可燃物

可燃物』とは

 

本書『可燃物』は、2023年7月に280頁のハードカバーで文藝春秋より刊行され、王様のブランチでも特集された長編の警察小説です。

王様のブランチでも特集されていて面白く読んだ作品ではありましたが、これまでの米澤穂信の作品と比すると物語としての面白さは今一つでした。

 

可燃物』の簡単なあらすじ

 

史上初4大ミステリーランキング第1位(『黒牢城』)に輝く著者最新作。

余計なことは喋らない。上司から疎まれる。部下にもよい上司とは思われていない。しかし、捜査能力は卓越している。葛警部だけに見えている世界がある。
群馬県警を舞台にした新たなミステリーシリーズ始動。

群馬県警利根警察署に入った遭難の一報。現場となったスキー場に捜査員が赴くと、そこには頸動脈を刺され失血死した男性の遺体があった。犯人は一緒に遭難していた男とほぼ特定できるが、凶器が見つからない。その場所は崖の下で、しかも二人の回りの雪は踏み荒らされていず、凶器を処分することは不可能だった。犯人は何を使って“刺殺”したのか?(「崖の下」)

榛名山麓の〈きすげ回廊〉で右上腕が発見されたことを皮切りに明らかになったばらばら遺体遺棄事件。単に遺体を隠すためなら、遊歩道から見える位置に右上腕を捨てるはずはない。なぜ、犯人は死体を切り刻んだのか? (「命の恩」)

太田市の住宅街で連続放火事件が発生した。県警葛班が捜査に当てられるが、容疑者を絞り込めないうちに、犯行がぴたりと止まってしまう。犯行の動機は何か? なぜ放火は止まったのか? 犯人の姿が像を結ばず捜査は行き詰まるかに見えたが……(「可燃物」)

連続放火事件の“見えざる共通項”を探り出す表題作を始め、葛警部の鮮やかな推理が光る5編。(内容紹介(出版社より))

 

目次

崖の下 | ねむけ | 命の恩 | 可燃物 | 本物か

 

可燃物』の感想

 

本書『可燃物』は、群馬県警の捜査員を主人公とした、謎解きをメインとした短編の警察小説集です。

短編小説であるためか、米澤穂信の推理小説としてはストーリーの展開に今一つ魅力を感じずに終わってしまいました。

もちろん、各短編での謎解きそのものは決して面白くないなどというべき話ではなく、その意外性など惹かれるものはありました。

ただ、いわば正統派の推理小説のようなトリック重視の作品と感じられ、例えば米澤穂信の『真実の10メートル手前』で感じたような、短編小説なりのストーリー性をあまり感じることができなかったのです。

 

本書『可燃物』の特殊性を見ていくと、まず第一に、本書の探偵役が警視庁ではなく群馬県警に所属しているという点があります。

県警が舞台となる作品は少なからずの作品があってそれほど特殊だとは言えないでしょうが、それでも一応の特色として挙げることができると思います。

この県警を舞台とする作品としては、まずは何かと警視庁との仲の悪さを言われる神奈川県警を舞台にした笹本稜平の『越境捜査シリーズ』があります。

 

 

他に今野敏の作品群でも、『隠蔽捜査シリーズ』では主人公の竜崎伸也が神奈川県警へと異動になっていますし、『横浜みなとみらい署シリーズ』なども神奈川県警が舞台になっています。

 

 

また、佐々木譲は『北海道警察シリーズ』など、北海道を舞台にした警察小説を多く書いておられます。

 

 

第二に、主人公の葛警部の性格設定がかなりユニークです。

他人におもねることをしないのはもちろんですが、まずは事件解決を優先し、捜査の意味の説明などはあまりなく、部下や所轄の警察官を厳しめに働かせているようです。

近時の警察小説では、先にも出てきた今野敏の作品などのように組織としての警察、チームとしての協同作業が描かれることが多いように思われます。

その点、本書ではまずは主人公の葛警部がいて、他の捜査員は葛警部の駒に過ぎないようです。

 

そして第三に、本書『可燃物』は物語としてはいわゆる安楽椅子探偵(アームチェアディテクティブ)と呼ばれる事件解決の手法を採っていると言えます。

ただ、本書の探偵役の葛警部は自ら捜査に乗り出すことが多く、純粋な安楽椅子探偵とは言えません。

でありながらも、自身の捜査は事件解決のため、つまりは自分の推理のための資料を集めているのであり、結局は居ながらにして問題を解決するという安楽椅子探偵類似の思考方法を見せてくれています。

その問題解決の中で如何にしてその事件を実行したかといういわゆるハウダニット、何故そのような犯行に及んだのかというホワイダニットなどの謎を解き明かし、事件の真相を暴いていくのです。

 

さらに第四として、以上のような主人公や物語の世界観が、著者米澤穂信のこれまでの作品群からすると若干異なるということも挙げられるかもしれません。

そして、本書が警察小説であることも、本書の惹句に「著者初の警察小説」とあるようにこの作家にとって初めてのことです。

 

以上のような独特な立ち位置にある本書ですが、個人的には、米澤穂信という作家の作品群の中ではあまり評価は高くありませんでした。

それは、ひとつには先に述べた本書のユニークさで主人公の安楽椅子探偵的な問題解決が描かれている点が、物語としての小説の面白さをあまり感じなかったという点にあります。

