リカバリー・カバヒコ

リカバリー・カバヒコ』とは

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、2023年9月に234頁のハードカバーで光文社から刊行された連作の短編小説集です。

いつもの通りの心温まる話が詰まっている、青山美智子らしい作品集です。

 

リカバリー・カバヒコ』の簡単なあらすじ

 

5階建ての新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。近くの日の出公園には古くから設置されているカバのアニマルライドがあり、自分の治したい部分と同じ部分を触ると回復するという都市伝説がある。人呼んで”リカバリー・カバヒコ”。アドヴァンス・ヒルに住まう人々は、それぞれの悩みをカバヒコに打ち明ける。高校入学と同時に家族で越してきた奏斗は、急な成績不振に自信をなくしている。偶然立ち寄った日の出公園でクラスメイトの雫田さんに遭遇し、カバヒコの伝説を聞いた奏斗は「頭脳回復」を願ってカバヒコの頭を撫でる――(第1話「奏斗の頭」)出産を機に仕事をやめた紗羽は、ママ友たちになじめず孤立気味。アパレルの接客業をしていた頃は表彰されたこともあったほどなのに、うまく言葉が出てこない。カバヒコの伝説を聞き、口を撫でにいくと――(第3話「紗羽の口」) 誰もが抱く小さな痛みにやさしく寄り添う、青山ワールドの真骨頂。(「Amazon」内容紹介より)

 

リカバリー・カバヒコ』の感想

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、作者青山美智子らしい、明日に希望をもたらしてくれる心温まる作品集です。

本書には悪人は登場しませんし、派手なアクションもありません。ただ、普通の人々の普通の暮らしが描かれ、その暮らしの中で抱えることになった屈託をカバヒコが解決してくれる物語です。

とは言っても、カバヒコが何かをしてくれるということではありません。

そもそも「カバヒコ」とはアドヴァンス・ヒルというマンション近くの日の出公園にある、いわゆるアニマルライドと呼ばれる遊具につけられた名前であり、ただそこにあるだけの存在に過ぎません。

その名前にしたってカバの遊具であるところからつけられてに過ぎず、その名前に意味があるわけでもありません。。

 

各話の主人公は前出のアドヴァンス・ヒルという新築分譲マンションに住む人たちです。

第一話は、レベルの高い高校に進学したものの、自分の成績の悪さに戸惑う宮原奏斗という高校生。

第二話は、ママ友たちとの付き合いに疲れ、ボスママから無視される樋村砂羽という主婦。

第三話は、耳管開放症という珍しい病に悩む新沢ちはるというブライダルプランナー。

第四話は、嫌なことから逃げていたら本当に足が痛くなってしまった勇哉という小学生。

第五話は、口を開けば母親と喧嘩ばかりをしている溝畑和彦という雑誌編集長です。

 

彼らはそれぞれに悩みを抱え、気が思い毎日を送っていますが、近所の公園の中にあるカバの遊具に関して言われている都市伝説を信じてカバヒコの身体の個所をさすり、その回復を願うのです。

カバヒコは何もしてくれません。ただそこにあるだけです。でも彼らの心は何故か軽くなり、抱えている問題に正面から付きあうようになるのです。

 

作者の青山美智子は、WEB別冊文藝春秋に掲載されているインタビューの中で本書で書きたかったことなどを語っておられます。

そこでは、本書『リカバリー・カバヒコ』の「裏テーマは「相棒」で、主人公がそういう存在に気づく話でもあるんです。」と言っておられます。

そして、「傍から見たら地味だけれど、だからこそ一人一人が見つけるほのかな光が浮かび上がるようなものが書きたかったんです。」とも言っておられるのです。

 

青山美智子の作品は、うがった見方をすれば、これまで三年連続で本屋大賞の候補となった『お探し物は図書室まで』『赤と青とエスキース』『月の立つ林で』という三作それぞれのパターンが一緒だと言えます。

ただ、程度の差こそあれこの三作はファンタジーの要素があり、超自然的な力が働いていた点に本作との違いがあるとは言えるでしょう。

ですが、たしかに似たようなパターンだと言えないこともありませんが、そのそれぞれの作品で細かな小道具や構成などにこだわりがあり、パターンの類似をものともしない作者の未来に対する希望を感じることが来ます。

だからこそ皆の支持を受けているのでしょう。

ちなみに、同じ個所で、「彼、実は『ただいま神様当番』に出てくる千帆ちゃんという小学生の女の子の弟なんですよ。私がまたスグルくんに会いたかったから書きました。」とも言っておられました。

 

このブログの他の箇所でも書いていますが、私の好む小説はサスペンスやミステリーと分類される作品やSF小説です。中でもアクション小説などの冒険小説を特に好みます。

一方、夏川草介のような心に迫る、人間というものをあらためて考えさせられる作品も好きです。

そうした相反する趣きの作品を読むことでバランスをとっているかのようでもあります。

ともあれ、本書『リカバリー・カバヒコ』は軽く読むこともできつつも明日への希望をもたらしてくれる好編だと思っているのです。

鑑定人 氏家京太郎

鑑定人 氏家京太郎』とは

 

本書『鑑定人 氏家京太郎』は『鑑定人 氏家京太郎シリーズ』の第一弾で、2022年1月に280頁のハードカバーとして双葉社から刊行された長編のサスペンスミステリー小説です。

公的な科学捜査研究所と対峙する民間の鑑定人を主人公とすることで、現在の鑑定業務の問題点を洗い出す、お仕事小説であり、かなり惹き込まれて読み終えました。

 

