我、鉄路を拓かん

我、鉄路を拓かん』とは

 

本書『我、鉄路を拓かん』は、2022年9月に314頁のハードカバーとして刊行された長編の歴史小説です。

明治五年(1872)九月に新橋・横浜間で開業された日本初の鉄道路線の敷設に尽力した人々、特に線路の土台部分である築堤を築いた男たちの物語です。

 

我、鉄路を拓かん』の簡単なあらすじ

 

海の上に、陸蒸気を走らせる!
明治の初めに、新政府の肝煎りで、日本初の鉄道が新橋~横浜間に敷かれることになった。そのうち芝~品川間は、なんと海上を走るというのだ。
この「築堤」部分の難工事を請け負ったのが、本書の主人公である芝田町の土木請負人・平野屋弥市である。勝海舟から亜米利加で見た蒸気車の話を聞き、この国に蒸気車が走る日を夢見ていた弥市は、工事への参加をいち早く表明する。
与えられた時間はたった二年余り。弥市は、土木工事を生業とする仕事仲間や、このプロジェクト・チームを事実上率いている官僚の井上勝、そしてイギリスからやってきた技師エドモンド・モレルとともに、前代未聞の難工事に立ち向かっていく。
来たる2022年10月14日は、新橋~横浜間の鉄道開業150年にあたる記念すべき日。この日を前に刊行される本書は、至難のプロジェクトに挑んだ男たちの熱き物語であり、近代化に向けて第一歩を踏み出した頃の日本を、庶民の目で見た記録でもある。(内容紹介(出版社より))

 

我、鉄路を拓かん』の感想

 

本書『我、鉄路を拓かん』は、新橋・横浜間で開業された日本初の鉄道路線の敷設に尽力した人々、特に線路の土台部分である築堤を築いた男たちの物語です。

具体的には、新橋と横浜の間にある、現在「高輪築堤」と呼ばれその遺構も見つかっている部分を担当した人物を描き出した感動的な物語です。

 

本書『我、鉄路を拓かん』を読みながら、かつてテレビで放映された、品川沖に築かれた堤防の上を鉄道が走り、その跡が今でも残っている、という場面を思い出していました。

その番組は多分NHKの「ブラタモリ」であったと思うのですが、定かではありません。

それとは別に本書について調べていると、本書がテーマとしている「築堤」の遺構、が、平成三十一(2019)年四月にJR東日本の品川駅周辺の再開発工事で見つかっていたという記事を見つけました。

私はこのことを知らずにいたのですが、「高輪築堤」と呼ばれているこの築堤の遺跡は一般にも公開され、見学者を募っていたようで、詳しくは下記のサイトをご覧ください。

 

本書『我、鉄路を拓かん』の主人公は、土木請負人である平野屋弥市というもとは雪駄や下駄を商っていた男です。

その男が日の本のために普請がしたい、いつの日にか勝海舟がアメリカで見たという蒸気で走る鉄の車を日の本でも走らせてみたい、と思うようになっていたのです。

平野屋弥市が、同じ土木請負業の山内政次郎、その義理の息子である重太郎、それに長州藩士であり伊藤らと共に英国への密航歴がある井上勝、それに英吉利人技師のエドモンド・モレルらと共に鉄道を敷設することになります。

ただ日本初の蒸気車は、鉄路沿線住民や、政府内部でも兵部省らの強行な反対などがあり、前途は決して明るいものではなかったのです。

そうした困難を乗り越えて日本初の鉄道を走らせる礎を築くことになる、彼らの姿は感動的ですらあります。

 

しかし、陸蒸気を走らせるまでの話は、主人公平野屋弥市の紹介を兼ねた話でもあるためか今一つ盛り上がらない印象がありました。

本書『我、鉄路を拓かん』のような土木作業のような世界を描くには山本一力のような骨太の文章の方が似合っただろう、などと思っていたものです。

とはいっても、第二章の終わりあたり、蒸気車の話が具体的に見えてくるところあたりから、この物語は面白くなります。

物語の展開が本題に入り、伊藤勝を中心として事業が動き出すダイナミズムが文章にも表れているようです。

 

ただ、重太郎が人を見下すような人物として描かれているのは若干の疑問が残りました。

義理の父親である政次郎が侠気溢れる大人物であるのであるのならば、自分の養子としてそのような人物を選ぶかと思ったのです。

その狭量な性格に気付かない筈はなく、気づいたらその性根を叩き直すのが通常でしょう。

本書の場合、この点については話しの進行の中でそれなりの手当てをしてあり、それなりの納得感はありましたが、それでも若干ではありますが、違和感は残りました。

 

