八月の銀の雪

本書『八月の銀の雪』は、人生に迷った人々が科学に触れ、自らの路を見出す姿を描く、新刊書で246頁の短編小説集です。

爽やかな文章で、迷いながら生きている人の人生とさまざまな科学との接点を見つけて描き出す、2021年本屋大賞および第164回直木賞の候補作となった作品集です。

 

『八月の銀の雪』の簡単なあらすじと感想

 

不愛想で手際が悪い―。コンビニのベトナム人店員グエンが、就活連敗中の理系大学生、堀川に見せた驚きの真の姿。(『八月の銀の雪』)。子育てに自信をもてないシングルマザーが、博物館勤めの女性に聞いた深海の話。深い海の底で泳ぐ鯨に想いを馳せて…。(『海へ還る日』)。原発の下請け会社を辞め、心赴くまま一人旅をしていた辰朗は、茨城の海岸で凧揚げをする初老の男に出会う。男の父親が太平洋戦争で果たした役目とは。(『十万年の西風』)。科学の揺るぎない真実が、人知れず傷ついた心に希望の灯りをともす全5篇。(「BOOK」データベースより)


 

八月の銀の雪
人見知りで、就職活動も上手くいかずにいた堀川は、いつも行くコンビニエンスストアで、ベトナム人アルバイトのグエンと知り合う。段ボールで作るロボットと、それを制御するプログラミングだけを趣味としていた堀川は、彼女から地球の地殻やコア、コアの中の内核などの話を聞くのだった。

ラストシーンでのグエンの言葉「銀の森に降る、銀の雪の音」などの詩的な言葉は美しく響きました。

しかし、主人公が自分の就職活動に積極的になれた直接的な理由は、グエンが聞かせてくれた地球の中の説明そのものよりも、異国で苦労しているグエンが直接に力づけてくれた言葉そのものに力を得たように感じたものです。

 

海へ還る日
自分の人生を“当たっていない”人生であり、娘の果穂にも何もしてやることができないと思っていたシングルマザーのわたし(野村)は、一人娘の果穂との外出の折、国立自然史博物館の動物研究部(委託)に勤める宮下和恵という女性と知り合う。宮下からクジラなどの生態の話を聞いたわたしは、生物画を描くのが仕事だという宮下から絵のモデルになってくれるように頼まれた。

この物語の“わたし”は、自分の人生でありながら“主役”ではないと感じ暮らしています。

中身はかなり異なりますが、こうした物語を読むと、いつも「弱い人物」という一点で遠藤周作の『沈黙』を思い出します。

江戸末期に日本に布教に来たキリスト教宣教師の話ですが、マーティン・スコセッシ監督によって映画化もされた世界に知られた名作です。

主人公である宣教師と神との話しではなく、棄教者であるキチジローの行動に衝撃を受け、弱者に対する神の存在は何なのか、考えさせられたものです。

 

 

この「海へ還る日」という物語では、宮下という女性の姿がまぶしく、科学の話自体ではなく、宮下という女性の生き方、宮下の言葉によって救われただろう主人公の姿が気になったものです。

 

アルノーと檸檬
アパートの住人の立ち退き交渉を担当している園田正樹は、立ち退き対象の白粉婆こと加藤寿美江が立ち退かない理由が迷い込んできたハトにあることを知った。伝書鳩だと思われるそのハトには脚環がついていて、「アルノー19」と読める文字があった。

何百キロも離れた場所からも家に帰ってくるハト。その能力の素晴らしさに心打たれ、長年故郷に帰っていない自分を顧みる主人公がいます。

挫折した自分を受け入れてくれるかどうか不安になる主人公の正樹ですが、家に帰ろうとするハトの姿に、檸檬がいっぱいに植えられた自分の島へ帰ろうする自分の姿が重なるのです。

ハトの能力への賛美と共に、白粉婆への人間としてのあるべき姿、優しさをも取り戻す主人公の姿は、科学そのものよりも自然への共感のようにも思えます。

 

玻璃を拾う
吉見瞳子は、自分のSNSに投降した写真で迷惑をこうむったと「休眠胞子」と名乗る人物からクレームをつけられていた。その写真は親友の奈津が送ってきたものであり、奈津と共にその人物に会うことになる。

「珪藻アート」がテーマとなっている作品です。植物プランクトンの一種である珪藻の殻がガラスの主成分であるケイ酸塩からできているのだそうです。

タイトルの「玻璃」という言葉も“ガラス”を意味します。

その0.1ミリにも満たない様々な形、色合いを持つ珪藻の殻を並べてデザインや絵にしたものを「珪藻アート」と呼びます。

下記サイトにある本の紹介をしてありました。興味のある方はご覧ください。

周りから孤立しないために処世術として「さばけた女」を演じる術を身につけた女性が、ガラスの殻をまとい生きている珪藻の姿から人間もまた同じ、と感じるのです。

 

十万年の西風
辰郎は北茨城市の北端にある「長浜海岸」で、気象観測用の凧を揚げている気象学の元研究者だった滝口という男性と知り合う。辰郎は、他の土地で勤めていた原発関係の会社で不都合な事実の隠蔽を指示されその仕事を辞め、あらたに福島原発の廃炉の仕事を探そうとしていたのだ。

あってはならない事故が起きた福島原発。その使用済核燃料の放射線レベルが原料となったウラン鉱石と同程度になるまでに十万年かかるという事実。

語るならば十万年後の空とか風とかの話がいいという辰郎に、滝口はその風すらも兵器とされた事実があると話し始めます。

ジェット気流に乗せた風船爆弾の話であり、滝口が揚げていた凧には意味があったのです。


 

本書の惹句に「科学の揺るぎない真実が、人知れず傷ついた心に希望の灯りをともす」とありました。本書を読み終えてみると、この言葉は本書の性格を見事についているな、と感じたものです。

本書『八月の銀の雪』の作者である伊与原新という人は、東京大学大学院理学系研究科博士課程を修了している理系の人ですが、人の描き方が実にうまいと感じました。

また、物語への導入、それからの主人公と科学との触れ合いの描き方がとても自然です。科学の持つある側面が主人公の内心へと響き、心がそれに応え、一歩を踏み出す様子がはっきりとわかるのです。

 

本書『八月の銀の雪』は新田次郎文学賞を受賞した『月まで三キロ』という作品に続く科学の要素を交えた短編集だということです。

であるのならば、その『月まで三キロ』も読んでみたいと思わせられるだけの魅力がありました。

 

本書はいわゆるエンタテイメント小説ではなく、人の生き方を見つめ、考えさせられる作品です。そのきっかけとして科学を媒介にしているという点が特徴的なのです。

本書『八月の銀の雪』は直木賞の候補に挙がっている作品ですが、本書のような人間自体を見つめる作品を読むと、いつも芥川賞ではないのか、と思ってしまいます。

文学作品と大衆作品との差異が分からないのです。

その区別を知りたいとも思いますが、一方でそうした区別はどうでもいいとも思っています。自分が好きで面白いと思える作品であればそれでいいと思っているのです。

本書『八月の銀の雪』は、そうしたことまでも考えさせられる作品でした。

マーダーズ

本書『マーダーズ』は、市井にふつうに暮らしている殺人者を主人公にした、新刊書で396頁にもなる長編のミステリー小説です。

登場人物がかなりの数に上る上に、物語が複雑で、ストーリーが追えなくなる場面が少なからずある、評価のしにくい小説でした。

 

