本書『初詣で 照降町四季(一)』は、佐伯泰英の新たなるシリーズ作品、文庫本で325頁という長さの長編の痛快人情時代小説です。
出戻りの佳乃という女職人の姿を描き出した、佐伯泰英節が十二分に楽しめる人情小説として仕上がっている作品です。
『初詣で 照降町四季(一)』の簡単なあらすじ
Amazon などで書かれている書籍紹介文が十分なので、簡単なあらすじに代えさせてもらいます。
日本橋の近く、傘や下駄問屋が多く集まる町・照降町に「鼻緒屋」の娘・佳乃が三年ぶりに出戻ってきた――
著者初・江戸の女性職人が主役の書下ろし新作<全四巻>スタート!1巻「初詣で」内容
文政11年暮れ。雪の降る中、18で男と駆け落ちした鼻緒屋の娘・佳乃が三年ぶりに照降町に戻ってきた。
懐かしい荒布橋(あらめばし)を渡り、町の入り口に立つ梅の木を、万感の思いで見上げる佳乃。
実家の鼻緒屋では、父が病に伏せっており、九州の小藩の脱藩武士・周五郎を見習いとして受け入れていた。父にかわり、職人として鼻緒挿げの腕を磨く佳乃は、
新鮮なアイデアを出して老舗の下駄問屋の宮田屋に認められ、吉原の花魁・梅香からも注文を受ける。自分を受け入れてくれた町に恩返しをすべく、日々を懸命に生きる佳乃だったが、駆け落ちの相手・三郎次が
あとを追ってきて――「己丑の大火」前夜の町と人々を通して描く、知恵と勇気の感動ストーリー。(「書籍紹介」より)
『初詣で 照降町四季(一)』の感想
本書『初詣で 照降町四季(一)』の舞台となった「照降町」とは、日本橋近くの魚河岸の西にある、雨の日の傘、晴れの日の雪駄、下駄を売る店が多いところから「照降町」と呼ばれていた町を舞台とする話です。
この町は実在した町で( コトバンク : 参照 )、他の小説の舞台にもなったことがあるため、その作品で町の名前だけは知っていました。
その作品が今井絵美子の角川文庫で全五巻の作品で『照降町自身番書役日誌シリーズ』といいます。
もと武家の喜三次は照降町で自身番書役を務めながら、家族のように助け合って生きている照降町に暮らす人たちの人間模様を情感豊か描き出す人情時代小説シリーズです。
本書『初詣で 照降町四季(一)』は、三年前に三郎次という遊び人に騙されて駆け落ちをした佳乃が、目が覚めて三郎次から逃げ出して照降町へと戻ってきたところから始まります。
佳乃の父親弥兵衛は下駄や草履の鼻緒を挿(す)げることを生業とする職人で、佳乃はこの仕事を継ぐことになります。
このような鼻緒を挿げる職業が実際に存在したのかどうかはちょっと調べただけでは分かりませんでした。
今では下駄や草履をはく人もあまりおらず、鼻緒を挿げることや挿げ替えることもできない人が殆どでしょうが、それほど難しいことだとは思えず、職業として成立するものかわからなかったのです。
でも、ちょっと調べるだけで下記のようなのようなサイトが見つかりました。
読んでみると、私が思うほど簡単な作業ではなさそうです。本当に履きやすい鼻緒を挿げることは実はかなり難しいものだと思えます。
とすれば、本書の弥兵衛や佳乃のような職人がいてもおかしくはない、と思えるようになりました。
ところで、佳乃の実家には八頭司周五郎という浪人が手伝いとして雇われていました。
この八頭司周五郎が訳ありの人物で、佳乃を追いかけてきた三郎次を手もなくやっつけてしまうほどの腕を持っています。
見方によっては、八頭司周五郎の存在することで結局は活劇場面が見どころとなり、ほかの佐伯作品との差異がなくなってきているということも言えるかと思います。
例えば、本書の終わり近くでの吉原会所での出来事は、佐伯泰英の『吉原裏同心シリーズ』の一幕のようでもあり、また八頭司周五郎の振る舞いは酔いどれ小籐次シリーズの小籐次のようでもあり、まさに佐伯泰英節が満載の一編となっているといえます。
しかしながら、やはり本書『初詣で 照降町四季(一)』で描かれいるのは佳乃の職人としての生き方です。そしてその佳乃を見守る宮田屋がいて、町の人々がいるのです。
特に宮田屋の大番頭の「一足でも多くの履物を手掛けなされ」との言葉などは、職人としての佳乃をみとめ、育てようとしてる気配を伺うことができますし、それ以外にも町の人々のあたたかい声があります。
そうした人情ものとして本書は捉えることができるのであり、これまでの佐伯泰英作品とはちょっと異なったシリーズ作品として楽しむことができそうです。