『ふるさと銀河線 軌道春秋』とは
本書『ふるさと銀河線 軌道春秋』は『軌道春秋シリーズ』の第一弾で、2013年11月に288頁で文庫本書き下ろしで出版された、現代の九編の物語からなる短編小説集です。
『ふるさと銀河線 軌道春秋』の簡単なあらすじ
両親を喪って兄とふたり、道東の小さな町で暮らす少女。演劇の才能を認められ、周囲の期待を集めるが、彼女の心はふるさとへの愛と、夢への思いの間で揺れ動いていた(表題作)。苦難のなかで真の生き方を追い求める人びとの姿を、美しい列車の風景を織りこみながら描いた珠玉の短編集。(「BOOK」データベースより)
『ふるさと銀河線 軌道春秋』の感想
本書『ふるさと銀河線 軌道春秋』は、著者の高田郁が川富士立夏(かわふじ りっか)というペンネームで原作を書き、深沢かすみという人が画を書いて集英社の「YOU」というコミック誌に連載された漫画だったのだそうです。それを小説化したものだと「あとがき」に書いてありました。
まず悪い印象を挙げると、若干の感傷が垣間見える作品集でした。
特に冒頭の「お弁当ふたつ」という作品には、ラストシーンの二人の先に「感動」を置いているような、ほんの少しのあざとさを感じてしまいました。
しかし、そこは高田郁という作家さんの上手さなのでしょうか。次の作品からは’感傷’の香りも後退していき、有川浩の「阪急電車」を思い出す「車窓家族」や、その次の「ムシヤシナイ」あたりからはそうした思いも忘れていました。
再度個人的な不満点を言いますと、今の私には少々重過ぎると思わざるを得ない作品もありました。
「晩夏光」で語られる「老い」や、「幸福が遠すぎたら」での「病」という言葉は、若いうちならばいざ知らず、その言葉を自らが抱えるようになると、高田郁の文章が上手いだけに心の奥深くに入り込み、そして普段は隠している自分の不安な思いを引っ張り出してしまうのです。
そうなると、感傷などとは言っておられません。途端に現実が突き付けられるのです。
でも、これはあくまで読み手の問題です。殆どの作品は作者も言っているようにほのかな希望を持っています。決して暗い物語ではありません。
蛇足ながら、「幸福が遠すぎたら」の最後に記されている寺山修司の詩が懐かしいです。
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
という井伏鱒二の名訳を受けて書かれたと言われる詩です。この詩を受けて寺山修二は「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません」と詠ったのです。
ちなみに、上の詩は、別れが待つ人生だから今この時を大事に、との意味だそうです。