人魚が逃げた

人魚が逃げた』とは

 

本書『人魚が逃げた』は、2024年11月にPHP研究所からソフトカバーで刊行された、短編のファンタジー小説集です。

アンデルセンの童話『人魚姫』をモチーフに、東京銀座の歩行者天国での出来事が互いに関係していく様子を紹介するこの作者らしい心温まる物語集でした。

 

人魚が逃げた』の簡単なあらすじ

 

小説を愛するすべての人に、この嘘を捧ぐー。あの三月の週末、SNS上で「人魚が逃げた」という言葉がトレンド入りした。どうやら「王子」と名乗る謎の青年が銀座の街をさまよい歩き、「僕の人魚が、いなくなってしまって…逃げたんだ。この場所に」と語っているらしい。彼の不可解な言動に、人々はだんだん興味を持ち始めー。そしてその「人魚騒動」の裏では、五人の男女が「人生の節目」を迎えていた。銀座を訪れた五人を待ち受ける意外な運命とは。「王子」は人魚と再会できるのか。そもそも人魚はいるのか、いないのか…。(「BOOK」データベースより)

人魚が逃げた』の感想

 

本書『人魚が逃げた』は、銀座の歩行者天国を舞台にしてアンデルセンの童話『人魚姫』に登場する「王子」をめぐる五つの物語が展開されるファンタジー小説集です。

作者の青山美智子は四年連続で本屋大賞にノミネートされているのですが、本書もまた多分ノミネートされるのではないでしょうか。

と書いていたら、本年(2025年)2月3日に本屋大賞の候補作の発表があり、本書『人魚が逃げた』もまたノミネートされました

 

本書は、東京銀座の歩行者天国で「王子」と名乗る人物が「僕の人魚が、いなくなってしまっ」た、とインタビューに答えている場面から始まります。

この王子をめぐり、この作者のいつもの作品と同じく、心が温まる優しいストーリーが展開されていきます。

つまり、ある話にほんの少しだけ登場する人物が次の物語の主役となって新たな物語が展開されていくのです。

 

例えば、「一章 恋は愚か」に登場するティファニーブルーの紙袋を下げた娘とその母親は、次の「二章 街は豊か」の主役として登場します。

また、同じく一章に登場した紫色のワンピースを着たバカでかいイヤリングをつけたお婆さんは「三章 嘘は遥か」に登場し、重要な役割を果たしているのです。

こうして、新たな物語が始まるたびに、この人物はこれまでの話の中のどこに出てきたかを探すのも一つの楽しみになるかもしれません。

 

プロローグ」では、芸人のロブ秋村が「週末あなた様」というテレビの情報番組で、王子にインタビューをした言葉だけが簡単に紹介されています。

一章 恋は愚か」は、自分は十二歳も年上の恋人の理世さんに相応しい人間かと悩む友治という青年の物語です。

 

二章 街は豊か」は、ヘアメイクアップアーティストとしてアメリカへ行くことを決めた娘奈緒の心配をする母親伊都子の物語です。

本当にやりたいことを見つけ、育て、つかんだ我が子を見て、「私はいったい誰なのか」とあらためて自分の人生を考える伊都子でした。

 

三章 嘘は遥か」は、別れた妻の須美子から贈られた懐中時計を手放そうか迷っていた渡瀬昇という絵画好きの男の物語です。

この話に登場する「ギャラリー渦」という画廊が本書の他の場所でも重要な役割をはたしています。そして、渡瀬昇もまた自分の人生を顧みることになります。

 

四章 夢は静か」は、銀座に実在する喫茶店「カフェーパウリスタ」で「山川英吾賞」という文学賞の結果発表を待つ日下部伸次郎という作家の物語です。

日下部伸次郎は、自分のような社交性のない男は、快活で多くの人に好かれ、経済力もある妻の多恵にふさわしくないのではないかと一人思い悩んでいました。

多恵は自分を「かわいそう」との思いで一緒になっているのではないかと思い、作家としての自分に自信が持てなくなっていたのです。

 

五章 君は確か」は、一章の主役である友治の恋人の理世さんが本性の主役です。

友治は理世との仲について、現在の自分の年齢や社会的な地位について引け目を感じていましたが、この話の主役である理世も一回りも年下の友治に対して負い目を感じていたのです。

 

エピローグ」は、三章に出てきた「ギャラリー渦」を舞台にした話が語られます。

そして、最後に少しの驚きが用意されていました。

 

この作者の他の作品と同じく、本書でも登場人物は何らかの屈託をかかえていますが、物語が進んでいくなかで、その物語の主役が遭遇する人や出来事によって解決されていきます。

そして、自分が抱えている問題が自分が思い込んでいるだけであり、自分自身と向き合い、さらに相手と十分な意思疎通を図ることでほとんどの問題が解決することに気がつくのです。

 

特に五章では理世と友治の物語が語られると同時に、本書を通しての「王子」の正体が明かされます。

同時に、「エピローグ」では再びギャラリー渦の店長が登場して種明かしをしてくれます。

その意外性は本書『人魚が逃げた』自体の持つ構造を明らかにすると同時に、五章の展開にも小さな驚きを付け加えています。

 

やはりこの作者は本書でも暖かな物語を提供してくれると同時に、私たちが幼いころから見聞きしていたアンデルセンの「人魚姫」の物語の新たな解釈を示してくれています。

そうした観点もまた物事の一面的な見方をいましめ、思い込みを正しているようにも思えます。

そしてまた、これからもこの作者の作品を読み続けたいと思うのです。

藍を継ぐ海

藍を継ぐ海』とは

 

本書『藍を継ぐ海』は、2024年9月に新潮社から272頁のソフトカバーで刊行され、第172回直木賞を受賞した短編小説集です。

現実的な科学的な知見を基礎にした人間ドラマが展開されている短編集であって、かなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

藍を継ぐ海』の簡単なあらすじ

 

数百年先に帰ってくるかもしれない。懐かしい、この浜辺にーー。なんとかウミガメの卵を孵化させ、自力で育てようとする徳島の中学生の女の子。老いた父親のために隕石を拾った場所を偽る北海道の身重の女性。山口の島で、萩焼に絶妙な色味を出すという伝説の土を探す元カメラマンの男ーー。人間の生をはるかに超える時の流れを見据えた、科学だけが気づかせてくれる大切な未来。きらめく全五篇。(内容紹介(出版社より))

