『我、鉄路を拓かん』とは
本書『我、鉄路を拓かん』は、2022年9月に314頁のハードカバーとして刊行された長編の歴史小説です。
明治五年(1872)九月に新橋・横浜間で開業された日本初の鉄道路線の敷設に尽力した人々、特に線路の土台部分である築堤を築いた男たちの物語です。
『我、鉄路を拓かん』の簡単なあらすじ
海の上に、陸蒸気を走らせる!
明治の初めに、新政府の肝煎りで、日本初の鉄道が新橋~横浜間に敷かれることになった。そのうち芝~品川間は、なんと海上を走るというのだ。
この「築堤」部分の難工事を請け負ったのが、本書の主人公である芝田町の土木請負人・平野屋弥市である。勝海舟から亜米利加で見た蒸気車の話を聞き、この国に蒸気車が走る日を夢見ていた弥市は、工事への参加をいち早く表明する。
与えられた時間はたった二年余り。弥市は、土木工事を生業とする仕事仲間や、このプロジェクト・チームを事実上率いている官僚の井上勝、そしてイギリスからやってきた技師エドモンド・モレルとともに、前代未聞の難工事に立ち向かっていく。
来たる2022年10月14日は、新橋~横浜間の鉄道開業150年にあたる記念すべき日。この日を前に刊行される本書は、至難のプロジェクトに挑んだ男たちの熱き物語であり、近代化に向けて第一歩を踏み出した頃の日本を、庶民の目で見た記録でもある。(内容紹介(出版社より))
『我、鉄路を拓かん』の感想
本書『我、鉄路を拓かん』は、新橋・横浜間で開業された日本初の鉄道路線の敷設に尽力した人々、特に線路の土台部分である築堤を築いた男たちの物語です。
具体的には、新橋と横浜の間にある、現在「高輪築堤」と呼ばれその遺構も見つかっている部分を担当した人物を描き出した感動的な物語です。
本書『我、鉄路を拓かん』を読みながら、かつてテレビで放映された、品川沖に築かれた堤防の上を鉄道が走り、その跡が今でも残っている、という場面を思い出していました。
その番組は多分NHKの「ブラタモリ」であったと思うのですが、定かではありません。
それとは別に本書について調べていると、本書がテーマとしている「築堤」の遺構、が、平成三十一(2019)年四月にJR東日本の品川駅周辺の再開発工事で見つかっていたという記事を見つけました。
私はこのことを知らずにいたのですが、「高輪築堤」と呼ばれているこの築堤の遺跡は一般にも公開され、見学者を募っていたようで、詳しくは下記のサイトをご覧ください。
本書『我、鉄路を拓かん』の主人公は、土木請負人である平野屋弥市というもとは雪駄や下駄を商っていた男です。
その男が日の本のために普請がしたい、いつの日にか勝海舟がアメリカで見たという蒸気で走る鉄の車を日の本でも走らせてみたい、と思うようになっていたのです。
平野屋弥市が、同じ土木請負業の山内政次郎、その義理の息子である重太郎、それに長州藩士であり伊藤らと共に英国への密航歴がある井上勝、それに英吉利人技師のエドモンド・モレルらと共に鉄道を敷設することになります。
ただ日本初の蒸気車は、鉄路沿線住民や、政府内部でも兵部省らの強行な反対などがあり、前途は決して明るいものではなかったのです。
そうした困難を乗り越えて日本初の鉄道を走らせる礎を築くことになる、彼らの姿は感動的ですらあります。
しかし、陸蒸気を走らせるまでの話は、主人公平野屋弥市の紹介を兼ねた話でもあるためか今一つ盛り上がらない印象がありました。
本書『我、鉄路を拓かん』のような土木作業のような世界を描くには山本一力のような骨太の文章の方が似合っただろう、などと思っていたものです。
とはいっても、第二章の終わりあたり、蒸気車の話が具体的に見えてくるところあたりから、この物語は面白くなります。
物語の展開が本題に入り、伊藤勝を中心として事業が動き出すダイナミズムが文章にも表れているようです。
ただ、重太郎が人を見下すような人物として描かれているのは若干の疑問が残りました。
義理の父親である政次郎が侠気溢れる大人物であるのであるのならば、自分の養子としてそのような人物を選ぶかと思ったのです。
その狭量な性格に気付かない筈はなく、気づいたらその性根を叩き直すのが通常でしょう。
本書の場合、この点については話しの進行の中でそれなりの手当てをしてあり、それなりの納得感はありましたが、それでも若干ではありますが、違和感は残りました。
それでも、本書『我、鉄路を拓かん』を読み終えたときには自分の知らない世界を垣間見ることの喜びを得ることはできたと思います。
平野屋弥市や井上勝、それに勝海舟、そして英国人技師モレルら工事にかかわった人々の鉄道敷設に対する熱量を肌に感じることができ、お仕事小説としての楽しみも味わうこともできました。
歴史上実在した人物を主人公に据え、脇を固める人物も同じくかつて我が国に生き、大きな仕事を残した先人たちですから描きにくい作品だったことは容易に想像できます。
そうした制限を乗り越え、それなりの骨太の小説として仕上がっていることは間違いないと思います。
個人的な好みとして若干の不満はあったものの、それでも読みごたえがあった、と言える作品だったと言えるでしょう。