『マーダーズ』の簡単なあらすじ

 

この街には複数の殺人者がいる。彼らが出会うとき、法では裁き得ない者たちへの断罪が始まる―現代社会の「裏」を見抜く圧倒的犯罪小説!(「BOOK」データベースより)

 

阿久津清春は、同僚との集まりの帰りに、男に暴行をうけている顔見知りの柚木玲美という女性を助けた。

玲美は助けてくれた清春に対し、清春の友達であり小学校卒業を前に殺された倉知真名美のことを持ち出して来た。

事件の九年後に犯人の大石嘉鳴人や大石のアリバイを証言した関係者など全部で八人が死んだのは清春の仕業だというのだ。

そして、その証拠を公開しない代わりに自分の母親が死んだ本当の理由と、姉の行方を探して欲しいと言ってきた。

そんな清春を、一緒に探索をするように命令された則本敦子という警視庁組織犯罪対策第五課七係の警部補の女性刑事が訪ねてきた。

玲美によると、村尾邦弘という元刑事が二人の犯罪事実を探し出し、清春と則本に探索を頼むようにと言ったのだという。

意にそわないとしても、玲美の言うとおりに共同で捜査を進めなければならない二人だった。

 

『マーダーズ』の感想

 

本稿の冒頭に述べたように、本書『マーダーズ』では登場人物がかなりの数に上る上に、物語が複雑で、ストーリーが追えなくなる場面が少なからずある、評価のしにくい小説でした。

ただ前提として、本書中で指摘してある、犯罪白書という公的な資料から、警察が認知した殺人行為を犯しながらもつかまっていない人間が十年間で二百六人もいるという事実があります。

認知されずに死因不明の異常死とされる年間十七万人のうち九割近くが行政解剖も為されていない現実からしても、「被害者も加害者も実数はきっと何倍にもなる」という玲美の言葉は重いものがあるのです。

そんな現実を前に、一人の刑事が執念深くある誘拐事件を調べていく中で、彼は世に知られていない多くの殺人行為とその犯人を知ることになる、本書の出発点はここにあります。

 

本書『マーダーズ』の基本的な構造は、犯罪を犯しながらも刑に服することなく日常生活を送っている人を利用して、自分の母親の死の真相や行方不明の姉の消息などを調べさせるという点にあります。

つまり本書のユニークな着眼点として、ミステリーとしての面白さを持ちながらも、探偵役に犯罪を犯した人間を据えているところがあげられるのです。

未解決事件の犯人が何を考えているか、同じ犯罪を犯した人間が一番よくわかるというわけです。

そして本書は、北野武監督の映画「アウトレイジ」の惹句にあったように、登場人物が、罪を犯した者という意味で「全員悪人」です。

本書の探偵役も、その探偵役に探偵行為を行わせている人間も、そしてもちろん探偵役が探している犯人たちもみんな罪を犯しています。

 

 

本書『マーダーズ』の探偵役となるのは総合商社日葵明和に勤める阿久津清春というサラリーマンです。また、警視庁組織犯罪対策第五課七係主任の則本敦子もまた清春と共に探索にあたります。

清春と則本に探索を命じるのが建設会社亀島組経理部勤務の柚木玲美であり、玲美の指南役として村尾邦弘という元刑事がいます。

基本的にはこの清春、則本、玲美という三人が中心になって物語は進みます。

 

清春も則本も共に過去に殺人を犯しているもののその犯罪の事実は発覚していません。

玲美は誰も知らない筈の二人の過去を知っていて、玲美の母親の不自然な死の真相と、行方不明になっている姉の行方を探すように命令します。

玲美が何故二人の過去を知っているのかは、村尾という元刑事が探り出したということが明らかにされています。

つまり、元刑事の村尾はとある誘拐事件を調査する中で、世に知られていない様々な殺人事件の経緯を知ったのです。

村尾は、あるNPOで知り合った柚木玲美に元警察官として相談に乗るうちに、自分が知った殺人犯である清春と則本敦子とを選び出し、玲美の望みを叶えるように準備をしました。

こうした構造の底にあるのは村尾という元刑事の執念であり、清春と則本に共通する悲惨な過去と殺人を犯しながらもそれを隠し通す能力です。

玲美は清春らに対し、殺人を犯しながら誰にも知られず日常生活を続ける『技能』を伝えたい人間がいて、それを身につけたい人間もいる、そうした人間たちの接点を調べ、見つけ出して欲しいと言い二人を追い詰めます。

こうして、清春と則本の二人は玲美の母親の死の真相を探るために動き始めるのです。

 

ただ、なにせ物語自体も決して短いとは言えない上に、事案が複雑に絡み合っているためにストーリーを見失いがちになり、評価が難しいということになりました。

この長浦京という作者は、前作の『リボルバー・リリー』でもそうであるように、物語をじつに緻密に構成し、練り上げておられます。

 

 

そのこと自体は物語の真実味を増すことでもあり決して悪いことではないと思われます。

普通に暮らしている普通の人の中に人を殺したことのある人間がいるという物語の設定も、そのこと自体は大いにありうることだと思われ、事実、数字もそのことを示しています。

ただ、本書『マーダーズ』に登場してくる殺人経験者にリアリティを感じられないという思いは終始付きまとっていました。

物語の中心にいる清春の犯行動機が、幼い頃に恋心を抱いた相手が殺され、その犯人が噓の証言により逮捕すらされなかった、だから証言者らの家族も含め殺した、という点が納得いかなかったのです。

その点に関しては、清春の人間性や対人交渉能力などを強調してあることからすると、作者としては清春という個人の性質としたいのかもしれません。

 

また緻密な書き込みは、ミステリーとして構成された作品の場合、筋立てが分かりにくくなりがち、ということがあります。

本書『マーダーズ』はまさにそうで、探索が緻密に為され、増えた登場人物ごとに人物の来歴などがまた詳細に語られるとき、物語の筋道が見えにくくなるのです。

ただ、このことは多くは読み手の問題だと思われ、あまり強調すべきではないのかもしれません。

単に、私自身が読みやすい物語に流されていたために、本書のような濃密な書き込みのある作品を読みこなすことができなくなっているとも思われるからです。

 

ともあれ、本書『マーダーズ』が面白い作品であることは否定できません。

ただ、主人公の同期に若干の疑問点があったこと、また物語が少々複雑で、筋を追いにくくなったことがあった、というだけです。

それは人によってはなんの問題もないことでしょうし、単に個人の好みの問題に帰着するだけのことと思われるのです。

リボルバー・リリー

本書『リボルバー・リリー』は、元諜報員の女性と家族を皆殺しにされた少年との逃避行の様子を描いた、文庫本で656頁にもなる長編のアクション小説です。

時代背景や登場人物の来歴などを緻密に描いてあり、重厚な上にかなり長い物語であって簡単には読めない作品ですが、最後まで息を抜けずに惹き込まれて読んだ作品でした。

 

