『憂いなき街』とは
本書『憂いなき街』は2014年4月に刊行され、2015年8月に379頁として文庫化された長編の警察小説です。
シリーズで初めて佐伯や津久井、小島といった主要登場人物たちのプライベートにまで踏み込んだ、しかし変わらずに面白い作品です。
『憂いなき街』の簡単なあらすじ
サッポロ・シティ・ジャズで賑わい始めた初夏の札幌・市内で起きた宝石商の強盗事件を追っていた機動捜査隊の津久井卓は、当番明けの夜に立ち寄ったバー「ブラックバード」でピアニストの安西奈津美と出会う。彼女は、人気アルトサックス・プレーヤーの四方田純から声がかかり、シティ・ジャズへの出演を控えていた。ジャズの話をしながら急速に深まる津久井と奈津美の仲。しかし、そんななか中島公園近くの池で女性死体が見つかり、奈津美に容疑がかかってしまう…。大好評、“北海道警察”シリーズ、第七弾。
津久井卓は、あるホテルのピアノラウンジでの強盗事件の被疑者逮捕の時のピアニストの安西奈津美とブラックバードで再会した。
奈津美は「サッポロ・シティ・ジャズ」に出演予定の四方田純カルテットの一員として出演を予定しており、遠ざかっていたジャズピアノをまた始めたいというのだ。
自らもピアノを弾いていた津久井は奈津美と意気投合するが、津久井は奈津美の隠された過去に気付いてしまう。
翌日、中島公園の池の近くで女性の死体が発見され、奈津美の名前が捜査線上に浮かんできた。
一方、佐伯宏一はある事件の張り込みの手伝いに来てもらった小島百合と共にブラックバードへと行き、そのまま小島の部屋で飲み直すことになるのだった。
『憂いなき街』の感想
本書『憂いなき街』は、本『北海道警察シリーズ』序盤の警察組織との対立の構図を持っていた作品からすると、随分と作品の雰囲気が変わった気がします。
というのも、本書では単に佐伯、津久井、小島らを中心とした警察小説という以上に、佐伯と小島の関係の変化、そして津久井の淡い恋心と、彼らのプライベートな事柄にまで踏み込んだ描写が為されている点でこれまでとは異なっているのです。
「ブラックバード」というバーが息抜き場として登場する本シリーズはもともとジャズのメロディーが背景に流れていますが、本書は特にその雰囲気が強く、警察小説としてはもしかしたら異色なのかもしれません。
でも、登場人物たちが息抜きに集まる場所としてのジャズを聴かせる「ブラックバード」という酒場の存在が、本『北海道警察シリーズ』の魅力の一つでもあることは異論のないところだと思います。
とは言っても、佐伯、津久井らの個々の捜査が最終的に結びつくという意味ではこれまでのシリーズ作品の流れと同一です。
その上で、サスペンス感に満ちている点も同様であり、ただ、佐伯や津久井らの個人的な事柄にまで踏み込んだ描写が為されているという点が異なるのです。
シリーズが巻を重ねるにつれて読者も登場人物たちに感情移入するようになるのは当然であり、というよりはそれこそが人気シリーズとなる由縁の一つでしょうから、本書での流れも当然とは言えるのかもしれません。
事実、本書での佐伯と小島との関係や津久井の恋心など、捜査の進展に伴うサスペンス感や痛快さなどとは別の新たな関心事が付加された本書はまた異なった魅力を持っていると言えます。
本書『憂いなき街』がシリーズの中で異色だという点に関しては、本『北海道警察シリーズ』は当初は三部作の予定だったものが、全十作品の構想へと変更されたとのことですから、シリーズ冒頭の三部作の組織対個人という構図からすると異なっているのが当たりまえではあります。
シリーズ第四巻の『巡査の休日』から少しずつ事件の態様を変化させてきた本シリーズが、登場人物のプライベートに目を向けたというだけのことだとも言えるのです。
とはいえ、繰り返しますが、本シリーズの中での本書の位置付けはそれほど特異なものだとは個人的には思っていません。
これまでも描かれてきた二人の関係がそのまま描かれているというだけであり、ただ、シリーズの幅がちょっとだけ膨らみ、色合いが少しだけ変化しただけだと思っています。
作品としての面白さは相変わらずであり、王道の警察小説であることに間違いはないのです。
何よりも、本書『憂いなき街』では津久井の悲しみに満ちたラストが印象的でした。
ジャズの深く昏い音色が流れるラストであり、哀しみ満ちたラストでした。こういう場面を読ませられたらもうこの登場人物たちの物語が終わりが近いとはとても寂しくなります。
しかしながら、佐伯と津久井、小島それに新宮昌樹らの活躍そのものの面白さは何ら変わることがないのはさすが佐々木譲というべきでしょう。
ちなみに、ここで津久井が弾いていたのは「ジャズのスタンダード・ナンバー」で「自分は愚かであるという意味のタイトルがついている曲」だとありました。
どうでもいいことですが調べてみると、多分「My Foolish Heart」という曲ではないかと思われます。勿論、間違っている可能性も大いにあり、そのときはごめんなさい。