荻原 浩

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本書『四度目の氷河期』は、南山ワタル少年の四歳から十八歳までの成長の記録ですが、その実際はワタル少年の青春を描いた長編の青春小説です。

普通とは少々異なった環境にいる少年の日常を日常として描いた上質な青春小説であるとともに、家族愛を描いた物語です。

 

小学五年生の夏休みは、秘密の夏だった。あの日、ぼくは母さんの書斎で(彼女は遺伝子研究者だ)、「死んだ」父親に関する重大なデータを発見した。彼は身長173cm、推定体重65kg、脳容量は約1400cc。そして何より、約1万年前の第四氷河期の過酷な時代を生き抜いていた―じゃあ、なぜぼくが今生きているのかって?これは、その謎が解けるまでの、17年と11ヶ月の、ぼくの物語だ。(「BOOK」データベースより)

 

とある博物館の部外者は立ち入り禁止の部屋の中、一万年前の人間のミイラの前にいる主人公の一言から本書の幕が開き、そこから場面は回想に入ります。そこで主人公が発したせりふは「父さん」という言葉でした。

主人公の名前は南山ワタル。母子家庭で母親は父親のことを何も教えてくれません。だけどワタルは本当の父親を知っていました。ワタルの父親はクロマニヨン人だったのです。

ひとことで言うと本書『四度目の氷河期』はワタルの青春期です。正確には四歳から十八歳までの成長の記録です。読み始めてしばらくはスティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミ-』を思い出していました。

 

 

あとがきを書いている北上次郎氏によると、荻原浩という作家はかならず「ひねり」をきかせる作家だそうです。本書で言えばクロマニヨン人であり、やり投げなのだとか。

確かに、父親がクロマニヨン人だという設定(?)は本書を個性的なものにしています。

母子家庭で育っている少年の、一人遊びの中での少女との出会い、周りから無視される小学生時代、性への目覚めがあり、中学校に上がってからやり投げと出会い、そして旅立ち。

それが、父親がクロマニヨン人というキーワードで、各場面でのワタルの行動の意味がその様相を異にします。

少年時代の自分の家の裏山を駆け巡ることは父親であるクロマニヨン人の行動を追体験しているのであり、後のやり投げへと結びついて行く石器で作った槍はマンモスを殺すための道具です。

ワタルは周りから排斥されてはいるものの、クロマニヨン人にとって野山を駆け巡る行為は生きる行為そのものであり、一人遊びはかえって都合のいいものでした。

 

ワタルの成長記録であり、一人の少年の青春期でもあるこの本『四度目の氷河期』は、繰り返しますが、クロマニヨン人というキーワードによって全編が彩られていて、このキーワードによって本書が青春小説として独特の色合いを帯びていると言えると思います。

思春期の少年の性に対する畏怖などの細かな心理描写も含め、母親への思いなどのワタルの心の記録は、普通とは少々異なった環境にいる少年の日常を日常として描いた上質な青春小説であるとともに、家族愛を描いた物語とも言えるのではないでしょうか。

続けて他の本も読んでみたい作家さんの一人です。

[投稿日]2015年04月08日  [最終更新日]2020年7月14日
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