1947

1947』とは

 

本書『1947』は、2024年1月に616頁のハードカバーで光文社から刊行された長編の冒険小説です。

斬首された亡き兄の復讐のために来日したひとりの英国軍人の行動を追った物語ですが、この作者の作品にしては珍しく冗長に感じてしまいました。

 

1947』の簡単なあらすじ

 

1947年。英国軍人のイアンは、戦場で不当に斬首された兄の仇を討つため来日する。駐日英国連絡公館の協力を得つつ少ない手掛かりを追うが、英経済界の重鎮である父親ゆずりの人種差別主義者でプライドの高いイアンは、各所と軋轢を生む。GHQ、日本人ヤクザ、戦犯将校…さまざまな思惑が入り乱れ、多くの障害が立ちふさがる中、次第に協力者も現れるが日本人もアメリカ人も信用できない。イアンの復讐は果たされるのか?(「BOOK」データベースより)

 

1947』の感想

 

本書『1947』は、1947年の東京、すなわち第二次世界大戦後のアメリカ進駐軍が統治している東京を舞台にした一人の英国軍人の復讐の物語です。

英米の政財界に顔が効く大富豪の父親の命で、日本軍の捕虜となった兄を斬首に処した男たちの命を奪い、証拠として体の一部を持ち帰る使命を帯びて来日した英国陸軍中尉の主人公イアン・マイケル・アンダーソンの姿が描かれています。

一言でいうと、本書はとてもよく調べられていて戦後日本の雰囲気を描き出してあると思いますが、分量として六百頁以上のものが必要だったのかという疑問が残りました。

 

とはいえ、本書が力作であることは間違いありません。本書の本文が611頁という長さももちろんそうですが、何よりも終戦後の日本の状況がとにかくよく調べられています。

そのことは、巻末に挙げられている参考文献の数の多さを見てもよく分かります。四十冊を超える書籍や地図、それに二編の学術論文・研究論文、そして十本にのぼるテレビ番組など、その量は膨大です。

読後に読んだこの作者長浦京の言葉を載せたネットの記事では、そうした資料を基に書かれたのが本書であり、もう一冊の大作『プリンシパル』なのだそうです。

プリンシパル』は戦後日本を描き切る物語としてある程度の「スパンが必要」だったのに対し、本書は「日本を訪れた英国軍人の視点から描かれる小説」であり終戦直後のある一時期を切り取ったものになっている、というのです( no+e : 参照 )。

 

 

ただ、確かに本書『1947』は大作でありよく調査されている作品ですが、長浦京の作品にしてはテンポがよくないと感じ、この作者の力量があればこれほどまでの頁数は要らないと思ったのです。

本来、長浦京の作品はもう少し展開が早く、仮に600頁を越える作品だったとしてもその長さを感じさせない筈だと思うのですが、本書に関しては少なくとも中盤あたりまでの印象では冗長に感じてしまいました。

もしかしたら登場人物が多く、関係性を理解するのが難しいこともそう感じた原因なのかもしれません。

 

主人公は連合国の一員であり戦勝国ではありますが、日本の戦後の占領政策に関してはアメリカに後れを取っているイギリスの軍人のイアン・マイケル・アンダーソン陸軍中尉です。

彼の父親は爵位も無く、貴族の血筋でもありませんが金の力で英米の政財界を動かし、戦後日本を統治している連合国最高司令官総司令部GHQ)にも顔が利く存在です。

主人公のイアンは、そのGHQの民生局次長チャールズ・ルイス・ケーディス大佐と参謀第二部部長チャールズ・アンドリュー・ウィロビーとの対立に振り回されることになります。

また、イアンの狙う兄の殺害犯は、旧日本陸軍の権藤忠興中佐、五味淵幹雄中佐、下井壮介一等兵の三人ですが、他にも竹脇祥二郎松川倫太郎、そしてヤクザの胡喜太(ホ・フイテ)などがイアンの前に立ち塞がったり、また助け合ったりするのです。

イアンの通訳である潘美帆(パン・メイファン)や五味淵の娘の五味淵貴和子、それに下井壮介の娘の下井まゆ子などが物語に花を添えると共に重要な役目を果たしいています。

他にも多くの人物が入り乱れて登場しますが、その上、「ハーディング密約」や「司馬計画」などの約定、「ハ一号文書」なる文書が登場したり、GHQと権藤忠興との奇妙な関係など浮上したりと、本来は単なるの復讐目的の来日であった筈のイアンを巻き込んでいくのです。

 

こうして物語は伝奇小説のような展開になるのですが、本書は決して荒唐無稽な伝奇小説ではなく現実に根を張った正統派の冒険小説として仕上がっています。

また、この作家の特徴であるアクション場面ももちろん充実していて、そうした場面ではやはり読者を飽きさせることはありません。

そういう意味では本書はさすが長浦京の作品であり、面白くない筈がないのですが、六百頁を越える分量を引っ張るだけの魅力があるかといえば、否定せざるを得ません。

ですから、戦後占領政策に関心がある人など、人によっては冗長と感じるまでもなく面白いという評価を下すことになるかと思われます。

本書『1947』は、そうした微妙な評価になるかと思われる作品でした。

恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)

恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』とは

 

本書『恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第26弾で、2024年1月に文庫書き下ろしで出版された長編の痛快時代小説です。

一旦は終了したはずの『新・酔いどれ小籐次シリーズ』が、赤目駿太郎の剣術家としての成長と淡い恋を書きたいとの思いから再開した、と作者自身のあとがきにありましたが、ハードルが上がっただけに若干期待とは違った印象でした。

 

恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』の簡単なあらすじ

 

江戸・三十間堀の小さな町道場が、怪しい証文を盾にした男たちから狙われている。道場主と孫娘の愛を救うため、十八歳の駿太郎は名を秘して入門する。親分や読売屋と協力して活躍する息子を見守るおりょう、隠居を考える小籐次。しかし親子への挑戦状がー伊勢まいりが大流行する中、あの鼠小僧も登場!?恋と勝負と涙の感動作。(「BOOK」データベースより)

