材木商伊勢屋忠兵衛からの度重なる申し出に心揺れる、深川芸者のお文。一方、本業の髪結いの傍ら同心の小者を務める伊三次は、頻発する幼女殺しに忙殺され、二人の心の隙間は広がってゆく…。別れ、裏切り、友の死、そして仇討ち。世の中の道理では割り切れない人の痛みを描く人気シリーズ、波瀾の第二弾。(「BOOK」データベースより)
髪結い伊三次捕物余話シリーズの二作目です。
「紫紺のつばめ」 お文は朋輩の芸者衆への対抗心から当代の伊勢屋忠兵衛からの援助の申し入れを受け入れることにした。しかし、事件探索中の不破友之進や伊三治と偶然出会い、そのことを伊三次に言う前に知られてしまう。
「ひで」 伊三次は、大将と呼ばれるほどに絶対的な存在である大工の棟梁山屋丁兵衛の髪を結いに訪れたところ、丁兵衛の娘おみよと一緒になるために、修行中の板前見習をやめた幼馴染の日出吉と出会うのだった。
「菜の花の戦ぐ岸辺」 大伝馬町の小間物問屋糸惣の隠居・惣兵衛が殺され、伊三次が下手人と疑われていた。惣兵衛が死ぬ前に伊三次の名前を残したというのだ。
「鳥瞰図」 伊三次は不破友之進の妻いなみが姉菊乃の仇討ちを果たすべく、江戸へと出てきた日向伝佐衛門を討つ覚悟をしていると聞き、いなみの行動を止めようと走り回る。
「摩利支天横丁の月」 桜の季節の頃から市中の娘が疾走する事件が続いていたが、ついにおみつの行方も分からなくなてしまう。
表題作の「紫紺のつばめ」のクライマックスでこぼれたお文の言葉は「あばえ・・・。」であり、読み手の胸に迫ります。
「ひで」は、惚れた女のために自分の仕事を辞めてまでも意に染まぬ仕事に移った男の哀しみに満ちた物語です。著者本人のあとがきによれば、この話は現代の実話をもとに著者がアレンジをした物語だそうです。
この物語の中で、もうすぐ一人前の板前になろうかという日出吉を全くの素人である大工の世界に引きずり込んだ棟梁の本音はどこにあるのでしょう。
この物語は深川八幡の例大祭の威勢のいい雰囲気を背景にしているだけ、哀しさも一段と深くなっています。そして、日出吉を通して、同時に意地の張り合いを見せている伊三次とお文との関係が浮かび上がっています。
「菜の花の戦ぐ岸辺」では、不破の信頼を失ったと感じた伊三次は不破友之進と喧嘩別れをしてしまいます。代わりにと言っては変ですがお文との仲が元に戻るのです。
よく考えるまでもなく、お文との喧嘩も不破との喧嘩も、伊三次の短気からきたものです。その時の相手の気持ちを推し量ることもなく、単に自分を見捨てたとの勝手な思い込みで自分から縁を切った伊三次でした。
「鳥瞰図」は、不破友之進の妻いなみの話ですが、物語としてちょっと気になる部分がありました。
日向伝佐衛門を討とうとするときのいなみの「不浄役人の妻に甘んじる暮しが何んの倖せでありましょう。」という言葉はどこから出てきたものでしょう。そうした言葉を吐いたいなみが昔の生活に戻れるものなのか、疑問なしとしないのです。
「摩利支天横丁の月」は、おみつの行方不明という事件から、武家社会の歪んだ構造が示され、と同時におみつを想う下っ匹の心情が示されていて、どこかほっこりとする話になっています。
この話では同心の緑川の存在感が増しています。というよりも、伊三次という小者と不破、緑川という同心との書き分けのうまさが光っているのでしょう。
侍と町人、その身分の差は歴然としていて、いくら信頼関係で結ばれていてもその間には深い溝があります。その溝を埋めるものが何なのか、このシリーズを通して探しているようです。
作者自身の「あとがき」によれば、本書(あとがきには「このシリーズの」とあります)のねらいは「変化」にあるそうです。
伊三次とお文の別れがあり、伊三次の幼馴染の死、伊三次自身への殺人の嫌疑、いなみの敵討ち、おみつと弥八の恋と忙しい内容だというのです。
たしかにそうですが、伊三次とお文の関係は、不破や緑川、その他二人の周りの人たちの生活と共に変化しています。それは江戸時代も現代も同様で、土の時代も市井の人々の暮らしはたゆむことなく続いているのです。