『リボルバー・リリー』の簡単なあらすじ

 

小曾根百合―幣原機関で訓練を受け、東アジアなどで三年間に五十人超の殺害に関与した冷徹非情な美しき謀報員。「リボルバー・リリー」と呼ばれた彼女は、消えた陸軍資金の鍵を握る少年・細見慎太と出会い、陸軍の精鋭から追われる。大震災後の東京を生き抜く逃避行の行方は?息をもつかせぬ大藪春彦賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

十三歳になる細見慎太は、関東大震災のあと両親とは別に、訳も分からないままに名前も変えて埼玉県秩父へと移り住むことになった。

ある日、突然帰ってきた父親に書類を渡されて弟と共に逃亡させられ、秩父で知り合った筒井国松の元へ逃げるが、父の後を追ってきた男たちに家族皆殺しにされてしまう。

しかし、その筒井とさらに弟も殺された慎太は、筒井から紹介された小曾根百合という女性に助けられて男たちの手から逃亡する。

男たちは陸軍の兵士であり、父親が隠した巨額の資金に関する書類を追っていて、慎太は百合と共にこの状況から脱出するために必死の逃亡を続けるのだった。

 

『リボルバー・リリー』の感想

 

本書『リボルバー・リリー』の主人公は小曾根百合といい、水野寛蔵という男のもと、特殊機関で訓練を受けた元間諜です。

この百合の能力は、二十歳になるまでの三年間で百合の関与が疑われた事件は三十七件、計五十七人が殺されたと言われるほどです。

その人物に助けを求めたのが小学三年生の細見慎太でした。慎太の父親の細見欣也は、陸軍の資金を運用して巨大な利益を生み出していました。

小曾根百合の手助けをしているのが那珂という女で、百合の旦那で会った水野寛蔵に仕えていた女で、その後も百合の手助けをしています。

また、百合に助けられたことを恩義に感じ、今回の逃避行をも助ける弁護士が岩見良明です。百合がやっている玉ノ井の銘酒屋の法律相談もしています。

ちなみに、「銘酒屋」とは、「銘酒を売っているという看板をあげて、ひそかに私娼を抱えて営業した店」のことを言うそうです。( コトバンク : 参照 )

 

百合と慎太のあとを追っているのは、陸軍関係では津山ヨーゼフ清親大尉であり、また百合と同じ機関で育てられた間諜の南始です。

また、ヤクザ関係として水野寛蔵の息子である水野武統もヤクザの力を総動員して二人を追いかけています。

他にも、山本五十六のように歴史上実在した人物などが少なからず登場します。

 

私が読んだのは490頁にもなるハードカバーであり、その分厚さに驚きもしたものです。

さらには、内容が緻密であり、実に濃密な書き込みが為されているために簡単に読み飛ばすこともできませんでした。

しかしながら、巻末に掲げられている二十六冊にものぼる参考資料からも分かるように、著者は、歴史的な事実や歴史的事件の背景などを綿密な調査を経たうえで執筆されていて、登場人物たちの行動にそれなりの必然性を与えています。

そのために、本書『リボルバー・リリー』を単純にストーリーだけを取り上げれば、元間諜の女性と少年との逃避行というだけになってしまいますが、設定された慎太の家族が殺された理由や、百合と慎太が危機を乗り越える方法などが具体的に描かれていて、物語に厚みが出ているのです。

さらには登場人物の行動に必然性を与えてありますから、読んでいて彼らの行動に疑問を抱くことなく読み進めることができます。

特に、クライマックスで大正末期の東京の街をある目的地へ向けて疾走する場面は、まさに市街戦であり手に汗握る場面の連続であって、一気に結末へとなだれ込む読みごたえがあります。

 

こうした緻密な描写に裏付けられたリアリティーがあり、物語の重厚さを持つ物語と言えば、 月村了衛の作品を思い出します。

中でも『機龍警察』を第一巻とする『機龍警察シリーズ』は、その重厚な世界観もあり、アクション小説としても一級品だと思います。

 

 

蛇足ですが、このクライマックスの場面は、あらためて考えるとクリント・イーストウッドが自ら監督をし、主演も務めた『ガントレット』のクライマックスを思い出させるものでもありました。

警察の一団が待ち構える中に乗り込んでいく主人公、という構図は同じものでしょう。とはいえ、本書の方が何倍もスケールが大きく、そういう意味では比較にもならないかもしれません。

 

 

本書のもう一つの魅力は、歴史の裏面史ともいうべき見方を提示してくれていることです。

歴史上の出来事をちりばめながら、事実の間に虚構を埋め込み、いかにも真実の出来事のように見せかけるというのは、小説手法としては普通、というよりは当たり前のことでしょう。

しかしながら、その描写の緻密さ、埋め込み方のうまさなど、読者を引き付ける魅力において優れた作品だと思います。

だからこそ、大藪春彦賞受賞という評価を与えられているのではないでしょうか。

作者 長浦京の次の作品の『マーダーズ』よりも本書の方が私の感覚にあい、面白いと感じた作品でした。

 

千里眼 ミドリの猿

本書『千里眼 ミドリの猿』は、『千里眼 クラシックシリーズ』第二巻の、文庫版で「著者あとがき」を除いて353頁の長編のエンターテインメント小説です。

純粋に物語を楽しむ痛快活劇小説であり、単純に楽しく読めた作品でした。

 

『千里眼 ミドリの猿』の簡単なあらすじ 

 

きみも緑色の猿を見たのかい?嵯峨敏也と名乗る男にそう聞かれた瞬間から、女子高生の知美の存在は周囲から認識されず、母親からも拒絶されてしまう。彼は敵か味方か?折しも国内では岬美由紀のある行動が原因で中国との全面戦争突入のタイムリミットが迫っていた。公安に追われながらメフィスト・コンサルティングに立ち向かう美由紀の活躍が、改稿の域を超えほぼ新作となり生まれ変わったクラシックシリーズ第2弾。(「BOOK」データベースより)

 

須田知美は、赤羽精神科で診察を終えて出てきたところでいつもの浮遊感に襲われ、保護を求めて派出所に行っても拘束されそうになり、母親に電話しても知美を知らないと言われてしまう。

一方岬美由紀は、内閣官房直属の主席精神衛生官という立場にいて、アフリカのジフタニア共和国にODAの視察団の一員として訪れていた。

ところが、内戦状態を隠すジフタニアの担当官の嘘を見抜き、子供たちを助けるために戦闘用ヘリを奪取して政府軍に挑み、これを撃退するという事件を起こしてしまう。

なんとか日本へと帰ると、中国国民が日本に対し急激に反感を抱くようになり、戦争を仕掛ける機運が盛り上がっている事実を知る。

事件の背後には恒星天球教がいると考えた美由紀は、新宿にある公安の前哨基地の公安調査庁首都圏特別調査部へと乗り込む。

そこには公安調査庁首席調査官の黛邦雄という男が待っていて、そのビルの地下で見たのは監禁されている須田知美の姿だった。

何とか須田知美を助けて脱出した美由紀らは、須田知美が隠れていた嵯峨敏也と名乗る男のマンションへとたどり着き、そこにいた嵯峨と合流し、ともに行動を始めるのだった。

 