序章

第一章 細やかな町道場
湯屋にいる小籐次駿太郎のもとに、難波橋の秀次親分がある道場の難題を相談に来た。その道場の加古李兵衛正高とその孫娘ののもとに、愛が幼い頃に出奔した父親の署名がある借用書を持って夢想谷三兄弟が道場の沽券を渡せとやってきたというのだった。

第二章 もうひとりの娘
加古道場で稽古をするようになった駿太郎が、加古正行と愛の二人を望外山荘へと連れてきた。すると、愛は駿太郎の新しい姉となり、またおりょうの娘となり、新しく望外山荘に住むこととなった薫子を姉と呼ぶようになるのだった。

第三章 お手当一両二分
師走のある日、小籐次親子が研ぎの仕事を終え帰る途中、竹屋の渡しの近くで浪人者からある姫君と奉公の女中の娘を助けた。また大晦日の大雪のため二人が川向うを見廻りに行くと、ある奇妙な一団が久慈屋に押し入ろうとするところに出会った。

第四章 新春初仕事
年の瀬から降り始めた雪のため稽古ができなくなった駿太郎は、望外山荘に近にある越後長岡藩の抱屋敷にある道場で稽古を願うことを思いつく。その後正月六日になり、望外山荘きた桃井春蔵が、十一日の桃井道場での具足開きに来てくれと言ってきた。

第五章 愛の活躍
小籐次親子が久慈屋店先での研ぎ仕事をしていると、夢想谷三兄弟が加古道場に訪れるとの空蔵からの伝言があった。日時は明記してなかったらしく、正月半ばを過ぎても、空蔵がいろいろと仕掛けでも一向に姿を見せないのだった。

あとがき

 

恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』の感想

 

本書『恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)』は、一旦は終わりを迎えた『酔いどれ小籐次留書シリーズ』でしたが、作者の希望により再開されることになったシリーズ二十六巻目の作品です。

かなりの期待をもってさっそく読んでみたのですが、期待が高すぎてハードルが上がったためか、今一つという印象に終わってしまいました。

 

駿太郎の淡い恋を描きたいとの作者の意向があっての再会だそうですが、本書では新しく二人の娘が登場します。

一人は加古李兵衛道場の孫娘の愛であり、もう一人は望外山荘近くに住む片桐家の十四歳の娘の麗衣子です。

一人目の愛については、駿太郎がすぐに姉と呼び始めたので不思議に思っていると、今度は麗衣子という娘が突然に登場します。

それも前後の脈絡もなく何の背景の説明もない浪人者に攫われそうになっている娘を助けたことが知り合うきっかけです。

 

この出会いは物語のストーリーとは何の脈絡もなく突然の登場であるため、どうにもあまりに突然すぎて単なるご都合主義としか思えず、違和感しかありません。

とはいえ、この頃の佐伯泰英 作品はそうしたストーリーの進行とは無関係な登場人物がしばしば登場することがあり、そういう意味ではあまり驚きはないとも言えそうです。

ただストーリー展開とは関係のない人物の登場が多いとは言っても、それは単なる賑やかし的な浪人者やチンピラなどが主であり、今回のようなストーリー上重要な位置を占める人物については無かったことと思います。

 

また、愛の実家である加古李兵衛道場に押しかけてきた夢想谷三兄弟にしても、愛の父親である加古卜全正行の直筆と思われる二百九十両の借用証を持参しての押しかけですから、そのままに道場の土地と敷地の沽券状を取得できたと思われるのです。

それをわざわざ自分たちと加古道場の沽券状をかけて尋常の勝負を願ってくるのですから妙な話です。

このような展開は物語のリアリティを欠く展開としか言えず、読者の作品に対する感情移入を妨げるだけだと思います。というよりも私にとってはそうなのです。

せっかく一旦はシリーズ終了宣言したものを撤回するのですから、もう少しこうした点の物語の運びを考えて欲しいと思ってしまいました。

予幻

予幻』とは

 

本書『予幻』は『ボディガードキリシリーズ』の第三弾作品で、2023年12月に525頁のハードカバーで徳間書店から刊行された長編のハードボイルド小説です。

物語の展開はテンポがよく、また本書で初登場の弥生というキャラクターたちも個性豊かであり、とても面白く読んだ作品です。

 

予幻』の簡単なあらすじ

 

ハードボイルド界のトップランナー・大沢在昌の人気シリーズ
〈ボディガード・キリ〉最新刊

対象:岡崎紅火(べにか)、女子大学院生。
世界の未来を握る娘を護れ!
本名、年齢不詳のボディガード・キリの熾烈な闘い

本名・年齢不詳の凄腕ボディガード・キリは、以前の案件で知り合った
大物フィクサー・睦月から警護の依頼を受けた。

対象は岡崎紅火、女子大学院生。

先日病死した香港シンクタンク『白果』の主宰者・白中峰の娘だ。
白は生前『ホワイトペーパー』と呼ばれる会員向けの文書を発行しており、
近未来の国際情勢や世界経済を驚くほどの的中率で予測していた。
『白果』には『ホワイトペーパー』の資料となった多くの機密書類と
未発表の『ホワイトペーパー』が保管されており、中国公安部に渡るのを
危惧した紅火の母・静代は、それを娘に託し、公安部の家宅捜索前に
間一髪、香港から日本に持ち出したという。
母親の静代とは連絡が取れず、何者かに拉致された可能性が高い。
さらには『ホワイトペーパー』を入手しようと、中国のみならず、
欧米の情報機関も動いているという。
睦月の依頼は紅火の護衛と機密書類の保護。
新宿の民泊施設に紅火を移動させ、部下の女性・弥生を警護につけるという。
だがその施設から紅火が拉致された! キリは弥生とともに紅火を追う。
彼女は無事なのか? 『ホワイトペーパー』の行方は?

