『あきない世傳 金と銀(十二) 出帆篇』とは
本書『あきない世傳 金と銀(十二) 出帆篇』は『あきない世傳 金と銀シリーズ』の第十二弾で、2022年2月に文庫本で刊行された、328頁の長編の痛快時代小説です。
一旦は取り上げられた呉服の商いでしたが、本巻でやっと再び呉服の商いができそうになりますが、やはり高い壁が立ち塞がります。その壁を如何にして乗り越えるか、シリーズの醍醐味を本巻でも味わうことができます。
『あきない世傳 金と銀(十二) 出帆篇』の簡単なあらすじ
浅草田原町に「五鈴屋江戸本店」を開いて十年。藍染め浴衣地でその名を江戸中に知られる五鈴屋ではあるが、再び呉服も扱えるようになりたい、というのが主従の願いであった。仲間の協力を得て道筋が見えてきたものの、決して容易くはない。因縁の相手、幕府、そして思いがけない現象。しかし、帆を上げて大海を目指す、という固い決心のもと、幸と奉公人、そして仲間たちは、知恵を絞って様々な困難を乗り越えて行く。源流から始まった商いの流れに乗り、いよいよ出帆の刻を迎えるシリーズ第十二弾!!(「BOOK」データベースより)
五鈴屋江戸本店の創業十年という記念の日に到着した近江商人の茂作やその孫の健作も旅立って、浅草太物仲間には駒形町の丸屋が仲間入りし、お上への呉服商いの願いを出すばかりだった。
年明け直ぐに願い出た浅草呉服太物仲間の件への返事もないままに、幸は呉服の新たな小紋染めとしてかつて賢輔が考えていた「家内安全」の文字散らしの図案を手掛けることを考えていた。
一方、雨で中断されていた勧進相撲も卯月八日となってやっと再開され、力士の名入りの藍染浴衣を纏うものが増え、各店にもお客が押し寄せるのだった。
そんな中もたらされたお上からの浅草呉服太物仲間の件の返事は、太物仲間に更なる難題をもたらすものでしかなく、皆は頭を抱えるだけだった。
『あきない世傳 金と銀(十二) 出帆篇』の感想
本書『あきない世傳 金と銀(十二) 出帆篇』では、念願だった呉服を扱うことができるかが一つの焦点となります。
そしてそこにはまたまた乗り越えるべき壁が立ちふさがるのです。
それとは別に、呉服商いに際し、また新たなアイデアをひねり出し、この壁を乗り越える様子が描かれているのはいつものとおりです。
同時に、商売が順調でお客が増えるのは非常にいいことですが、同時に五鈴屋の客層として富裕層が増えてくるにつれ、それまでの普通のおかみさんたちにとって店の敷居が高くなってく気配も出てきます。
そうした状況をいかに乗り越えるかが今後の課題となりそうです。
前巻『あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇』で、二代目徳兵衛の口癖であった「買うての幸い、売っての幸せ」という言葉を商売の心得として押し寄せる困難を乗り越えていく姿が描かれる、ということを書きましたがそのことは本巻でも同様です。
というよりは、この言葉はこのシリーズを通しての幸ら五鈴屋の商売上の心得としてあり、皆で押し寄せる難題に対処していると言うべきなのでしょう。
また、前巻で書いたことでいえば“幸だけが正論すぎる”ということも同様で、本書ではそれ以上に出来事の都合がよすぎる気もします。
例えば、本書『出帆篇』ではある自然の出来事がストーリーに大きな影響を与えますが、この出来事があまりに五鈴屋に都合がよすぎる気がしないでもありません。
幸の妹の結がいる日本橋音羽屋も、特に大きな商売においてはそれなりの危機管理をなしているからこそこれまで大店として生き延びてきたと思われるのですが、その点が無視されている印象です。
そうした割り切れない気持ちはあるものの、本『あきない世傳金と銀シリーズ』が面白いシリーズであることに違いはなく、いろいろ言っても続巻が楽しみなことに間違いはありません。
その理由の一つに、幸ら五鈴屋の仲間が様々な困難を乗り越えていく様子がカタルシスをもたらすということが挙げられます。
そしてまた、このシリーズでは毎回呉服や太物の商売上の知識などを紹介してあったり、巻末にまとめて説明してあったりしていますが、そうした豆知識も魅力の一つです。
本書でもそれは同様で、例えば、大阪では女子の持ち物が借銀の形にとられることはないため、大坂商人は女房や娘の衣裳に金銀の糸目をつけない、など初めて聞いた知識などがそうです。
こうした細かな知識を知ることも読んでいて楽しいものですし、物語自体に深みが出てきます。
さらに、今回は吉原での「衣裳競べ」が一つのイベントとして出てきますが、その際に幸が「衣裳」の意味について「衣裳は暑さ寒さからひとを守り、そのひとらしくあるためのもの、誰かと競い合うための道具では決してない」と言っています。
こうした言葉はいかにも幸が発しそうな言葉であり、また幸が周りの人から認められる理由でもあるのでしょう。
こうした箴言めいた言葉は読み手の心に染み入ることになり、この物語の魅力となっていると言えます。
ちなみに、ここで使われている「衣裳」という言葉は「上半身に着る衣(きぬ)と、下半身につける裳(も)」とありましたが、ほぼ着衣の総称と考えて良さそうです( コトバンク : 参照 )。
ただ、「裳」は常用漢字ではありませんので、「衣装」が一般になった、と様々な箇所で書いてありました。
また、本シリーズで何話か前から出てくる「親和文字」ですが、巻末の「治兵衛のあきない講座」によると、三井親和という実在の人物がいたそうです( ウィキペディア : 参照 )。
ともあれ、続巻が待たれるシリーズであることに間違いはありません。