もともと私は、小説にはストーリー性を求める傾向にあり、だからこそ本格派の推理小説も若干苦手としています。

しかしながら、謎解きという点ではさすがに米澤穂信の作品というべきであり面白かったのですが、本書はそのストーリー性にかけると感じたのです。

その点では同じ謎解きの短編小説集でも、第155回直木賞の候補作にもなった米澤穂信の『真実の10メートル手前』のような作品を好むのです。

 

黒牢城

本書『黒牢城』は米澤穂信が初めて戦国時代を描いて第166回直木賞の受賞作となった作品で、新刊書で443頁という長編の歴史小説です。

信長に反旗を翻した荒木村重が立て籠もる有岡城を舞台に、地下牢に幽閉された黒田官兵衛の知恵を借り、村重が謎を解くかなり読みごたえのある作品でした。

 

黒牢城』の簡単なあらすじ

 

本能寺の変より四年前、天正六年の冬。織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の軍師・黒田官兵衛に謎を解くよう求めた。事件の裏には何が潜むのか。戦と推理の果てに村重は、官兵衛は何を企む。デビュー20周年の到達点。『満願』『王とサーカス』の著者が挑む戦国×ミステリの新王道。( Amazon「内容紹介」より)

 

織田信長に背き有岡城に籠城する荒木村重のもとに説得に訪れた織田方軍師の黒田官兵衛を、村重は土牢に幽閉するように命じた。

織田方襲撃の噂が絶えない中、人質が殺され、討ち取った大将首が表情を変じ、僧侶が謎の死を遂げるなど有岡城内では不可解な出来事が頻発する。

有岡城の存続のために城内の不安を鎮める必要に迫られた村重は、幽閉していた官兵衛を頼るのだった。

「第一章 雪夜灯篭」
人質として差し出されていた安部二右衛門の一子自念を殺さないという村重の命にもかかわらず、自念は何者かによって弓で射殺されてしまう。

しかし、自念が閉じ込められていた納戸は見張りがいて誰も近づくことができず、また雪に覆われた庭には誰も近づいた形跡も無いのだった。

「第二章 花影手柄」
村重らは信長の馬廻りの一人である大津伝十郎長昌の首を挙げたものの、誰も伝十郎の顔を知らず首実検もできず、伝十郎と確認する方法が問われていた。

また、晒されていた四つの首の内の一つの首の表情が一夜にして変化していて、兵たちは罰だと噂していた。

「第三章 遠雷念仏」
村重の隠密として働いていた無辺という廻国の僧とその僧の警護をしていた武将の一人が、宿近くにいた人物は誰も犯人らしきものは見ていないなか殺されてしまった。

「第四章 落日孤影」
前章で死んだ瓦林能登入道に向けて鉄砲が放たれていた事実が判明した。誰が、何のために発砲したのか、村重の探索が始まった。

 

黒牢城』の感想

 

何と言ってもあの米澤穂信が歴史小説を書いた、それも戦国時代を背景に推理小説を書いたというのですから、これは読まないという手はありません。

『黒牢城』の舞台は織田信長に反旗を翻した荒木村重が立て籠もる有岡城であり、中心となる人物は荒木村重とその村重の説得に訪れた黒田官兵衛です。

官兵衛が村重に囚われて地下牢に閉じ込められた話は、織田信長や豊臣秀吉を語るときは必ずと言っていいほどに出てくる逸話です。

そうした逸話を背景に米澤穂信は見事に読みごたえがある本格派の推理小説を構築しています。

 

この『黒牢城』という物語は、基本的に村重が城内の武将や兵たちの不安を払拭するために謎を解くという形で構成されています。

種々の異変は仏罰によるとの疑念を生み、その疑念はひいては大将である村重への不信につながり、そして落城へと結びつくと考えられます。

籠城する村重にとって、城内で起きる異変は神仏による罰ではないとの証をたてるためにも、原因を突き止めることが必要だったのです。

少なくとも、表面的には村重が謎解きにこだわる理由の第一義はこの点にあると言えます。

 

本書『黒牢城』では、村重が信長を裏切った理由、村重が有岡城を離れた理由など歴史上不分明な事柄についても作者米澤穂信なりの解釈を施してあります。

その前提として、この時代の武将という存在のあり方、彼らの物の考え方、それに家族というものの在りよう、また当時の宗教、とくにこの時代に忘れてはならない一向宗やキリスト教などについての考察が為されています。

特に宗教の在り方は重要で、本書のポイントの一つになっています。

 

また本書『黒牢城』の魅力のひとつとして、純粋に歴史小説として見た場合に私が知らなかった事実や言葉、その意味が記されていることがあります。

例えば、「解死人」という制度がそれであり、「殺害事件に関して、直接の加害者の属する集団から、被害者側に差し出された者をさす」そうです( ウィキペディア : 参照 )。