人気ハードボイルドシリーズ第三弾!(内容紹介(出版社より))

 

予幻』の感想

 

本書『予幻』は、『ボディガードキリシリーズ』の第三弾作品です。

岡崎紅火という女子大学院生の警護を依頼されたキリが、彼女が持っていると思われる「ホワイトペーパー」と呼ばれる情報をめぐる争いへと巻き込まれる姿が描かれている冒険小説です。

そして、大沢在昌作品らしい緻密に練り上げられた濃密な世界観を持ったハードボイルド小説として仕上がっているのです。

 

本書『予幻』の魅力はまず挙げるべきは主人公のキリというボディガードのキャラクター設定にあり、それはこのシリーズの魅力も繋がるものでしょう。

そのことは、その魅力的な主人公が活躍する物語世界が堅牢に構築されていることにも繋がっていて、この物語世界で活躍する主人公が動き回るストーリーもまた面白くできているのです。

 

キリはある事件の犯人探しをする羽目に陥りますが、その作業はボディガードという仕事の範疇を越えているようです。

しかし、そこはボディガードの仕事ではないが実質仕事の範囲内と考える必要があると独白させているように、キリ自身に物語の中でちゃんと辻褄を合わせてあります。

仮に物語が荒唐無稽な作品であったとしても、こうした辻褄、つまりはその作品としての筋が通されている作品でなければなかなか感情移入しにくいのです。

こうした丁寧な物語世界が構築されているという点がシリーズの次の魅力でしょう。

大沢在昌という作家の作品は代表作ともいえる『新宿鮫シリーズ』のようなシリーズ物はもちろん、『ライアー』のような単発の物語であってもその物語の世界が丁寧に作り上げられているので、本書の特徴というよりは大沢在昌作品の特徴というべきかもしれませんが、この点はやはりはずせないのです。

 

 

繰り返しますが、そうしたきちんと丁寧に作られた物語世界を有する本書ですから、キリの魅力は十分に発揮されているのです。

それに加えて本書では本名を横内美月といい、普段は弥生と呼ばれている元巡査部長の相方も配置されていて、彼女との軽いユーモアも含めたやり取りも本書に色を添えています。

色を添えているといえば、トモカ興産社長の小林朋華という女も登場してきますが、この女の立ち位置が今一つはっきりとしませんでした。

 

本書『予幻』の前半は保護対象でありながらも何者かに拉致されてしまった女子大学院生の岡崎紅火の捜索の様子が描かれ、後半は「ホワイトペーパー」という機密書類の所在の探索の様子が描かれることになります。

その過程で予測が予言にまで昇華したといわれる書類の「ホワイトペーパー」の持つ意義と、その文書をめぐる各グループの思惑が交錯する様子が表現されています。

こうして大沢作品ではよくありがちですが、登場人物が多岐にわたり途中で筋を見失いがちになります。

しかし、複雑になりがちなストーリーも結局は機密書類の探索というシンプルなテーマに集約されていき、結局はストーリーから外れることはないと思われるのです。

 

本書は全部で525頁という長さを持つ長編小説ですが、大沢在昌という作家の筆力はその長さを感じさせないほどに読者を取り込んでしまうようです。

ハードボイルド小説と言い切るには若干疑問もありますが、アクションを含めた一人のヒーローの物語として一級の面白さを持つ冒険小説だと思います。

このシリーズはこれまでの作品を見ると、『獣眼』が2012年10月、『爆身』が2018年5月、そして本書『予幻』が2023年12月と約六年ごとに出版されています。

出来ればもう少し間隔を狭めて次巻の出版を待ちたいところです。

ボディガード・キリ シリーズ

ボディガード・キリ シリーズ』とは

 

本名も年齢もよく分からない、一匹狼のボディガードの孤高の戦いを描く冒険小説のシリーズです。

 

ボディガード・キリ シリーズ』の作品

 

ボディガード・キリ シリーズ(2024年03月03日現在)

  1. 獣眼
  2. 爆身
  1. 予幻

 

ボディガード・キリ シリーズ』について

 

主人公の“キリ”は、本名も年齢も不詳です。

「無縁神木流」という実践派の古武術の遣い手であり、武道というより人殺しの手段だとキリ自身が自分の武術について語っています。

感情の表出が抑えられ、行動で示すという意味ではまさにハードボイルド小説だということができると思います。

ウィキペディアによれば、大沢在昌という作家の言うハードボイルド小説とは『「惻隠の情」であり、「傍観者のセンチメンタリズム」である。自分の生き方を貫き、自らが傷つきながらも闘うことを選ぶ男の心情を描く物語である。』と書かれています( ウィキペディア : 参照 )。

そういう意味でも本シリーズはまさにハードボイルド小説であり、自分の自由な生き方を貫いて、また依頼者の依頼を全うするために身命を賭して叩く男の姿が描かれているのです。

そういう意味でもまさにハードボイルド小説だということができると思います。

 

ボディーガードを主人公とした物語と言えば、今野敏の『ボディーガード工藤兵悟』シリーズを思い出します。

シリーズ初期の作品は別として、近時の作品は今野敏らしい、アクション描写に力を入れた面白い作品に仕上がっています。

 

 

また、渡辺容子の『左手に告げるなかれ』を第一冊目とする「八木薔子シリーズ」もリアルな作品でした。

本書で保安士だった主人公は、次作の『エグゼクティブ・プロテクション』では女性ガードマンになっており、物語もアクション性を帯びたミステリーとなっています。

 

 

海外の作品に目を向けると、A・J・クィネルの書いた元傭兵を主人公とした『燃える男』から始まる『クリーシィ』シリーズがまず挙げられます。

このシリーズは「情」の側面をも持ち合わせた、日本人向けの上質の冒険小説でした。デンゼル・ワシントン主演で映画化もされましたが、残念ながら小説とは全くの別物となっていました。また、DVDも無いようです。

蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)

蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』とは

 

本書『蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』は『吉原裏同心シリーズ』の第40弾で、2023年10月に光文社から320頁で文庫化された、長編の痛快時代小説です。

