 

そして、今のところ本巻以後このシリーズは書かれていません。

ただ、私は本シリーズが終了とか、完結したという情報には接していません。もしかしたら復活する含みがあるのか、それとも私が知らないところで本シリーズの終了宣言が既になされているものか、全くの不明です。

与力を主人公にした珍しいシリーズでもあり、今の辻堂魁の物語として読み続けたい気もします。

花の嵐―吟味方与力人情控

北町奉行所吟味方与力助・鼓晋作は、江戸町会所七分金積立の使途不明金を探索していた。七つの町を取り締まる平名主・逢坂屋孫四郎を横領の疑いで詮議立てする直前に、孫四郎雇いの書役である藤吉が、姿をくらました。さらに藤吉の住家で、惨殺され血塗れの双親と女房の無残な死体が発見され、まだ乳飲み子の姿が消えていた。この一件は、お調べの手が迫り、使い込みの発覚を恐れた藤吉が錯乱し、一家無理心中を謀ったあと、小名木川に身投げしたとして処理され、藤吉ひとりの仕業として一件落着された。だが、事件から十一年後、使途不明金に関わりのあった者らが次々と殺されてゆく。情けと剣の傑作長編時代小説。全面改稿のリニューアル版!(「BOOK」データベースより)

 

本書は「吟味方与力人情控」シリーズの第一巻である長編の痛快人情時代小説です。

 

これは辻堂魁の小説に限ったことではないのですが、辻堂魁の物語では特に、よく調べられた江戸時代の行政の仕組みを、その仕組みを利用した犯罪などが物語の中心に据えられ、展開している話が多いようです。

本書の場合、それが江戸町会所の七分積立使途不明事件です。

本書本文によりますと、「江戸町会所」とは寛政の改革の折に江戸町民救済施設として常設された金融機関であり、その会所を維持するために設けられた各町入用平均額の余剰分七割を積み立てる貯蓄制度が「七分金積み立て」だそうです。その「使用目的は囲籾買入れ、米蔵の修理、窮民店賃貸付や米銭交付になっている」とありました。

そして本書では、この「七分積立金」の使い込みの責めを負わされた逢坂屋孫四郎雇い書役の藤吉という男の姿が語られています。

 

本「吟味方与力人情控シリーズ」は、該当の項でも書いたように2008年に学研M文庫から出版されたものに大幅に加筆修正され、2015年にコスミック出版から出版されたものです。

即ち、殆ど辻堂魁のデビュー後まもなく書かれた作品と言え、それだけに今の辻堂魁の作品群と比較すると、より通俗性が高いように感じます。

より直接的に感情に訴えかける表現などが多用され、少々くどくも感じました。

修辞法使い方の問題なのか、美文調と言っていいものなのか、こうした技法を何というのかは知りませんが、ストーリーの構成の仕方とも相まって、より通俗的になっているという印象です。

 

こうした作品に接したときにいつも感じるのが、山本周五郎の初期の作品とそれ以外、特に後期の作品との差異です。

初期の作品では講談調の文章がそのままに記されているのに対し、後期の作品での文章の格調の高さは、全く異なる作品となっているのです。

 

従って、私の好みからすると本書は少々くどさを持っている作品だということになるのですが、それでもなお珍しい「与力」を主人公に据えた物語であることもあって、痛快時代小説としての面白さはあると言えるでしょう。

吟味方与力人情控シリーズ

吟味方与力人情控シリーズ(2019年09月10日現在)

  1. 花の嵐
  1. おくれ髪

 

本シリーズは辻堂魁お得意の痛快人情時代小説です。

 

登場人物
鼓晋作  三十二歳 北町奉行所吟味方与力(助)
鼓晋高江 晋作の妻
鼓晋又右衛門 晋作の父
鼓晋喜多乃 晋作の母
鼓晋苑 晋作の長女 三歳
鼓晋麟太郎 晋作の長男 誕生したばかり
相田翔兵衛 晋作の家人

春原繁太  北町奉行所定町廻り方同心
権野重治  北町奉行所臨時廻り方同心
戸塚宗次郎 晋作の同僚
谷川礼介  隠密廻り方同心 晋作の幼馴染み
桂木(お澤) 梓巫女 谷川の手先の一人

永田備後守正道 北町奉行 文化8年(1811年)に小田切土佐守直年のあとを継いだ
榊原主計守忠之 北町奉行 文政2年(1811年)に永田備後守正道のあとを継いだ
柚木常朝 主任
小木曾勘三郎 徒士目付 二十八歳

 

