『ヴァイタル・サイン』とは
『ヴァイタル・サイン』は、看護師を主人公とした、新刊書で362頁の長編の医療小説です。
看護師の過酷な業務の実態をリアルに描き出した作品なのでしょうが、だからこそなのか、私の好みとは異なる作品でした。
『ヴァイタル・サイン』の簡単なあらすじ
二子玉川グレース病院で看護師として働く31歳の堤素野子は、患者に感謝されるより罵られることの方が多い職場で、休日も気が休まらない過酷なシフトをこなしていた。あるとき素野子は休憩室のPCで、看護師と思われる「天使ダカラ」さんのツイッターアカウントを見つける。そこにはプロとして決して口にしてはならないはずの、看護師たちの本音が赤裸々に投稿されていて…。終末期の患者が入院する病棟。死と隣り合わせの酷烈な職場で、懸命に働く30代女性看護師の日々をリアルに描いた感動の医療小説!(「BOOK」データベースより)
主人公の堤素野子が勤務する東京都の第二次救急医療機関に指定されている二子玉川グレース病院は、その立地からして療養に当てられているベッドが多く、高齢の患者が多い。
素野子の働く東療養病棟も療養用の病棟であり、死亡退院の比率が約七割と高い病棟だった。
珍しく元気を取り戻し退院していった患者を見送った素野子は、高い空を見上げ太陽をいっぱいに浴びていた。
「白衣の天使」なんて言葉は、好きではない。
医療と看護の現状や、勤務の実態にもそぐわないと思う。
けれど、やりがいは感じていた。
『ヴァイタル・サイン』の感想
本書『ヴァイタル・サイン』は、医療の、それも看護師業務の現実をリアルに描き出している作品です。
医療小説で看護師を主人公とした作品を私は知りません。そこで、本書の存在を知りすぐに借り出した次第です。
作者の南杏子は、横浜市の病院で看護師が入院患者を殺害した2018年に起きた事件で被疑者が言ったとされる、「自分の担当時間中に、患者さんに亡くなってほしくはなかった」という言葉をきっかけに本書を書こうとしたのだそうです。
また、「看護師として働く際の厳しい状況を描き出すためには、まず日常業務をできる限りリアルに描こうと努めました。」ということも書いてありました。
さらに、先の事件の「犯人は、自分と地続きの人間である――そんなことを読者の皆さんに感じていただければ幸いです。」ともありました( 小説丸 : 参照 )。
その言葉のとおり、看護現場の過酷な現実がこれでもかと書かれています。本書『ヴァイタル・サイン』はそうした問題提起として書かれたということでしょう。
2020年来のコロナ禍の中での医療従事者の方々の業務についての報道がなされ、医師だけではなく看護業務の過酷さは一般にも知られるところです。
ただ、それはあくまで対岸の火事としてであり、現場の苦労そのものは一般の私たちは情報として知るだけです。
本書『ヴァイタル・サイン』は、そうした看護業務の現場の現実との乖離を確かに埋めてくれているようです。
認知症などで手間のかかる患者が多く、一人の患者への食事介助やトイレの補助、入浴などに時間がとられ、ともすれば他の患者への対応が遅れがちだという現実があります。
そこにクレーマークラスの入院患者やその家族などがいたりすると途端に業務が滞ります。
ましてや深夜勤務の時は看護師二人とその補助の三人だけで世話をしなければならず、十分な看護業務ができない場面も出てくるのです。
そのような本書に描かれている看護師たちの業務の実態は思った以上に過酷であり、事実、先般(2010年10月)も続報があった横浜市の病院での事件も見方が変りました。
でも、本書『ヴァイタル・サイン』を小説として評価するときに、そうした過酷な看護業務の現実を直視しているにしても、どうにも暗いのです。
たしかに、看護師の、それも認知症が入っていたたり、終末期の患者がいたりと本書の主人公が勤務する病棟の患者は問題を抱える人が多いのかもしれません。
患者は看護師を自分の鬱屈のはけ口としていたり、医者も些末な用事を自分ですれば済むことを看護師に言いつけたりしています。
こうした看護師の過酷な実態をそのままリアルに読者に伝えることがこの作者の意図なのでしょうし、その意図はそれなりに達成されていると思います。
しかし、本書『ヴァイタル・サイン』は読んでいて決して楽しくも、明るくもありません。というよりも、何とも救いがなく、読んでいて息苦しささえ感じてしまいました。
本書が良い本だということと私の好みとは別物であり、私個人の主観的な感想としては本書は私の好む作品ではないということに尽きます。
医療小説と言えば私の中ではまずは夏川草介の作品が挙げられます。中でも『神様のカルテシリーズ』は一番好きな作品です。
この夏川草介という人も本書を書いた南杏子と同じように現役のお医者さんです。
ただ、夏川草介介という人は、同じく命をテーマにした小説であってもまずは読者が楽しく思える作品を、ということで書かれているそうです。
そうしてみると『神様のカルテシリーズ』では重く憂鬱になりそうな場面も重いままでは終わらずに爽やかさであったり、小さなユーモアを忍ばせたりしてあります。
物語のそもそものトーンがユーモアをベースに、信州の美しい自然を挟みながら書いてあるので決して読み進めることが負担になりません。
作品を比較すること自体があまり感心することではないのかもしれませんが、どうしても比べてしまい、本書はあまりに重く、暗く、喜びに欠けています。
それがいいという人もいるのでしょうが、私は本を読んでいる時間が楽しく、幸せに思える作品を好みます。
ですから、作者の看護業務の過酷さを知ってもらう前提として看護師の日常業務を描くという意図はそれなりに果たせていると思いますが、しかし、小説としては私の好みではないというしかないのです。
この作者の他の作品もあと一冊くらいは読んでみようかと思います。