鑑定人 氏家京太郎』の簡単なあらすじ

 

民間で科学捜査鑑定を請け負う“氏家鑑定センター”。所長の氏家京太郎のもとに舞い込んだのは、世間を騒がせる連続殺人犯の弁護士からの鑑定依頼だった。若い女性3人を殺害し死体から子宮を抜き取る猟奇的な事件だが、容疑者は、3人のうち1人の犯行だけは否認している。3人の殺害を主張する検察側の鑑定通知書に違和感を感じた氏家は、犯人の体液の再鑑定を試みる。しかし、試料の盗難や職員への暴行など、何者かからの邪魔が相次いでー。警視庁科捜研と真っ向対立しながら挑む裁判の行く末は?(「BOOK」データベースより)

 

鑑定人 氏家京太郎』の感想

 

本書『鑑定人 氏家京太郎』は、鑑定人を主人公とした推理小説ですが、鑑定という職務を紹介したお仕事小説としての一面もある長編のサスペンス感にあふれた推理小説です。

冒頭から、一般人になじみの深い筆跡鑑定の様子を見せることで筆跡鑑定の業務の内容を示すとともに、主人公の氏家京太郎の人となりを簡単に示してあり、物語の導入部として実に入りやすい設定となっています。

そこでは、氏家が警視庁科学捜査研究所のOBとしての立場や科捜研を辞めた事情、また科捜研と対立している立場も明確にしてあるのです。

 

氏家は人権派と呼ばれている吉田士童弁護士から、世を騒がせている連続殺人犯の弁護のための鑑定の依頼を受けます。

その事件は連続通り魔事件であり、那智貴彦という男が続けて三人の女性を殺し、その腹をY字形にきり割いて子宮を摘出して放置したというものでした。

吉田弁護士は、依頼人の那智が最初の二人の殺害は認めたものの最後の一人は殺していないと否認しているため、最後の事件で現場で採取された体液のDNA鑑定を依頼してきたのです。

 

検察側の鑑定人である科学捜査研究所の提出してきた鑑定書と正面から対決することになり、全体的に不利な状況から如何にして弁護側に有利な証拠を見つけ出すか、つまりは科捜研の提出した鑑定をどのようにしてひっくり返すことができるか、に焦点が当たってくるのです。

ここで、普通は見聞きすることのないDNA鑑定などの鑑定業務の内容が描かれることになり、その点でも興味が沸く内容です。

でも、本書『鑑定人 氏家京太郎』ではそれだけにとどまらず、主人公の氏家京太郎とその氏家と対決することになる科学捜査研究所の鑑定人である黒木康平と氏家との関係や、吉田弁護士とその対決相手となる東京地検第一級検事の谷端義弘検事との間の二組の人間関係のわだかまりなど、直接の業務外の関りという見どころも用意してあります。

勿論のことですが、第一は那智貴彦という殺人犯が犯したとされる第三の殺人事件の真実を探り出すということが最大の見せ場ではありますが、こうしたそれぞれの人間関係も物語の幅を広くしているのです。

また、氏家鑑定センターの所員である、感情よりも論理を優先できる女と言われているDNA鑑定を担当の橘奈翔子などの職人気質の署員たちが登場しつつ、氏家の職務を助けています。

氏家たちの仕事は裁判の手続きの流れの中で重要な意味を持ってきますので、裁判の具体的な手続きも簡単に説明しながら物語が進みます。

例えば、刑事裁判の公判前整理手続きの流れの説明やその手続き自体の問題点が指摘され、またDNA鑑定の重要性や「DNA鑑定のバイブルと呼ばれている」と表現してある『科学的証拠とこれを用いた裁判のあり方』という実在の著作などを引用しつつ、試料に関しての重視すべき観点などを指摘してあります。

 

 

本書内で氏家は、本件では鑑定結果通知書だけの提出しかなく、試料の採取方法も鑑定過程の記録写真も説明されていない、と指摘しています。

このような運用が通っている現実もあると言い、また、現実に下関で起きた事件を引き合いに、科捜研の品質管理体制の問題点なども指摘しているのです。

氏家は、1990年5月に起きた「足利事件」を例に、「人は必ず間違うという真理」を声高に叫びます。彼の言う「無謬性の問題」です。

 

こうして、専門的な事柄を私達一般素人にもわかりやすく説明しながら、鑑定業務を紹介しつつ、事件の真相に辿り着く氏家たち鑑定センターの所員たちの努力は胸のすくものでもあり、知的な好奇心を満たす作業でもあります。

そういう意味で本書は実に面白く読むことができました。

ちなみに、本書『鑑定人 氏家京太郎』の主人公の氏家京太郎という人物は中山七里の『特殊清掃人』にサプライズ登場してくるそうです。

近いうちに読んでみたいものです。

 

雇足軽 八州御用

雇足軽 八州御用』とは

 

本書『雇足軽 八州御用』は、2023年9月に296頁のハードカバーで祥伝社から刊行された連作の短編時代小説集です。

ただ、それぞれの物語が普通の短編小説のようにはきちんとまとめられていないため、どうにも中途な印象の作品集でした。

 

雇足軽 八州御用』の簡単なあらすじ

 

己が命、武士の矜持のみに賭す
大ヒット「風の市兵衛」の著者の新たなる代表作!
日当わずか八十文。関八州取締出役の
艱難辛苦の旅の一年を、郷愁豊かに描く!