巻を重ねるにつれて特に会話文に対する違和感が増していくだけで、どうにも拒否感が強くなっていくように思えます。

 

蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』の簡単なあらすじ

 

寛政五年十月、江戸を見舞った大火事のあと、吉原に大勢の客が押し寄せる。その正体を巡り、会所八代目頭取四郎兵衛と一人二役の裏同心神守幹次郎は苦悩する。さらに困窮する切見世女郎らを救うため、幹次郎の密命を帯びた澄乃を、これまでにない危機が襲う!新たな敵が触手を伸ばす中、吉原を苦境から救い出そうとする廓の人々、それぞれの祈りが交差するー。(「BOOK」データベースより)

 

蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』の感想

 

本書『蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』は、江戸の町を襲った大火の影響で遊びに来る客の数も減った吉原の現状に立ち向かおうとする神守幹次郎らの姿が描かれています。

しかしながら、物語としては台詞回しが一段と芝居調に感じられ、さらに違和感を感じるようになってきました。

この頃の佐伯泰英作品の殆どがそうであるように、登場人物の会話が芝居の台詞のようで大時代的であり、感情移入しにくい文章になってきているのです。

本『吉原裏同心シリーズ』の場合それが顕著であって、特に神守幹次郎と会所八代目頭取四郎兵衛の一人二役が始まってから如実に感じるようになり、会話の中で幹次郎が四郎兵衛に伝えておくと言い切るなど、違和感ばかりです。

さらにいえば、女裏同心の澄乃が幹次郎の命で行った先で、澄乃に教える立場の娘や老人が歳を経た師匠と呼ばれる人が教え諭すような口調で話すなど、違和感しかありませんでした。

 

本書では、吉原は江戸の町を襲った大火災の直接の被害こそありませんでしたが、客である町人、商人が被災したため客が減り、大籬の女郎たちを除けば、三度の食事も苦労するようになりそうな苦境に陥ります。

そこに、大勢の客が押し寄せることになり、吉原は一息をつくことができますが、また吉原にとって新たな敵を産むことにもつながることになります。

また、その客たちはあくまで一時しのぎであり、下層の女郎たちが困窮に陥るであろうことは明白であり、そこで、幹次郎は女裏同心の澄乃をある場所へと送り出すのでした。

 

本書『蘇れ、吉原 吉原裏同心(40)』のストーリー自体が十全の面白さを持っているかと言えば、全面的に賛成とは言えません。マンネリ感がないとは言えないのです。

それに加えて、台詞回しの違和感までもあると、もういいかと思ってしまいそうになります。

でも、ここまで読んできたということ、また全面的に否定してしまうほどに拒否感を持っているわけでもないので続巻が出れば読むでしょう。

しかし、以前のように続巻が出るのを待ちかねるということはありません。それが非常に残念です。

なんとか、持ち直してくれることを期待したいと思います。

八月の御所グラウンド

八月の御所グラウンド』とは

 

本書『八月の御所グラウンド』は、2023年8月に208頁のハードカバーで文藝春秋から刊行された長編の青春小説です。

真夏の京都を舞台にした二編の青春小説が収められていて、河﨑秋子著『ともぐい』と共に第170回直木賞を受賞した感動的な作品です。

 

八月の御所グラウンド』の簡単なあらすじ

 

死んだはずの名投手とのプレーボール
戦争に断ち切られた青春
京都が生んだ、やさしい奇跡

女子全国高校駅伝ーー都大路にピンチランナーとして挑む、絶望的に方向音痴な女子高校生。
謎の草野球大会ーー借金のカタに、早朝の御所G(グラウンド)でたまひで杯に参加する羽目になった大学生。

京都で起きる、幻のような出会いが生んだドラマとはーー

今度のマキメは、じんわり優しく、少し切ない
青春の、愛しく、ほろ苦い味わいを綴る感動作2篇

第170回直木賞を遂に受賞!
十二月の都大路上下(カケ)ル
八月の御所グラウンド(内容紹介(出版社より))

 

八月の御所グラウンド』の感想

 

本書『八月の御所グラウンド』は、八月の京都を舞台にした第170回直木賞を受賞した感動作品です。

普通の言葉で日常を描きながらも、日常に紛れ込んだファンタジックな出来事にまぎれて青春を描き出しています。

60頁弱の「十二月の都大路上下(カケ)ル」と140頁強の「八月の御所グラウンド」という二作品が収納されていて、共にスポーツをテーマとしていながらも、その競技中にあるはずの無いものが見えるという現象を描いています。

前者は高校生の駅伝ランナー、後者は自分の将来が見えていない大学生を主人公としていますが、共に主人公を含めてキャラクターが立っており、読者の心を直ぐにつかみます。

私がこの作者の作品を読むのは本書が初めてなので、この作者の作風がどういうものであるかはわかりませんが、登場人物のキャラクター設定はうまいものがあるようです。

 

第一話の「十二月の都大路上下(カケ)ル」は、女子全国高校駅伝の補欠である一年生のサカトゥーこと坂東というランナーが主人公です。

毎年12月に京都の都大路を駆け抜ける伝統行事でもあるこの大会は、かつては私もよくテレビ観戦したものです。その大会の補欠ランナーが諸般の事情により大会に出場することになります。

極度の方向音痴である主人公が、アンカーとして出場し、同じ区間で争った二年生の荒垣新菜と共に見える筈のないものを見たことが描かれています。

 

第二話の表題作「八月の御所グラウンド」は、事情により八月の京都に残された大学生が参加した草野球大会での出来事が描かれている話です。

彼女にも振られ、就職活動をする気力も無くただ怠惰に暮らしていた大学四年生の主人公の朽木は、友人の多門から大学卒業がかかった草野球大会への参加を頼まれます。

その大会で出会ったのが中国人留学生のシャオさんであり、そのシャオさんが誘った見知らぬ男のえーちゃんたちだったのです。

 