辻堂魁の他の作品群と同じく、切なさをベースにした物語と言っていいでしょう。

強者により虐げられた弱き者たちが年月を経て復讐を果たしたり(第一巻 花の嵐)、貧乏ゆえに強欲な金貸しに辱めを受けた一家が復讐を果たしたり(第二巻 おくれ髪)するのです。

 

ただ、普通の痛快時代小説と異なるのは、主人公が与力だということです。

ここに「与力」とは、江戸時代以前では「加勢する人」や有力武将(寄親)に対する在地土豪という意味の「寄子」という意味で使われることが多かったそうです。

江戸時代では「諸奉行・大番頭(がしら)・書院番頭などの支配下でこれを補佐する役の者」( コトバンク : 参照 )を意味し、特に時代小説では「町奉行配下の町方与力」を指すことが多く、本書でもこの意味での「与力」が使われています。

ただ、この意味での与力にも「町奉行個人から俸禄を受ける家臣である内与力」と普通の「奉行所に所属する官吏としての通常の与力」とがあり、本書の鼓晋作はこの「官吏としての通常の与力」を意味します( ウィキペディア : 参照 )。

その上での「吟味方与力」とは、「出入筋(公事 = 民事訴訟)・吟味筋(刑事裁判)を問わず、裁判を担当する役務で、容疑者の取り調べも行なう。」そうです( ウィキペディア : 参照 )。

この吟味方与力である主人公鼓晋作が本シリーズでは特別に配された配下の者を動かし、事件解決に邁進します。

 

同心」という言葉も本来は「江戸幕府の下級役人のひとつ」ですが、「江戸幕府成立時、徳川家直参の足軽を全て同心とした」ため、「鉄砲組の百人組、郷士の八王子千人同心等、様々な同心職ができ」たそうです( ウィキペディア : 参照 )

「八王子千人同心」などは時代小説にもよく登場するので聞いたことがある方は多いと思います。例えば『風塵 風の市兵衛』は蝦夷地に入植した八王子千人同心の悲劇がテーマになっていました。

 

 

ともあれ、主人公鼓晋作が仲間の力を借りつつ、事件を解決していくという王道の痛快時代小説です。

ただ、もともとは学研M文庫から2008年に出版されていた作品で、殆どデビュー直後に書かれた作品だからでしょうか、今の作風からすると文章もかなり美文調と言っていいのかはわかりませんが、通俗性が高いように感じます。

そうしたことが原因かどうかはわかりませんが、本シリーズは現時点(2019年9月11日)では二冊しか刊行されていません。

それでもなお今に通じるストーリーの面白さは既に読み取れるのであり、その後ベストセラー作家へとなられたのも当然かと思います。

 

なお、本書に登場する北町奉行の小田切土佐守直年や永田備後守正道、それに同心の春原繁太は同じ辻堂魁の人気シリーズ『夜叉萬同心シリーズ』や『日暮し同心始末帖シリーズ』にも登場しています。

夜叉萬同心シリーズ』と『日暮し同心始末帖シリーズ』とは舞台を共通にしていることが明記されていますが、本『吟味方与力人情控シリーズ』は単に実在した奉行名を使用した、また作者が春原繁太という名を気に入ったというににすぎず、独立したシリーズと考えるべきでしょう。

ストロベリーナイト

溜め池近くの植え込みから、ビニールシートに包まれた男の惨殺死体が発見された。警視庁捜査一課の警部補・姫川玲子は、これが単独の殺人事件で終わらないことに気づく。捜査で浮上した謎の言葉「ストロベリーナイト」が意味するものは?クセ者揃いの刑事たちとともに悪戦苦闘の末、辿り着いたのは、あまりにも衝撃的な事実だった。人気シリーズ、待望の文庫化始動。(「BOOK」データベースより)

 

誉田哲也の人気シリーズ『姫川玲子シリーズ』の第一弾の長編推理小説です。

ジウサーガ』を全巻読み直し、更に『姫川玲子シリーズ』も再読しようと、ふたたび読み始めたところです。

 

 

物語のあらすじ自体は上記の『「BOOK」データベース』のとおりですが、本書の面白さは『姫川玲子シリーズ』の項で書いたように、第一にキャラクターの造形にあると思います。

そうしたキャラたちの軽妙な、それでいてポイントを押さえた会話があって、第二の面白さの理由である魅力的なストーリーが展開されるのです。

ただ、誉田哲也の作品ですからグロテスクな描写は避けては通れません。

本書も冒頭から糞尿絡みの殺人の場面が展開されます。その後に姫川玲子が登場します。

 

監察医の國奥と死体を焼く話をしながら食事をしているところに今泉十係長警部から殺人事件の電話がかかります。

葛飾区はずれの水元公園近くの現場に行き、地取り捜査のための割り当てをすると何故かそこには会えば姫川玲子を口説きにかかる井岡巡査長刑事がいて、この男と組むことになるのでした。