『千里眼 ミドリの猿』の感想

 

本書『千里眼 ミドリの猿』では、前巻『千里眼 完全版』での恒星天球教という存在とは異なる、メフィスト・コンサルティング・グループ日本支社ペンデュラムという存在が敵役として前面に出てきています。

恒星天球教はペンデュラムとどのような関係にあるのか本書の時点ではまだよく分かりません。

 

 

そして、前巻でも少なからずツッコミどころはあったのですが、本書においてはそれ以上に疑問点が山積しています。

美由紀が他国へ行ってその国の戦闘ヘリを奪取し、そのままその国の航空機と戦闘行為に入ったり、その行為に対してはなんのお咎めもなく日本に帰っています。

また、普通に日常生活を送っているはずの美由紀が、中国と日本との間で戦端が開かれそうになっていることを全く知らなかったりもしていて、かなり不自然な場面が多いのです。

上記は疑問点のほんの一端ですが、本書『千里眼 ミドリの猿』は痛快エンタテイメント小説でもあり、かなりの場面は容認して読み進めました。

本書の場合は少々世界観に無理があると思いつつ、全体としてまだ許容範囲だと自分に納得させての読書だったのです。

 

今回『千里眼 ミドリの猿』では、新たな敵役としてメフィスト・コンサルティング・グループという存在が出てきます。

具体的にはメフィスト・コンサルティング・グループ、ペンデュラム日本支社常務取締役で実質的に極東地域を統括する立場にあり、表の顔として公安調査庁では黛邦雄を名乗っている鍛冶光次という男がそれです。

この男の行動もツッコミどころ満載なのですが、それを挙げていたらきりがありませんのでここでは書きません。

またその部下として芦屋という精神科医もいますが、これはいわば雑魚キャラでしょう。

このメフィストグループは、「全知全能の知識と実行力によって歴史を操る闇の組織」であり、その実体は心理学を駆使した扇動で物証を残さないプロ集団です。( ウィキペディア : 参照 )

こうした敵役の設定は、物語の規模を壮大にはするでしょうが、ホラ話にはホラ話なりの理由付けが必要です。本書にその世界観を支えるだけの理屈があるかと言えば、若干の疑問があります。

 

一方、美由紀にも味方ができます。それが著者松岡圭祐の別作品『催眠シリーズ』の主人公で東京カウンセリングセンターの催眠療法科長の臨床心理士である嵯峨敏也です。

正体不明のキャラクターとして登場しますが、美由紀と共に須田知美を助ける手伝いをします。

 

 

そして、前巻『千里眼 完全版』からの登場人物である警視庁捜査一課の警部補の蒲生誠が今回もまた美由紀を助けます。

 

『千里眼 ミドリの猿』のシリーズ特性

 

本書『千里眼 ミドリの猿』では物語が完結せず、「千里眼 運命の暗示 完全版」につづく、とされています。

多分ですが、シリーズ内の他の著作は単巻でそれなりに独立しているものと思われます。

ここで、本書の「著者あとがき」で「小説『催眠』の正当続編として新たに書き下ろすことにし」たと明記してありました。

そして、「本作以降、角川『千里眼』クラシックシリーズは、旧・小学館のシリーズとはまったく別の作品となります」と、明言してあるのです。

こうした言葉もあって、『千里眼シリーズ』の項でも書いたように、本稿では角川版を読むことにしているのです。

千里眼 完全版

本書『千里眼 完全版』は、『千里眼 クラシックシリーズ』第一巻の、「著者あとがき」「解説」まで入れると全部で452頁にもなる長編のエンターテインメント小説です。

純粋に物語を楽しむ痛快活劇小説であり、単純に楽しく読めた作品でした。

 

『千里眼 完全版』の簡単なあらすじ 

 

房総半島の先にそびえる巨大な観音像を参拝に訪れた少女。突然倒れたその子のポケットから転げ落ちたのは、度重なるテロ行為で日本を震撼させていたあるカルト教団の教典だった…。すべてはここから始まった!元航空自衛隊の戦闘機パイロットにして、現在戦う臨床心理士岬美由紀の活躍を描く、千里眼シリーズの原点が、大幅な改稿で生まれ変わり、クラシックシリーズとして刊行開始!待望の完全版。(「BOOK」データベースより)

 

航空自衛隊の航空総隊司令官仙堂芳則は、米軍の関係者までも参列している総理官邸地階危機管理センターの対策本部対策室へと呼び出され、茨城の山中にある寺がミサイル攻撃を受けたとの説明を受けた。

横須賀基地に停泊している米軍第七艦隊所属のイージス艦に侵入した何者かが陸上攻撃ミサイルの発射コマンドを入力したものであり、さらには、総理官邸を標的としたミサイルが発射へのカウントダウンを始めており、あと二時間強で発射されるというのだ。

ミサイルの迎撃もできず、犯人から発射停止の暗証番号を聞き出すしかないため、仙堂は、千里眼との異名をとる東京晴海医科大附属病院の院長の友里佐知子と、仙堂の元部下で友里のもとにいる岬美由紀を呼ぶこととなった。

それに答えた二人は見事暗証番号を聞き出し、危機は回避されたが、犯人は恒星天球教を名乗り自害してしまう。

そこに恒星天球教を名乗る男から連絡が入り、今後恒星天球教への干渉は禁ずると言ってきた。

また、美由紀のもとに通っている宮本えりという小学二年生の患者が、朝早くから一人で富津にある東京湾観音に出かけていて、その子が恒星天球教のパンフレットを持っている事実が判明する。

 

『千里眼 完全版』の感想

 

本書『千里眼 完全版』は、戦闘機を乗りこなし、格闘技も万能の、表情から人の心裡を読む達人である臨床心理士が主人公です。

本シリーズを読み始めたのは、本書は『千里眼シリーズ』の項でも書いたように、作者である松岡圭祐の別作品『高校事変シリーズ』が非常に面白かったためです。

 

 

ただ、この『千里眼シリーズ』は『高校事変シリーズ』に比べると、小説としての完成度はかなり落ちると思われます。

というよりも、どちらの作品も荒唐無稽に過ぎるともいえるのですが、本シリーズの方が設定が甘く、書き込みも冗長です。

本書の冒頭で起きる米軍艦船への侵入およびミサイル制御システムの乗っ取りという事態だけでも荒唐無稽という言葉を超えた出来事であり、もうファンタジーというほかない出来事です。

ただ、その過程での米軍関連の武器情報など、かなり調べ上げた上での描写と思われ、単純に突拍子もないホラ話と切り捨てられないだけの本書の世界観内でのリアリティーを持っているところが惹きつけられるところです。

 