 

藍を継ぐ海』の感想

 

本書『藍を継ぐ海』は、五編の物語が収納された第172回直木賞を受賞した短編小説集です。

現実的な科学的な知見を基礎にした人間ドラマが展開されていて、かなり惹き込まれて読んだ作品集でした。

様々な分野の科学的情報を前提とすることで物語の背景に深みが加えられていて、展開されている人間ドラマ全体が厚みを増した作品となっているのです。

 

また、どの話も情報の量がすごく、それでいて消化不良感がなく、ストーリー自体もすっきりとまとまっていて実に読みやすいのは驚きです。

その上、それぞれの物語は日本のいろんな土地を舞台としていますが、その土地ごとの方言が、多分それなりにきちんとした方言が使われていると思われ、物語にリアリティを与えています。

著者の伊与原新はもともと研究者だったということですが、登場人物の心象や風景描写の文章も見事なものです。

 

夢化けの島
山口県内の国立大学で火成岩岩石学を研究している久保歩美は、山口県萩市の北西にある見島で出会った三浦光平という男を通して萩焼と出会い、そして萩焼の歴史を知るのでした。

地質学と山口県の萩焼とを中心にして、ひとつのことに取り付かれていると言ってもよさそうな人間たちを描き出した物語です。

歩美の地質調査の意味やその様子をこと細かに説明してあるかと思えば、もう一人の主役である三浦光平に絡む萩焼についてもまたその歴史まで含めて詳細に説明してあります。

その説明にあらためてうまいと思うのは、私達素人が読んでもその土地の地質学的な成り立ちが理解できるように説明してあることと、萩焼についても同じく歴史的な来歴まで含めてわかりやすく説明してあることです。

その上で、主役の二人の人間的な佇まいもわかりやすく描き出してあります。

※助教授という職種が准教授と変わったということは知っていましたが、助教という言葉の性格の意味もあまり知りませんでした( アカリク : 参照 )

 

狼犬ダイアリー
まひろは、都会での仕事に疲れ、三十歳の節目を機に奈良の山奥でフリーランスとして仕事を始めていた。ある夜、皆から「オオカミ少年」と呼ばれていた大家の息子の拓己が見たというオオカミらしき遠吠えを聞いた。

今は絶滅しているとされるニホンオオカミ、人間のよき友としている「」、そして「狼混」についての考察の物語です。また、その背景としての林業の現状についての話なども盛り込まれています。

 

祈りの破片
長崎県の長与町役場の住宅係に勤務している小寺は、担当する空き家で被爆後の長崎で集められたと思われる多数の瓦礫と、「加賀谷昭一」との名前のあるノートを見つけた。

あの「戦争」という災禍の中でただひたすらにピカドンの性質を調べようとする研究の徒と、無垢な子供を焼き殺すことを可とする神への疑問を持った神父の物語を掘り起こしていきます。

「あとがき」によれば、この物語は広島平和記念資料館初代館長の永岡省吾氏の活動に着想を得たと書いてありました。地質学者だった長岡氏は原爆投下後の広島でたった一人で被爆資料の収集、調査を行い現在の資料館の礎を築かれたそうです。

しして、原爆の熱線は道端に咲く野菊のような小さな存在でさえも、その影を焼き付けるものなのでしょうか。ここの描写は衝撃的でした。

 

星隕つ駅逓
北海道の遠軽町の近くに隕石が落ち、アマチュアの天文家たちが隕石を探しにこの町へやってきた。そこで郵便局員の信吾の妻の涼子は、その隕石に、定年退職が近い父親公雄のために、父親が局長を務める野知内郵便局の名を残そうと画策するのだった。

北海道開拓の苦労の話はいろいろな小説でも読んだことがあります。そうした悲惨な開拓民の暮しの「唯一の楽しみは、手紙」であり、「故郷の親や親戚、友人からの便り」だというのです。そしてまた、配達も命がけだったそうです。そうした記憶の残る「野知内駅逓」がその痕跡さえなくなるというのでした。

この物語ではまた、今では「九号沢川」と呼ばれている川について、アイヌの伝承に言う「ノチウナイ」つまり「星の川」という意味の川だというアイヌの伝承の話も紹介してあります。

 

藍を継ぐ海
徳島県阿須町の姫ケ浦に産卵に来るウミガメの卵を盗もうとしていた沙月は、一人のカナダ人と出会う。このティムと名乗るカナダ人は、カナダの太平洋岸、ブリティッシュコロンビア州にあるハイダ・グワイでビーチコーミングでタグのかけらとおぼしきものを拾ったというのだ。

この物語は、徳島県に住む沙月という娘、それに佐和というボランティアの女性というアカウミガメに魅せられた二人の女性の物語です。

アカウミガメは、太平洋をカナダの西岸まで渡り、何十年かの年月を経て再び母なる浜である母浜へと戻ってくるそうです。

そうした生態を丁寧に説明しながら、一匹のアカウミガメにつけられたタグの欠片に秘められたドラマが語られます。

こうして、この物語はウミガメに魅せられた人々の人間ドラマと共に、大いなるロマンを感じさせてくれるのです。

 

本書『藍を継ぐ海』の著者伊与原新氏は、前著の『八月の銀の雪』も直木賞の候補となっていましたが、本書は第172回直木三十五賞を受賞しています。

そして、その受賞になんの違和感もない、受賞して当然の作品だった、というのが正直な感想です。おめでとうございますと心からの拍手を送りたいと思います。

あいにくあんたのためじゃない

あいにくあんたのためじゃない』とは

 

本書『あいにくあんたのためじゃない』は、2024年3月に新潮社から256頁のソフトカバーで刊行された、第171回直木賞の候補作になった短編小説集です。

「強炭酸エナドリ短編集」や「この世を生き抜く勇気」という惹句が謳われていますが、面白いのだけれど、その意図が読み取れない作品もあった個人的には微妙な作品集でした。

 

あいにくあんたのためじゃない』の簡単なあらすじ

 