それでも、本書『我、鉄路を拓かん』を読み終えたときには自分の知らない世界を垣間見ることの喜びを得ることはできたと思います。

平野屋弥市や井上勝、それに勝海舟、そして英国人技師モレルら工事にかかわった人々の鉄道敷設に対する熱量を肌に感じることができ、お仕事小説としての楽しみも味わうこともできました。

歴史上実在した人物を主人公に据え、脇を固める人物も同じくかつて我が国に生き、大きな仕事を残した先人たちですから描きにくい作品だったことは容易に想像できます。

そうした制限を乗り越え、それなりの骨太の小説として仕上がっていることは間違いないと思います。

個人的な好みとして若干の不満はあったものの、それでも読みごたえがあった、と言える作品だったと言えるでしょう。

とむらい屋颯太

とむらい屋颯太』とは

 

本書『とむらい屋颯太』は『とむらい屋颯太シリーズ』の第一弾で、2019年6月に刊行されて2022年7月に320頁で文庫化された、連作短編の時代小説です。

テーマがテーマだけに決して明るくはありませんが、梶よう子の作品らしく軽いユーモアを交えながら、人情味豊かに身近な人の死に直面した人々の人間模様を描き出す一編になっています。

 

とむらい屋颯太』の簡単なあらすじ

 

新鳥越町二丁目に「とむらい屋」はある。葬儀の段取りをする颯太、死化粧を施すおちえ、渡りの坊主の道俊。時に水死体が苦手な医者巧先生や奉行所の韮崎宗十郎の力を借りながらも、色恋心中、幼なじみの死、赤ん坊の死と様々な別れに向き合う。十一歳の時、弔いを生業にすると心に決めた颯太。そのきっかけとなった出来事とはー。江戸時代のおくりびとたちを鮮烈に描いた心打つ物語。(「BOOK」データベースより)

 


 

登場人物
颯太  新鳥越町二丁目の弔い扱う葬儀屋の店主
勝蔵  棺桶づくり職人
正平  勝蔵の弟子
おちえ 死者に化粧を施す
寛次郎 雑用
道俊  渡りの坊主 弔い先の婆さんからは死んでも聞きたいと言われるほどに声がいい

韮崎宗十郎 南町奉行所定町廻り同心
一太  韮崎の小者

巧重三郎 医師
榊原主計頭忠之 現南町奉行 巧重三郎の縁戚にあたる

第一章 赤茶のしごき
死んだ女郎の代わりにと亀戸の天神様の藤棚を見に行こうと乗った猪牙船で、心中者の片割れと思われる水死人を見つけたが、本当に心中なのか、妙に気になる颯太だった。

第二章 幼なじみ
早朝の霞の中、兄弟子と共にいた道俊は朱塗りの雷門の下で凍死している老爺を見つけた。公事訴訟で江戸に来た年寄りだったらしい。そこに同心の韮崎がその老爺のことで気になることがあるとやってきた。

第三章 へその緒
日本橋の魚屋叶屋の若内儀のおこうは、棺桶づくり職人の勝蔵の妹だったが、姑のせつからひどい仕打ちを受けているという。勝蔵は棺桶屋という自分の仕事から、兄だということを言い出せないでいたのだった。

第四章 儒者ふたり
江戸でも五本の指に入るぼろ長屋の権助長屋に住み手習塾を開いていた角松正蔵と、大名家に出入りの上田正信という相対立する生き方をした二人の儒者の物語。

第五章 三つの殻
浅草の真砂屋という京扇子を扱う店で、主人の市兵衛が納戸に張られていた縄に首をひっかけた状態で見つかった。重三郎が韮崎に呼ばれて駆けつけると、市兵衛は息はあるもののもって三日という見立てだった。

第六章 火屋の華
近くで出火し、おちえの手を引いて逃げる颯太は、惣吉と呼ばれていた幼い頃、おとせら三人の女郎と共に土蔵に閉じ込められてしまったことを思い出していた。

 

とむらい屋颯太』の感想

 

「とむらい」という言葉は、古くは「とぶらい」といい、人の死を悲しみ,哀悼の気持ちを表すことを意味していると同時に、「葬式」そのもののことも意味しています( Weblio辞書 : 参照 )。