敵役としては、本書『千里眼 完全版』においては恒星天球教と名乗る集団がいます。

このオカルト教団は教祖を阿吽拿(アウンナ)といい、信者の心裡をうまく誘導し、脳に直接メスを入れるなどの方法で信者を思うがままに動かす集団です。

そこに、同様に心理学を学んだエキスパートとしての臨床心理士の岬美由紀がその前に立ちふさがることになります。

冒頭の米軍ミサイルの事件も犯人が恒星天球教の信者であり、次には東京湾観音で恒星天球教による何かが行われている疑惑が巻き起こり、調査を開始することになります。

その東京湾観音での出来事もまた荒唐無稽です。岬美由紀が戦闘機パイロットで会ったほどの運動神経の持ち主という前提で、アクションのあり方もその運動神経の良さを十二分に生かした常人ではなし得ない動きで危機を回避します。

 

ただ、本書『千里眼 完全版』の展開だけを考えると、文庫本の本文だけで447頁という長さが必要だったか、という疑問は残ります。もう少し簡潔に処理できたのではないでしょうか。

とはいっても、読んでいる途中でそれほど長いと感じなかったのは、本書での緻密な書き込みがあるからこそでしょう。

この長さがあったからこそ途方もないホラ話がそれなりのリアリティを持つことができたのかもしれません。

とりあえずはシリーズを読み続けてみたいと思います。

千里眼シリーズ(クラシックシリーズ)

 

『千里眼シリーズ』について

 

本『千里眼シリーズ』は、元航空自衛官の臨床心理士・岬美由紀を主人公とした長編のアクション小説シリーズです。

本稿は旧・小学館版ではなく、角川文庫版をその対象としています。

 

千里眼 クラシックシリーズ(2021年01月12日現在)

  1. 完全版
  2. ミドリの猿
  3. 運命の暗示
  4. 千里眼の復讐
  5. 千里眼の瞳
  6. マジシャンの少女
  1. 千里眼の死角
  2. ヘーメラーの千里眼
  3. トランス・オブ・ウォー
  4. 千里眼とニュアージュ
  5. ブラッドタイプ
  6. 背徳のシンデレラ

千里眼 新シリーズ (「クラシックシリーズ」の続編)(2021年01月12日現在)

  1. The Start
  2. ファントム・クォーター
  3. 千里眼の水晶体
  4. ミッドタウンタワーの迷宮
  5. 千里眼の教室
  1. 堕天使のメモリー
  2. 美由紀の正体
  3. シンガポール・フライヤー
  4. 優しい悪魔
  5. キネシクス・アイ

 

まず前提として、本『千里眼シリーズ』は、もとは小学館から発行された全十二巻のシリーズがあったもので、後に角川文庫から「クラシックシリーズ」として「完全版」と銘打たれて再刊されています。

そして、例えば著者自らがクラシックシリーズ第二巻の『千里眼 ミドリの猿』の「著者のあとがき」では、本書は改稿ではなく「大部分を新しいストーリー」として、「旧・小学館版のシリーズとは全く別の作品となります」と書かれているなど、「クラシックシリーズ」が現時点での正式版だと思えます。

以上の次第で、本稿は角川版のクラシックシリーズを対象としていますし、旧・小学館版のシリーズは未読のままになると思います。

 

もともと、本『千里眼シリーズ』についてはそのシリーズ名は聞いていたのですが、千里眼千鶴子という名前も取りざたされていたためオカルトものだと勝手に思い込み、読まずにいたものでした。

 

千里眼千鶴子とは、わが郷土熊本の宇土郡松合村、現在の宇城市不知火町に実在した女性です。「千里眼」能力の持ち主として話題になり、最後は自殺を遂げました。( ウィキペディア : 参照 )

 

それはともかくとして、本シリーズの著者松岡圭祐の別作品『高校事変シリーズ』を読んだところこれが非常に面白く、本シリーズもアクション中心のエンタテイメント小説であったことから読み始めたものです。

 

 

 

『千里眼シリーズ』の感想

 

本『千里眼シリーズ』の主人公岬美由紀は、元航空自衛官であり、不祥事により自衛隊を退職後、動体視力に優れたその能力を生かして臨床心理士として活躍しています。

自衛隊を辞めた美由紀は知人の友里佐知子が院長を務める東京晴海医科大付属病院に勤務することになるのですが、この友里佐知子が患者の心の裡を知る技術に長けていたために「千里眼」と呼ばれていたのです。

後に美由紀が戦闘機のパイロットでもあったため動体視力に優れていたこともあり、人の表情からその内心をも読み取ることに優れていたことから、美由紀自身が「千里眼」と呼ばれるようになったそうです。

 

本『千里眼シリーズ』第一巻では恒星天球教というオカルト教団が様々なテロ行為を仕掛け、それを岬美由紀が阻止するという流れであり、シリーズの敵役としてこの恒星天球教が設定されているものと思っていました。

ところが、第二巻になると、恒星天球教は存在だけ指摘されるだけで、新たに「メフィスト・コンサルティング・グループ」なる存在が岬美由紀の前に立ちふさがります。

本シリーズの真の敵役はどちらなのか、または他にもいるのかについてはまだ全く分かりません。

 

また、『千里眼シリーズ』の第二巻『ミドリの猿 完全版』は第三巻『運命の暗示 完全版』に続くとなっています。調べてみるとこの部分だけが二分冊になっているようです。

ほかの巻は、一応個別の巻だけでも読むことができると思われます。

 

 

結局、このシリーズの構成も含め、二つの団体の関係や敵役の存在についてはシリーズの続刊を読まなければ分からないようです。

ともあれ、文章のタッチや物語の構成など、『高校事変シリーズ』には若干及ばないものの、本シリーズは本シリーズとして、痛快アクション小説としてかなり楽しみな時間を持てそうです。

続巻を読み進める中で本稿も修正していこうと思っています。

煉獄の獅子たち

本書『煉獄の獅子たち』は、全編ヤクザの抗争に明け暮れる、新刊書で371頁の長編のエンターテイメント小説です。

本書中ごろまでは、ヤクザ同士、警察内部、それに警察対ヤクザの喧嘩ばかりで少々辟易したというところが正直な感想ですが、総じて面白い作品でした。

 

『煉獄の獅子たち』の簡単なあらすじ 

 

関東最大の暴力団・東鞘会で熾烈な跡目抗争が起きていた。死期の近い現会長・氏家必勝の実子・勝一と、台頭著しい会長代理の神津太一。勝一の子分である織内鉄は、神津の暗殺に動き出す。一方、ヤクザを心底憎む警視庁組対四課の我妻は、東鞘会を壊滅すべく非合法も厭わない捜査で東鞘会に迫るが…。地獄の犬たちに連なるクライム・サーガ第2幕。(「BOOK」データベースより)

 

今は死の瀬戸際にあった関東最大の暴力団である東鞘会の会長の氏家必勝は、跡目を会長代理の神津太一に譲ると言う。

そのため、必勝の実子で数寄屋橋一家の総長でもある氏家勝一は、東鞘会総本部長で勝一が最も信頼している喜納修三と謀り東鞘会を割る決心をする。

そして必勝の葬儀の日、火葬場からの帰りに勝一と織内らの乗った車にダンプカーが突っ込んできた。

辛くも生き延びた氏家勝一と織内鉄だったが、自分たちの甘さを知り、直接に神津太一の命を狙う決心をするのだった。

 

