本書『沈黙法廷』は、ある殺人事件の捜査と、その捜査を受けて為される裁判の様子を緻密に描き出した長編のミステリー小説です。
法手ミステリーとしての要素を見据えた緻密な捜査描写もあり、いつもの佐々木譲の作品とは若干異なった印象の、しかし面白い物語でした。
東京・赤羽。絞殺死体で発見されたひとり暮らしの初老男性。親譲りの不動産を所有する被害者の周辺には、多くの捜査対象が存在する。地道な鑑取り捜査の過程で、家事代行業の女性が浮上した。しかし彼女の自宅に赴いた赤羽署の捜査員の前に、埼玉県警の警察車両が。彼女の仕事先では、他にも複数の不審死が発生していた―。舞台は敏腕弁護士と検察が鎬を削る裁判員裁判の場へ!無罪を主張する被告は証言台で突然、口を閉ざした。有罪に代えても守るべき何が、彼女にあるのか?丹念な捜査、緊迫の公判。新機軸の長編ミステリー。
本書『沈黙法廷』は佐々木譲の描くこれまでの警察小説とは若干ですが、その雰囲気が異なっています。捜査状況の描き方が実に緻密なのです。
現実の捜査の状況もそうなのだろうと思い描くことが楽にできそうなまでに克明な描写です。
その捜査ですが、本書では本殺人事件を管轄する赤羽署の捜査員と、もう一件の埼玉県警で起きた事案に関連して埼玉県警の捜査状況とが並行して描かれます。
メインの描写は赤羽の事件ですが、ここで赤羽署のベテラン刑事と組んでいる本庁から送り込まれた一課の刑事が若干問題のある刑事であり、この先の見込み捜査が示唆されています。
本事案ではすぐにある家事代行業者の女性が被疑者として浮かびますが、この女性に関しては埼玉県でも疑わしい事案が発生しており、両警察の面子をかけた捜査になってきて、本庁の刑事の意見が重視されるのです。
両警察の競い合いの描写もさることながら、警察上部の判断に、捜査をする中で浮かんできた事実以外の要素が入り込んでくることも、その先は冤罪へと道が続いているのだと痛感させられます。
彼らの捜査が進んで犯人と目される家事代行業者の起訴までたどり着くと、この物語の後半部に入り、法廷での場面が展開されます。ここからは、視点が容疑者の恋人と思われる一人の傍聴人の目線になり、客観的な視点での物語となります。
前半で捜査状況が克明に描写されていたのは、捜査現場のあり方が、本書後半での裁判員裁判の法廷での弁論の在り方、つまりは裁判の方向性に反映するからなのかもしれません。
勿論、裁判の実際は基本的に事務的な手続きの連続ですので、回想の場面などは入るのですが、極力現実の裁判に即した描写が為されています。でも、ここの第三者目線での法廷描写はなかなかに読み応えのあるものでした。
これまでの法廷小説と言えば、名作と言われる高木彬光の『破戒裁判』にしても、近年ミステリー作家として評価の高い柚月裕子の「佐方貞人シリーズ」の一巻目『最後の証人』にしても、裁判を進める中で、捜査権を持つ警察なり、弁護士の調査などで新事実が見つけられ、意外な展開になるという筋立てが一般ではありました。
前者『破戒裁判』は全編が法廷での検察、弁護人のやり取りで成り立っている珍しい構成の本です。ただ、主人公である弁護士の豊富な資金で十分な調査をし、被告人の有理な証拠を探し、法廷で新事実を提示して真実を見つけ出すという物語でした。
また『最後の証人』もまた、新しい事実を探り出して圧倒的不利な状況にある被告人を救い、かつ、事件の真実の姿を暴き出すという話でした。ただ、その真実が必ずしも被告人の有利になるものではない、という何とも微妙な、しかしながら物語としては面白い作品でした。
しかし、本書『沈黙法廷』はそうした派手な展開はありません。勿論ミステリーとしての意外性はそれなりに有したままで、現実の裁判の進行過程を忠実になぞりながらの真実解明、という点に重きを置かれています。
本書の最後に作者が本書の監修をされた弁護士に対する謝辞を書かれているように、ミステリーとしての面白さは抱えながらも実務からの目線にも耐えうる物語として裁判員裁判の実情が描かれているのです。
一方、そうしたメインとなる物語とは別に、本書『沈黙法廷』では被告人となっている家事代行業者の女性と、後半の視点の主である男性との恋模様とがサブストーリー的に描かれていて、それがこの物語の救いの話、として生きているようです。
ちなみに、本書『沈黙法廷』は2017年9月より、WOWWOWにおいて、全五話のドラマとして、永作博美、市原隼人他のキャストで放送されています。