捜査が続く中再度殺人事件の現場へとやってきた玲子は、死体がこの場所に遺棄された理由や死体腹部の切創の理由が分かったと言い始め、事件は連続殺人へと移行します。

 

玲子は高校生の頃レイプにあった過去を持ち、そのトラウマに今でも苦しんでいます。その事件で立ち直るきっかけになったのが佐田という婦警さんの存在でした。

その婦警さんが殉職した際の殺害犯人の裁判で高校生の玲子が陳述する場面は本書での一つの山場でもあります。そして、玲子が警察官になったのもこの佐田婦警がいたからでした。

その後の玲子は若くして警部補試験に通り、今泉の引きもあって捜査一課十係の姫川班班長として四人の部下を持つまでになったのです。

 

姫川の暴走に近い捜査は華々しい結果をもたらしてくれますが、反面さまざまな軋轢も生みます。そうした手法を激しく非難するのがガンテツこと勝俣健作警部補でした。

「一課内公安」とも呼ばれるガンテツですが、ガンテツなりに玲子の手腕を認めてもいます。しかし、裏付けのない感覚に頼る捜査の危うさを気にかけていたのです。

 

そうした玲子の視点で描かれる捜査とは別に第三章までの冒頭に、後にエフと呼ばれることになる人物の視点での話が挿入されています。この人物が後に玲子の捜査と交錯してくるのです。

物語は浮かび上がってきた「ストロベリーナイト」という言葉を中心に、途中では大きな悲劇などを挟み、進んでいきます。

物語の進行の過程では再びグロテスクな場面などが挟まれ、エンディングへとなだれ込むのですが、まさにエンターテインメント小説としての面白さが詰め込まれた小説と言えると思います。

 

玲子の活躍とガンテツの策動などによって次第に明らかになる「ストロベリーナイト」という言葉の持つ意味、そのおぞましさなど、エンターテイメント小説としてのエッセンスが詰まった物語になっています。

特異な位置を占める警察小説としてこれからも続いていくことを願います。

 

ちなみに本シリーズは竹内結子を主演とし、菊田和男役西島秀俊、ガンテツ役として武田鉄矢などの豪華な配役でテレビドラマ化及び映画化もされており、共に好評を博しています。

本書を原作としてのテレビドラマ化としては2010年11月13日に『土曜プレミアム』特別企画として放映された『ストロベリーナイト』があり、その後姫川玲子シリーズの他の作品を原作としてドラマ化されています。

その後に同じく竹内結子主演で『ストロベリーナイト』というタイトルでの映画化がされていますが、その内容は『インビジブルレイン』を原作として作成されている作品です。

 

 

その後、2019年4月から二階堂ふみと亀梨和也とのW主演で再び『ストロベリーナイト・サーガ』というタイトルでテレビドラマ化されましたが、以前の竹内結子、西島秀俊のイメージが強く、なかなか視聴率には結び付きにくかったという話を聞きました。

 

麦の滴-おれは一万石(4)

浜松藩井上家本家が、菩提寺である浄心寺改築のため、分家である高岡藩井上家、下妻藩井上家にそれぞれ金二百両の供出を言い渡した。困惑する正紀と正広だが、本家の意向に逆らうわけにはいかない。またもや訪れたこの危機をどう乗り切るのか!?待望のシリーズ第四弾!(「BOOK」データベースより)

 

『おれは一万石シリーズ』の第四弾の長編痛快時代小説です。

 

本巻でも正紀が婿入りした高岡藩に新たな難題が降りかかります。それは高岡藩井上家の本家である浜松藩井上家からの、菩提寺の浄心寺改築の申し入れです。

そのことは当然に同じ分家である下妻藩井上家にも申し渡されます。

しかし何故か下妻藩藩主井上正棠は本家と一緒になって反目している嫡男の正広に対し高岡藩と同じく金二百両の金策をするように申し付けます。

困り果てた正紀らでしたが、正紀はある方途を思いつくのでした。

一方、北町奉行所高積見廻り与力の山野辺蔵之助は、日本橋本材木町の材木問屋高浜屋で木置場の材木が倒れけが人が出た事件を調べ、不審なものを感じていました。

 

これまでも種々の方策を持って藩の財政の危機を乗り越えてきた正紀ですが、本巻でもまた新たな金策の道を見つけます。

それは、正紀が新たに知己を得た両替屋の熊井屋の跡取りの房太郎から教えられた「麦相場」の利用であり、何とかひねり出した現金をもって投資するのです。

 