『煉獄の獅子たち』の感想

 

本書『煉獄の獅子たち』は登場人物が多く、筋が追いにくいため、登場人物を整理してみます。

まず本書の大きな流れとしては、関東最大の暴力団である東鞘会会長の死去に伴う跡目争いと、また東鞘会と東鞘会をコントロールしようとする警察との対立があります。

一方の軸としての暴力団の内部抗争では、まずは親分である氏家勝一の秘書兼護衛で影武者役も兼ねている織内鉄が中心となっています。

この氏家勝一の側としては、勝一が信頼する東鞘会総本部長の喜納修三や重光組の重光禎二などがいます。

そして東鞘会内部抗争の敵役として、東鞘会の跡目を継ぐ神津太一、その神津組若頭の十朱義孝が中心となります。

それに神津組若衆の三國俊也らがいて、神津組若頭の新開徹郎やその妻で織内の姉である新開眞理子が要の役割を担っているのです。

他方の軸である警察には、警視庁組対四課広域暴力団対策係の我妻邦彦が中心にいて、その女である八島玲於奈が重要な役目を果たしています。

さらに組織犯罪対策特別捜査隊、通称「組特隊」の阿内将副隊長と隊長の木羽保明とが意外な役割を担っているのです。

 

つまりは東鞘会では東鞘会を割って出ようとする氏家勝一と会長代理の神津太一との争いを中心に、身内を殺すことになった織内鉄個人の怒りや、神津組の若頭十朱義孝の台頭などがあります。

一方警察側では、暴力団を毛嫌いしている我妻刑事などの東鞘会をつぶそうとする捜査と、自分の息子の不始末を隠そうとする政治家による捜査の隠ぺい工作があります。

そこに東鞘会をコントロールしようとする組特隊のヤクザと見紛う不可思議な動きが加わり、組織や個人の思惑が複雑に絡み合って、本書は筋を見失いそうになるのです。

しかし、東鞘会の神津太一と十朱義孝がいて、それに東鞘会を割って出た氏家勝一とその子分織内鉄とが対立するというヤクザ内部の構図、それに警察内部での我妻刑事個人と組特会という組織の存在を覚えておけば見失うことはありません。

 

本書『煉獄の獅子たち』は、以上からも分かるように、全編ヤクザの抗争と警察内部での部署や個人の争いであふれています。

その個別の争いが暴力に満ちていて、バイオレンス小説が嫌いではない私でも若干引くところがありました。

というのも、本書の場合は物語の世界感がリアリティーに富む一方、暴力団の親分が子分を顔が変形するほどに殴ったり、警察官が暴力団を相手に骨が折れるほどに蹴りつけたりする非現実性に満ちているのです。

それは、本書も 平山夢明の『ダイナー』や 東山彰良の『逃亡作法』などと同様のフィクションであることは認識していても、それだけこの物語がリアリティに富んでいるということでしょうか。

 

 

だからなのか、例えば 大沢在昌の『黒の狩人』のように、ヤクザと警察官との男の感情の交流などが描かれている作品を好む私にとっては微妙なところで差異を感じるのです。

 

 

しかし、本書『煉獄の獅子たち』での濃密な書き込みは、それはそれで面白く読んだのは否定しません。

矛盾しているようですが、本書『煉獄の獅子たち』は本書としての面白さを持っていることは認めるのですが、私個人としてはより情緒的なものの方が好ましいというだけです。

 

さらに言えば、本書『煉獄の獅子たち』を全体としてみると単なるヤクザの跡目争いを超えた大きな枠組みでの、単なるバイオレンスを超えたところで展開される組織の思惑が面白く描かれています。

現実的にはあり得ないところであり、その点だけを捉えると荒唐無稽に過ぎて拒否感を覚える人も当然のことながらいると思われます。

私自身も呼んでいる途中ではそうした感覚でいました。あまりにも設定が無理筋だろうと思ったのです。

しかしながら、エンタテイメント小説として改めて本書を見るときに、本書の結末も含め、先に述べた個人的な好みを別とすればかなり考えられた筋立てだと思うのです。

暴力を暴力として描いていく中で、そうした世界でしか生きられない男たちを肯定的に描いていく本書のような作品もありだと思います。

 

本書を否定しながらも肯定するような矛盾に満ちた書き方になりましたが、これが正直なところです。

ちなみに、本書は『ヘルドッグス 地獄の犬たち』の前日譚だそうです。

出版年度の新しい本書を先に読んだことになります。早速そちらを読みたいと思います。

 

暗礁

本書『暗礁』は、『疫病神シリーズ』の第三弾の、文庫本で上下二巻、合わせて842頁にもなる長編のミステリー小説です。

今回の作品も、金の臭いに食らいついた桑原のために贈収賄事件に巻き込まれる二宮の姿を騒動が描かれる、読みごたえのある作品でした。
 

『暗礁』の簡単なあらすじ

 

疫病神・ヤクザの桑原保彦に頼まれ、賭け麻雀の代打ちを務めた建設コンサルタントの二宮啓之。利のよいアルバイトのつもりだったが、その真相は大手運送会社の利権が絡む接待麻雀。運送会社の巨額の裏金にシノギの匂いを嗅ぎつけた桑原に、三たび誑し込まれる契機となった―。ベストセラー『疫病神』『国境』に続く人気ハードボイルド巨編。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

警察組織と暴力団の利権の草刈場と化していた奈良東西急便。その社屋放火事件の容疑者に仕立て上げられた二宮に、捜査の手が伸びる。起死回生を狙う桑原は、裏金を管理する男を追って二宮とともに沖縄へ飛ぶが、二人を追い込む網はそこでも四方八方に張り巡らされていた―。超弩級のエンターテインメント大作。想定外の興奮と結末。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

本書『暗礁』は、二宮が桑原から頼まれた接待麻雀の代打ちから始まる。その面子は東西急便の本社営業一課長と大阪支社長、それに奈良県警交通部の現職幹部だった。

桑原から負け分は二蝶会が持ち、勝ち分は七:三で七が桑原がとるという話で六十万ほど設けたのだが、その後奈良県警から二人の刑事がその麻雀について話を聞きたいとやってきた。

桑原によると、新興の貨物運送会社はヤクザの標的になりやすいという。東西急便も二蝶会の本家筋が守っているという。数年前に東京の東西急便で起きた贈収賄事件は今でも記憶に新しいのだ。

奈良東西急便もトラックターミナルへのトラックの誘導に利便を図りたいと奈良県警交通部幹部の接待を東西急便の大坂支社長経由で接待麻雀を組んだということらしい。

その後、二宮は奈良東西急便奈良支店の放火事件の犯人に仕立てられたり、桑原と共に沖縄へと飛び、奈良東西急便がヤクザ対策費として貯め込んでいる数億円にもなるだろう裏金を手にすべく、奔走するのだった。

 

『暗礁』の感想

 

今回の二人が相手とする事件は、全国区の巨大運送会社の関西支店を舞台とした天下り警察官との癒着の構造です。

モデルは宅配便大手のS急便だと思われます。1990年代にS急便を舞台に現実に起きた大物政治家を巻き込んだ贈収賄事件がありました。本書はその一環の奈良の会社で起きた事件です。