我々が農村の治安と繁栄を、ひたすらに歩いて愚直に守る。
越後宇潟藩の竹本長吉は上役の罪に連座し失職、故郷に妻子を残して江戸に仕事を求めてきた。様々な職の中、請人宿で選んだのは《雇足軽》だった。関八州取締出役の蕪木鉄之助の元、数名で一年をかけて関東の農村を巡回し治安を維持する、勘定所の臨時雇いである。日当わずか八十文。二八蕎麦が十六文、鰻飯なら二百文が相場だった。討捨ても御免だが、刀を抜くことは珍しい。多くは無宿の改め、博奕や喧嘩、風俗の取り締まり、農間渡世の実情調査や指導などの地道なものだった。巡る季節のなか、土地土地で老若男女の心の裡に触れる長吉は、妻子を想い己が運命と葛藤する。そんな時、残忍非道な押し込み強盗一味の捕縛を命じられーー
ときに鬼神と化し、ときに仏の慈悲を施す八州廻りを、郷愁豊かに描く!
(内容紹介(出版社より))

 

雇足軽 八州御用』の感想

 

本書『雇足軽 八州御用』は、関東取締出役(関八州取締出役)の蕪木鉄之助の巡回の旅を描く、連作の短編小説集です。

「関八州取締出役」とは、「八州廻り」とも呼ばれ、「関八州の天領・私領の区別なく巡回し、治安の維持や犯罪の取り締まりに当たったほか、風俗取締なども行っている。 」そうです( ウィキペディア:参照 )。

また、「八州廻り」の「「八州」とは、「江戸時代、関東八か国の総称。すなわち、武蔵、相模、上野、下野、上総、下総、安房、常陸」のことを言います( コトバンク:参照 )。

 

本書の登場人物として、まずは主人公は誰かというと、それが明確ではありません。

当初は、本書の『雇足軽 八州御用』というタイトルからして関八州取締出役が雇う足軽の物語だと思っていました。

そして、越後宇潟藩浪人の竹本長吉という人物についてわりと詳しくその来歴が説明してあったので、この長吉こそがタイトルの雇足軽だろうし、主人公だろうとの検討で読み進めていたのです。

しかし、どうもそうではないらしく、物語の内容からすると、本書の主人公は関八州取締出役の蕪木鉄之助と言った方がよさそうな印象です。

ただ、そう断言できるわけでもないほどに蕪木鉄之助に焦点が当たっているわけでもないので悩ましいのです。

とはいえ、本書全体を通した物語としてみると、この蕪木鉄之助こそが主人公というにふさわしいと思えます。

 

主人公が誰でも関係ないと言えばないのですが、物語は締まらず物語としての面白さに欠けることになるでしょう。

事実、読み終えた今でもなんとなくいつもの辻堂魁の作品とは異なり、何とも曖昧な読後感が残っています。

それは単に主人公が定まっていないから、というだけでなく、それぞれの物語自体の曖昧な処理の仕方にも原因がありそうです。

連作短編集として読んだので、各話が半端に感じたのではないかとも思いましたが、やはり物語の完成度が足りないと言うしかないのでしょう。

 

本書『雇足軽 八州御用』では、関東取締役という職務の紹介はかなり詳しくなされていて、その点は自分の中でもかなり好印象ではあります。

ただ、辻堂魁の特徴の一つである登場人物の衣装や状況の詳細な描写がことのほか強調されていて、若干詳しすぎないかという印象はありました。

加えて、上記の全五話にわたる連作短編の各物語がどうにもまとまりがないという印象もあります。

 

結局、本書の評価としては、辻堂魁という作者らしくない何ともまとまりに欠けた物語だというしかない、という結論になった次第です。

契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻(上)

契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻(上) 』とは

 

本書『契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻』は『あきない世傳 金と銀シリーズ』の番外編上巻で、2023年8月に角川春樹事務所の時代小説文庫から320頁の文庫として書き下ろされた短編時代小説集です。

『あきない世傳 金と銀シリーズ』の登場人物のシリーズ本編では描かれていない新たな姿を知ることができる作品集です。

 

契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻(上) 』の簡単なあらすじ

 

シリーズを彩ったさまざまな登場人物たちのうち、四人を各編の主役に据えた短編集。
五鈴屋を出奔した惣次が、如何にして井筒屋三代目保晴となったのかを描いた「風を抱く」。
生真面目な佐助の、恋の今昔に纏わる「はた結び」。
老いを自覚し、どう生きるか悩むお竹の「百代の過客」。
あのひとに対する、賢輔の長きに亘る秘めた想いの行方を描く「契り橋」。
商い一筋、ひたむきに懸命に生きてきたひとびとの、切なくとも幸せに至る物語の開幕。
まずは上巻の登場です!(上巻:内容紹介(出版社より))

 

契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻(上) 』の感想

 

本書『契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻(上) 』は、それぞれに主人公を異にする四編の短編からなる作品集です。

まず「第一話 風を抱く」は、五代目の五鈴屋店主であり、幸の前夫であった惣次を主人公にした物語です。

その惣次は、本『あきない世傳金と銀 シリーズ』本編では本両替商「井筒屋」三代目保晴として再登場しますが、惣次の失踪から三代目保晴として登場するまでの空白の時を埋める物語です。

五鈴屋が江戸へと進出し、大きな壁にその行く手を遮られたとき、どこからともなく幸の前に現れてしてくれたさりげない助言や、その窮地からの脱出に手を貸してくれた惣次は、如何にして現在の地位を得たのかが明らかになります。