シャオさんが野球を勉強したいと思った理由が「オリコンダレエ」というはじめて聞いた日本語にあるなど、場面設定やその場の描写の仕方が私の好みにピタリとはまりました。

在るはずの無いものが存在し、主人公たちの生活の一場面の中に紛れ込んでいる状況が、単に不思議という以上の意味を持って迫ってきます。

そして、その描き方は読む者に自分自身の青春時代を思い出させ、自身の生き方を見つめ直すきっかけを指し示しているようです。

 

本書に収納された二作品では、青春の一場面に現れた特別な現象に接した主人公たちが感じることになった爽やかさや心の軽い痛みなどが示されています。

特に表題作の「八月の御所グラウンド」では、単純な爽やかさだけでなく、時代を異にした青春時代を送った青年たちへの哀しみをも含んだ想いが描かれていて、心に残る作品として仕上がっています。

 

本書は第170回直木賞を受賞した作品ですが、そのことに異論をはさめるはずもない作品だと思います。

これまでこの作者の万城目学の作品は名前は知っていたものの読んだことがなかったので、あらためてこの作者の作品を読んでみたいと思わせられる作品でした。

無敵の犬の夜

無敵の犬の夜』とは

 

本書『無敵の犬の夜』は、2023年11月に148頁のハードカバーで河出書房新社から刊行された長編の文芸小説です。

惹句を一覧してエンターテイメント小説と思い読んだ私の思いとは異なり、文藝賞という純文学作品に与えられる賞の受賞作であり、今一つ私の理解が及ばない作品でした。

 

無敵の犬の夜』の簡単なあらすじ

 

北九州の片田舎。幼少期に右手の小指と薬指の半分を失った中学生の界は、学校へ行かず、地元の不良グループとファミレスでたむろする日々。その中で出会った「バリイケとる」男・橘さんに強烈に心酔していく。ある日、東京のラッパーとトラブルを起こしたという橘さんのため、ひとり東京へ向かうことを決意するがー。どこまでも無謀でいつまでも終われない、行き場のない熱を抱えた少年の切実なる暴走劇!第60回文藝賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

無敵の犬の夜』の感想

 

本書『無敵の犬の夜』は、第60回文藝賞受賞作です。つまり、当サイトが対象としているエンターテイメント小説ではありませんでした。

そもそも、本書を知ったのは「王様のブランチ」のBOOKコーナーでの作家インタビューにとうじょうしていた著者の小泉綾子を見たときであり、そのときは本書の内容にはそれほど関心はありませんでした。

その後、Amazonの『無敵の犬の夜』の頁に「任侠映画×少年漫画」などとあって、どう考えてもエンターテイメント小説としか思えないものだったことから読んでみようと思ったのです。

もちろん、そこには大きく「文藝賞受賞作」と示してあったのですから、「文藝賞」が純文学作品に与えられる文学賞だということを知らなかった私が間違っただけのことです。

 

本書の内容は上記の「簡単なあらすじ」に書いてあることに尽き、それ以上のものではありません。

そして本書の印象としては、主人公のが東京に殴り込みに行くその少し前のあたりまでは、単純に世の中に対する不満しかない少年の、暴力に対する妄想をそのまま言語化した作品だというものでした。

角田光代氏や島本理生氏といった著名な作家たちが本書を絶賛する理由が全く分からなかったのです。

 

とにかく最初は、その時の感情にまかせて先行きのことなど何も考えずに突っ走る界の行動が、自分の少年の頃を考えても理解できるものではありませんでした。

界の無鉄砲さはとどまるところを知らず、自分から破滅へと向かっているようにしか思えず、こうした主人公を描くことの意味がよく理解できなかったのです。

 

この物語の終わり方にしても、作者自身が「負けを認めないために目標のハードルをどんどん下げて、まやかしの勝利を手にしてこれでよしとする」という終わり方が良いと思う、と書いておられましたが( Book Bang : 参照 )、物語を終わらせるために勝利の意味を変えることの意義もまた理解できませんでした。

本書『無敵の犬の夜』の惹句に、意識されている「絶望と意識されない絶望が、絶妙に描き出されている」と書かれているのは角田光代氏であり、「人を殺したくなるほど肥大する」思春期の葛藤の「切実さが丁寧に描かれている」と書いているのは島本理生氏です。

こうした思春期の思いつめた絶望を丁寧に描き出されている点が評価されている思うのですが、そうした文学的な評価がよくわかりません。

主人公の界の単純さ、それも思慮の浅い無鉄砲の描写の何が評価の対象になるのでしょう。

 

しかし、本書も終盤になると、それまで乱暴な言葉の羅列としか思えていなかった本作品が、妙に気になってきました。

それまでの私の本書に対する印象が覆されてくる様子は、私の小説の読み方否定するかのようであり、読書に対する自信が失われていく過程でもありました。

何が原因でそのように感じたのか、今でもよく分かりません。

ただ、無鉄砲なその行動は、その時点の感情でしか動いていないというそのことに惹かれていったように思えます。つまりは何の打算も無いということでしょうか。

 

結局、現時点まで本書『無敵の犬の夜』が多くの作家たちから支持される理由はよく分からないのですが、単純な暴力への渇望というだけではない、少年の直情的な行動の描き方自体がが評価されていると思っています。

それにしても、よく分からない作品でした。

父がしたこと

父がしたこと』とは

本書『父がしたこと』は、2023年12月に256頁のハードカバーでKADOKAWAから刊行された長編の時代小説です。

青山文平という作家は、新刊が出るたびに前著を越える作品を提供してくれる作家さんであり、本書もその例にもれず実に面白く、感動的な作品でした。

 

父がしたこと』の簡単なあらすじ

 