老若男女に贈る、強炭酸エナドリ・最高最強エンパワーメント小説集! 過去のブログ記事が炎上中のラーメン評論家、夢を語るだけで行動には移せないフリーター、もどり悪阻とコロナ禍で孤独に苦しむ妊婦、番組の降板がささやかれている落ち目の元アイドル……いまは手詰まりに思えても、自分を取り戻した先につながる道はきっとある。この世を生き抜く勇気がむくむくと湧いてくる、全6篇。(内容紹介(出版社より))

 

あいにくあんたのためじゃない』の感想

 

本書『あいにくあんたのためじゃない』は、第171回直木賞の候補作になった短編小説集です。

他人に貼られたラベルのために生きづらさを感じている人に元気をもたらすことを意図して書かれたそうですが、私にはその意図が読み取れない作品もありました。

 

作者が言うように、SNS全盛の現在は特に、簡単に他人をラベリングをしがちであり、一旦貼られたラベルはなかなかに剥がすことが難しいことだと思います。

本書の第一話の「めんや評論家おことわり」などは上記のラベリングがそのままにあてはまる話でしょう。

 

めんや評論家おことわり

ラーメン評論家の佐橋ラー油は、一時期は自分のテレビ番組を持つほどの人気を得ていたが、創業五十年の「中華そば のぞみ」から入店を断られたことをきっかけに、「ラーメン武士」の名で活動していた毒が強かった頃の記事がネット上で晒され、仕事が激減してしまっていた。

とあるラーメン店の、毒舌ラーメン評論家に対する復讐の物語です。いまでは世界的にも名前が知られるようになったラーメン店「のぞみ」の柄本希が如何にして名声を獲得するに至ったか、佐橋ラー油が何故に人気が凋落するに至ったか、などが端的に語られる痛快物語でもあります。

この本『あいにくあんたのためじゃない』が示す「差別、偏見、思い込み― 他人に貼られたラベルはもういらない、自分で自分を取り戻せ‼」という惹句そのままの物語です。

 

BAKESHOP MIREY’S

近所の「焼き鳥 くろ兵衛」のアルバイトの未怜はベイクショップを開くという夢を持っていて、昼休みにこの店に通う秀美に対し、ここにオーブンさえあればうんと練習をするのにと話すのだった。

この物語が本書のタイトルとどのように関係してくるのか、秀美の最後の行為による未怜の行動をどう評価すべきか、そこがよく分かりませんでした。

著者によれば、「社会的地位の高い人は、社会や下層階級に対して貢献しなきゃいけないという『ノブレスオブリージュ』の価値観」は日本では受け入れられないけれど、「それでも秀実のおせっかいは全くのムダではなかったと描きた」かったというのです( 大人のおしゃれ手帖web : 参照 )。

秀美が一歩を踏み出したことは分かるのですが、それまでの行為はどう評価すべきか、その先こそが問題ではないのか、私の中ではあまり整理がつかない作品だったのです。一歩生み出しただけでもよしとすべきなのでしょうか。

 

トリアージ2020

升摩利子は、急勾配の坂の途中にある古びたマンションの一階を終の住処として購入したが、コロナ禍に入り、誰も訪ねて来る者もいないままに、久しぶりに訪ねてくれた人がいた。それが、人気医療長寿ドラマの「トリアージ~呼吸器内科医・宝生雅子~」が縁で知り合ったTwitter仲間のよこちんさんの母親の横山典子さんだった。

私としてはこの物語が一番気に入りました。読んでいる途中でよこちんさんの正体を推測したりもしていましたが、実際は私の思惑などとは関係のない事実でした。

素人読者の浅薄な思惑など及びもつかない登場人物の振る舞いや思惑もさすがの作品です。さすがは人気作家だとあらためて感じ入り、さらには親子のあり方なども思わず考えさせられた作品でした

 

パティオ8

七世帯の住居が十数メートル四方の中庭をロの字の形で取り巻いている平屋型マンションで、リビングの窓を通して中庭で遊ぶ子供たちを確認しながら仕事や家事をできることが、コロナ禍での暮らしの生命線になっていた。ところが、101号室の男が自分の仕事は片手間にできるようなものではないと文句をつけてきたのだ。

まさにファンタジックな物語であり、ある種痛快小説ともいえる物語です。実際にこのように都合のいい人物が揃うはずもなく、またうまくがまとまることもないでしょう。

そもそもこのように隣人同士が気楽に集えるマンションの存在自体が虚構としか言えないものであり、だからこそある種ファンタジーだと言ったのです。

でも、そんなマンションがは実在したらしいのです。そして、読み手の心に爽快な読後感と少しの切なさをもたらし、余裕のないコロナ下での暮らしを思い出させてくれるようです。

 

商店街マダムショップは何故潰れないのか?

仕事を辞め故郷に帰ってきて暇を持て余している四十歳になる私ことあっちゃんは、先週高校を卒業したばかりの幼馴染の琴美とお茶をして、窓から見える婦人雑貨店「ドゥリヤン」が客を見たこともないのに何故つぶれないのか、不思議だという話をしていた。

この物語こそまさにファンタジーと言っていいのでしょうか。

物語の主役と幼馴染の子が二十歳以上の年齢差という設定の必然性もよく分かりません。四十歳女性とは異なる若い娘の強い瞬発力が欲しかったのでしょうか。

同時に、この物語がこの書籍に入っている理由もまたよくわかりませんでした。

 

スター誕生

ユーチューバーの「独居老人しげる」が撮影した動画から自分たちを削除してほしいと抗議してきた母親が、「MCワンオペ」として人気が出ていることに着目した真木信介は、自分の番組の人気回復のために「MCワンオペ」を登場させようと目論む。しかし、「独居老人しげる」もまた自分のチャンネルに登場させようと目論んでいたのだった。

「この短編集では他者から一方的にラベリングされ、心に傷を負う人の姿も描かれている。( marie claire : 参照 )」とあるけれど、まさにそういう立場に立たされた人たちの物語です。

飽くなき地景

飽くなき地景』とは

 

本書『飽くなき地景』は、2024年10月にKADOKAWAからソフトカバーで刊行された、長編の現代小説です。

旧華族の烏丸一族の嫡男である治道の戦後を俯瞰する物語で第172回直木賞の候補となっていますが、個人的な好みとは異なる作品でした。

 

飽くなき地景』の簡単なあらすじ

 