ここらの事情については、ウィキペディアを見てください。

 

本書『暗礁』では、ヤクザと県警との間での利権争いの狭間を狙う桑原の活躍が描かれます。

よくもまあ、こんなストーリーを練り上げると思うほどに運送業界と暴力団、県警、そして政治家たちの思惑が絡み合った物語が構築されています。

そのストーリーの中心にあるのは金こそすべてという桑原の思惑であり、二宮は桑原に使われながらも彼の思惑の一端に食い込もうとせこく立ち回り、ドツボにはまっていくのです。

これが本シリーズでのパターンであり、本書『暗礁』もまた同様です。

桑原の「極道と警察は同じ人種や。向こうは菊の代紋を背負うてるだけによけい質が悪い。」などという言葉は彼の信念を端的に表しています。

その感覚で本書『暗礁』、更には本『疫病神シリーズ』が貫かれているのですからこの『疫病神シリーズ』が面白いのも納得するのです。

 

本書『暗礁』の魅力と言えば、シリーズとしての魅力の他に、桑原に狙いをつけられた金の所在、つまりは奈良東西急便に保管されているという数億円にも上る暴力団対策費を巡る攻防です。

その根底にはモデルとなった事件があるのですが、そのモデルとなった事件に関しては上記にも書いたようにウィキペディアを参照してください。

現実の事件はともかく、本書での裏金の処理に関しては奈良東西急便、大阪府警、奈良県警、そしてヤクザと皆が騙し合い、それぞれの組織とは別に桑原のように個人の思惑でこの裏金を狙ったり、裏金の周辺での余禄を狙ったりという思惑が入り乱れます。

そうしたストーリーを、現実の出来事とそう離れることもない(と思われる)物語として、破綻することなく組み立てるのですから黒川博行という作家の実力が推し量れます。

 

ヤクザの標的になりやすい新興の貨物運送会社として暴力団対策には金けるしかなく、奈良東西急便もまた本社から数億円の金を預かっていました。

桑原によれば、不特定多数を相手にしのぎをする企業はリスクマネージメントが難しいだけに弱い、のだそうです。

そのため、企業は極道から食われないように警察から天下りをとることになり、つまりはヤクザと警察の両方から食われ、そのあとに利権漁りの議員どもが杭に入るというのです。

 

このシリーズ全般に言えることですが、本書に登場する警察官も殆どはワルです。何とか表に出せない金を自分のふところに入れようと画策します。

その上、天下り先を確保し、警察官OBとしての力を保持すべく暗躍するのです。

こうした状況のもと、裏金の秘密を握る男を追って沖縄へも行き、現地の暴力団と諍いを起こす桑原です。

本書『暗礁』の終わりの場面での二宮の母親や嶋田がいるところでの二宮と桑原の会話など黒川作品の面白さが凝縮されています。

かなり長いこの物語ですが、その長さを感じさせないほどに面白い作品です。

冬の狩人

本書『冬の狩人』は『狩人シリーズ』の第五巻で、新刊書で566頁にもなる長編の警察小説です。

まさに待望のシリーズ続編としては相応の作品でしたが、個人的にはより個性的な作品を期待していました。

 

『冬の狩人』の簡単なあらすじ 

 

3年前にH県で発生した未解決殺人事件、「冬湖楼事件」。行方不明だった重要参考人・阿部佳奈からH県警にメールが届く。警視庁新宿警察署の刑事・佐江が護衛してくれるなら出頭するというのだ。だがH県警の調べでは、佐江は新宿の極道にとことん嫌われ、暴力団員との撃ち合いが原因で休職中。そんな所轄違いで無頼の中年刑事を、若い女性であるはずの“重参”がなぜ指名したのか?H県警捜査一課の新米刑事・川村に、佐江の行動確認が命じられる―。筋金入りのマル暴・佐江×愚直な新米デカ・川村。シリーズ屈指の異色タッグが炙りだす巨大地方企業の底知れぬ闇。(「BOOK」データベースより)

 

東京近郊にあるH県第三の都市の本郷市は、巨大企業のモチムネの企業城下町として知られていた。

その本郷市にある冬湖楼で、本郷市長や上田和成弁護士ら三人が殺害され、上田弁護士の秘書が行方不明になる事件が起きた。

その三年後、上記事件で行方不明になっていた秘書の阿部佳奈から、東京の新宿署にいる佐江刑事の保護があれば出頭するというメールがH県警に届いた。

警察官を辞めるつもりでいた佐江は、自分を指名する女の心当たりはないままに、阿部佳奈の護衛を引き受け、川村芳樹刑事と共に行動することになる。

阿部佳奈は佐江との交流場所として西新宿のホテルを指名してきたが、そのホテルに殺し屋が現れるのだった。

阿部佳奈とは何者なのか、何故今頃になって出頭すると言ってきたのか、そして何故佐江を指名してきたのか、謎は深まります。

 

『冬の狩人』の感想

 

本『狩人シリーズ』には各巻ごとに個別の魅力的な登場人物が登場します。

第一巻では梶雪人。第二巻では西野刑事やヤクザの原。第三巻では中国人通訳の毛と本書でも登場する野瀬由紀。前巻の第四巻では捜査一課の谷神刑事。

そして第五巻となる本書『冬の狩人』では、新人刑事の川村芳樹巡査がそれにあたります。それに「阿部佳奈」も加えていいかもしれません。

 

本書『冬の狩人』における佐江は、H県警の新人刑事の川村を引き連れて捜査をすることになりますが、川村にとって新宿での佐江の捜査方法は驚くことばかりでした。

当初の川村刑事は正義感に燃えていて、暴力団に喧嘩を売るという佐江との出会いなどもあり、佐江の捜査方法には抵抗も感じています。

しかし、H県警上層部に対する佐江の態度や以後の佐江の捜査方法を見て、佐江の警察官としての優秀さを感じ、佐江による本事件の捜査を楽しみに思うのです。

そして実際、川村は佐江と共にメールを送ってきた重要参考人の阿部佳奈の保護、さらには「冬湖楼事件」そのものへの捜査を行うことになり、佐江の能力を思い知らされます。

ただ、これまでの登場人物に比べると川村は存在感が今一つです。新人だけに男としての魅力には欠けています。

しかし、新米刑事が次第に経験を積んでいく様子はさすがに読ませます。

 

狩人シリーズ』は、当初は先に書いた魅力的な登場人物が中心となり、佐江が脇を固める形で始まったシリーズです。

しかし、シリーズ第三作『黒の狩人』以降は佐江を中心として展開する物語となっています。

特に『黒の狩人』がそうで、まさに佐江の物語だったのですが、本書『冬の狩人』もまた佐江刑事の物語になっています。

 

 

本書での佐江は、前作の『雨の狩人』で出した辞表も預かりの形になっていて、何故か休職扱いになっています。

そんな佐江を現場へと引きずり込んだのが、H市で起きた殺人事件の容疑者からの一通のメールだったのです。

そのメールに関連して、シリーズ第三作の『黒の狩人』に登場する野瀬由紀の名前が出てきており、第三巻同様に佐江が物語の中心になっています。

 