目付の永井重彰は、父で小納戸頭取の元重から御藩主の病状を告げられる。居並ぶ漢方の藩医の面々を差し置いて、手術を依頼されたのは在村医の向坂清庵。向坂は麻沸湯による全身麻酔を使った華岡流外科の名医で、重彰にとっては、生後間もない息子・拡の命を救ってくれた恩人でもあった。御藩主の手術に万が一のことが起これば、向坂の立場は危うくなる。そこで、元重は執刀する医師の名前を伏せ、手術を秘密裡に行う計画を立てるが……。御藩主の手術をきっかけに、譜代筆頭・永井家の運命が大きく動き出す。(内容紹介(出版社より))

 

父がしたこと』の感想

 

本書『父がしたこと』は、本書の「武士が護るべきは主君か、家族か」という惹句にそのテーマが端的に表現されています。

これまでも青山文平の作品では主君に忠実に生きる侍の生きざまが描いてありましたが、本書でもまた侍の生きる姿が描かれています。

ただ、本書が特殊なのは、侍の生きる姿と同時に家族の大切さが描かれていることに加え、さらに医療のあり方をも問うている感動作であることです。

 

本書の独特な表現として挙げていいと思うのは、舞台となる藩の名前や場所などの藩に関する具合的な情報は殆ど示してない点と、藩主の名前は明記せずに御藩主としか示してないことです。

でも、主役である永井家として元重登志夫婦とその子の重彰佐江夫婦とその子のについては詳細に描き出してあります。

本書の主人公永井重彰は役職が目付であり、父親は小納戸頭取であって御藩主の身近にいてその世話を一身に執り行っている、などの詳しい説明がなされているのです。

 

また、名前も明らかにされていない御藩主や、名医と言われる向坂清庵についてもその人となりについてはそれなりに頁数を費やしてあります。

重要なのは中心となる永井家の人々であって個々人の特定は必要ですが、永井家が尽くすべき藩主は藩に一人しかおらず御藩主というその地位にいる人物が重要なのだということでしょう。

また向坂清庵という名の医者にしても、藩内に多数存在する医者を名乗るものの中でも向坂清庵という名医が重要だから明記してあると思われるのです。

その上で、本書では物語の中心となる永井一家と御藩主それに名医の向坂清庵以外は登場しないと言い切ってもいいほどに誰も登場しません。

 

当初、本書の「父がしたこと」というタイトルからして、本書の主題は侍のあり方、つまり主君のために尽くすか、それとも家族のため生きるかが問われる父の姿が描かれている物語だと思っていました。

ところが読み進めるうちに永井重彰の子の拡の生まれつきの病に関連した医療関係の描写に重きが置かれており、単にこれまでのような侍の生き方を正面から問う作品とは違いそうだと思えてきたのです。

しかしながら、ネタバレになるので詳しくは書けませんが、主君に尽すことを本分とする侍の生き方を描いてきた青山文平の作品である本書は、やはり本分を尽くした侍の物語でした。

そこに、医療の本質を絡めた感動の物語として仕上がっていたのです。

 

本書『父がしたこと』ではその冒頭から重要な登場人物である向坂清庵という名医についての描写から始まります。

物語の中心となる、向坂清庵医師に御藩主の治療を依頼した件についての永井重彰とその父親の元重との会話に関連して向坂清庵についての人物紹介が始まるのです。

その際の話の中で、『蔵志』や『瘍科秘録』などの具体的な書物名と共に当時の華岡流外科の説明が為されます。

その話の流れは、そのまま前作『本売る日々』で紹介されていた実在の書物名が取り上げられ語られた流れそのままでした。

もしかして、前作で詳しく調べられた書物の中にあった医療関係の書物から本書のアイデアを得られたのではないかと思ったほどです。

そういう意味では本書は前作『本売る日々』の続編的な位置にある作品かもしれないなどと思ったものです。

しかし物語としては関係のないものでした。

ただ、前作での、民間における「地域の文化の核にもなっていた」( 本の話 : 参照 )名主らの物語に対する「官」側の核の話だということができるかもしれません。

同時に、前作『本売る日々』で描かれていた佐野淇一という村医者の話が本書に結びついているとも言えそうです。

 

 

それはさておき、本書は侍の物語であると同時に医療小説でもあるという珍しい作品で、江戸時代末期で行われた二件の外科手術、即ち「痔漏」と「鎖肛」という手術を華岡青洲の流れを汲む向坂清庵という名医が執行する話が中心になっています。

つまり、藩主の痔ろうと息子の閉ざされた肛門の新設ついて外科処置を施す話であって、蘭方の外科医による処置を手順まで詳しく描写するというこれまでにない蘭方医の描き方が為されているのです。

医学の歴史にも言及することで、本書の主題となる侍のあり方、主君のために尽くすのか、家族のため生きるのかという問いの背景を堅実なものとして、侍の生き方についての問い掛けを明確にするという効果を期待しているのでしょう。

 

同時に、本書で見るべきは御藩主や重彰の子の拡の病に関連しての永井親子の関わり方だけではなく、永井重彰の妻佐江とその母登志の侍の妻としてのあり方もまた見どころの一つとなっています。

御藩主に尽す永井元重、重彰親子の姿に焦点が当たるのは当然のことですが、永井親子の妻たちの姿も現代に生きる一人の人間の姿としてもあてはまるものだと思えたのです。

こうした妻の姿を通して、夫である侍たちが主君のために尽すことができたのだと、あらためて感じ入ったものです。

 

読後に調べていると、この「鎖肛」という名前は華岡青洲がつけたものであり、華岡青洲の医業であったとの記載がありました。

同じ頁には「数多の資料から説得力ある心の動きを抽出できるのは時代小説の強みです」との言葉もありましたし、母親の登志についても「武家の妻らしい肝の据わり具合を見せる彼女は、唯々諾々と慣習に従うようなこともない」と記してあります( カドブン: 参照 )

やはり、この作家の作品にはずれはなく、作品ごとに新たな感動をもたらしてくれる素晴らしい作家さんだと恐れ入るしかない作品でした。

ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編 SISTER編


ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』とは

 

本書『ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』は、両書共に2023年9月に256頁のソフトカバーで小学館から刊行された長編の推理小説です。

 

ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』の簡単なあらすじ

 