本書『とむらい屋颯太』はこの「葬式」をあげることを業とする男を主人公とした物語です。当然「人の死」を扱うことになります。

「人の死」を扱う小説として思い出すのは、まず先般読んだ辻村深月の『ツナグシリーズ』という作品があります。

この作品は“死者との再会”を描いていて、死者にまつわる人間ドラマと、使者役の少年の成長とを通して「人の死」を見つめ直す様子、残された人間の使者との繋がりのあり方が描いてありました。

また夏川草介の『神様のカルテシリーズ』などの医療小説ではより直接的に「死」及び「死」に直面した人間と主人公の医者の苦悩が描かれていました。

 

 

「葬式」をテーマとする本書でも、当然のことながら様々な人の「死」を見つめることになります。

ただ、本書『とむらい屋颯太』では「死」そのものを考察するというよりも、残された人間と亡くなった人との繋がりや、残された人同士といった生きている者の姿を描いてあります。

そうした「死」にまつわる様々な人間ドラマを梶よう子が極上の人情話として仕上げてあるのです。

 

主人公の颯太は、魂が抜ければ人の身体はただの入れ物だ、と言い切り、とむらいは死人のためにではなく、残された者たちのためにやると言います。「亡者と生者の線引きをしてやるのが、弔いだ。」というのです。

そうした颯太の物言いについて、颯太は冷たいと怒るのがおちえです。

早馬にけられて死んだ母親の割れた頭と顔の傷を丁寧に縫い合わせ、化粧を施した颯太についてくるようになったのが十一歳だったおちえでした。

このおちえが物語全体にさわやかな花を添えています。

 

颯太自身に壮絶な過去があることや、今の土地にとむらい屋を開いた理由なども後には明らかにされますが、それまでは皮肉屋めいた物言いしかしない颯太の姿が描かれるばかりです。

それでもなお、おちえや道俊重三郎といった仲間たちは颯太と共に人から蔑まれるとむらい屋を辞めようとは言わないのです。

 

本書『とむらい屋颯太』のような弔いまたは葬式そのものではありませんが、人の死に際し、三昧聖という死者の湯灌を職務とする主人公の姿を描いた作品がありました。

高田郁の『出世花』とその続編の『蓮花の契り 出世花』という作品です。

父と共に放浪の末に行き倒れ、青泉寺の僧侶の手で看病を受けるも艶だけが生き延びます。新たに縁という名を貰った娘は、湯灌の手伝いをするのです。

共に死者を送る職業ですが、この作品のほうがより情緒的であったような気がします。

 

 

ともあれ、本書『とむらい屋颯太』も良質の人情小説であることには間違いはなく、読み応えのあるおもしろい小説であると言えます。

五弁の秋花: みとや・お瑛仕入帖

鍋釜から、手拭い、紅まで店に並ぶものは三十八文均一の「みとや」。猪牙舟を漕がせたら船頭も怖れる看板娘・お瑛と、極楽とんぼの兄・長太郎が切り盛りする。ある日、お瑛は売り物の簪が一本足りないことに気づく。消えた簪を探すうちにお瑛は、その意匠の秋の七草から、元吉原の花魁・お花にたどりつくのだが…。江戸下町の人情あふれる時代連作短編集、シリーズ第二弾。(「BOOK」データベースより)

 
目次

鼻下長物語 / とんとん、かん / 市松のこころ / 五弁の秋花 / こっぽりの鈴 / 足袋のこはぜ

 

『みとや・お瑛仕入帖シリーズ』の第二弾で、六編の連作短編からなる人情時代劇です。

「みとや」とは、「食べ物以外なら何でも扱う三十八文均一の店」であり、ようするに江戸の百均です。

シリーズものと知らずに借りてきた作品です。読み始めてすぐに何か変だと思い、本の帯を見たら「みとや」シリーズ第二弾だとありました。

とはいえ、独立して読んでもそれなりの面白さを持った作品です。

兄長太郎の仕入れてきた品物に絡む話を横軸に、長太郎・お瑛兄妹の身の上に絡む話を縦軸として話は展開します。

本書では冒頭から「みとや」の近くに元吉原花魁のお花が惣菜の店を開きますが、このお花も本書の新しい登場人物として物語に少しずつからんできます。

 

