本書『傍聞き』は、第61回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した表題作「傍聞き」が収められた短編作品集です。
どの物語も、トリックのアイディアがユニークです。人物の心理をうまくついた仕掛けは新鮮な驚きをもたらしてくれました。
患者の搬送を避ける救急隊員の事情が胸に迫る「迷走」。娘の不可解な行動に悩む女性刑事が、我が子の意図に心揺さぶられる「傍聞き」。女性の自宅を鎮火中に、消防士のとった行為が意想外な「899」。元受刑者の揺れる気持ちが切ない「迷い箱」。まったく予想のつかない展開と、人間ドラマが見事に融合した4編。表題作で08年日本推理作家協会賞短編部門受賞。
「迷走」
交通事故で娘が車いす生活になった。救急隊の隊長である室伏光雄は、娘の事故の時の加害者を不起訴にした担当検事を搬送することになる。しかし、室伏は救急病院が近づくと、何故か病院の周りを迷走させるのだった。
「899」
消防署員の諸上将吾が想いを寄せる初美の家が類焼していた。将吾は火の中、初美の生後4カ月の娘を探すが、指示された部屋には見当たらない。諸上が他の部屋を探す間に同僚が見つけ出すのだった。
「傍聞き」
刑事である羽角啓子の裏手に住む老女が窃盗にあい、横崎という常習犯が逮捕された。しかし、横崎は罪を認めず、自分は真犯人を知っており、啓子に告げるというのだった。
「迷い箱」
捨てると決断できないものを一時的に入れておく箱のことを「迷い箱」というそうです。
過失で女児を殺してしまった自殺願望を有する碓井章由という元受刑者を、「刑務所を出て行き場のない人を一時的に預かる更生保護施設」の施設長である設楽結子が見守るという、施設長の目線で語られる物語です。
短編小説がこれだけ楽しませてくれる作品集はあまりないと思われます。
ただ、個人的には、本書『傍聞き』はトリックの組み込み方としては若干強引かなという印象もあります。
しかし、小説として面白くないのかというとそうではなく、短編小説としての面白さがかなりのものであることは否定できず、物語の作り手としてのこの作者の上手さばかりが目立ちました。
「迷走」での、病院の周りをめぐるという主人公室伏の奇妙な行動には、読者も(少なくとも私は)十分納得するちゃんとした理由がありました。しかし、何故その行動の理由を周りに告げないのか、が一応の説明はあるものの気になってしまいます。
「899」でも、諸上が見つけられなかった赤ちゃんを同僚が見つけ出す、というその点の理由は分からないではありませんでした。
しかし、その同僚が赤ちゃんを見つけた本当の理由に関しては、赤ちゃんを少なからず危険にさらすのではないのか、という危惧を抱かざるを得ず、若干の強引さを感じないではなかったのです。
ただ、それでもなお本書『傍聞き』は面白いのです。上記のような気になる個所はあってもなお、本書のトリックはうまいと思います。
ユニークなトリック自体も見事ですが、そのトリックを物語の中で生かし切っているところが本書の一番の魅力でしょう。
特に本書の表題ともなっている「傍聞き」は、やはり若干の無理は感じるものの、人間心裡をうまくついていて魅了させられました。
本書のように秀逸なトリックをちりばめている小説としては、近時読んだ米澤穂信の『真実の10メートル手前』がありました。
この作品は、フリージャーナリストの太刀洗万智という女性を主人公にしたシリーズの中の短編小説集で、第155回直木賞の候補作にもなった作品です。この物語もトリックの切れがよく、心地良い読後感でした。
小説のもつ雰囲気は若干異なり、長編小説ではありますが、中山七里の『連続殺人鬼カエル男』もトリックという点では驚かされた作品でした。
グロさ満載の物語で、話の進め方が強引なところもありましたが、人間心理をついたどんでん返しには驚きました。
また、逆に三上延のビブリア古書堂の事件手帖シリーズも、古書にまつわる事柄をテーマに小気味いいトリックで組み立てられた物語であって、かなりの読みごたえを感じた小説でした。
この頃読んだトリック重視の小説、とは言ってもいわゆる本格派推理小説とはまた違う、人間を描いた私好みの作品、それもそれぞれに傾向の異なる作品を挙げてみました。
でも、本書『傍聞き』はその中でも私の好みに合致する作品であり、まだこの作家の作品を追いかけてみようと思わせてくれた作品でもありました。