この「解死人」という制度は、江戸時代に使われた犯罪者を意味する「下手人」という言葉の語源でもあるのことでした。

また、高山右近の父親の高山大慮こと高山友照が有岡城に立て籠もっていた事実も知らなかったことです。

ちなみに、「第二章 花影手柄」は大津伝十郎の大将首についての話ですが、ウィキペディアには大津伝十郎は「病死」とありました。この点本書でも、伝十郎の死は隠された、と整合性をとってあります。

 

さらには時代小説を読んでいて常々思っていたことでもあるのですが、当時の時刻に関する人々の感覚のことです。

とくに本格派の「謎解き」では明確な時刻の明記が必要と思われるのに、当時の時刻の確認方法では曖昧な時刻しか分かりません。

この点については、「刻限というものは、日のおおよその位置や、あたりの暗さ・・・で知る。」などの文言に次いで「物事の起こった順序は変わらない」としていて納得させられました。

本書『黒牢城』では、明確な時刻ではなく事実の時系列を前提に謎解きが為されています。

 

米澤穂信による丁寧に構築されたミステリーという面白さに加え、新たな時代小説の書き手による魅力的な物語が提示されていると言えます。

とくに、本章『黒牢城』では米澤穂信の描き出すミステリーであり、単に各章ごとに設けられた謎を解いていくだけではない仕掛けもあります。

さすがに第166回直木三十五賞の受賞作となるだけあって、読みごたえのあるミステリー小説でした。

さよなら妖精

本書『さよなら妖精』は、文庫本で362頁の長編の青春推理小説です。

後の『王とサーカス』の太刀洗万智の高校時代を描いた作品であり、青春小説としても面白く読んだ作品でした。

 

さよなら妖精』の簡単なあらすじ

 

1991年4月。雨宿りをするひとりの少女との偶然の出会いが、謎に満ちた日々への扉を開けた。遠い国からはるばるおれたちの街にやって来た少女、マーヤ。彼女と過ごす、謎に満ちた日常。そして彼女が帰国した後、おれたちの最大の謎解きが始まる。謎を解く鍵は記憶のなかにー。忘れ難い余韻をもたらす、出会いと祈りの物話。『犬はどこだ』の著者の代表作となった清新な力作。(「BOOK」データベースより)

第一章「仮面と道標」

ある雨の日、高校生の守屋路行はクラスメイトの太刀洗万智と共にユーゴスラビアから来たマーヤという少女と出会い、行くところのないマーヤのために同級生の白河いずるの旅館に紹介するのでした。

政治家になるというマーヤは、日本での日常に潜む「雨の中を傘をささずに走っている男」や「神社に餅を持って行くカップル」、「墓に供えられた紅白饅頭」といった事柄の意味を探ります。

そうしたマーヤの抱いた疑問の意味をセンドーという愛称で呼ばれている太刀洗万智はすぐに理解し、読者と同じ目線で謎ときをする守屋に対して、謎ときへと導く役割を担っているのです。

彼ら二人と白河いずる、それに守屋と同じ弓道部に属する文原竹彦と額田広安とを加えた五人の、マーヤを中心とした青春物語が繰り広げられます。

第二章「キメラの死」

マーヤの故郷のユーゴスラビアでは戦火がひどくなる一方でした。マーヤはユーゴスラビアのことを勉強する守屋に祖国の現状をを説明します。

いずるの家で、戦火がひどくなる一方の祖国へ帰るというマーヤの送別会が開かれます。そこでは、いずるの名前の由来の推理など、皆の楽しいひとときがありました。

守屋はマーヤと共にユーゴスラビアへ行くと言いだしますが、マーヤは「観光気分」だ言い残して祖国へと帰ってしまうのでした。

第三章「美しく燃える街」

マーヤが帰ってから一年が経ち、序章の場面へと戻ります。日記など資料を持ちより、マーヤの帰っていった祖国は六カ国からなるユーゴスラビア連邦の何処なのかを推理します。

そこに太刀洗が現れ、マーヤの現況、本当の思いなどを明らかにするのです。

 

さよなら妖精』の感想

 

本書『さよなら妖精』は、『王とサーカス』と『真実の10メートル手前』に探偵役として登場する太刀洗万智の高校時代を描いた青春ミステリー小説です。

この二作品はベルーフシリーズと呼ばれています。本作もベルーフシリーズに位置づけてもいいとは思うのですが、主人公は守屋路行であり、マーヤでもありますのでそうもいかないのでしょうか。

 

 

本書『さよなら妖精』は太刀洗の高校生時代が描かれた青春小説として光を放っています。

私たちの日常に潜む謎をミステリーとして小説に仕上げ、更にはユーゴスラビア紛争という世界的な事件を取り上げてその背景をミステリーに仕立てながらも、登場人物たちの青春時代を切り取った小説として切ない側面も見せています。

とはいえ、ミステリーとしての側面は通常の推理小説とは異なり、本格派推理小説と同じように論理的な謎解き自体を楽しむ構成であり、物語自体の進行とは別になっています。

ということで、全体的な物語の要約を書いてもネタばらしにはならないと思われ、上記の記述になりました。

 

本書『さよなら妖精』は、もともとこの作家のデビュー作である『氷菓』を第一作とする青春推理小説である『古典部シリーズ』の三作目として書かれていたものを、諸々の事情により全面的に改稿されて出版されたものだそうです。

青春小説として異彩を放っているのも納得のことでした。

 