 

次の「第二話 はた結び」は、シリーズ本編で五鈴屋江戸本店で支配人を務める佐助を主人公にした物語です。

ある日佐助の目の前に、佐助と二世を誓い、十七年前に行方不明となったさよによく似た娘が現れますが、その娘はさよの妹だったのです。

五鈴屋江戸店の支配人佐助の恋心を描いた掌編です。

 

そして「第三話 百代の過客」は、本『あきない世傳金と銀 シリーズ』本編の当初から登場してきている五鈴屋の女衆で、今では小頭役となっているお竹を主人公とする物語です。

五鈴屋に奉公しておよそ六十年。江戸に出て来てからだけでも十八年になるお竹でしたが、近江屋支配人の久助が郷里へ帰るのに伴い、一度大坂へと帰省するかどうか悩んでしました。

 

第四話 契り橋」は、「五鈴屋の要石」と呼ばれた治兵衛の一人息子で、型染めの図案を担当しヒット商品を送り出すなど、五鈴屋江戸店の発展に大いに寄与した賢輔の物語です。

この賢輔は、次の五鈴屋店主久代目徳兵衛をつくことになっている人物でもありますが、密かに抱いている女主人の幸への想いをの行方が気になる存在でもあります。

本当は、この話の後の二人の消息を知りたいのですが、その話は書かれるときが来るのでしょうか。それとも、もしかしたら本書に続く下巻でその一端でも明かされるのでしょうか。

 

以上のように、本書『契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻(上) 』では、惣次佐助お竹賢輔の四人が物語の中心となっています。

また本書は既に終わってしまったシリーズのスピンオフ作品ではありますが、本編シリーズが非常に人気の高いベストセラーシリーズであったため、本編では語られていなかった様々な事柄を追加で書かれたものでしょうか。

本編中では語られてこなかった事情や、本編終了後の登場人物たちの消息などが、高田郁の丁寧な筆致で紡がれていきます。

本シリーズのファンにとっては、もう読めないと思っていたシリーズ作品を再び読むことができるのですから喜びもひとしおです。

 

本書はシリーズの番外編であるため、本書だけを読んでも当然のことですがその意味が分かりにくい作品です。

ですが、既に終了してしまった本『あきない世傳金と銀 シリーズ』本編の間隙を埋める作品であり、続編が読めないシリーズの淋しさを埋めてくれる作品でもあります。

本編の『あきない世傳金と銀 シリーズ』が好評のうちに終わってしまったのは非常に残念なことではあるのですが、こうしてスピンオフ作品として提供してくれるのはまた楽しみでもあります。

今後、このような形でもいいので、本シリーズが紡がれていくことを願いたいものです。

二枚の絵 柳橋の桜(三)

二枚の絵 柳橋の桜(三)』とは

 

本書『二枚の絵 柳橋の桜(三)』は、2023年8月に文藝春秋社から336頁の文庫として刊行された長編の痛快時代小説です。

本書での桜子は大河内小龍太と共に江戸を離れることになり、長崎の地でしばらくの間を過ごすことになりますが、佐伯泰英の作品としては普通との印象の作品でした。

 

二枚の絵 柳橋の桜(三)』の簡単なあらすじ

 

柳橋で評判をとった娘船頭の桜子。父・広吉の身を襲った恐ろしい魔の手から逃れるため、大河内道場の棒術の師匠・小龍太とともに江戸から姿を消した。異国船で出会ったカピタン、その娘の杏奈と接し、初めての食べ物や地球儀に柳橋を遠く感じる二人は、磨きぬいた棒術で心身を整える。そんな中、プロイセン人の医師に招かれた長崎の出島で、二枚の絵を見た桜子はあまりの衝撃に涙を止められないーオランダ人の絵描きコウレルと柳橋の桜子。その不思議な縁とは?(「BOOK」データベースより)

 

二枚の絵 柳橋の桜(三)』の感想

 

本書『二枚の絵 柳橋の桜(三)』では、主人公の桜子やその恋人でもある大河内小龍太たちは江戸の町を離れることになります。

二人は、その理由については何も知らされないままに船宿さがみの親方夫婦に挨拶をするひまもなく、その足で長崎の地へと赴くのです。

そこには桜子の後ろ盾と言ってもいい魚河岸の江の浦屋五代目彦左衛門の世話がありました。

 

ということで、本書では長崎までの船旅の様子が描かれ、桜子と小龍太の船上での修行の様子や、襲い来る海賊を退ける様子などが描かれていきます。

その際利用することとなった船のカピタンと呼ばれる船長(ふなおさ)のリュウジロや、その娘杏奈たちが本書での新たな登場人物として現れます。

ちなみに、この杏奈の伯父は長崎会所の総町年寄の高島東左衛門であり、二人の長崎での生活に重要な役割を果たします。

 

こうして舞台は江戸を離れ、長崎への船旅と長崎での暮らしの様子が描かれることになります。

そういう意味では佐伯節満載の物語ということはできるのですが、どうにも話はすっきりとしません。

というのも、今回桜子たちが江戸を離れざるを得ない理由や、桜子たちに敵対する相手の正体は全く示されることなく、ただ、幕閣の上部での出来事らしいということが示されるだけだからです。

 

ただ、本書『二枚の絵 柳橋の桜(三)』では前巻で少しだけ示された二枚の絵の意味が少しだけ明かされていくので、その点が若干満たされるということはできるでしょうか。

本書で一番の要点は、長崎会所のプロイセン人のアントン・ケンプエル医師から示されたこの二枚の絵の物語だと言えるのでしょう。

 