不動産事業で財を成した旧華族の烏丸家。その嫡男として生まれた治道は、東京に無数のビルを建設し、伝統ある景観を変えてしまう家業を嫌い、烏丸家に伝わる美しい名宝の数々を守っていきたいと志していた。だが、父・道隆の企みにより、家宝である粟田口久国の「無銘」が凶暴な愚連隊の手に渡ってしまう。刀を取り戻すため、治道はある無謀な計画を実行するのだが…。戦後復興と経済成長、オリンピックー時代が進み、東京の景色が変化し続ける裏側で「無銘」に関わる事件が巻き起こる。刀をめぐる一族の秘密と愛憎を描く美と血のノワール。(「BOOK」データベースより)

 

飽くなき地景』の感想

 

本書『飽くなき地景』は、歴史上実在した人物や地名が登場するなかで、ある旧華族の運命を描いた第172回直木賞候補作となった長編の現代小説です。

ただ、物語の内容もさることながら、文章に改行が少ないために非常に読みにくさを感じたためか物語の展開も分かりにくく、私の好みとは異なる作品でした。

これまで、例えば今野敏の各作品のように改行が多い作品を多く読んできていたので、本書のような作品は頁内の文字の量が多すぎてとても読みにくく感じたのです。

 

本書を読んで一番に思い出した作品が、第13回山田風太郎賞を受賞し、第168回直木賞受賞作となった小川哲の『地図と拳』という長編の歴史小説です。

この作品は、家族が描かれた本書とは異なり、太平洋戦争へと至る過程の満州を舞台にした群像劇であって、とても論理的な文章で描かれた難解な作品です。

共に重厚な物語であり、読み通すのにかなりの努力が必要という意味で思い出したのだと思います。

 

本書『飽くなき地景』は、前後の「プロローグ」「エピローグ」を除けば全三部からなっている物語ですが、物語自体の展開はあまりないと言っていい作品です。

第一部は、父親が売り払ってしまった無銘の粟田口久国という刀剣を、渋谷の愚連隊を相手に取り戻す様子が語られています。

ここでの愚連隊というのが、読了後にネットで見ると安藤昇をモデルにしているのではないかと思われるのです。

第二部は主人公の治道が勤務する烏丸建設がスポンサーとなる高橋昭三というマラソン選手との物語です。

そのモデルは多分円谷幸吉だと思われます(以上 NEWSポストセブン : 参照 )。

そして、第三部になるとより直接的に烏丸家の家族の話へとシフトします。その中でこの物語の核となっている粟田口久国に隠された秘密などが明かされていくのです。

 

本書の特徴といえば、まずは白洲次郎浅利慶太など歴史上実在した人物たちが実名そのままに登場してくるということでしょうか。

また、本書で描かれる東京の街並みなども現実に存在した地名そのままだと思われます。

作者自身、「丹下健三や田中角栄のように作中では喋らないキーマンは実名にし、お店も治道の大学の近くの『葉隠』や『金城庵』、あとは『渋谷ロロ』のような今はない店も含めて、現実との接点になってくれるといいなあと思って実名にしています」と述べられています( NEWSポストセブン : 参照 )。

 

本書のように歴史上の人物が実名のまま登場してくる作品は少なくない数のものがありますが、近時では月村了衛の『東京輪舞』のような作品を思いましますし、長浦京の『プリンシパル』という作品もあります。

月村了衛の『東京輪舞』は昭和・平成の重大事件の陰で動いた公安警察員を主人公とする日本の戦後裏面史とでも言うべき作品であり、本書のように日本の戦後史の中で描かれる家族の物語とは少々異なります。

一方、長浦京の『プリンシパル』は、関東最大の暴力団の組長となった二十歳代の女性教師の眼を通した戦後日本の裏面史を俯瞰したアクション作品で、これまた本書とは異なります。


 

次の特徴といえば、先に述べた一頁における改行回数の少なさであり、そのことは読みにくさへと繋がっています。

ただ、読了後に読んだ他の人の評価では、本書の文章は「美しい風景を通して登場人物の心の葛藤が描かれてい」るとの感想もあって、私の印象とはかなり異なります。

 

また、もう一点挙げるとすれば日本刀を主題としていることであり、この日本刀をめぐる家族の物語だということでしょう。

本書のタイトルの『飽くなき地景』の「地景」という言葉からして、「地鉄(じがね)に現われる黒光りする線状の模様のこと」を言うそうです( 刀剣ワールド : 参照 )。

 

以上、繰り返し書いてきたように、本書『飽くなき地景』はかなり読みにくさを感じた作品であり、その描かれている内容からしても私の好みとは異なる作品でした。

ただ、その読みにくさを何とか乗り越えて読了したところ、読書途中で感じていた拒否感のような印象は当初程にはなかったことは付記しておきます。

烏丸治道の父道隆や兄直生に対する感情の在りようがそのままに受け入れられるわけではありませんが、烏丸一族の物語としてそれなりに受け入れることはできると思うようになりました。

まったくの拒否感だけではなかった、ということでしょうか。

この作者のデビュー作である『擬傷の鳥はつかまらない』というハードボイルド作品を読んでみようか、という気になっているのです。

遊戯

遊戯』とは

 

本書『遊戯』は、2007年7月に講談社からハードカバーで刊行され、2009年5月に講談社文庫から250頁の文庫として出版された、連作の短編小説集です。

未完ということを覚悟の上で読み始めたのですが、二人の今後の行方に加え新たに登場した謎の男の存在もあって、やはり今後の展開がどうなるのか気になる作品でした。

 

遊戯』の簡単なあらすじ

 

「現実とネットの関係は、銃を撃つのに似ている」。ネットの対戦ゲームで知り合った本間とみのり。初対面のその日、本間が打ち明けたのは、子どもの頃の忌まわしい記憶と父の遺した拳銃のことだった。二人を監視する自転車に乗った男。そして銃に残された種類の違う弾丸。急逝した著者が考えていた真相は。(「BOOK」データベースより)

 

遊戯』の感想

 

本書『遊戯』は、藤原伊織の遺作となった連作の短編小説集です。

遊戯」は本間透と朝川みのりという一組の男女のそれぞれの生活が描かれている一編の長編というべき短編小説集ですが、著者急逝のため未完となっています。

本書には、この「遊戯」という未完の作品と共に、実質上の遺作である「オルゴール」という短編も収納されています。

 