 

本作『さよなら妖精』のように、他国を舞台にその国の国情を反映させた作品としては、本書の作者である米澤穂信の『王とサーカス』があります。ネパールを舞台にして、フリージャーナリストとして駆け出しの太刀洗万智が登場します。

また、ヨーロッパに目を向けると、ポーランドを舞台にした須賀しのぶの『また、桜の国で』という作品があります。

推理小説ではないのですが、ワルシャワの実情を描き、世界の中の日本を考えさせられる作品で、第156回直木賞の候補作にもなった作品です。

 

 

他にも、第二次世界大戦下のヨーロッパ戦線を舞台にしたミステリー仕立ての深緑野分の『戦場のコックたち』という直木賞候補となった作品もありました。

 

 

ミステリー仕立ての青春小説という観点では、恩田陸の、第2回本屋大賞を受賞した『夜のピクニック』という作品もそうです。

高校生がただ80Kmを歩くというイベント、その一夜の出来事だけで素晴らしい青春小説が展開されています。

 

 

本書『さよなら妖精』は、切なさにあふれた青春小説であり、太刀洗万智の推理が楽しめるミステリーであって、ユーゴスラビア連邦という異国の歴史をも取り込んだ、贅沢な小説でした。

ちなみに、マーヤのユーゴでの一日を描いた短編「花冠の日」も載っていました。私は本作品を単行本で読んだのですが、文庫版にも載っているそうです。

折れた竜骨

折れた竜骨』とは

 

本書『折れた竜骨』は、第64回日本推理作家協会賞を受賞した、文庫本で上下二巻で554頁の長編のファンタジー推理小説です。

北海のソロン諸島で展開される剣と魔法の世界を舞台にした本格派の推理小説ですが、本格派の推理小説を苦手とする私でもかなり面白く、また楽しく読むことができた作品です。

 

折れた竜骨』の簡単なあらすじ

 

ロンドンから出帆し、北海を三日も進んだあたりに浮かぶソロン諸島。その領主を父に持つアミーナは、放浪の旅を続ける騎士ファルク・フィッツジョンと、その従士の少年ニコラに出会う。ファルクはアミーナの父に、御身は恐るべき魔術の使い手である暗殺騎士に命を狙われている、と告げた…。いま最も注目を集める俊英が渾身の力で放ち絶賛を浴びた、魔術と剣と謎解きの巨編!第64回日本推理作家協会賞受賞作。 (上巻 : 「BOOK」データベースより)

自然の要塞であったはずの島で、偉大なるソロンの領主は暗殺騎士の魔術に斃れた。“走狗”候補の八人の容疑者、沈められた封印の鐘、塔上の牢から忽然と消えた不死の青年―そして、甦った「呪われたデーン人」の襲来はいつ?魔術や呪いが跋扈する世界の中で、推理の力は果たして真相に辿り着くことができるのか?第64回日本推理作家協会賞を受賞した、瞠目の本格推理巨編。 (下巻 : 「BOOK」データベースより)

ソロン諸島の領主が魔術の使い手に殺されるという事件が起きます。

領主の娘アミーナは、騎士ファルクとその従士である少年ニコラの力を借りて、剣と魔法の世界で領主殺しの犯人をつきとめるために奔走するのでした。

 

折れた竜骨』の感想

 

本書『折れた竜骨』を読むまで何の前提知識もなかったため、冒頭の「ブリテン島」という単語を見たとき、間違えたのかと思いました。

あらためて本書の惹句を読むと、そこには「魔術と剣と謎解きの巨編登場!」とあったのです。

さらに目次と「あとがき」を読むと、著者本人の言葉として、以前書いてあった異世界ファンタジーをもとに舞台を獅子心王リチャードの存した十二世紀末の欧州に移し、本書を仕上げた、とありました。

そういう前提があれば納得です。早速読み始めたのですが、いざ読み始めるとその面白さに結局一気に読み終えてしまいました。

 

もともと、アーサー王の物語をあげるまでもなく、騎士の物語は好きでしたし、ファンタジーは尚更です。その中世を舞台にした剣と魔法の物語自体が私を惹きつけました。それだけ物語自体が面白かったのです。

それに加えて謎解きの要素が入っているのですから、第64回日本推理作家協会賞、第11回本格ミステリ大賞候補、第24回山本周五郎賞候補という受賞歴を見ても、ファンタジー好きのみならずミステリーファンを惹きつけたというのはよく分かる話です。

本書『折れた竜骨』は推理小説として分類すると、私が得手とするものではない本格派の推理小説ということになるのだと思います。

しかしながら、本書はそんな私もつい引き込まれてしまうほどの面白さを持った小説でした。

本来、謎ときのために現実感を書いた舞台設定がされ、犯罪動機などは二の次である本格派と言われる小説ですが、本書の場合、舞台は剣と魔法の国であり、そもそも舞台設定自体が現実感などない点であることがその原因の一つだと思われます。

というよりも、剣と魔法の物語としての面白さがあり、そこに推理小説としての謎ときの要素が付加されていると言ったほうがいいのかもしれません。

そもそもこの作者の『王とサーカス』や、より本格派の要素の強い『インシテミル』もそうですが、物語としての面白さ、つまりはストーリ展開の面白さが強いのです。

本書『折れた竜骨』もその例に漏れず、ストーリー展開の面白さを十分に楽しめる小説でした。

 

