夏休み直前の登校中、高校一年生の涼太は女の子にトマトを投げつけられる。その女の子・久野ちゃんが気になるが、仙台からきた彼女には複雑な事情があるらしい上、涼太と因縁のある野球部の西澤と付き合っているという噂。一方、元カノは湿っぽい視線を向けてくるし、親友カップルはぎくしゃくしているし、世界は今年で終わるみたいだし―。どうする、どうなる、涼太の夏!?胸キュン青春小説!(「BOOK」データベースより)
『タイムマシンでは、行けない明日』などを書かれた畑野智美のど真ん中の青春小説です。
主人公は高校一年生の涼太という男の子です。ある日、登校時にトマトをぶつけられ、見たことのない子だと思っていたら仙台からの久野という転校生らしく、自分と同じ高校の同学年の子で、何故かその子が気になる存在になっていまいます。
その後、野球部の西澤から久野には近づくなと言われたり、かつての彼女からは何かといわくありげな言葉を投げられたりと、悩みの多い涼太なのです。
青春小説とはいっても多様で、本書は青春特有の悩みを描くにも何となく客観的です。情感が無いとは言いませんが、文章のタッチがこの作家特有の短めの文章を重ねてきて、心象の描き方が乾いています。
同じ青春小説でもあさのあつこの描く小説、例えば『バッテリー』では登場人物の内面を巧みに、それも情感豊かに描き出してあります。原田巧と永倉豪という野球のバッテリーを組む二人の関係を中心に、いろいろな登場人物を絡ませながら、孤高の巧の人間としての成長を描いているのです。
あさのあつこの著す作品は、本書とは逆に人物の心象描写がしつこいと感じられる人があるかもしれません。それほどに心理描写が丁寧です。
私が好きな誉田哲也が書いている『武士道シリーズ』のような青春小説になると、高校剣道部を舞台にしているスポーツものということもあるのでしょうが、主人公の女子高生二人の熱気が伝わってきます。
本書では、そうした熱気はありません。主人公の涼太は運動神経は良いもののスポーツもしていません。成績も国語以外は全滅で学年で最下位に近く、数学や科学は赤点です。何しろ掛け算ができないのです。
しかしながら頭が悪い印象は全くありません。それどころか明朗な人柄のみ伝わってきます。成績こそ良くはなく、スポーツクラブにも入ってはませんが、友人は多く、二階から平気で飛び降りるほどの運動神経の良さを持っていて、どちらかといえば人気者のイメージしかわいてきません。
代わりに人の良い涼太の青春特有の女の子に対する想いや、悩み、何気なく放った言葉が他者を傷つけていることに気付いたときの後悔、などが、湿度を保つことなく描写してあります。
この作者の特徴と言ってもよさそうな文体は、悪く言えば平板です。しかしながら、そこに描写されている物語自体は、妙に惹きつけるものがあり、単に平板という一言ではかたずけられないものがあると思います。
軽いユーモアに包まれたこの作家の文章は、変に主観的にならずに、一定の距離を置いて描いているからこその文章なのかもしれません。
本書のようにスポーツものではない青春小説といえば、例えば金城一紀の描く『GO』があります。この作品は著者の自伝的な作品で、在日韓国人である主人公の立場が明確に示されている作品であり、直木賞を受賞している作品です。
青春小説の分野には他にも多くの作品があります。スポーツの分野のものが一番多い気もしますが、他にも恋愛小説や音楽などの芸術関連の分野のものもあります。
一点だけ挙げると、156回直木三十五賞と2017年本屋大賞のダブル受賞を果たした作品が良いでしょうか。それは恩田陸の『蜜蜂と遠雷』という作品で、ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説です。
これらの作品と比べても、本書『夏のバスプール』という作品は、乾いた文体といい、悪い意味ではない軽いタッチといい、独特な雰囲気を持っている作品だと言えると思います。