本書の著者藤原伊織は、2007年の5月に食道癌のために59歳の若さで亡くなられました。

本書の出版が2007年7月ですから、2005年には自身が食道癌に侵されていることを公表しておられることを考えると、本書は癌と闘いながらの執筆だったということになります。

私は図書館で新刊書を借りて読んだのでわかりませんでしたが、ネット上で、文庫版の解説には作者が自身が癌と判明したのが2話目の「帰路」を書いたころだとある、という情報がありました。

 

ジャムライスこと本間透は、ネット上でのビリヤードゲームサイトでパリテキサスと名乗る朝川みのりという女性と知り合います。

本書の第一行目の「非公開にしてもらえます?」という謎の文言から始まるこの物語の導入から、実に自然に物語に滑り込んでいました。

また、会話のきっかけに「paristexas」(パリテキサス)というネット上のニックネームである登録者名から入るところもうまいものです。

この登録者名が邦題を「パリ、テキサス」という映画のタイトルであり、その後の会話につなげていくのです。

 

そういえば、直前に読んだ藤原伊織の『雪が降る』という短編集の表題作である「雪が降る」という作品でも「ランニング・オブ・エンプティ―」という映画の名前が効果的に使われていました。

この映画は邦題を「旅立ちの時」といい、リバー・フェニックス主演の名作映画です。

藤原伊織という作家はこうした小道具の使い方がうまい作家さんでもあるようです。

 

物語は、本間透と朝川みのりの視点が交互に入れ替わり進んでいきます。特に朝川みのりのキャラクターが生き生きとしてて、とても印象的です。

彼女は身長は180cm近くある快活な女性で、本間を通して仕事を得ることになり、その後の展開へと繋がります。

何より、本間は初対面でありながらも長くひとりで抱えてきた秘密をみのりに打ち明けることになるのですが、その経緯がユニークでした。

その後、物語は奇妙な男の登場やみのりの環境の急変など以後の展開が謎に満ちたものになるのですが、前述したように著者は急逝してしまい、本書は未完です。

 

この続きを読みたいと痛切に思いますが、それはかないません。

本書の結末を読むことは永久にできないのですが、それよりも藤原伊織という作家の新たな作品を読むことができないということがとても残念です。

 

もう一編の「オルゴール」は、二度目の不渡りを出したエクステリア用品の販売会社社長の日比野修司と亡妻祥子の前夫である夏目重隆との話です。

夏目はこの国有数の資産家であって、夏目が亡妻祥子へ贈ったオルゴールをめぐって会話が交わされます。

ロマンチックな、というよりは切なさが先に立つ物語でした。

冬と瓦礫

冬と瓦礫』とは

 

本書『冬と瓦礫』は、2024年12月に集英社から176頁のハードカバーで刊行された長編の現代小説です。

阪神神戸大震災をテーマに著者が初めて書いた現代小説で、量的にはそう時間をかかりませんが、内容がそのようには読ましてくれませんでした。

 

冬と瓦礫』の簡単なあらすじ

 

1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が発生した。
神戸市内の高校から都内の大学に進学し、東京で働いていた青年は、早朝の電話に愕然とする。
かけてきたのは高校時代の友人で、故郷が巨大地震に見舞われたという。
慌ててテレビをつけると、画面には信じられない光景が映し出されていた。
被災地となった地元には、高齢の祖父母を含む家族や友人が住んでいる。
彼は、故郷・神戸に向かうことを決意した。
鉄道は途中までしか通じておらず、最後は水や食料を背負って十数キロを歩くことになる。
山本周五郎賞を受賞した作家が自らの体験をもとに、震災から30年を経て発表する初の現代小説。(内容紹介(出版社より))

 

冬と瓦礫』の感想

 

本書『冬と瓦礫』は、時代小説作家としてその名が確立されている著者砂原浩太朗の初めての現代小説だそうです。

阪神神戸大震災に関しての著者の実体験が軸になっていて、私小説的な一面もありつつ、なお記録文学的な側面も持つ作品と言えるでしょうか。

この著者の文章読みやすく、また量的にも短めですが、内容が内容だけに軽く読めるものではありません。

しかし、それでもこの作者の新たな側面を見た気がしました。

 

砂原浩太朗という著者名だけで本書を借りてきてすぐに読み始めたのはいいのですが、私の思惑とは異なり、この作者では初めての現代小説でした。

それも阪神神戸大震災をテーマにした作品であり、当初は頭がついていけませんでした。

この著者の文章読みやすく、また量的にも短めですが、内容が内容だけに軽く読めるものではありません。

しかし、それでもこの作者の新たな側面を見た気がしました。

 

作者の「あとがき」によれば、本書は「一九九五年の阪神・淡路大震災をテーマにした作品」であって、本書の「原型となるものを執筆したのは作家デビュー以前、震災後十五年を目前にした二〇〇八年から九年にかけて」のことだと書いてありました。

そして、「こうした作品を書いたのは」自分自身が「神戸市の出身だから」だとも書いてあったのです。

また、「大筋は私じしんの体験にもとづいている」とのことで、細かなエピソードは創作であるにしても、基本的な枠組みは作者自身の体験に基づいていることになります。

その上で、作中の主人公川村圭介同様に作者自身は被災しておらず、「親族で死者はなく、家もどうにか残った」そうです。

そのために作家として震災を語ることにためらいがあるが、しかしやはり故郷が被災した身として何らかの痛みはあり、それは小説と言う形でしか表せない、と書いておられました。

 

私自身、2016年4月14日と2016年4月16日に熊本市に近い西原村や益城町で震度7という大地震に遭遇しています。

ただ、私の住む熊本市中央区はそれぞれに震度5強と6強であり、益城町での建物倒壊の写真とは比べものにならないくらい軽いものでした。

それでも、我が家を含めた隣近所では屋根瓦は落ち、壁にはひびが入り、しばらくの間はあちこちの家の屋根がブルーシートに覆われていたものです。それでもそのままに住み続けることはできたのです。