 

なお、本作品は佐藤夕子氏の画により、ファミ通クリアコミックスから全五巻として出版されているようです。(2021年10月28日現在)

 

インシテミル

インシテミル』とは

 

本書『インシテミル』は、文庫本で528頁の長編の本格派の推理小説です。

本格派の中でも非常にゲーム性の強い推理小説ですが、本格を苦手とする私でもあまり拒否感なく読めた作品でした。

 

インシテミル』の簡単なあらすじ

 

「ある人文科学的実験の被験者」になるだけで時給十一万二千円がもらえるという破格の仕事に応募した十二人の男女。とある施設に閉じ込められた彼らは、実験の内容を知り驚愕する。それはより多くの報酬を巡って参加者同士が殺し合う犯人当てゲームだったー。いま注目の俊英が放つ新感覚ミステリー登場。(「BOOK」データベースより)

 

十二人の男女が時給十一万二千円というアルバイト広告に魅かれて集まった。

地下に設けられた「暗鬼館」というゲーム用の専用部屋で、一週間の間ただ何もしないでいれば千八百万円を超える金が各自に入るというのだ。

しかし、自分以外の者を殺害した者は報酬が二倍、などと設けられたルールは異常としか言いようのないものだったのだ。

そして、三日目に入ると参加者の一人の射殺死体が見つかり、残された者は恐怖の時を迎えることになるのだった。

 

インシテミル』の感想

 

本書『インシテミル』のような頭脳ゲームを「本格派」の推理小説と読んでいいものかどうか、私にはわかりません。

しかし、ある事件の起きた理由や、誰によって、どのように為されたかなどの、犯行結果に至る過程のロジックを重視する小説作法が本格派というのであるのならば、論理を追及して犯人を探すという本書の流れは「本格」と呼ぶにふさわしいと思います。

でも、「本格派」と言われる推理小説に対し、謎ときのための謎、そのための物語環境の設定ということに違和感を感じ、「本格派」を物語としては不自然なものと思っていたのです。

しかし、本格派の推理小説を忌避していたとは言っても、よく考えてみると横溝正史の『金田一耕介シリーズ』はほとんど読んでいますし、高木彬光や泡坂妻夫なども好んで読んでいたのでした。

 

 

そこであまり作品世界に入れなかった作品を思い出してみると、綾辻行人の『霧越邸殺人事件』や東野圭吾の『仮面山荘殺人事件』などが挙がります。とすれば、いわゆる「クローズド・サークル」というミステリ用語で表される作品が苦手だったのかもしれません。

 

 

でも、同様にゲームそのものと言ってもいい内容の貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』はとても面白く読んでいるのですから、自分でも曖昧だと思います。

 

 

結局、「本格」と「新本格」と呼ばれていた一連の作品との差異もよく分からない私は、「クローズド・サークル」という言葉云々の前に、感覚的に好きか、そうではないのかということだけのようです。

つまりは小説のジャンルではなく、個々の作品自体の持つ人間ドラマの展開の仕方、その描き方によって私の好みかどうかに分かれるのだろうという、至極普通の結論に至りました。

その点、本書『インシテミル』はこの作者らしい論理を前面に押し出した物語で、十二人のゲーム参加者の行動を緻密に追及しつつ、現実に起きた殺人事件の謎を解くことと、極限状況に置かれた参加者たちがいかなる行動をとるかという点で興をそそられる作品でした。

 

この十二人の参加者のゲームという点では、冲方丁 の『十二人の死にたい子どもたち』という作品があります。この作品も特定状況が作り出された、本格派の推理小説でした。

廃業し空き家になった病院に、ネット上で知り合った十二人の子供たちが安楽死をするために集まりますが、安楽死の予定の場所には既に一人の少年の死体が横たわっていました。十二人の少年少女たちの、このまま安楽死を続行し続けるべきかどうかの話し合いが始まります。

この作品も、登場人物たちの行動を緻密に追いかけて発生した殺人事件の犯人を捜し出すとともに、それぞれの行動に関心が集まるような仕掛けになっていて、私の好みとは少しずれはしたものの、それなりに面白い作品でした。

 

 

満願

本書『満願』は、文庫本で422頁になる人間の闇の部分を描き出す、少し恐怖感が入ったミステリー短編集です。

本書は第27回山本周五郎賞を受賞し、更に、ミステリが読みたい!2015年版国内編、週刊文春ミステリーベスト10・2014国内部門、このミステリーがすごい!2015年版国内編のそれぞれにおいて1位を取り、第151回直木三十五賞の候補作品となり、第12回本屋大賞では7位に入っている実績を残しています。

 

『満願』の簡単なあらすじと感想

 

「もういいんです」人を殺めた女は控訴を取り下げ、静かに刑に服したが…。鮮やかな幕切れに真の動機が浮上する表題作をはじめ、恋人との復縁を望む主人公が訪れる「死人宿」、美しき中学生姉妹による官能と戦慄の「柘榴」、ビジネスマンが最悪の状況に直面する息詰まる傑作「万灯」他、全六篇を収録。史上初めての三冠を達成したミステリー短篇集の金字塔。山本周五郎賞受賞。

