久坂部 羊

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余命宣告された52歳の末期がん患者は、「もう治療法がない」と告げた若き外科医を恨み、セカンドオピニオン、新たな抗がん剤、免疫細胞療法、ホスピスへと流浪する。2人に1人ががんになる時代、「悪い医者」とは何かを問う、第3回日本医療小説大賞受賞の衝撃作。(「BOOK」データベースより)

 

患者側と医師側その両方の視点による主張を展開する、日本医療小説大賞を受賞した、長編の医療小説です。

かなり重く、暗い話でしたが、読了後は“爽やかな”とは言えないまでも、それまでの閉塞感からは開放されるだけの感動が待っていました。

 

医療小説といえば“命”と直接に向き合う話であるのは当然です。特に本書のように「癌」をテーマにする以上は、重く暗い話にあるのは当たり前です。

でも、作品によっては本書のようではなく、誤解を恐れずに言えば、もう少し軽く接している作品もあります。

例えば、夏川草介の『神様のカルテシリーズ』でもがんを患っている患者の話は出てきます。そして、つらい現実に直面するのですが、本書程には陰鬱ではありません。

ただ、『神様のカルテシリーズ』の場合は、ある医者を主人公として地域医療を考えることを主眼に書かれていて、主人公の性格を個性的にしてユーモアを交えて描くなど、物語自体が重くならないような仕掛けを施してあります。

 

 

これに対し本書『悪医』の場合は、「癌」の告知をする医者と告げられた患者という特定の関係を描くことで癌医療の現実を描きだしていて、作品の雰囲気が異なるのは当たり前です。

 

読み始めてしばらくは、この作者の作品を読むことは初めてということもあり、決してうまい文章とは言えない、などと考えながらの読書でした。

その上、いわゆる金儲け主義の医者や研究データを大事と考える医者などが登場するにつれ、登場人物の描き方が類型的に過ぎはしないかとの疑問も抱いていました。

 

しかしながら、そうした批判的な読み方も、必死で生きようとして様々な治療を試そうとしてなけなしの大金をつぎ込む患者の態度や、医者同士の会話などに、客観的になれずに感情移入している自分がいるのに気が付きます。

医者同士の会話に出てくる、「医者は経験上、無理な治療は状況を悪化させることを知っている。」との言葉や、「患者というのは、望みがない状況になっても無理やり希望を作り出す」との医長の言葉などは印象的です。

とりようによっては上からの目線とも思えるその言葉の先に、本書でいう医者と患者の立場の違いがあり、すれ違いがあるからです。

 

本書では、森川医師の患者のためを思って告げた癌の治療断念の言葉が、その真摯さが患者には伝わりません。

癌を告げられた患者からすれば、自分の命がかかっているのですから見放されたとしか思えず、もう少し患者の気持ちを分かってほしいと望みます。

結果として医者と患者との気持ちに齟齬が生じ、患者は自分でセカンドオピニオンを求め、まさに「悪医」に取り込まれていきます。

 

本書の一番の魅力が、医者と患者とのリアルな対立を通して医療の本質を描いている点にあるのは勿論です。

しかしながら、その描写の過程で、医者の森川については妻の瑤子の言葉が、患者の小仲についてはボランティアの稲本や吉武の言葉が、視点の多様性をもたらしているところもまた大きいのではないかと思っています。

患者からは冷酷な医者との言葉を投げつけられる医者が、実は勉強家であり、食事の時間も惜しんで患者のために尽くす医者である事実があるなどの叙述は、物事の見方の多面性を示す一例でもあります。

 

物事は一面的ではない、という事実を物語の中で示してくれている作品はそう多くはありません。

一つの出来事に対するある見方に対し、立場を変えた視点で更なる考察を施す。そうした多視点での物事の捉え方を示してくれている作品は読んでいて実に安心でき、納得できます。

本書は現役の医者であるという立場でそいう視点をもたらしてくれている作品だと思うのです。

 

結果として、非常に重い作品ではあるのだけれど、読後にはその重さをはねのけるだけの感動をもたらしてくれる作品であり、日本医療小説大賞受賞も納得の作品でした。

[投稿日]2020年03月15日  [最終更新日]2020年3月15日
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