本書『心淋し川』は、千駄木町にある心町を舞台にした人情物語であり、新刊書で242頁の長さを持つ短編の時代小説集です。
人情時代小説は数多くの作品がありますが、本書は第164回直木賞を受賞した作品だけあって、よく考えられた構成の心に沁みる物語でした。
『心淋し川』の簡単なあらすじ
不美人な妾ばかりを囲う六兵衛。その一人、先行きに不安を覚えていたりきは、六兵衛が持ち込んだ張形に、悪戯心から小刀で仏像を彫りだして…(「閨仏」)。飯屋を営む与吾蔵は、根津権現で小さな女の子の唄を耳にする。それは、かつて手酷く捨てた女が口にしていた珍しい唄だった。もしや己の子ではと声をかけるが―(「はじめましょ」)他、全六編。生きる喜びと哀しみが織りなす、渾身の時代小説。(「BOOK」データベースより)
心淋川
ここ心町(うらまち)で生まれ、育ってきた今年十九歳になるちほは、上絵師の元吉と会うのを楽しみにしていた。ところがある日、元吉が通う飲み屋で、飲んだくれの父親の荻蔵が若い男をぶん殴った、と差配の茂十が言ってきた。
閨仏
青物卸の大隅屋六兵衛の見目がよくない四人の妾が、「六兵衛旦那の、六でもない長屋」と陰口をたたかれている長屋でも何でもない一軒家に暮らしていた。四人の中でも一番年かさのおりきは、六兵衛が持ってきた張方に、悪戯心がおき、地蔵の顔を彫り始めるのだった。
はじめましょ
与吾蔵は、先代の稲次が逝って「四文屋」という小さな飯屋を譲り受ける。ある日、根津権現様の裏門近くで、るいという昔の女が歌っていた歌を、母親の帰りを待っているという幼い娘が歌っていた。
冬虫夏草
薬種問屋「高鶴屋」のひとり息子の富士之介は家業に精を出すこともせずにただ遊び歩いていたが、十年前事故に遭い、歩けない身体になってしまった。夫も逝き一人になった吉は、富士之介の怪我を機会に折り合いが悪かった嫁を追い出してしまう。いまではこの心町で我儘な富士之助の世話に明け暮れる吉だった。
明けぬ里
根津の岡場所にある「三囲屋」という妓楼に葛葉(くずのは)という源氏名で出ていたようは、当時の客であった桐八と一緒になっていた。ある日、気分が悪く倒れそうになっているところを昔同じ見世にいた遊郭一と謳われた美貌の持ち主の明里に助けられた。
灰の男
茂十が心町の差配になって十二年が過ぎた。茂十は本名を久米茂左衛門という侍であり、旧友の会田錦介と年に一度会って酒を酌み交わすのを常としていた。久米茂左衛門が何故茂十と名乗り心町の差配となったのか、昔を思い出していた。
『心淋し川』の感想
本書『心淋し川』は、根津権現近くの千駄木町の一角にある「心町」を流れる心淋し川(うらさびしがわ)という小さな川の両脇に建つ長屋に住む人たちの生活を描き出した連作の短編集です。
本書『心淋し川』の舞台となる千駄木のある根津という土地を舞台にした、心に響いた物語を思い出しました。
それは木内昇の『漂砂のうたう』という第144回直木賞を受賞した作品です。
明治10年という明治維新の騒動も落ち着いた頃の根津遊郭を舞台にした物語ですが、私が行ったことのないかつての根津遊郭という土地の雰囲気を、なんとなくけだるげに表現した作品でした。
それはともかく、本書『心淋し川』の登場人物としては、各話の登場人物の他に全体を通しての人物として、強面だが穏やかで愛想がいい五十半ばと表現されている、この長屋の差配の茂十という男が各話の中に出てきます。
そして、この町近くの根津権現の裏門近くにいつもいる、楡爺という人物もまたそれぞれの話の一つの風景として登場します。
本書『心淋し川』の構造としては、各話が独立した話としてあり、ただ各物語が心町を舞台としているという点で一致するだけです。
こうした一つの長屋、または町を舞台にした人情物語としては、田牧大和の『鯖猫長屋ふしぎ草紙シリーズ』や西條奈加の『善人長屋』など、少なからずの物語が出版されています。
しかし、本書『心淋し川』はさすがに直木賞を受賞した作品だけあって、それぞれの話がよく練られています。
例えば、文芸評論家の細谷正充氏は第一話の「心淋し川」で主人公のちほが恋が終わった時のことを「すとんと収まりがついて、大人しくなった。収まったのは、恋心か――
」と表現してある箇所を「ひとつの恋が終わったことで、ちほが大人になったことを、読者に印象づけ
」ていると解説されています( Real Sound : 参照 )。
他の話も勿論すばらしいもので、久しぶりにゆったりとした読書の時間を楽しむことができました。
とくに取り上げるべきは最終話です。
上記の二冊も含め、これまでも長屋ものの短編時代小説など、各話が一応の連携を見せている短編集はありました。しかし、本書の場合、単なる連携ではなく、全体としてのまとまりを見せてきたのです。
本書『心淋し川』の最終話までの四つの話は、場所こそ心町の住人の話という点で一致していますが、話としては独立したものでした。
ところが最終話に至り点在していたこれまでの話が、この最終話とを合わせた五つの話として忽然とまとまり、空間的な広がりを見せてきたのです。
これまでも、それぞれの話の中に差配の茂十が登場してきていました。でもそれは差配としての茂十の当然の役割であり、心町の住人の物語である以上当たり前だと思っていました。
しかし、最終話で茂十がこの心町の差配として暮らし始めた理由が明かされると、本書全体として心町の住人たちの苦しくも生きている日々の暮らしが立体的に浮かび上がってきたのです。
見事なまとまりであり、茂十と楡爺、それに各話に登場してきた人物たちとのつながりが生活感を持って浮かび上がってくるラストでした。
ここにいたり、本書『心淋し川』が第164回直木賞を受賞したという結果が、自分の中で十分に納得できました。