そういう点では本書『冬と瓦礫』の主人公に似たところがあると言えるかもしれません。

家屋倒壊のような大きな被害はなかったものの、数日間の停電、一週間ほどの断水生活やガスも止まった状態が続きました。

ですが、西原村や益城町の被害に比べれば軽くて済んだことを喜びつつも、亡くなられた方まで出たよりひどい被災者の方たちを思うと、何となく素直には喜べない気持ちになったものです。

 

この文章を記している今日が令和7年1月17日です。そして平成7年1月17日に阪神淡路大震災が起きています。

朝のニュースを見て30年前の今日の早朝、阪神淡路大震災が発生したことを知りました。

数日前に本書を読了していたのですが、なかなかに文章にまとめることができずにいたため、慌てて書いています。

阪神淡路大震災や東日本大震災と比べると熊本地震はまだましな方だという人もいます。しかし、被災者にとっては自分が遭遇した災害が一番です。

熊本地震も殆ど9年前の出来事になりましたが、それでも軽いながらも被災した記憶は明確に残っています。

身内や知人を亡くされた方々にとってはなおさらのことであることは想像に難くありません。

 

本書『冬と瓦礫』の作者砂原浩太朗の思いをかみしめながらも、去年1月1日に発生した能登半島地震や南海トラフ地震の可能性など、わが日本の地震の多さに辟易しています。

南海トラフ地震の可能性も取りざたされるこの頃です。あらためて水や食料、簡易トイレなどの備えをもう少し充実させねばと思っています。

雪が降る

雪が降る』とは

 

本書『雪が降る』は、1998年6月に講談社から刊行され、2021年12月にKADOKAWA文庫から黒川博行氏の解説まで入れて336頁の文庫として出版された、六編からなる短編小説集です。

藤原伊織の作品集らしく美しい文章で紡がれる叙情豊かな作品集であって、かなり興味深く読みました。

 

雪が降る』の簡単なあらすじ

 

ギャンブルに溺れ、自堕落な日々を過ごす会社員・志村。彼の元に、1通のメールが届く。“母を殺したのは、志村さん、あなたですね”メールの送り主は、かつて愛した女性・陽子の息子だったー。訪ねてきた少年とともに、志村は目を背け続けてきた彼女との記憶を辿り始める。その末に明らかになる、あまりにも切ない真実とは(「雪が降る」)。不朽の名作『テロリストのパラソル』の著者による、6篇を収録した短編集。(「BOOK」データベースより)

目次
台風 | 雪が降る | 銀の塩 | トマト | 紅の樹 | ダリアの夏

 

雪が降る』の感想

 

本書『雪が降る』は、それぞれに分類をしにくい六編の短編小説からなる作品集です。

藤原伊織らしい美しい文章の叙情的な作品が収められており、その世界観に浸って面白く読むことができました。

おかげで、この作者の全作品を再度読み返そうという気にさせられた作品集でした。

 

冒頭に述べたように、本書は青春小説、恋愛小説、企業小説、ハードボイルド等と、一つの短編でも明確には分類できない作品が並びます。

第一話の「台風」は、ある企業の営業職に勤務するサラリーマンの日常と、営業ノルマに耐えかねた主人公のかつての部下が犯した傷害事件の描写から始まり、物語は主人公の過去へと遡ります。

かつての部下が起こした事件が、主人公の生家である玉突き屋で起きたある事件を思い出させたのですが、この話からして分類しづらい作品でした。

 

そして第二話の「雪が降る」という作品がいかにも藤原伊織の描く物語世界らしい、ミステリアスな恋愛小説でした。

この話も、解説で黒川博行氏が書かれているように、とある食品企業の販売促進課に勤める主人公の業務の一面が描かれる企業小説的側面を持っています。

しかしながら、この物語自体は親友の妻であった女性と主人公との恋愛物語というべきでしょう。

その上、二人の話にもっていくまでの物語の展開が見事で、先の展開が気になり本を置けなくなってしまいます。

何よりも問題の女性が書いた主人公へのメールが驚きです。現実にはあり得ないだろうその文面は、いかにもこの作者の世界観ならではのものでした。

ただ、この女性の夫である主人公の親友はどういう立場に立たされるものなのか、考えないではおられませんでした。

 

第三話の「銀の塩」は、軽井沢を舞台にしたある種犯罪小説であり、また恋愛小説という言うべき物語です。

この物語も一歩引いてみるとあり得ないと思われる設定ですが、何故か心惹かれる作品に仕上っています。

 

第四話の「トマト」は、自分は人魚だという女性が主人公にトマトについて語る話で、数頁しかない短編であり、若干戸惑いを感じてしまった作品でした。

 

第五話の「紅の樹」は正面からヤクザを主人公としたハードボイルドです。

たまたま隣の部屋に越してきた母娘のために命を懸ける男の話であり、ストレートに男の生きざまを語っています。

今の時代、「男の」という修飾語をつけることは憚るべきことなのでしょうが、かつて高倉健が演じた東映の任侠映画にも通じる側面があるこうした物語を好む自分がいることを否定できません。

藤原伊織の文章の紡ぎ方がよく分かる作品です。

 

第六話の「ダリアの夏」は、デパートの配送人の男のある配送先での出来事を描いた話です。

この話を読んで、 ロバート・B・パーカーの『初秋』というハードボイルド作品を思い出していました。一人の男と少年の物語という点だけが同じで他は全く異なる物語ですが、少年の成長を感じさせる点で思い出したのかもしれません。


 

知人から文庫本を貰ったのをきっかけに久しぶりに藤原伊織の作品を読んだのですが、やはりこの人の作品は私の一番の好みだとあらためて思いました。

一応はこの人の作品はその殆どを読み終えているのですが、再度読み返そうと思うほどに引き込まれたのです。

この頃は小説を読む頻度もかつてほどにはなくなってきていたので、再度、読書の気分を奮い立たせる意味でもいいかとおもうのです。

やはり、藤原伊織の作品はいい。

成瀬は信じた道をいく

成瀬は信じた道をいく』とは

 

本書『成瀬は信じた道をいく』は『成瀬は天下を取りにいくシリーズ』の第二弾で、2024年1月に新潮社から208頁のソフトカバーで刊行された、連作の青春短編小説集です。

無双の女子学生成瀬あかりの行いをいろいろな視点から記して本屋大賞を受賞した『成瀬は天下を取りにいく』の続編となる短編小説集で、とても面白く読んだ作品です。

 