鼻下長物語
兄の長太郎が仕入れてきた≪黄表紙≫に挟まれていた錦絵に描かれていた風景が、母親と共にいたお瑛の記憶と重なり、本書を貫く風景探索のきっかけとなります。

一方、長太郎の友人の寛平が、一緒になると約束をしていた吉原花魁の中里が旗本に身請けされてしまうと泣きついてきたのを、お瑛の機転で助けることになるのです。

とんとん、かん
お瑛は、船大工の茂兵衛に猪牙舟の櫓を薄くしてもらいにきた折に、猪牙舟での競争を挑まれます。競争の当日、相手の辰吉は、自分の親父の形見を使い強盗をした男から形見を取り返してきたと顔を腫らしてきたのです。

市松のこころ
ある日長太郎が入れてきた市松人形を見に、一人の幼い男の子が毎日「みとや」の店先に現れるようになります。その人形はその男の子に捕り大切なものでした。「みとや」の店先からその人形を盗った男児は、逃げる際に川へ落ちてしまいます。

五弁の秋花
長太郎が菅谷直之進に頼まれ仕入れてきた五弁の花が三つ彫られている平打ちの簪をお花に贈ります。粟花と呼ばれているこの花は別名を「女郎花」と言ったのです。

こっぽりの鈴
ある日、「みとや」で盗品を売っていると噂が立ちます。そこに、お春という女が役人をともなってきて、自分の店から盗まれたものに間違いないと言いたてるのでした。そんななか、お瑛はおせんに誘われて永代橋まで行きますが、おせんはお瑛に冷たい仕打ちを取るのでした。

足袋のこはぜ
長太郎に盗品の下駄を売り付けたのは、役人が持ってきた盗人の似顔絵に描かれている人物でした。その男を捕まえると、長太郎かけられた疑いを晴らすことができるのでした。

連鶴

一枚の紙から折る繋がったままの千羽鶴“連鶴”。桑名藩に伝わるそれは家族の深い絆を意味していた。大政奉還に始まる動乱期を、親藩桑名藩士として生き抜く速見丈太郎は、商家の婿養子になり「藩を捨ててくれ」と言い残して失踪した弟栄之助を思い、連鶴を折る。信じる道は違えども、我らは兄と弟だと―幕末の激動が二人に見せた明日とは!?感涙の歴史時代小説。(「BOOK」データベースより)

 

幕末の動乱期、桑名藩藩士である速見丈太郎・栄之助兄弟の、時代に流されそうになるも必死で生きようとする姿を描いた物語です。侍の生き方を真摯に問うている作品で、決して明るい内容ではありません。

 

本書は、幕末を描いた作品は多くある中で、桑名藩という珍しい藩を舞台にしていています。桑名藩の藩主は京都所司代を務めた松平定敬であり、京都守護職である会津藩主松平容保の実弟です。

幕末で最後まで佐幕を貫いた藩ととして挙げられることの多い「会桑」とはこの両藩のことを指します。これに徳川慶喜を加え、幕末の京都で一大勢力として認知されたのが「一会桑政権」です。(ウィキペディア参照)高名な新選組はこの会津藩預かりという形で出発しました。

 

物語は主人公である兄の速見丈太郎の苦悩を中心に進みます。ただ、内心を描くことはいいのですが、何時までも苦悩する姿ばかりを見せられているようで、決してテンポよく読み進める作品ではありません。

丈太郎は自らが刀を取って戦うだけの意味を見いだせずにいます。そうした折、徳川慶喜は会桑の藩主松平容保、松平定敬の兄弟と共に江戸へ帰ってしまいます。丈太郎は戦いの最中にも関わらず大義を見失ってしまうのです。

他方、丈太郎の弟栄之助は商家に入り、侍を捨てたはずだがどうも行いに不穏なものがあり、その身が案じられてなりませんが、自分自身の身の振り方すら定まっていない丈太郎にはどうしようもないのです。もしかしたら、こうした丈太郎の存在自体がもどかしさを感じるのかもしれません。

 

同じように激動の幕末から明治にかけての若者たちの活動、苦悩を描いた作品はかなりの数に上ると思われます。新選組ものなどはこの分野に位置づけられるでしょうし、有名どころでは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』や、子母澤寛の『勝海舟』などは歴史小説の最高峰に位置づけられる作品でしょう。

無名の存在を主人公にした作品も多く発表されていて、直木賞作品で言えば、朝井まかての『恋歌』や木内昇の『漂砂のうたう』もそうですね。

 

