夏川 草介

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臨床の砦』とは

 

本書『臨床の砦』は2021年04月に刊行されて2022年06月に263頁で文庫化された、担当編集者が「記録小説」「ドキュメント小説」と銘打った、現実のコロナ診療の最前線の姿を描いた医療小説です。

『神様のカルテシリーズ』を描いた夏川草介が、現実にコロナ禍に立ち向かう医師、看護師などの姿を描き出しています。

 

臨床の砦』の簡単なあらすじ

 

「自分だけが辛いのではないと思えば、踏みとどまる力が生まれる」。敷島寛治は長野県の感染症指定医療機関、信濃山病院に勤務する内科医である。令和二年の年末からコロナ感染者が急増し、医療従事者の体力は限界を超えていた。“医療崩壊”寸前と言われるが、現場の印象は“医療壊滅”だ。ベッドの満床が続き、一般診療にも支障が出ている。未知のウイルスとの闘いは緊張の連続だった。コロナは肺だけでなく、人の心も壊す。それでも信濃山病院の医師達は、逃げ出さなかった。「あんな恐ろしい世界の中でも、我々は孤独ではなかったー」現役医師が綴る、勇気の物語。(「BOOK」データベースより)

 

消化器専門の内科医の敷島寛治が勤務する信濃山病院は地域で唯一の感染症指定医療機関である。

この病院では一年前の二月にクルーズ船の患者を受け入れてから専門外の内科医と外科医が集まった混成チームで正体不明の感染症に対処してきた。

しかし、二〇二〇年の十二月半ばころから発熱外来に来る患者の数が急速に増え始め、患者の増加スピードが異常に速くなっていた。

今、信濃山病院では対応できない重症化した患者を複数の呼吸器内科医の所属している規模の大きな医療施設である筑摩野中央医療センターへと搬送している敷島寛治は、このまま続けば一、二週間のうちに大変な事態になると感じていた。

 

臨床の砦』の感想

 

本書『臨床の砦』の主人公は、十八年目の消化器専門の敷島寛治という内科医です。

そもそも、コロナ医療の第一線でコロナ患者に対応している主人公の敷島寛治が消化器内科医であって、呼吸器科の医者ではないということにまず驚きました。

確かに同じ内科医ではあるのでしょうが、素人にとっては消化器と呼吸器とでは異なると思うのが普通でしょう。

しかし、本書の中で主人公の敷島寛治は、「専門は消化器だから、肺炎について詳しいわけではないが、常に第一線の臨床医であったから、多くの肺炎も治療してきている。」と言っています。

本書『臨床の砦』が記録小説と銘打たれ、消化器内科医である作者夏川草介も現実にコロナ治療に従事しているという話ですので、そうした事例が日本全国の病院で行われ、またそれが当たり前なのでしょう。

 

さらに驚くことは、主人公の敷島医師が勤務する信濃山病院は感染症指定医療機関ではあるものの、呼吸器や感染症の専門家はいないということです。

感染症もいろいろでしょうから呼吸器の専門家がいないことは仕方のないことだとしても、感染症の専門家もいないというのは素人からすれば不思議に思えます。

これは小説の中の設定というだけではなく、現実に多くの医療機関で似たような事例があることと思われます。

そうした現実の中で我々は暮し、医療関係者はコロナと戦っているというのが現実だということです。

 

毎日毎日、コロナ関連のニュースを見ない日はない中で、本書で語られているように私達は東京の、大阪の、そして自分たちの郷土のコロナ罹患者の数を聞きながら、自分たちが罹らないようにしなければ、と思いながら暮らしています。

一方で、退屈したから、とか単に飲みたいからなどの理由で街に繰り出す人たちのニュースも目に、そして耳にします。

でも私達夫婦のように持病を持っている人間は、コロナに罹患すると文字通り命取りになりかねない怖さがあるのもまた事実です。

とはいえ、明確に対岸の火事とは思っていないまでも、また毎日をおびえて暮らしているわけでもありません。

 

しかしながら、本書で戦っているお医者さんや看護師さんたちは文字通りに命懸けで働いておられます。

こうした事実はテレビを通して医療従事者の方々の生の声として聴くこともあります。

でも、現場を知るお医者さん自身が自分の声で、また小説の形で発表されている文章を読むと、これまでの認識自体、少しも分っていなかったという気にもなります。

特に、本書は全くのフィクションではなく、「現実そのままではないが、嘘うそは書いていない」、という作者の言葉そのままに、ふつうに読んでいる小説とは一線を画していることがよく分かります( 東京新聞TOKYO Web : 参照 )。

 

本書『臨床の砦』に登場する人物たちは、夏川草介の他の小説に出てくる医者のように互いのことを学生時代からよく知り、互いのこともよく知っていて互いを思いやる場面など殆どありません。

もちろん、普通の同じ職場の同僚としての互いへの尊敬、思いやりなどはあるのですが、それ以前にそれぞれに主張を持つ一個の人間です。

まさに、本文中にあるように「医療は青春ドラマではないし、ここに集まった医師たちは信頼と友情でつながったクラスメートではない」のです。「感情を抑え、微妙な駆け引きの中からぎりぎりの妥協点を探していく。それが唯一の方法論なので」す。

とはいえ、小説の形式で発表されているのですから、登場人物は作者の意図が入ったそれなりの造形を施してあるでしょうし、実際そのように感じる人物、場面もあります。

 

また本書『臨床の砦』では医療現場からの声として、作者の夏川草介は主人公の内科医敷島寛治に、感染対策の経過として行政の対応はどうしても後手に回って見え、市の対応も周辺の医療機関に対して患者の受け入れを働きかけているという話も聞こえてこない問い趣旨のことを言わせています。

医療現場からは行政の怠慢としか見えないような現状があります。

しかし行政は、特に保健所などは目いっぱい働いているという情報もありますし、そのほかの機関にしても動いてはいるのでしょう。

ただ、もし動いているのだとしても現場の医療関係者には聞こえていない、もしくは動いていないように見えるのが事実のようです。だとすれば、そうした情報が正確に届くようにすることも必要ではないかと思えます。

 

とにかく、現実は未曽有の事態であることに間違いはありません。そして、医療従事者が文字通り命を懸けて働いておられることも事実です。

そうした現実を本書『臨床の砦』のような形で発表されることは相当考えることもあったのではないかと思料されます。

でも、一般人が知らない現場の情報を知ることは意義があることだと思います。

特に、例えば「病床使用率」という言葉の持つ意味が単に空きベッドの数を意味するのではないことなど全く知らないことでもありました。

医療現場の家族や介護の現場などの苦労にしても、メディアから流れてくる情報とは違った意味を持つ事実として胸に迫ります。

あらためて、私達個人ができることを丁寧にやることが医療現場の人たちの助けにもなるのだと思わせられた作品でした。

 

ちなみに、本書『臨床の砦』は三つのパートに分かれていますが、2022年6月04日現在でも第一章「青空」を下記サイトで無料で読むことができます。

[投稿日]2021年05月28日  [最終更新日]2022年10月2日

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