成瀬は信じた道をいく』の簡単なあらすじ

 

唯一無二の主人公、再び。…と思いきや、まさかの事件が勃発!?我が道を突き進む成瀬あかりは、今日も今日とて知らぬ間に、多くの人に影響を与えていた。「ゼゼカラ」ファンの小学生、成瀬の受験を見守る父、近所のクレーマー(をやめたい)主婦、観光大使になるべくして生まれた女子大生…個性豊かな面々が新たな成瀬あかり史に名を刻む。そんな中、幼馴染の島崎が故郷に帰ると、成瀬が書置きを残して失踪しており…!?(「BOOK」データベースより)

目次
ときめきっ子タイム | 成瀬慶彦の憂鬱 | やめたいクレーマー | コンビーフはうまい | 探さないでください

 

成瀬は信じた道をいく』の感想

 

本書『成瀬は信じた道をいく』は『成瀬は天下を取りにいくシリーズ』の第二弾で、主人公成瀬あかりの行動を記したとても面白く読むことのできた連作の短編小説集です。

シリーズ第一冊目の『成瀬は天下を取りにいく』は2024年本屋大賞を受賞しましたが、本書は前著にも増した面白さを持つ作品となっています。

 

そのシリーズ前著『成瀬は天下を取りにいく』は、2024年本屋大賞を受賞するほどの高い評価を得ている作品ですが、個人的には今一つ乗り切れない作品だったと当該箇所で書いています。

青春小説としては主人公の成瀬の成長の様子などが描かれているわけでもなく、評価しにくいと感じたようです。

ところが、本書を読了してみるとその感想とは異なり、とても面白い作品を読み終えたという充実した印象を持っています。

このことは、かなり昔ではありますが、庄司薫の『赤ずきんちゃん気を付けて』という作品が芥川賞を受賞したとき、芥川賞には値しないという声が多く聞かれたことを思い出してしまいました。

それは、サリンジャーの『ライ麦畑で気を付けて』という作品との類似性という批判の側面を除けば、世間ではその文体が実に「軽い」からと言われていたためです。

その点では、作品の表面だけしか見ることができていなかった当時の多くの読者と同じだと思われるのです。

本書『成瀬は信じた道をいく』でも、第一作と同じく各話ごとに視点の主が変わる多視点の描写で成瀬あかりという特異なキャラクターを浮かび上がらせようとしています。

第一話の「ときめきっ子タイム」では、大津市立ときめき小学校四年生の北川みらいの視点で進み、第二話の「成瀬慶彦の憂鬱」では第三者視点ではあるもののあかりの父親の成瀬慶彦の心象が詳しく描写してあります。

そして、第三話「やめたいクレーマー」ではクレーマー気質の主婦である呉間言実の、第四話「コンビーフはうまい」では篠原かれんという親子三代にわたってびわ湖観光大使に就任することを言い聞かされてきた女子高校生の視点に戻っています。

また、第五話「探さないでください」でも、あかりに内緒で滋賀へと帰ってきた親友の島崎みゆきの視点で物語は進行しているのです。

 

こうしてみると、視点の主はあかりの親友の島崎みゆきを除けば、第二話で新たに登場してきた人物たちであり、彼らの目を通してあかりという存在のユニークさが一段と際立っていることが分かります。

そして、主人公の成瀬あかりはもちろんのこと、親友の島崎や篠原かれんなどの登場人物たちが成瀬あかりを中心にとても生き生きと動き回っているのです。

 

本書でやっとこのシリーズが青春小説であることを認識したことは、第四話の「コンビーフはうまい」がきっかけであったようです。

びわ湖大津観光大使になることを目的として生きてきた篠原かれんという女の子と成瀬あかりとの絡みの話ですが、この話は今まで読んだ成瀬シリーズの中で最も女子高生の悩みを直接的に問うている作品だ感じたのです。

ということは、私は具体的に若者の悩みを提起してある作品でないと青春小説として認識できないということになりそうです。

シリーズのこれまでの各短編でも、青春小説として認めてはいたのですが、この話でやっと明確に青春小説と認めているのは、単に私の読解力不足であると言い切って良さそうなそうな気がします。

 

最終的にはこのシリーズの面白さを全面的に認めるべきであり、続編を期待するほどになっています。

うつ蟬 風の市兵衛 弐

うつ蟬 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐 シリーズ』の十三弾で、2024年4月に祥伝社文庫から344頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

このシリーズもかなりの長さを数えるようになり、どうしてもマンネリという印象が先に立ち、市兵衛の面白さが薄れてきている気がします。

 

うつ蟬 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

家格の違いにも拘らず、三千石の旗本岩倉家に輿入れした村山早菜。藩の陰謀で父を失うも唐木市兵衛に助けられた川越藩士の娘だ。だが、幸せは束の間だった。市兵衛は兄・片岡信正から、岩倉家の逼迫した台所事情を知らされ、憤る。早菜の幸福を願う後見人の大店両替商“近江屋”の財を貪らんとする卑劣な縁組か。そんな折、変死体を調べる渋井父子は妙な金貸の噂を聞く。(「BOOK」データベースより)

目次
序章 隠田村 | 第一章 花嫁御料 | 第二章 原宿町 | 第三章 銀座町 | 第四章 代々木村 | 終章 五月雨

 

うつ蟬 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛シリーズ』の第十三弾となる長編の痛快時代小説です。

このシリーズもかなりの長さを数えるようになり、どうしてもマンネリという印象が先に立ち、市兵衛の面白さが薄れてきている気がします。

というよりも、かなり厳しいことを言えば本書のストーリーそのものが既視感しかないと言ってもいいほどに独自性が感じられないものでした。

 

旗本岩倉家に輿入れした村山早菜でしたが、この婚姻は高倉家の台所事情、また夫となった高倉高和が起こした不祥事などにより早菜の後見人である大店両替商の近江屋の財産を狙ったものでした。

しかし、主人公の唐木市兵衛は兄の片岡信正と会った際に、信正の配下で市兵衛の親友でもある返弥陀ノ介から早菜の輿入れ先の高倉家の台所事情がかなりひっ迫したものであり、台所預かりという処置では済まず、改易ということにもなりかねないものだという話を聞かされます。