この方策はいかにも危険であり、現実的ではないと思われますが、そこは痛快時代小説として目をつむるべきところなのでしょう。

しかし、そうはいっても少々都合がよすぎる展開だと言わざるを得ないというのが個人的な感想です。

そのことは本書終盤での出来事では更に言えることであり、つまりは今で言うインサイダー取引であって、禁じ手のような気がします。

こういうことがまかり通るのであれば、これまでの金策での苦労などは意味をなさないことになりますし、今後も金銭についての心配は不要ということになりかねません。

というよりも国の財政自体がその体を為さなくなると思われるのです。いくら痛快小説とはいえやりすぎと思います。

 

とはいえシリーズ自体の面白さは一応維持していて、今回はかなり脇に追いやられた印象はありますが、正紀の京に対する思いやりの気持ちのあり方など、見るべきものがありそうです。

続編を期待したいと思います。

あきらとアキラ

零細工場の息子・山崎瑛と大手海運会社東海郵船の御曹司・階堂彬。生まれも育ちも違うふたりは、互いに宿命を背負い、自らの運命に抗って生きてきた。やがてふたりが出会い、それぞれの人生が交差したとき、かつてない過酷な試練が降りかかる。逆境に立ち向かうふたりのアキラの、人生を賭した戦いが始まった―。感動の青春巨篇。(「BOOK」データベースより)

 

山崎瑛と階堂彬という同年代の二人のアキラを主人公として、押し寄せる様々な困難な状況を乗り越えていくという長編の痛快経済小説です。

 

本書は文庫本で700頁を超える作品で、二人の主人公の子供の頃からの成長を描いているまさに池井戸潤の描く痛快小説です。

ただ、近時の池井戸潤の作品と比較して何点かの疑問がありました。

まず第一点は、本書のタイトルの二人のあきら、即ち東海郵船の御曹司の階堂彬と、零細工場の息子である山崎瑛という二人を主人公とした意義があまり感じられなかったことです。

貧富の差を設けた二人を登場させた意味もあまり感じませんでしたし、別に階堂彬だけでも十分に成立する物語だとの印象でした。

たしかに、山崎瑛という存在が銀行員という立場の役割を担った存在としてあります。でも、そこは山崎瑛でなくても良く、階堂彬がその知恵をもって担当銀行員に指示する展開でも行けたのではないでしょうか。

ただ、そうすれば今の作品ほどの面白さは無くなったかもしれませんが。

 

次いで、本書の前半、二人のあきらの子供のころを描いている間、即ち「第四章 進路」の途中までは物語のテンポが冗長に感じました。

本書は2006年から2009年にかけて「問題小説」に連載されていたものに大幅に加筆修正し、2017年に700頁を超える分量の文庫版として出版されたものだそうです。

そうした事実を併せ考えると、長期の連載だからこそじっくりと二人のあきらの子供時代を描いたのだ、と思われますが、それでももう少し簡潔に書けたのではと思います。

ただ、「第四章」の終盤での山崎瑛の父親の会社である西野電業の専務と担当銀行の支店長との会話はまさに池井戸潤であり、これ以降は今の池井戸潤に通じるテンポの良さを取り戻しているように思います。

 

そしてもう一点。二人の敵役として立ちふさがる階堂彬の叔父二人の存在が、ステレオタイプな存在と感じられ、強烈な個性を持った魅力的な敵役とはとても言えない存在でした。

最後に、全体として物語が平板にも感じました。確かに物語の勢いはあるのですが、少々一本調子だったのです。

このように、今の池井戸潤の小説と比べると若干物足りないのです。しかし、書かれた時期を考えると仕方のないことかもしれません。

 

書評家である村上貴史氏による本書の「解説」にも書いてあったように、本書は『シャイロックの子供たち』と『下町ロケット』との間に書かれたことになり、「新たな書き方に目覚めた池井戸潤が」書いた作品ということになります。

 

 

だからこそ、本書の二人が社会人になってからの流れは『半沢直樹シリーズ』にも通じる勢いを持っていると思われるのです。

 

 

池井戸潤の信念なのか、登場人物に「大抵の場合、どこかに解決策はある」と言わせたり、物事の見方の新たな視点などを感じさせる表現もあり、次第に引き込まれていきました。

池井戸潤が考える銀行員や企業経営に対する理想像が明確に主張され、その主張がまかり通っていく物語の流れが明確になっていて、痛快経済小説としての面白さを十分に持っていると思います。

今の作品と比べいろいろ不満はあったものの、冒頭に述べたように、結局は池井戸潤の描く痛快小説の醍醐味を満喫できる作品でした。

 

ちなみに、私は見ていないのですが、本書は向井理と斎藤工の二人を主演としてWOWOWでドラマ化されました。