とはいえ、私にとっては本シリーズの主人公桜子という娘自体にそれほどの魅力を感じていないためか、二枚の画の秘密に関してもあまり気にかかることでもありません。

こうしてみると、この二枚の絵に関しては、本シリーズの冒頭からもっとこの物語に絡め、物語を貫く謎として設定されていればもう少し感情移入して読めたのではないかという思いがぬぐえません。

最終巻を読まずに書くのも不謹慎かもしれませんが、本書『二枚の絵 柳橋の桜(三)』に至るまでの三巻の内容が、結局は焦点がぼけたままで終わってしまい、つまりは最終巻『夢よ、夢 柳橋の桜(四)』だけで事足りたのではないかという思いが残ってしまいそうです。

ともあれ、すべては最終巻『夢よ、夢 柳橋の桜(四)』を読んでみてからのことにしたいと思います。

世界でいちばん透きとおった物語

世界でいちばん透きとおった物語』とは

 

本書『世界でいちばん透きとおった物語』は、2023年4月に240頁の文庫として新潮文庫から刊行された長編の推理小説です。

とある作家が書いたとされる原稿をめぐる謎をメインにした物語で、そのアイデアも含めてかなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

世界でいちばん透きとおった物語』の簡単なあらすじ

 

大御所ミステリ作家の宮内彰吾が死去した。宮内は妻帯者ながら多くの女性と交際し、そのうちの一人と子供までつくっていた。それが僕だ。「親父が『世界でいちばん透きとおった物語』という小説を死ぬ間際に書いていたらしい。何か知らないか」宮内の長男からの連絡をきっかけに始まった遺稿探し。編集者の霧子さんの助言をもとに調べるのだがー。予測不能の結末が待つ、衝撃の物語。(「BOOK」データベースより)

 

世界でいちばん透きとおった物語』の感想

 

本書『世界でいちばん透きとおった物語』は、私がこれまで読んだどんなミステリーとも異なるアイデアで構成された作品です。

読み終えたとき、単純に、問題となっている原稿にまつわるいくつかの謎が解き明かされていく様子と共に伏線が回収されていくさまを楽しんだものです。

それは、推理小説のストーリーを楽しむ私のような読者でも感心するほどのものでした。

 

しかし、本当の衝撃はそのあと、何段階かに分れて訪れてきました。

最後の頁での、主人公の父親が選んだであろうと同じ一語、の意味が分かったときの驚き、次いで本書の内容を思い起こしてみたときに思い付いた京極夏彦と同様の版面の作り方に対する驚愕、その後もしかしてと試してみたときの衝撃は言葉にできませんでした。

「電子書籍化絶対不可能」や「ネタバレ厳禁」というこの本の過剰とも思える惹句は、読み終えてみると不思議なほどに納得してしまいます。

それほどに本書の仕掛けは秀逸であり、貼られた伏線の回収作業も腑に落ちるものでした。

 

ここで京極夏彦という人は、私は一度はその『姑獲鳥の夏』という作品を手に取ったものの、その作品世界になじめず途中で投げ出してしまった作家さんです。

 

 

この人の自分の作品に対するこだわりの強さは他の追随を許さない、という話は聞いたことがあったのですが、本書で書かれている内容はまたそれを裏付けるものでした。

その点について知りたい人は下記サイトを参照ください。

 

本書『世界でいちばん透きとおった物語』は推理小説としても普通によくできた作品だと思います。

本妻ではない母親のもと父親としての記憶は全くないままに、実の父である大御所ミステリ作家の宮内彰吾が亡くなり、ただ、宮内の長男と名乗る男から宮内の最後の原稿があるらしいので調べてほしいとの連絡だけが舞い込みます。

母親も数年前に亡くなっているため、主人公の藤阪燈真はなんの手掛かりもないままに父親の遺稿である筈の原稿を探し始めるのです。

こうして本書は、燈真の父親である宮内は本当に原稿を残したのか、残したとしてその原稿はどこにあるのか、またその原稿の内容はどんなものなのか、という様々な謎を追及していくことになります。

この物語は、単純にそのままの作品として読んでも面白い推理小説として満足しながら読み終えたことでしょう。

 

ところが、その上に先に述べたような仕掛けが施されているのですから、作者の努力、というか苦労は半端なものではなかったと思われ、作品の評価は上がるばかりです。

作家の努力ということに関しては、本書の中でも京極夏彦という作家の頁レイアウトなどに対するこだわりの強さについてなどに言及されています。

作家という人種の能力にはその豊富なイマジネーションなどには毎度驚かされているのですが、そうした頁のレイアウトにまでこだわっているとは考えたこともありませんでした。

 

こうした作家の努力に関し、編集者の戸川安宣氏が本書について書かれている一文には、竹本健司の『涙香迷宮』という作品が挙げられていました( Book Bang:参照 )。

この作品は「いろは歌」をテーマに書かれた作品で、そこで示されている膨大な数の「いろは歌」には驚かされたものです。

 

 

さらに、本書『世界でいちばん透きとおった物語』の最後に書かれていた献辞で示されていた「A先生」については、多くのサイトで泡坂妻夫だとの指摘があり、そこで示されていた『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』も読んでみました。

たしかにこの作品の仕掛けは驚きだったのですが、本書の仕掛けはそれ以上のものだと言えると思います。

本当はこの作品を紹介するだけでもネタバレになるのかもしれませんが、この作品も驚きをもって読んだことに間違いはないので、紹介だけはしておきたいと思います。

 