残念ながら、本書はこうした多くの作品の中では決して個性ある作品とは言い難いようです。梶よう子という作家の持っている優しい目線とどこかユーモラスで味のある文章から紡ぎだされる作品を期待したいものです。

ヨイ豊

黒船来航から十二年、江戸亀戸村で三代豊国の法要が営まれる。広重、国芳と並んで「歌川の三羽烏」と呼ばれた大看板が亡くなったいま、歌川を誰が率いるのか。娘婿ながら慎重派の清太郎と、粗野だが才能あふれる八十八。兄弟弟子の二人が、尊王攘夷の波が押し寄せる江戸で、一門と浮世絵を守り抜こうとする。(「BOOK」データベースより)

 

幕末から明治初期の市井の様子を交えながら、浮世絵が忘れられていく姿が丁寧に描かれている長編小説です。第154回直木賞の候補作品です。

 

「浮世絵」とは、当代の風俗を描く風俗画であり、その題材は人物、静物、風景など多岐にわたります。

本書の冒頭で「浮き世は憂(う)き世。はかなく苦しい現の世なら、憂(うれ)うよりも、浮かれ暮らすほうがいい。極彩色に彩られた浮き世の絵は、俗世に生きる者たちの欲求そのものだ。」と、うまい表現で紹介してあります。

 

「浮世絵」は一人の人間の作業で完結するものでもなく、下絵を書く絵師がいて、その下絵にそって版木に彫りこむ掘師がいて、更にその版木を手作業で印刷する摺師がいます。

そのそれぞれが職人であり、高度な技術を有していました。(ここらの事情は「浮世絵ができるまで」に詳しく説明してあります。)通常浮世絵師として有名な歌川広重、葛飾北斎といった人たちはこの絵師であったわけです。

 

本書の主人公の清太郎は、師匠である三代豊国の死去に当たり、その後を継ぐか否かで迷っていますが、歌川派の中興の祖と言われた初代豊国の名跡は浮世絵界における最大派閥であり、三代目歌川豊国の名はそれほどに大きな存在であったようです。豊国の名に関しては二代、三代と若干の問題がありますが、そこらの事情は本書内に詳しく紹介してあります。

幕末から明治維新期にかけて時代は大きく動いていきますが、本書では歴史上の大きな事件については背景の紹介として触れられているだけです。そうした事件は一般市民の生活には、物価など間接的に影響するだけなのです。

浮世絵師たちにとって最大の問題は文明開化により江戸が無くなっていくことであり、それに伴い浮世絵もすたれていくことでした。印刷機が入り、掘師や摺師がいなくなり、当然のことながら絵師もいなくなります。

終盤になって、本書の「ヨイ豊」というタイトルの意味も明かされ、涙を誘います。絵師にとって絵を書くことの意味、途中役者の團十郎に言わせている「楽しいけど、苦しいよねぇ。」という言葉の重さが胸に迫ってきます。

失われていく江戸の町を前に「江戸絵」を書きたいという絵師たちの哀しみを描き出すこの物語は直木賞の候補になるのもうなずける物語でした。

 

本書にも終盤に出てくる小林清親という人を描いた作品に杉本章子の『東京新大橋雨中図 』という小説があります。「光線画」といわれる絵の書き手として最後の浮世絵師とも言われる人で、この小説も読みごたえがありました。他にも浮世絵師を題材にした作品は多くあります。私が読んだのは数作しかありませんが、後掲しておきます。

 

蛇足ながら、本書の装画・挿絵を描いている一ノ関圭氏は、昔ビッグコミックという雑誌で何度か読んだ人です。思いもかけずこういう形で見かけるとは思いませんでした。画力の高さには定評のある作家さんで、下掲のような浮世絵師の物語も書かれています。

 

桃のひこばえ 御薬園同心 水上草介

本書『桃のひこばえ 御薬園同心 水上草介』は、『柿のへた 御薬園同心 水上草介』の続編です。

小石川御薬園同心の水上草介とその周りの人たちが織りなす人間模様を、暖かな目線で描き出しています。

 

「水草さま」と呼ばれ、周囲から親しまれている小石川御薬園同心の水上草介。豊かな草花の知識を活かし、患者たちの心身の悩みを解決してきたが、とんでもなくのんびり屋。そんな草介が密かに想いを寄せてきた、御薬園を預かる芥川家のお転婆娘・千歳に縁談が持ち上がる。初めて自分の心に気付いた草介はある行動に出るが―。大人の男として草介が一歩成長をとげる優しく温かな連作時代小説。(「BOOK」データベースより)

