本書『神様のカルテ3』は、『神様のカルテシリーズ』の第三弾で、文庫本で478頁にもなるかなり長い長編小説です。
前巻の『神様のカルテ2』の田中芳樹氏に続いて、これまた熊本出身の姜尚中氏が解説を書いておられます。この解説の文章がまたいい。
『神様のカルテ3』の簡単なあらすじ
「私、栗原君には失望したのよ。ちょっとフットワークが軽くて、ちょっと内視鏡がうまいだけの、どこにでもいる偽善者タイプの医者じゃない」内科医・栗原一止が三十歳になったところで、信州松本平にある「二十四時間、三百六十五日対応」の本庄病院が、患者であふれかえっている現実に変わりはない。夏、新任でやってきた小幡先生は経験も腕も確かで研究熱心、かつ医療への覚悟が違う。懸命でありさえすれば万事うまくいくのだと思い込んでいた一止の胸に、小幡先生の言葉の刃が突き刺さる。映画もメガヒットの大ベストセラー、第一部完結編。(「BOOK」データベースより)
プロローグ
第一話 夏祭り
七月のある日、一止は本庄病院からの帰り道に寄った天神祭りで、金魚掬いの店の準備をしている一止の患者の横田さんが倒れた場面に出会い、すぐに本庄病院へと搬送させる。
その横田さんが病院を抜け出し行方不明になった。神社の夏祭りへと探しに行くと、一人の少年に金魚掬いをさせている横田さんがいた。
第二話 秋時雨
内藤先生が去ったあとの本庄病院内科も、小幡奈美という消化器内科の医師がやってきて一息つけるようになっていた。
そんな内科に肝機能障害で榊原信一という東西看護師の古い知り合いであるらしい患者が入院してきたが、何故か入院しても肝機能が悪化する一方だった。
第三話 冬銀河
信州大学の医局へと異動することになった次郎が、新任の小幡医師と衝突した。酒飲みの患者は看ない小幡医師は分からないという次郎に、小幡医師は、あなたに言っても分からない、と言い切る。
最新の医療を学ぶ努力を怠り、死にそうな患者のそばに付き添っているなど自己満足にすぎないと言う小幡医師は、一止のような医者を偽善者であり、生きることを舐めきっている人に割く時間はない、と言うのだった。
第四話 大晦日
小幡医師と救急部の外村師長とが衝突した話が広がるなか、小幡医師は、通常の業務もこなしながら二週間という時間を一人で重症のICU患者の世話をしていたという。
一止が、小幡医師と勤務を代わった大狸先生からその話を聞いていると、そこに検査科の松前徳郎技師長や循環器の自若先生、それに辰也まで集まり、次郎の本庄病院卒業試験である手術の終わりを待つのだった。
第五話 宴
ところが、次郎が執刀した島内耕三という膵癌患者は癌ではなかった。つまりは一止らの診断は誤りであり、薬で治療できるものだったのだ。
事務局では本庄病院の幹部らが集まり、一止らの誤診について話し合いが行われていたのだった。
エピローグ
『神様のカルテ3』の感想
これまでは「地域医療」の抱える問題に重点が置かれていた本『神様のカルテシリーズ』ですが、本書『神様のカルテ3』では、医療というよりも医師自体の抱える問題に軸足が移っている印象があります。
勿論、本『神様のカルテシリーズ』でもこれまで古狐先生こと内藤先生の問題でも取り上げられたように、「医師と家族」の問題が、それは医療における人的資源の少なさでもあるのでしょうが、大きく取り上げられていました。
本書で言うのはそうではなく、医者自身の問題です。先端医療と地域医療の関係、第一巻でも言われていた問題が正面から取り上げられ、それが一止のこれからの進路と絡めて描かれているのです。
そこで一止の進路に大きな影響を与える役割を担って登場するのが札幌稲穂病院から本庄病院の消化器内科へ来たという小幡奈美という医師です。
この小幡先生は超音波内視鏡検査を得意とし、臨床と研究を同時並行させている稀有な医師でした。
第一話、第二話はとある事情を抱えた患者の話と、東西看護師の過去にからんだ患者の話であり、それ以降にこの小幡先生をめぐる問題が巻き起こります。
まず小幡医師は次郎と衝突し、ついで救急部の外村師長との間で火花が散ります。小幡医師の患者に対する態度が問題となるのです。
先にも書いたように、この小幡医師は常に先端医療を学び、その上で現場にも臨んでいる医師です。
それに対し、一止は地域医療の現実を見て、大学という医療の研究機関へ入ることをせずに現場での医療を選択したお医者さんです。
その一止に対し、改めて最新の医学、医療技術を学ぶことの大切さを教えてくれる存在として小幡医師が配置されているのです。
それは大狸先生の一止に対する大きな指導の一環であり、愛情の表現だと思われ、同時にそれは医者の良心だけでは立ち向かうことのできない医療という領域への畏怖の表れであるようにも思えます。
そして作者夏川草介氏に対しては、小幡というユニークなキャラクターをもつ医師を登場させて本書『神様のカルテ3』を面白い物語として成立させた手腕に感じ入るばかりです。
また作家のとしての手腕に関しては、信州の自然の描写のうまさもまた『神様のカルテシリーズ』の魅力を増していると思うのです。
本書『神様のカルテ3』についえ言えば、各章の導入として信州の各地の紹介から始め、物語へといざなっています。
例えば第二章の始まりは松本平の東方に位置する「美ヶ原温泉」を「後拾遺和歌集」の源重之の歌にある「白糸」という言葉を引き合いに紹介していますし、第三章の冒頭では「松本平の奥座敷」という呼び方を示して「浅間温泉」を紹介しています。
また第四話は信州の山中の鹿が教えてくれた出湯として「鹿教湯温泉」の名があげられ、鹿教湯の「氷灯ろう」が紹介してあります。
そして第五話の最初に紹介してあるのは大町市の南にある国宝「仁科神明宮」です。
第一話にしても、冒頭こそ本庄病院の救急部の忙しさを紹介してありますが、そのすぐ後にこの話の舞台の一つとなる本庄病院の北側住宅街の一角の「深志神社」とそこで行われる天神祭りが描かれているのです。
本『神様のカルテシリーズ』の魅力の一つとして、一止の妻ハルの存在が強く言われる点でもあります。
本書でもそうですが、プロローグとエピローグその両方で、一止の隣には妻のハルがいる、という構成からもわかるように、一止とハルの物語という側面も強く出ていると思えます。
常に医療に対し真摯に向き合う一止、そのそばにはいつもハルの姿があるからこそ医師という仕事に全力を傾けられるのです。
そうしたハルを始めとする善人ばかりの人物の配置も作者夏川草介氏のうまさの一つだと思われます。
作者のうまさでいうと、いつものようなアフォリズム的言辞もそうですが、会話文のうまさも光ります。
例えば、龍の彫り物を背負った患者の島内老人に「背中に龍があるかないかで治療は変わらない」と言い切る一止がいます。
また、その島内老人が言った「あの夜、わしは本当に嬉しかったのですよ。」という言葉は、前後の文脈からして老人が本心から言った言葉として表現してあります。
だからこそこうした会話が心を打つのです。
本作を持って、第一部が終わりだそうです。この後に『神様のカルテ0』として、一止の医学部生だった頃から本庄病院に勤めるまでの話がサイドストーリーとして短編集にまとめられています。