史上初! ひとつの事件にふたつの真実

古き良き商店街で起きた不穏な事件。探偵役は四兄弟と三姉妹、事件と手がかりは同じなのに展開する推理は全く違う!? 〈Sister編〉との「両面読み」がおすすめです!
ぎんなみ商店街近くに住む元太・福太・学太・良太の兄弟。母は早くに亡くなり父は海外赴任中だ。ある日、馴染みの商店に車が突っ込む事故が起きる。運転手は衝撃で焼き鳥の串が喉に刺さり即死した。事故の目撃者は末っ子で小学生の良太。だが福太と学太は良太の証言に違和感を覚えた。弟は何かを隠している? 二人は調査に乗り出すことに(第一話「桜幽霊とシェパーズ・パイ」)。
中学校で手作りの楽器が壊される事件が発生。現場には墨汁がぶちまけられ焼き鳥の串が「井」の字に置かれていた。学太の所属する書道部に犯人がいるのではと疑われ、兄弟は真実を探るべく聞き込みに回る(第二話「宝石泥棒と幸福の王子」)。
商店街主催の「ミステリーグルメツアー」に随行し、長男で料理人の元太は家を空けている。学太が偶然脅迫状らしきものの断片を見つけたことから、元太が誘拐事件にかかわっている可能性が浮上。台風のなか兄の足跡を追う福太たちに、ある人物が迫る!(第三話「親子喧嘩と注文の多い料理店」)(内容紹介(出版社より))

新・読書体験。驚愕のパラレルミステリー!

古き良き商店街で起きた不穏な事件。探偵役は三姉妹と四兄弟、事件と手がかりは同じなのに展開する推理は全く違う!? 〈Brother編〉との「両面読み」がおすすめです!
ぎんなみ商店街に店を構える焼き鳥店「串真佐」の三姉妹、佐々美、都久音、桃。ある日、近所の商店に車が突っ込む事故が発生した。運転手は衝撃で焼き鳥の串が喉に刺さり即死。詮索好きの友人を止めるため、都久音は捜査に乗り出す。まずは事故現場で目撃された謎の人物を捜すことに。(第一話「だから都久音は嘘をつかない」)
交通事故に隠された謎を解いた三姉妹に捜査の依頼が。地元の中学校で起きた器物損壊事件の犯人を捜してほしいというものだ。現場には墨汁がぶちまけられ、焼き鳥の串が「井」の字に置かれていた。これは犯人を示すメッセージなのか、それとも……?(第二話「だから都久音は押し付けない」)
「ミステリーグルメツアーに行く」と言って出掛けた佐々美が行方不明に!? すわ誘拐、と慌てる都久音は偶然作りかけの脅迫状を見つけてしまう。台風のなか、姉の足跡を追う二人に、商店街のドンこと神山が迫るーー。(第三話「だから都久音は心配しない」)(内容紹介(出版社より))

 

ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』の感想

 

本『ぎんなみ商店街の事件簿』の『BROTHER編』と『SISTER編』という作品は、発生した同じ事件を両編それぞれに異なる探偵役が調査し、結果的として内容の異なる二つの真実を見つけるという独特な構成のミステリー小説です。

つまりは本書『ぎんなみ商店街の事件簿』は、『BROTHER編』『SISTER編』という二冊の姉妹編を読み終えて初めて作品としての評価ができるような物語だと言えます。

私は『ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』を最初に読んだのですが、ぎんなみ商店街で起きるいろいろな事件の謎を、料理人の元太を長男とする福太学太良太という四兄弟が探偵役として解決する物語として、単品だけでも面白い作品でした。

同じことは姉妹編の『SISTER編』についても言え、ただ探偵役が内山家の佐々美都久音という三姉妹に代わっている点が異なるだけです。

 

両書で起きる事件は「ぎんなみ商店街で起きた交通事故」、「中学校で手作り楽器が壊された事件」、「発見された脅迫状から推測される誘拐らしき事件」の三件であって、普通の推理小説で起きる殺人事件などではありません。

そして、両方の作品で起きる事件は同じものですが、ただそれぞれの作品において起きた事実の持つ意味が異なってくるのであり、見つけるべき真実も異なっています。

客観的な事実は同じでありながら、関わる当事者ごとに見るべき視点をずらし、取り上げる事実も異なることでその先にあり発見されるべき真実も異なるものになります。

 

両方を読み終えてみると、確かに起きる事件は一つです。

その上で各事件の背後には登場人物の家族や友人関係があり、それぞれの関係性が複雑に絡んでいて、それらを背景にした真相がきちんと構築されていいるのです。

そうした構成、つまり『BROTHER編』と『SISTER編』とで起きる事実を同じくしながら矛盾なく意味を持たせる、という作業がどれほど困難さは素人でも分かります。

ここでの二冊はそうした困難な作業を乗り越えて、両編それぞれで破綻することなく評価の高いミステリーとして仕上げてあるのです。

 

登場人物たち、それぞれの兄弟姉妹の個性はうまく書き分けられており、軽いユーモアも散りばめられていて読みやすく、それなりに読み通すことがきついなどということはありません。

兄弟姉妹の仲の良さは読んでいても心地よく、当然ですが商店街の各店の登場人物も共通でありながら問題解決に同じような役割を果たしている点もまた読みやすい構成です。

それぞれの兄弟姉妹の抱える問題もユーモラスな面もあり、小暮家、内山家の家族の内情も面白く描かれていて好感が持てます。

さらには、小暮家、内山家が互いに相手の担当する巻に少しずつ登場してそれなりの役割を果たしたりと両編の繋がりにも配慮を見せてあります。

 

しかしながら、綜合的にみると個人的には決して好みの作品とは言えませんでした。

上記のようなうまい作りを見せてありながら、違和感を感じ感情移入できないのは何故かというと、探偵役となる両家の兄弟姉妹のうちの一人が中心的な存在となっていて最終的なひらめきを見せていること、頭脳役の担当はその弟なり妹なりが控えていること、などの構造が同じだということでしょう。