唐木市兵衛は宰領屋矢藤太と共に、父親村山永正亡き後の早菜を襲い来る暴漢から守り河越から江戸の近江屋まで届けたことから、江戸の大店の両替商である近江屋の刀自の季枝からも頼られている存在だったのです。

 

こうした花嫁の家の財産目当ての結婚というストーリーは痛快時代小説のストーリー展開として見た場合ありがちな設定であり、なにも目新しいものではありません。

もちろん、本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』には本書なりの冒頭に示された殺人事件の犯人探しや、メインである早菜の結婚物語への犯人探しの絡み方など一定の工夫(と言っていいものかわかりませんが)は示してあります。

しかしながら、全体としてのストーリー自体に読者を惹き付けて離さないほどの魅力が見いだせないのです。

 

そもそも、この作品の基本的な設定である早菜の婚姻自体に、嫁ぎ先の旗本の台所事情がかなり怪しいことを婚姻の仲介役である権門師が全く知らないことがあり得るものか疑問です。

また、早菜の結婚式で夫の招待客の中に良い噂の無い金貸しの男がいることもまた不自然です。

いくら金を借りているからといって、武士の婚儀の席に良い噂のない町人を招くことはしないのではないでしょうか。

 

辻堂魁という作家の作品は若干そのストーリー展開に似たものがあるのは否めないところです。また、町人の物語にしろ、侍の物語にしろ、人情噺の裏に不条理な哀しみが隠されている点もまた類似点があると言えます。

でありながら、かなり緻密な描写を重ねて組み立てられていくストーリー展開はそれなりの型を持った作家さんとしてかなり面白く読んでいたのです。

ところが、この『風の市兵衛シリーズ』は人気シリーズゆえに二十巻を数え、マンネリを感じるようになりました。

そのため『風の市兵衛シリーズ 弐』として物語の環境に変化をつけたのですが、さらに本書で『風の市兵衛シリーズ 弐』も十巻を超える長さとなり、ストーリーも『風の市兵衛シリーズ』と変わらなくなり、やはりマンネリに陥っていると言わざるを得ません。

 

そうした印象を持っていた中での本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』です。私の中でももう我慢できないと思ったのでしょう。言葉も強くなってしまいました。

面白いことが当たり前と思い読み続けてきたシリーズであるからこそ、ここから更なる飛躍を期待したいのです。

勝手なファンの勝手な繰り言ではありますが、このシリーズが再度魅力を取り戻すことを願います。

黄色い家

黄色い家』とは

 

本書『黄色い家』は、2023年2月に中央公論新社から608頁のハードカバーで刊行され、王様のブランチでも特集された長編の青春小説です。

また2024年の本屋大賞にもノミネートされ、数々のメディアにも取り上げられた話題の作品ですが、個人的な好みとは異なる作品でした。

 

黄色い家』の簡単なあらすじ

 

2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!s(「BOOK」データベースより)

 

黄色い家』の感想

 

本書『黄色い家』は、主人公の伊藤花を中心とした四人の女の生活を描いた長編の青春小説です。

2024年本屋大賞では第六位となり、第75回読売文学賞(小説賞)や王様のブランチBOOK大賞2023を受賞し、数々のメディアにも取り上げられた話題の作品です。

本書については、冒頭では「青春小説」と明記しましたが、多くの声は「クライム・サスペンス」と紹介する場合が多いようです。

 

本書『黄色い家』の主人公の伊藤花は育児放棄ともとられかねない自身の親元から逃げ、若干十七歳で母親の知人であった吉川黄美子という女性のもとに転げ込み、貴美子のスナック「れもん」を手伝いながら共に生活を始めます。

その生活にキャバクラに勤めていた加藤蘭、金持ちの娘である玉森桃子の二人が加わり、四人の生活が始まります。

こうして、本書の中ほどまでは特に主人公の花の心象を中心に描きつつ、花を中心とした四人の生活が描かれていきます。

その過程が、家族問題や友達との新しい関係も含め、まさに青春の一側面を描いていると感じたのです。

 

ところが物語も中盤を過ぎるころ、四人の生活に次第に影が差すようになってくると物語はクライムノベルへと変化していきます。

「れもん」の経営もうまくいかなくなり、日々の生活を維持するという現実に直面したとき、彼女らは闇の世界の「シノギ」に手を出し始めるのです。

この「シノギ」が犯罪の一端を担う仕事であり、そこから四人の生活の転落が始まります。

 

本書『黄色い家』では、悲惨な暗い過去を持った登場人物たちの過去をこれほどの描写が要るのかと思うほどに詳説してあります。

その緻密な描写があってこそ物語に真実味が加味されるということは理解できます。

主人公やそのほかの登場人物の心象をこれでもかと精密に描き出すのは、対象となる人物の存在を明確にするためだと思われるのです。

本書の帯には「人はなぜ、金に狂い、罪を犯すのか」との文言が記してありました。人が犯罪に走る理由の一端を明らかにしているということなのでしょう。

 

しかしながら、この緻密な描写が冗長に過ぎないかと思ってしまいました。

読書にひとときの安らぎを求める私にとって、この手の作品は読むのに努力が必要であり、どうしても感情移入ができない、苦手な作品というほかありません。

でも、日々の出来事までも詳細に描写しながら、また人物の心象をもこれほどまでに描写しなければならないのか、不思議にさえ思えたのです。

何度か読むのを辞めようかと思いましたが、本書は本屋大賞の候補になっているくらいだから読む価値がないわけはないと自分に言い聞かせ、何とか読み終えました。

 

本屋大賞にノミネートされた本書と同様に私が苦手とした作品の中の一冊として、町田そのこの『星を掬う』という作品があります。

この作品もまた、2022年本屋大賞の候補となるほどに評価された素晴らしい作品ですが、破滅的な家族、家庭が主題になっていて、私の好みとは異なる物語でした。

 

本書『黄色い家』が本屋大賞の候補作となっているのにはやはりそれなりの理由があると思われ、それは、四人の生活が少しずつ、本当に少しずつ壊れていく後半になって明確に理解できます。

しかし、本当に読み通すのに力が要りました。

結局、いい本ではあるけれども私の好みとは異なる作品だったというしかありません。