 

夜警
交番に配属された新人警官についての話です。何となく不安を抱かせる印象があった新人警官は、刃物を振り回し暴れる夫に対しけん銃を発射し殺害するも、自らも殺されてしまいます。しかし、その死の間際に「こんなはずじゃなかった。上手くいったのに」と繰り返していたのです。

殉職した警官について語られる話から見える人となりは、殉職した警官の姿とは重なりませんでした。そして、彼の最後の一言の裏に隠されていた真実が明かされるのです。

死人宿
突然いなくなった恋人の佐和子を見つけた山奥の温泉宿での話です。その宿は『死人宿』と呼ばれるほどに年に一人か二人の死者が出る温泉宿で、自分が泊まったその晩も温泉の脱衣所に一通の遺書を見つけるのでした。

その遺書は誰が書いたものなのか、主人公は佐和子に頼まれて遺書の持ち主を探し、見つけるのですが。ホラーチックなミステリーです。

柘榴
誰しも認める美貌の持ち主であるさおりの物語です。父親の反対にも拘わらず佐原成海と結婚し、夕子と月子という娘を得たさおりでしたが、佐原成海は父親の言う通りの男でした。結局は離婚ということになりますが、佐原成海は親権を渡そうとはしないのです。

ホラーと言っていいものか疑問はありますが、人間の心に潜む怖さを描き出した作品です。

万灯
一人の商社マンの物語です。バングラデシュで天然ガスの開発を手掛けていた井桁商事の伊丹は、開発に反対しているボイシャク村のアラムという男に手を焼いていました。ある日呼び出しを受けその村へ行くと森下という日本人が待っていたのです。

主人公は道を踏み外します。ただ、人間の心はそう単純なものではなく、自分の犯した行為の意味に押しつぶされそうになる主人公です。ホラーとは言えないと思いますが、微妙な違和感を残す物語でした。

関守
伊豆半島の「死を呼ぶ峠」とのうわさがある桂谷峠の物語です。主人公は取材のためににやってきましたが、そこには古びたドライブインがあるだけです。主人公はそこにいる婆さんから話を聞くしかないのでした。

ストレートなホラーで、恐怖ものの一つのパターンに乗った作品とも言えそうです。でも、真実を明らかにしていく過程の読みごたえはさすがのものがありました。

満願
自分が弁護士になる前に下宿をしていた鵜川家の嫁の鵜川妙子の物語です。彼女は一審では争いながらも、控訴を取り下げ、一審の下された殺人の罪で服役していたのです。

鵜川妙子は何故に控訴を取り下げたのか。ほんの小さな事実からその理由を解明していくのですが、仕掛けの名手の作品というしかない作品でした。

本書『満願』は全般的に不気味な雰囲気を漂わせた作品が収められています。

そのホラー感の濃厚な中にも丁寧な仕掛けが施された作品ばかりで、読み手の、仕掛けにはまった爽快感を感じさせてくれる見事な作品集だと言えるものでした。

 

『満願』のようなおすすめの作品

 

こうしたトリックのうまさで言うと、近年では『傍聞き』が挙げられます。

この作品を著わした長岡弘樹という作家も、本書の米澤穂信と同様に仕掛けのうまさが光る作家であり、この作品集も心理的なトリックの上手さが光る短編集です。

 

 

また、本書『満願』のような切れのあるトリックが仕掛けられた短編集とはちょっと異なり、巧妙に張り巡らされた伏線が絶妙な、まるで手品を見ているような印象の作家として、泡坂妻夫という人がいます。

作品数も多数あるので一冊と絞るのは難しい上に、私が読んだのが二十年以上も前になるのではっきりとは覚えていないのですが、『乱れからくり』などは期待を裏切らない作品だと思います。下のリンクは文庫版ですが、廉価なKindle版もあります。

 

王とサーカス

本書『王とサーカス』は実際に起きたネパールの王宮での事件をモチーフにした、文庫本で472頁の長編の推理小説で、かなり面白く読んだ作品です。

 

王とサーカス』の簡単なあらすじ

 

海外旅行特集の仕事を受け、太刀洗万智はネパールに向かった。現地で知り合った少年にガイドを頼み、穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先、王宮で国王殺害事件が勃発する。太刀洗は早速取材を開始したが、そんな彼女を嘲笑うかのように、彼女の前にはひとつの死体が転がり…2001年に実際に起きた王宮事件を取り込んで描いた壮大なフィクション、米澤ミステリの記念碑的傑作。『このミステリーがすごい!2016年版』(宝島社)“週刊文春”2015年ミステリーベスト10(文藝春秋)「ミステリが読みたい!2016年版」(早川書房)第1位。(「BOOK」データベースより)

ある仕事でネパールの首都カトマンズに来ていた太刀洗万智は、たまたま王宮で起きた王族殺害事件に遭遇する。

早速その事件を取材しようとする太刀洗だったが、取材のために会った軍人が翌朝死体となって発見されるのでだった。

 

王とサーカス』の感想

 