 

本書についてはその驚きについてどれだけ言葉を費やしても言い表すことができるとは思えません。

ただ、一度読んでみてほしいというだけです。

遠火 警視庁強行犯係・樋口顕

遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』とは

 

本書『遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』は『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の第八弾で、2023年8月に360頁のハードカバーで幻冬舎から刊行された長編の警察小説です。

本書は「女性の貧困」の問題を取り上げていますが、あくまで今野敏作品として重すぎることなく、いつも通りに読みやすい作品でした。

 

遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』の簡単なあらすじ

 

東京・奥多摩の山中で他殺体が発見された。警視庁捜査一課の樋口班は現場に急行。調べを進めていくと、殺されたのは渋谷署の係員が職質をしたことがある女子高生で、売春の噂があったことが判明する。樋口顕は被害者の友人である美人女子高生と戸外で面会。すると、その様子を撮影した何者かによってインターネット上に写真を流され、同僚やマスコミから、あらぬ疑いをかけられてしまう。秀でた能力があるわけではなく、他人を立てることを優先し、家族も大切にしながら、数々の難事件を解決してきた樋口。謀略を打ち破り、殺人事件の真相に辿り着くことができるのか。女性の貧困、性の商品化、SNSの悪意、親子関係の変質…。現代日本の歪みを照らし出す社会派ミステリーの白眉。(「BOOK」データベースより)

 

遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』の感想

 

本書『遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』は、『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の第八弾となる作品です。

 

本書の帯には「女性の貧困、性の商品化、SNSの悪意、親子関係の変質・・・」とあり、さらに「現代日本の歪みを照らし出す社会派ミステリーの白眉。」という文言がありました。

今野敏の作品の中には社会的な問題をテーマとして掲げてある少なからずの作品があるようです。

しかしながら、例えば本シリーズで言えば前作の『無明 警視庁強行犯係・樋口顕』のように、どちらかといえば警察組織内での人間関係に光を当ててあるような作品が主のように思えます。

 

 

本書の場合、組織内の人間関係も描いてはあるのですが、それよりも「女性の貧困」の問題を取り上げ、そこから性の商品化などの社会的な問題を取り上げてあります。

とは言っても、正面から社会派の推理小説として構えているのではなく、軽く読めるエンターテイメント作品として仕上げてあります。

そうしたタッチこそが今野敏の作品の特徴であり、皆から支持されている由縁でしょう。

 

さらには、軽く読める作品だとはいっても、心に残る言葉などが随所に挟まれているところも読者の支持を得ている理由の一つになっているのだと思われます。

例えば、刑事としての自分の仕事を理由に家族に苦労を強いてきた自分の、仕事だからと許されるとの思いがあったことについて、それは「自分の大切なものを他人に押し付け、相手の大切なものを軽視するということなのだ。」と指摘しています。

こうした警句めいた文言が随所にあるため、言葉が読み手の心に少しずつ積み重なっていき、この作者の描き出す物語は言葉を、そして人間存在を大切にしているという印象へと繋がり、それは今野敏の著作に、ひいては本書の評価へもつながっていくのでしょう。

 

また、主人公の樋口顕の性格を描写するに際し、樋口は相手が誰であろうと落ち着かなくなると言っています。

樋口は約束の時間に遅れたくないという気持ちが強いけれど、それは「待たされるより待たせることの方が苦手」だからだと、自分よりも相手の立場をより慮っているのです。

 

さらには、主人公以外の登場人物の描き方でも、例えば田端捜査一課長天童管理官との間で交わされた言葉で、せっかちな田端と天童のブレーキを掛ける会話などがあります。

こうした会話から「この二人の呼吸は絶妙だ」と樋口は感じ、結局、捜査員の尻を叩きつつ慎重にやれと言っているのだ、と結論付けているのです。

このような描写が随所に描かれていて、登場人物の性格が知らずのうちに刷り込まれ、読者はより一層感情移入することとなり、とりこになっていくのです。

 

本書『遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』では、青梅署の管轄内で起きた殺人事件の被害者が未成年の女性の可能性があるということで、少年課の氏家の助けを求め、樋口と共に捜査本部に詰めることになります。

被害者の女性が渋谷署の生活安全課の捜査員梶田邦夫巡査部長などが見知った人物で、ポムという女子高校生の企画集団が浮かんで来るのです。

その中で「女性の貧困」、性の商品化などの社会的な問題提起が為され、樋口らの活躍で事件は解決します。

 

繰り返しになりますが、そんな問題を仲間の力を借りつつ解決していくこの作品は、面白いと言わざるを得ない作品です。

と同時に、本書を含む本『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』は、今野敏の多くのシリーズ作品の中でも人気が高いシリーズであることがよく理解できる、次回作が待たれるシリーズなのです。

踏切の幽霊

踏切の幽霊』とは

 

本書『踏切の幽霊』は、2022年12月に文藝春秋から289頁のハードカバーで刊行された長編のミステリー小説です。

第169回直木三十五賞の候補となった作品ですが、読みながらも今一つのめり込むことができなかった作品でもありました。

 

踏切の幽霊』の簡単なあらすじ

 

マスコミには、決して書けないことがあるー都会の片隅にある踏切で撮影された、一枚の心霊写真。同じ踏切では、列車の非常停止が相次いでいた。雑誌記者の松田は、読者からの投稿をもとに心霊ネタの取材に乗り出すが、やがて彼の調査は幽霊事件にまつわる思わぬ真実に辿り着く。1994年冬、東京・下北沢で起こった怪異の全貌を描き、読む者に慄くような感動をもたらす幽霊小説の決定版!(「BOOK」データベースより)