でも、違和感の正体はそうしたことに加え、なによりも両編での小暮家兄弟、内山家姉妹が物語の中から浮いて見えるという点にあると思います。

個人的に、この町でミステリーの探偵役として動き回る両兄弟姉妹に不自然さを感じてしまったようで、こればかりは個人的な好みの問題なのでどうしようもないことだと思われます。

この点を除けば非常に考えられた面白い作品だと言え、一読する価値はあると思わる作品でした。

エヴァーグリーン・ゲーム

エヴァーグリーン・ゲーム』とは

 

本書『エヴァーグリーン・ゲーム』は、2023年11月に364頁のソフトカバーでポプラ社から刊行され、第12回ポプラ社小説新人賞を受賞した長編のエンターテイメント小説です。

わが国ではメジャーとは言えないチェスというゲームをテーマにした物語で、大変興味深く読んだ作品でした。

 

エヴァーグリーン・ゲーム』の簡単なあらすじ

 

【選考委員、絶賛の嵐! 第12回ポプラ社小説新人賞受賞作!!】
世界有数の頭脳スポーツであるチェスと出会い、その面白さに魅入られた4人の若者たち。
64マスの盤上で、命を懸けた闘いが繰り広げられるーー!

「勝つために治せよ、絶対に」
小学生の透は、難病で入院生活を送っており、行きたかった遠足はもちろん、学校にも行けず癇癪を起してしまう。そんなとき、小児病棟でチェスに没頭する輝と出会うーー。
<年齢より才能より、大事なものがある。もうわかってるだろ?>
チェス部の実力者である高校生の晴紀だが、マイナー競技ゆえにプロを目指すかどうか悩んでいた。ある日、部長のルイに誘われた合コンで、昔好きだった女の子と再会し……?
「人生を賭けて、ママに復讐してやろう。」
全盲の少女・冴理は、母からピアノのレッスンを強要される日々。しかし盲学校の保健室の先生に偶然すすめられたチェスにハマってしまいーー。
「俺はただ、チェスを指すこの一瞬のために、生きている。」
天涯孤独の釣崎は、少年院を出たのち単身アメリカへわたる。マフィアのドンとチェスの勝負することになり……!?

そして、彼らは己の全てをかけて、チェスプレイヤー日本一を決めるチェスワングランプリに挑むことに。
チェスと人生がドラマティックに交錯する、熱い感動のエンターテイメント作!(内容紹介(出版社より))

 

エヴァーグリーン・ゲーム』の感想

 

本書『エヴァーグリーン・ゲーム』は、チェスというボードゲームをテーマにした、第12回ポプラ社小説新人賞を受賞した小説です。

チェスというゲームについては、将棋がゲームの中で獲った駒を自身の手駒として使うことができるのに対して、チェスの場合はゲームから退場してしまうということを聞いたことがあります。

ほかにはキングやクイーン、そしてポーンという駒の名前を聞いたことがあるくらいで、駒の動きすらも知らないというのが正直なところです。

 

本書はそのチェスというボードゲームに魅せられて自分の人生をチェスに捧げ、「チェスワングランプリ」という日本一のチェスプレイヤーを決める大会に出場する四人の物語です。

基本的に、チェスをテーマにした作品としてはとてもよくできたエンターテイメント小説だと思います。

しかし、日本一を決める大会の出場者のトップの四人の人生が互いにすでに何らかのかかわりを持っていたという点は違和感を感じました。

でも、彼らの人生がそのどこかの場面で少なからず交錯しているという点は、エンターテイメント小説としては仕方のないことであり許容範囲というべきだとの思いもあります。

こうした設定こそがエンターテイメント小説を盛り上げるのであり、過度なリアリティーの追及は作家の想像力に縛りを掛けてしまうものでしょう。

 

そうした疑問を除けば、本書『エヴァーグリーン・ゲーム』はチェスというゲームに魅せられた人たちを主人公にした面白い作品でした。

先に書いたこととは矛盾するようもでありますが、登場人物たちもそれぞれに個性豊かです。

病を抱えた少年、チェスのできる喫茶店の経営者、その店で腕を磨いた目の見えない娘、そして裏社会との関係が疑われている傍若無人な態度の男という四人です。

それぞれに人生の生きがいをチェスというゲームに求め、トップに立つことを目標としているのです。

 

ほとんどの読者はチェスというゲームを知らず、その点は作者にとって大きなハンディだと思います。

でも、チェスというゲームを知らなくても本書を読むのに不都合はないという点は作者のうまいところでしょう。

ただ、作者も作中で述べられているように、チェスには引き分けが多いという点が分かりにくいゲームになっているとも言えそうです。

この点に関しては、作中で「ステイルメイト」という言葉について「相手を追い詰めていく過程で起こる、強制的な引き分けのこと」という説明がされてありました。

「チェスの精神として、自殺でゲームが終わるのはよくない」ということなのだそうです。

ただこの点の説明だけでは私にとっては若干分かりにくいので、例えば下記サイトなどを参照してください。

 

その他、将棋では「きまった指し方」である定跡や、攻めや守りの型があるそうですが、チェスにもいろいろな定跡があり、「シシリアンディフェンス・ドラゴンバリエーション」や「アクセラレイテッド・ロンドンシステム」などの名前が当初から出てきます。

もちろん、そうした定跡の説明があってもチェスの素人である読者に理解できるはずもなく、ただ名前だけが挙げてありますが、チェスというゲームの雰囲気を盛り上げるには効果的でしょう。

 

本書『エヴァーグリーン・ゲーム』では、こうしたチェスというゲームの特性を織り交ぜながら、チェスに魅せられた四人の人生が語られていきます。

ラストは、若干出来すぎの印象もありますが、それでも面白く読み終えることができました。

個々人の人生に光をもたらし、生きる目的を持たせてくれたチェスというゲーム。そのゲームで頂点に立つべく奮闘する四人の物語は予想外に読みがいのある作品でした。