 

小石川御薬園での毎日を植物の世話に明け暮れる水上草介(みなかみそうすけ)のもとに、吉沢角蔵(よしざわかくぞう)という二十歳そこそこの見習い同心がやってきた。

角蔵は何事にも融通が聞かず気難しく、園丁達からは堅蔵(かたぞう)と呼ばれるほどの堅物なのだが、更には角蔵とは正反対の性格の妹美鈴まで現れ、二人して草介の日常に何かと問題を巻き起こすのだった。

一方、千歳との仲は相変わらずで、ただ、千歳の振る舞いが折に触れ草介の胸の奥に奇妙な痛みをもたらしていた。その千歳に縁談が持ち上がる。

 

本書『桃のひこばえ 御薬園同心 水上草介』は、『柿のへた 御薬園同心 水上草介』の続編です。

 

 

相変わらずに読後感が爽やかです。この作者の作品を何冊か読んでくると、作品を読んでいる時間がとても幸せに感じられるほどに、作者の視線の優しさが感じられます。作者の生きることに対する姿勢そのものがにじみ出ているのでしょう。

特に本シリーズは主人公草介とその上司の娘千歳との会話が、ほのぼのとしていながらもユーモアに満ちていて、作品全体のありようを決めています。

恋に不器用なお人好しとお転婆娘という、ある種定番の二人ではあるのですが、作者の筆の上手さはパターン化を越えたところで読ませてくれるようです。

また、本書で言えば吉沢角蔵というどこか石垣直角を彷彿とさせるキャラクターを登場させ、その妹の美鈴の存在と併せ、物語の幅が一段と広がっています。

ちなみに「石垣直角」とは、小山ゆうが描いた、天下の名門・萩明倫館の学生・石垣直角(いしがき ちょっかく)と、直角の家族・仲間が繰り広げる痛快時代劇コメディ漫画『おれは直角』の主人公です。。

 

 

植物を相手とする物語と言えば、朝井まかての『先生のお庭番』はシーボルトの屋敷の薬草園を管理する庭師の物語でした。こちらが日本賛歌であるならば、本書は人間賛歌と言えるでしょう。

ついでに言えば、前作の『柿のへた 御薬園同心 水上草介』でも書いたように、漫画の『家栽の人』という作品は本作に似ています。家庭裁判所の裁判官である主人公は植物が好きで、本書の草介同様に植物になぞらえて当事者を説諭したり、語ったりします。

 

 

本書のタイトルの「桃のひこばえ」とは「樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと」だそうです。「元の幹に対して、孫のような若芽」ということで呼ばれているらしく、漢字を当てると「孫生え」だそうです。

ことり屋おけい探鳥双紙

本書『ことり屋おけい探鳥双紙』は、飼鳥屋(かいどりや)「ことりや」の女主人おけいを主人公とする連作の中編小説集です。

「かごのとり」「まよいどり」「魂迎えの鳥」「闇夜の白烏」「椋鳥の親子」「五位の光」「うそぶき」という七編の短編からなる、江戸は日本橋小松町で、未だ帰らぬ夫を一人待つ女を描く人情物語だ。

 

亭主の羽吉(はねきち)が、夜になると胸元が青く光る鷺(さぎ)を探しに旅立ってから三年が経つ。

羽吉と同道した旗本お抱えの鳥刺しは一人で江戸に帰ってきていたが、羽吉とははぐれてしまい消息は判らないという。おけいは、羽吉のいない年月を「ことりや」を守ることに捧げているのだった。

 

どの物語も、おけいが一人寂しさに耐えながらも、店を訪れる客や定町周りの永瀬の持ち込む話に一生懸命に耳を傾けつつも、鳥にまつわる疑問を解いていきます。

そのことが事件の裏に隠された真実を暴きだし、そこにある人間模様が心に沁み入る物語として描き出されているのです。

例えば最初の「かごのとり」では、おけいは小鳥が好きでも無さそうな娘が次々と小鳥を買い求めていく理由(わけ)を知り、その娘に「もう小鳥はお売りできません」と告げます。

そして、その娘の行いに隠された真実と向き合わせ、かたくなな娘の心を開いて行くのですが、そこで展開される人間模様が読者の心を打つのです。

 