 

ただ、個人的な好みを言わせてもらえれば、佐江自身が中心になった物語よりも脇に回った作品を読みたいと思いました。

というのも、本来、この『狩人シリーズ』は、佐江が脇に回ってその巻だけに登場してくる人物を補佐するパターンのほうが佐江の魅力がより発揮できると思うからです。

そういう意味では、私にとっては西野元刑事を主人公としたシリーズ第二作の『砂の狩人』が一番面白い作品だと思っています。

 

 

本書『冬の狩人』のような作品は別に主人公が佐江でなくても成立する物語であり、この物語の主人公は『新宿鮫シリーズ』の鮫島刑事でも何ら問題がないと思えます。

もちろん、佐江が中心になった物語が面白くないというわけではありませんし、実際本書はかなり面白い部類に入ると思います。ただ、個人的な好みが上記のとおりというだけです。

 

作者は、本来は前巻『雨の狩人』で佐江を殺し、シリーズを終わらせるつもりだったそうです( GOETHE : 参照 )。

それが仏心が起きて殺しそこね、結局本書『冬の狩人』を書く羽目になったそうです。であれば、今後も続刊を期待することもできるでしょう。

新宿鮫シリーズ』と同様の面白さを持つ本シリーズです。是非、早期の続刊の刊行を願いたいと思います。

 

ババヤガの夜

本書『ババヤガの夜』は、暴力こそ楽しみと感じる女性を主人公にした、ソフトカバー版で181頁という分量を持つ長編のバイオレンスアクション小説です。

一頁あたりの文字数が少なく、また内容も文章もかなり読みやすいのですが、今一つ好みとは異なる作品でした。

 

『ババヤガの夜』の簡単なあらすじ 

 

お嬢さん、十八かそこらで、なんでそんなに悲しく笑う――。暴力を唯一の趣味とする新道依子は、腕を買われ暴力団会長の一人娘を護衛することに。拳の咆哮轟くシスターハードボイルド!(Amazon「内容紹介」より)

 

関東最大規模の暴力団興津組の直参である内樹会の会長・内樹源造の邸宅で白いセダンから降ろされたのは、東大寺南大門の金剛力士像にも似た筋骨隆々とした肉体を持つ女だった。

新宿の街でヤクザ相手に喧嘩をし、袋叩きに会った末に連れてこられ、内樹源蔵の娘尚子のボディーガードをするように命じられたのだ。

その尚子は明治や大正時代の美人画から抜け出てきたような、古風な風体の美少女だった。

 

『ババヤガの夜』の感想

 

図書館の新刊の棚に「血、暴力、二人の女 拳の咆哮轟くシスター・バイオレンスアクション!」と書かれた帯をまかれた『ババヤガの夜』というタイトルの本書を見つけたので、ただその帯の文言だけで借りた作品です。

結論から言うと、先に書いたとおり、私の好みとは異なる作品でした。

主人公の新道依子は暴力衝動を持ち、鍛え上げられた肉体を武器とする喧嘩三昧の女であり、冒頭からヤクザを相手に凄惨なアクションが展開されます。

しかし、書き込みが薄いこともあり、物語として魅力を感じにくい作品でした。

 

本書『ババヤガの夜』の主人公新道依子は、喧嘩を趣味とする、武道に長けたという女性です。

この新道依子という女性は、幼いころから祖父に実戦で使える暴力の技術を、柔道、空手、拳法となんでも喧嘩の技術として叩き込まれて育ちました。

依子には天稟があったらしく、力の中に身を浸すのを楽しいと感じるようになり、暴力は依子の唯一の趣味になっていたというのです。

その新道依子が、大学に通う、華道、茶道、ピアノ、英会話などに加え、乗馬や弓道まで習っている日本人形のような暴力団組長の娘・尚子のボディーガードとなります。

尚子の母親は、むかし若頭だった男と駆け落ちをし、内樹は長年その二人を探し続けているのです。

この尚子の許嫁が池袋の豊島興業の宇田川という男だったのですが、この男が徹底したサディストでした。

この尚子と依子の物語とは別に、挿話として、芳子という女と、今どきあまり見ないかっちりした角刈りの胡麻塩頭の昔気質の職人を思わせると呼ばれる人物との暮らしが語られています。

 

設定自体が簡単であるのは別に問題はありません。面白い物語ほど物語自体は単純なものが多いのは事実です。

ただ、本書『ババヤガの夜』の登場人物に今一つ魅力を感じませんでした。

主人公の新道依子自体が暴力衝動を持った金剛力士像のような肉体を持った女というだけで、それ以外の人間性はあまり分かりません。

たしかに、犬のために脱走をあきらめたり、尚子のために一生懸命に尽くしたりと、優しさを持った強い女であることは分かりますが、何か足りない印象がします。

また、依子が認める数少ない男の一人である若頭補佐の柳永洙にしても、また内樹源蔵の娘尚子の許嫁である豊島興業の宇田川にしても今一つ魅力を感じませんでした。

 

たしかに物語の中に大きな仕掛けも施してあり、終盤になるとしてやられた感もあります。

単にバイオレンス満載のエンタテイメント小説というだけではない、読者を楽しませる意図を持った面白さを持っていることは否定しません。

しかしながら、それ以上のものがありません。

物語として面白いかと問われれば、面白くないとは言えません。しかし、諸手を挙げて面白いから読みなさい、とはとても言えないのです。

 

同じバイオレンスの作品であっても、より過激である 平山夢明の『ダイナー』はかなり読みごたえのある作品であり、蜷川実花氏によって映画化もされました。

ダイナー』は殺し屋専門のレストランを舞台とした物語で、コックのボンベロのもとで雇われることになったウエイトレスのオオバカナコの目線で語られる作品でした。

この作品はバイオレンス満載で、時にはグロテスクな場面もあったのですが、描写自体のうまさ、オオバカナコの行動、そしてボンベロの台詞の面白さなども相まって、かなり面白い作品でした。

 

 

他に 誉田哲也の『ケモノの城』という作品などもあります。

現実に起きた事件をモデルにした長編ミステリーでグロテスクな描写を含んでいながら、妙な面白さを持って迫ってくる小説です。

独りの男のコントロール下に置かれた複数の人間が、次第に壊れていく様を、緻密な筆致で描き出してあります。

 

 

上記の二冊ともにストーリー展開の面白さも勿論ですが、物語の向こうに単なる暴力を超えた描写力の凄さ、さらには人間存在のおかしさをも感じさせてくれる作品です。

結局は、どんな物語であっても、その物語なりのリアリティがなければ感情移入できません。

緻密な描写が必要とまでは言いませんが、その作品なりの真実性を持った世界観が確立していないと物語としてのめりこめないと思います。

その点で本書『ババヤガの夜』は物足りなさを持ったと思われます。

 

ちなみに、タイトルの「ババヤガ」とは、フリーアナウンサーの宇垣美里市によれば、“Baba Yaga”はスラブ民話にでてくる森にすむ妖婆のことを指す、そうです。( Book Bang : 参照 )