本書『王とサーカス』は、女性ジャーナリスト太刀洗万智を主人公にした「ベルーフ」シリーズの中の一冊です。

また、「週刊文春ミステリーベスト10」「このミステリーがすごい!」「ミステリが読みたい!」と三賞で一位をとるという三冠を達成した作品でもあります。

この『王とサーカス』は直木賞候補作である『真実の10メートル手前』を書いた米澤穂信の渾身の作品で、短編集『真実の10メートル手前』の表題作「真実の10メートル手前」はそもそも本書の本題に入る前のエピソードとして書かれたものだそうです。( 報道のその先にある真実 : 参照 )

 

 

近時この作家の『折れた竜骨』という長編作品を読んでいて思ったのですが、この作家の作品は、特に長編作品は推理小説という観点を抜きにしても、物語がとても面白いのです。

本書にしてもミステリーとしての面白さはもちろんありますが、見知らぬ他国でのジャーナリストの冒険譚としての面白さがあります。

 

 

本書『王とサーカス』を読んだ当初は、ミステリーの謎ときの面での面白さに欠けるのではないか、と感じていました。しかし、それは物語に仕掛けられたトリックの面白さが、直接的に感じられるこの作者の他の短編小説のイメージと比べていたようです。

長編の場合、謎ときの面白さは、叙述トリックなどの場合を除いては、トリックそのものというよりも、物語の流れの中に隠されてしまうからだと思うようになりました。

つまりは、ミステリーとしての面白さの質が違うのではないかということです。

 

また、本書『王とサーカス』の場合そもそも主人公である太刀洗万智というジャーナリストの人物造形が非常にうまくいっているということがあります。

本書では、その太刀洗万智が面会した軍人から投げかけられたテーマがとても大きく、すぐには答えを返すことができません。「知る」そして「伝える」という行為を消化しきれていなかったのです。

自分の記事の「悲劇を娯楽として楽しんでいる側面」、「お前の書くものはサーカスの演し物だ」と言われた時何も返せなかった太刀洗の心象を描き出しています。

そうした、駆け出しのフリーのジャーナリストとしての太刀洗万智が、物語の中でその問いを見つけていく様など、ジャーナリストとして成長していく様子もまた魅力になっています。

 

「報道」ということに関して言うと、堂場瞬一の『警察(サツ)回りの夏』という、現代のネット社会での「報道」の在り方について深く考えさせられる作品がありました。

しかしそれは、「知る」「伝える」という行為についての問いかけではなく、「報道」のあり方についての問いかけであったと記憶しています。それもエンタメ性がより強い作品であり、本書とはその雰囲気をかなり異にしていました。

 

 

ちなみに、夢枕獏の『神々の山嶺』という作品を原作にした谷口ジローの『神々の山嶺』というコミックがあります。そのコミックの冒頭で、ネパールの首都カトマンズの風景が少しだけ描かれていました。

物語自体は本書『王とサーカス』とはまったく関係はないのですが、読んだタイミングが同じ時期だったので、ここに記しておきます。

 

 

太刀洗万智は、本書『王とサーカス』の前に『さよなら妖精』という作品で登場しています。その10年後の太刀洗万智の姿が本書なのだそうで、作者としては『真実の10メートル手前』の表題作をはさんで本作品につながるということだったようです。

ただ、本書『王とサーカス』の作者による「あとがき」に書いてあるのですが、前作にあたる『さよなら妖精』とは全く関係がない話なので、「『さよなら妖精』をお読み頂いていなくても問題はありません」ということです。

 

氷菓

本書『氷菓』は、米澤穂信氏のデビュー作で、文庫本で224頁の連作短編の形を借りた長編の青春ミステリー小説です。

ネットでも面白い青春ミステリ小説だと紹介してあった作品で、第五回角川学園小説大賞奨励賞を受賞しています。

 

『氷菓』の簡単なあらすじ 

 

いつのまにか密室になった教室。毎週必ず借り出される本。あるはずの文集をないと言い張る少年。そして『氷菓』という題名の文集に秘められた三十三年前の真実―。何事にも積極的には関わろうとしない“省エネ”少年・折木奉太郎は、なりゆきで入部した古典部の仲間に依頼され、日常に潜む不思議な謎を次々と解き明かしていくことに。さわやかで、ちょっぴりほろ苦い青春ミステリ登場!第五回角川学園小説大賞奨励賞受賞。(「BOOK」データベースより)

 

神山高校の折木奉太郎は、姉の勧めで部員ゼロであった古典部に入部しますが、そこには先に入部していた千反田えるがいました。

そして奉太郎の親友の福部里志や、長年の付き合いの伊原摩耶花も入部することになります。

千反田えるの好奇心をきっかけに日常の細かな謎を解き明かしていく奉太郎は、失踪した千反田えるの伯父が絡んだ謎の解明を頼まれます。

ところがその謎は、古典部の『氷菓』という題名の文集に隠された秘密につながっていくのでした。

 

『氷菓』の感想

 

確かに、本書『氷菓』の舞台は高校であり、主人公も仲間もその高校の一年生で青春小説であることに間違いはありません。

しかし、本書は普通の青春小説とは違います。

例えば、殆ど冒頭での「俺は鼻を鳴らすことで肯定を示した。」などという文章がそうであるように文章は硬質ですし、最初に示される千反田が閉じめられていた謎の場面のように、謎ときも若干ご都合主義的なところがあります。