登場人物としては、あの『南総里見八犬伝』の作者である曲亭馬琴が、客として、また良き相談相手としておけいの後見人的立場で登場します。

次いで、北町奉行所の永瀬八重蔵という定町周りが物語の定番としており、この永瀬が持ち込む相談も、おけいが謎ときをしていくことになります。

 

若干、物語のきっかけとなる出会いなどに、強引さが気になるところもあります。しかし、この作者の話の進め方の上手さなのでしょうか、優しく語られる物語の先行きが気になり、きっかけの強引さも気にならなくなってしまいます。

本書『ことり屋おけい探鳥双紙』でもおけいにとっての一大事は巻き起こりますが、強烈な事件という事件は起きません。

その点では物足りなく感じる人がいるかも知れません。でも、人情ものの中でもより視点の優しいこの作家の物語は、一息つける時間でもあると思うのです。

宝の山 商い同心お調べ帖

江戸の町を繁栄させるのは物が動き、銭が動くことだ―いなりずしから贋金まで、物価にまつわる騒動の始末に奮闘する同心・澤本神人。家では亡くなった妹の娘・多代を男手ひとつで育ててきたが、そこに居酒屋の美人女将が現れて―物の値段に人情を吹き込む新機軸の時代ミステリー!(「BOOK」データベースより)

 

帯には「時代ミステリー」と銘打ってある短編の時代小説集です。

 

主人公の設定が少々変わっていて、江戸市中の物の値段や許しのない出版などを調べることを職務としている諸式調掛方同心ということになっています。

当初は定町周りの同心だったのですが、北町奉行鍋島直孝により、「顔が濃い」という理由で諸式調掛方へ配置替えとなったのです。この奉行は「一朝の夢」「夢の花、咲く」にも出てきた奉行です。

この主人公は名前を澤本神人(さわもとじんにん)と言い、まん丸顔で数字に明るい庄太という小物を引き連れて江戸の町を歩き回ります。諸式調掛としてあちこちに顔を出すうちに情報通となっていき、元は定町周りですので持ち込まれる謎を解いていくのです。

 

ただ、最初の「雪花菜(きらず)」という話では、あまり謎とはいえない謎で終わってしまい、物語としても面白いとはいえないものでした。

しかし、「犬走り」「宝の山」「鶴と亀」「富士見酒」「幾世餅」「煙に巻く」と話が進むにつれ、夫々の話が稲荷鮓屋、献上物や贈答品の余剰品を扱う献残屋、紙屑買い、獣肉を食べさせるももんじ屋と、江戸の種々の商売を織り込んで、江戸の町の豆知識にもなっていきます。

そして、人情話を絡めた物語となり、やはり朝顔同心の作者だと思える、人情ものとして仕上がっていました。

 

朝顔同心程の心地よい読後感とまではいきませんでしたが、軽く読める人情本といったところでしょうか。それでもシリーズ化される雰囲気もあり、それがまた楽しみな作品でもあります。

夢の花、咲く

朝顔栽培が生きがいの気弱な同心・中根興三郎は、植木職人が殺された事件の探索を手伝うことになった。その直後、大地震が発生し江戸の町は大きな被害を受け、さらに付け火と思われる火事もつづいた。無関係に見えるいくつかの事件の真相を、興三郎は暴くことができるのか。松本清張賞受賞作の姉妹編(「BOOK」データベースより)

 

朝顔栽培を生きがいとする北町奉行所同心を主人公とした『一朝の夢』の姉妹編です。

 

ある植木職人が殺された。朝顔同心こと中根興三郎は知り合いの植木職人である留次郎やその隣人の吉蔵に尋ねるがなかなかその身元が分からない。

一方、この事件を調べる定町廻り同心の岡崎六郎太は吉蔵の娘お京と結婚することになっていたが、その吉蔵に疑いがかかってしまう。ところが、その探索の途中で安政の大地震が起き、江戸の町は壊滅してしまうのだった。

 

本作品は、上記の『一朝の夢』の数年前の物語です。『一朝の夢』は幕末の大事件を背景にした物語でしたが、本作は安政の大地震が背景になっています。

一般に「安政大地震」といえば、1855年に発生した「安政江戸地震」を意味するようです。しかし、幕末の動乱期でもある安政年間には、他にも「安政東海地震」や「安政南海地震」、「飛越地震」、「安政八戸沖地震」ほかの地震も頻発し、これらを含めて「安政の大地震」と総称されることもあるそうです。(ウィキペディア参照)