 

踏切の幽霊』の感想

 

本書『踏切の幽霊』は、ホラーとミステリーが融合した第145回直木賞の候補となった作品です。

著者の高野和明の、第65回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門、第2回山田風太郎賞を受賞するなど多くの受賞歴がある『ジェノサイド』以来、十一年年ぶりとなる作品です。

 

 

主人公はかつては全国紙の社会部遊軍記者だったのですが、妻を亡くして以来仕事にもやる気をなくし、現在は「月刊女性の友」という女性雑誌の記者となっている松田法夫という男です。

その女性雑誌で松田を拾い上げてくれた編集長の井沢勉から野口進という衆議院議員の収賄疑惑を追う仕事をあきらめ、新たに心霊ネタを取材するように言われます。

ある8ミリ映像と写真を見せられ、その映像の真偽も含め調べるようにと言われたのですが、その夜から深夜午前一時三分になると無言電話がかかるようになります。

この写真の調べが進むと、幽霊の映った踏切では一年前に若い女が被害者の殺人事件が起きており、未だ犯人は捕まっていないことが判明します。

心霊写真などの調査に入った筈の松田は、知らないうちにその裏に潜む巨悪へと繋がる事件へと迫るのでした。

 

先にも書いたように、本書『踏切の幽霊』は高野和明という作家の『ジェノサイド』という作品以来、十一年ぶりの作品だそうです。

言われてみれば、高野和明の作品は何冊か読んでいたのですが、久しぶりにその名を聞いた気がします。

どちらかというまでもなく、この作家の作品には重いトーンの作品が多く、特に江戸川乱歩賞を受賞した『13階段』などは死刑制度をテーマにしていることもあり、途中で読むのをやめようかと思ったほどです。

また、幽霊そのものが主人公となった、「49日以内に100人の自殺志願者を助ける」という内容の『幽霊人命救助隊』という作品も書いています。

「死」というものを正面から見つめながら考えさせる物語ですが、エンターテイメント小説として仕上がっている作品です。
 

 

本書は、『幽霊人命救助隊』とは異なり、幽霊をテーマにしたエンターテイメント小説ではあるものの、ミステリー作品であり、けっしてホラーではありません。

超自然的な現象により調査のきっかけが得られたり、方向性が示されたりはしますが、きちんとしたミステリーです。

ただ、この超自然的現象の存在を受け入れることができない人はミステリーとして楽しめないかもしれません。

事実、私がそうであり、本書が直木賞の候補作品となっていることが理解できないでいる一人でもあります。

 

ただ、こうしてあらためて本書『踏切の幽霊』の内容を思い返しているうちに、本書の価値を見直す気持ちになっていることも事実です。

主人公松田の、亡くした妻を思いやる心、気持ちは随所に示されており、夫婦について考えさせられる作品でもありました。

そうした点でも物語としてそれなりに面白く読んだのは事実であり、ただ、直木賞候補作品であることからか、ミステリーとはいっても幽霊により主人公の取るべき道筋が示される点に違和感を感じてしまったと思われます。

あとは読み手の好みによって変ってくる作品ではないでしょうか。

あだ討ち 柳橋の桜(二)

あだ討ち 柳橋の桜(二)』とは

 

本書『あだ討ち 柳橋の桜(二)』は『柳橋の桜シリーズ』の第二弾で、2023年7月に文庫本書き下ろしで文春文庫から刊行された長編の痛快時代小説です。

本書では現実に父が世話になっている船宿の船頭となる主人公の姿が描かれていて、前巻とは異なり、痛快時代小説としての面白さを持った作品でした。

 

あだ討ち 柳橋の桜(二)』の簡単なあらすじ

 

猪牙舟の船頭を襲う強盗が江戸の街を騒がせていた。父のような船頭を目指す桜子だが、その影響もあってか、親方から女船頭の許しがおりない。強盗は、金銭強奪だけでなく、殺人を犯すこともあったのだ。そして舟には謎の千社札が…。仕事を続ける父親の身を案じる桜子へ、香取流棒術の師匠である大河内小龍太が、ある提案をする。船頭ばかりを狙う強盗の正体と、その本当の狙いとは?物語が急展開をするシリーズ第二弾!(「BOOK」データベースより)

 

あだ討ち 柳橋の桜(二)』の感想

 

本書『あだ討ち 柳橋の桜(二)』は『柳橋の桜シリーズ』の第二弾となる作品で、主人公の娘の成長を描く長編の痛快時代小説です。

棒術の達人という設定の主人公桜子の活躍は本書でも十分にみられるのは勿論で、前巻よりは面白く読むことができます。

しかしながら、主人公の桜子にそれほどの魅力を感じることができないため今一つ、という印象はぬぐえず、のめり込んで読むとまではいきませんでした。

 

本書は父親のような船頭になることを夢見る娘の物語ですが、主役の桜子はついに一人前の猪牙舟の船頭としてデビューすることが許されます。

それも、北町奉行の小田切土佐守自らが少しでも世間を明るくしてほしいとの願いから、北町奉行直筆の木札を許されたというのでした。

しかしながら、近頃猪牙舟の船頭を狙う猪牙強盗(ぶったくり)が頻発していて、死人まで出ているため、素性が判明している贔屓筋の客だけを乗せることを条件に親方の許しも出たのでした。

