『あらすじで読む古典落語の名作』や『さわりで覚える古典落語80選』、『落語一日一話 傑作噺で暮らす一年三六六日』など、野口卓という作家は落語に造詣が深く、幾冊かの本も出版されています。本書は、そうした作者の特色が色濃く、というか持っている知識を総動員して書かれたシリーズです。
このシリーズはもっぱら梟助じいさんのキャラクターでもっている物語で、客先での爺さんの語る話という形式をとっていますが、この爺さんの博識ぶりは眼を見張るものがあります。また、その正体はシリーズの最初の方で明らかにされ、爺さんが何故にこのようにものを知っているのか、なども一応の説明はなされています。
キャラクター設定のうまさは、主人公の梟助じいさんの職業設定にもあります、すなわち爺さんの職業は「鏡磨ぎ」であり、得意先でいろいろなお喋りをしてお客を楽しませますが、そこに落語の知識が。十二分に生かされているのです。落語家の柳家小満んさんが「あとがき」で書いていますが、「鏡磨ぎ」という職業設定は「あらゆる階層の老若男女と接することができる」のです。
落語をテーマとする小説としては、私が読んだ本の中では何といっても中公文庫から出ている結城昌治の『志ん生一代(上・下)』が一番でした。名人五代目志ん生の壮絶な生涯を描いた作品だったことを記憶しています。壮絶という言葉は正確ではありませんね。放蕩息子という言葉の上を行く、人に迷惑をかけるなど当然のことであり、かみさんや子供のことなどこれっぽっちも考えていない遊び人です。しかし、落語という一点でこの物語は救われ、内容の割に爽快感があったと覚えています。ちなみに、志ん生の長男が十代目金原亭馬生であり、その子が俳優中尾彬の妻である女優の池波志乃です。また、右のリンクイメージは単行本を載せていますが、文庫版もあります(Amazon参照)。
また、落語評論家の安藤鶴夫という人が書いた、河出文庫から出ている『三木助歳時記(上・下)』という作品が実に魅力的だったと記憶しています。安藤鶴夫という人についてはウィキペディア(安藤鶴夫)でも見ていただくとして、正直なところ、この本の内容は『志ん生一代』ほどには覚えてはいないのですが、それでも個人的にはこの人の落語「芝浜」が好きな、三代目桂三木助を描いたこの作品を読んで落語家という人種に興味を覚え、以後落語家を描いた小説を読むようになったと覚えています。
他にも何冊か読んでいるのですが、思い出せません。古い本だなをひっくり返し、探してみましょう。
落語に関してもう一冊。近年ネットで読んだコミックがかなり面白く、そのうちに全巻そろえなくてはと思っている作品が、『夏子の酒』を書いた尾瀬あきらの手になる『どうらく息子』です。落語界に飛び込んだ若者が、独特なその世界で苦労しながらの成長譚という、これだけではありきたりの話のようですが、数々の古典落語の説明もあり、かなり本格的に描かれた作品でした。これは監修されている柳家三三師匠の力も大きいのでしょう。
小説好きの私ですが、落語もなかなかに魅力があります。その落語の要素を取り入れながら、梟助という鏡磨ぎの爺さんの魅力的なキャラクターを作り上げたこの物語は、普通のエンターテインメント小説とはかなり趣の異なった小説だ、と言い切れるでしょう。しかし、それだけに物足りなさを感じる人もいるかもしれません。でも、その先にほんのりと見えてくる、梟助じいさんのかたりを堪能してもらいたいものです。