この「安政江戸地震」での死者は一万人にもなるといわれています。この時期には多数の瓦版や鯰絵が出されたらしく、そこらは梶よう子の『ヨイ豊』にも書かれています。

 

 

当たり前ですが、中根興三郎は変わらずに朝顔に夢中です。興三郎の朝顔の師匠の留次郎やその隣人吉蔵、その娘お京、お京の許嫁の定町廻り同心岡崎六郎太等々が事件に、そして悪徳商人に振り回されます。この悪徳商人が少々典型的すぎて若干興をそぐところはありましたが、興三郎の人の良さや朝顔や周りの人への愛情により物語は先行きの幸福をにじませつつ進みます。

前作の『一朝の夢』と同じく、本書でも興三郎は「変化朝顔」に夢中です。そこでも書いたように、「変化朝顔」は朝顔の変種のことであり、作り出された新種の朝顔によっては単なる趣味をも越えて、金銭の絡むこともあったようです。

また、「変化朝顔」がテーマになった小説として、中二階女形を主人公にした人情小説、田牧大和の『花合せ 濱次お役者双六』があり、時代小説ではありませんが東野圭吾の『夢幻花』もあります。

 

 

やはり、心地良い時間を過ごすことのできる一冊だと思います。

一朝の夢

北町奉行所同心の中根興三郎は、朝顔栽培を唯一の生きがいとしている。世の中は井伊大老と水戸徳川家の確執や、尊王攘夷の機運が高まり不穏だが、無縁だ。だが江戸朝顔界の重鎮、鍋島直孝を通じ宗観と呼ばれる壮年の武家と知り合ったことから、興三郎は思いも寄らぬ形で政情に係わっていく。松本清張賞受賞(「BOOK」データベースより)

 

朝顔栽培を生きがいとする北町奉行所同心を主人公とした連作の人情小説集です。

 

幕末の江戸、元北町奉行鍋島直孝の屋敷前で絶命していた武家の死体が消えた。一方、町人や商人が四人続けて辻斬りの犠牲になるという事件が起きる。

しかし、両組御姓名掛りという奉行所員の名簿作成役に過ぎない中根興三郎は、相変わらず唯一の趣味である朝顔の栽培に夢中になっているのだった。

ところが、元北町奉行鍋島直孝が江戸朝顔界の重鎮であるところから、宗観と呼ばれる武家と知り合うことになる。そうして武家の死体の消失事件や辻斬り事件とも関わり、更には時代の波にも無関係ではいられなくなるのだった。

 

本作を評して「町方や市井の物語の向こうに常に歴史が透けて見える、そんな作風」だと、大矢博子氏が書いておられます。

評論家という方もまた文章のプロだとは常々思わされるのですが、言い得て妙だと思いました。読者が知っている歴史的事実の隙間を「ドラマティックに埋めていく」のが歴史小説ですが、本作品は「年表の隙間を埋めるのではなく、年表に半透明の幕を張り、その手前でドラマを展開する」というのです。

本書では、歴史的人物だけを取り上げて物語の中に放り込み、幕末の歴史的な出来事は間接的に読者の前に示されるにすぎません。歴史的な事実は背景に過ぎず、ドラマはその前で展開されます。

人が良いばかりで、朝顔に関してだけは人一倍の知識を有するオタクである中根興三郎だからこそ、歴史的事件には関わらず、その人物に朝顔を通じて交流するだけという展開が可能なのでしょう。

「どんなに美しく咲いても花は一日で萎れてしまう」朝顔は「一朝の夢」であり、だからこそ愛おしいと言う中根興三郎に、宗観が贈った「一期一会」という言葉、茶席に臨むとき「再び返らぬ生涯の一時とする。」というその言葉が心に残ります。

 

本書の主人公の中根興三郎が夢中になっている趣味の「朝顔」とは、朝顔の変種を生み出し生まれた新種の朝顔のあり様を競う「変化朝顔」のことです。

時代的には本書より前の話ですが、本書の続編として出された『夢の花、咲く』も勿論変化朝顔が取り上げられています。

 

 

また、田牧 大和の『花合せ 濱次お役者双六』は、中二階女形を主人公にした変化朝顔をめぐる人情小説ですし、時代小説ではありませんが東野圭吾の『夢幻花』もやはり変化朝顔が主要テーマになった推理小説です。

 

 

派手さは無いけど、読んでいてゆっくりとした時間が流れる、そうした心地よい時間を持てる一冊です。第15回松本清張賞受賞作品です。