そんななか、薬研堀にある香取流棒術大河内道場の道場主の孫の大河内小龍太は、桜子の身の安全を心配し、桜子の身を守ると行動を共にするのです。

 

猪牙強盗(ぶったくり)という明確な敵役が登場する本書であり、桜子とその師匠筋の小龍太との活躍が十分に描かれた物語で、痛快時代小説として軽く読める作品でしたが、やはり敵役の軽さは否めません。

桜子が一人前の船頭として認められたというのはいいのですが、それ以上の物語の展開がどうにも素直に受け入れられないのは、読み手の私の第一巻を読んだ際の大時代的な台詞回しへの不満などの先入観のためでしょうか。

でもそれだけが原因ではなく、先に述べたように主人公の桜子に感情移入するだけの魅力に欠け、またシリーズとしての意図が明確ではないということが本シリーズに対する印象の根底にあるのではないかと思っています。

 

とはいえ、佐伯泰英作品らしく物語の展開そのものの面白さは持っているので、単にストーリー、物語の展開だけを軽く読む、という点では普通だと言えると思います。

佐伯作品には『酔いどれ小籐次シリーズ』に出てくるクロスケのような犬が登場しますが、本書でも薬研堀にその名の由来を持つヤゲンという犬が登場し、物語にゆとりが与えられていたりします。

佐伯作品らしい物語世界の広がりをゆったりと感じさせる工夫などは施されていて、ストーリー展開を楽しむことができる作品ではあります。

 

 

最後にもう一点。

本書では、物語の前後にオランダのロッテルダムの情景が描かれ、一枚のフェルメール風の絵画についての語りが載っています。

これは、作者が現地で感じたことをそのまま取り込んだと書いてありましたが、本書だけを見るととってつけたような印象であまり意味が分かりませんでした。

ただ、次巻のタイトルを見ると『二枚の絵』であることを見るともっと具体的に何らかの絡みがあるのでしょう。

このことは、そもそもが作者の頭の中に浮かんできた一枚の絵の印象が本シリーズのモチーフになっているということなので、間違いのないことでしょう( 佐伯泰英 特設サイト :参照 )。

そうしたことも含めて次巻を期待したいと思います。

柳橋の桜シリーズ

柳橋の桜シリーズ』とは

 

『柳橋の桜シリーズ』は、父親のような船宿さがみの猪牙舟の船頭となって大川を行き来することを夢見る一人の娘を主人公とする痛快時代小説です。

初期の佐伯作品が好きな私としては特別取り上げて語るべき作品とまでは思えない近頃の佐伯作品であり、普通に軽く読める作品であって、それ以上のものではありませんでした。

 

柳橋の桜シリーズ』の作品

 

柳橋の桜シリーズ(2023年11月07日現在)

  1. 猪牙の娘
  2. あだ討ち
  1. 二枚の絵
  2. 夢よ、夢

 

柳橋の桜シリーズ』について

 

本『柳橋の桜シリーズ』の舞台は、両国橋の少し北の神田川と大川が合流するあたりに存在する「柳橋」と呼ばれている土地から始まります。

柳橋」とは一体の土地の名称でもあり、そこにかかる橋の名称でもあります。

ちなみに、「柳橋」のかかる神田川が合流する大川とは今の隅田川のことであり、詳しくは下記を参照してください。

呼び名は時代や場所により種々変化します。古くは千住大橋付近から下流が隅田川と呼ばれ、 上流が荒川や宮戸川と呼ばれていましたが、江戸時代に入ると更に吾妻橋から下流を大川とか浅草川と呼ぶようになりました。川のはなし – 東京都建設局

 

そしてこの物語の主人公はこの土地の「船宿さがみ」で働く船頭の広吉の一人娘の桜子で、幼いころから父親の姿を見て育った桜子は父親のような船頭になることを夢見ています。

また、この桜子は八歳の頃から薬研堀にある香取流棒術大河内道場に通っており、道場の跡取りである大河内小龍太を除いて敵う者はいないほどの腕前となっていたのです。

 

この桜子が、はれて猪牙舟の船頭となり、成長していく姿が描かれています。

しかし、その成長の過程では親しい者を亡くしたり、思いもかけない土地へ旅することになったりと、波乱万丈の未来が待っているのです。

 

ただ、各巻である絵に関する話題や異国人の会話などが少しずつ記してあるのですが、当初は何ともその意図が判りません。

そのうちに一枚の絵がある程度明確に物語に絡んでくるのですが、シリーズの前半ではそのことがあまり分からず、なんともシリーズ全体の印象が明確ではありません。

この点に関しては、作者自身がこのシリーズのモチーフとしてイメージしていたのが「一枚の異人画家の絵」だと言い、その絵が作者をオランダへと招いたというのです( 佐伯泰英 特設サイト :参照 )。

しかしながら、それが分かったからと言って本シリーズの焦点が明確ではないという印象が解消されることでもないのは残念でした。

 

さらに言えば、佐伯泰英の作品に共通する大時代的な、舞台演劇のような印象は変わりません。

そうあればこその佐伯作品とも言え一概に否定すべきものでもないのでしょうが、個人的には今では『居眠り磐音シリーズ』と名称を変えた、初期の『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』といった佐伯作品のような、もう少し気楽な作品の方が好みではあります。

ただ、まだシリーズ途中の印象ですので、最終巻の『夢よ、夢』まで読み終えたときに新ためての印象を書きたいと思っています。