こうしたことから違和感を感じながら読み進めていたのですが、中盤を過ぎるあたりから本書のわざとらしさや、大時代的な言い回しは、登場人物の名前も含めて作者の計算だと思えてきました。

本書の主題である古典部の三十三年前の秘密も若干時代がかった舞台設定を前提としていて、少なくない場所で本書が推薦されていることにも納得がいきました。

 

1969年の第61回芥川賞を取っている庄司薫の『赤ずきんちゃん気をつけて』は、一見誰にでも書けそうな普通の文章で主人公の日常が綴られていました。

それと同様に本書『氷菓』でも、硬質ではありながらも、主人公目線の文章は自然で違和感がなく、読みやすい文章でした。

 

 

著者本人による「あとがき」には、「六割くらいは純然たる創作で」あり、「どうにもご都合主義っぽい部分が史実だ」とありました。

つまり、作者自ら「ご都合主義」ということを書いているわけで、私が感じた違和感も作者の思惑の中だったようです。

読了後に改めて考えると、序盤に出てくる千反田の言葉の中にさらりと出てくる「格技場の古さ」など、ちゃんと伏線も張ってあるではないですか。

やはり作者の計算が行きとどいている物語だと思わされました。

真実の10メートル手前

真実の10メートル手前 出版社: 東京創元社 (2015/12/21); 単行本: 297ページ
高校生の心中事件。二人が死んだ場所の名をとって、それは恋累心中と呼ばれた。週刊深層編集部の都留は、フリージャーナリストの太刀洗と合流して取材を開始するが、徐々に事件の有り様に違和感を覚え始める…。太刀洗はなにを考えているのか?滑稽な悲劇、あるいはグロテスクな妄執―己の身に痛みを引き受けながら、それらを直視するジャーナリスト、太刀洗万智の活動記録。日本推理作家協会賞受賞後第一作「名を刻む死」、本書のために書き下ろされた「綱渡りの成功例」など。優れた技倆を示す粒揃いの六編。(「BOOK」データベースより)

太刀洗女史が活躍する六編の物語が収められた短編推理小説集で、第155回直木賞候補になった作品です。

「真実の10メートル手前」
行方不明になった一人の女性を、彼女の残した一言だけをもとにその所在を探し当てる話です。
「正義漢」
吉祥寺駅で起きた人身事故を描いた16頁しかない作品です。
「恋累心中」
三重県恋累で起きた高校生の心中事件において、凄腕であったその女性記者は心中事件に隠された事実を暴き出すのだった。
「名を刻む死」
田上良造という男性の孤独死に隠された真実を見つけ出す太刀洗だった。
「ナイフを失われた思い出の中に」
蝦蟇倉市で十三歳の少年が三歳の女の子を刺し殺した事件の取材をする太刀洗が、隠された真実を暴きだします。
「綱渡りの成功例」
台風による水害で孤立してしまった戸波夫妻の救出劇には夫妻の隠された思いがあった。

主人公はフリージャーナリストの太刀洗万智という女性で、彼女が探偵役となって物語は進みます。ほとんどの物語は、特定の個人に関連する何らかの事件があって、それなりの結論が出そうという時に、太刀洗だけはその個人の発した「一言」を頼りに真実を暴き出す、という構成です。

そのロジックが実に小気味いい。彼女の言うロジックが正しいものかどうかの検証までは、私は行いません。例え表面的であったとしても、物語の流れの中で読者を説得できるロジックであればそれでよしとするのです。ということで、本書で太刀洗が述べるロジックが正しいのかどうかは不明です。

太刀洗万智という女性は、もともと米澤穂信の『さよなら妖精』という青春ミステリ小説の登場人物だったのだそうです。古典部シリーズ3作目として書き始められた『さよなら妖精』が、出版レーベルの読者層とのかい離という事態に陥り、他社から出版されることになったとのことです。( by ウィキペディア : 参照 )

その後〈ベルーフ〉シリーズとして『さよなら妖精』の10年後の太刀洗万智の物語『王とサーカス』が出版され、その続編として本書『真実の10メートル手前』に至ることになります。

本書に魅かれる一番の理由は、太刀洗万智というキャラクターの持つ魅力に加え、先にも書いたように彼女の行う推理、その考察の際のロジックの小気味良さにあると思います。

本書より前に太刀洗万智という女性が登場する『王とサーカス』という作品を読むと、太刀洗万智という女性は記者という職業に真摯に向き合い、単に事実を伝えるという行為の持つ真の意味を考察しています。

そうした主人公の、事柄の真の意味を見抜く力が本書でも発揮されており、それぞれの話で小さな事柄からその事実に隠された意味を推し量り、事件の解決に結びつけるのです。

そうした様が読者にうけ、支持を得ているのだ思われます。

長岡弘樹教場 という作品は、警察学校を舞台とした作品です。米澤穂信作品と同様に、日常に潜む謎をテーマとしたミステリー小説として、警察学校内部に対するトリビア的興味は勿論、貼られた伏線が回収されていく様も見過ごせない作品です。